選手が心を傾けるスポーツコーチ ヤディ(八所和己) -13ページ目

【修了がスタート】メタ・スポーツマインド_008

修了がスタート

こんな時間は、今までに味わったことが
なかったように思う。
人生を変える出来事が少しずつ少しずつ
進み出した。
セカンドフェーズが開幕へ向けて
準備を始めた。
そんな気持ちになった。

成長は、違和感を感じることでわかる。
そして、行動することで、捉え方が変わることも知っている。
そして、つながりは、魔力によって発揮されることも。
さらに、優しい革命家が誕生することも教えてもらった。

つまり、私の人生が大きく舵を切る直前だということ。

なぜなら、頭ではなく、身体のある部分が
大きく反応したから。

本日、一つの学びを修了することができた。
この修了は、始まりの合図。
そう捉えて良さそうだ。
私のストーリー、私のドラマは、
どんなエキサイティングな展開になるのか?

新しい仲間と一緒にエヴォカティブな旅に
出ようと思う。
明日の朝、魔法の杖はあるのかな。

【イモムシラグビー】メタ・スポーツマインド_007

世界ゆるスポーツ協会がプロデュースする

「ゆるスポーツ」。

スポーツの価値をあらゆる角度から抽出し、

オリジナルの競技を開発、展開しています。

そして、開発されたゆるスポーツは、

社会的に重要な価値をもたらしていることがわかります。

どのようにしてわかるか?

さらに、どのように既存のスポーツとの違いがわかるか?


私が開発に携わった競技に

「イモムシラグビー」という競技があります。

その名の通り、イモムシのようにゆっくり這ってラグビーをします。


この競技、実はルール創りの時に

さまざまな意図を持って創りました。


そして、その意図が理解できた時に、

この競技の攻略法がわかるようになっています。


参加者のリソースを最大限に活かした

ルール創りがそこにはあります。

やっている時に気づくという仕掛けです。


先日、あるイベントで「イモムシラグビー」を

実施いたしました。

そして、参加者のリソースが最大限に発揮された様子を目の当たりにしたのです。

そんな2試合を体験しました。


なぜこのルールにしたのか?

そして、どんな展開になったのか?


1試合は、

先に気づいたチームが点数を重ね、前半はワンサイドゲームになるかと思いきや、ビハインドだったチームが後半に気づき、戦略を変えて逆転!

さらに、気づきを得て再逆転。

という好ゲーム。


そして、もう1試合は、取り、取られの中で、

お互い気づき合い、同点、サドンデスという

「イモムシラグビー」史上初の延長戦となりました。


なぜなのか?


そこには無意識の働きがありました。

そして、集中の時間が訪れる。

そして、チームが創られていく。

そして、ノンバーバルなコミュニケーションが開かれた瞬間でした。

さらに、大人が知的なガチンコ勝負を挑む。

つまり、ゆるスポーツは、大人が、本気になって心を動かされる。

なぜなら、ただの感情的なものではない。そこには、心と心が

無条件に、非言語で相互に依存している瞬間だからです。


こんなチームビルディングは見たことがなかった。無意識を活用したトランス状態。

いつのまにか周りも引き込まれていき、

そして、レフリーの私も完全に入り込みました。


「ゆるスポーツ」は、スポーツの概念を

大きく変え、

そして、たくさんの価値を感じてもらえる

最強のコンテンツなんだと


改めて気づいた瞬間でした。




【ユーススポーツチームは何を目指すか?】メタ・スポーツマインド_006

スクール、スポーツ少年団、部活動。ユース世代のスポーツは、専門的なコーチがつくことは多くありません。

そして、組織力も決して磐石ではありません。

携わっている大人たちは、とにかく成立するように


必死に動きます。子どもたちのために。


大人たちは、子どもたちのために


「やってあげる」のです。


「教えてあげる」のです。


そして、


大人たちは仕事ではなく、ボランティアに近い


状況で、子どもたちのために


「時間を使ってあげてる」のです。


だから、大人はリスペクトされ、子どもたちは、


従っていけばよいのです。


多くの大人たちは、そう思っています。


学校での先生と生徒という関係性は、


部活でも相変わらず、


先生と生徒なんです。選手とコーチではない。


切り替わる必要はないと思っています。


ここまで読んだみてどうでしょうか?


何かに気づかれましたか?





そうなんです。


大人が上で、子どもが下。


上下関係、主従関係が出来上がっています。


果たしてこの状況は、良い考え方なのでしょうか?


だとしたら、


誰にとって良いのでしょうか?


少なくとも子どもたちにとって良さそうでは


ありません。


なぜ「やってあげる」「教えてあげる」


なのでしょうか?


なぜ「時間を使ってあげてる」


なのでしょうか?


そして、チームを勝利至上主義に


していくのはなぜでしょうか?


「子どもたちが勝ちを望んでる」


望んでいないとは言いませんが、


本当にそうでしょうか?


子どもたちが見ている景色は


もっと色んな景色があるような気がしています。


やってあげてる大人の皆さんが


少しだけ立ち止まって、


本当にそうなのか?


と、自問自答してみるのもいいかもしれません。


大人の価値観を押し付けていないだろうか?


そんなことを確認してみるのも


いいかもしれません。


答えを出す必要はないかもしれないし、


今自分たちがやっていることに疑問を持つことも


あってもいいかもしれません。


強いから正しい。


本当にそうでしょうか?


問いかけてみてください。