岡田克也氏は日本の国民に 謝罪せよ
さて、ということで、事の発端となった11月7日の衆議院予算委員会における岡田克也氏の高市総理に対する質問、追究の動画をきちんと注意深く見ておらず、単にTVなどのマスコミの論調やネットに書き込まれたコメントに影響されている人も多いと思われるので以下に挙げておく。
https://www.youtube.com/watch?v=t7VtpFz3m-o
約14分ほどの長さの動画である。じっくりと見ていただきたい。それも一度だけでなく何回も繰り返して見る方が良いと思われる。この見るという行為において重要なことは、政治家の言葉というものは、たとえば英会話のレッスンのようにただぼんやりと聞き流しているだけでは、頭の回路がその陳述の全体的な調子やテンポに馴染んでいくということで、自然とその内容を正しいものと信じ、受け入れてしまうことになる。広義の意味においては、それもまた洗脳の一部というか入口である。それゆえに政治家の言葉に騙されないためには、単に聞き流すのではなく、確かに面倒なことではあるが、英文法の学習のように一言、一句を分解して、そこにどのようなつながりや意図があるのかを考察し、咀嚼する必要性があるのである。その差が、大衆という存在が、政治家に操作されるだけの奴隷、家畜となるのか、或いは民主主義の貴重な一主体となり得るかの重要な分岐点であると考えられる。さらに付け加えて言えば、政治家の言葉に、マスコミの解説というものがおまけか何かのセット商品のようについて回る。このマスコミの解説というものがまた非常に厄介な代物であるが、日本人は特に権威に弱い傾向があるので、無条件に受け入れてしまう人があまりにも多い。しかし実際にはマスコミは必ずしも知的レベルが高いわけではなくて、特に今日においては、何かを読み取ったり、伝えたりするところの基本的な言語能力が劣化しているようにも私には感じられる。その要因は、大衆を都合よく誘導したり、操作することばかりが恒常化しているゆえに、そのレベルの言語能力にマスコミ自体が収まってしまっているからのように見える。
ということで件の動画についてこれから述べるが、私は政治家やマスコミのように誰かを誘導したり、操作しようというような考えは毛頭ないが、またそんなことをしたところで個人的には何の得にもならないものであるが、私の指摘を一つの参考にして、政治家やマスコミの説明、誘導、誤魔化しに飲み込まれることなく、真正面から対峙していける人間が一人でも多く増えることを心から願っている。基礎的な思考、言語能力がなければそもそも思想など持ち得ないのであるから。
では本題にということで、先ず考察すべき重要な要点は、岡田克也氏は高市総理に対して、あまりにも「軽々しく」「軽々に」存立危機事態について言及しているのが問題であり、危険だと繰り返し述べ、それに対して高市総理は「最悪の事態に備える」ということの重要性を何度も唱えている。さてこの岡田克也氏の「軽々しく」と高市総理の「最悪の事態に備える」ことのどちらの言い分に分があると思われるであろうか。その言葉の選択がいわゆるリベラルと保守の違いでどちらにも分がないと言われればそれまでだが、私には客観的に今日の日本を取り巻く安全保障上の状況を鑑みた時に、高市総理が「軽々しく」存立危機事態について言及しているようには聞こえてこないのである。最悪の事態に備えることが、何で軽々しいと批判されなければならないのか。最悪は軽々しくはなく、重々しいのではないのか。むしろ岡田克也氏が或いは立憲民主党が日本の最悪の事態を、軽々しいものとして見做しているからそういう発言になるのではないのか、ということである。それでは、踏み込んだ高市総理の問題発言とされる答弁を文字で書き起こして検証することにする。動画の6分40秒辺りから
「例えば台湾を完全に中国北京政府の支配下に置くようなことのためにどういう手段を使うのか。それは単なるシーレーンの封鎖であるかもしれないし、武力行使であるかもしれないし、それから偽情報プロパガンダであるかもしれないし、それはいろんなケースが考えられるとおもいますよ。だけれどもそれがやはり戦艦を使ってですね、そして武力の行使を伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態になり得るケースであると私は考えます。」
先ず一旦ここで区切って検証すると、戦艦を使って、武力の行使を伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態になり得るという発言が、マスコミや一部世論のネット書き込みでは、台湾が武力行使を受けた時点で日本の存立危機事態が成立するとの踏み込んだ問題発言であるとされているが、これは先に私が言った通りに日本語の基本的な読解能力の低さによる誤った解釈だと思われる。存立危機事態になると断定したとすれば、確かにそれは台湾が中国に戦艦を使って武力攻撃された時点で、日本が中国を攻撃することが出来る存立危機事態であるという解釈で、危険で踏み込んだ問題発言になるのかも知れないが、高市総理は「なり得る」と言ったのである。なり得るとは、そうなる可能性があるということで、時間軸で言えばその時点だけでなくそれ以後の未来も含んでいるということである。AIによれば「なり得る」の意味は、「ある状態や結果に変化したり展開したりする可能性を指す」ということである。つまり中国が戦艦を使って台湾を武力攻撃すれば、米軍が出動してくる可能性があるということで、そうなれば必然的に米国と日米安保の軍事同盟を結んでいて、尚且つ敵国条項に規定されている日本が攻撃の対象となる可能性が生じるわけだから間違っていないし、問題発言とは言えないものである。
次にそれに続いて高市総理は
「実際に発生した事態の個別具体的な状況に応じて政府が全ての情報を総合して判断するということでございます。もう実に武力攻撃が発生したら、これは存立危機事態に当たる可能性が高いというものでございます。法律の条文通りであるかと思っております。」
と言ったことに対して、岡田克也氏は
「ちょっと最後の表現よくわからなかったんです。武力行使が発生したら、武力攻撃が発生したら存立危機事態に当たる、どういう意味ですか。武力攻撃が誰に発生することを言っておられるんですか。」
ここで区切って考えることにしよう。オールドメディアのマスコミが問題視している先の「これはどう考えても存立危機事態になり得るケースである」発言よりも、岡田克也氏はこちらの方に反応しているのである。要するに台湾に対して武力攻撃が発生したら、即、存立危機事態になる可能性が高いと考えているのかと問い返しているのである。それに対して高市総理は
「あのー武力攻撃が発生をしてこれにより我が国の存立が脅かされ国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合という、条文通りでございます。」
と答えている。つまりは最初の答弁と同じで、答弁のその文言だけを切り取れば、一歩踏み込んだ危険発言に聞こえるかも知れないが、高市総理は岡田克也氏に聞かれる前に法律の条文通りであると言っていて、聞かれた後にも再度繰り返し、条文通りであると答えているのである。それに前回の記事で私が述べた通りに常識的に考えても、日常的に中国やロシアの領空、領海侵犯の挑発行為を受けていても、何の抗議も手出しも出来ていないのに、自国とは関係のない台湾がある日突如として軍事侵攻されたからと言って、日本が一夜にしてカフカの小説『変身』ではないが、巨大な虫のような軍事国家になることなど、100%あり得ないではないか。政治とは現実の実態に全く即していないものであれば、どのような主張も我々の日常生活に迷い込んできた不快な虫けらほどの意義と価値しか持ち得ないものである。岡田克也氏の主張はどう考えても、日本国家が日本人を守る正当な権利を貶めて、妨害するものでしかあり得ない。そのような政治家や政党のために何で日本人が日々、真面目に働いて収めている税金が費消されなければならないのか。岡田克也氏と立憲民主党こそが反省して全ての日本人に謝罪すべきである。
(吉川 玲)
日本を滅ぼす日本内部の敵
ということで、改めて岡田克也氏が国会で高市総理の存立危機事態に関する発言を問題視し、追究する姿勢が妥当で、適切なものであったのかどうか、本当に高市総理の説明が、一線を越えた「踏み込んだ」もので危険であったのかどうかについて考察したい。先ず多くの人に、一旦、憲法9条や集団的自衛権の定義から離れて、日本の現状を直視し、認識していただきたいと思う。言うまでもないことだが、日本は近隣国の中国やロシアから頻繁に領空、領海侵犯の挑発行為を受けている。立場が反対であれば、撃墜、撃沈されていてもおかしくないような状態が日常化しているものである。日本は中国やロシアが明確に一線を踏み越えるような軍事行為をしてきても全く手出しが出来ていないものである。民主党政権の時に発生した中国漁船が日本の海上保安庁の巡視船に衝突させて拿捕することになった事件においても、日本は中国を刺激させずに穏便にことを収束させようとして、漁船の船長を早期に不起訴処分にして釈放し、帰国させている。誠に嘆かわしいことではあるが、日本は外的な脅威というものに対して一貫して弱腰で事なかれ主義なのである。そのような国が、台湾有事が発生した時に、自国の領土が侵攻された訳でもないのに、一夜にして変身して、勇ましく中国に軍事攻撃を仕掛けるようなことになり得るであろうかということである。どう考えてもあり得ないであろう。0%である。しかし近隣の地域が戦争状態になれば、日本はどのような形で戦争に巻き込まれることになるかもわからない。具体的、個別に日本の対応をシミュレーションとして想定することは不可能であるし、また意味がないと思われるものである。なぜなら日本が仮に独自に有事の軍事マニュアルのようなものを作成したとしても、その時になってみなければ、たとえば米軍の支援要請がどのようなものになるのかとか、アメリカと中国とのその時点における関係性や国連の反応や意向などに大きく影響されることになることは明らかであって、一口に台湾有事と言っても、日本が独自の判断で率先して、間違っても勇猛果敢に軍事攻撃できないであろうということは明白であるはずである。それが果たして正しいのか、間違っているかは別にしてである。しかし一国の安全保障上の危機管理の在り方とすれば、有事への巻き込まれ方によっては、日本の艦船が砲撃を受けたり、沖縄が侵攻されたりする可能性もある訳であるから、高市総理はケースによっては存立危機事態になり得ると答弁しているのであって、曖昧にして日本が武力行使し得る範囲を拡げていると批判する岡田克也氏の指摘は、全く的を射ていないし、転倒しているものである。岡田氏が要求する、日本の軍事攻撃が許容されるケースの「明確化」ということが無理難題なのであって、むしろ反対に明確化すべきではないのである。一旦明確化してしまえば、その時の事態や状況が事前の想定にそぐわないものになっていたとしても、その時の現実に対応できなくなってしまうからである。岡田氏の追及は日本が有事に柔軟に対応できないよう縛りを掛けるための悪質な難癖に過ぎないものである。そもそも憲法や法律というものは一言一句、杓子定規に厳密に運用されているものではない。解釈の余地を残すグレーゾーンというものが存在するのである。車のハンドルと同じで遊びの部分がなければ危険だからだ。グレーゾーンどころか、抵触しているものさえある。たとえば刑法訴訟法第475条においては死刑制度について、死刑が確定したものは法務大臣は確定後6か月以内に刑の執行を命令しなければならないことになっているが、実際にはそうはなっていない。法務省は6か月以内の執行は法的拘束力のない訓示規定だなどと都合よく法律の条文を解釈しているが、訓示と法律が併存していることが矛盾なのである。しかし国会議員の誰一人としてこの矛盾を指摘したり、批判する者はいない。本来であれば、法律を明確化させることが政治家の役割であるならば、法律の条文を変えるか、死刑制度を廃止させるべきである。しかし現状では日本の政治は、法令や運用に関して多く解釈の余地やグレーゾーンというものを意図的に残しているものである。それでは何で憲法9条だけが例外なのかといえば、それは憲法9条の規定は終戦直後にGHQによって押し付けられたものであるからである。他国を日本の軍事進撃から守るものであって、日本を他国から守るためのものではないということである。そういうような80年前の考えが未だに残っていることが大問題なのであるが、今日においてはその憲法を日本に押し付けた米国ではなくて、日本国内の立憲民主党のような政党や朝日新聞などの左派の言論がその時代錯誤の現実にそぐわない、180度転倒した論理で作為的に日本に混乱をもたらし、国難を作り出しているものである。日本の敵は日本の内側に存在しているのである。まずはそこからきちんと排除していかなければ、今後とも同じようなことは延々と繰り返されるのであろう。
(吉川 玲)
中国に汚染された日本の政治
ということで、高市総理の発言に対する中国の過激な反応とそれに伴う混乱は、水面下での立憲民主党との事前の合議によって仕組まれたものである可能性があるということは、前回に述べた通りであるが、そうであったなら、いや仮にそうでなかったとしても、問題は日本の政界内部において、中国の影響力の強さというか、日本の国益を全く度外視して中国のために売国奴的に仕える議員がどれほどの数で蔓延しているか、中国共産党の独裁政治に日本の政治がいかに汚染されているのかについて、国会議員自体がよく把握できていないところにあるのではないかと危惧されてならない。考えて見ればそれも当然のことで、全ての議員は表向きは、親中派であっても媚中であっても、日本の国益を代表して、日本人のための政治活動をしているのだという建前を絶対に崩さないのであって、その裏で実は中国に行ったときの接待でハニートラップに引っ掛かってしまって脅されていますとか、中国の利益に沿うような発言をするために金をもらっていますとか、見返りに中国での事業において便宜を図ってもらっていますなどというようなことは、当たり前のことだが、同じ政党の同じ派閥の近しい人間にも言う訳がないからである。性善説ではないが、全ての議員は日本のために主張し、活動しているのだということが大前提になっていて、また政治家には政治の自由というか、親米であれ、親中であれ、親ロシアであってもその姿勢や理念自体が制限されたり、抑圧されることがない身分であるので、いかに中身がどろどろに腐敗していても表面化しにくいというのか、まあ腐敗臭で大体のところはわかるものだが、政治とはそういうものだと言ってしまえばそれまでのことであるが、しかしそういう政治活動の自由における腐敗、売国が際限なく、行きつくところまで行ってしまえば、本当に日本という国が内側から蒸発するように消滅してしまう危険性というものがあるのであって、まさに今の日本はその際のところにまで差し掛かっているような気がして恐ろしくてならない。2004年に在上海総領事館に勤務する日本の外交官が、中国国内でハニートラップに引っ掛かって自殺する事件があった。私はその事件は氷山の一角であり、それに類するようなことは、もみ消されたり、報道されていないだけで無数にあるのだと考えるものである。我々日本国民や日本の政治が決して無視したり曖昧にしてはならないことは、日本と中国の政治的倫理観というものの絶対的な不均衡と非対称性であると考える。中国国内においては日本の外交官がハニートラップの罠に陥って自殺に追い込まれたり、製薬会社の民間人がスパイ容疑で捕まって、日本政府の釈放要求も受け入れられず、未だに収監されているという事実がある。一方で日本国内においてはスパイ天国であることは昔から言われ続けてきたことであるが、政治が内側から乗っ取られているような有り様で、本当にどこの国の誰のための政治なのかわからない状態が日常化してしまっている。そんな政治のために国民は消費税やら何やら奴隷のように納税させられているのである。こういうことを言ってはいけないのかも知れないが、このような国で不安も憂鬱もなく、人生楽しいですなどと思っている人間は、阿呆というよりも何かが欠落しているのだと思われる。何も私は中国が悪で、日本が善だなどというつもりはない。国家というものはどんな国であっても悪を孕んでいるであろう。しかし共産主義というものは、独裁政治のもとで絶対的な悪になり得るという点において、資本主義、自由主義とは根本的に相容れない体制であることはよく理解すべきである。共産主義の中国と戦略的互恵関係などと都合の良い言葉で飾り立てても、中国は日本や米国のような資本主義と違って、政治と経済が分離しておらず、一体となっているのである。民間が政治を批判したり、距離感を図るということがあり得ない国なのである。政治は政治、経済は経済だから、分けて考えましょうというような論法は通じないのである。それを平和主義の共生思想で通じるかのように考え、日中友好に邁進してきた日本は、お人好しというよりも愚かなのである。その愚かさが、今回の騒動で証明されていることを認めて、日本の国家運営を改めていかなければ日本は本当に生き残っていけないであろう。また中国はそれをつまりは日本の自律的な消滅を目論んでいるものである。アメリカは陰謀国家であるなどと言われるが、確かに私もそうだと思うが、それでもアメリカは4年に一度の大統領選挙でトランプ大統領の出現のように政治の流れが大きく転ずるものである。一方で共産主義の中国は選挙もなければ、民主主義の思想もなければ、人権や人命を尊重する価値観というものも極めて希薄である。というよりも無いに等しい。自国の過ちを認めて反省したり、相手国の都合に合わせて妥協して共存共生を進めるというような精神性も皆無である。自国の論理が全てであり、共産主義の独裁的決定が常に正しいという考えが一貫している国である。そういう国と少女のような夢見心地の日本の理想主義で友好関係を築こうと考えることが土台、間違っているのである。無理にその方向に行くとどうなるかと言えば、朱に交われば赤くなるの例えではないが、日本が中国化していかなければならないということである。共産主義に染まっていかなければならないということである。中国は百年の大計で自然とそうなるように仕向けているのである。その程度のことが見えないような人間は、そもそも政治家になるべきではないと私は思う。ともかくも立憲民主党は危険だ。自民党の親中派議員たちも邪魔だ。日本の存続を望むのであれば、今こそ日本に対処療法的なレッドパージは必要であると私は思う。
(吉川 玲)