選手が心を傾けるスポーツコーチ ヤディ(八所和己) -14ページ目

メタ・スポーツマインド_005


先日、ある小学校の6年生に、夢挑戦プロジェクトというタイトルで、話をさせていただく機会がありました。夢とか挑戦というコトバに対して、どんな印象を持っているのか?
そんなことを聞きたくて、「夢を持つことってどういうことだろう?」と投げかけました。
生徒たちはしばし考えている様子。さらに、
「これには答えはないから自由に思ったことを話してもらっていいですよ」そんなコトバを追加した。
そこで、1人の男の子が、
「答えないなら意味ないじゃん」
と発言しました。
私「どうして意味がないの?」
生徒「答えがないなら考えても仕方ない」
私「答えが知りたいんだね」
生徒 無言で頷く

現在の教育は常に正解を示していくという導きが
あって、どの問いに対しても答えがついてくるもの。いはゆる正解を知るという教育なんだなと。
思えば私たち世代ですら同じ教育を受けてきたなぁと思いました。

彼の意見はある意味正しく、その方が明確に想像しやすい世界だなと。そこに思い込みも偏見もない。
そんな体験をしました。

答えのない問いを問い続ける楽しさを小学生で知ることができたら、可能性はさらに広がるのかなぁ。
そんなことも感じた体験でした。

メタ・スポーツマインド_004



先入観が取れ始めた。
セッションを重ねていくうちに気づく。

この人ってこんな人だよねー?という先入観。
それがだんだん気にならなくなってきたこと。

クライアントの発話を、そして、非言語を
多角的に捉えて聴く。

そこには、先入観はない。

スポーツコーチは、特殊ではない。
スポーツコーチのメンタルはどうなっているのか?
常にマウントを取るような言動や仕草。
これが当たり前になっていないだろうか?
何かというと選手のせいにしていないだろうか?

なぜモチベーションが上がらないのか?
なぜすぐに練習を休むのか?
なぜ目標がないのか?
なぜ自主性がないのか?

こういう問いを問い続けているだろうか?

答えではない。何かに気づくこと。
それは、選手を観察すること。
そして、選手と一緒に感情の旅に出てみること。
何かに気づくかもしれません。

スポーツコーチは、選手よりも上の存在でもなければ先生でもない。

なぜなら、主役は選手だから。

何のため?
それはつまり?
いつから?
何年先は?
誰から言われたとしたら?
自分の中では?

そんな問いかけ。

メタ・スポーツマインド

心への問いかけ。
意識ではなく、無意識にアクセス。

エモーションコーチング。

メタ・スポーツマインド_003

スポーツコーチは特殊ではない。
そして、先生でもない。
ましてや、教育の専門家でもない。

コーチは、テクニカルな分野に関して、
ティーチングを行うことはある。
そして、選手としての軸を創るサポートをする。

何のために?問い続けることに寄り添う。

選手の全てを応援し、承認するところから始まる。

育ててあげている
引き上げてあげる
気づかせる

コーチとしては、危険な思考である。

あくまで選手の気持ちに寄り添い、
サポートする。
そして、他者との関わりを知る。
さらに、自分自身を整える。

つまり、スポーツコーチは、
選手のリソースを信じて、
最大限の能力を発揮できる
環境創りのお手伝いである。

これがメタ・スポーツマインド。