龍のひげのブログ -533ページ目

正義の裏側

やはり、どうも怪しい。怪しいと言うよりは胡散臭いと言うべきか。

日本テレビの「真相報道バンキシャ!」における虚偽報道問題である。当初の説明では同番組内で虚偽の証言をしたとして偽計業務妨害で逮捕された男に“騙された”理由として、不利益を承知で告発していることや謝礼の要求がなかったことなどを“信じるに足る”根拠であったとしていた。騙されるだけの理由があったと弁解していたのである。日本テレビ前社長の辞任会見においても「謝礼等の受け渡しはなかったと報告を受けている。またそうであると信じている。」と述べていた。そもそも裏金の存在を指摘された岐阜県が徹底的に全ての職員を調査して裏金の事実が確認出来ないと判断し、刑事告発までしているのに問題の当事者であるテレビ会社社長の釈明が“受けた報告を信じている”というレベルであれば本当に責任を感じているとは思えない。報告が正しいかどうかの裏づけなど社長であれば簡単に取れるはずだからである。

常識的に考えれば大の大人が時間を割いて番組に出演し、取材に応じるのであればあからさまに要求しなくとも謝礼を期待するのは当たり前である。また番組制作会社も謝礼を支払うことは日常的に行われている自然な業務の流れであるだろう。仮に私であれば一日仕事を休んで大阪から東京のテレビ局まで行って取材に応じるのであれば、交通費以外に1~2万円位の金であれば到底応じる気持ちにはなれないだろう。日本テレビの理屈を裏返せば謝礼を要求された情報は偽物ということになる。しかしそんな馬鹿な話しはない。謝礼があろうがなかろうが真実は真実であり、嘘は嘘である。謝礼の要求事実を真実性の判断基準として弁明すること自体が極めていんちき臭いのである。

その後の情報で虚偽証言で逮捕された男は番組のアンケートサイトを通じて番組スタッフから取材の依頼を受け、謝礼を期待して虚偽情報を提供したとされている。日本テレビはこの取材方法に問題があったと言っているがはたしてそうであろうか。どのような情報源からであれ、謝礼要求の有無に関わらず報道番組を制作する絶対的な条件である“真実”を尊重する、誠実かつ真摯な倫理観があれば本来問題はないはずである。このように金銭的な潔癖感を情報の信憑性に結びつけるところに世論誘導や、“やらせ”隠蔽の臭いを感じるのは私だけであろうか。

日本テレビの社員や下請けの制作会社、ディレクター混成の「裏金」取材チームが逮捕された男に総計10時間にも及ぶ取材を行ったという報告も到底、信じることは出来ない。10分の間違いではないのか。混成チームといったところで局の正社員と下請けディレクターでは力関係に歴然とした違いがあるだろう。混成とは名ばかりで、不景気の影響下、制作費の削減を余儀なくされた制作会社が納期とコストに追い詰められるように番組を制作しているであろう姿が目に浮かぶようである。逮捕された男は、以前から他局の番組にも度々登場していたようだ。マンション耐震偽装の摘発であったりバイアグラの被験報告であったりもしたという。まさに何でもありだ。また男は架空の工事を発注したとして80万円を騙し取った詐欺容疑でバンキシャ!出演後に逮捕されている。そのような男に取材チームが10時間にも及ぶ取材をして本当に騙されるであろうか。裏金の送金記録を記者を外で待たせて自宅で表計算ソフトで作ったとは噴飯物だ。“なぜ日本テレビは嘘が見抜けなかったか”など恥ずかしげもなく、よくもそのような白々しいことを言えるものだ。

テレビ局や新聞社は、番組制作や読者投稿などにおいていつでも番組内容や記事の意向に沿うような発言をしてくれる人間を常時、複数囲っているのではないのか。真実そのものが尊重されるのではなく、番組や記事内容が、すなわち局や新聞社の意向が真実を巧妙に作り出しているのではないか。このような“やらせ体質”がマスコミだけでなく、警察や司法、行政など様々な分野で通底しながら日本中に深く染込んでいるように思え、私は絶望する。もちろん公共性や社会倫理などと言ったところで、所詮100%の奇麗事で動けない事情はよくわかる。厳しい経済原理に従わざるを得ないから、多少の誇張や誘導、時には捏造も避けられないのかも知れない。しかし、それを言うなら食品会社の賞味期限や産地偽装問題でどれだけの関係者が逮捕され、またどれだけの会社が廃業や倒産に追い込まれたのかと言いたい。同じ構図ではないのか。むしろ大新聞社やテレビ局などのマスコミは業界内で厳しい競争をしていることは認めるが、業界そのものは公共性という観点から保護されているのである。国策的に業界の利益が守られているとも言える。だからこれまで世界市場を席巻してきた自動車会社や電気機器メーカーが赤字に陥っているにも関わらず、大手マスコミはいまだに優に年収平均1000万円以上超す地位を誇れているのである。

メディア業界の問題の本質は、他の民間企業同様に金儲けの論理で動いているにも関わらずそれを認めようとせずに、“正義”を支配してしまうところにある。“支配”という表現が行き過ぎであるというなら、“調整”とも言えよう。だから他業界や政治家の不正報道に比べれば、「真相報道バンキシャ!」の虚偽報道問題への追求は、どこかおざなりというかお手盛りの感じがするのではないだろうか。私はBPOという組織そのものが真に高度な倫理意識を有しているのかどうかよくわからない。高度な倫理意識とは放送業界だけでなく日本全体の各分野の有機的な繋がりのなかから新しい時代に即した総合的な価値判断が出来るかどうかということである。業界内倫理は業界内利益と同義で、結局のところ我々国民を豊かにするものではない。

私はむしろ国会で証人喚問すべき事案だと考える。膿は全て出し尽さなければならない。しかしそうはならないであろう。何かしら国民を目覚めさせないような悪魔的な力が働いているように直感的に私は感じる。だから私は諦めることにする。所詮、私一人の力でどうにもなるものではないし、実のところ私は悪魔の論理もわかるような気がしないでもないからだ。

私が和解すべき相手は悪魔なのかも知れない。この世の物質原理は全て、正義も真実も悪魔の成せる業である。


WBC日韓戦、観戦記NO2

イチローが7回表のチャンスに凡打して追加点を上げることが出来なかったその裏に、韓国のソロホームランで2対2の同点に追いつかれた時には本来、負けモードに入っていたはずだ。私もテレビの前で暗澹とした気分になった。

6 7回あたりで逆転され、後続投手の気迫溢れたピッチングで抑え込まれるというのが日韓戦のこれまでの典型的な敗戦パターンであったからだ。

ところが今日の韓国には序盤からそれほどの迫力は感じられなかった。ミスが多かったし、さすがの韓国も短期間にこれほど何度も日本と対戦するとこれまでのようなハイテンションの集中力は持続できていないのではないか、というような感じがした。結果的に、日本は8回に3点を加えて突き放し勝利を得たが、城島に稲葉、内川に小笠原の代打が続けざまに見事に的中した原監督の采配はちょっと常人離れしていた。あるいは原監督らしいとでも言おうか。

イチローのこれまでの不振は気合が入り過ぎて、微妙にバットコントロールがずれているように私には感じられた。だからちょっと安心したような場面ではヒットを打っている。もう少し意識的に気持ちを静めて、リラックスした感じでバッターボックスに向かえば完全に復調するのではないかと素人の分析ではあるがそう思う。

ともかく勝ててよかったが、韓国は決勝でアメリカと当たりたかったのではないかという気がしないでもない。韓国はおそらくベネズエラに勝つであろう。そのような小賢しい作戦で日本に勝利をプレゼントしてくれたのであれば、日本は是が非でもアメリカに勝って、決勝で韓国に最後の決着をつけて欲しい。

見る方とすれば、もういい加減にうんざりしてきたが。

今日の勝利後に、もしやマウンドに日の丸を立て返すのではないかとちょっと心配したがそのようなことがなくて安心した。そういう挑発行為をしないのが日本の良さだからだ。

報道と真実

日本テレビ社長が、報道番組「真相報道バンキシャ!」における誤報問題の責任をとって辞任した。岐阜県県庁で裏金作りが行われていると同番組内で証言していた男の話が虚偽であったことが発覚し、男は偽計業務妨害容疑で逮捕された。日本テレビ社長は“誤報”の原因について我々に明らかにしようとせず、自らの辞任をもって問題を終結させようとしている。

そもそも報道機関が“誤報”の責任を負うべきなのか。社会に重大な影響力を有する新聞やTVなどのメディアは本来、事実を曲げたり誇張したりせずに国民にありのままを報せる責務を担っているはずである。報道に携わる者は、真実という絶対的な神に仕える敬虔な信者でなければならないとも言えよう。よって“誤報”は神(真実)に背く罪深い過ちだと言えなくもないから、罪悪感を持つのはご当人の勝手である。

しかし真実そのものは神のように不可視である。神の存在がひたすら信じ続けることによって内面的に感得されるものであるのと同様に、“真実”は証拠や状況などから間接的に類推しその本質へと迫ってゆくべきものである。それがジャーナリズムの本道であるべきはずだ。よって敢えて言えば、真実を究めるという誠実さの前において誤報は罪ではない。単に訂正すればよいだけのことである。

民主主義国家の本筋から考えても、市民生活や社会の質に深く関わる役人や政治家の不正について報道機関は、疑うに足るしかるべき理由があれば誤報を恐れず、怯まず積極的に報道するのが本分である。“真摯”に真実を追究することがメディアの仕事であると定義すれば、ある程度の誤報は想定内のこととして社会的に許される範疇に含まれていなければならない。

ところがメディアが何かしら大きな勘違いをしていて、自分たちには神のように真実を作ったり操作できるのだと心のどこかで考えているのだとすれば、その傲慢な思い上がりは万死に値する。もし日本テレビ(あるいは下請けの制作会社)が男の虚偽に騙されていたのではなく、承知していたのだとすれば犯罪の共謀である。社長の辞任と一番組を終了させるだけで済む程度の問題ではない。

ましてや事実の核心を隠蔽しようと画策しているのであれば報道に携わる資格はない。ただちに局として一切の放送業務資格を返上するか、剥奪されるような事態であると言える。