その昔

日本の傘は和傘でした( 'Д`)

大人が外出する時も
子供達が学校に行く時も

昭和の30年頃までは
結構、普通に和傘が使われてました( 'Д`)

知らんけど( 'Д`)


大阪に数十年住んだので使ってしまう 

知らんけど
まあ
本文には関係ありません(^_^;)

そんなこんなで
通学には和傘が使われて
学校の廊下には和傘をかけて置く釘が打たれてました( 'Д`)

傘が並んでる廊下の写真
探してます( 'Д`)

てな事で




モース・コレクション/写真編

百年前の日本


発行者 柳町敬直
発行所 小学館
発行  2005年



発行の1983年から100年前

発行前なら1883年(明治16年)でしょうか?

写真は1880〜1909年となってるので

明治13年〜42年の写真ですかね?


なかなか古い写真です(^^)


明治期のちゃんとした和傘は見た事がありません(>_<)


さて




通学の子供達( 'Д`)

1900年(明治33年)の写真です


大きな傘を皆がさしてます

ほぼ番傘や奴傘ですが、たまに蛇の目傘も見られます( 'Д`)


蛇の目傘にはカッパ(頭甲紙)が付けられてます

吊革や天金も付けられてますね


蛇の目傘は差掛け傘の類

明治期までは頭甲紙は無く日傘の様な頭でした( 'Д`)



こんな感じに形が変わりました( 'Д`)


左は長頭とか東京轆轤、壺轆轤などと呼ばれます( 'Д`)

右は雨轆轤です( 'Д`)


現在、この長頭の轆轤の蛇の目傘は

歌舞伎の「助六所縁の江戸桜」で使われる助六の傘などくらいで

歌舞伎以外では雨轆轤になってます( 'Д`)


歌舞伎小道具のプチネタです( 'Д`)


さて

戻ります( 'Д`)


写真の様に通学に使う傘

和傘は頭を下にして置くと中の木などが腐るので頭は上向きに置きます( 'Д`)



こんな感じです( 'Д`)


なので

傘を置く時は殆ど頭を上に出来る様に壁の釘に掛けたりします


この学校は少し違ってて



下駄箱の隣に傘置きがあります!

横に置いてます!

これは初めて見ました( 'Д`)

追加情報求めます(>_<)

※長野県阿智村では教室の後ろに掛けられてました( 'Д`)


さて

下駄箱とよく言います

文字通り 下駄が並んでます(^^)


明治期の学校事情が見えてくる写真です(^^)


他にも



子守りをしてる子供達が傘をさしてます


乳母日傘ってものが昔はあったと言います

子供が暑く無い様にとの傘でした


この傘たちも小ぶりですので

もしかしたら乳母日傘と呼ばれた傘ですかね?

豆日傘、ババチャリ日傘とかかも( 'Д`)


ちなみに

この乳母日傘から来た言葉で

赤子に乳母に背負われ日傘を差し掛けられる様に

過保護に育てられることを乳母日傘(おんばひがさ)と言うのがあります( 'Д`)


意外に勉強になりますね(笑)


他にも



1890年(明治23年)

京都・島原遊郭の太夫道中の写真です

輪違屋さんの紋ではないので

はてさて何処の太夫さんでしょうか?


桔梗屋と言う置屋さんがあったと聞くのでそこですかね?

知ってる方居られたら教えて頂けると嬉しいです(^^)



はてさて


傘の書籍たち


数多の書籍の中

ほんの数ページを探し出す為に


活字の林をさまよい 思考の泉のほとりにたたずむ


喬木村出身の椋鳩十先生の石碑の文字を思ったりします( 'Д`)


まあ

僕の場合は活字の林の迷い子ですが(^_^;)