雨留乃助、和而不同 -今日を生き、今日又反省- -10ページ目

「時差」に不誠実を感じる

生きてゆかねばならない性、残酷さ、それでも生きてゆく強さ
そんな歌を歌うCoccoが好きです。
 
Coccoがその活動を辞めるにあたり
どこかのブックレットで、その理由について語っていた。
 
 
その時、彼女を取り巻く環境の中からでは
彼女が「今」感じたり、伝えたいと思うものは
「伝えられる」カタチや状況になるまでに時間がかかる。
 
その間にも、彼女はまた新しく考え、感じている。
変化をしている。
 
すると、「前に」考えたり、感じたことは嘘ではないが
変化した「今」で考えるとそれは、「時差」や「温度差」がある。
 
自分のアウトプットしたものではあるけれど、「嘘」を感じずにいられない。
それをわかっていて伝えるのは「不誠実」だ、と。
それが辛い、と。
 
 
彼女が感じたその「辛さ」は、今アウトプットするようになって
切実に感じる。
 
 
感じた「瞬間」、「今」アウトプットしたい激しい衝動にかられる。
でも、それは様々な阻害要素によって遮られてしまう。
 
今すぐ書けないのは、いつもメモ帳を持ち歩くことで、
歩きながらでも書くくらいだ。
 
でも、例えば通勤時に思って、仕事をして、昼になって落とす段になり
早いものではもう、少しの「温度差」を感じたりするものも、ある。
 
 
「練り上げる」時間も大切なのだが、書きながら
自分がもの凄い勢いで、変化をしているのを、感じる。
 
そうすると、今、こう書いていることにも、少しづつ
ブレのようなものを、思うときが、ある。
 
本当に感じたことは、「伝えたい」と思ったことは
此れでよかったのだろうか、と悩むことも、ある。
 
 
とはいえ。
 
アウトプットしないことには、どう変化していることもわからない。
アウトプットし続けて、「それでよかったのか」を掴んでゆく。
 
自分の「アウトプット」に対して誠実にありたいなら
今以上に、アウトプットの速度をあげていこう、と思う。
 
自分は辞めずに、書き続ける。
 
 
読んで下さっている方々、いつも読んでくださってありがとう。
 
 
 
 

その「すみません」は、「すみませんっ!」と言っているか。

資生堂の文化事業の一環「WORD」で、豊竹咲甫太夫と、鶴澤清馗さんの
素浄瑠璃を聞いたことがきっかけになって、最近「文楽」を聞きにいくようになった。
 
WORDでの、咲甫太夫と、いとうせいこうさんのやりとりの中で
「今言った「にくい」は、ほんとうに「にくい」と思っていっていますか」
という問いかけが、お稽古の間であるらしい。
 
 
「はぁ」ひとつにしても、
 
 
すっとぼけた、「はぁ」
 
 
退屈な、「はぁ」
 
 
思い詰まって、「はぁ」
 
 
いろいろある。
 
 
太夫たちは、その言葉ひとつひとつに、魂を込めて、語ってゆく。
そのための稽古であり、そのための日々であり、生活である。
そのくだりが、とてもココロに焼きついた。
 
だから、人形にその魂が伝わり、
場内の空気を、話の筋に染めてゆくチカラがあるんだろうな、と思う。
そのコトバを聞いた時から、自分はそのコトバに意志を持ってしゃべっているか、と
「意識」するようになった。
 
 
会社の電話は真っ先にでる。 
 
 
「はい、株式会社○○○です」
 
その
「はい、株式会社○○○です」に
  
「○○○にお電話下さり、ありがとうございます」
を、込める。
 
 
「いつもお世話になっております」
 
その
「いつもお世話になっております」に
 
「おつきあい下さり、誠にありがとうございます」
を、込める。
 
 
込めると、自然と、丹田から声を出すことになる。
ノドから出る、浅い発声では伝えられない、と識る。
次第に、呼吸そのもので、真意が掴めるようになってくる。
 
 
カスタマーセンターを(自ら)運営しているので
申し訳ございません」ひとつにしても、
音の振動と、わずかな呼吸の振動しか、相手の耳には届かない。
だが、意外にその「微妙な」部分は、相手に大きく届いている。
 
電話のクロージングや、その後頂くメールに、その「効果」が如実に現れる。
お客様にとって、宜しくない状況で連絡を受けているのに
「ありがとうございました」 「^^」
なんてのがくると、ほんとうによかった、と思う。
 
 
会議でも、適当にモノいっている奴と、
「ここでどうにかしないでどうすんだ!」という奴の
気持ちも、手に取るようにわかってきた。
 
 ※ 「語気」っていうことも、いずれ考えてみたほうがよさそうだ。
 
 
省みて。
自分もわかる人にはわかってしまうよな、と気が引き締まる。
自分の考えに躊躇や、戸惑いがあったら、
なんとなく、や、思いつきで言っているようでは
人には伝わらないのだ、と。
 
 
その「すみません」は、「すみませんっ!」と言っているか。
 
 
 
それを伝えようと、言ったか。
 
 

純粋に「失敗を恐れず」

聞きたい音楽もそれなりにあるのだが、「気分にあった」のを選ぶのも
もどかしく、テレビを適当につけて、書いている。
 
 
テレビでアニメをやっている。
赤い髪と、青い髪のプリンセスとかなんとか。
 
 
画面の色が急に綺麗になったので、ちょっと見てみた。
 
 
綺麗なお姫様登場。
 
 
「失敗を恐れてはなりません。
 
 失敗を恐れず、それを教訓として
 前に進んでゆくことが、大切なのです。」
 
 
 
ちょっとブルッとして、不覚にも涙腺が緩んでしまった。
 
 
それなりに、歳を重ねてきた。
 
経験したことはいろいろあっただろうけれど
こんなコトバが「すとん」とあっただろうか。
 
自分は何を経験してんだろ、と思った。 
 
 
こんなコトバで、自分のやってきたことの背中を押せたこと
そう、なかったように思う。
 
失意。
 
虚無。
 
絶望。
 
 
でも、そこで滞ってちゃ「新しく」前に進めないね。
 
 
絶対的正しさ等ないのだから、常に失敗山盛り。
 
今日も愚を犯すであろう、自分を恐れず
それを糧にして、前に進んでゆこう。
 
 
今日をまた生きて、行こう。
 
 

送られたメールは誰のもの?

残り僅かになった、一年もいた会社に対して、
どうこう苦言を申し上げるのは、本心余り気分の宜しくないものです。

しかし、余りに立て続けに あれ これ と起こると
その体質、ひいては本質について、矢張がっかりさせられます。
 ※ 勿論、自分であるから起きていることもあるとは思います。

先日、またがっかりさせられる、というより
入社して間もない頃に「感じた」、会社としての体質に対する疑問を
改めさせられることがありました。

以前、社長から、社員一斉メールが届きました。
毎週掃除の日をつくろう、というものでした。
なんでもかんでも、「みんなでやろう♪」っていうのが好きな人なので。

自分は正直、反対でした。
やることが反対なのではなく、「そういう発想」に反対。


そもそも、「お茶を出すのは女の子」という発想の場所です。
自分の客に出した茶碗も、打ち合わせが終わったら
吸殻積もった灰皿とともに、放置する位の意識です。

それどころか、自分でつくった吸殻すら、
自分で使ったコップすら、洗わない「意識」です。

そういう、日常的に緩慢化した、自己意識からの解決なくして
「無精者、みんなでやればらくちんだ」の発想が頂けない、と
進言致しました。

返信内容は・・・、割愛します。
「わかりました」は一言もないので、また文字数を稼ぐだけになりますので。


そんなメールの遣り取りから、もう一月近く経ちますでしょうか。

社内のとある人間から、思いもよらないことを聞きました。

簡単にいうと、上記のような内容
掃除の日に対して、反対である意見をいったんだって?ということでした。

このことは、私は社長以外、誰にも言っていません。
「意味ないよねー」くらいの話に乗ったことはありますが。

でも、書いた内容そのまま、その社員は知っていたのです。

「で、誰に聞いたの?」といったら、得意げに

「○○さんが、社長から聞いたって、いってたよ」というのです。
 
 
ちなみに○○さん、というのは、感染 の人で
この会社の最古参から二番目に古い、社員です。
 
感染 さんとその社員は、(同性ではありませんが)
別のシマ間での大声私語にはじまり、
夜のプライベートな飲みやメッセンジャーのやりとりまで
べったりさん、なお二人です。
 
仲良きことは美しき哉、ですが、ベッタリもここまできて
果てには「って、聞いたよ~」には、少々呆れがきました。
 
 
社長「個人」に宛てたメールは、彼に「特定」して送信したもので、
他不特定多数、若しくは、宛てた人間「以外」に伝える意思のないもの。
 
それを公開されるということ、どう思いますか。
 
それも、「○○さんは、社長にこういうメールを送ったんだって」です。
送ろうが、送るまいが、それはメール送受者間での問題。
 
 
それだけで済めばいいですが。
 
これは「社長」に対して伝えたい内容であって
一緒に業務をする人間は勿論ですが、プロジェクトに関わらない
他のシマの人間には無論、伝える気などありません。
第一、業務を「進めてゆく」ことには何ら関係はありませんから。
 
 
それも、「善意ある」解釈なら、よいかもしれません。
しかし、人の「口」というフィルターがかかると、何が起こるかわからないのが
「人の口に、戸は立てたられぬ」ということになるわけです。
 
 
私が伝えるわけではありません。
「社長」のフィルターがかかります。
そして、送信先は「社長」という、立場です。
 
その状況で、情報は伝達されます。
どのように、社員に伝わるでしょうか。
 ※ 若し、お友達でもそんなに変わらないと思いますが
 
 
そこで得た情報から、どのような「印象」を持つでしょうか。
それは、伝達した人にも、それ以前の自分にも操作はできません。
 
しかし、その「印象」を持って、伝達を受けた人は
自分と接してくるわけです。
業務を通して。
 
業務として、やりにくくなること、この上ないことだけは
想像に難くない、と思います。
 
 
 
そもそもメール(郵便含)で連絡を取る、ということは
伝達先が特定され、その特定された相手に対して
伝えたい内容を伝達する手段です。
 
電子メールの場合、CC.・BCC.等の機能はありますが
今回、自分が送信した内容は、社長の提案した内容に対し
「考えて欲しいことがある」と、本人に宛てたものです。
 
 ※ 自社は、何か相談することがあると、直接、社長に何でも相談する体質です。
 
 
また、社長が平素よくいっていたことは
「いってくれないとわからない」ということ。
 
ならば「聞く耳」はある、とは思います。
「聞く耳」に「信頼」をして、本人に「送信」したわけです。
 
 
その返信が「伝わらない」内容であっただけなら構いません。
自分の伝え方にも、手段的なミスがあるのでしょう。
 
しかし、伝える「意思」のない、第三者にまで伝わっている、という「尾鰭」付。
 
 
職場だけでなく、人と人との意思や思考の伝達、所謂コミュニケーションは
「伝わる」という「信頼」に基づいて、成り立っていると思います。
 
そこで、今回。
自分が特定した伝達先から、自分の主張や、意見が漏れる体制・・・。
それも「最高責任者」から。
 
 
確かに。
管理体制の緩さや、「仲良く」「口当たりよく」「耳障りよく」している
社員との、接触時間の長さは、感じるところはありました。
しかし、業務としてお伝えしたいことや、改善点の提案等は
等しく、伝達する機会やきっかけがあってよいと思いますが、如何でしょうか。
 
 
 ※ 会社の規模や、組織構造等はあるかと思います。
   しかし、様々な企業規模、業種と接触機会のあった自分としてはそれは
   「体質」ひいては、場を統括する責任者の「性質」に拠るところ、と考えております。
 
   ですから「できない」というのは「性質」を理由にしているだけだ、と思います。
 
 
上記のような結果が解っていれば、今回のような「伝達」を考えなかったでしょうし
もとい、「信頼」に基づく、伝える「努力」はしませんでした。
 
 
何だか、空しいです。
「この職場環境を、この社会環境を、もっと過ごしやすく、よくしてゆきたい」
と思って、行動をおこし、「伝達」をしてきたので。
 
 
 
また、平素より言われている「雨留乃助の言い方が」という、伝達手段での
コミュニケーションの断絶より、「重症」とも考えられます。
 
 
先々月末、辞めた社員と入れ替わりで入った社員が、
隣席の感染 さんの、上記の内容の、自慢気な話しぶりを耳にし、

「自分も、此処の業務内容や、プロジェクトの進め方について、
 社長に直接言いたいことはたくさんあるけれど、自分も
 「○○さんって、あんなこといってるんだって」って
 いわれるのかな、と思うと、言いたいことも言えない・・・」
 
といっていました。
 
それだけではないのでしょうが、彼女も「離れる」そうです。
 
 
 

去る者 ⊇ 残る者

「近日中に、此処を去ります」

 

と宣言して、そろそろ一月が経とうとしている。

 

 

同じプロジェクトをやっている3人へは、その週のうちに伝えられたが

「様子を見るから、社内の人間には伝えないでくれ」と言われ、今も沈黙を守っている。

 

 ※ まぁ、メールの件もあるので、どこまで流通しているかは、触れないが

 

 

伝える、伝えないはいいのだが、一向に引継ぎを進めようとする気配すらない。

 

「プロフィール」の部分を見て頂いてもお分かりの通り、「カスタマー」に関わる部分の全て。

これが自分の仕事だ。

 

 ・メールや電話でやってくる、カスタマーサポートセンターの対応

 

 ・対応した内容の「対応」(システムへの修正依頼や、データチェック依頼)

 

 ・ポイントと交換する商品の選定、購入先の検討

 

 ・HPやチラシへの、商品掲載内容の作成(画像加工、キャッチ・コピー等)

 

 ・商品掲載スケジュール作成、掲載、定期更新の確認

 

 ・交換依頼データの整理 発注書類への作成

 

 ・週次発行のメールマガジンの作成

 

 ・月次データの加工、レポート作成

 

 ・サービス企画提案後の、実務レベルへの構築(仕様書等の作成)

 

 ・カスタマーセンターでの状況を加味した、サービス内容企画・運営

 

  等等

 

全部書けているかわからないが、まぁざざっと掃いてこんなもんだ。

 

 

現状の職務状況にしても、自分に替わって同じシマの人間が「代行」するものは、一握り、ない。

 

 ※ 此れは自慢ではなく、業務の共有化や分散化の危惧を説いておきながら、「最終判断」の結果が斯様である、という、現状報告迄。

 

 (やっている内容に自負はあるが)

 

それが一向に動きがない。

 

 

また、上記をさらっとなめたところで思われるかもしれないが。

 

コールセンターの業務は、一部は対応履歴やトークスクリプトとして残してきたが、「所詮、誰かに代行されない」という諦めも、自分の中にあり、「アタマ」電算処理でやってきた。

 

お客様のイカリの度合い、理解レベルでの対応は、脳の中に、侵入する でも紹介した通り。

 

また、喜びの声や、運営体制に対する積極的な意見を下さるお客様は「親派」として育てるべく、「是非、今後とも積極的なご意見を」拝受できるようなメールを送る。

 

 

そういう、「マニュアルに落とせない 落としにくい」サービスを提供していた。

 

しかし、顧客を「満足させる」サービス産業には、固定化された「満足」の到達点はない、と思っている。

届いたと思っても、常に遠く、高くなってゆくように、自分は常に思う。

 

 

ゆえに、「マニュアルに落とせない 落としにくい

 

 

それを若し完璧に伝えようとしよう。

「どうしてこうやってきたか、それの目的、その到達点」までスジを通して伝えそれに基づき、各業務のあらまし、業務内容、スケジュールの組み方・・・。

 

其れこそ一月でやれ、というのが無茶なはなしだ。

 

 

チームリーダーにその危惧を問うた。(そこまで細かく、書き口説かなかったが)

 

そのメールを送った翌日、隣の同僚との昼メシの時、

「雨留乃助さんが送ったメールがそのまま、ぼくんとこにきたよ」

だそうだ。

 

同僚。「え?」っとリーダーに聞いたら、「○島、頼む」だそうだ。

 

 

同僚の、顧客に対する「眼差し」は、自分と同じくするところがある。

しかし、今どちらかといえば、顧客といっても導入店舗の部分の多く、その為の外出の多い。

尚且つ、本人曰く「雨留乃助さんのような、商品を見つけてきたり、コメントやメルマガを書くなんて、僕にはできない」という。

 

 

もう一人のほうに、商品の関連のことを渡すつもりでいる、とも聞いた。

 ※ 数ヶ月前まで、自分の上司にあたる人物で、「主要顧客はアナタじゃない!」 の 「どこのネットオークションサイトだって」の方です。

   

3月に有給を頂いたときの、帰ってきたときの「残骸」には驚かされたくらいだ。

引継ぎをした業務の半分以上が何も出来ていない。

 

定期更新商品が全て更新されていない。

 

レシートの内容に誤りがある。

 

その上、メールで来ているお客様からの対応は全てノーチェック。

 

・・・・・・・・。

 

 

この人だけには任せていけない、という「自負」が・・・(悲

 

 

それも、何の前触れもなく、いきなりキレる人間に。(お客様、ごめんなさい・・・)

 

 

 

引継ぎといって思い出すのは、今を遡る5年程前。

 

派遣で就業した、箱崎にある会社でのこと。

 

1ヶ月の試用期間後、長期とのことで入ったが、翌月。

子会社をたくさんもつタイプの企業の、そのひとつであったその会社は、クローズの方向が、本社で決定された。

 

それに伴い、就業期間も2ヶ月目で終了。

ああ、と思った矢先のことだった。

 

派遣先の営業の方から、此方が連絡するより先に連絡が来た。

 

 

「○○社長から、今回このようなことになってしまい、申し訳ない。とたった今、ご連絡を頂きました。

 

 雨留乃助には、本当によく働いてもらった。

 勿論、本人の意思だが、最後まで一緒に頑張ってほしいと思う。

 だが、次を探すことも大切なので、すぐに次の先を探してあげてほしい。

 時間の使い方はお任せします。 とのことです」

 

 

本人からは、今月での終了とその理由のみだったが、この手際の速さ。

 

また、「一緒に頑張ってほしい」というコトバに濁りはなく、それから一月弱、去るも残るも差異なく、最後の仕事をまっとうしあげることができた。

最後の最後まで作っていたリサーチデータは、「きっと無駄にはしないから」と営業部長が引き継いで下さった。

 

 

今思い出しても、此れ程気持ちよく、最後の最後までモチベーションを落とすことなく、「此処で仕事が出来て、本当によかった」と思い、終えた仕事は、今に至るまで、ない。

 

期間としてはたかだか二ヶ月と言われそうだが、達成感・充実感のあった仕事、若しくは胸の張れる業務としてあげるなら、自分は此処での二ヶ月をよく挙げている。

 

未だに、彼をとても尊敬しているし、この二ヶ月がなければ、今のように仕事をする自分は、恐らくなかっただろう。

今でも、彼に出会えたことを、感謝している。

 

 

自分は「去る者」だが、「去る者」も、「残る者」とともに、今日、今まで歩んできた。

ので、「去る」方へいった瞬間から、「残る」側と、完全な決別がされるわけではない、と上記のような経験をもって、自分は思うのだが、如何だろうか。

 

今も、顧客からのメールに返信もする。

 

8月のサービスの企画会議 で、顧客を思わず発言をしたことはない。

 

 

しかし、残してゆくものに対する、その業務の重さを、

どうしても「残る」側と等しく、シェアできないでいる。

 

「残る」側の理論があるんだ、といわれれば、それまでの話ではあるが・・・。

 

例えば、人がいなくなったことについてのモチベーションの低下。

 

例えば、業務積載量の超過による、モチベーションの低下。

 

 

しかし、顧客サービス。

顧客には関係のない話だ、「去る」側に立っておいて申し訳ないが。

 

 

今、自分の今まで培ってきた業務を、ないがしろにされたような気持ちで、いる。

 

自分のやってきた業務は、ほったらかしにしても、どうにでもなる程度のものだったのか。

その程度のものを、やっきになって、知恵熱出しながら(今日もおでこに冷ピタ貼っている)一年もやってきたのか、と思うと、自分の取った選択に対して、自分に不信感すら覚える。

 

「思い」という、測定基準の曖昧なものではあるが、何だか自分だけ常に、「蚊帳の外」におんだされていたのかな、という思いで、毎日机に向かっている。

 


久しぶりに、ゴロワーズの封を切った。

 

ぢん、と胃の腑に滲みた。