キハでGo!

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Blog of the Kiha, by the mid-aged man, for the Kiha lovers.

こんばんは!

今日は急に寒くなり、宅内では上に羽織るものが無いと長袖シャツでも寒さを強く感じるほどでした。

 

本日は少し前に駿河屋の値段合わせで購入したDVDを視聴しました。

写真の「列車大行進 キハ40系」というVicom(鉄道系映像の有名どころw)からVHSで発売されていたものがDVD化されたもので、キハ40好きの私にはたまらない1枚ですw

 

VHS版は2002年の物ですが、中には1枚目のJR北海道で映画「鉄道員(ポッポや)」で使用されたキハ40-764を改造したキハ12(タイプ)や2枚目のJR西日本で現在でも播但線で活躍しているキハ41の映像も収録されていました。

キハ12もどきは廃車となり、映画の「幌舞駅」として撮影に使用された幾寅駅前にカットモデルとして静態保存され、キハ41は映像では播但線色ですが、現在は首都圏色となり、活躍しています。(詳しくはコチラ)

他にも撮影当時はJR各社で地域色に塗装されたキハ40系が各地で活躍していたので、なかなか見ごたえがあり、DVD版はナレーション、BGMの有無を設定でき、今回は有りで視聴しましたが、無しにすると純粋にディーゼルの走行音を楽しむことが出来るようになっています。

今後は何度見てもキハ40系好きの私には飽きないと思われますので、DVDで擦り切れる!?ほど見たいと思いますw

 

こちらは先週に届いていたお届け品ですが、中身は2枚目のホビセンカトー扱いで再販されたEF10の24号機(関門仕様)です。

今回はホビセンカトーで一般の店舗やネットでも割引率が低いため、ポイントは付きませんが通販専門の「ごわす屋」で発注しました。届いた箱はKATOの単品ケースを入れるだけでは必要以上にデカいサイズですw

思わずポー模型(「ごわす屋」の系列店ですでに発売された商品を扱っています。)の商品も併せて買ってしまいましたw(またの機会にご紹介したいと思います。)

 

付属品は写真の通り、車番プレート、交換用ナックルカプラーとヘッドマークです。

ヘッドマークはEF10の24号機が牽引していたスハ43、10系の「かもめ」と20系の「あさかぜ」が付属しています。ただEF10はヘッドマークをデッキの手すりに下げていたようで、車両はKATOお得意の「クイックヘッドマーク」には対応しておらず、両面テープ等で貼り付ける必要があります。

また車番プレートも今回のステンレス仕様(無塗装)のEF10は24号機しか存在していないのですが、写真のように「21」「22」「23」「24」の四種が付属しています。付属はしていますが、ステンレス色には「24」しか使えず、この車番パーツは通常品のEF10との金型共有になっているからと思われます。

元々、2017年に発売されており、当時は8800円でしたが、今回はお約束のスロットレスモーター化に加えて、スポーク車輪への変更などを経て、リニューアル再販品として9680円で再販されました。改良点があるので860円の値上げは納得ではないでしょうかw

 

車両を見ますと、ステンレスっぽく塗装された銀色は乱れの無いキレイさです。

EF10は戦前の1934年に国鉄の前身である鉄道省から製造が始まり、国鉄時代の1941年までに41両生産され、各地で活躍しました。そして関門トンネルで使用されていたEF10の防錆対策として、1953年以降に「24」「27」「35」「37」「41」の5両に対して骨組みをそのままに外板をステンレスに張り替えまし、日本初のステンレス合金を外板に採用した機関車となりました。外板の変更後、24号機以外は他の機関車と同じぶどう色に塗装されましtが、なぜか24号機のみ無塗装となったことで異彩を放つことになりました。
最終的に1960年から登場したEF30(詳しくはコチラ)へ1961年から置き換えられ、門司区のEF10はすべて他区所に転属し、無塗装であった24号機も新鶴見機関区へ転属し、当初は無塗装のままでしたが、翌年にはぶどう色に塗装されました。

そんな唯一で日本初の存在であったステンレス色の24号機がホビセンカトーから2017年に発売されていましたが、当時は鉄模趣味に復帰していましたが、20系寝台客車にもまだ手を出していなかったので完全にスルーしていましたw

 

車両は中期形で1939年製の24号機は丸みの強い溶接構造の半流線型車体になっています。

近年の機関車と違って丸みがあり、デザインもクラシカルさがあります。なによりもデッキがあるのが戦前の機関車を感じさせてくれます。

車輪も前輪はスポークの抜けた車輪となっており、足元も引き締まっています。

 

車体には製造元である「日本車両」と「東洋製造」に加えて転属先である「小倉工場」の表記もキレイにプリントされています。

台車は24号機には一体鋳鋼台車のHT57が装備されています。

 

当線区に2018年から20系寝台客車が入線しだし、関門トンネルで使用されたステンレス仕様の機関車に関心が出ました。しかしこの頃にはホビセンカトーの24号機は市場から消えており、さらにヤフオクではプレ値かしていました。

そんな中、京都のポポンデッタで中古ですがマイクロエースの24号機に出会い、「ダイキャスト崩壊リスク」に悩みながら入線させていました。(詳しくはコチラ)

 

写真は左と上がKATO、右と下がマイクロエースです。

マイクロエースの方は2003年とすでに20年以上も前の製品ですが、並べてみても謙遜の無い出来です。

細かいことをいうとデッキ手すりが太い、ヘッドライトが大きいなどありますが、パッと見はほとんどわからない程度です。

 

パンタグラフはPS14ですが、マイクロエースの方はすり板の上部に銅色が塗装されており、より実感的になっています。

2枚目はデッキ部分ですが、マイクロエースの方はややデッキが長くなっていますが、どちらの採寸が正しいのかは分かりませんw

色合いはマイクロエースの方もステンレス色がしっかりと表現できており、2026年発売のKATOと比べても遜色のない出来ではないでしょうか。

 

ということで、いつもの通りにお座敷レイアウトに入線させました。

下関へ転属したEF10のステンレス外板仕様は主に関門トンネルを走行する下関⇔門司間で客車や貨物編成の牽引を担当していました。なので久しぶりに20系特急寝台客車をチョイス!

編成は1960年頃の寝台特急「あさかぜ」を再現しました。

 

スロットレスモーターと磨き込んだレール(詳しくはコチラ)で超スローも含めて14両を力強く牽引してくれました。

 

久しぶりに20系を出してきたので、少しだけ車両を見ていきますw(と言ってもHOは少し前に出していますけどw(詳しくはコチラ))

2枚目は電源車のカニ21です。「あさかぜ」は登場時はマニ20(詳しくはコチラ)でしたが、全長が短く、新聞輸送用のスペースが狭かったこともあり、3両で製造が終わり、1m伸ばしたカニ21が登場しています。これも今では新聞は大変なことになっていますが、この頃は新聞需要が大幅に増えたことによる車両のアップデートでした。

 

お次はグリーン車となるナロネ21とナロ20です。

ナロネ20はプルマン形開放式1等寝台車で、通路を挟んで左右に上下2段寝台が7区画ずつ配置されています。そのほかには喫煙コーナー・給仕室・荷物保管室・和式と洋式トイレが設置されています。写真ではちょっと見えにくいのですが、上段ベッド用に小さな明かり取り窓が付いているのが1等寝台車の特徴で、個人的に気に入っています。

ナロ20は1958年から製造された1等座席車でリクライニングシートを12列装備しています。さらに各席には白熱灯を使った光軸可変スポットライト式の読書灯が設置されており、他には和式と洋式トイレ・洗面台・荷物保管室・車掌室設置されていました。

この頃の寝台特急の客車は全て寝台車ではなくナロ20のような座席車も設けられていました。

 

1枚目は食堂車のナシ20で厨房は完全電化されており、冷蔵庫や電気レンジが設置された近代的な食堂車として1958年から順次製造されました。食堂部分は通路を挟んで4人掛けの片持ち式テーブルが10セット設置されていました。

2枚目は2等寝台車で1958年から本系列では最多の252両が製造されています。レイアウトは側廊下式で3段式寝台が9ボックス設置され、さらに登場時から冷暖房完備と快適性が確保されていました。冷暖房完備であったことから固定窓となっていました。(他の車両も同じです。)他には車端部に和式トイレと洗面台、出入り口付近に給仕室が装備されていました。

 

1枚目はナハ20で1958年から製造された2等座席車です。回転式クロスシートを装備していましたが、あくまでも車両基地などでの転換を目的にしており、構造上車端から順番に回転させる必要があり、乗客が任意に回転させることはできませんでした。そして客室の固定によって停車駅では窓越しでの立売り駅弁が利用しにくくなった対策と、食堂車の混雑を解消する目的で国鉄初の売店設置車両となり、弁当・土産・新聞などを販売していました。構造的にはショーケースカウンターとその向かいに電気式ジュースクーラーならびに物置を配置し、ホームからの物品搬入を行いやすいように業務用扉も設置されていました。

最後はナハフ20で1958年から製造された2等座席緩急車です。最後部に連結される非貫通式流線形の緩急車で、車掌室と展望室が最後部に設置され、展望室は乗客に開放されていました。製造技術面の問題で当時は大型の曲面ガラスの製造が間に合わなかったため、写真の車両は平面4枚窓ですが、以降は曲面窓ガラス2枚のパノラミックウィンドウとなりました。

 

下関⇔門司の僅かな距離(6㎞ほど)の10分未満の区間のみですが、EF10でけん引された20系寝台特急「あさかぜ」でさらに座席車も組み込んでいた編成は、なかなかマニアックで楽しむことが出来ました。

でわでわ

 

こちらは以前に購入したジオコレの「車両展示公園」(詳しくはコチラ)に24号機を入れてみました。
24号機は1961年に新鶴見機関区へ転属し、1962年にぶどう色2号へ再塗装された後は、八王子機関区や豊橋機関区などに配置され、貨物輸送や飯田線などで活躍し、1978年に廃車となりました。
引退後に異彩を放っていたステンレス色に戻され、下関に展示された風にしてみました。
なかなかイイ感じであり、このままディスプレイしても良さそうな車両でした。
でわでわ