気分良く前向きに生きよう & テクニカルを楽しむ -34ページ目

気分良く前向きに生きよう & テクニカルを楽しむ

日常感じた心の世界に通じることや脳の働きに関することを書きながら、PCや携帯やプログラミングなどの技術的なことなども書いていこうと思います。

よく、永年勤続の表彰で挨拶などをする場合、多くの方が「皆様のおかげで、ここまで勤続することができました」というようにおっしゃると思います。
以前は、これはもう決まり文句のようなもので、特に深い意味があるとは感じていませんでした。

しかし今、15年勤続という節目で思うことは、まさに、これまで関わってきてくださった多くの方々のおかげでこの節目を迎えられたということ以外の何物でもない、ということです。


この会社で15年間仕事をしてきた中で、「うわ、この人すっげー!」と心の中で叫んでしまうようなtalentな方に沢山巡り合いました。

有難かったのは、そういう凄い、素晴らしい人達が、自分のような、彼ら・彼女らから見たら圧倒的にスキルも生産性もセンスも劣る人間に対して対等に接してくださり、おそらく「知っていて当たり前」のことがわからない時でも嫌な顔一つせず教えてくださり、また、責任のある仕事をリスクを負いながらも任せてくださり、一緒に建設的な議論を交わしてくださり、そして、自分が今以上に成長するためにはどうすればいいのかを真剣に考えて本物のフィードバックをくださったことです。

本当に、この会社にはそういったすごい人ばかりがそれぞれの分野で物凄いパフォーマンスを発揮していらっしゃいます。
もちろんそんなすごい人たちにも、それぞれ得意な分野と、あまり触れない分野とがあると思います。例えば技術的なことはそれほど強いわけではないけれど、コミュニケーション力が感動的に素晴らしかったり、問題の解決の糸口を切り開く能力が桁外れに凄かったりといったように、それぞれの方が、それぞれの持ち味を持って、そしてそのレベルが物凄く高い、というのが自分が日々この会社で働く中で思っていることです。

この15年間で、自分よりもダメだなーと思うような人には、多分一回も出会ってないと思います。

「周囲の全員が自分よりも能力やパフォーマンスが高い!」
この環境は、卑屈に考えてしまうと辛くなってしまうと思いますが、これは考えようによっては本当に素晴らしく、有難いことで、なにしろ彼ら彼女らからいつも学ぶことができて、自分が成長できるチャンスが常にあるということですから、こんなに恵まれた環境はない、と言えると思います。

そんな素晴らしい環境のおかげで、多くの素晴らしい人達に助けられながら、またその人たちを目標にしながらやってきて、気づいてみれば15年も経っていました。


もっとも、この15年間は、同じようなことを15周繰り返しての15年間ではありませんでした。
きっとこの15年間のヒストリーをドラマか小説にすれば、それなりに面白いものになるのではないかと思います(笑)。そのくらい、 まず普通では体験しないような数奇な体験を、何度もしてきました。


次は20年勤続を目指します、と言いたいところですが、それは叶わないかもしれません。
終身雇用の概念がそもそもない外資系で、しかもこの厳しい時代の中で生き残っていくということは、メジャーリーガーの打者で言えば200本安打を毎年打ち続けるようなものだと感じています。(正確に比較すると、200本安打だと、歴史上11年以上連続して打った打者は存在しないので。。150本安打くらいでしょうか??

20年を目指すのであれば、次の5年間で2回くらい、大ブレイクスルーといえるような転換を成功させないといけないと思われます。全くやったことのない職種を、エキスパートと言えるレベルでこなせるようになるくらにのブレイクスルーが、複数回必要だと思います。

それでも。。やりたいですね。
実家の家屋は、いずれは売却しなくてはならないと考えています。

固定資産税もそれなりにかかりますし、電気代の基本料金もかかります。

なお、電気に関しては「普段は解約しておいて、年に数回使う時だけその月の基本料金+使用料を払う」という対応はできません。
電気代は、基本的に年間契約なのだそうで、使う時だけ復活させて使えるようにするというフレキシブルな対応はできないそうです。
ただ、通常はブレーカーをOFFにしておき、一か月間全く使用量がないと、基本料金は半額になるという話でしたので、年末やお盆に立ち寄るとき以外はブレーカーをOFFにしておこうと思います。

また、ガスに関しては使う時だけ開いていただくという対応ができるようです。
水道に関しても、おそらくガスのようなフレキシブルな対応が可能ではないかと思いますが、水道に関してはちょっともめている為、解約したままにしております。


とにかく、実家の家屋の維持(修理等はしないとして)には、年に数回素泊まりだけするとして、固定資産税+電気の基本料の年額の半額が必要となり、田舎とはいえそれなりの金額になります。
したがって、今年行う父の三回忌が終わったら本格的に売却の検討をしようと思っていました。


ところが、先日、その実家の家屋の近所の方から連絡をいただき、うちの土地を売ってほしい(そこに是非住みたい)という方がいるという話を伺ったのです。

直接その土地を売ってほしいという方と電話で話をしましたが、もともと地元の方で、生涯そこで暮らしていきたいと考えていらっしゃるそうですが、現状なかなかいい物件がなくて困っており、是非ともうちの土地を買いたい(家屋自体は大変古いので、建て直すことになると思います)という話でした。

これは願ってもない話でした。
こちらとしては、おそらく普通に売りに出しても買い手がつかないので、安く不動屋さんに買い取ってもらうしかないと思っており、逆に先方は、物件がない地域でちょうどいい土地があったということでぜひ買いたいという状況なので、(もちろん仲介業者を依頼したうえで)まとまりやすい売買になると思われました。


しかし。
いざ、手放すとなると。。
そのリアルな状況をイメージすると。。
激しく後ろ髪を引かれる思いになります。
理由は、自分の故郷がものすごく遠い存在になってしまうような気がするということです。

実家の家屋がないとなると、たとえ今後故郷の街に帰ったとしても、「やれやれ、ついたついた!」といって腰をおろす場所さえもないことになります。
もちろん、ホテルなどを取れば物理的に腰をおろすことはできるでしょうけれど、精神的に腰を下ろすことができないと思います。

・・両親を失って、地元に帰っても迎えてくれる家族がいなくなってしまった、というのも大きな変化でしたが、さらに物理的に帰る家もないということになると、いよいよ故郷が「最後に帰れる場所」ではなくなってしまうような気がするのです。


結局、上記の有難いお話(土地を売ってほしいという話)は丁寧に断り、もう少し気持ちの整理ができるまでは残しておくことにしました。


それでもいずれは売却しなければならないと思いますが、あともう少しだけ、維持しておきたいと思います。
ここ数日、カミさんの腰の状態が非常に悪く、とうとう今日は寝た状態から腰を起こすことさえもできない状態になってしまいました。
抱き起こそうにも、少しでも腰に負担がかかると激痛が走ってしまうため、それさえもできません。
かわいそうに、24時間以上一度もベッドから起き上がっていません。

原因はどうやら、産後の激しい腰痛の再発のようで、人によって個人差があるそうですが、早い人だと産後1年以内に、遅い人だと20年後くらいにやってくるのだそうです。

いずれにしても、このままではどうにもならないため、鍼灸の先生にうちまで来ていただき、治療していただきました。


自分はこれまで鍼灸の治療を受けたことがないため、実際のところはどういう感じなのか、はりを刺すのは痛いのか、灸をすえるのは熱いのか、全く知りませんでした。

しかし、我々は鍼灸に関して誤解している部分が大きいようで、はりは髪の毛ほどの細さでやわらかい銀を使っているのでほとんど痛みはないのだそうです。
また、灸も、「お灸をすえる」という慣用句があるくらいですから熱くて辛いのかと思ってしまいますが、お灸の火が皮膚に接する前に取り除く方法を取っているそうで、熱くないようです。

そして、鍼灸治療の最大の意味ですが、それはもともと人間が持っている自己治癒力を引き出すことを目的とした治療方法なので、非常に的確な効果を得ることができる、ということです。
自己治癒力を使うということですので、問題のある部分に直接、しかももっとも効果的な形で当たることができると思います。
したがって、通常の整形外科などで行われているような、患部に直接治療を施すタイプの治療に比べて、その治療している瞬間の効果は感じにくいと思いますが、実際の効果という意味では、(もちろんその自己治癒力をどこまで引き出せるかによると思いますが、)より根本的な治癒がなされているということが期待できます。


治療には大体一時間くらいかかり、治療後は自己治癒力が活発になるためだるくなったり、眠くなったりするようです。

今は既に寝ている(といっても睡眠ができているかはわかりませんが)ので、明日はなんとかせめて立って動けるレベルまで回復してくれたら、本人にとってかなり精神的に楽になるのではないかと思います。
田舎の出身である自分にとって、当時は いわゆる同性愛者というのはほとんど差別用語でした。
小中学生の頃は、ちょっと色が白くて細見でおとなしい感じの男の子は、よくいじめっ子たちから「やーいオカマオカマー!」といってはいじめられていました。

かくいう自分も、正直に言えば当時は偏見を持っていました。
というよりも、誤解をしていました。
どのように誤解していたかと言えば、同性愛者というのは後天的にそうなるのだと思っていて、趣味の悪い、強い言葉を使うならば変態なのだと思っていました。

しかし、LGBTというのは基本的に生まれつきの体質なようなものであり、生物学的にもLGBTとして生まれる人がいるのはむしろ必然であることを知りました。

実際、アメリカで働いていたとき、周囲にはゲイの方が何人かいましたが、別に変態でも悪趣味でも何でもありませんでした。
仕事のできる人たちでしたし、チームの飲み会などで話をしても、別に何かかわったことがあるわけでもありませんでした。
それは当然のことで、別に男性と仕事をしようが、女性と仕事をしようが、男性と飲み会で話そうが、女性と飲み会で話そうが、いずれも有益な場であることに変わりはないのと同じことかと思います。

今回、会社の中でLGBTを理解するためのイベントがあるということで、ちょうどミーティングのない時間帯だったこともあり、過去にLGBTに対して偏見を持っていた自分に対する反省の意味も込めて、1時間半の時間をLGBTを正しく理解するための時間に使おうと思ったのでした。


以下は、そのイベントで理解したことの要約になります。

非常に興味深いことに、世界の7.6%の人はLGBTであると言われています。
これは、実に高い確率であり、どのくらい高い確率かと言えば、血液型のAB型の人の割合と同じくらいなのだそうです。
血液型がAB型の人は、身近にも普通にたくさんいるかと思います。
しかし、それと同じくらいの割合で存在するというLGBTの方は、少なくともAB型の人の数ほどいるようには感じませんよね?
これはつまり、自分がLGBTであることを言えないで隠している人が、特に日本では圧倒的に多いことを意味していると思われます。

LGBTに限らずだと思いますが、自分の本質を隠したまま生きていくというのは非常に辛いものだと思います。
それは、もっと言えば、その人の生き様を根本的に変えてしまうようなことであり、心身に対して無理がかかるため健康的ではない状態になってしまう可能性が高いと思われます。


では、LGBT非該当者である我々はどうすればいいのか、ということですが、そのイベントを通して理解したことは、LGBT該当者にとって居心地の悪い環境にならないように努める、ということです。
難しいことを行う必要はなく、単純に、LGBT非該当者が正しくLGBT該当者のことを理解して、偏見を持たないで、LGBTの方たちが何もそのことを隠さなくても普通に過ごせるようにするサポートをする、ということです。

LGBTの方をサポートする、または過ごしやすい環境にすることに協力するLGBT非該当者のことをアライ(Ally=協力者)と言っています。

自分は、その直接的な活動、例えばパレードに参加する等は時間的な制約等から難しいと思いますが、少なくとも、LGBTに関しての偏見を持たず、そういった人達がそれを隠さなくても普通に生活できるような環境を作ることに対する協力は惜しみません。
いつかはこういう時がくるのだろうと思っていましたが、思っていたよりも若干早かったと思います。。



紙の書籍としての週刊アスキーは、自分としてはこれまでに何十冊、いやおそらく軽く百冊以上購入したと思います。

個人的には、記事の内容が技術的にちょっと浅いかな、と思っていましたが、それはもちろんターゲット層を広く持つための方針であり、それこそ大人から子供まで、ホビーユーザーから技術者まで、デジタル物が好きな人なら誰でも手軽に読めるところが良かったのだと思います。

何といっても、毎週読めるということが画期的でした。
PC関係の月刊誌は、だいたい出る時期が重なっていますので、月刊誌だけを読んでいるとどうしても月の途中で読むPC雑誌がない、苦痛の時期があったものでした。
週刊アスキーは、その苦痛を緩和してくれる、重要な解決策だったのです。

そういえば高校時代には、お金がないので月に一冊だけ読んでいたPC雑誌がありましたが、あれはもう、広告のページも含めて1ページ1ページをまるで宝のありかがかかれている書物を読むように丁寧に、噛みしめて読んでいました(笑)
あの頃もし週アスがあったなら・・といっても、当時では毎週400円近くもする雑誌を買うことはできませんでしたが。


そんな、思い出の多い週刊アスキーでしたが、次号からは電子書籍のみの出版になるそうで、本屋さんの雑誌コーナーがちょっと寂しくなりますね。

ただ、これは正しい進化だと思いますし、客観的に言えば良いことの方が多いのも事実だと思います。
何といっても紙を無駄にしませんので、森林の保護の観点からは、電子書籍化はもっと推進すべきだと思います。

エンドユーザーの観点からも、電子化による効果は大きいと思います。
うちは本が溢れかえってしまっており、ちょっと以前の本になると探し出すのが難しくなっている(本末転倒ですね。。)のが現状ですが、もしもすべてが電子書籍だったならば、タイトルや著者名、出版時期などから検索すればすぐに見つかりますし、何といっても居住空間が広がりますから、有難いです。
また、週刊アスキーのようなサイズの雑誌を、朝の満員電車で立って読むことはほぼ不可能ですが、スマホでKindleなどで読むのであれば、電車内の立ち位置にもよりますが読めると思います。
本を買うために本屋さんやコンビニに行かなくてもいいですし、寝る前にベッドの上でタブレットPCで購入して軽く読んで寝るという、昔では想像もできない技も可能です。
そして、書籍代が安くなるということも大変重要です。

だから、これは正当な進化であると喜びたいと思います。



PS 25.6年間という区切りの良さも素晴らしいです。
・・まあ、実際にはこじつけだと思いますが(笑)、やっぱり2のべき乗、しかも2の8乗という数はは最高に美しいですね。
Windowsのスタートボタンの消滅・復活には様々な意見がネット上をはじめ多くのところで飛び交っていたと思います。
Windows8の登場時にスタートボタンは一旦消滅し、Window8.1でボタン自体は復活し、Windows10で完全復活+Windows8までのスタート画面の機能を盛り込む形で出てくるようですが、最近読んだ本の中で、ひとつ発見したことがあります。

それは、Windows7までもそうなのですが、実は画面上に表示されている「スタートボタン」の周辺をクリックしても、ボタンを押したのと同じように反応する、ということです。



(丸いボタンの周辺をクリックしても、ボタンを押したのと同じになります)

まあ、それだけだとあまり実用的な意味はないかも知れませんが、この面白いところは、実は、この小さいボタンもしくはその周辺めがけてマウスを合わせてクリックする必要はなく、もっと思い切って、スクリーン全体の左下めがけてマウスを大雑把に動かしてクリックすればいいということです。
マウスカーソルを思いきり大雑把に左下に持って来ても、マウスカーソルがどこかに移動してしまうこともありませんし、位置が左下すぎてスタートボタンのクリックとして認識されないということもありません。

あの小さいボタンにマウスを合わせるよりも、画面左下に大きく移動する方が、ずっと楽だと思います。


なお、上記は一般論ですが、個人的にはスタートボタンをマウスボタンでクリックする、という動作は、Windows 95登場以降の約20年間、あまりしてきませんでした。

自分のマシンにインストールされているアプリを起動するのであれば、スタートボタンからたどるよりも別のランチャーを使った方が速くて便利でしたし、スタートメニューを開く必要がある場合でも、キーボードのWindowsキーを押して開きます。

特にWindows7以降では、特にランチャーのアプリを入れておかなくても、よく使うアプリはタスクバー上に固定しておき、起動するときはCtrl+(配置した順番)で起動すると速いと思います。

さらにWindows8以降では、よく使うアプリ以外のマイナーなアプリを起動するときでも、Windowsキー+Qキーを押して検索画面にして、アプリの名前の特徴的な部分を数文字タイプすれば即座に候補が出てくるので、すぐに起動出来て便利です。


まだまだスタートボタン・スタートメニューに関しては数々の便利なTipsがあります。
Windows10になるとおそらくさらに便利になると思われます。
2ヶ月ほど前に立ち上げた新規プロジェクトの説明のために、「チームミーティング巡り」をしました。
つまり、社内で行われている他のチームのミーティングにお邪魔させていただき、少々お時間をいただいてプレゼンをさせていただいて、質問を受けて答える、という活動です。

これを、20チームほどに対して行いました。
なお、ほとんどが営業系のチームを対象に行いました。

さすがに20チームくらい回ると、面白いですね。
同じ系統の業種のチームであるにも関わらず、各チームによってそのチームミーティングの雰囲気や進め方はかなり違うものです。

・全員が活発に発言していて、それらを頭から否定されたりすることはあまりないチーム
・ほぼチームマネージャーだけがしゃべっているチーム
・物凄く緊張感が漂っていて冗談の一つも言おうものなら即退場になりそうな空気が流れているチーム
・参加者の目線が、発言者の方に向いているチーム
・逆に、参加者の目線がみんな自分の目の前のノートPCに向いているチーム
・話している内容は深刻でも、どこか和やかな雰囲気が感じられるチーム
・等々

もちろん、こういったチームミーティングチームミーティングの有り方に王道と言えるものはおそらくなく、また、参加者の目線が各自のノートPCに向いていても参加していないわけではなくむしろ関連する資料を見ていたりそのミーティングに役立つ情報を探していたりする場合も多く、一概にどういう状態がいいとは言えないのではないかと思います。


また、もう一つ気が付いたのは、今回回った日本のチームのミーティングは、すべて例外なくチームマネージャーが司会進行をしていた、ということです。

ちなみにうちのチームはアジア全体で1チーム(東はニュージーランドから、西はインドまで)のため日本のメンバーだけのチームミーティングというのはないのですが、司会進行役は一回ごとに違う人が、交代でやっています。
チームマネージャーは司会はやりませんし、あまりプレゼンはしませんが、最も発言が多いのが常です。

アメリカにいた頃はどうだったか思い返すと、多くはチームマネージャーが司会をやっていたと思いますが、必ずしも固定していなかったような気がします。


また、チームミーティングというものをどのような場として定義するかも、それぞれのチームによってもしくはその時々によって違ってくると思います。
1.いわゆる報告会として使う
2.いろいろな意見を出し合って考える、ブレーンストーミングの場として使う
3.何かを決定するに際して参加者の多数決などでチームとしての意思決定をする場として使う
4.等々

・・今回のチーム巡りで見てきた限りでは、上記で言うと1と2の複合と思われるものが多かったような気がします。
きっかけとしては誰かが何かの報告、例えば今何か起こっている問題の状況を説明するところから入り、そこから周囲の人たちが質問をしたり意見を言ったりしながら次のアクションをチームとして考える、といったパターンが多いような気がしました。

なお、思えば社会人になって最初に就職したところの会議は、完全に課長の報告会でした。
何か自分の意見をそこで言うなどというのは、ほとんどクーデターを起こすようなものでした(笑)

あの頃の報告会の状態と比較すると、今の会社のチームミーティングは、インタラクティブ性も高くて面白いですね。
先日、この本を読みました。




これはよく言われていることですが、人間はいわゆる「テンパっている」状態とそうでないときとでは、大きな差異があるといわれています。

何か問題が起こったり、予想外の状態になったりしたときに、通常の状態で対処できていればそれほど深刻化せずに終わることができたものが、テンパった状態で対応したために事態が悪化した、という経験は、誰しも少なからずあるのではないかと思います。

また、自分以外の人を客観的に見ていて「ああ、この人今テンパってしまっているんだな、もしもテンパっていなければ、通常の状態ならばきっと別の対応をしていただろうな」、というように思うこともあるのではないかと思います。

つまり、もしも人生の中で「テンパる」ことを極力防ぐことができたとすれば、結構人生いい方向に向くものなのかも知れません。


自分の場合、特に今の仕事の中でテンパりやすい状況が比較的多いように感じています。
予想外の問題が発生することでテンパりやすくなる、というばかりではありません。

例えば先週は、月曜日は突然当日用意しなければならなくなった情報をそろえるために夜中に対応し、火曜日にはこれまで行われてこなかった新しい試みを実施する機会が朝9時からあり、さらにその後月一度の大がかりなプレゼンがあり上司の上司から激しいツッコミがありました。水曜日には今期自分がやってきたことを振り返りつつ残りの数か月での目標を上司と協議する1:1会議があり、木曜日には数か月前にキックオフした新しいプロジェクトの成果をリーダーシップチームに報告する会議があり、金曜日にはとある日本の状況に関して本社の専務の方に説明しつつブレーンストーミングを行う会議に突然招集されました。(ちなみにそれらは全部英語ミーティングであり、またそれ以外にも毎日4回くらいはミーティングがあります)

もしも、上記のような状況下でも、すべてテンパらずに対応出来たならば、成果も違ってきたのではないかと思います。

したがって、「テンパらない技術」を身につけることは、自身の成長のための重要なステップであると思っています。


さて、この本ですが、多くのTipsがわかりやすくまとめられており、また精神科の先生が科学的根拠も踏まえて執筆されているため、読みやすくていい本だったと思います。

ただ、自分の場合いわゆる初耳のネタはありませんでした。既にこのテーマに関して、関連書籍を多々読んでいたからだと思います。

それでも、テンパらないために日々気を付けるべきことを整理するのには役に立ったと思います。
自分の中で一番重要なTipsは、「完璧を求めない」ことではないかと思っています。
完璧にこなそうと思いすぎて、ちょっとした小さな予想外のことですぐにテンパってしまい、結局全然ダメな結果になってしまうという悪循環になることが多いということです。


また、仕事以外にも、実際には多々テンパってしまう可能性の高いことが存在し、なかなか大変ではありますが、どういう状況であってもテンパる=脳の血流が悪くなる 状況を抑えて最善を尽くすことができるようにしていきたいものです。
今日は、久しぶりに1年半前まで毎日通っていたオフィスへ行きました。

初めてそのオフィスへ行った頃(もう15年も前になります)には、「なんと近代的なビルディングなのだろう!」と思ったものでした。
あらゆる部分が綺麗で新しく、入り口に4つ並ぶエレベーターにも規模の大きさを感じたものでした。

最上階には社員食堂があり、また一時期は世界的に有名なコーヒー屋さんが入っていたこともありました。

遅くまで仕事をする人のために、シャワールームも完備しており、バスタオルなどもしっかり揃っていて、タバコを吸う人と吸わない人の両方を尊重するために2重のドアのついた喫煙室が各階にあり、仕事に集中するには非常にいい環境が整っていました。

そういえば、15年前からトイレにはウォッシュレットがついていました。
今では会社のトイレにウォッシュレットがついていても珍しくないのかも知れませんが、当時は画期的でした。

また、自分のマンションからそのオフィスまでは自転車で15分程度でついてしまうため、通勤がとても楽でした。
今の電車2回乗り換えの一時間以上立ちっぱなしの通勤とは雲梯の差です。

なので自分としてはそのオフィスがとても居心地が良くて、今の23区内のオフィスに引っ越すのはとても嫌でした(笑)

オフィスの引っ越し後も、まだそのビルは別のチームの皆さんがお使いで、しかも空いている席もあったので、時々はそちらに行って仕事をすることが可能でした。
なので自分は週一回は最低でもそちらに行くように調整していました。
通勤時間分がそのまま仕事の時間にできるわけですから、その方が社員の勤怠管理の観点からも悪くはない方法だったと思われます。


しかしながら、半年ほど前から我々のチームに派遣社員さんを二人くらい迎え入れることとなり、自分はその管理をする必要があり、派遣社員さんが勤務してくださっている時間帯は社員がいる必要があるため、上記のようにフレキシブルに従来のオフィスに行って仕事をすることはほとんどできなくなってしまいました。

それでも今日は、調整することができて久しぶりにその従来のオフィスへ行ったのでした。

通勤は楽、そして居心地のいいオフィス・・のはずでしたが。。。
人間の「慣れ」とは凄いものですね、もはやそのオフィスでは居心地がいいとは感じられなくなってしまっていました。

その理由は、一つには設備が簡略化されているということがあるかと思います。各階にあった自販機は撤去され、観葉植物もなくなり、各階のフリースペース(ソファーなどが置かれていた)は何もない空間となり、喫煙ルームもなくなり、自転車置き場のタイヤ止めも撤去され・・というように、近いうちに行われる完全オフィス移動に備えて簡素化されてしまっているため、まるで一時的に設置されたオフィスを期間限定で使わせていただいているような気分になってしまうのではないかと思います。

また、1年半前にはリアルなビジネスの緊張感が漂いすぎていてなじめなかった23区内のオフィスにも、さすがに毎日通っているため慣れてきましたし、営業チームのマネージャーの皆さんにも顔を覚えていただけて、今ではあまり居心地が悪くはなくなってきました。


それでもやっぱり思い入れも多いそのオフィス、行く機会がなくなるのは寂しいですね。
以前、誠にレベル違いではありますが、経済評論家・勝間和代さんと自分には、似ているところがあると勝手に思っているという記事を投稿しました。

その似ているところの一つに、「忘れっぽい」というところがあると考えていました。
傘を置き忘れたりとか、今からやろうとしていたことを忘れたりとか、そういうことが結構あるという勝間さんのコメントを見て、きっとその忘れっぽい原因が自分と似ているのではないかと思ったのです。

その原因とは、「常に何かを集中して考えている」ということです。
例えばちょっとした隙間時間にボーっとするということはあまりなく、別のことを頭の中で熟考してしまい、それが原因で目先のことがおごそかになってしまい、単純な忘れ物をしてしまう、というロジックで起きている事象なのではないかと思っていました。

勝間さんは誰がどう見ても頭の回転が速い、思考力に長けている人であることは間違いないと思いますが、そういう人が単純な忘れ物をよくするという理由は、単純に常にボケっとしているからとは考えにくく(笑)、その集中力を置くポイントが、普通の人とはちょっと違うからなのではないかと、自分は勝手に仮説を立てていたのでした。

勝間さんの場合は、一日にアウトプットする情報量が恐るべき量なので、おそらく何をしているときであってもそのコンテンツを常に考えているのだろうと思っていました。
例えば仮に料理などを作っている場合でも、ある程度ルーティンな処理(例えばキャベツを千切りするなどの一定の処理)をしている際にはもはや料理のことは考えておらず、その日のサポートメールの課題を考えていたりといったように、別のことに思考が移動し、気が付くとキャベツを切りすぎている・・というタイプなのではないかと思っていたのです。

実は自分がまったくそういうタイプであり、その時じっくり考えたいことがあると、何をしていてもそのことに思考がすぐ入ってしまうので、単純な忘れ物などをすぐしてしまいます。
いわゆる「心ここにあらず」的な状態にすぐなってしまうのです。
ちなみに、そういう人は、他人から「天然」とか「ちょっと変わってる」といった評価を受けてしまうことが少なからずあるかと思います(笑)


ところが、どうやら、勝間さんの忘れっぽさはそれとはちょっと違うようなのです。
勝間さんのメールマガジン(こちら)によると、勝間さん自身は、その忘れっぽさは大人のADHDからくるものであると考えていらっしゃるようです。

ADHDとは、要するに落ち着きがなかったり、衝動性が強かったり、自己管理が苦手だったりといった症状のようですが、症状がひどい場合には病院で見てもらうべき症状のようです。

勝間さんは彼女の忘れっぽさの原因は軽度のADHDではないかとメールマガジンの中ではおっしゃっていました。


自分の場合は・・うーむ、まあ確かにケアレスミスは昔から多かったし、気が散りやすかったりといった症状もありましたし、ひょっとしたらADHDかも知れないという気がします。
以下のあたりは大いに当たっています。

・約束を守れない、間に合わない
・時間管理が苦手
・仕事や作業を順序だてて行うことが苦手

※ただし、今ではITの進歩のおかげでスケジュール管理や仕事の進捗管理はツールの力を借りることでなんとかなっているので、他人から見たらその部分は問題なく見えているのではないかと思います。そう考えると、もしも自分があと50年早く生まれていたら、まったくビジネスの世界では通用しない、誰から見ても今以上にだらしない人間だったと思います。

ではそれで病院に行くかというと・・自分の場合、それ以外にも病院に行った方がいいと思われる部分がいくつかあるので、ADHD疑惑に関しては、今のところは保留にしたいと思います。