先日話した傘の種類です( 'Д`)
前振りで諸々と書きました
↓
和傘の種類で知ってる名前
番傘
蛇の目傘
位ですかね?( 'Д`)
全て違う傘です ってのは前回言いました( 'Д`)
じゃあ何処が違うのか?
大雑把に言えば
蛇の目傘 ・・・ 細くて内側に糸飾りのある高級な傘
番傘 ・・・ 太くて内側に糸飾りの無いシンプルな傘
て感じです( 'Д`)
他の傘の事はまたそのうち( 'Д`)
さて
大体の人が 番傘 が基本の傘だと思ってるのだと思います(日本語おかしいなあ(^_^;))
簡単な形やからね( 'Д`)
元々の傘である差しかけの蓋(きぬがさ)は
日本の記録だと日本書紀に記録が有ります。
古墳時代の壁画などに差しかけの傘を持つ人の絵が残ってるそうです( 'Д`)
傘は本来は貴人の頭上に差しかける物 でした
海外の歴史を言い出すと四千年ほど遡らないといけないので割愛します(^_^;)
さて
では 番傘 とは?
写真は 代表的な 白張り番傘
内側には糸飾りが無く(※下記参照)
シンプルな作りの傘です( 'Д`)
現代は骨上に漆をかけますが
昔はベンガラ仕上げの物が主流だったと言われます。
なので、うちの番傘は基本はベンガラ仕上げで行っています。
さて
最初は日傘だった差し掛けの蓋(きぬがさ)が
たためる様なカラクリ細工の唐傘となり
長柄の朱傘となり手持ちの大きさの諸々の傘が出てきます
後に江戸時代の元禄年間(5代将軍・綱吉の頃)に
蛇の目傘が出てきます。
あれ?
番傘は?
と、なりますよね?
傘は元々が貴人の頭上に差しかける特別な物でした。
簡単な構造の庶民的な物では無かったのですね( 'Д`)
そう
選ばれた人のみが使えたのです!
其の昔は傘を使う許可は朝廷が下していたそうです( 'Д`)
そんな傘だからこそ
簡単な構造の安物は本来は無かった様ですね( 'Д`)
で、番傘の出現!
時代は江戸
正徳 1711年から 徳川家宣の頃
日本和傘寶鑑によると
大阪に於いて大黒屋の聾傘とて
骨太くして全面白紙を張りたる
傘行はる後之を江戸方面に積み出したるに
此の傘の丈夫にして値の安きがために
雑用として大いに用ひられ、
それより大黒屋傘と称して各地に行はるるに至れり
と、有ります。
元々は大黒屋傘と呼ばれる傘でした。
では何故に番傘と呼ばれるのか?
これには諸説あります
・大黒屋傘には大黒様の判子が押してあり「判傘」とも呼ばれ、後に番傘と呼ばれた。
・番茶、番傘、おばんざい などの番には 日常的な 庶民的な 粗末な の意味もあり、蛇の目傘など本来の高級な傘と比べて番傘と呼ばれた。番茶とは?
・店舗の貸し傘など通し番号を振られて使われていたので番傘と呼ばれた。
などが有ります( 'Д`)
まあ、蛇の目傘を比較として
骨太く、紙厚く、丈夫な、簡易な傘
って感じですかね( 'Д`)
今では番傘も安いものでは無くなってます。
機械化の大量生産の現代
殆どを手作業で作る和傘は
基本的な工賃など掛かる手の数がとても多いです。
高級品の価格と思われがちですが
人件費・材料費で考えると、それでも適正な価格とは言えぬ程、手間のかかる物です( 'Д`)
そこを考えて頂けるとありがたいです。
※番傘には糸飾りは無い と書きましたが
金沢など番傘にも糸飾りを施す産地もあります。
※中国製などアジア圏の傘は日本の和傘とは構造的にも異なる為
番傘にも手元部分と中置き部分にも糸飾り?が施されます。