気分良く前向きに生きよう & テクニカルを楽しむ -33ページ目

気分良く前向きに生きよう & テクニカルを楽しむ

日常感じた心の世界に通じることや脳の働きに関することを書きながら、PCや携帯やプログラミングなどの技術的なことなども書いていこうと思います。

いよいよ、7月29日にWindows10の最初の製品版がリリースされて、これからはWindowsの提供形態が根本的に変わっていくということで、個人的には大きな時代の変化を感じています。

これまでのパターンであれば、数年後にはまたメジャーアップデート版のWindows11、またそれから数年後にはWindows12、といったように進化し、大きな変更はそのメジャーアップデートのタイミングで行われていたと思います。

しかしこれからのWindowsは、そういった数年単位の「メジャーアップデート」を行うことはもうないのだそうで、今後はいつでも新機能や大幅な変更を「Windows Update」を通して提供していき、「Windows10」というブランドは変わらなくとも数年後にはまるで違うOSになっている可能性もあるような、柔軟なアップデートになるそうで、まるでクラウド上のオンライン製品のように変化していくようです。

ただし、それだと企業でビジネスにWindowsを使用する際の安定性が問題になったり、ましてや基幹システムに使用されているWindowsではさらに何が起こるかわからない、ということになってしまいますので、今後はアップデートの形態には3種類設けられ、最長で数年間はセキュリティ更新以外の更新をしなくてもサポートされるという形態もあるようなので、逆にこれまで以上に安定性を求める企業ユーザーにとっては良いOSになると思われます。


さて、そんな柔軟なアップデートを取り入れたWindows10ですが、個人的に最も興味深いのは、復活したスタートメニューでも音声認識のコルタナでもユニバーサルアプリケーションでもなく、今回のWindows10の開発に採用された「Insider program」という、お客さんの声を開発に反映させるシステムです。

Insider programとは、開発途中の中間ビルドを積極的に使ってくれるお客様から、直接「この機能はいい」とか「この部分はこう改善してほしい」とか、フィードバックを収集して、開発のデザインの方向性を決めるというものなのですが、これをどうやって実現したかに興味があります。

フィードバックは文章で入力して送信するようになっており、本当に気軽に簡単にできるため、世界中に存在するおびただしい数のInsider programの参加者(もちろん自分も参加しています)から、到底一個一個読んでいられない数のフィードバックが来るはずです。
これをどうやって読み、反映させたのかが興味深いのです。

なお、フィードバックは英語以外でも受け付けられますが、翻訳に関しては機械翻訳を使い、その品質はある程度目をつぶってすべて英語として受けたことはおそらく間違いないと思われます。

しかし、いくらすべて英語だけであっても、社員数を大幅に減らしたりしているマイクロソフトさんが人間の手で一個ずつ処理することは試算するまでもなく不可能な量になっているはずです。

その処理方法は、(完全に憶測ですが、)おそらく文章解析エンジンを活用しているのではないかと思われます。
英語であっても、同じような内容のフィードバックを表現する文章は複数存在し、単純な単語解析処理ではそれらを同じフィードバックとしては認識できないのですが、今では文章の意味を解析するエンジンが大変進化しており、Windows10のコルタナや、iOSのSiriのような人工知能もどきが製品化する時代ですので、おそらく、違う文章ながら同じ内容のフィードバックを選別する処理を自動化することは、かなり高い精度でできているものと思われます。

それで、同じようなフィードバックがすでにバグデータベースに登録されているかをサーチしてもし同じようなものがあれば、そこに+1票のような形で追加する、という処理がすべて自動化できているとすれば、これは有益です。

おそらくフィードバックには、相反する内容(例えば、スタートメニューはやっぱりあった方がいい!というフィードバックがある一方で、いやいやなんのためにWindows8でスタートメニューを廃止したのかわからないし今更つけるべきではない!というフィードバックもあることでしょう)があると思われますが、世界中から不特定多数のフィードバックを受けることで、多数決に近い形で比較的ロジカルにその機能をどうするべきかを判断することができるはずです。

・・本当にそうやってフィードバックを反映させているのかどうかはわかりませんが、それでも間違いなく、フィードバックの文章の自動解析が一つのカギになっているものと思われます。

まさかそういう文章解析の技術が、OSのようなソフトウェアの開発に役に立つ時代が来るというのも、また面白いと思います。


ちなみに、これは有名な話はありますが、Windows10のビルド番号が素晴らしいです。
ビルド番号 10240。 これは10×1024、つまり10Kですね。まさに10です。



意図してこのようにしたのか、ほぼ偶然そうなったのかわかりませんが、たぶん、最初はあまり気にせず番号が進み、あるあたりから意識的に10240に落ち着けるようにコントロールしたのではないでしょうか。
Insider programのビルドも、10161、10162あたりまでは順当な進み方だったと思いますが、そこから一気に102XXにジャンプしたような印象です。


いずれにしても、今後のWindows10の普及と進化に期待したいところです。
先日、ちょっとしたきっかけでとあるイベントのスピーカーの一人としてお招きいただき、20分程度ではありましたが久しぶりに100人以上のお客様の前でお話をすることができました。
ニコ動の生中継もされました。

このイベント、時間的に拘束されるのは、自分のセッションの時間と前後5分くらいで、せいぜい30分程度だと思っていたのですが、実際にはリハーサルから始まって最後の片づけの立ち合いまで、実に6時間もの時間そこにいる必要がありました(笑)

しかし、よく考えると、これまでにこういったプロのイベント運営会社に手伝ってもらいながら実施するような本格的なイベントで、主催スタッフ側の一人として参加したことはあまり経験したことがありませんでした。


プロのイベント運営会社の仕事はやっぱりプロでした。
全部で10名強のスタッフがイベント運営スタッフとして来てくださったのですが、会場設営からリハーサルでの指示出し、お客様の誘導、撮影、ミュージック、照明、そして片づけに至るまで片時も休まずやってくださいました。

しかし、リハーサルでの指示があれほど細かいものだとは思いませんでした。
例えば、まずイベント開始時にスピーカー4人が客席に出ていくのですが、その時の歩き方と手の振り方にいきなりダメだしされ、「はい、それではダメです!もっと手は高く上げて、お客さんとの距離はこのくらいで・・・ではもう一回行きます!」という感じで厳しく言われてやり直す・・・ということを全編にわたってやらされました。

また、自分の登場は自分のセッション前後だけではなく、イベント開始のあいさつ(スピーカー4人全員で行いました)から最後の質問受付けまで、ずっと張り付いていなければならず、しかもリハーサル開始の夕方5時から片づけ終了の夜11時まで何も食べず飲まず、さらに登壇する4人は特製のハッピを終了時まで着せさせられてとても暑く、大変疲れました。
(ついでに言えば帰宅時には山手線が止まっていて30分以上遅くなり、帰ってすぐに犬の散歩に行き、結局夕食抜きで寝ました)


それでも、こういったイベントがスタッフも含めた参加者全員に、少なからず活気を与えていることは間違いないと思います。
ご来場いただいたお客様も、楽しんでいただけたようでしたし、我々も体の疲労とは裏腹に気持ちが高揚していました。

イベント主催側から参加することは今後はあまりないかも知れませんが、一般参加者の立場からも、ぜひまたこういったイベントに参加してみたいものです。
気が付けばこの数年、Visual Studioの話題についてこのブログで触れてきませんでした。
もちろんVisual Studioが嫌いになったわけでも使わなくなったわけでもなかったのですが、これは完全に言い訳なのですが仕事がどんどんビジネスに偏っており、コードの触れる機会が減っていたことが大きな理由です。

それでもちょっとしたツールをチームのために作り続け、それはそれで役立っていたのですが、何しろ新しい技術を駆使する必要はなく、レガシーなWindowsアプリケーションでSQLサーバーをクエリして結果を加工してHTMLで出力するといったレベルのコードで事足りていたため、Visual Studioもそれほど新しいバージョンのものを使う必然性がなかったのでした。

そして、はたと気が付いてみれば、世の中の開発者のトレンドは大きく変わり、多くの開発者はなんとMacを使って開発するようになっていたのですね。。

なぜMacかといえば、ひとえにiOSで動作するアプリを作るにはMacを使い必要があるからです。
今や、iOSで動くアプリを作らなければ開発者としては厳しい時代ですので、その流れは必然といえば必然です。

それでも、我々DOSからWindows時代に大量のアプリを作ってきた人間たちにとっては、まさか開発プラットフォームがMacベースに移行する時代が来るとは思っていませんでした。
どんなにプラットフォームが変わっても、クラウドの時代になっても、開発ツールはやっぱりVisual Studioだと信じ込んでいました。

また、もうひとつの問題として、やはりAndroidのアプリを作るためにはVisual StudioではなくてEclipseである、ということもVisual Studio離れを促進する材料だったと思います。
古いバージョンのEclipseはVisual Studioに比べるとさすがに使いにくい部分があったと思いますが、いまではそうでもないようで、ますますVisual Studioの価値が薄れてしまいそうだったのではないかと思います。


ところが。
明日リリースされるという、Visual Studio 2015は驚きの進化を遂げています。
何といっても、iOSのアプリや、Androidのアプリの開発をサポートしているのです!




これは、我々Visual Studioを使い続けてきた世代としては朗報です。
開発環境を別のものにするのは結構苦痛ですので、今まで通りVisual Studioを使いつつ、これまで大きな壁だったiOSのアプリの作成までできるのですから素晴らしい話です。

ただ問題は、逆に、最初からiOSのアプリを作ることから入門しているような世代、最初からMacで開発するのが当たり前になっている世代の人たちが、どれだけこの新しいVisual Studioに興味を持ってくれるかがわからないことかと思います。

Visual Studioの良さとしては、数百人規模の大規模プロジェクトであってもVisual Studioの世界だけで対応できる部分があると思いますが、現状、スマートフォンやタブレットのちょっとしたアプリを作るのに数百人のプロジェクトは走らせないでしょうから、その部分での魅力は映らないかも知れません。


それでも、実に今年で40年間開発ツールを作り続けてきたマイクロソフト社の技術があらゆるところに凝縮されているこのツールは、やはり世界最高の開発ツールなのではないかと思います。

今ではあまり言及されませんが、バイナリを生成した時のオプティマイズ性の高さも素晴らしいですし、一方で、コードを書いているときの補完性も素晴らしいです。インテリセンスだけにとどまらず、{ }や ””を入力するときの挙動は(Visual Studio 2013からですが)本当に人間に優しいです。

ぜひ、このVisual Studio 2015が、また開発者の標準プラットフォームとして普及してほしいものです。
https://www.visualstudio.com/vs-2015-product-editions

自分はもちろん、リリース直後にRC版からRTM版に入れ替えます。
以前、あまりアルコールに強くない自分が、とても素晴らしい方二人と一緒に突然会社帰りに飲んで帰ることになり、自分の限界をはるかに超えた日本酒(特に日本酒には弱いのです)を飲んだにもかかわらず、全然悪い酔い方をしなかったという記事を投稿しました。

その時は、「その二人と飲むと悪酔いしにくい」という仮説を自分の中で立てていました。

ところがその後、ちょうど一か月くらい前に、その二人を含む7人くらいで飲みに行ったのですが、その時は見事に酔って、気持ち悪くなりました(笑)
その7人も、同じ会社の方々ですが、自分の中ではとても大切な人達で、会話もとても楽しくて、終始楽しかったはずだったのですが。。

なので、上記の「その二人と飲むと悪酔いしにくい」という自分の中の仮設はあっさり崩れたかに思えました。

ところがさらに、その2週間後くらいに、その二人が、自分の勤続15周年を祝ってくださるということで、再度一緒に飲みに行きました。
その時の話がまた予想外にもバイクの話で盛り上がったのですが、それがまた楽しくて、またも限界を超えてワインをがぶ飲みする展開となっていたにも関わらず、やっぱり酔いませんでした。

なお、バイクの話を彼らとしていて再認識しましたが、彼らの話のいいところは、話のバランスがいいことだと思います。「Vツイン型エンジンがどうしていいのか」といった技術的な深い話から、「バイクという乗り物の、理屈を超えた楽しさ」といった感覚的な話、「SUZUKIが数年ぶりにレース界に参戦することになった企業的背景」といったビジネス寄りの話、さらには「GPライダーの歴史」といったバイクレースのファンらしい話まで、実にバランスよく、それが自然でかつ話に参加している3人の興味がどのあたりにあるのかをたぶん常に意識しながら話してくれているので、ずっと楽しいのだと思います。

それで再びその二人と飲みに行くと酔わないという仮説が再浮上していました。


そしてさらに数日前、今度は上記の二人とは全く違うメンバー4人で飲みに行きました。
その3人もまた、自分にとっては特別なメンバーで、今では会社関係の枠組みを超えた、とても信頼できる人達です。
また、その方たちはそう頻繁に集まれる人達ではないため、大変貴重な機会でした。

その時もまた、ビールだけではありましたが自分の限界量をはるかに超えて飲んだのですが、気持ち悪くなったり翌日に影響したりはしませんでした


・・上記の4つの事象を統合して考えると、以下のようなことが言えるかと思います。

1. 自分の好きな人達と飲んで話すことは、酔いを抑制することとの関連がありそうである
2. ただし「とても素晴らしい二人」に、酔いを抑制する特別な効力があるわけではない(笑)
3. 人数が少ない方が、酔いが回りにくいようである

興味深いのは上記の3番だと思います。
確かに過去の飲み会のことを振り返ってみると、多くの場合飲み過ぎて気持ち悪くなっていたのですが、考えてみれば自分の場合「チーム全体での親睦会」のような大人数での飲み会への参加がほとんどでした。

あまり、数人で「ちょっと今晩飲んでから帰りましょうか」というノリで飲んで帰るという経験を多く積んできませんでした。

もしかしたら、少人数だと酔いが回りにくいという法則が成り立つのかも知れません。


では、少人数で飲む時と、大人数で飲む時の何が違うかと言えば、それは「話す相手が常に一定であるかどうか」ではないかと思います。
4人以下の場合、全員が同じトピックに対して同時に参加しており、あまり会話が2組に分かれることは少ないように思います。
ところが7人以上くらいになってくると、全員が一つの話題に一緒に参加するのは最初と最後の数分程度で、後はだいたい2~3組に分かれて別の話を個々にしていることが多いのではないかと思います。

そういう、多人数の飲み会のような環境に慣れている人や、そういった集まりが好きな人にとっては、その複数の小集団の中の自分が一番興味があるところにうまく入り込んで行ったり、変わりたくなったらうまく抜け出したりするためのテクニックを持っているのではないかと思います。

ところが自分の場合、そういったカジュアルなコミュニケーションの中で器用に立ち振る舞うのが得意ではないため、例えば自分の右側と左側で違う会話の集団ができていた場合、どちらに乗るか自分の中で明確にできないまま中途半端に話に入ってしまったり、どちらにも入れず孤立した状態になってしまったりといった問題が生じやすいのです。

そういった状況における居心地の悪さのようなものが、酔いのまわり方に影響しているのかも知れません。

もちろん、本来であればそういう環境でも自然に入っていけるようでなくては、社会の中でうまくやっていくことが難しくなってしまうのだと思いますが、一昼夜にして改善できることでもないように思います。

それでもとりあえず、気の置けないお気に入りのメンバー数人で、同じ話題について全員参加して話ながら飲むお酒は、美味しいですね。
最近、久しぶりにWindows Power Shell を使ってみる機会がありました。
これがメチャクチャ面白いのです。

Windows Power Shellというのは、昔からのPCユーザーにとってはバッチファイルの超進化系という言い方がしっくり来るかも知れません。
つまり、Windows上で何かまとまった処理を大量に行う際に、自動的に一気に処理するために使用するスクリプト言語であり、特にファイルのメインテナンスにはよく使用されていると思います。

例えば、以下のスクリプトはあるフォルダ(ここではc:\temp\aaa)の中にある各ファイルのファイル名に、mmddyyyyの情報を追加して別のフォルダ(ここではc:\temp\aaa1)に保存するというものですが、ほとんどWindows Power Shellの最近の状況を知らない状態で あらゆることをすべて調べながら書いても、デバッグも含めて何時間もかけずに書くことができました。
C#言語やJava言語、VB言語などを知っている人にとってはほとんど違和感なくすぐに書くことができる形式になっていると思います。




また、実際には、Windows Power Shellを使用すれば、ファイルのメインテナンスに限らずほぼ何でもできます。
Windows Power Shellの最大の特徴は、.NET Framework のコンポーネントが持つ機能を直接呼び出すことができることなので、.NET Framework のもつ膨大なライブラリを活用して、あらゆる処理が可能になります。
しかもそれらが、コンパイル・ビルドをしないでコマンドラインのような形で使えてしまうので、非常に便利です。


・・上記のことは実は前置きです。
この記事で書きたかったことは、自分はやっぱり、こういうことをやっているときにこそ、自分の中の魂が喜んでいるのを感じるということです。

テクノロジーを活用して仕事を自動化したり、クオリティをあげたりするために、スクリプトやツールを書くのが、これまで体験した仕事の中で一番魂が喜んでいることを実感できることなのだと再認識しました。

・・もっと書きたいことがあったのですが、ちょっと体調が良くないのでまた別の機会にしたいと思います。
この本は、自分の深いところに根付いている劣等感を少しでも取り払いたいという思いから購入した本です。




ところで、この本に限らず、人生を好転させる考え方をテーマにしている本は数多く出版されており、自分もおそらくこれまでに何十冊も読んできたと思います。
その中で、多くの本は 究極的な幸福論を書いている場合が多かったように思います。例えば、身の回りに起こるあらゆることを良いことに変えることは可能である、といったようにです。

ところがこの本の中では、結局世の中に悪いことは存在し得るもので、完全に無くすことができるとは考えられていません。、如何にしてそれらとあまり関わらないようにするかといったように、かなり現実的に書かれているので、実用的だと思います。

それにこの本は、非常に読みやすいのです。
1テーマについてほぼ1ページ、長くとも2ページ以内に簡潔にまとめられています。
最初から通して読む必要はなく、自分が読みたいと思うテーマの部分だけをかいつまんで読んでも問題ありません。
おそらくこの読みやすさが、ヒットした大きな理由ではないかと思います。


この本で主に言っていることの一つに、「自尊心を持つ」ということがあります。
つまり、自分はダメな人間だ、自分は役に立たない人間だ、自分は当然不幸な人生を歩んでしかるべき人間なのだ・・といったように思う代わりに、自分には自分の人生を素晴らしいものにする可能性を持っており、他の素晴らしい人たちと同様に素晴らしい人生を創造できる、というように考えることで、人生は大きく好転するというものです。

他の多くの本でも「自尊心を持つ」ことの重要さに関しては書かれているのですが、ネガティブなことに触れていない本も多かったため、ともすれば、「自分は素晴らしい人間」=「自分は甘やかされてもいい」=「自分は黙っていても御大層な人間として敬ってもらって当然である」・・というような間違った解釈をされてしまうこともある場合もあったと思います。

一方この本では、そういった曲がった解釈はされにくい書き方になっていると思います。
現実的な観点からズバズバと、簡潔に書かれているためです。


この本の中で、個人的に気に入っているページは、「自分の人生に起こることすべてに責任をとる」から続く「他人の批判を気にしない」「自分の望む人生を歩む」の部分です。

上記のあたりで書かれていたことは、まずは自分の人生が自分の思っていた形になっていなかったとしても、それを他人のせい(親に言われたからとか、家族のためだからとか、学校の先生の指導が悪かったから等)にしないで、結局は自分がすべて選択していることを認識して、自分の人生が今のようになっているのは自分が作り出したことであることをまずは認めよう、ということでした。

上記は当然と言えば当然なのですが、我々は時々自分の人生の今の状態の原因を他人のせいにしてしまう場合があるかと思います。「親が、自分が子供の頃怒ってばかりいたから自分は心の狭い人間になったのだ」とか「会社が、ひどい仕事しか与えないから自分はモチベーションが上がらず当然パフォーマンスも悪いのだ」などといったような話はよく聞く話だと思います。

この本で言っていることとしては、そのように他人のせいにしていたとしても、全く自分の人生が好転することにはつながらないということでした。
また、そのような出来事の原因のほとんどは、自分が作り出したものであり、そのことを受け入れて他人のせいにするのをやめれば、自分の人生を自分の創りたい形にしていくことができるということです。

また、我々はどうしても、小さいころに吹き込まれてきた「世間の理想像」こそが自分の生きるべき生き方であるというようにインプットされている場合が多いため、必ずしも本当に自分が生きたい生き方で生きていない場合があったりするかと思います。
ただ、そのように「他人の顔を立てるために」生きても、自分にとって充実した人生になるわけではないと思いますので、そういった「他人の意見」に振り回されずに、どうするのが自分にとって最も充実した人生になるのかを自分の本当の気持ちとよく相談しながら、自分の人生を自分の責任で作っていくことが大切である、というのがこの本のポイントの一つになると思います。


なお、自分のこれまでの人生について、上記のような観点から振り返ってみると、意外と自分の人生は自分の責任で決める という意識で、世間の常識や親の意向にどっぷり乗らないで生きてきたと、大筋では思います。

ただ今は、家族に甘えてしまって、自分の人生を責任を持って創る、という状態になっていないようにも思います。
そのあたりを中心に、自分の中の意識の持ち方を再認識して、人生を仕切り直していきたいところです。
この巻から、待望の広島カープ戦が始まりました。



何といってもこの準決勝、満を持して登場した水原勇気選手の活躍はもちろん、これまで本編を通しての大きな謎の一つであった剛球仮面の正体に関しても明かされると思われ、当然期待が高まっていました。

・・しかし、広島の先発メンバーを見て、ちょっと残念に思いました。
とりあえず期待していた通り、リアルなカープの選手は一人も登場せず、すべて水島真司先生の過去の作品のキャラクターだったところはよかったのですが、正直に言えば、全体的にやや格下のキャラクターだったからです。

ちょっと広島の先発選手をレビューしてみましょう。(既出の剛球仮面、武藤選手を除く)
まずは野球狂の詩の金太郎選手。
彼は野球狂の詩時代にはレギュラーとしてメッツのファーストを守っており、まあ及第点かな、というレベルのキャラだと思います。
ただ正直、阪神戦で登場した火浦選手や、その双子の弟大島選手、新潟ドルフィンズ戦の岩田鉄五郎選手兼監督、そして国立玉一郎選手といったレベルと比較すると、格下と言わざるを得ないキャラかと思います。

つぎは「ドカベン」の中学時代編に登場していた赤一郎・青次郎・黄三郎の三つ子。
高校編には出てきていないので存在感はそれほど高くはなかったと思います。
それでもドカベン出身のキャラクターということで、ここまでがギリギリ及第点でしょう。

それから、「極道くん」という漫画に登場していた主人公・京極選手と埴輪選手。
少なくとも京極選手は、設定としてはなかなかの強打者のようですが、自分はこの漫画を読んだことがないのでいまいち響いていません。
それに、正直あまり人気があった漫画とも思えず、京極選手が広島に招集されたということでピンとくる人はそれほど多くないのではないかと思います。

最後にプロレス漫画にでてきたらしいアルプス大五郎選手。
2m10cmくらいの大男キャラで、強肩・怪力の持ち主ですが、そのプロレス漫画も読んだことがありませんので、あまりインパクトを感じません。

もちろん、先発投手は剛球仮面で、17巻は山田太郎選手との初対決から始まるということで楽しみですし、当然水原勇気選手がリリーフで出てくるでしょうから、そのあたりはとても期待しているのですが、全体的にインパクトが弱く、個人的には盛り上がりに欠けていると思っています。


また、この広島カープ ドリームバージョンチーム?は、系統がはっきりしていないようにも思います。
例えば阪神タイガースは、「男どあほう甲子園」出身のキャラが中心のチームでした。
新潟ドルフィンズは、野球狂の詩出身のキャラが多かったと思います。
また決勝で当たると思われる京都ウォーリアーズは、「一球さん」「球道くん」のキャラおよび「大甲子園」の決勝に登場した紫義塾出身のキャラによるチームとなっています。
ところが広島カープは、しいて言うなら水原勇気選手の活躍の場を作るためのチームと言えなくもないですが、もしもそうするならば、「野球狂の詩・平成編」「新野球狂の詩」に登場したキャラクターを揃えてくるべきだったと思います。


・・すみません、すっかり酷評してしまいましたが、結局話を面白くするのはあくまで試合の展開だと思います。
思えば、35年くらい前の話になりますが、ドカベン38巻で描かれたブルートレイン学園戦は、出てきたキャラクターも全員小粒で無名であり、試合開始までのしがらみが一切ないという、読者の期待という意味では非常に薄い試合になると思われましたが、その後の試合展開は非常に面白く、前にも書いたと思いますが、無敗・明訓高校を最も追いつめた(9回表2点差でツーアウトランナーなし、打順は下位という、まさに首の皮一枚状態まで追い詰めました)試合となりました。

今回の広島カープ戦も、それに負けない面白い試合展開を期待しています。
もしくは、まだ隠している物凄い選手がいることを期待しています。
腰を痛めて、ほぼ寝たきり状態になってしまっていたカミさんでしたが、まだ痛い様子ではあるものの、月曜日から様子を見ながら出勤をするというところまで回復してくれました。
心配してお声かけ頂いた皆様、どうもありがとうございました。


腰痛は、程度の強弱こそあれ、30代中盤くらい以上の多くの人にとっての悩みのひとつになっていると思います。
しかしながら、なかなかいい治療方法がないという現実があり、しかも症状が重いと重病人と同じ状況になってしまうという難しい問題だと思います。

自分の同僚の方も、一年くらい前に激しい腰痛で全く動けなくなり、仕方なく救急車で運ばれたそうです。
なお、担架に乗せられるときの痛みだけで痛すぎて気を失い、次に気が付いた時は病院で検査を受けている途中だったそうです。
ところが、そんな激しい痛みを伴って、とても動ける状態ではないにもかかわらず、入院はできなかったそうです。
というのも、レントゲン等で見ても、骨にも異常はないし、筋肉が断絶しかかっているなどの症状もない、つまり病院の中で外科治療などで能動的に処置できる部分がない場合は入院できないのだそうです。

患者側から見れば、これはひどい話だと思います。
全く動けない、トイレにも行けないような人を家に帰して、まともに生活できるわけがないのは明らかです。
せめて、トイレに行けるようになるくらいまでベッドを提供して、ひょっとしたら少々割高であってもナーサリングのサービスを提供できるようにしてくれないと、どうにもなりません・・というのが、患者視点の見解になると思います。

一方で、病院経営の観点から客観的に考えると、ご存知のように病院のベッド不足というのは深刻な社会問題になっています。
つまり病院側がケチだからとか高飛車だからとかという以前に、すべての入院希望患者を受け入れるだけの物理的なスペースがない、という現実があると思います。
そうなると、入院を受け入れる患者を選択せざるを得ず、選択基準として、その病院の中で治療を施す必要のある(もしくは治療できる余地のある)患者さんを優先的に受け入れる、というようにせざるを得ないかと思います。


ならば、そういった、入院はできないが自宅で生活できない状態の患者さんだけを受け入れるような養護施設を充実させればいいのではと考えますが、潤沢な土地と設備、そして介護にあたる従業員を確保するのは特に都内周辺では至難の業だと思います。
また、そういう施設のベッド数が常に空きは有りつつ70~80%は埋まっている状態で経営していくためのコストバランスや経営方針を出していくのはかなり難しいと思われます。

それで結局各家庭で対応せざるを得なくなり、これはちょうど高齢者の介護問題と同じ状況になるかと思いますが、自分では動けないけれども入院はできない家族の介護をどうするか、という抜本的な問題に戻ってきます。


うちの場合は、幸い義母がお手伝いに来てくださり、住み込みでカミさんの世話をしつつ家事を代行してくださったため、(処々の問題はあったにせよ)なんとかカミさんが動けるようになるまでに持ちこたえられて、助かりました。
ただやはりいつまでも義母の助けを期待できるわけではありませんし、将来的にはもっとフレキシブルな生活基盤に移行していかないと、同じようなことがあった時に対応出来なくなってしまう可能性が高いため、考えていく必要があると思います。
先日、15年勤続の記事を投稿しましたが、一般的に見て、果たして15年勤続というのは長いのか短いのか、どっちつかずな年数のような気がします。

というのは、初めて社会人として就職した組織で、最初の年に行われた永年勤続表彰にて、理事長が以下のようにおっしゃっていたのです。

10年(勤続)はまだハナタレ小僧だな。20年くらいでまあ顔を覚えてもいいかな。30年くらいでやっと本当に表彰してあげようという気になるかな。

ということで、コテコテの日本企業的だったその組織では、おそらく15年勤続くらいではまだまだハナタレ小僧が小学校高学年になったくらいの感覚だったことでしょう。

何しろ、当時の自分はまだ20数年しか生きていない状態でしたので、20年勤続という数字が、とてつもなく長いものに感じられました。
その方たちは、自分が赤ん坊だったころからそこで働き続けているわけですから、当時は想像もできない気の長い話だと思っていました。

あの当時は、日本企業では終身雇用が当たり前の時代でしたし、転職をする人というのは極少数でしたので、勤続15年くらいではまだ長いうちにははいらなかったのではないかと思います。

また、外資系の企業には終身雇用の考え方が基本的にないと言われていますが、それでも、その組織が成長中・規模拡大中の段階では、同じ部署に長年所属することが、もちろんきっちりパフォーマンスを発揮することを前提に、推奨されていたと思います。

そんな時代中では、15年勤続はそれほど珍しい長さではなかったのではないかと思います。


今の時代はどうでしょうか。
典型的な日本企業でさえも、終身雇用の概念が無くなりつうあり、転職をする人の数もかなり増えたとは言われていますが、それでも、社会人になって最初に就職した会社で20年以上勤続している優秀な友人たちも複数おり、彼らから見たらきっと、15年勤続など、上記の理事長ではありませんが「ハナタレ小僧」に違いありません。

逆に、きっと今期から新社会人としてうちの会社に入社された新卒の新入社員さん達(またこういう人たちのスキルが、本当に高いのです)から見たら、15年はきっとそれなりに長いことでしょう。


結局のところ、15年勤続を長いと感じるか短いと感じるかは、当たり前の結論ですみませんが、各個人の感覚に強く依存していると思います。
特に、重要なのは、「長期的なゴールを持っているかどうか」で、その勤続年数が長いと感じるかどうかに大きく影響すると思います。

短期的なゴールしか持たない人、つまりその日暮らし的な対応で勤務している人の場合は、ちょっとしたトラブルで心が折れがちですし、その組織にいるのが嫌になる確率も高く、また何よりその組織が望む人材像から外れていく可能性が高いように思います。
そういう人には15年はかなり長い期間と感じるかも知れません。

一方、長期的なゴールをしっかりと持っている人の場合は、ブレにくくなると思いますので、周囲に問題等が発生しても、自己を安定的に保つことができやすいと思います。そういう人にとっての15年、20年といった期間は、ひょっとしたら通過点でしかないのかも知れません。


したがって、明確な長期的ゴールを強く持ち、まずは5年後の自分をしっかりイメージして、それに近づくように努力を積み重ねる、ということが次の5年間の道筋を作ると思います。
先日このブログで言及していたドラマ「戦う書店ガール」ですが、結局視聴率が伸びず、9回で打ち切り?になってしまいましたが、少なくとも最終回は、とても面白かったと思います。

最終回では、売り上げを一時的にでも上げるための企画として、「24時間営業!本屋に泊まろう!」という企画を実現させたのですが、これはいい企画だったと思います。
「本屋が好きで好きでしょうがない」というお客さんたちの気持ちを読んで、お客さんが喜んでくれるような企画でかつ売り上げの一時的な向上に貢献する企画ということで店員さんが考えたものだったのですが、確かに面白い企画だったと思います。

本屋さんに泊まり込んで、朝まで好きなだけ立ち読み(椅子も寝袋もある)できたら、本好きな人にはたまらないと思います。
それでそのイベントに参加したら最低3冊本を買う、ということでやったわけですが、実際にはその倍以上の本を買っていく人がほとんどだった、という結果も納得します。

実際にこういうイベントがあったなら、ぜひ参加してみたいですね。
もちろんこれを実現させるためには多数の越えなくてはならないハードルがあり、第一に飲食しながら売り物の新刊図書を読ませるわけにはいきませんので、やっぱり難しいかとは思います。
そして、3日も連続で24時間営業をするとなると、店員さんの勤務時間が最大の問題になってくると思います。もちろん最初から24時間営業を前提としてシフト制の業務時間で十分な従業員を募集したのならいいと思いますが、臨時で、いきなり3日間連続24時間営業をするのは現実にはかなり難しいはずです。

それでもやっぱりそのイベントは、「本屋さんを愛する人たちの気持ち」が見事に反映された、素晴らしいイベントには違いないと思います。


このドラマの中でも言っていたように、本屋さんの存在意義の一つは、「新しい世界との、偶然の出会い」を提供できることだと思います。
もちろんオンライン書籍でも、試し読みできるものはできますが、少なくとも本屋さんでちょっと手に取るほど気軽には見られないと思いますし、本を衝動買いする際に意外とトリガーになる、その本の質感とか紙質といったものはわかないと思います。


「現代における本屋さんの存在意義」にフォーカスしたこのドラマは、個人的にはとても興味深いものでしたが、ドラマとしては成功とはいいにくい状態で終わってしまったのはとても残念です。

おそらく、ドラマとしてはうまくいかなかった理由の一つには、やはり主役が誰なのか、というところがあったと思います。
このドラマの中盤は、完全に稲森いずみさんが一人主役状態だったと思います。
百戦錬磨の彼女の演技力は非常に高く、存在感も極めて大きいものでした。

対してもう一人の主役だった、AKB48の渡辺麻友さんの方は、途中からはちょっと主役と言えるほどの存在感を感じられなくなっていたと思います。
最後の方の、いわゆる美味しいところこそ持って行ったものの、ドラマとしての基盤を作っていたのは明らかに稲森いずみさんだったと思います。

たぶん、渡辺麻友さん目当てで見る人の方が多かったのだと思いますが、それで現実には稲森いずみさんに押されてしまっていたため、続けて見ようと思う人が少なくなってしまったのかも知れません。
最初から、主演は稲森いずみさん一人であるということで進めた方が、結果的は良かったような気がします。
話題性には一歩劣ったかもしれませんが、最終的な結果としてはその方がよくなっていたのではないかと思います。


なお、小説では、ドラマでは取り上げられなかった、先の話が展開されているようですので、機会があったら読んでみたいところです。