雨留乃助、和而不同 -今日を生き、今日又反省- -14ページ目

時は、待ってはくれないし。

たまには新しい仕事のことも。
 
今日、友人から、次へのステップと課題がメールで届く。
 
 
先日の、試食の結果を踏まえて、コンセプトに基づき、
より具体的なイメージにして、シェフに作ってもらおう、
という内容だった。
 
キーワードは、
「野菜料理」
「30~50代女性」
「健康」
「(或る国名)」
 
「(或る国名)」が少々ネックになるけれど
どんな国も、日本で提供される場合、地方料理の
「いいとこどり」ではないかな、と思う。
 
今迄以上に、接触する「食べるもの」に対して
思い込みや、主観から距離を取って、見てゆかないと。
 
・・・勿論、自分で「おいしい」と楽しむのは必要だけど。
  
 
出店する、上野のリサーチはまだ、していない。
 
現職の社長には、「むつかしいマーケットだから、ちゃんと見てきなさい」
とも、アドヴァイスを頂いている。
 
 
まだ、これから行く現場の方々にお会いしていないが、
仮説の建て方に、疑問のあること
店舗デザインの変化の仕方など、に
友人を通じて、疑問のあることを伝えてみた。
 
遠隔操作的で、且つまだまだ「外の畑」の人間であり失礼かもしれない。
でも、今後「添い遂げたい」仕事なので、客観的視点、としても
今から参画できるところからでも、参画してゆきたい。
 

まだまだ整理も、準備も足りない、追いつかない。
 
でも、時は、待ってはくれないし。
 
今日一日一日を、後悔のないよう、やってゆくのみ、だ。
 
 
 

オーナーシップを、まず一歩。

人と「おつきあい」することが、正直苦手です。

 

要領よく、なんてとこから、世界で一番、隔絶されたところにいる人間だと思います。

 

 

ついでに、傷つくのが怖いのだと思います。極小心者です。

 

「先、読みすぎ」といわれることもあります。

 

「自分にとって」の最悪を想定し、それを「仮想未来」の結果に基づき、接触を回避するところがあります。

 

 

そんな輩なので、「わからん奴は、何度言おうがわからん」と

どこか、悪しきタカをくくるところがあります。

 

そこまでご親切に、「ゴシンセツ」を提供する余裕はない、

自分にも相手にもタメにならん、と思っているところが、ありました。

 

とある本との出合い があり、ある方との、久方ぶりの再会があり、

ココを綴ることによって、「これを、自分で責任持ってやっていこう」としたら

「悪しきタカ」も、「ゴシンセツ」もなく、意志を持って主張し、

意志をもって説明をし、一貫した意志を持って理解をして頂かなければ。

 

そのために、どうするか、という視座を持つことになりました。

 

 

今、7月から始まる新サービスの企画の、具体化へ向けての打ち合わせが

プロジェクト内で進んでいます。

 

サービスの告知媒体(チラシ)の掲載内容の作成。デザイン作成。

お客様が利用する部分の、システムの仕様書作成。

想定される、オペレーションマップの作成・・・。

 

打ち合わせの内容を踏まえ、自分がこれらを具体化してゆきます。


 

毎度のことだが、「決定会議」ではなく、「ブレーンストーミング」。

チャンプルー状態で進む打ち合わせで、体力・知力共々消耗戦になってきます。

話が元に戻ったり、理解があるとは言い難いリーダーが「誤解した」理解を示す度に、

最初から、文章題の解き方を、説き伏せる数学教師のような気持ちになってきます。

 

「ブレーンストーミング」状態後の、爛れた体力と判断力ではいつも

「しょうがない」という、諦め半数以上の落しどころに陥っていました。

 

 

しかし、今日からはもう、やらん。

今日の一歩も、数ヶ月先の理想型のための一歩だ。

数日前から仕込んでおいたシナリオを取り出した。

 

 

今迄「惰性」の流れで進もうとしていることを踏まえ、

利用する広告媒体の費用対効果。

サービスの本質への影響。

ひいては、そこから波及してゆく、サービス価値への影響。

 

それをないがしろにして、各論には落とせない。

「これがだめだったから、だからコレ」という

増築体制でやってきたのではもう効かないぞ。

 

 

出してみたところで、結論としては成功。

 

誰もが思っていた。

だけれど、どうすればいいか。

時間はない。

お金もない。

人的資本もない。・・・

 

そうして「見送ってきた」痛みどころを、

嫌味や反発のようなネガティブなエネルギーではなく

「これをクリアしなければ、サービス自体の根源に関わる」

という、みんなが「よくない」と思うイメージを元に、

具体的な改善箇所を伝えていった。

 

時間がないなら、どうスケジュールを構築するか。

 

お金がないなら、どう使うことで有効に活用されるか。

 

人的資本がないなら、業務の質・量等から

いかにキャラクターを活かしていくか。

 

そして、サービスとして、どこを目指すのがbetterか。

 

 ※ ひとつ問題点があるとしたら、全ての代替案は用意できていなかった。

 
同じ論拠に何度も戻ったが、これを理解してもらえなければ、先に進まない。

意固地になられた人にも、理解の点があったのだから、そこから何度も説得する。

ヒートアップしそうになったり、突っ込まれてヘコみそうになった。

でも、もう譲れない。

もし、これが自分の起こした仕事であったら、こんなところで譲っていられない。

 

今はどこかの社長の会社の仕事かもしれない。

でも、このサービスを提供しているのは、自分だ。

自分にも責任がある。あるとしたら、逃げてはいられない。

 

そう思い、根気強く会話を重ねていった。

 

 

普段、ブレーンストーミングで2時間位のところが、4時間以上の議論の場となりました。

代替案が提示できなかったので、具体的解決案は各自明日持ち寄ることに。

しかし、いつもの「ブレーンストーミング」とは違い、今は明確な改善点や改善材料がある。

 

 

ヘトヘトになりましたが、なんというか、その業務に対する、自分との関係や温度が、

少し「暖かく」感じられました。

 

勝ちも、負けもありませんが、久方ぶりに味わう「気持ちよさ」でした。

 

 

 

新宿は、

壮緑。

 

豪雨・・・ではなく、壮緑。

 

会社のベランダから見る、大好きな風景。

 

あと、一月程したら、見ることのない風景。

 

 

「もっとよい眺めを見にいきたいから」

 

と、一年前前職に宣言し、此処にきました。

 

 

どれだけ「よい眺め」を見られたか。

 

どれだけ「よい眺め」を見る、努力をしたか。

 

 

 

日々、なにくれとないひとつ、ひとつが、私に問いかけます。

 

 

同じ目線に、立たない。

月に一回くらいのペースで、暴発属核弾頭系のクレームが、電話でやってくる。

メールでも、それくらいのペースで来るけれど、「電話」ってヤツのバーチャル・リアリティってやつぁ・・・。

 

まさに「核弾頭」だ。

 

 

大抵の電話は、「もうしわけないなぁ」という気持ちで、話を一生懸命聞いて

解決に導けるように対応している。

 ※ ほんとうに、申し訳ないサービス内容なので。

 

が、

この暴発属核弾頭系は、・・・ある種解決を要求していないのかもしれない。

 

 

先日も、

 

「アンタんとこのチラシに掲載されているのがでてないのよ!」

 

 「あの、お客様出てないということは・・・」

 

「だからでてないのっ!ないのっ」

 

 「告知した、掲載時間どおり商品のほうは・・・」

 

「わたしんとこはでなかったの」

 

 「どのような画面が出て・・・」

 

「わたしがやったんじゃないからわからない、娘がやったの。インチキっ!」

 

こんなかんじで、えんえん30分近く、お説教を頂いた。

 

 

 

こうなるともう、「対処する」ではなくなってくる。

 

 

一方、対応に当たって、「怒っている」という事は、極端どうでもよくなってくる。

 


「どのような内容に」

 

「どのような点で」

 

「どのような経緯で」

 

その人は怒っているのか。

 

 

その「怒っている」という座標から、距離と、客体視できる視座を持って

多角的に観察し、考察する。

 

どうして「怒っている」ことが「起こっている」のか。

「怒っている」をとりあえず、なだめるのではなく、「怒っている」を、見る。

 

見えない「怒っている」人と、起こり得る「怒っている」人への視座も忘れてはならない。

「怒っている」人だけが、「怒っている」のではない、のだから。

 

そうしないと、本質的な「怒っている」への対処なんて、できない。

ひいては、やっている事業やプロジェクトレベルでの、正しい判断ができない。

今後、同じ「怒っている」人を、出さないためにも。

 

 

サービスを「運営する」って、そういうことなのだろうね。

 

 

ありがとう。

○島、よくツッこんでくれて。


「愚直」論 を読んだ。

地下鉄のフリーペーパーを読んでいた時、凄く気になった記事広告があった。

 

metro min. 4/20/2005 No.30

 【 09:向かうところに“HAPPY”あり!? 「社長」も“職人”なのです!! か?】

そこに、現HPの社長・樋口 泰行さんの、現在に至るまでの、仕事観・仕事論の本だった。

 

「愚直」論 私はこうして社長になった

 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4478733066/ref=ase_amebablog-22/249-3859587-3739514

 

 

もともとは、本を読むことが好きで「した」。

 

でも、情報が氾濫し、一方「美しい」日本語が好きなので、どうしても

最近、情報に「押し出されるように」してでてくる本を、繰る気持ちになれません。

で、たまに、古い本などを読んでいるくらいです。

 

が、この「記事広告」の内容にヤラれたんですね。

人混キライの雨留乃助ですが、一生懸命探しました。

コレだけはなぜか、Amazonで買おうとしなかった、何故か。

 

 

土曜日購入し、電車に乗る間、寝る前、寝起き、風呂。

読みっぱなし。

読んでいて、背筋が「しゃん」としてくる。

「襟を正して読みたくなる本」ってオビ、つけちゃいます。

 ※ 「ちゃいます」なんて、失礼だな・・・。

 

 

どんな逆境にも、本当にめげず、腐らず、字の如く「愚直に」

エベレストのような「高み」に挑んでいった人の話でした。

 

読後、爽快感はありませんでした。

むしろ、身が引き締まる思い。

 

これから、高い「眺め」を目指そうとする自分を省みると、

「もう、これ以上ない!」という努力をしてきただろうか、と思う。

 

一方、それを越えるだけの、例えば頭の回転の速さ。

企画家としての、斬新な提案力や、提案力。

営業能力、モノを生み出す、生産能力が、自分にはあるだろうか。

 

 

・・・ないよな。

 

 

けれど、ヘコんでいる余裕はありません。

 

ヘコんでいても、誰も助けてくれません。

 

「不安な分だけ、不安を埋める努力をしろ!」と

この本は言ってくれたように思います。

 

ありがとう。

 

 

明日から、出来ることをまた、やってゆきます。

感謝。