環の会 -Motherly Network-      育ての親と養子として育った子どもたちからの声 -3ページ目

環の会 -Motherly Network-      育ての親と養子として育った子どもたちからの声

環の会で子どもを迎えた家族からの声をご紹介します。
※子どもの名前はすべて仮名です。



環の会はテリングをしながら子どもと向き合っていくことを、育て親さんにお伝えしています。

そこで、環の会のテリングで育ったYouthの会(成人した養子当事者)のメンバーに、テリングについて思ったことを聞いてみました。

 

■Mさん

幼稚園くらいの頃からの記憶しかないのですが、産みの親が住んでいる地域に関するニュースを見た時や、小さい頃の写真が出てきた時にもう1人お母さんがいる話をよくされていました。

育ての親以外にも親がいることは自分にとって当たり前のことで、話しをする度に情報が増えるわけではないので、同じ内容が続くと飽きていました。



環の会はテリングをしながら子どもと向き合っていくことを、育て親さんにお伝えしています。

そこで、環の会のテリングで育ったYouthの会(成人した養子当事者)のメンバーに、テリングについて思ったことを聞いてみました。

 

■Aさん(小学生の高学年になってテリングをされた方)

血縁関係がない事、これまで実子として育てていた事実が分かり、隠されてきたことへの不信感は拭えなかったが、親子関係の修復に長い時間は掛からなかった。

理由として、テリングをされた翌朝もこれまで通り接してくれたこと、遠慮せず、全力で向き合ってくれたこと。

血縁を超えた関係を日頃から築けていたからだと思う。

その反面、テリングは小さい頃からの刷り込みが大切だと改めて感じた。

また、テリングをする上での意識としてネガティブな発言ではなく、子どもにとってポジティブな意見を伝えてほしい。

 

子どもの出自に関して詳細がわからなくても、両親が些細なことでも協力してくれている姿勢が、子どもの立場で見た時にとても大切である事、重要性を認識した。



環の会はテリングをしながら子どもと向き合っていくことを、育て親さんにお伝えしています。

そこで、環の会のテリングで育ったYouthの会(成人した養子当事者)のメンバーに、テリングについて思ったことを聞いてみました。

 

■Sさん

私は、言葉の意味が分からない2~3歳ぐらいから「あなたにはもう1人産んでくれたお母さんいるのよ」とテリングを受けていました。

また、環の会の育て親希望夫婦を対象とした説明会などに参加し、同じ境遇の子たちがいるなかで「たくさん私のような境遇の子たちがいるのだ」と感じました。

 

■Rくん

自我が芽生える前から、自作の絵本でテリングされていて刷り込みに近いような感じであった。

絵本でテリングされていたので、自分が主人公のドラマを見ているようなイメージ。もうひとりお母さんがいるのだという感じだった。

実際に産みの親と会ったときは、物語の登場人物が、実際に存在する人間になったように感じた。

 

■Tくん

毎日、それが当たり前のように、習慣的に聞かせてもらった。

そのため、何も不思議だとも、憎いだとかも思わず、ただただそれが当たり前でした。

我が家の子どもたちは、長女・七海(ななみ)が小学5年生、次女・花音(かのん)が小学3年生、長男・駿(しゅん)が幼稚園の年少になりました。
毎回、環新聞の「はじめまして」を拝見すると、我が子を迎えた日のことを思い出します。
 

11年前、乳児院で迎えた小さな女の子は、今では私とほぼ同じ身長になりました。

ニコニコ笑顔は健在で、誰からも慕われて友だちが多いです。ユーチューブやゲームばかりやっていますが、何事も要領が良く、勉強や習い事も上手にこなすことができ、羨ましい程です。

これは産みのお母さんも同じだったそうで、遺伝子に感謝です。
 

生後5日の花音を迎えたのは、9年前のクリスマスでした。

サンタさんから頂いた最高のプレゼントと共に、乳児院で過ごした家族4人での初めてのクリスマスは忘れません。

小さい頃は癇癪持ちで手がかかった花音ですが、今ではスーパーポジティブ自由人に育ちました。

好きな事にはとことん打ち込んで、苦手な事は、おちゃらけつつも自分なりに努力しています。

料理や掃除、(ケンカしながら)弟の面倒もみてくれて、とても助かっています。友だちにも恵まれ、元気に過ごしています。
 

駿を迎えたときは、病院のチャペルで初めて家族5人の写真を撮りました。その写真は、今でもリビングに飾ってあります。

末っ子長男の駿は、超甘えん坊に育っています。外に出ると「抱っこ抱っこ!」とせがまれて、どうしたら歩いてくれるのか悩み中です。

姉たちがいるからか、「髪の毛結んで〜」と言ってきたり、「かっこいいね!」と言うと「違う!かわいいって言って!」と、女の子のような発言も多いです。

補助無し自転車を乗り回し、大好きな乗り物が通ると一目散に追いかけて行ってしまいます。元気が良過ぎて困ることもありますが、幼稚園の先生やお友だち、近所の皆さんからも、とても可愛がられ、常に周りには誰かがいて、毎日楽しく過ごしています。
 

3人の子どもを迎えられたこと、とても嬉しく思います。

喜怒哀楽ジェットコースターのような毎日ですが、これからも、産みのお母さんに感謝し、子育てを楽しんでいきたいと思います。

又、説明会やYouthのイベント等でみなさんにお会いできる日を楽しみにしています。

 

※子どもさんの名前は仮名です。

ここ数年はコロナ禍での日常生活に多大な制限を受けていましたが、徐々にではありますが、子どもたちの学校生活や日常生活なども今年に入り制限が緩和され、普段の日常生活に戻りつつある事を、こんなにも喜ばしいと思った事はありません。

また、子どもたちもすごく喜んでいることと思います。
まだまだ、油断できない状態ではありますが、健康で笑顔があふれる日々を過ごせる事を願っております。
 

さて、生後3ヶ月で迎えた娘の優奈(ゆうな)も早いもので、今年で13歳になりました。

一昨年の小学6年生の夏が過ぎようとする頃、急に中学受験にチャレンジしたいと言い出し、本人は勿論、私たち家族も心配で不安な数ヶ月を過ごす事となりましたが、受験合否を知らせる封筒が届き、合格とわかった途端に号泣した娘につられ、家族三人で一緒に泣いて喜んだ事が忘れられません。

今では思いだすと笑ってしまいますが、娘は本当に不安な日々と戦って、そして合格できた事への安堵感で号泣してしまったのでしょう。

今ではもう中学2年生になり、コロナ制限の緩和が進む中、ようやく体育祭や授業参観も行われ、秋には文化祭も制限なく開催されるようで、私たちも楽しみにしております。

クラブ活動では卓球部に入り、こちらも最近、練習試合も頻繁に行われるようになり、地元の本大会で良い成績を目指して日々練習に励んでおります。
 

しかし、そんな娘も中学2年生の女子の思春期真っ只中で、まだまだ可愛いものですが、プチ反抗期に突入しています。

父親には反抗しないのですが、母親の私には、それはもう生意気で口喧嘩もしょっちゅうです。日々どんどん成長?していると捉えています。
反抗期もまだまだこれからと周りからは聞かされますが、私たち夫婦は色んな初めてを娘に経験させてもらえるのが嬉しくもあり、感謝でもあります。


※お子さんの名前は仮名です。

新(あらた)と翼(つばさ)を迎えて、正解のない育児に奮闘した日々を送っています。

とっても可愛い二人を、命懸けで産んで私たちに託してくださった産みのお母さまには感謝しかありません。あの日から、新は5歳、翼はもうすぐ3歳になります。
 

新はとても敏感な性格で、ついさっきまで「やりたい!」と言っていたのに「もうやりたくない!」と気分がコロコロ変わったり、これまで怖いもの知らずだったのに、急に物怖じするようになりました。

心にも思っていないであろう「あっちいって!」や「トトいやだ!」といった言葉に自分の育児に疑問を持ち、妻と「子どもたちにとって何が最適か」を話し合い、私たちも成長をさせてもらっています。そんな新ですが、抱っこが大好きな甘えん坊さんで「抱っこしてー」と可愛い笑顔で周りを明るくしてくれます。
 

翼は小さく生まれたので、生後一ヶ月でのお迎えでした。

医師からは成長が一ヶ月遅れるかも……と言われましたが、そんな心配もなく、口が達者でまだ2歳なのに兄と口喧嘩も上手に出来ます。

最近は「ふりかけご飯」しか食べないのが悩みですが、大きな病気もなく、のびのびと成長中です。
今は口を開けば「なんで?どうして?」と質問攻めですが、子どもの発想力や想像力に驚く事も多く、大人も毎日学ばせてもらっています。
 

そんな性格も全く違う二人は、最近、毎日兄弟喧嘩です。

しかし、翼が困っていると新が「こうやってするよ」とか「そこは危ないよ」など声掛けをしてくれ、面倒見もよく感心することがあります。新が時々ボソッと「つばさは可愛いなー」と言ったり、兄弟どちらかがいないと「まだ帰ってこないの?」と言っているのを聞くと、お互いを大切な存在だと思ってくれているのだなと、とても嬉しく思います。
この先、たくさんの楽しい事や苦しい事もあると思います。

そんな時は、家族はもちろんですが、兄弟でも手を差し伸べ、乗り越えていって欲しいと思います。

二人に初めて出会った日の、二人の小さな顔、そして、二人の産みのお母さまの真剣だけど、どこか悲しそうな目や覚悟を今でも思い出します。これからも「あなたたちはたくさんの人に愛されているのだよ」と「うざい!」と言われるぐらい伝え続けていきたいです。
 

いつまでも、ずっとずっと大切な家族です。

 

※お子さんの名前は仮称です。

以前の息子は、出生について理解はしているようですが、興味はなさそうでした。5歳になり自分の考えを言葉で伝えるのが上手になった頃、「ママから産まれていないことが悲しい」「どうしてママが産んでくれなかったの?」と急に言い出しました。
私は、頭の中が真っ白になり、「ごめんね」とつい謝ってしまいました。このまま、悲しいと息子に思わせ続けてはいけないと、対応策を考えました。
世の中には、産んでくれたお母さん、お父さんとの家庭だけでなく、多様な家庭があります。それを息子が理解することで、息子の気持ちに整理がつくのでは、と思いました。
色々調べた結果、その背景を理解し、どのような過程で子どもが生まれてくるかも説明する必要がありました。子どもの生まれてくること(性行為も含めて)を教える事には抵抗がありましたが、それも偏見と思い、とにかく前に進んでみました。
環の会の育て親仲間に紹介してもらった絵本に、命のメカニズム、養子・LGBTカップルといった様々な家庭の形が載っていました。その絵本を使用して、息子に教える事にしました。
絵本には性行為の話から始まり、卵子や精子を作ることのできない人や、子宮で胎児を育てられない人がいること等が載っていました。
私は息子に、「ママは自分のお腹で育てられないから、翔太を迎えたのだよ」と説明しました。息子は自分なりに理解している様に見えました。今でもその絵本は、本人が興味を示した時に時々読んでいます。
子育てをしていると、子どもは精神的に弱くデリケートだと痛感します。子どもの異変に大人がいち早く気付き、その都度フォローするにはどうすれば良いのか。その為には、愛情を持って信頼関係を築くことが大切だと実感します。
愛情さえあればどんな壁も乗り越えられる。綺麗事に聞こえますが、テリングで最も大切なことだと思いました。
そして壁や気付きも成長あってこそのもので、素晴らしいことだと考えるようになりました。
息子がいつか出生について納得し、足取り軽く自分の人生を歩めると期待しています。
しかし、場合によっては納得出来ないまま生きていくのかもしれません。それもまた息子の人生です。
私たちはただ支えるだけです。彼の人生が悔いのない輝けるものになることを願いながら。

 

※子どもさんの名前は仮称です。

環の会の育て親さんたちが行ってきた「テリング」をまとめた小冊子『環の会のテリングってどんなもの?』より

 

 

<7歳の女の子の育て親さんのテリング>

 

1年生になると質問にも変化がみられ、

「Mはどこで生まれたの?」

「産んでくれたお母さんに会いたい!」

「なぜ、Mっていう名前なの?誰がつけてくれたの?」

と、いろんなことを聞いてくるようになりました。

 

<8歳の男の子の育て親さんのテリング>

 

「なぜ、ぼくはここにいるの?」

「どうしてここにつれてきたの?」

「なぜ、お父さんとお母さんのところなの?」

環の会の育て親さんたちが行ってきた「テリング」をまとめた小冊子『環の会のテリングってどんなもの?』より

 

<7歳の女の子の育て親さんのテリング>

 

「どうして〇〇さんはNを育ててくれなかったの?」と聞くので、「本当は育てたかったんだよ」と答えました。

 

Nを大切に思うからこそ、必死で産んでくれたこと、

でもひとりで育てるのはとてもたいへんだったこと、

悩みぬいて、命を守りたい一心で環の会を探し、

お母さんたちに託してくれたことを、一生懸命話しました。

 

すると、「産んでくれてありがとうって、手紙を書きたい」と言ってくれました。

環の会の育て親さんたちが行ってきた「テリング」をまとめた小冊子『環の会のテリングってどんなもの?』より

 

 

<6歳の男の子の育て親さんのテリング>

 

突然「お父さん、お母さんのところに来てよかった。みんな優しいから、産んでくれたお母さんが連れてきてくれてよかった」と言って、涙を流しました。

産んでくれたお母さんがいること、家族になれたことをわかっているんだと、すっごく愛おしくなりました。

 

<6歳の女の子の育て親さんのテリング>

 

小学校に入学してから、友達に自ら「私には二人お母さんがいてね・・・」と話し始めました。

自分自身に語りかけているようにも思えます。

 

<6歳の女の子の育て親さんのテリング>

 

「Nが養子で、産んでくれたお母さんがいるってこと、わかるよ。それをAちゃんに言ったら、『AはAのお母さんから生まれたんだよ。でもNちゃんはお母さんが二人いて、いいなぁ』って言ったんだよ」と話してくれました。