書きなぐり。 -6ページ目

初めて家を出た話

初めて実家を出たのは、わたし19歳。


初めて出来た彼氏と二年付き合った末に別れたばっかり。


 


彼氏が出来たのは17歳の終わり。当時のわたしは自分のことを


「世界で一番ダメな人間で男の子に好かれることは一生無いだろう、結婚なんてもってのほか!一生一人確定!」


と思っていた。そんなわたしのところにその元彼が颯爽と登場してわたしを幸せの国へかっさらっていってくれた。…ていう話だったら良かったんだけど実際は流れ的に男女比が2vs2の飲み会にて(合コン的なものはこれが生涯初である)、友達が、カッコイイ男の子と二人で居なくなり、まぁどちらかというと残ったブス同士どうしようかね…みたいな流れのなかしばしの沈黙が流れた。わたしは男の子と初めて二人きりになり、どうしたらいいか分からず、カラオケボックスの何もない壁を凝視して固まっていた。


ふと、彼が(多分困り)わたしにこう聞いてきた。


 


「いつも何して遊ぶの?」


「兄妹いるの?」


「音楽何好き?」


 


し、質問多い! ちょっと待て!(心の声)


 


わたしはそれまで男の人とまともに喋ったこともなければ目を合わせた記憶もないぐらい(というか誰と同じクラスだったか未だに一人も思い出せない)暗く静かな性格でしたので、突然男の人に「わたしについて」聞かれ、どぎまぎした。


どぎまぎしながらも、途切れ途切れに必死に話してるうちに、もうその人のこと、好きになっていた。なんで好きになったかったいうと理由は一つ。わたしに興味もってくれたから。


今までそんな人居なかったし、死ぬまでいないと思ってたからそりゃ好きになるよね。顔は覚えてない。っていうかたぶんその時ちゃんと顔見てない。でも好きになった。そして、トントン拍子に付き合うことが決まった。わたしの中に、NOはなかった。だってわたしの趣味聞いてくれた初めての男の人だもの。これ逃したら死ぬまで孤独に生きると思ってたもの。


 


それまで実家のなかでも真面目で過ごしてきたわたしですがその日をきっかけに、大学生の彼氏の一人暮らしの家に入り浸り出す。当時わたしは女子プロレスを挫折してフリーターと言いながら面接に行っては落ち面接に行っては落ち受かったと思ったら二日目には腹痛で休みソッコークビになり、を繰り返してたので、金はないがヒマだけはあった。


わたしは彼氏の家で大学が終わるまで部屋の掃除をしたりご飯を作ったりして新婚ごっこを一人でやって浮かれていた。エビチリは「マズイ」と言われトイレに捨てられたけど。それからエビチリは二度と作ってないけど(それを人はトラウマという)。


 


エビチリ事件でもわかるように、彼は結構わたしを支配下に置くタイプだった。ちなみに料理で言えばめんつゆ禁止(みりんとしょうゆと酒で作れという)、粉末和風だし禁止(こんぶとにぼしで出しを取れという)。化粧で言えば、年取ったときに眉毛がないおばさんになるのが嫌だからという理由で眉毛抜くの禁止で眉毛ボーボーで暮らしてた。ミニスカートは男性に見られるという理由で禁止。そんなわけで徐々にわたしは自分の意見を否定され続け、わたしの自由の時間を奪われ、友人関係を制限され、バイト先が変わればバイト先にまで男が居ないかチェックしにきて男が居たらバイトをやめろと命令するようになった。ちなみにバイトの飲み会は基本NG、そのうちわたしだけ飲み会に誘われなくなるという事態にも、まぁなるわな。


どうしても行かなければいけない送別会などは、会場の場所と行く人と時間の報告はもちろんのこと、店に入ったら電話、一次会お開きしましたの電話、二次会に行きたいというお願いの電話、二次会着きましたの電話、解散しましたの電話。そして解散した場所に車で迎えに来る彼氏。周りからは「迎えにきてくれるなんて、いい彼氏じゃ~ん」と冷やかされながら、車内での彼は家までずっと不機嫌で一言も喋らず、荒い運転をしながら他の運転手に舌打ちしたりする。クソ重い空気のなかわたしは「ごめんね…もう飲み会行かないね…」というしか無かった。そして大事な飲み会にも行かなくなりきまずくなりようやく働き出したバイト先も辞める。


 


そんなわけで彼氏はそりゃもう徹底的にわたしを支配した。


たまにわたしも反抗したことがある。「あの子と遊びたい」とか、「男の人いるけどバイトしたい!」とか。でもそうなると彼はこう言う。「君が好きだから心配なんだよ」「好きだから心配する僕の愛を否定するのか」ってね。


 


わたしはそのたびに、今後わたしは誰にも拾われないだろうし、少々居心地が悪くてもわたしを愛してくれる(と、本気で思ってた)人のために生きていこう、と何度も思って我慢した。


 


私たちは彼の大学卒業と共に結婚するという話になっていた。彼は三年生だったから大学生活はあと1年。大学が終わったら一緒に田舎に帰って結婚するという。ちなみに向こうの母親はわたしに優しかった。だけど、結婚にあたり一つ条件があると言う。それは学歴。父親はわたしの学歴を聞いて結婚は絶対反対だ、と言ったらしいが、母親が「うまく丸め込むわ♪ちょっと考えがあるの」と言った。


 


わたしは中学卒業、高校中退で女子プロレスに入っており、高校卒業の資格がない。彼の母親は大検を取りなさいといった。「大検取ったらわたしのポケットマネーで専門学校に入れてあげるから。お父さんにはナイショよ♡そうしたら結婚できるわよ」わたしは、ほぅ、結婚ってのはいろんな面で大変なことなんだなぁとぼんやり思った。


 


さぁ、そんなわけで受験生になったわたし。向こうのお母さんは「あなたの興味のある美術の専門にしましょうね♪」と言ってたので、それが少し楽しみだった。小さいころから絵を描くのだけは好きで描いていたが、一度ちゃんと勉強したいと思っていたのだ。昔はマンガ家になるのが夢だったけど、「己ごときがそんな華やかな職業につくなんて無理だろう神様がゆるさねぇ。」と簡単に諦めていたことをほんのりと思い出させてくれた。わたしは義理の母になるであろう彼の母に感謝した。


 


わたしにはもう大検を取ることに前向きになっていた。大検を取って、美術の専門学校に行って死ぬほど美術の勉強したらもう自分の望みは全部捨てて彼氏の家に嫁ごう。一生召使い扱いされても一人で死んで行くよりまだマシだ。それに彼氏は味方だ、彼氏はわたしのこと好きって言ってくれる。


 


彼氏が大学に行っている間、彼氏の家の小さいテーブルで勉強をした。彼氏が帰ってきたらすぐにテレビゲームに夢中になる彼氏の背中を見ながら掃除して洗濯してご飯作って彼氏に献身的に尽くす。それが夏のテスト一週間前まで約1年続いた。


 


そんなある日彼氏のお母さんから電話がかかってきた。彼氏は、うん、はいはい、りょうかい。と言って電話を切った。「お母さんが、美術の専門やめて料理の専門にしようって。専業主婦に美術は必要ないから」


 


がーーん。


と、思った。彼氏に試しに(でも控えめに)「美術って話で勉強してきたんだけど…」って言ってみた。マンガ家になりたかった話も知ってる彼氏だもの、わたしのことを大好きな彼氏だもの、おかあさんに強く「美術がいいってよ」って言ってくれる、そう信じてた。


彼はこう言った。「いや…お母さんが言うから、無理だよ…」


 


ががーーーん


彼氏はわたしの味方じゃなかった。2年付きあって気づくのもどうかと思うけど、彼はわたしよりお母さんの方が大事なのだった。そういや財布落とした時も、新聞を無理やり契約させられた時も、警察行く前にお母さんに電話してた。


 


美術の勉強の夢は消えた。悲しかった。だけどわたしは考えた。「そりゃそうだよな。これから家を守っていくのに絵が上手くたってなんの役にも立たないよな」と、思おうとした。思おうとして、思おうとして、思おうとして、精神が爆発した。


 


テスト一週間前、まさに追い込みの時期、わたしは勉強がまるで手につかなくなってしまった。教科書の文字が象形文字に見える。鉛筆がぐにゃりぐにゃりと曲がって何も書けない。第一やる気がまるで出ない。もう、なんのためにこの問題を解くのか、意味が分からなくなってしまったのだ。


 


テスト数日前、彼氏にまたおかあさんから電話があった。彼氏がわたしに言った。「結婚するなら、親を捨ててきなさい。あなたの家とは家柄が違いすぎる、だって。」


 


ぐわーーーーん。


わたしはおしんか。平成のおしんなのか。幸せな結婚生活を夢見て最後にただ一つの美術の勉強という夢を叶えたらわたしは彼氏のまぁいうなれば召使いみたいなもんになるつもりでいた。それでもこの二年幸せだったし、それはできる自信があった。だけど美術の望みを絶たれ、さらに今度は親と縁を切れと言われた。


だけど、わたしの親は向こうの親と関係ない。そんなこと言われる筋合いない。


…ダメだ。もうダメだ。結婚出来ない。親を捨てて嫁には行けない。


 


わたしは彼氏に、聞こえないぐらい小さい声で言った「別れたい…」と言った。彼氏は言った「え?なんで?こんなに愛してるのに、俺を置いていくの?君ってそんなひどい子じゃないよ、考え直しなよ。黙って俺と一緒にいれば幸せになれるんだから」


 


まぁこんな男と二年付き合ったわけですからわたしもかなりキてますのでそこでこう思いました。(そうだよな…人を悲しませてはいけないよな…今まで通り付き合おう…)


 


付き合おうと思っては自分の親が目に浮かび、別れようと思っては彼氏の言葉が頭をよぎる。もうどうしたらいいか分からなくなって、でもやっぱり決断しなくてはいけなくて、わたしは、自分の気持ちを優先した。罪悪感に苛まれた。でももうどうしようもなかった。


 


別れ話を何度も何度もし、その度に泣いてる彼氏に「人をこんなに不幸にする資格おまえにあるのかよぉ」と言われ、自分の考えがこんなにも人を傷つけるのかと絶望しわたしも泣きながら「ごめんなさい…」と何度も言った。


 


今思うと、アホ?って思うけど、他人と初めて作った関係、分からないことが多すぎた。


 


何度別れ話をしても聞いてくれないので、わたしはもう、彼の家を飛び出した。実家に帰ったのだ。もう終わり…。そう思った。


 


…が、毎日彼から電話がかかってくるのだった。「今家?ちょっと外に出ない?」「自転車ないじゃん。どこ行ってるの?」「部屋の明かり消えてる。家にいるってウソだろ。」


帰り道、家の近所に彼の車が止まってるのと見てUターンして逃げたこともあった。


 


これぐらいになって初めて「ひぃー! ヤベーのに捕まったー!」と思った。


 


もうここにはいられない。家族にも迷惑がかかる。家を出よう!!


と思ったのが19歳の秋。小さなカバン一つでわたしは家出をしたのだった。


 


 


これがわたしの、初めて家を出た話です。


 

フーゾク、指名の話。

フーゾクのお客さんには、簡単に分けると、指名のお客さんとフリーのお客さんの二種類いる。

指名のお客さんは通常料金のほかに大体2000円の指名料が追加される。女の子は(店にもよるが)大体指名料はそのままもらえる場合が多い。
 
女の子は指名されるのが大好きだ。
指名料が入るのも勿論、フラッときて誰でもいいやと適当に選ばれるよりは、電話で「この子指名で!」と指名できてくれるお客さんの方がやっぱり嬉しいし、本番強要や乱暴なことをするひとも断然少ない。
それになんたってスタッフルームには大体指名表が張り出されていて、女の子同士競わせて、今月指名一位の子にはプラスいくらかのボーナス、なんて店もあった。だから指名を取れるようになるために女の子は日々頑張る。
 
私の場合、自分に会いにきてくれるお客さんがいるという事がとにかく嬉しくて、指名が欲しくてたまらなかった。
 
19歳の時初めての彼氏を振ってフーゾク入りし、全くお客さんの来ない新しく出来たばかりのお店でエロ本の取材をたくさん受け、その雑誌を見た人が電話指名してくれるのをひたすら待った。大きく載せてもらえると指名もガンっと数が伸びた。
 
最初の頃は1日に2人、フリーの人が来るぐらいだったのだが、とある雑誌に少し大きく写真を載せてもらった発売日、朝一からお店の電話が鳴り止まなかった。私を指名してくれるお客さんの電話だった。
 
その日から私は開店5分で指名が埋まるようになった。
 
初めて7時間勤務で60分コース7人全部指名で埋まった時、私はなにかものすごい達成感に包まれた。
1人1万1000円×7人=77000円。
お店の人に「おつかれさま!」と頂いた封筒を握りしめ、嬉しくてたまらなかった。
誰かに「私頑張ったよ!」「認められたよ!」と言いたくてたまらなくなった。
でも、家出してきてるし仕事が仕事だし、言う人がいなかった。
 
仕事後、ファミレスでご飯を食べながら、ふと元彼を思い出した。
今思うと、私の意見はなんでもダメ出しされてたし、束縛は鬼のようだったしヤキモチも異常だったけけど、なんにしろ2年間私のことを好きだ好きだと言ってくれることだけは本当にありがたいと思っていた。当時のそれを思い出し、私は元彼に電話した。「わたし、フーゾクで指名で1日埋まって77000円稼いだんだよ!」
 
ストーカーになった元彼から逃れるために引越しをしフーゾク嬢になったのに、なぜまた元彼に電話をしてしまったのかよく分からないけど、元彼に「がんばったじゃん」と言って欲しかった。言ってくれると思ってた。
 
が、元彼は「フーゾクやってんだ。サイテーだな。もう二度と電話してくんなよ」と電話を切った。
 
わたしは泣いた。
一生懸命頑張って仕事して、新しい世界で認められて、お金をいっぱいもらった。
何がいけないのか、どうしていつもみたいに喜んでくれないのか、当時のわたしは分からなくて、ファミレスで一人でかなり長い時間子供みたいに泣いた。
 
元彼の元を去ったのはわたしなのに、わたしから電話したのは、完全に元彼に依存していたからだと思う。わたしのことを好きだと言ってくれるその時唯一の人だったから、喜んで欲しかったし褒めて欲しかった。だけど、わたしは結局元彼を傷つけることをしてしまった。
そう思えるようになったのはもっと後の話だけど。その時は「どうしてどうして」としか思えなかった。
 
泣いて泣いて、そして吹っ切れた。
この世界は、認められない世界なんだと悟った。誰に褒められなくても自分のために頑張ろうと思った。
 
ガストのオムライスを半分残し、元彼のメモリーを消して、その日わたしは家に帰った。
 
 

過食嘔吐

昔、私が風俗嬢だったことはこないだの「初めての面接」で書いたと思います。そのころの話です。

 

お店は週7日出勤してました。7日です。つまり休みが無かった。

その時働いてたお店は新規オープンしたばかりで女の子が劇的に少なかった。ふたりお客さんが来ても女の子は私しかいない、そういうことがよくありました。そういう時は「今女の子がいっぱいなんで1時間後に来てもらえますか?」と店長が言ってたようです。(ほんとは私しかいないけどな)

 

その頃、本当にお店に入って直ぐのころだったので予約して来てくれるお客さんもまだまばらだった時です。(その後オープン5分で一日の予約が埋まるようになるのだがそれはまたべつにの時に話します)

 

わたしがいないとお店が回らないからとよく店長に言われていました。私はまだ自我がしっかりとあったわけではなく、店長に言われたとおりに週7日働くしか出来ませんでした。頑張って「休みたい」と言っても、聞いてもらえなかった。ふつうにはそこで「私の休みは私が決める」と店を変えてしまえばよかったのですが、ほかの店で働く自信も無かった。

 

とにかく店に出て働き、終わったら家に帰ってコンビニ弁当を食べて寝る。その繰り返し。働いたお金を使う時間も無かった。

 

人間はやはり週5日働いて週1日か2日は休むように出来ているんだなぁと今思います。

 

わたしは一日の半分をほぼ裸で過ごし、よく風邪を引いてました。熱がありぼーっとしてても店長は休ませてくれませんでした。

お客さんにサービスする余裕もなくクラックラの頭で「ごめん、わたしの取り分お返しすから1時間寝かせて」とお客さんにお金を返したことも何度もありました。

 

もう、何のために働いて居るのかよく分からず、ストレスだけが溜まっていきました。

1日の終わりにはコンビニに行って弁当を買う。そのうちそれだけが楽しみになっていました。

 

弁当を買う量がどんどん増えました。コンビニ弁当を二つ、スナック菓子を袋いっぱい、カップラーメン数個、チョコレートを山ほど。そしておでん。その全部を家に着いたら一気に食べ、気持ち悪くなって吐く。吐いたらお腹がすくからまたコンビニに行く。そしてその繰り返し。

過食嘔吐ってやつです。

 

疲れて眠るまで何度でも繰り返しました。

 

毎日毎日コンビニに何度も行く私をセブンイレブンの店員さんはどう思って見ていたんでしょうか。

 

でもわたしは、自分がおかしくなって居ると自覚していませんでした。食べた分吐いてるから太らない。お金はある。自分でそれを選んで居ると錯覚していました。

 

そのうち、指名で一日中が埋まるようになり、お店にも女のコが増え、週に一度か二度お休みがもらえるようになり、私の過食嘔吐はだんだんと治っていきました。

 

でも、コンビニで桃ネクターを毎回買い、壁際に並べるという謎の趣味だけは治らなかった。桃ネクターは二段にも三段にも増え、その後引越したときものっすごい重くて引越しに苦労しました。

今でもあれは一体何だったんだろうと不思議に思います。

 

過食嘔吐は其の後、何年かに一度ぶり返す事がありました。

あぁまたかと思いながら、止めることが出来なかった。

 

トイレで涙目になり指を突っ込みゲーゲー吐きながら「わたし何やってんだろ」って思うけど、やめられなかった。ふらふらになりながらまたコンビニに向かう自分を止める事が出来なかった。

 

そん時は精神科にまだ行ってなかった頃だし、いく必要もないって思ってた。過信っていうか、普通を知らないっていうか、「わたしなんてまだまだ病気でも何でもない」という気持ちが強すぎて、病院に行こうとも思わなかった。「本当の病気の人に申し訳ない」と思ってたし、どうにかなるし私はまだ大丈夫だと思ってた。

 

ここ数年は過食嘔吐してません。もう治ったのかな?

だから今こうして書くことがが出来るんだと思う。

 

 

 

支配と服従

東京生まれと自称していたわたしですが、私じつは岩手県久慈市生まれです。そうです、あまちゃんの久慈市です。

 

小さい頃から引っ込み思案で被害妄想もひどく人間関係を築くのも苦手だったのですが、岩手はそんなわたしにもとても優しくて、近所の子から妹の友達まで幅広くわたしを受け入れてくれていたので、いじめられる事もなく岩手での生活は楽しむことができました。

 

そんなある小五の終わり、両親に話があると言われ、私たち三姉妹は、来年東京に引っ越すと言うことを告げられた。

 

東京…

 

終わった。

そう思った。

 

なぜそう思ったかと言うと、わたしの中では東京のイメージが悪すぎた。

いじめっ子がたくさんいて、田舎もんは格好の餌食になるんだろう。お嬢様風のリーダーが右向けと言ったら右、左向けと言ったら左、黒を白といったら白、そういう世界にこれから私は入らなければいけないんだろう。もちろんわたしがリーダーになるわけがない。田舎モンだからだ。

 

マジ人生終わった。

短い人生さようなら。

わたしはこれから誰かしらんTOKYOの人の奴隷になります。

 

ちなみに姉と妹はそれぞれ違うことを考えていたようだ。

 

姉は「原宿に行ける!」ととにかく東京が楽しみだったようす。

妹は「東京モンに負けてたまるか!」とナゾの気合十分。

 

「一人で岩手に残る…」

私の提案が叶えられるはずもなく、私達は次の年の三月、東京に家族で引っ越した。

 

6年生の一学期の朝礼から私は学校に参加した。

朝令が終わり、靴箱に靴を入れていたらある女の子が声をかけてきた。

 

「何組?6組なら私と一緒、一緒に行こう?」

 

ほんとうには嬉しいはずなのだろうが、「一緒に行こう?」で首を傾げたその子の笑顔がその子の笑顔がその子の笑顔が…

 

ヘタな役者よりヘタだった。

 

目が笑ってない。全然笑ってない。ちょっともうこれは目も合わせられないぐらいこっちが引きつるしかないような笑顔。実際に多分私はひきつり笑顔だったと思う。でも「きたぞ、東京モンがきたぞ」とビビり、反抗もできずノコノコとその子について行くしかなかった。

 

まぁ、誰にも話しかけられないよりはいいだろう。

そう思ったのが間違いだった。

その子は栗色のロン毛をふわりと揺らしながらその子のグループの子たちを私たちに紹介した。

どうみてもみんな、その子の奴隷だった。

 

がっこうが終わり、「家どこなの?一緒に帰ろう?」1番に私に寄っていたその子が言った。

私は断ることができず、その日から私たちには一緒に帰るのが当たり前だになった。

 

さてさて、その後の話。

その子の傍若無人っぷりったらなかった。

入るクラブ活動も希望聞かずに勝手に一緒にされ、日曜日は毎週グループ全員参加で遊ぶ。

わたしはその子が好きなのか怖いだけなのかよく分からないまま、用事をこなすだけに一生懸命になっていた。

 

学校が始まって数週間したある日、自然と声をかけてくれた、どのグループにも属さない女の子に遊びに誘われた。日曜は恐ろしいグループのリーダーとの会があるけど、私に興味を持ってくれた女の子とも遊びたくて、わたしはリーダーにに「体調が悪い」と嘘をついて、声をかけてくれた子と遊びに行った。

 

楽しかったー。威張らないし優しいし、命令もしないし、すごく楽しくて日が暮れるまで楽しく遊んだ。

 

 

さて次の日の朝、学校に行くと、クラスがシンと静まり返っていた。

私は自分の席に座り、まわりを見渡した。

 

窓際のほうに、わたしの(勝手に入れられた)グループのの子達が腕組をしてこっちを睨んでいた。

 

(マンガかよ!!)

 

数分したらリーダーが腕を組んだままわたしの席の前までツカツカとあるいてきてこう言った。

 

「なんであたしたちが怒ってるかわかってる?」

私はなにも言えず下を向いていた。

「自分の胸に手を当てて考えてみなよ!」

 

今思うと、小六でそのセリフ、どっかで聞いたことがあって一回言ってみたかったんだろうなと思う。だってドラマみたいだったもの。

 

わたしは怖くて怖くて、下を向いたまま黙っていた。

泣きそうだった。原因は分かっていた。グループの外の子と遊んだからだ。でもどうしてだめなんだろう。ダメって言われたらダメなんだろうけど、どうしてこんなに支配するんだろう。なんて言っていいのか分からずにオロオロしているわたしの隣の席の素直な男子が口を挟んだ。

 

「つまんねー事やってんなよ」

 

ナイスぶっ込み!

そう!それ!つまんねー事やめてくださるとありがたい!

 

女のコは言った。

「もぉ〜。男子は黙ってて!」

 

この子はいちいちドラマっぽいセリフを言う子だった。なんでか知らないけど。

「謝りなよ!」

「…」

「謝りなって言ってんじゃん!!!」

「…ごめんなさい」(思ってないけど)

 

 

「ウゼーなぁ、女子!」

となりの男子が呆れて言った。

 

 

 

この後、信じられないことに、私は17歳になるまでこのグループのから逃げることが出来ず、ずーっとグループのの最下層に配置され、その子の引き立て役ばかりさせられた。

 

その子よりブス、その子よりバカ、その子よりダサいと言う役割を押し付けられていた。グループのみんなもそれを否定する事はなかった。(しかしリーダー、特に可愛かったわけではない。)

 

わたしの東京での初めての友達づきあいはこんな感じに始まり17歳でリーダーに絶交状を描くまで続いた。

 

高校の進路を決めるとき、私だけみんなの偏差値に足りず、違う高校に行けたときはガッツポーズだった。泣きたいぐらい嬉しかった。

 

この経験があったから、わたしは友だちの作り方を勉強するすることができなかったように思う。

 

支配と服従の関係になれてしまった。

同等の人間関係を築くのがほんとうにいまでも苦手だ。

 

まぁ恨んでも仕方ないし、イヤだと言えなかったわたしが悪いんだけど、それにしても大変なのに捕まったなぁと、いまでも思います。

 

終わり

 

女の子が苦手だった話

同性とも異性とも接し方がわからず友達もろくにいなく彼氏が初めて出来て別れたあたり、19歳の終わり、人間関係を築けないひん曲がった精神のまま、私は突如フーゾクへ入った。

初めて会った人と、ずっと仲良しな間柄のように仲良くするのは、働き出すまでわからなかったのだが、とても楽しいことだった。
人との距離がわからず、何を話していいのかどうやって近づいたらいいのか、わからないまま、突然フーゾクに入り、一気に距離を縮める方法は、性体験だなと思った。なんだ、最初からみんなとヤレばよかった、と思った。
そしたらみんな私を受け入れてくれたのではないか?

それからは、男の人が一気に身近に感じた。仲良くなりたければ、性の対象になれば良いのだと、私はまたひん曲がった人間関係の築き方を覚えた。
その後数年は楽しかった。みんな優しいし可愛いと言ってくれる。喜ばれるしまた会いに来てくれる。それが分かりやすく金額になって跳ね返り、私はお金をもらうたびに人間と仲良くなれた錯覚をした。いや、錯覚なのかな?分からない。でも、1つの形として、フーゾクは私を救ったし、私は人間が好きになった。

結構仕事も慣れて指名も埋まるようになった頃、1つの問題が起こった。
女の子は、苦手なままだったのだ。

女の子は男の子が好き。私は男の子じゃない。だから女の子は性の対象ではなかった。
性の対象としてしか人間と仲良くなる方法を知らない私は、女の子をどう克服していいかわからなくて悩んだ。
悩んで悩んで1つの結論に達した。
女の子も性の対象にすれば良いのではないか?と。

乱暴なやり方だった。私は女の子を好きになることにして、女の子をそう言う目で見るようになった。女の子と仲良くなりたい時、頭の中で一度その女の子をこっそり頭の中で性の対象として考える。どんなセックスをするのか、どうやって悦ばそうか、そんなことを実は女の子に対して毎回思ってた。(あの頃の皆さんすいません、そう言う目で見てました)

そのうち、本当に女の子と仲良くなりたくて、同性が好きな女の子を探す旅に出た。(安易にネットで)

初めてネットから出て来た女の子は、それはそれはかわいい小動物のような女の子だった。私の好きな肉感的でもあり、私のことも気に入ってくれた様子。2回目のデートでそのことセックスした。自然に事は進んだ。思ったより簡単に壁を超えた。

思ってた通り、相手が性の対象なら私は知らない女の子に話しかけることもできたし、距離を縮めることも出来た。男の子と一緒だ。

相手に興味がある事を自然と表現できたし好きだと口に出せた。

私は感動した。
女の子を克服したぞ!!

これで男の子も女の子も、つまり人類全員を身近に感じることができるし怖くない!みんな大好き!(性的に!!!)


ちなみにその後、予想を超える出来事が起きた。
ネットで知り合った最初の子を好きになってしまったのだ。

毎日その子のことを考えるようになった。他に女の子と出会って(安易にネットで)いても、その最初の女の子をいつも思い出してしまう。これはほんとに運が良かったというか、運命だったと思う。その後何人の女の子と知り合っても最初の子ほどの衝撃はなかった。

そして告白した。好きだから付き合おうよ、と、ストレートに言った。
女の子は気を使う感じで「んー、そういうのは別にいいんじゃない?笑」と、笑った。

…ガーン。振られてもーた。

悲しくて悲しくて、いよいよ私は出会い系に精が出た。忘れたくて知らない女の子に乱暴した。好きになってくれた子を適当にあしらい傷つけたと思う。
そのうち、色々あり、ネットで女の子を探すのはやめた。頭の中で妄想するだけにしようと決めた。
もともと女の子が好きなわけじゃないのに、女の子に手を出したら傷つけるだけだなと冷静になれた。
ふぅ。
落ち着こう。

最近はだいぶ人間関係を性的な意味以外でも築けるようになり、男の子はもちろん女の子とも仲良くなれるようになったと思う。

でもね、仲良くなりたい新規の女の子のことは頭の中で一度犯してます。
すみません女の子!
この癖はまだ抜けないようです!

でも、もう手は出さないので安心してください。
安易に人を傷つけるような真似はもうしません。
あと、最初の子に振られたから、女の子に告白するのがめっちゃ怖くなったよ!!
悪いことしたら罰があるね。
きっと、バチに当たったんだわわたし。

ピザーラ君のこと。

私、中学時代びっくりするほどモテなかった。

モテるどころか男のこと喋った記憶が3回ぐらいしかない。

だれも私に話しかけなかったし私からはもちろん話しかけないからそういう中学時代を過ごした。

見た目はまぁまぁ別に普通だったと思うけど、その頃の写真見るとまぁそれはそれは悪いバイブスが出まくり。簡単に言うと地雷臭すごい。メンヘラ臭と言うのか。なんと言うのか。もう、話しかけていいことないですって顔に書いてる。分かりやすい地雷。踏みつけ注意。

 

実際私は学校からの帰り道何処へもぶつけられない怒りや悲しみを通学路の電信柱にぶつけ、電柱あるたびにグーパンチして帰ったりしてた。

そんなやつに話しかけたいと思う人はいないだろう。

今の私なら、手から血を流しながら電信柱にパンチしてる女見たら見なかったことにして無視。当たり前だ。

 

そんな私でも17歳の終わりに彼氏ができた。彼氏のことは初めての彼氏のブログがあるのでそちらを読んで下さい。

 

ところで男の子に全くモテない10代を過ごしていたのに、彼氏ができた途端、生まれて初めてとある男の子に電話で告白された。(まぁそんなもんだよね)

生まれて初めて「お前のことが好きだ」と電話で告られ、彼氏に隠れて家ではその子と電話してた。(そう言うのを浮気というのでは。。)

 

私は自己評価が低いから、人に認めてもらうことが大好きで、彼氏、告ってくれた男の子、二人に認められた気がして浮かれてた。

 

彼氏にも、最近こういうことがあったよと報告はしていた(隠れて電話してることはさすがに言わなかったけど)。

 

 

あるとき彼氏の家で、ピザを頼もうと言うことになり、ピザーラに宅配を頼んだ。そういえば告ってくれた男の子、ピザーラで働いてたな、とか思いながら、ピザの好きな私は彼氏と共にピザを待った。

 

30分して彼氏の家にやってきたのはなんとその告ってくれた男の子。

彼氏が玄関でその男の子とお金のやりとりしてるのを見て、私、嬉しくなってその男の子に手を振った。

「元気〜?」と笑顔で。

 

私的には、私のこと好きな人が今目の前に二人もいるって言う現実にただただ嬉しくなって手を振ったのだけど、彼氏がジロっとこっちを見てまた玄関のピザーラ君とお金のやり取りをし、ピザーラ君はものすっごい気まずそうな顔をしたまま結局私の方は一度も見ないまま扉が閉まった。

 

おや? どうしてだろう。どうしてみんな喜んでくれないんだろう。

 

私がだれかに好かれることって、私のこと好きな人にとってはいいことじゃないのかな。うらんちゃん、良かったね、うらんちゃんのこと好きな男の子が来たよ!って。

 

 

今なら。今もし同じことが起こったら、部屋の一番奥に隠れて玄関を見ようとしないだろう。気まずい空気が流れてその後彼氏に数時間ぐちぐち言われながら食べる冷めたピザのまずいことと言ったら。

 

人間関係ってとても難しい。

私は私を受け入れて欲しいだけで、浮かれやすいだけなんだけど、そういうことによって人を同時に二人も傷つけることになった。

それによって自分も傷ついてもとからない自信をさらに失った。

自分から何か発信する時はだれかに許可を得てからじゃないとうまくいく自信がない。これからはそうしよう。。。

 

うかれたぶん、落ち込んだなぁ。

 

1番の被害者は、好きな子の彼氏と気まずくお金のやりとりをしながらずっと目線を落として気まずそうにしていたピザーラ君ですが。

 

あの時はごめんね。

 

ちなみにほぼ毎日夜中に電話してたピザーラ君とはそれっきり一度も電話がかかってこなくなりました。

 

 

当たり前じゃ!

 

子供を作った経緯

わたしは子供になんか30歳になるまでまるで興味がなかった。

 

美しくありたい自分がお腹を大きくする想像もつかなかったし、子供に対して愛情をモテる自信もなかった。それに、結婚なんてもっとも縁がないと思っていた。それまで結婚してくれと言われたこともなきにしもあらずだがほとんど恐喝に近い形で、おつきあいをしている相手に結婚しようねと言いまくり、びびった相手に「う、うん」と言わせていただけだったし、実際ほんとに私と結婚しようとしてた人はいなかっただろうし薄々それを肌で感じていた。やっぱそんなだから本当に結婚するとしたらそれはアクシデントだぐらいに思っていた。だが、実際相手がもう私の情熱に諦めて結婚しようかぁとなると途端に私は相手への気持ちがレッドからピンクを経て最終的には精神的にマリッジブルーになり逃げるように交際を終わらせて来た。

 

それでも結婚への夢は持っていて、結婚したら相手のお金でお小遣いをもらいお金の計算は全部旦那にしてもらい、ラブラブの二人きりまたはプラス犬を飼って暮らしていこうと思っていた。

 

子供には第一興味がないし、むしろ誰にでも好かれる子供という存在はとにかく嫌いだった。ただの自信のなさからくる嫉妬だけど。

 

私は旦那様に子供のように可愛がられる想像しかなかった。そこに子供が入って来たら私なんて二の次になる。そんな悲しいこと受け入れたくなかった。だって子供は世話しなきゃすぐに死んじゃうんだもの。

ちっちゃくて壊れそうで怖いし、どう声をかけたらいいかわからない。赤ちゃん言葉使うなんて恥ずかしいし、やったこともない。

 

だけど相手には「子供産もうね!」とそれまた呪文のように毎日そう伝えていた。(みんなごめん)なんでだろう。結婚して子供作って一生一緒にいようねって思って欲しかった。矛盾してるんだけど私は実際そうだった。そういう優しい(のか気の弱い、あるいは今なんとか言っとけばなんとかなるだろう)人たちに、子供よりも子供のように可愛がられて一生を過ごしたいという気持ちがやっぱり今思い出してもずっとあった。

私は何様だろうか。でも夢だから仕方ないのです。

 

 

私は悲しかった。ま、私のせいではあるんだけど、私を好きだと言ってくれる人に結婚やら子供やらのプレッシャーは耐えられなかったんだろう。みんなだんだんと覇気がなくなっていく。

私がヒステリーのように結婚結婚と言うから(実際はすぐに結婚とは思っていなかった。相手に結婚しようねと思ってもらいたいけど言ってくれないから自分から言ってただけだった)相手のテンションは下がるばかり。なんだかギクシャクし、そのうち違う男を見つけてそっちの方が私のことをなにも知らないぶん、優しく感じて乗り換えるを繰り返した。

多分みんな、ホッとして離れていくことができたと思う。その時も私は相手に強く当たった。「じゃぁね」と冷たく言われたら、どうして?なんで?私のこと好きじゃないの?私は違う人が好きだけど。と、一見アタマおかしいやつになっていたと思う。

男たちは、「好きだよ、でもうらんちんの好きにしなよ。ね。」と最後まで優しさを見せてくれた(私の無理強いのせいだけどただの)

 

30歳になる時、猛烈な鬱に苦しんだ。

30歳になるのに私ったらなに。この手の中にはなにもない。

それでも死ぬような気配もない。

世の中には私よりも可愛くて若くて優しい女子がたくさん出現してきているのに私はなんだ。なにもしてない。私にはなにもない。ただ、老いてきている、それだけは毎日見る鏡に映る自分を見て自覚せざるを得なかった。

 

だれと付き合っても、私の心を安心させてくれる人はいない。

私のことを死ぬまで好きだよと本気で言ってくれる人が万が一いたとしても、今までそうだったようにいつかは居なくなる。その原因のほとんどは私自身によるものだったが、なんだか相手のせいにしたい気持ちが強くて相手を責めた。

どうして暴れる私を押さえつけてお姫様抱っこで結婚式場に連れて言ってくれなかったの!そんな生活の中だから、人のせいにしといてなんだが、私の心は常に寂しかった。だれもわたしを本当には求めていないと心底悲しくて死にそうだった。

 

30歳の鬱の時実家の布団の中でウンウン唸っていたら、なんとなく神が降りてきた気がした。

「子供を作ろう」

違う人生を生きてきた他人とわかり合おうとする作業よりも、半分自分でできた子供という存在は、私のことを安心させてくれるんじゃないか。私がいなければ生きていけない存在を一生懸命愛することで、私は寂しさから解放されるような気がした。

 

ひどいかもしれない。今ならそう思う。どこまでも自分勝手だ。

 

だけどその時はそう思ったんだ。

 

そして子供に対して、全く興味がないどころか絶対必要と思い始めた。

 

私は子供のパパを探した。お腹が大きくなったら働けない。子育てもある程度まではつきっきりになるだろうしお金を持ってきてくれる人が必要だ。

 

私は飲み屋でその日知り合った人に「子供が欲しいんだよね」と言った。

相手はこう言った。「いいじゃん。産もうよ。一生食わすよ」

話はトントン拍子に進んだ。

私を一生食わしてくれると言ってくれた人は生まれて初めてだった。これはチャンス、そう思った。気さくな人ですぐに打ち解けた。

子供のパパになるには申し分なかった。と、その時は思った。

そして子供を作った。

 

出会って一ヶ月で子作り宣言。それから三ヶ月目、妊娠検査薬の出番も3番目の生理予定日、検査薬が反応した。

 

子供ができたのだ。

 

その時の、私の喜びよう、狂ったかと思うほどだった。

もう一人じゃない。お腹の中に私の血を分けた分身がいる。

一人じゃない。もう、心身ともに二人だ。

 

どんだけ安心感を得たか、説明が出来ないぐらい、私の心は安らかになった。あんな気持ち、後にも先にも、その時しかない。

 

私は孤独に蝕まれていたんだ。

自分は命短くしぬと思っていたのも、きっと希望だった。

一人で生きなければいけないこの世の中に絶望していた。

だれも私を全部どこか遠くへさらってくれなかったし。

 

それから変わった。

私にはこの子がいる。

半分私の小さな命がある。

死んでも守らなきゃ。

 

そう思って、私は計画的に妊娠をしたのでした。

検査薬が反応した時、今までの人生で間違いなく一番幸せな瞬間だと思った。

「イエス!!」とトイレで拳を作った。

 

好き嫌いがなかったわけ

私の家はあまり裕福でなかった。

小さいころからお金がなくて買ってもらえないものや食べられないものがたくさんあった。

親はどちらも中卒で、苦労して私たち三姉妹を育ててくれた。

将来困らないようにと、字の練習と食事のマナーだけは厳しかった。

 

お魚をキレイに食べると褒められたし、お箸の持ち方はみんなキレイだ。年賀状の時期になると家族全員でキレイな文字を書く競争をするのが習慣だった。

 

私は小さいころ、食べ物の好き嫌いがなかった。

なんでもよく食べて大きくなった。

妹が「きゅうり嫌い〜」姉が「玉ねぎ嫌い〜」って言ってる横で、なんでもモリモリ食べてお母さんに褒められた。

私は、自分はもちろん食べ物の好き嫌いのない人間だと思っていた。

 

大人になり、家を出て、自分でご飯を買ったり作るようになって

 

「あ、私、ミョウガ嫌いだ」と気づいた。

それから何かを思い出すように好き嫌いが増えていった。

 

わさび、生姜、ミョウガ、キムチ、癖の強いものは結構嫌いなんだなと気づいた。

 

だけどどうして小さいころ、なんでも食べることができたんだろうって不思議に思い考えた。

 

そして、私はお母さんに褒められるのが嬉しくてなんでも頑張って食べていたんだと気づいた。

 

小さな頃は、姉と妹がブーブー言っている中、私だけがなんでも残さずご飯を食べてその度にお母さんに褒められた。

 

「なんでも食べて偉いねぇ」

それが本当に本当に嬉しかったんだ。

 

私は姉や妹のようにお母さんに素直に甘えることが出来なかったので、私の良さをアピールするにはなんでもモリモリ残さず食べる、っていうのが褒められるポイントとして自分の中に植えつけられていたんだった。

 

大人になりそれに気づいて、泣きそうになった。

 

お母さんに甘えることは出来なかったけど

お母さんに認められたかったんだ、私。

 

お母さん見て! 私、なんでもモリモリ食べるよ!

口に出すことはなかったけど、いつも思っていたような気がするよ。

 

嫌いな食べ物も、それにすら気づかず、なんでも食べてたよ。

 

嫌いだってことすら、気づかなかった。

 

だってお母さんに、褒められたかったから。

認められていい子だって言われたかったから。

 

私は昔から自分に自信がなく、他人の評価によってでしか自分の価値を知ることが出来なかった。

 

だから、誰か褒めてくれる人が必要だった。

 

まだ小学生で、私の世界は家族と学校しかなかった。

学校は大人数だから、その中で自分をアピールする自信がなかったから、とにかく学校ではおとなしくしてた。

 

そのぶん家族は5人しかいないから、アピールするには格好のチャンスだった。

 

だけど声に出して「褒めて褒めて!」とは言えず

ただ黙って黙々となんでも食べた。

 

おかげでお母さんには、好き嫌いがないってことに関しては本当に褒められてたな。

 

嬉しかったな。

 

 

 

もう今はすぐそばにお母さんがいないから

好きなものしか食べないし、実は嫌いだったものも食べることはなくなった。

 

自分でそれらを決めることができるぐらいには自立したなぁと思う。

 

褒められて嬉しかったな。

今でも思い出すと、そう思うよ。

 

だけど素直に言えなかった自分を思うと

やっぱりなんだか泣きそうになる。

 

 

 

 

 

知らんおじさんの手

15〜6のとき、3つ上の姉と飲食店に行ったことがあった。

私たちは二人で食事をとっていた。

姉がトイレかなにかに立ったとき、隣に座っている酔っ払ったおじさん二人組に私は声をかけられた。

「ねぇちゃん二人でご飯か〜」

 

私は知らないおじさんに話しかけられたのがほぼ初めてのことで、緊張しながら「そうです」と答えた。

おじさん達は喜んで、なんやかんやと質問攻めをしてきた。

しばらく私は知らんおじさんとたどたどしくも会話を楽しんだ。

 

姉が席に戻り、おじさんと仲良く話す私を見て眉をひそめた。

「もう帰ろう!」

 

おじさんは

「もう帰っちゃうのか〜」

「じゃぁ記念に」

と、突然私の手を握った。

 

姉が私の腕を掴んで出口へと強引に引っ張った。

「帰るよ!」

私は知らんおじさんに手を握られながら

「え〜、今私楽しかったのに…」

と思いながら姉について帰った。

 

40歳になり、今知らんおじさんに勝手に手を握られたら

笑いながら「お触り禁止っす、一回2000円!」ぐらい言えるんだけど、当時私は、他人に興味を持ってもらえることがほぼなかったし一生ないと思っていたので、知らんおじさんの握手がとても嬉しかった。

知らんおじさんの手はあったかかったし、両手でスリスリしてくれて、私は大事にされている錯覚を得た。

 

知らんおじさん、あの時はありがとう。

でも怖いのでそういうのもうやらない方がいいよ。

 

姉は当時からちゃんと自分の価値を分かっていたんだろう。

しばらくの間、気持ち悪い!ってプリプリ怒ってた。

 

なんでかなぁ〜、、て私は思ってたよ。

 

 

終わり

 
 

嫌味な人がいた

ある日のファミレス店内。
隣に女の子3人組がきて「ひさしぶり〜!」って会合開いてた。

そして席に着くやいなや1人がもう1人に「ババァ感半端ないけど彼氏でも変わった?」といきなりのジャブ。「彼氏変わってないよ〜」言われた方はあまり気にしてないっぽい。「彼氏、どんなだっけ、忘れたわ〜!」それ、言わなくてよくない?

ババァ感言われた子「それよりさ、こないだ原宿で財布落としたの。その日はめっちゃ落ち込んじゃったけど、死ぬわけじゃないからいいか〜って!」とポジティブ発言。
ババァ感言った子「死ぬわけじゃないからって良い訳じゃないけどね!」

そこまで落とすか。
女の友情本気かネタか分からんな。
しかし性格ブスだなぁ。と思いながらもどうしても顔が見たくて帰り道チラッと見たら…

性格は顔にでるなぁ…。

私は人に優しくあろうと思いました。



おわり