共産党の藤野保史(やすふみ)政策委員長が26日のNHK番組で防衛費を「人を殺すための予算」と発言したということで騒ぎになっている

よく放送の本番中にこんな発言ができるものだと、確かにあきれるが、「人を殺すための予算」は言い過ぎとしても、長期不況の中で「人を殺す予算」であるのは、私も否定しない

昔のように豊かな国で、うつ病の人や夫にDVを受けて逃げてきた主婦が確実に生活保護を受けられる時代であれば、防衛予算をいくら使ったところで、人を殺す予算にはなっていなかった

しかし、今は、防衛予算を介護費用なり、生活保護費に充てることができれば、死なないでいい命が救えたのにと思うことは少なくない

現実に、冷戦も終わり、中国の指導層がアメリカに隠し財産をしているような資本主義の時代なのだから、在日米軍や自衛隊がいなくなって丸腰でも、中国が日本に攻めてきて、人を殺すことはないだろう(もしあれば近隣諸国にそうしているはずだ)

せいぜい、尖閣に軍艦を出して、実質支配をするとかいうレベルだろう

何千人も拿捕されて、何十人も殴り殺された挙句、竹島が実効支配されているのに許しているのだから、何兆という防衛予算を使ってまで尖閣を守るより、その金を日本人の命を守るのに使ったほうがましという気が私にはしてならない

こういうことをもともと思っていたところに、男性の苦悩を長期フォローという形でルポを続けている奥田祥子さんの新刊『男という名の絶望』という本を目にした

ブラック魏業が騒がれているが、想像を絶する職場が今でもあるらしい

ちゃんとした大学を出て、テレビの制作会社に勤めていた中年男性は、プロポーズした女性に非正規雇用であることがばれると擦れられてしまい、それをきっかけにその会社をゆめる

そして、結果的に雇われたのは、時給780円の菓子の袋詰め作業の現場だった

6時間の仕事の中でペットボトルの水を飲むことも許されず、10分だけトイレ休憩ができるのだが、トイレが地上に上がってから数百メートル先にあり、10分で帰ってこれなかった(遅刻した)という理由で、一回の遅刻ごとに1時間分の給料が差し引かれる

自衛隊がいなくなると、あるいはレイプをして人殺しをしても日本で裁判ができないアメリが軍にいてもらえないと日本が滅んでしまうと本気で考えるほど心配性の国民が、自分たちの明日はこんな風にいつなってもおかしくないとか、うつ病になって生活保護を受けざるを得なくなると思えなくなる能天気さを持ち合わせるのがどうしてなのかがよくわからない

少なくとも、この本に書いてある苦悩は、このような貧困だけでなく、一方的に妻に擦れられたり、浮気をされても泣き寝入りしたり、子供に見放されたり、親の介護(要介護高齢者の主たる介護者の割合が、なんと息子が嫁を抜かしたのである)を一人でしょいこまされたり、そのせいで家庭が崩壊したりなど、明日は我が身の内容の連続だ

放射能や外国が攻めてくることより、現実に起こりうることへの心配をしたほうがいいし、国の予算も、そっちにつけたほうがいい

もちろん本書で論じられているのは、男たちの「かくあるべし」思考(これがいちばんうつ病に悪いとされているが)に縛られた姿であるが、世論の向かうべき方向性や、現実的な心配というのももっとほかの方向にあるのではないかと本心から考えさせられた

安倍政権が、人の命を救うための予算をケチっている限り、自衛隊が「人を殺す予算」といわれても仕方がないと考えるのはいけないことなのだろうか?

少なくとも、この本を読んでから、この言葉の意味を考えても遅くない(災害救助のために自衛隊が必要なのはわかるが、災害で死ぬ確率より、この手のことが我が身にふりかかる確率のほうが高いのも確かなことなのだから)