読んでみて面白かった本の感想や、自分で創作した物語などを綴っています。また、日記や備忘録も綴ったりしています。
【エブリスタ】作品の掲載ページ
最近は、雨季なのもあってか、じめじめとした日々を過ごしています。貴重な晴れの日には、レースカーテン等など洗いたいなと思ってるのですが、週間天気予報を見る限りでは、まだまだ梅雨明けはしないようなので様子見です。そんな梅雨時期ですが、私は私の歩く速さで、のびのびと執筆を続けています。先月の中旬から下旬ぐらいですが、【エブリスタ】の方で『三分間の掌編集』に一本ですね、新しいお話を追加しました。400字詰の原稿用紙で2枚程ですが、お楽しみ頂ければ嬉しいです。三分間の掌編集/十和田 夜気1話3分程の掌編集です。estar.jpあらすじではないですが、内容としては、月と太陽の触れ合いというか、お互いに交わる術のない関係性を詩的(?)に表現してみようかなと思い、筆を執った感じです。それでは、読んでくれてありがとう。喜びと感謝のうちに。
瞬きを一度か二度している間に、5月のゴールデンウィークが終わっていました。早くも6月が始まります。6月といえば、梅雨の真っ只中で、水気を普段よりも多く含んだ空気が、何とも言い難い感覚で包み込んでいくような、いかないような。最近だと、寒暖差はそこまで酷くないのですが、天候の浮き沈み(良し悪し?)の影響を受けてしまって、これも生まれつきのもので、気圧の変化に大分ですね、その日の体調なりが左右されてしまいます。三度の飯より何とやらという言い回しがあって、それぐらいに本を読むのは好きなのです……が、ここずっと、纏まった時間を作って本を読むということがないですね。全く読まないということはないのですが、それも一日に必ず一度は本に目を通すぐらいです。ただ、忙しなく過ぎていく日常に追いつけ、追い越せということを繰り返していたら、本を読むという行為から遠ざかってしまいました(読めても1日に合計2ページか3ページほど)。今月に入って読破した作品は……多分、1冊か2冊あれば良い方でしょうか。そのぐらいに読めていないですね。気分転換も兼ねて久しぶりに1冊、新しい本を購入しようかなと先日、書店に行ったのですが、ほぼほぼセルフレジに代わっていて、例外を除いては、セルフレジが中心でした。結局、何も購入せずに帰宅したのですが、セルフレジは便利な反面、操作方法も含めてその都度ですね、対応する必要があって、苦手意識があります。でも、レジ対応をする店員さんの大変さも考えると、セルフレジの方が多少なり負担は減りますね。私自身は、セルフレジを使う側なので、少しだけ大変さが増えたかなという感じですが、店員さんの負担が減って他の仕事や業務に時間を使えたり、或いは、心身ともに負荷が軽減していくのなら、セルフレジも良いなと思います。それでは、読んでくれてありがとう。喜びと感謝のうちに。
あれよあれよと、時の流れに任せていたら、更新する機会を逃してしまいました。折角、ブログサービスを使わせて頂いているのに、殆ど更新せずにというのは、やっぱり勿体ないなという思いもあり、一年弱(もしかして、二年近く?)振りに筆を執っています。お久しぶりです。私生活で色々な変化や出来事があり、その処理と心身の対応をしておりました。ここ二年程で大分でしょうか、現在の環境にも慣れ、心に余裕を持つことができるようになりました。調子を崩さないよう、私にとっての歩く速さで進んでいく。その歩幅が小さくとも、一歩一歩が遅くとも、それが自分の速さで、それ以上になってしまうと、負荷がかかってしまう。のんびりと、慌てることも急いてしまうこともなく、私にとって何が必要で、何が不必要かを見極めて、一歩ずつ前へと進めれば良いかなと思います。ただ、生きていく上で不必要なものやことって、実際には無いのかなとも思います。上手く説明できないのですが、とても曖昧な表現ですが、何となく。――近況とか。読書は続いています。本の虫的な感じなので、外出する時は本を一冊忍ばせるぐらいです。読む読まないに関係なく、本を持っているというだけで、安心感が得られるんです。ある意味、お守りですね。本の種類は特に決めず(小説が中心ではあります)、漫画でも、エッセイでも、ライトノベルでもライト文芸でも、絵本でも、何でも良いんです。自分が落ち着ける物を携帯する、それだけ。或いは、お菓子でも良いですね。私の場合だと、本以外には、のど飴や菓子類(個包装のもの)も鞄に入れています。水筒は、600mlと150ml前後のを1本ずつ、その日によって使い分けています。これも必需品ですね。――物作りとか。小さいながら続けています。夜の静寂が好きなのもあって、夜の気配が漂う中で続けていましたが、最近は、疲れが翌日まで残ってしまうのを避けたくて、朝早く起きて、その日の準備を終えてから、ワープロ(ポメラDM200)か、ノートパソコンを使って執筆しています。ここで敢えて、物作りとしたのも、執筆以外に絵の方も趣味で再開したいと思っていて、それも含めたいが為だったり。それでは、まとまりの無い文になってしまいましたが、読んでくれてありがとう。喜びと感謝のうちに。
久しぶりに短編集を書いてみました。習作的な位置づけで書いてみたもので、幾つかのテーマというか、キーワードを含めています。その予め決めておいたキーワード(単語とか、それに関連した言葉など)を使って、赴くままに書き連ねていくような、そんな感じですね。 ―『犬の航海』― 一匹の犬が四つの角を持つ海を、一隻の船を頼りに前へ前へと進んでおりました。波の揺れに呼応して犬の尾も左右に揺れており、その時々の息遣いが、はっきりと聞こえてくるかのようでした……。/【エブリスタ】掲載ページより実験的で習作的な短編集/十和田 夜気実験と習作とを兼ねた、短編集をご覧ください。estar.jp
お久しぶりです。何も更新することなく、記事を書くこともなく、ただ時間の流れゆくままに過ごしていました。文章そのものには、あれからも触れ続け、時間を見つけては本を読み、何か思い浮かんだりすると、それを言葉としてメモ帳やテキストエディタを中心に書き連ねていました。ただ、そこから先に中々……こう、上手く進められなくて。ここ最近は、時間配分も少しずつではありますが把握できたり、コントロールできたりで、その時間の使い方に心身もついていけるようにもなりました。そうして、ここから本題に入ります。体調不良や、精神的な落ち込みなどでは、決してないです! 忙しさに身を任せるあまり、ブログのことを脇へと置いてしまっていました。折角のブログなのに、何も更新せずに2ヶ月以上も経過して……。という訳ではないのですが、これからも不定期になります。普段の何気ないことを書くこともあります。他愛無いことを書くかも知れません。でも、それでも良いという思いもあり、慌てることなく、自分で自分を急かすこともなく。今年も新型コロナのことで、まだまだ油断も予断も許さない状況ですが、それであっても、今日という限りある一日を大切にして、それが明日も続いていけるように、小さな、とても小さな灯火ですが感謝を込めて、そう願いたいです。それでは、読んでくれてありがとう。喜びと感謝のうちに。
こんにちは、こんばんは。そして、お久しぶりです。先回の更新から、日にちが開いてしまいました。私の思いとは裏腹に不定期な更新となりつつあり、うーん……これでは駄目だなぁと思いながら、今日になってしまいました。……っと、短編の更新です。物語の長さとしては、短編ではなく掌編の部類になってしまうのですが、400字詰めの原稿用紙で5枚~10枚前後は、短編として分けています。時間としては、5分か10分ほどで読めるかなぁと思います。ほんの少しのお暇に、ふと読んでいただければと思います。 ―『空蝉の彼方』― 古びた家の縁側。家族で暮らした思い出深き住処。けれど、今は一人の老人を残して、ひっそりと佇むだけ。思い描いていたものと大きく違ってはいても、決して不幸だったと言えない思いの欠片が、そこかしこに刻まれている。終の住処として、或いは、歩みを止める為に。独り身となった老人が、遠い彼方にしか見ることの叶わない、今は亡き二人の子を、ただひたすらに見つめている。一人の老人が最期に見た景色は、その光景は、輝きや愛おしさに満ち溢れたものだったのだろうか。/【エブリスタ】掲載ページより空蝉の彼方/十和田 夜気幸多き人生だったと言えないまでも、最期に見えたものは、求めていた光景。そんな、年老いた一人の物語です。estar.jp
んー……、今は冬のはず。という風に少しだけ思ってしまう、そんなこの頃です。今週は、寒い日もありましたが、それ以上に暖かい日が多かったように感じます。一応、気管支を冷やさないように努めながら、無理が祟らないように過ごしているのですが……。ところで、最近なのですが、ふと思い出したことがあります。自然界の野鳥というか、よく町中で見かける野鳥なのですが、特にハト(種類的には、詳しく分からないのですが)の場合、気づくと近くにいるというようなことがありますよね?例えば、自分に何らかの意図がなくとも、一定の距離を保ちつつも様子を伺いながら、ハトの方から寄ってくるというか。だからと言って、自分から近づこうとしても、今度はハトの方から離れていって、やっぱり警戒をしているのでしょうね。ただ、去年から今年にかけては、いつもと違って状況も様変わりしていますから、必要以上に外出することもないですので、あまりハトに出くわすこともなく。けれど、寒い時期のハトの集団を見つけると、何だか微笑ましくなるというか、勿論、私自身も寒さに凍えるのですが、それ以上にハトたちが丸くなっているような姿を見ると、可愛らしく思いますね。これは、ハト以外にも言えるのですが、渡り鳥のツバメ(越冬ツバメなど)も可愛いんですよね。滅多に人に近づくことがないツバメですが、昔から庭先や軒先にツバメが巣を作ると、幸福が訪れる……ということも聞いたことがあります。私の場合、ツバメが巣を作ってくれたことは一度としてないのですが、以前にツバメに衝突しかけたことはあります。多分、巣を守る為の行動だったのでしょう。何気なく歩いていたら、ツバメが何を思ったのか、衝突する寸前まで迫ってきたこともあり。流石に、あれには驚いてしまうというか、本当にぶつかったらどうしようと、怖かったです。でも、これは衝突しかけたというよりも、ぶつかりそうになったと言った方が適切かも知れません。或いは、ツバメが虫を捕えようとしていたところへ、偶然にも私が通りかかっただけなのかも知れません。けど、どちらにしても、本気で怖かったです。と、そんなことを最近ですね、思い出したというお話でした。それでは、読んでくれてありがとう。喜びと感謝のうちに。
朝に更新しようかなと思っていましたが、結局、夕方になってしまいました。久しく読書ノートとしての記事も書いていないのですが、あれからも読書そのものは続いていて、読む速さは遅いのですが、それでも、読む度に無限にも広がる物語の世界、その一部になれる感じがして、やっぱり楽しいですし、面白いですね。さて、そんな中で今日は、寒いことは寒いのですが、前日よりも多少なり暖かい日でした。お陰で(?)というか、過ごし易い一日だったかなとは思います。ただ、その分だけ微かな暖かさで、少しだけ眠気が生じてしまい易いようにも。と言っても、流石に睡魔に見舞われて、そのまま眠りに就くということはありませんでしたが、久しぶりの温暖さに、いつもであれば凍えてしまって、手足のみならず、体の芯から冷え込んでしまうところ、今日は気管支も含めて楽でした。気象予報というのでしょうか、一部地域では積雪もあるらしいのですが、2日か3日ほどは、そこまで寒くなるようなことはなさそうです。流石に朝方は気温が低く、1度や2度という日もありますが、昼間の時間帯は、そこまでの寒さではなさそうなので、かなり気が早いのですが、何だか春の気配を感じるような気分です。ただ、寒の戻りもありますから、油断はできないですね……。けれど、ここ最近は気持ち的にも落ち着いているというか、感覚過敏(HSPに代表されるような過敏な気質)も、決して改善することはないのですが、去年の今頃と比べると、今年は、意外と安定して過ごせる日であったり、落ち着いていられる時間が多いように思います。……と、今回は備忘録ではなく、雑記的な内容でした。それでは、読んでくれてありがとう。喜びと感謝のうちに。
久しぶりに朝の更新です。最近は、夕方以降に更新することが多かったのですが、今日は、朝から更新してみようかなと思い、言葉を綴っています。本当は、手足が冷たく、特に指先が中々思うように動かせず、温めることも兼ねていたりします。今日は、朝から凄く寒いですね。夜も就寝前から冷え込んできた感じがあって、気象情報を見てみると、何だか日本海側のみならず、太平洋側の方でも積雪の可能性があるとのことなので、暫くは全国的にも冷え込むのかな……と、防寒対策を徹底しないといけませんね。さて、今日から5日間と短い期間ではありますが、1日に1ページずつ童話『セミの王国と彼岸のスズムシ』を更新していきます。毎朝の8時頃を目安に、500字~600字ほどの文章量で更新します。去年の内に完結に進めることができればと思っていたのですが、多分というか私自身も目には見えない形で疲れが溜まっていたのだと思います。でも、それは私だけではないですし、皆がみな、それぞれで出来得る努力をしてもいる。私も多くの人たちを見習い、一つずつ成長していければと思います。それでは、読んでくれてありがとう。喜びと感謝のうちに。以下のものは、今日から5日間だけ更新する童話と、もう一つの方は、完結している童話です。お楽しみ頂ければと思います。セミの王国と彼岸のスズムシ/十和田 夜気セミとスズムシとの、ひと夏の思い出です。estar.jpこちらが完結している童話です。ウサギさんと月見草の道しるべ/十和田 夜気夜、お母さんと喧嘩してお家を飛び出して、そのまま帰れなくなった女の子に、ウサギたちが織り成す小さな奇跡のお話です。estar.jp
既に新年を迎えて久しいのですが、去年の8月頃から休載状態となっていました、童話『セミの王国と彼岸のスズムシ』について、明日から5日間という短期間となりますが、1日に1ページだけ更新していきたいと思います。去年は、色々な声が各地で上がり、それに合わせ様々な色へと染まったりもしました。私自身も不安という重みに耐えられそうにないこともあり、折角の童話作品も休載状態にして、お休みを頂いていました。けれど、それは私だけではないんですよね。皆が大変な思いをしていて、それでも懸命に、今日というこの瞬間を乗り切ろうと頑張っている。だからという訳ではないのですが、私もまだ頑張れる。この目で見て、この手で触れて、この肌で感じ取る世界。それを自分の言葉で表現できれば、とても嬉しいですね。それでは、読んでくれてありがとう。喜びと感謝のうちに。セミの王国と彼岸のスズムシ/十和田 夜気セミとスズムシとの、ひと夏の思い出です。estar.jp
つい最近も、ニュース番組などで知ったのですが、今年も去年と同じぐらいに不穏な空気感というか、何だか暗く感じてしまう流れになりつつありますね。きっと、それは多くの人たちが思っていたり、感じていたりしていて、私自身も暗く、淀んだ気持ちになってしまうことも多々あります。少しずつでも前向きに捉えられるように、決して後ろ向きに考え込んだりするのではなく、ほんの僅かでも、それが限りなく小さなものでも、穏やかな心持であったり、気持ちであったり、そういった風になれるようにしていきたいなと思っているのですが……現実は、中々に難しいですね。……っと、そんな中、嬉しい報告というか、喜ばしい出来事というか、本当に些細なことではあるのですが、そんなことがありました。いつもと変わらない風景、見慣れた景色、ここ数日は強風や雪に見舞われることもあって、空模様も灰色染みたもののように見えていました。けれど、束の間の休息とも言うべきものが、空一面に広がっていたのです。と言うよりも、空気が澄んでいて、とても綺麗だったのでしょう。遠くまで見渡せるほどの美しい空、淀みを感じさせない優雅さが広がっていたんです。現実は、自然が減っていく一方で、それに比例するように無機質な建造物が建ち並んでいって、自然本来の「色」が失われたり、大変に貴重なものになっていくことの多い毎日なのですが、先日にも書いた「遠い彼方」というものが、まるで目の前に映し出されているかのように感じたのです。写真で撮ることができたのなら、きっと想い出を後世にまで残せたのと思うのですが(勿論、想い出に触れることができたりも)、残念なことに私は、カメラの使い方が極端に苦手で、技術不足なのもそうなのですが、手持ちのカメラ(コンデジとも言われる、コンパクトなデジカメ)では、望遠距離に限界があって、パノラマ撮影にも難ありなのです。でも、その代わりと言うか、何らかの形に残せない口惜しさを、この目で見て、耳で聴いて、肌で感じたものを、一つの形として記憶に刻んでいます。……けれど、やっぱり、写真撮影の技術が、特にデジカメを(或いは、ずっと昔に特番で観たことのある、インスタントカメラを主力に使っている写真家みたく)多少は使えるようになると、表現の幅にも広がりが持てるようになると思うんですよね。と、そんなことを思ったりしていた、ここ数日の日常でした。それから、そう、もう一つ、人通りの少ない時間帯に外を歩いていたら、突然ですね、ハクセキレイ(スズメぐらいの小さな鳥でした)が道端に降り立って、きょろきょろと周囲を観察してから、また飛びだっていく姿が、何だか微笑ましいというか、見入ってしまったというか。私は、去年に続いて今年も何かと不安感を払拭できず、少し息の詰まる思いもしたりしますが、そのハクセキレイは、野鳥でありながらも、決して弱いところを見せず逞しく、それでいて強く生きているんだなと、何だか勇気づけられることが何度かあります。ああ、やっぱり自然の持つ営みや、自然界に生きる命の姿というものは、理屈抜きで良いものですね。では、今日も読んでくれてありがとう。喜びと感謝のうちに。
最近、ノートパソコンに標準で搭載されているタッチパッドが芳しくありません。マウス操作で行えば、特には困ることもないのですが……ただ、マウスだと肩凝りというか、腱鞘炎というか、手首が痛くなり易いんですよね。そこで、最近は、外付けのタッチパッドを使っています。と言うのも、マウスがすぐに故障してしまうというか、ホイール部分が外れるというか、頻繁に使うことを考えると半年使えれば良い方なんですよね。あとは、タッチパッドでの操作に慣れてしまったこともあります。私の場合、元々が文章の作成や編集、インターネット閲覧ができれば十分な感じで、高性能なノートパソコンよりは、低性能(スペックや容量的にも少なめのもの)でも不自由がないんです。例えば、画像編集は、縮小や拡大程度しか行いませんし、文章作成に至っては、テキストエディタさえあれば、事足りると言いますか。それでもワードやエクセルの互換性ソフトだけは入れてあります。一応、ノートパソコンにプリインストールされているオフィス系ソフト(以前は、オープンソースのものを使っていました)なのですが、小説の執筆には、テキストオンリーなので、体裁を整えたり、誤字脱字を確認する以外には、基本的に使うこともなく。勿論、全く使わないという訳ではないのですが……。例えば、エクセルやワードで使えるテンプレート(書式や設定など)は、互換ソフトでも便利ですし。ただ、スペック的にどうしても不足してしまう部分があって、特に処理能力については、多少の不便さがあります。マウスカーソルが読み込みの影響を受けて、動きが鈍くなったり、ウェブページをスクロールする時に思うようにできなかったり。という訳で年末年始は、外付けタッチパッドの扱いに慣れようと、ずっと連日のように使っていたという、そんなお話でした。ノートパソコンに搭載されているタッチパッドよりも、外付けの方が使い易いという、一つの発見や気づきもありました。……っと、何だか記事内容に統一感がなくなってしまいましたね。それでは、今日も読んでくれてありがとう。喜びと感謝のうちに。
年末年始と雪が降ったり、風が吹き荒んだり、喉も気管支も弱い私としては、そこそこ厳しい日々でした。けれど、気分的には落ち込むことが一切なく、寧ろ、例に漏れず自粛生活みたいな感じでしたので、ぼーっと過ごすことが多かったですね。という訳で、明けましておめでとうございます。令和2年は、色々と殺伐としたものでしたが、令和3年は、去年よりも穏やかなものになって欲しいなと思います。個人的には、気負い過ぎることなく、健康を第一にして歩んでいきたいですね。そんな中、遠い彼方……今となっては、空想上の世界であったり、想像上のものでしかないのかも知れません。失われつつある自然や野生に生きる動物たちの営み。四季折々の美しさだけでなく、人と動物とが上手く共存と共生ができる、そんな世界。勿論、そこに幼い頃から抱くイメージや世界観を加味するなら、非物質的な存在が生き生きとしているような、ある種の幻想的な世界ですね。それで、この幻想的というのは、今では、有名な映画の一つである『ロード・オブ・ザ・リング』であったり、『ハリーポッター』シリーズであったり、言い換えるのなら、コインの裏表みたく、常に存在しているけれど、決して触れることも見ることも叶わないような。ただ、現実的であれば、先日にも書いたのですが、広大な空を見ていると、晴れやかな気持ちになれると言いますか、そこに自由を感じるのです。例えば、風を切る感覚であれば、自転車に乗っている時の感覚に近いです。今は、自転車が手元にないので、もう何年も乗ることもなく……。それに、今は自転車も自動車と同様に保険に入ることが義務付け(?)になっているとも聞きますし。なので、以前のように自転車を持つということが中々にできないんですよね。ただ、どちらにしても、私は、風を切る感覚が好きで、自然(この場合は、風ですね)と一体になっているのに近いのもあります。これは、自然に溢れた場所に行く時にも感じますね。海辺を歩く時は、寄せては返す波や潮騒、山道を歩けば、生い茂る木々や草花、それら自然の持つ強さや厳しさ、時折見せる優しさなど。原風景という言葉がありますが、今となっては珍しいと言いますか、都会化が進めば進むほどに自然も失われていく流れにもなっていますので、少しだけ淋しさがあります。……と、そんなことを年始早々に思い巡らせていました。では、今年もよろしくお願いします。今日も読んでくれてありがとう。喜びと感謝のうちに。
お久しぶりです。長らく、というよりも、一ヶ月近くも更新できませんでした。寒さに参っていたのもありますが、単純に意識が別の方向へと飛んでいました。そして、気づくと十二月になっていて、あっという間に年末へと進んでいたというか……。いや、駄目ですね。折角のブログなのに、更新しないまま放置しているというのは、何だか勿体無いというか(【エブリスタ】の方でも更新が滞っているのですが)、探してみると普段の気づきや面白そうな話題、興味や関心事など、いくつもあるんですよね。それで、その一つという訳ではないのですが、今年は今まで以上に見慣れた景色や街並み、行き交う人の波など、いつもとは違う視点で見ることが多かったかなという印象です。いつもなら、人の波に飲み込まれ、軽く酔うこともありましたが、今年は、自粛や予防などもあって穏やかでした。そのこともあって、街並みや少ない人の流れを、落ち着いて見ることができました。それ以上に一番の発見は、やっぱり空ですね。そうです、空です。とても綺麗に空が見えたというか、刻一刻と表情を変える空に、その時々の心情が映し出されているような、この季節特有の色合いもあって、幻想的でもありました。例えば、紅く燃える空を背景に数羽の鳥が山へと帰って行く姿、これは感動さえ覚えるほです。これからは寒さもより厳しいものになっていき、雪が降ろうものなら、肌身が凍ってしまうのではないかと思えるぐらいです。ですが、どこまでも広がっている空を見ていると、根拠はないのですが、不思議と落ち着いている自分がいるんです。今年は、色々と不安感が募ったり、場合によっては恐怖感でさえ抱くこともありました。けれど、空を眺めていると、「あ、大丈夫かも」と訳もなく思うんです。確かに、相応の疲れはありますし、先の見えない不安や暗雲とした道に、憂うつな気分に陥ることも多々あります。けど、そこで立ち止まれる自分がいるんですよね。これが少しだけ身についた強さなのかは分かりません。ただ、ずっと先にまで続いている空を眺めていると、大丈夫かもという思いの他に、「うん、いいかな」という思いもあって。多分、きっと、空に色々な感情を投影することで、一つの踏ん切りというか、心が晴れやかになってくるのでしょうね。っと、久しぶりの更新でした。ぼんやりとして、凄く曖昧な内容になってしまいました。それでは、読んでくれてありがとう。喜びと感謝のうちに。
即興小説として、ぱっと浮かんだ物語でしたが、ふと『3分間な掌編集』の一つに含めようかなと思い、小説投稿サイト【エブリスタ】の方に投稿させて頂きました。短めですが、あらすじ……と言うよりかは、簡単な紹介文になってしまいますが、お楽しみ頂ければと思います。 ―『廻る人形』― 音に合わせて人形は廻っています。世界は、その度に揺れ、何だか日常も廻りゆくようでした。そんな人形は、少女の思いに応えるように、台座の上で音に合わせて踊るのです。けれど、一つの願いを誰にも気づかれることなく、秘めてもいるのでした。その願い事とは、果たして……。/【エブリスタ】掲載ページより3分間な掌編集/十和田 夜気1話3分ぐらいで読めそうな、400字~1000字ほどの掌編集です。estar.jp
とある小さな星には、かつて「女神」と呼ばれ、崇められていた人がおりました。けれども、その女神は、今となっては、ただ語り継がれているだけの、真に小さな存在でしかありません。誰も信じてはいないのです。あくまでも、そう、言い伝えの域を出ないのですから。 それは何故かと言えば、誰一人として見た者がいないからに他なりませんが、それ以上に、生き証人とも言われる人たちは、私たちが平和に生きていられる今の世よりも、もっともっと、それこそ、遥かな昔まで遡るのですから、今の世でそれを証することのできる人がいないのです。人の世に生きる命というものは、本当に儚いものなのです。 さてさて、ことの始まりは、語呂の良いところで、千年もの時を遡りましょうか。その時代、十二単に身を包んだお美しい女性や、蹴鞠(けまり)に興じている貴公子たちが、それはもう、優雅なひと時を過ごしておりました。 と、そんな折です。ひと際目立つ容姿と佇まいをしていました女の人が、広くて豪華な屋敷から、淋しそうに、哀しそうに、何とも言えない憂いに満ちた眼差しを空に向けていらしたのです。名前は何と言いましたでしょうか、それを思い出そうとすること自体が、ひどく罰当たりな行為に思えてなりません。それほどに、美しいお方だったのです。一つや二つの言葉では、語りつくせないほどにです。 しかしながら、それを差し引いても大変に輝いて見えた女の人が空の果てを見つめ、何度も何度も深く息を吐いていたのですから、気が気ではないのが殿方たちでした。この女の人は、何を空に見ていたのでしょうか。或いは、もっと向こうの、雲を抜けた先を見ていたのでしょうか。もしも――もしも、空などではなく、その果てを見つめていたのだとしたら、とても大切なものが、そこにあるのかも知れません。 例えて言えば、遠巻きに女の人を眺めている殿方たちが、先んずれば人を制すとでも言わんばかりに、何とかして手に入れたいと強く願うように、その女の人も願っているのです。空よりも遠く、決して手の届かぬ場所に位置し、時の流れゆくままに、生きる全てのものたちを余すことなく見下ろしている、あの星々のように。 そうです。女の人は、その星々こそが帰るべき場所だと悟っていたのでした。何を隠しましょう、憂いに満ちた眼差しを向ける女の人こそが、他でもない女神様だったのです。 女の人――女神様は、更に遡ること何年も何百年も、それこそ何千年も昔から、幾度の争いのみならず、為す術なく朽ちてゆくしかない生命の営みを見続けてまいりました。その度に、「ああ、何と哀しきこと。ああ、何て冷たきこと」と、涙を流しては、とても哀しんでおられました。 大人になる前に天に召されたもの、謂れのないことで聖なる炎により焼かれたもの、また、私欲の限りを尽くし民からの信頼を失ってしまわれたもの、道半ばにして終えることを余儀なくされたもの。実に多くの不幸を目の当たりにしてきたのです。 ですが、その一方で、これまた多くの幸福も見てきたのも本当のことでした。吹き荒ぶ嵐の中にあっても、命を育み、次の世代へと想いを繋げていく奇跡も、暗く淀んだ雲や霧が辺り一面を包み込んでも、決して望みを捨てることなく歩んでいく姿も。そして、それぞれが胸に希望の灯火を宿していたことも、よく知っているのです。 ああ、それも全ては夢か幻の類か、もしくは、おとぎ話の一つでしかないのが実に惜しいですね――いいえ、ここだけのお話ですが、女神様は、今の世でも見ることが叶うのです。ほらほら、夜空を見上げてごらんなさい。そこに浮かんでいる星々の中から、どれでも構わないのです、一つだけじっと、目を凝らして見てみるのです。 勿論、そのままでは、夜空に浮かぶ星の一つでしかありませんが、そのどれかの星に女神様の故郷であり、いつかは帰らなければならない、終の星があるのです。手を伸ばすと、自然と星を掴んでしまえそうですが、現実にそれは叶いませんから、女神様は、時が訪れるのを待っているのです。そっと、優しく、私たちを見ているのです。 さあさあ、今宵は、どんな夜空でしょうか。星々は見えますでしょうか。今は、どのような世の中でしょうか。女神様が人の世から星々を見つめていたのは、遥かに昔のことです。今は、そうですね、沢山の星々の一つから、やはり同じように憂いに満ちた眼差しを向けておられることでしょう。そして、こんな言葉を紡いでいられることでしょう。「彼の美しき水の国、彼の心地良い風の国、今はいずこか。ああ、それも――今の世が望んだことなのですね」 星々の一つに加わった女神様は、決して人の手の届かぬところにおられますが、絶えることのない悠久の時の中で人の世を恋しく思いながら、これから先も、その輝きが消えてしまうまで想い続けていくのです。〈了〉実験的で習作的な短編集/十和田 夜気実験と習作とを兼ねた、短編集をご覧ください。estar.jp
こんばんは。少しずつ更新頻度を維持できれば良いなと思いながら、今回の記事を書いています。今週は、何だか季節感が私の中で変わりつつあるような、上手く説明のできない不思議な感じを受けています。というのも、今週って、確か暦の上では冬になっているのですが、実際のとは小さくも大きな開き(隔たり?)があって、夏日なのでは……と、そう思う日も少なくありません。季節の変わり目と言ってしまえば、その通りではあるのですが、何だろ、半袖姿の人を見たかと思えば、厚着をしている人も見かけたりもして。そんな私はと言えば、暑がりで冷え性な、冷え性で暑がりな、どっちつかずな微妙な立ち位置にいます。寒いと思い厚着をすれば、瞬く間に熱がこもってしまい、汗ばんでしまうんですよね。逆に暑いからと薄着になると、今度は足先も指先も冷えたりして、一年を通して体調管理(もしくは、体温管理?)が難しいです。ただ、やっぱり今週は、例年と比べて暑いのでしょうね。11月も下旬に差し迫っていても、マフラー姿は殆ど見かけませんし、これといった秋物だったり、冬物だったり、そういった装いも変化が見られません。けれど、季節の変わり目は体調を崩し易いですから、特に今年は新型コロナの予防をしながら、同時にインフルエンザの予防もしなくてはなりません。かと言って、アルコール消毒も無限にある訳でも、できる訳でもなく、マスクにしても、常に余裕がある訳でもないですし。一応、家族で使う分、特に外出する際には、どうしても着用しなければならないので、何とかなってはいるのですが……。でも、本当に、少しでも早く安心して日常を送れる日が訪れると嬉しいですね。そんな中で以前、友人とメールを通して話題になったのですが、「足るを知る」という昔ながらの考えや言葉を、今年の非常事態で改めて深く噛みしめてもいます。焦らず、慌てず、今の自分や、自分たちにできることを、ただ続けていく。現実として中々難しい面はありますが、それでも、諦めることなく、例え後ろ向きになっても、足だけは前へ踏み出していけるように。……と、秋の到来を感じることのないままに、あっという間に冬になってしまった中での更新でした。それでは、今日も読んでくれてありがとう。喜びと感謝のうちに。
こんばんは、既に夜の10時を過ぎていますが、少しだけ事情があって、まだ起きています。今回の記事のタイトルにも、その事情が含まれていたりします。そうです。今、歌番組を観ています。というか、基本的に夜はパソコンやタブレット、テレビなども観ない方なのですが(ラジオは好きで、結構な頻度で聴いていますが)、今日は、何を隠しましょう、歌番組が特番で放送されていて、それを観ているのです!昔懐かしい歌で、特にレベッカの『フレンズ』や、聞き覚えのある歌を中心に。私自身、その時代に産声を上げていないのもありますが、幼い頃から昔の歌を聴いて育っていたこともあり、流行りの歌の他にも知っているのがあります。例えば……私が生まれる前の歌で、大橋純子さんの『シルエット・ロマンス』もそうです。その時代、私は生まれていませんので、その時代の流行歌も知らないのですが、やはり、これも家族(主に父方)が掃除の合間によくカセットテープで流してもいたので(確かですが)、何となく耳に残っているんです。ただ、最近の流行りの歌には疎く、そこに関心というか興味が湧かないと、すぐに忘れてしまうというか……。いえ、それでも何度か聴いていると、音を憶えるみたいに、その曲調(リズムとか、歌詞の一部とか)を憶えられるんですけど、残念なことに絶対音感はなく、音符も読めずな私なので、本当に感覚的(聴覚的に?)に記憶しているという感じですね。そんな中、今年も年末……まで、まだまだ先は長いのですが、この時期から歌番組が増えてくるんですよね。歌謡曲から演歌、ポップス、ロック等など、個人的には知っている歌や、歌詞が綺麗というか美しいもの、情緒的なもの、文学的なもの、そこに歌声や音が組み合わさって、想像するだけで素晴らしいなって思います。と言いつつ、最近は、よくYouTubeでボカロを用いた作品を観たり、聴いたりもしています。最近ですと、美麗なイラストに一瞬にして引き込まれた動画で、波羅ノ鬼さんの歌や、世界観が良いなって思えるEveの作品などもあります。んー……文章を書いていて、ふと気づいたのですが、というか音楽番組をずっと聴きながら過ごしていたら、あっという間に夜の11時になろうとしていますね。あまり夜更かしをすると、翌日に疲れが残りますし、寝不足は体にも影響が出ますから、この辺りで。今日も読んでくれてありがとう。喜びと感謝のうちに。
時間帯としては、こんばんは、ですね。季節は、やっと秋らしくなり、紅葉の色合いが穏やかなひと時を与えてくれます。ただ、それは同時に冬の到来も意味していて、今年も暦の上では冬になっています(うろ覚えですが……)。けれど、紅葉の色合いも、秋らしい風景も、今年は何となく儚げなのが強く印象に残ったような気がしています。今年は、色々なものが様変わりして、それまでの常識も価値観も、物の見方も、全てが一変しました。些細なことでも大変な負担になってしまったり、大きなストレスに発展してしまったり、思うようには前に進めなかったり。本当に沢山の変更を余儀なくされてしまい、いつもであれば落ち着いていられるところ、冷静さを欠いてしまうこともあり。大なり小なり、今年は多くの人の心に何らかの爪痕を残し、きっと、今を生きる人たちは、これから先も言葉では言い表すことのできない気持ちを抱えて、歩んでいく。それは、私自身も例外ではないんですよね。ふと空を見上げると、大きく変わってしまった世界でも、いつも通りに透き通った空が広がっていて、私にとってもこの11月は……いえ、秋冬という季節は、丁度ですね、病を患って日が浅い頃だったんです。ドクターストップだけでなく、瞳に映る全ての景色が、まるで色を失ったように見えていたんです。灰色……なのかな。或いは、セピア色というのかな。大きく分厚い雲が空に広がっていて、それが私の心の中を映し出しているみたいにも見えてしまって、ひどく辛かったことは、未だに忘れることなく憶えています。……っと、暗いお話だけで記事を書き終わるのは、私もあまり好きな方ではないですので、記事の終わりに少しだけ最近のことを綴ります。最近というか、夕方近くに知ったことなんですけどね。小説投稿サイトの「エブリスタ」に載せた童話が、日間で100位以内にランクインしていたんです。初め、ログインしてから通知があったことを知り、そこで100位以内に入ったと知って、そこで確認した時点では75位になっていて……。童話そのものも、ウサギたちが織り成す小さな奇跡でしたので、今回のも私の中では、小さな幸せであったり、小さな奇跡だったりしています。それでは、今日も読んでくれてありがとう。喜びと感謝のうちに。
お久しぶりです。というか、かなりご無沙汰しておりました。いよいよ、大相撲の11月場所が始まって、照ノ富士の復活にも勇気づけられているこの頃です。ただ、白鵬と鶴竜が休場で、来年の初場所で進退がかかっているとも聞き、どうなるのでしょうか。さて、ここ最近……というよりも、更新できない日が1日、2日、3日と続き、そのまま11月になってしまいました。それで、ですね。短めの童話なのですが、元々の原稿と題名とで、改稿と改題をした上で公開することにしました。 ―『ウサギさんと月見草の道しるべ』― 秋の名月に月の裏側からやってきたウサギたちが、神社で月見団子を食べながら、お祭りを楽しんでおりました。そこで、一人の女の子が泣きながらやってきます。夜にお母さんと喧嘩して、家を飛び出したのは良いけれど、怖くなって一人で帰れなくなってしまったらしいのです。最初は困っていたウサギたちも、茶色い毛並みの長老様の一声で、どうにか無事に帰らせてあげたいと思うのでした。――/【エブリスタ】掲載ページよりウサギさんと月見草の道しるべestar.jp