本来大晦日にやるはずだったのだが、忙しくてできなかった新聞の片づけをしていた。

要するに捨てる前に資料に使うかもしれないページを破っておくというだけの作業なのだが(スクラップのような面倒な作業はしない)、インターネットで記事がおおむね読める時代には必要ないかもしれない。ただ、ネット配信の記事より、今でも実物のほうが充実していることも多いし、こっちのほうが探す手間が若干楽だ。

もう一つは、今回は3ヶ月分も貯めてしまったが、通常は月に一度行うので、今月のニュースを一通り振り返ることができる。

最近のニュースで、ちょっと気になったのは、自殺予防教育の話だ。

外国の例では、かなり有効なようだ。やらないよりやったほうがいい。身内に自殺者のいる人が傷つくとか、デメリットもあげていたが、そうならないような配慮のほうが重要で、やらないよりやったほうがいいだろう。報道に振り回されるなという教育もできる(それをしようとするとテレビはやはり、学校が責任逃れをしていると言うことだろうが)。

さて、マイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』という本が売れているらしい。

前から気になっていたが、まだ読んでいない。

たまたま坂村健先生が、それを紹介していたが、正義の相対性と難しさの話を書いているようだ。

本日も視点が違えば、考え方が違うのは当たり前というメッセージをもらったが、正義が一種類、一方向性になることのほうがよほど危険だ。

正義と愛国心についても、当然、葛藤や相克があるだろう。

ある国にとって正義でも、別の国にとって正義でないことは山のようにある。

愛国心をとればグローバルな意味で正義でないという烙印を貼られることはある。いっぽうで、北朝鮮のような国の国民にとって愛国心というのは、愛「政府」心なのではなく、北朝鮮という国を復活させるために政府を転覆させることなのだという言い方もできる。

ただ、資本主義が善で、北朝鮮が悪だとか、北朝鮮が体制が転覆すれば幸せになれるかという保証は本当のところでないだろう。大量の失業者が出て、韓国の人間から差別を受けて、かえって不幸せになるかもしれない。飢えなくてすむことと、誇りをもっていられることなら、後者を選ぶ人間も少なくない。

愛国心や正義は、人によって違うものだろう。

たまたま整理していた新聞が産経新聞だったこともあって、中国に国が乗っ取られることへの警戒がさまざまな形で触れられていた。

尖閣列島の問題は大問題だろうが、歴史を考えると、領土問題でこじれた際に、軍事力で優位な国がこれまでは、自分のものにしてきた。その領土の正当性は大して考慮されなかった。相手も適当な理屈をつけて正当性を主張するからだ(もちろん、こっちも主張しなければ不戦敗になってしまうが)。これからは、周囲がそれを認めるかが大きくなってくるだろう。

そのとき、たとえば周囲、アメリカやアジアの国々、国連などがどう判断するかは、「正義」かどうかより、そのときの彼らの思惑のほうが大きくなる。日本と仲良くするより、中国と仲良くするほうがメリットになるなら、そっちを選ぶ公算が大きい。

それ以上に、中国のファンドが日本の名だたる大企業の株を買い集めているらしい。

中国のほうは社会主義の体制を利用して、自国の企業が乗っ取られないようにきちんと法を整備している。しかし、日本は今後もどんどん外国資本を受け入れていくという方針だし、法人税を下げて企業の利益からはお金を取らない方向だ。

これでは、どんどん中国に会社が買われてしまう。彼らのウルトラCとして人民元をいきなり10倍にあげてきて、外国の会社を買えるだけ買ったら、批判に答えるという言い訳で、また元に戻すことだって可能だという話をしてくれる人がいた。北朝鮮が核を落とすより、確率の高い話に聞こえた。

人民元を3倍にすれば、すぐにGDPは世界一になる。

中国に限らず、外国に会社を買われると、利益は本国にもっていかれう。法人税を下げれば、それだけもっていかれるものが多くなる。

それでも、法人税を下げないと外国に会社が逃げていくという。

愛国を売りにしている新聞でも、そういう会社を非国民とか、愛国心のない企業という表現は、多くの愛国識者の提言が出ている雑誌なのに、まったく探すことができなかった。

武力で領土を奪うのは悪だが、金の力で日本企業を買収し、日本人を安い賃金でこきつかって、儲かった金を本国にもっていくのは、「正義」なのだろうか?資本主義の世界では正義に聞こえる。人民元を思い切り切り上げることも今の国際世論では正義だ。

何が愛国で何が正義かは難しいが、感情のほうはそれではすっきりしない。少なくとも私の感情は。