とある小さな星には、かつて「女神」と呼ばれ、崇められていた人がおりました。けれども、その女神は、今となっては、ただ語り継がれているだけの、真に小さな存在でしかありません。誰も信じてはいないのです。あくまでも、そう、言い伝えの域を出ないのですから。

 それは何故かと言えば、誰一人として見た者がいないからに他なりませんが、それ以上に、生き証人とも言われる人たちは、私たちが平和に生きていられる今の世よりも、もっともっと、それこそ、遥かな昔まで遡るのですから、今の世でそれを証することのできる人がいないのです。人の世に生きる命というものは、本当に儚いものなのです。

 さてさて、ことの始まりは、語呂の良いところで、千年もの時を遡りましょうか。その時代、十二単に身を包んだお美しい女性や、蹴鞠(けまり)に興じている貴公子たちが、それはもう、優雅なひと時を過ごしておりました。

 と、そんな折です。ひと際目立つ容姿と佇まいをしていました女の人が、広くて豪華な屋敷から、淋しそうに、哀しそうに、何とも言えない憂いに満ちた眼差しを空に向けていらしたのです。名前は何と言いましたでしょうか、それを思い出そうとすること自体が、ひどく罰当たりな行為に思えてなりません。それほどに、美しいお方だったのです。一つや二つの言葉では、語りつくせないほどにです。

 しかしながら、それを差し引いても大変に輝いて見えた女の人が空の果てを見つめ、何度も何度も深く息を吐いていたのですから、気が気ではないのが殿方たちでした。この女の人は、何を空に見ていたのでしょうか。或いは、もっと向こうの、雲を抜けた先を見ていたのでしょうか。もしも――もしも、空などではなく、その果てを見つめていたのだとしたら、とても大切なものが、そこにあるのかも知れません。

 例えて言えば、遠巻きに女の人を眺めている殿方たちが、先んずれば人を制すとでも言わんばかりに、何とかして手に入れたいと強く願うように、その女の人も願っているのです。空よりも遠く、決して手の届かぬ場所に位置し、時の流れゆくままに、生きる全てのものたちを余すことなく見下ろしている、あの星々のように。

 そうです。女の人は、その星々こそが帰るべき場所だと悟っていたのでした。何を隠しましょう、憂いに満ちた眼差しを向ける女の人こそが、他でもない女神様だったのです。

 女の人――女神様は、更に遡ること何年も何百年も、それこそ何千年も昔から、幾度の争いのみならず、為す術なく朽ちてゆくしかない生命の営みを見続けてまいりました。その度に、「ああ、何と哀しきこと。ああ、何て冷たきこと」と、涙を流しては、とても哀しんでおられました。

 大人になる前に天に召されたもの、謂れのないことで聖なる炎により焼かれたもの、また、私欲の限りを尽くし民からの信頼を失ってしまわれたもの、道半ばにして終えることを余儀なくされたもの。実に多くの不幸を目の当たりにしてきたのです。

 ですが、その一方で、これまた多くの幸福も見てきたのも本当のことでした。吹き荒ぶ嵐の中にあっても、命を育み、次の世代へと想いを繋げていく奇跡も、暗く淀んだ雲や霧が辺り一面を包み込んでも、決して望みを捨てることなく歩んでいく姿も。そして、それぞれが胸に希望の灯火を宿していたことも、よく知っているのです。

 ああ、それも全ては夢か幻の類か、もしくは、おとぎ話の一つでしかないのが実に惜しいですね――いいえ、ここだけのお話ですが、女神様は、今の世でも見ることが叶うのです。ほらほら、夜空を見上げてごらんなさい。そこに浮かんでいる星々の中から、どれでも構わないのです、一つだけじっと、目を凝らして見てみるのです。

 勿論、そのままでは、夜空に浮かぶ星の一つでしかありませんが、そのどれかの星に女神様の故郷であり、いつかは帰らなければならない、終の星があるのです。手を伸ばすと、自然と星を掴んでしまえそうですが、現実にそれは叶いませんから、女神様は、時が訪れるのを待っているのです。そっと、優しく、私たちを見ているのです。

 さあさあ、今宵は、どんな夜空でしょうか。星々は見えますでしょうか。今は、どのような世の中でしょうか。女神様が人の世から星々を見つめていたのは、遥かに昔のことです。今は、そうですね、沢山の星々の一つから、やはり同じように憂いに満ちた眼差しを向けておられることでしょう。そして、こんな言葉を紡いでいられることでしょう。

「彼の美しき水の国、彼の心地良い風の国、今はいずこか。ああ、それも――今の世が望んだことなのですね」

 星々の一つに加わった女神様は、決して人の手の届かぬところにおられますが、絶えることのない悠久の時の中で人の世を恋しく思いながら、これから先も、その輝きが消えてしまうまで想い続けていくのです。〈了〉