ども、今日起きれたんですが、一限の行政法がいつもと違う校舎で想定外にギリギリでした、辻です笑
なので、ブログもこの時間に更新ヾ(@°▽°@)ノ笑
でも書き始めがこの時間なので、これになるんですね、不思議笑
長く続いてきたミャンマー奮闘記もこれで終わりですね。
しかし、ミャンマー奮闘記が終われば、僕は二月からアメリカに行きますヘ(゚∀゚*)ノ
それまでは、普通の生活をかこうかと思います。
あと予てからやりたかった本のお勧め。
んじゃあ、まぁ最後は2月26日から28日までの記録になります。
どうぞ、ごゆるりとご覧くださいヾ(@°▽°@)ノ
2月26日<失敗/人の気持ちとか周りの空気とか>
翌日の27日はマーケットが閉まるということで今日はお世話になった方々にあいさつをして回る日。
案外涙とかは出ないもので、笑っていられました笑
そして、この日はかなえさんに怒られました笑
しかしまぁ、あの子は本当に優しく人を怒れる人です、僕も怒られて久しぶりに心に来ました。
怒鳴られたり、ぶんなぐられたり、批判されたり、そういうのって僕的には全然痛くもかゆくもなくて、「あぁ、まぁ参考程度にしておくよ。」ってなってしまうことが多いんですが。
やさしく怒られるのは久しぶりで、まぁ、彼女以外にこういう風に怒られるとは思いもしませんでした。といった感じ。
こういう感情になったのは久しぶりで、泣きそうになりました笑
久しぶりにすぐに「ごめん」って言えました、すごく素直な感情で。
まぁ、集団行動苦手なんですよ、たぶんエピソード1から見ていただいている方とかはすごくわかると思うんですけど。
芸術家肌で化学者肌です、自分が興味あるものがあればそこに何時間でもいられるし、とくに周りがどうとか関係なく探求したがるタイプなので。
最近は興味があるものの範囲が非常に広くてそれを絞ろうとした時期もありましたが、それはもうやめました。
せっかく、興味がもてることが目の前にあるからってやらないのは損なのでいいややっちまおうってのが僕の発想、たぶん変わることはないと思います笑
なので、みんなKYとかいってたけど、KYとかそういうことではないです(最近聞かなくなったな、死語か笑)
空気は読めます、読んだ上で無視してんです。
だから心苦しいときもあるんです。
でも、やりたいことその場でやんないで、後で後悔するくらいなら自分のやりたい事やりたいのです、空気程度では心は動かない、正義によってのみ動く。
怒られて自分の勝手さに気づく、が、実際、あの場で重視されていたのは空気であったと思うので、根本的には変わってないのかも、自分の性格。
と思うわけです、でも自分のそういうところに気づくところからスタートなんで精進します。
自分の中の日本とは何だろうかと考えてみる。
東京タワー、富士山、縄文杉、そういうものがある場所?
なくなったら、日本じゃない?
いや、そんなことはない。
じゃあ、何が日本か。
僕の中での正解は、「みんながいる国=日本」だと思います。
みんなが仮にアメリカにいればアメリカも僕にとっちゃ日本です。
人が大切、人こそが国だと僕は思う、国家の三要件?知ったこっちゃないww
僕は明日、この国を去るんだよね。
んで、みんながいて、すごく暮らしやすい所に戻っていく。
まぁ、いいんだけどさ。
子どもの目はきらきらしてた、ビー玉みたいだ。
時にボロボロの紙、ぼろぼろの鉛筆で、時にそうではないもので手紙をくれたり、格差なのか?わかんね~、俺は何をしてきたんだろうね。
この短期での自分の短期の目標は、価値観に触れることと、一番上にあったのが、その間に介在する最大公約数だった。
それを達成できただろうか、いや、そもそも一日もこのことを忘れずに過ごせただろうか、いやそうでもない、むしろほとんどの時間そんなことは考えてなかっただろう。
でも、個人的にはm、こうして振り返ってみると、この目標はひとつ一つに真剣に向き合ってきた結果として、得られていたと思う。
でも当時の僕の中に残っていたのは、虚無感、無力感、喪失感、感謝、感動とかでしかなかった、これは無効に事実として残るものは何一つない、僕の人生に影響はあるかもしれないけど、向こうはどうだろうか、もらいっぱなしだと、感じていた。
いろいろ大変で、怪我して、それでもいろいろ体験したくての繰り返し、その実、何を得たと聞かれてしまえばうえみたいなもんだけで、「楽しかった」とかって言葉に集約されてしまうんだけどそれはそれで嫌なんです。
自分は行く前にはもっとどす黒いものを望んでいた、これは価値観に触れるってことに内包されるんだけど。
求めてたものは、幸せ、快楽、そんなもんじゃなくて、苦痛、悩み、不幸、死、決別とかを求めていたんだと思う。
汚い自分の心を認識しつつ、ここに来たんだよね。
くればこうなる、まぁつまり、「楽しい感情」を得てしまうことだって分かっていた。
誤解を恐れずに言えば、人の死が見たかった、人の影を見たかった、暗く死にたくなるような体験をしてみたかった、でも、この国は優しかった。
国じゃねーか、人か。
でも人こそが国だから、いつかこの国がここに住む人たちのような温もりを持った国になれると信じている。
でも、無責任だなとも思うんだよね。
「私は日本に行くお金ないし、みんなにまた会いたいからまた来てね」って言われると、すこしせつなくなる。
いつかみんなを日本に連れてきてあげたい。
周囲のやさしさにおぼれて、現実を見ることをやめていなかっただろうか。
軍という存在を見ることをやめていなかったであろうか。
見ることをやめてしまった目に、映るものなんてないんだよ。
見ようとしなければ見えないことなんていくらでもある。
生きることをやめてしまった命、それにどれだけの価値があるって言うんだ。
2月27日<ミャンマーにサヨナラ・中華人民共和国再び>
この日は、お昼過ぎの登場だったので、午前中だけ、少しお出かけした。
そーさんお勧めのミャンマーのマッサージ店に行った。
このときの写真もあるんですが、友達のカメラでとったので、ないです(T_T)
それを終えたら、急ぎ足で空港へ向わなければならない。
先に帰ったメンバーのはっしとさくらからのメッセージを読む。
さくらは漢字の間違えにとりあえず、笑ったw
はっしは自分もなんとなく感じていたことをしっかり伝えてくれた。
まぁ「正直好きじゃないです、むしろ苦手です」的な手紙です、ですが最近はサークルにはいってないですが、普通に話しますし、このときのメンバーの一部でごはん食べたりもします、たぶん、ここでの正直な気持ちとかがなかったら、なんとなく苦手なまま終わっていったでしょう。
嫌いな人がいる方も、とりあえず、相手のことをもっと知ってから嫌いましょう、知りもしないのに嫌うのは食べず嫌いみたいなもんで、なおかつほかの人の価値観に触れる機会を格段に減らします。
だからとりあえず、しっかりしゃべってみましょう、これができればまた違うと思います。
僕もまだ、こんなことを偉そうに言えるわけではないですが、日々努力しています(^-^)/
サヨナラのとき。

ホテルから毎日見ていたこの景色ともお別れかと思うと少し哀しくなった。
初日の感動は胸に残っているが、今ではこの景色にも慣れた。
空港までは本当に、今となっては当然じゃないけど、当然になりかけていたものを写真に収めていた。
とにかく撮るしかない!みたいな笑
北京へ…
中国に旅立ちだ、空港にもだんだん慣れてきた。
さて、中国の北京につくと、なんと雪!
結構降ってた!
んで、半袖なんですよ、マイナス10度くらいらしいですが、あんまり寒くなくて、半そででいいかとか思ってましたw
もう、夜だから今日はもう寝るだけだ。
明日はまた北京の中心街に行って、日本に帰る。
2月28日<旅の終わり・日本へ>
さて、中国の税関とかも、なんか、行きより余裕を持って、過ごせていて、中国でも割と穏やかな気持ちでいられた笑
北京の中心街はタクシーの仕組みいまいちわかんなくて、毎回詐欺まがいのタクシーに乗る羽目になる、だが、そこまでの痛手ではないので、まぁいいとしよう笑
帰りなので、元をなるべく使いきる方針で使いまくった。
中華はほとんど満喫できたし、さそり、せみ、タツノオトシゴ、ヒトデの素揚げみたいのは食べました。
せみとヒトデ以外はお勧めしときます、でもライオンキングで言ってたこと思い出しました、蝉はとってもクリーミーですw
んで、花の開くお茶とか、ジャスミン茶とか買って、時間になってしまったので、空港へ、やはり詐欺まがいのマフィア的なお兄さんが運転するタクシーであった。
中国の人って人事ミスってるよね、CAたまに英語通じない人いるのに、デパートのインフォメーションセンターの人英語ペラペラだったw
日本への帰路、快適に過ごして、到着。
あぁ、やっぱ落ち着く。
ランドマークタワーや東京タワーのネオンを見ながら、今までの一カ月をゆっくり思い出して、一人バスの中で楽しい気持ちでいっぱいでした。
この日、家の布団が世界で最高に気持ちいいと思った。
すぐに寝れた。
でも、これから一年間くらい、僕の体内時計は狂って、毎朝9時とかにしか起きれなくなったww
なので、朝ブログを初めて起死回生にしようかと思ったところ、みごとに成功しました、先にやっとけばよかったw
とまぁ、こんな感じの一ヶ月でした。
一言で表すなら「激動」でした。
数え切れないくらい、新しいものに触れて
怪我して、遊んで、学んで、の繰り返しでした。
僕のしたことが少しでもあの子たちの未来をいい方向に傾けられたらいいなとか思いつつ。
たぶん在学中にもう一回はミャンマー行くと思います。
約束とか、いろいろあるし、みんなに会いたいのでヾ(@°▽°@)ノ
こんな拙い文章を最後まで、お読みいただきありがとうございます。
エピソード1からお読みいただいた方ありがとうございます。
ブログに書くために個人情報を極力削っているので、伝えきれなかったり写真載せきれなかったりするんですが、それでも楽しんでいただけるよう、書いてきました。
僕のミャンマーはここでいったん終わりましたが、あれからもいろんなことがありました。
僕らの言っていたスーパーが帰国3日後にテロにあったとか、いろいろ…
少しでも楽しんでいただけたらよかったのではないかと思います。
ありがとうございました!
これからも、こういうテーマ以外のことを話していくので、お付き合いください。
ではでは。
なので、ブログもこの時間に更新ヾ(@°▽°@)ノ笑
でも書き始めがこの時間なので、これになるんですね、不思議笑
長く続いてきたミャンマー奮闘記もこれで終わりですね。
しかし、ミャンマー奮闘記が終われば、僕は二月からアメリカに行きますヘ(゚∀゚*)ノ
それまでは、普通の生活をかこうかと思います。
あと予てからやりたかった本のお勧め。
んじゃあ、まぁ最後は2月26日から28日までの記録になります。
どうぞ、ごゆるりとご覧くださいヾ(@°▽°@)ノ
2月26日<失敗/人の気持ちとか周りの空気とか>
翌日の27日はマーケットが閉まるということで今日はお世話になった方々にあいさつをして回る日。
案外涙とかは出ないもので、笑っていられました笑
そして、この日はかなえさんに怒られました笑
しかしまぁ、あの子は本当に優しく人を怒れる人です、僕も怒られて久しぶりに心に来ました。
怒鳴られたり、ぶんなぐられたり、批判されたり、そういうのって僕的には全然痛くもかゆくもなくて、「あぁ、まぁ参考程度にしておくよ。」ってなってしまうことが多いんですが。
やさしく怒られるのは久しぶりで、まぁ、彼女以外にこういう風に怒られるとは思いもしませんでした。といった感じ。
こういう感情になったのは久しぶりで、泣きそうになりました笑
久しぶりにすぐに「ごめん」って言えました、すごく素直な感情で。
まぁ、集団行動苦手なんですよ、たぶんエピソード1から見ていただいている方とかはすごくわかると思うんですけど。
芸術家肌で化学者肌です、自分が興味あるものがあればそこに何時間でもいられるし、とくに周りがどうとか関係なく探求したがるタイプなので。
最近は興味があるものの範囲が非常に広くてそれを絞ろうとした時期もありましたが、それはもうやめました。
せっかく、興味がもてることが目の前にあるからってやらないのは損なのでいいややっちまおうってのが僕の発想、たぶん変わることはないと思います笑
なので、みんなKYとかいってたけど、KYとかそういうことではないです(最近聞かなくなったな、死語か笑)
空気は読めます、読んだ上で無視してんです。
だから心苦しいときもあるんです。
でも、やりたいことその場でやんないで、後で後悔するくらいなら自分のやりたい事やりたいのです、空気程度では心は動かない、正義によってのみ動く。
怒られて自分の勝手さに気づく、が、実際、あの場で重視されていたのは空気であったと思うので、根本的には変わってないのかも、自分の性格。
と思うわけです、でも自分のそういうところに気づくところからスタートなんで精進します。
自分の中の日本とは何だろうかと考えてみる。
東京タワー、富士山、縄文杉、そういうものがある場所?
なくなったら、日本じゃない?
いや、そんなことはない。
じゃあ、何が日本か。
僕の中での正解は、「みんながいる国=日本」だと思います。
みんなが仮にアメリカにいればアメリカも僕にとっちゃ日本です。
人が大切、人こそが国だと僕は思う、国家の三要件?知ったこっちゃないww
僕は明日、この国を去るんだよね。
んで、みんながいて、すごく暮らしやすい所に戻っていく。
まぁ、いいんだけどさ。
子どもの目はきらきらしてた、ビー玉みたいだ。
時にボロボロの紙、ぼろぼろの鉛筆で、時にそうではないもので手紙をくれたり、格差なのか?わかんね~、俺は何をしてきたんだろうね。
この短期での自分の短期の目標は、価値観に触れることと、一番上にあったのが、その間に介在する最大公約数だった。
それを達成できただろうか、いや、そもそも一日もこのことを忘れずに過ごせただろうか、いやそうでもない、むしろほとんどの時間そんなことは考えてなかっただろう。
でも、個人的にはm、こうして振り返ってみると、この目標はひとつ一つに真剣に向き合ってきた結果として、得られていたと思う。
でも当時の僕の中に残っていたのは、虚無感、無力感、喪失感、感謝、感動とかでしかなかった、これは無効に事実として残るものは何一つない、僕の人生に影響はあるかもしれないけど、向こうはどうだろうか、もらいっぱなしだと、感じていた。
いろいろ大変で、怪我して、それでもいろいろ体験したくての繰り返し、その実、何を得たと聞かれてしまえばうえみたいなもんだけで、「楽しかった」とかって言葉に集約されてしまうんだけどそれはそれで嫌なんです。
自分は行く前にはもっとどす黒いものを望んでいた、これは価値観に触れるってことに内包されるんだけど。
求めてたものは、幸せ、快楽、そんなもんじゃなくて、苦痛、悩み、不幸、死、決別とかを求めていたんだと思う。
汚い自分の心を認識しつつ、ここに来たんだよね。
くればこうなる、まぁつまり、「楽しい感情」を得てしまうことだって分かっていた。
誤解を恐れずに言えば、人の死が見たかった、人の影を見たかった、暗く死にたくなるような体験をしてみたかった、でも、この国は優しかった。
国じゃねーか、人か。
でも人こそが国だから、いつかこの国がここに住む人たちのような温もりを持った国になれると信じている。
でも、無責任だなとも思うんだよね。
「私は日本に行くお金ないし、みんなにまた会いたいからまた来てね」って言われると、すこしせつなくなる。
いつかみんなを日本に連れてきてあげたい。
周囲のやさしさにおぼれて、現実を見ることをやめていなかっただろうか。
軍という存在を見ることをやめていなかったであろうか。
見ることをやめてしまった目に、映るものなんてないんだよ。
見ようとしなければ見えないことなんていくらでもある。
生きることをやめてしまった命、それにどれだけの価値があるって言うんだ。
2月27日<ミャンマーにサヨナラ・中華人民共和国再び>
この日は、お昼過ぎの登場だったので、午前中だけ、少しお出かけした。
そーさんお勧めのミャンマーのマッサージ店に行った。
このときの写真もあるんですが、友達のカメラでとったので、ないです(T_T)
それを終えたら、急ぎ足で空港へ向わなければならない。
先に帰ったメンバーのはっしとさくらからのメッセージを読む。
さくらは漢字の間違えにとりあえず、笑ったw
はっしは自分もなんとなく感じていたことをしっかり伝えてくれた。
まぁ「正直好きじゃないです、むしろ苦手です」的な手紙です、ですが最近はサークルにはいってないですが、普通に話しますし、このときのメンバーの一部でごはん食べたりもします、たぶん、ここでの正直な気持ちとかがなかったら、なんとなく苦手なまま終わっていったでしょう。
嫌いな人がいる方も、とりあえず、相手のことをもっと知ってから嫌いましょう、知りもしないのに嫌うのは食べず嫌いみたいなもんで、なおかつほかの人の価値観に触れる機会を格段に減らします。
だからとりあえず、しっかりしゃべってみましょう、これができればまた違うと思います。
僕もまだ、こんなことを偉そうに言えるわけではないですが、日々努力しています(^-^)/
サヨナラのとき。

ホテルから毎日見ていたこの景色ともお別れかと思うと少し哀しくなった。
初日の感動は胸に残っているが、今ではこの景色にも慣れた。
空港までは本当に、今となっては当然じゃないけど、当然になりかけていたものを写真に収めていた。
とにかく撮るしかない!みたいな笑
北京へ…
中国に旅立ちだ、空港にもだんだん慣れてきた。
さて、中国の北京につくと、なんと雪!
結構降ってた!
んで、半袖なんですよ、マイナス10度くらいらしいですが、あんまり寒くなくて、半そででいいかとか思ってましたw
もう、夜だから今日はもう寝るだけだ。
明日はまた北京の中心街に行って、日本に帰る。
2月28日<旅の終わり・日本へ>
さて、中国の税関とかも、なんか、行きより余裕を持って、過ごせていて、中国でも割と穏やかな気持ちでいられた笑
北京の中心街はタクシーの仕組みいまいちわかんなくて、毎回詐欺まがいのタクシーに乗る羽目になる、だが、そこまでの痛手ではないので、まぁいいとしよう笑
帰りなので、元をなるべく使いきる方針で使いまくった。
中華はほとんど満喫できたし、さそり、せみ、タツノオトシゴ、ヒトデの素揚げみたいのは食べました。
せみとヒトデ以外はお勧めしときます、でもライオンキングで言ってたこと思い出しました、蝉はとってもクリーミーですw
んで、花の開くお茶とか、ジャスミン茶とか買って、時間になってしまったので、空港へ、やはり詐欺まがいのマフィア的なお兄さんが運転するタクシーであった。
中国の人って人事ミスってるよね、CAたまに英語通じない人いるのに、デパートのインフォメーションセンターの人英語ペラペラだったw
日本への帰路、快適に過ごして、到着。
あぁ、やっぱ落ち着く。
ランドマークタワーや東京タワーのネオンを見ながら、今までの一カ月をゆっくり思い出して、一人バスの中で楽しい気持ちでいっぱいでした。
この日、家の布団が世界で最高に気持ちいいと思った。
すぐに寝れた。
でも、これから一年間くらい、僕の体内時計は狂って、毎朝9時とかにしか起きれなくなったww
なので、朝ブログを初めて起死回生にしようかと思ったところ、みごとに成功しました、先にやっとけばよかったw
とまぁ、こんな感じの一ヶ月でした。
一言で表すなら「激動」でした。
数え切れないくらい、新しいものに触れて
怪我して、遊んで、学んで、の繰り返しでした。
僕のしたことが少しでもあの子たちの未来をいい方向に傾けられたらいいなとか思いつつ。
たぶん在学中にもう一回はミャンマー行くと思います。
約束とか、いろいろあるし、みんなに会いたいのでヾ(@°▽°@)ノ
こんな拙い文章を最後まで、お読みいただきありがとうございます。
エピソード1からお読みいただいた方ありがとうございます。
ブログに書くために個人情報を極力削っているので、伝えきれなかったり写真載せきれなかったりするんですが、それでも楽しんでいただけるよう、書いてきました。
僕のミャンマーはここでいったん終わりましたが、あれからもいろんなことがありました。
僕らの言っていたスーパーが帰国3日後にテロにあったとか、いろいろ…
少しでも楽しんでいただけたらよかったのではないかと思います。
ありがとうございました!
これからも、こういうテーマ以外のことを話していくので、お付き合いください。
ではでは。









