(13)IT会社を辞めて、塩の会社を起業した理由
私が、IT企業を辞めて、塩の会社を起業した理由をご紹介しています。
(1) (2) (3) (4) (5) (6) は、父が肝硬変で入院し、その病院で、「病気にならない生き方」と「食品の裏側」を読み、娘の未来の子供達の健康は、娘たちの食事を作る私に責任があるのだと思った。今の会社の顧問・瀬川昌威と出会い、輪島の塩と出会い、ミネラルの重要さを知り、化学で作られたサプリメントの怖さを知り、輪島の塩のユーザになったという話。
(7) (8) (9) (10) (11) はマグネシウムが酵素を活性化し、たんぱく質を分解して、うま味を出し、かつ、消化を助けることがわかったという話。は、リンゴの変色実験をしたことから、乳酸菌の育成実験にいたり、人間の血液の比率によく似ている輪島の塩は、精製塩や岩塩よりも、乳酸菌の育成量が多かったこと。発酵食品の決め手となる乳酸菌発酵には、ナトリウムとマグネシウムの微妙なバランスが関係していること。この発酵を促すミネラルバランスの塩は、輪島特有のものだろうと思ったという話。
(12) は、インターネットでいろいろと検索して調べて、輪島の塩にはまっていき、輪島に旅行に行くことにした。会社の仕事の携帯向けコンテンツの関係で、脱水シート「ピチット」の元事業部長だった瀬川にお願いして、三國清三シェフを紹介していただくことになった、という話でした。続きます。
2007年9月のことです。脱水シートの「ピチット」事業部長、その後、能登半島の輪島の塩をプロモーションしていた瀬川の紹介ということで、最初に三國清三シェフのところにご挨拶に行ったとき、「輪島」つながりの世間話として、世界料理オリンピック大会の話題が出ました。
4年に1度、ドイツで、世界司厨士協会の主催で、世界最大の料理競技会「世界料理オリンピック大会」というのが開催されています。100年の歴史があるそうです。
通常の大人のシェフ部門と、23歳未満ジュニア部門があるのですが、日本は大人部門では金賞や銀賞をとっているものの、ジュニア部門には出場経験がありませんでした。
日本の23歳未満は、専門学校を出たばかりぐらいの年齢で、とても世界で戦う力を持っていないから、ということでした。
そこで、次の2008年の大会には、若手育成のため、三國清三シェフがコーチとなり、23歳未満の料理人から選手を選んで、若手を育て、料理オリンピック大会に出場させて、世界の場を経験させたいと考えているということでした。
ジュニア部門の大会は、コールドディスプレイ部門という展示なので、日本らしい展示で目立つようにしたい。漆塗は、英語で「japan」と呼ばれていて、日本を代表する工芸作品。そこで、料理を置く展示には、輪島塗の台や器を使いたいということでした。
そして、三國シェフは、輪島に選手をつれて合宿に行き、輪島塗を作るメンバーとの打ち合わせがしたい、帰りには、選手に料理を作らせて、輪島の人達にお礼をするようなイベントをしたい、それをドキュメンタリーとしてテレビ撮影したい、と考えているということでした。
ちょうど、次の連休に輪島に行くし、輪島塗の漆芸家さんにも会うことになっていたので、「では、私が伝えておきましょう」と引きうけました。
そして、その安請け合い(?)から、世界料理オリンピック大会のジュニア部門が輪島塗の展示を使うということに対し、個人的に、東京と輪島の連絡係という大変な役目をすることになってしまいました。
