あけましておめでとうございます

本年もよろしくお願いいたします

年末、あまりに忙しかったのに、いやなメッセージがきたせいで、時間を割いてブログを書く気持ちが一気に失せて、しばらく休ませてもらった。

実は昨夜のmidnightに書こうと思っていたのだが、年越しそばを食べたついでに近所にできた立ち飲み屋で飲むことになって、安酒を久しぶりに飲んでへべれけになってしまった。

朝は、いろいろとグリーティング・カードをもらうのだが、それの返事の際に、海外の知り合い、精神分析の先生方にGreeting Cardを送る気になって書いていたら、英語で書く際には半角英数で入力しろという。しかし、半角英数で入力を実際にはしている。

楽天のグリーティングカードはタダでろくな競争相手がいないせいか、外国向けの対応がメチャクチャに悪い。悪戦苦闘のあげく、日本語扱いで送ったが、向こうで文字化けをしていないといいが。

そんなこんなで年頭所感を書くのが、今の今になってしまった。

まだ公開できないが、本年は新しいビジネスを始める。

日本中、どこに住んでいても、東京並みの受験勉強ができるサービスにしたいが、多くの田舎の医師の子弟教育に役立ち、医療崩壊を多少なりと救えるのではないかと期待しているが、ちょっと高い値段になりそうだ。

それがうまくいって廉価版をやれるといいのだが。

あとは、懸案の介護の映画を撮りたい。

厚生労働省の在宅介護おしつけ政策はめちゃくちゃだ。

親の介護のために仕事をやめる女性が、その後、復職するのはきわめて困難だ。

真剣に女性の味方の映画を作りたい。

それにしても激励のメッセージをたくさんいただいた。

多くの人たちは努力の大切さを論じてくれていた。

私が学歴の信奉者のように思われるが、そうではなく、勉強の意味を問いたいのだ。

東大を出ていても、その後、勉強しなければクズになる。現に東大教授の多くは、なった途端にろくに勉強しなくなるから、論文もろくに書かず(それでもクビにならないのが不思議だ)、定年のころにはただのクズ老人(といっても60やそこらなのだが)になって、よその大学の教授の声がかからない。しょうがないから教授会で定年を60歳から65歳にする体たらくだ。

低学歴でも努力をすればいくらでも逆転は可能だ。

ただ、何度も言うが、子供には高学歴ほどいいと信じ込ませないとなかなか勉強してくれない。

学歴の信者でない親が、子供の前でだけはそのふりをしたほうがいい。

それだけのことだ。

子供が寝静まってから東大卒の悪口をいくら夫婦で言っていても勝手なのだ。

飲み屋感覚で、こういう本音を語っていきたい。

あまりリニューアルになっていないかもしれないが、気に入らない人は読まないでほしいし、身内感覚の人だけに読んでほしい。

クズなメッセージを封殺するのは言論封殺でも何でもないとやっと気付いた。嫌な信書が来た際は破り捨てるし、その人がブログを書いて私がそれを破壊するわけではない。

ただ、身内になった人の幸せを願って、ものを語るようにしたい。

それが今年の年頭所感である。