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KAIENTAI-DOJOの試合はほとんど出るよ。
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2017年09月12日

子供を作った経緯

テーマ:書きなぐる

わたしは子供になんか30歳になるまでまるで興味がなかった。

 

美しくありたい自分がお腹を大きくする想像もつかなかったし、子供に対して愛情をモテる自信もなかった。それに、結婚なんてもっとも縁がないと思っていた。それまで結婚してくれと言われたこともなきにしもあらずだがほとんど恐喝に近い形で、おつきあいをしている相手に結婚しようねと言いまくり、びびった相手に「う、うん」と言わせていただけだったし、実際ほんとに私と結婚しようとしてた人はいなかっただろうし薄々それを肌で感じていた。やっぱそんなだから本当に結婚するとしたらそれはアクシデントだぐらいに思っていた。だが、実際相手がもう私の情熱に諦めて結婚しようかぁとなると途端に私は相手への気持ちがレッドからピンクを経て最終的には精神的にマリッジブルーになり逃げるように交際を終わらせて来た。

 

それでも結婚への夢は持っていて、結婚したら相手のお金でお小遣いをもらいお金の計算は全部旦那にしてもらい、ラブラブの二人きりまたはプラス犬を飼って暮らしていこうと思っていた。

 

子供には第一興味がないし、むしろ誰にでも好かれる子供という存在はとにかく嫌いだった。ただの自信のなさからくる嫉妬だけど。

 

私は旦那様に子供のように可愛がられる想像しかなかった。そこに子供が入って来たら私なんて二の次になる。そんな悲しいこと受け入れたくなかった。だって子供は世話しなきゃすぐに死んじゃうんだもの。

ちっちゃくて壊れそうで怖いし、どう声をかけたらいいかわからない。赤ちゃん言葉使うなんて恥ずかしいし、やったこともない。

 

だけど相手には「子供産もうね!」とそれまた呪文のように毎日そう伝えていた。(みんなごめん)なんでだろう。結婚して子供作って一生一緒にいようねって思って欲しかった。矛盾してるんだけど私は実際そうだった。そういう優しい(のか気の弱い、あるいは今なんとか言っとけばなんとかなるだろう)人たちに、子供よりも子供のように可愛がられて一生を過ごしたいという気持ちがやっぱり今思い出してもずっとあった。

私は何様だろうか。でも夢だから仕方ないのです。

 

 

私は悲しかった。ま、私のせいではあるんだけど、私を好きだと言ってくれる人に結婚やら子供やらのプレッシャーは耐えられなかったんだろう。みんなだんだんと覇気がなくなっていく。

私がヒステリーのように結婚結婚と言うから(実際はすぐに結婚とは思っていなかった。相手に結婚しようねと思ってもらいたいけど言ってくれないから自分から言ってただけだった)相手のテンションは下がるばかり。なんだかギクシャクし、そのうち違う男を見つけてそっちの方が私のことをなにも知らないぶん、優しく感じて乗り換えるを繰り返した。

多分みんな、ホッとして離れていくことができたと思う。その時も私は相手に強く当たった。「じゃぁね」と冷たく言われたら、どうして?なんで?私のこと好きじゃないの?私は違う人が好きだけど。と、一見アタマおかしいやつになっていたと思う。

男たちは、「好きだよ、でもうらんちんの好きにしなよ。ね。」と最後まで優しさを見せてくれた(私の無理強いのせいだけどただの)

 

30歳になる時、猛烈な鬱に苦しんだ。

30歳になるのに私ったらなに。この手の中にはなにもない。

それでも死ぬような気配もない。

世の中には私よりも可愛くて若くて優しい女子がたくさん出現してきているのに私はなんだ。なにもしてない。私にはなにもない。ただ、老いてきている、それだけは毎日見る鏡に映る自分を見て自覚せざるを得なかった。

 

だれと付き合っても、私の心を安心させてくれる人はいない。

私のことを死ぬまで好きだよと本気で言ってくれる人が万が一いたとしても、今までそうだったようにいつかは居なくなる。その原因のほとんどは私自身によるものだったが、なんだか相手のせいにしたい気持ちが強くて相手を責めた。

どうして暴れる私を押さえつけてお姫様抱っこで結婚式場に連れて言ってくれなかったの!そんな生活の中だから、人のせいにしといてなんだが、私の心は常に寂しかった。だれもわたしを本当には求めていないと心底悲しくて死にそうだった。

 

30歳の鬱の時実家の布団の中でウンウン唸っていたら、なんとなく神が降りてきた気がした。

「子供を作ろう」

違う人生を生きてきた他人とわかり合おうとする作業よりも、半分自分でできた子供という存在は、私のことを安心させてくれるんじゃないか。私がいなければ生きていけない存在を一生懸命愛することで、私は寂しさから解放されるような気がした。

 

ひどいかもしれない。今ならそう思う。どこまでも自分勝手だ。

 

だけどその時はそう思ったんだ。

 

そして子供に対して、全く興味がないどころか絶対必要と思い始めた。

 

私は子供のパパを探した。お腹が大きくなったら働けない。子育てもある程度まではつきっきりになるだろうしお金を持ってきてくれる人が必要だ。

 

私は飲み屋でその日知り合った人に「子供が欲しいんだよね」と言った。

相手はこう言った。「いいじゃん。産もうよ。一生食わすよ」

話はトントン拍子に進んだ。

私を一生食わしてくれると言ってくれた人は生まれて初めてだった。これはチャンス、そう思った。気さくな人ですぐに打ち解けた。

子供のパパになるには申し分なかった。と、その時は思った。

そして子供を作った。

 

出会って一ヶ月で子作り宣言。それから三ヶ月目、妊娠検査薬の出番も3番目の生理予定日、検査薬が反応した。

 

子供ができたのだ。

 

その時の、私の喜びよう、狂ったかと思うほどだった。

もう一人じゃない。お腹の中に私の血を分けた分身がいる。

一人じゃない。もう、心身ともに二人だ。

 

どんだけ安心感を得たか、説明が出来ないぐらい、私の心は安らかになった。あんな気持ち、後にも先にも、その時しかない。

 

私は孤独に蝕まれていたんだ。

自分は命短くしぬと思っていたのも、きっと希望だった。

一人で生きなければいけないこの世の中に絶望していた。

だれも私を全部どこか遠くへさらってくれなかったし。

 

それから変わった。

私にはこの子がいる。

半分私の小さな命がある。

死んでも守らなきゃ。

 

そう思って、私は計画的に妊娠をしたのでした。

検査薬が反応した時、今までの人生で間違いなく一番幸せな瞬間だと思った。

「イエス!!」とトイレで拳を作った。

 
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2017年07月19日

好き嫌いがなかったわけ

テーマ:書きなぐる

私の家はあまり裕福でなかった。

小さいころからお金がなくて買ってもらえないものや食べられないものがたくさんあった。

親はどちらも中卒で、苦労して私たち三姉妹を育ててくれた。

将来困らないようにと、字の練習と食事のマナーだけは厳しかった。

 

お魚をキレイに食べると褒められたし、お箸の持ち方はみんなキレイだ。年賀状の時期になると家族全員でキレイな文字を書く競争をするのが習慣だった。

 

私は小さいころ、食べ物の好き嫌いがなかった。

なんでもよく食べて大きくなった。

妹が「きゅうり嫌い〜」姉が「玉ねぎ嫌い〜」って言ってる横で、なんでもモリモリ食べてお母さんに褒められた。

私は、自分はもちろん食べ物の好き嫌いのない人間だと思っていた。

 

大人になり、家を出て、自分でご飯を買ったり作るようになって

 

「あ、私、ミョウガ嫌いだ」と気づいた。

それから何かを思い出すように好き嫌いが増えていった。

 

わさび、生姜、ミョウガ、キムチ、癖の強いものは結構嫌いなんだなと気づいた。

 

だけどどうして小さいころ、なんでも食べることができたんだろうって不思議に思い考えた。

 

そして、私はお母さんに褒められるのが嬉しくてなんでも頑張って食べていたんだと気づいた。

 

小さな頃は、姉と妹がブーブー言っている中、私だけがなんでも残さずご飯を食べてその度にお母さんに褒められた。

 

「なんでも食べて偉いねぇ」

それが本当に本当に嬉しかったんだ。

 

私は姉や妹のようにお母さんに素直に甘えることが出来なかったので、私の良さをアピールするにはなんでもモリモリ残さず食べる、っていうのが褒められるポイントとして自分の中に植えつけられていたんだった。

 

大人になりそれに気づいて、泣きそうになった。

 

お母さんに甘えることは出来なかったけど

お母さんに認められたかったんだ、私。

 

お母さん見て! 私、なんでもモリモリ食べるよ!

口に出すことはなかったけど、いつも思っていたような気がするよ。

 

嫌いな食べ物も、それにすら気づかず、なんでも食べてたよ。

 

嫌いだってことすら、気づかなかった。

 

だってお母さんに、褒められたかったから。

認められていい子だって言われたかったから。

 

私は昔から自分に自信がなく、他人の評価によってでしか自分の価値を知ることが出来なかった。

 

だから、誰か褒めてくれる人が必要だった。

 

まだ小学生で、私の世界は家族と学校しかなかった。

学校は大人数だから、その中で自分をアピールする自信がなかったから、とにかく学校ではおとなしくしてた。

 

そのぶん家族は5人しかいないから、アピールするには格好のチャンスだった。

 

だけど声に出して「褒めて褒めて!」とは言えず

ただ黙って黙々となんでも食べた。

 

おかげでお母さんには、好き嫌いがないってことに関しては本当に褒められてたな。

 

嬉しかったな。

 

 

 

もう今はすぐそばにお母さんがいないから

好きなものしか食べないし、実は嫌いだったものも食べることはなくなった。

 

自分でそれらを決めることができるぐらいには自立したなぁと思う。

 

褒められて嬉しかったな。

今でも思い出すと、そう思うよ。

 

だけど素直に言えなかった自分を思うと

やっぱりなんだか泣きそうになる。

 

 

 

 

 
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2017年07月13日

知らんおじさんの手

テーマ:おしらせ

15〜6のとき、3つ上の姉と飲食店に行ったことがあった。

私たちは二人で食事をとっていた。

姉がトイレかなにかに立ったとき、隣に座っている酔っ払ったおじさん二人組に私は声をかけられた。

「ねぇちゃん二人でご飯か〜」

 

私は知らないおじさんに話しかけられたのがほぼ初めてのことで、緊張しながら「そうです」と答えた。

おじさん達は喜んで、なんやかんやと質問攻めをしてきた。

しばらく私は知らんおじさんとたどたどしくも会話を楽しんだ。

 

姉が席に戻り、おじさんと仲良く話す私を見て眉をひそめた。

「もう帰ろう!」

 

おじさんは

「もう帰っちゃうのか〜」

「じゃぁ記念に」

と、突然私の手を握った。

 

姉が私の腕を掴んで出口へと強引に引っ張った。

「帰るよ!」

私は知らんおじさんに手を握られながら

「え〜、今私楽しかったのに…」

と思いながら姉について帰った。

 

40歳になり、今知らんおじさんに勝手に手を握られたら

笑いながら「お触り禁止っす、一回2000円!」ぐらい言えるんだけど、当時私は、他人に興味を持ってもらえることがほぼなかったし一生ないと思っていたので、知らんおじさんの握手がとても嬉しかった。

知らんおじさんの手はあったかかったし、両手でスリスリしてくれて、私は大事にされている錯覚を得た。

 

知らんおじさん、あの時はありがとう。

でも怖いのでそういうのもうやらない方がいいよ。

 

姉は当時からちゃんと自分の価値を分かっていたんだろう。

しばらくの間、気持ち悪い!ってプリプリ怒ってた。

 

なんでかなぁ〜、、て私は思ってたよ。

 

 

終わり

 
 
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2017年03月05日

嫌味な人がいた

テーマ:書きなぐる
ある日のファミレス店内。
隣に女の子3人組がきて「ひさしぶり〜!」って会合開いてた。

そして席に着くやいなや1人がもう1人に「ババァ感半端ないけど彼氏でも変わった?」といきなりのジャブ。「彼氏変わってないよ〜」言われた方はあまり気にしてないっぽい。「彼氏、どんなだっけ、忘れたわ〜!」それ、言わなくてよくない?

ババァ感言われた子「それよりさ、こないだ原宿で財布落としたの。その日はめっちゃ落ち込んじゃったけど、死ぬわけじゃないからいいか〜って!」とポジティブ発言。
ババァ感言った子「死ぬわけじゃないからって良い訳じゃないけどね!」

そこまで落とすか。
女の友情本気かネタか分からんな。
しかし性格ブスだなぁ。と思いながらもどうしても顔が見たくて帰り道チラッと見たら…

性格は顔にでるなぁ…。

私は人に優しくあろうと思いました。



おわり

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2017年02月26日

愛された記憶

テーマ:書きなぐる
私は、人に嫌われてはいけない、という強迫観念から逃れることができないでいる。もうずーっと、人に好かれたくて好かれたくて、嫌われたらいけないと思い自分の意見を持たず人に合わせて生きてきた。

なぜかなぁと考えた時期がある。
多分、小さい時親が共働きで家にあまりいず、兄弟が3人もいるので親の愛情をあまり感じることなく育ったから、心に穴が空いているのだと思う。

親はとてもいい人たちで、なんできみ、そんないい家庭に育ったのにひねくれてるの?とよく言われた。
私もそう思う。

いとこを嫌いだと妹に言ってみたり、かと思えば妹を嫌いだと姉に言ってみたりしていたようだ。(全く覚えていない)
妹は二段ベッドの上でうっかりそれを聞いてしまい、泣きながら寝たそうだ。(その頃の自分ぶん殴りたい)

私が「この人嫌い」という相手には共通点がある。
私より朗らかで人当たりが良く性格もまっすぐで素直で優しい人だ。

なぜこういう人を嫌いと言ったのかというと、多分単純に羨ましかっただけだと思う。
私はみんなに好かれたくて、私よりも好かれてる人たちを嫌いということによって心の安定を図ろうとしていたに違いない。

そんなこと言っても、私が好かれるわけないのに。それどころか、人の悪口ばかり言ってる私の方を可愛がってくれる人がいるなら連れて来いやと言いたい。

私はひねくれている。昔からひねくれているし、今はまだ多少は素直になったつもりでいるがまだまだ心はひねくれているし、人を羨むことも妬むこともある。

どうでもいいのにそんなこと、と思うことも多い。だけどなかなか時間かけて育った考えから抜け出せないでいる。

それでも前よりはマシになったんじゃねぇかとも思っている。実際人生が生きやすくなったし、他人を妬んだり羨ましく思ったりする事で心に悪魔が降臨することも少なくなった。

最初から優しい気持ちでいることばかりではないが、悪い考えの後すぐに「アホ、そんなこと考えてんじゃねぇよヒマ人が」と自分のことを思えるようになった。

妹もいとこも、今なら心から大好きだし尊敬しているといえる。

人生、長く生きてみるもんである。



おわり
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2017年02月22日

鬱は飛んでった。

テーマ:書きなぐる

しばらく鬱々してたが、天気のいい朝目が覚めると、スッキリとした気分になっていた事があった。それからネットで買い物とかしてたら、鬱はすっかり飛んで行った。

 

最近姉のブログを読むのが楽しみだ。

姉はわたしと違って毎日ブログを書いてていつ見ても新しい記事があるのでえらいなと思う。わたしは無理〜。ネタもねぇし根性もねぇ。

 

わたしはそんな真面目な(面もあるけど基本的におかしい)姉が大好きなのだが、ふとむかし姉に絶交されたことを思い出したので書こうと思います。

 

わたしは高校を中退して女子プロの練習生になり、そこを辞めて実家に帰りフリーターという名の又は家事手伝いという名のプータローになっていた。バイトしたりしなかったり辞めたり面接に落ちまくっていたり、その頃からわたしは真面目に働くことが出来なくて友達もいなくて彼氏ももちろん居なくて人生がつまんなかった。初めて描いた夢にも破れ、もう人生どうでも良かった。

 

その頃3つ上の姉は子育てをして居た。姉も19歳とか20歳とか若かったから子供が子供産んだみたいな感じだったけど子供のことはちゃんと可愛がってたから普通かも知んないけど偉いなと思ってた。

 

ただ、わたしはその頃、今にも増して拗ねててひねくれてた。同年代との人間関係もうまくいかず年上に対する接し方もわからず、人間関係ではほんとに苦労してたし人間が嫌いだった。姉の子供の面倒を見たこともあったけど、基本的になんでも許される子供という存在がムカついてしょうがなく、子供はうるさくてわがままで気分屋でわたしに優しくなく、はっきりいって嫌いだった。

 

ある時、親戚の集まりに家族全員で参加するために準備して居た。

玄関を出る時、姉がこう言った。

 

「(息子の名前)、風邪引いたから一緒に留守番するね…。」

 

わたしはなんも考えずにこう言った。

 

「やったー!」

 

姉「なんでやったーなの?」

 

私「だって子供うるさいじゃん。めんどくさいし。」

 

姉は少し黙ってメソメソと泣き出した。

姉「そんなこと言うなんて酷い…。」

 

泣いた姉を見てめんどくさいなと思った。なんで泣くんだろう。だって子供は泣くしうるさいしめんどくさいじゃないか。違うの?

 

姉「もううらんちんと絶好する…」

 

私は訳がわからなかった。私が言ったこと間違ってる? 子供はうるさいしめんどくさいし私に優しくない。姉だけ来てくれるならいいけど子供が来ると大変じゃん。思ったこと言ったらダメなの?

 

 

 

私はその後15年ぐらいして子供が突如欲しくなるまでずっと子供が大嫌いだった。

今思うけど、その頃のわたしは他人にちやほやされたくて仕方なかったんだと思う。

子供にみんなの注目や世話が集中することが悔しくてたまらなかったんだと思う。

 

だけど自分に子供が生まれ、子供を育てながらふとたまに姉に言った言葉を思い出して本当に反省している。自分が産んだ大事な子供のことをめんどくさいだとかうるさいだとか言われたら今なら私も、たとえ相手が家族でも絶交するだろうと思う。

あの時姉が言ったように(私なら物投げそう)。

 

たまに今でも思い出して姉に「あの時はごめんね」って言うけどその度姉は「ん〜? 忘れた〜。」って言う。

ほんとに忘れてくれてたらありがたいけど私の罪は消えないので思い出すたびに姉に謝って行こうと思う。

 

ほんとは覚えているのだとしたら怖いけど。

 

おねん。あの時はホントにごめんね。

子供を可愛がれるぐらいには、私も大人になったから、もう同じことはしない。

私の子供のことも、可愛がってくれて、ホントにありがとう。

 

終わり。

 

 
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2017年02月17日

鬱、鬱、鬱、

テーマ:書きなぐる
最近ナゾの鬱がやってきて、何にもやる気が起きない。その前は情緒不安定になっててちょっとしたことで泣いたりしてた。鬱がやってきたらもう泣くこともなくなり、ただただ平坦な感情とやる気の無さとだるさ、めんどくささに支配されて、昼間はずっと寝てたり起きても椅子に座って何もしないで時間が過ぎるのを待つ、みたいな状態が続いている。眠剤は夜寝る前のぶんしかないので昼寝るときは余ったハルシオンを飲むんだけど、あんまり体にあってないようで、たびたび悪夢にうなされる。それでも起きていても何も出来ず不安だけが襲ってくるのでもう無理やり眠る。起きて軽く絶望する。あーまた生きなきゃ。と。
死ぬわけでもないし死にたいわけでもない。生きるのがとにかくめんどくさい。でもさすがにこういう状態に20年近くつきあってきたので、こういう時は嵐が過ぎ去るのをじっと黙って待つしかないと知っている。将来が不安なのも、太ってる自分が醜いと思うのも、今何をすべきかと焦るのも、今だけのこと。元気になればそんなのあまり気にしなくなる。(それはそれでどうかとも思うけど)
早く嵐が去ればいいと願う。明日になるか明後日になるか分からないけど、元の状態になりたい。寝てばっかいるからDVDでも見ればいいかなとも思ったけど、感情が低めの平坦なので、感情なく映画を見ても勿体無いなと思いやめた。本を読んで見たが何度も同じ行を読むだけで頭に入らないのでやめた。マンガのトーン貼りをちまちま直し直しやっているのは少し気が紛れた。あとは、小説なりマンガなりの原作のアイデアを思いつくままにメモって見たりした。そしてまた眠る。起きる。絶望の中ため息つきながら何しようか悩む。

早く嵐が去ればいいと思う。
本当にそう思う。
わたしには、時間がないのだよ。
こんなクソみたいな時間過ごしてる暇、ないんだけどな。めんどくさい性質持って生まれたもんだ。

生まれつきの脳の欠陥、統合失調症はそういう病気だと聞いてる。症状がもっと悪かった時オカンに「ちゃんと産んであげられなくてごめんね」みたいなことを言わせてしまい、申し訳なく思った。オカンのせいじゃないよ。わたしのこの性質はきっと、わたしに何かやるべきことを見つけるために必要だったんだ。こういう性質があるからできること、必ずあるはずだと思ってる。だからオカンには自分を責めてもらいたくない。こんなに背も高く頑丈に産んでくれただけで感謝感謝ですよ。あと、並の顔をありがとう。まぁまぁ気に入っているよ。

鬱が早く去ってくれたら、またがんばろう。全力で。
誰かを楽しませるようなことができたら最高だな。

わたしには一体、何ができるんだろう。
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2017年01月27日

姉がブログを始めた。

テーマ:書きなぐる
姉がブログを始めた。
 
3つ上の姉は、小さい頃から作文がうまく、創作のお話を作るのが上手く、小学校高学年の時にはマンガも描いていた。
 
わたしは姉に多大なる影響を受けて育ったので、わたしもまた作文やお話を作るのが好きだったし、小学校低学年の時からオリジナルのマンガも描いていた。
小学校高学年になると、将来はマンガ家になると決め(其の頃にはよく考えると姉はマンガを描いてなかったな)、お話をノートに書き溜めていたりしていた。
 
小学校の時は、学校までの登校の道のりを、姉の創作即興のお話を聞きながら通うのが日課となっていた。その頃はとにかく面白いとしか感じてなかったけど、家を出て学校に着くまでにちょうど一話完結のお話を話しながら考えてた姉はすごいなと大人になって思った。
 
わたしが仕事でイラストや文章を書き出した頃、姉も一緒にライターの真似事みたいなことをしていた時があった。その時はわたしが先輩だったから、色々教えたり編集者を紹介したりして、一緒に楽しくお仕事していた。
 
姉は、一般的に普通じゃないわたしに対していつも味方についてくれた。
わたしが悩むといつも「私はいつでもうらんちん(姉は私のことをこう呼ぶ)の味方だよ」と言ってくれた。
 
 
24歳ぐらいの時、私は眠剤を300錠ぐらい飲んで倒れたことがあった。
生きるのに疲れ、バカとしか言いようがないけど、まぁその時は必死に、死のうとしたんだ。
 
私は意識を失って数時間後、同居していた友達に発見され救急車で病院に運ばれ、一日ICUに入り生死をさまよった。
 
ICUのベッドの上で目が覚めた時、姉が微笑みながら私を覗き込んでいた。
「あぁ、生き残ったのか」と残念に思ったのだが、そんな不謹慎なこと思ってテヘヘと笑ってる私を見て、姉は黙って仏のように微笑んでいた。なにも言わなかった。
 
そのあと病院を追い出されるように退院し、私は姉と自分の家にタクシーで帰った。
薬は完全に抜けておらず、ベッドの上でろれつの回らない私はなにか一生懸命姉とおしゃべりをしたような気がする。ろれつが回らないのが面白くて「あれ?全然喋れないやあはは」みたいなことを言っていたと思う。姉はパソコンの前の椅子に座り、やっぱり仏のような笑顔で「ふ〜ん」「ヘェ〜」「そう〜」と言ってた。
 
姉は、私を一切責めなかった。
 
姉が「帰るね」と言い、部屋を出て行き、しばらくして私はいつもの定位置のパソコンの前の椅子に座ると、壁に小さな紙切れが貼ってあった。
「もう薬をたくさん飲まないこと」みたいなことが書いてあった。
そこで初めて私は「あぁ、申し訳ないことをしたんだ」って思った(遅ぇ)。
 
姉はあまり普段からベラベラ喋るタイプではないが、大事な相談はいつも姉にしているし姉も忙しい中時間を作って私の相談に付き合ってくれる。私のくだらない相談にも「ふ〜ん」と聞いてるんだか聞いていないんだかわからない返事をしてから、姉は最後にドスンと重い一言を返してくれる。
そして帰る時にはいつも「私はいつでもうらんちんの味方だからね」と言ってくれる。
 
それだけで私は毎回救われる。なんやかんや言われなくても、私は姉のその言葉に何度も何度も救われた。
それからも私は何度か同じような事件を起こしたんだが(反省しろ)、姉に怒られたことは一度もない。いつもちょっと微笑んだような穏やかな顔で「ふ〜ん」となに考えてるんだか分からない返事をして、最後にはいつもの言葉をくれる。
 
「わたしはいつでもうらんちんの味方だからね」
 
本当に、ありがたい。って、今なら思うし、私はようやく薬をたくさん飲んだりしない人になれた(遅い)。
 
私は姉みたいな人になりたいなと思ってる。
人を全部丸っと受け入れて、「ふ〜ん、それがどうしたの?私はいつでもあなたの味方ですよ」って、そういう人になりたいなって思ってる。
 
姉は私の味方だ。
私も、そんな姉の味方だ。
 
これから恩返しが出来たらいいなと思ってる。
 
 
そう思っていたら(え?こっから本題?)、姉が突然ブログをやりたいと言ってきた。
私は「よしきた!ついに姉がまた文章書いてくれるゼェエ!」とテンションが上がりすぐにスイッチオン、「アメブロがいいよ!」と返事して、アカウントを取り、ブログを開設してアドレスをラインした。「名前とブログタイトルとテーマを何個か、考えといて。あとは全部やるから」
 
そうして姉ブログ(略しておねブロ)が出来ました。
昔からアホみたいに食に貪欲なので(猿が美味しそうに食べていたからと、バナナを皮ごと食べたりするので多分ちょっとアホだと思う)、書いてあるのは食に関することが多いが、数日前には私のことを少し書いてくれたのを見て、すごく嬉しかった。
 
私の自慢の姉です。
「佑天寺ひめこ」と言います。
 
この「書きなぐり。」同様、そちらのブログも、よろしくお願いしますね。
 
ひめこのLove Eat
 
 
おしまい。
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2017年01月07日

2017/01/07

テーマ:書きなぐる
おは。

布団の中からこんにちわ。

おはじゃなく、おやすーでした。

1日一回は何かを作り出す又は生み出す的な事をつまり、生産性のある事をしようみたいな感じでいるのですが、生産したからって偉いんか!  という気持ちもあり、安定剤飲んでグータラしていることも多く、なんだかなぁという感じです。

だけど、去年は人生変えちゃう夏かもね!  な夏を突っ走り、20年ぶりの偉業を成し遂げ(詳しくは今度)、なかなか刺激的な一年になりました。予兆はあり、踏み切りも素早くできたので丸。

というか、何か物事を決めるとき、なかなか踏ん切りつかない時はタイミングが来てないのでは?と思っています。マジなタイミングが来た時は踏み切りが早い。私の場合。悩む暇なく突っ走る。それで人に迷惑をかけることもしばしばですが、まぁ、あの、すいませんという気持ちはあるので許してください。

2016年はそんな感じで終わりました。なかなかいい1年だったのではないでしょうか。らんらん♫

これからやっていこうという事も決まったし、心意気も生活も準備万端です。これで2017何もなかったら死んだ方がいい、そのぐらいの気持ちでいるんだけど、何も怖くないんだよね。なんか上手く行く気がしてる。別にものすごいことしようと思ってるわけじゃないけど、気持ちが一番違うなぁ。気持ちが付いて来たっていうか、ちゃんと変換できた。覚悟決まったし。
ガッツリ。

あ。
私の創造性の神、実の姉が、突然ブログを書きたいと言って来た。待ってました、アネックス。私はアネックスの文章の一番のファンです。アネックスの作るお話は小学校の時から大好きでした。学校一緒に登校しながら即興で作ってお話ししてくれたこと、今でも忘れません。次どうなるの?何が起こるの?ワクワクしながら学校に通っていた。校門を入るところで毎回お話は「続く」になるんだけど、即興で作った話をちゃんと締めれるってすごいなと今では思います。

というわけで姉のブログが今から楽しみでござる。


美しく生きよう、そう思って一年過ごして来た。結果的にいろいろと美しく生きれたかもしくはその準備ができたなと思ってます。顔面の話じゃないよ。
今年はその結果を出す年だと思ってます。結果。結果をたまに出すこと大事だよね。その締め切りを自分で自分に課すことはとても大事なことと思う。基本私は怠け者ですから。

まぁとりあえず1年頑張ります。
頑張りますなんて抽象的なこと言ってるけど、私なりに考えてるから大丈夫と思うよ。
って言ってて年末死んでたら(精神的に)ごめんやす。

なんか、2016後半は、主に健康第一を掲げて生きた。自炊して家事やってちゃんと寝て。風呂に浸かるようになったのもその頃からです。結果、多分自律神経整って変な具合の悪さは統合失調症の発作以外は調子良く過ごせた。とにかく何かやる準備は万端ということです。

私はプロレスラーだけど、多分死ぬまでプロレスラーでいることはない。と、思ってる、今は。
だから、日々に流されず、次のステップへと一歩踏み出しましょうとも。

だけどまだまだ試合もうするよ。試合に対する心意気が変わったのもいいことだと思ってる。もう多分残り少ないレスラー生活を全力で駆け抜けましょう。

勘は鋭い方なの。一気にズバッと走り抜ける事もできる。去年その自信がついた。もう怖くない。

私は出来る。
そう脳内調教してビシビシいこう。

私の人生がまた始まったような感じ。
転換期、そうだな、転換期かもしれないな。

乞うご期待、なんつってー。

今年もよろしくお願いします。
では、また会う日まで、ごきげんよう。
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2016年11月22日

精神病棟の仲間たち3

テーマ:書きなぐる

かおりちゃん(仮)は、同室のヘアメイクをしている女の子。

確か一個上だったと思うので女の子というより女の人だけど。

 

かおりちゃんは正義感が強く仲間思いで朗らかな子だった。人付き合いが苦手でバリアを張ってるわたしにも部屋で気さくに話しかけてくれたことがきっかけで話すようになった。入院した時期を何度か聞かれ(電気ショック治療が終わると記憶がすっぽ抜けるらしく何度も同じことを聞かれた)どうも入院時期も同時期っぽかった。

 

かおりちゃんを含めたグループのみんなでリビングでお茶を飲んでいたとき事件が起こった。

 

「トイレでミィさん(仮)が倒れてる!」

誰が言ったか分からないけど、リビングがざわついた。

 

時間は8時頃だったと思う。

みんながザワっとした瞬間、かおりちゃんがバッと席を立ってトイレに走った。

わたしはやっぱ力持ちのわたしが行った方がいいのかな?と思ったけどミィさん(たまたまミィさんも同室だった)と話をしたこともないし気後れして黙って席に座っていた。

 

しばらくするとかおりちゃんがナースセンターに走って行って窓ガラスを叩いた。

中には誰もいない。

「なんで誰もいないの!?トイレの緊急ボタンも押したんだけど誰も来ないの!」

 

「なに、ミィさんどうしたの?」

隣の部屋の大場さん(仮)が椅子に座ったまま言った。

「トイレでうずくまって、お腹痛いって! 動けないの!」

かおりちゃんは深刻な顔でそう言ってまたトイレに走って行った。

 

席に集まったたみんなは「どうしよう?」「看護婦さん居ないね」「今日のジャガイモ硬かったよね」「それじゃない?」「うん、絶対それだよ」「でもみんなで行っても何もできないからかおりちゃんに任せましょう」「そうだね」

そういう話になっていた。

 

しばらくするとかおりちゃんが違う部屋の人と一緒にミィさんに肩を貸しながら出てきた。

「ベッドまで連れていく! でも少し良くなったみたい!」

みんなを心配させまいとしてかおりちゃんがニコッと笑った。

 

リビング組の緊張が少しとけた。

 

しばらくしてかおりちゃんが席に戻ってきた。

「なんかごめんなさいねかおりちゃんに任せちゃって。」

足の悪い吉田さん(仮)が言った。

「うん、大丈夫。」

かおりちゃんがまた笑った。

「横になったら少し楽だって。でもナースコール押しても誰も来ないの。なんで??」

かおりちゃんが少し怒り気味に言った。

 

「なんのためのナースコールだよ。」

「変だよね」

「かおりちゃん、ほんとごめんね」

みんなが言った。

 

わたしはやっぱりわたしが行けばよかったと思った。

人を担ぎ歩かせるのは慣れてる。

やっぱりわたしが行けばよかった。

 

自分を責めてると、ナースセンターにキツめの顔の看護婦さんが入ったのが見えた。

 

かおりちゃんはまた席をバッと立ち、ナースセンターの窓をまた叩いた。

ナースが鍵を開け、ガラス窓を開いた。

「ミィさんがお腹痛くて苦しがってるんです! 見てあげてください!」

「どうしたんですか?」

「トイレでうずくまって苦しそうなんです! いまベッドまで連れて行きました、でもまだ苦しいみたいです!」

 

ナースはだるそうに言った。

「患者さん同士は必要以上に仲良くしないでくださいね」

 

「え!?」

 

「やることは私たちがやるんで。患者さんに手を貸さないでいいですから」

「お腹の薬だしてあげてください! 苦しがってるんです!」

「いま、薬剤師居ないので出せません。」

 

かおりちゃんは誰が見ても分かるような怒りをこらえた顔で席に戻ってきた。

「…信じらんない…。」

 

しばらくして看護婦がミィさんの部屋に行き、戻ってきた。

 

かおりちゃんは怒りに震えていた。

「やっぱ納得できない」

また席を立ちナースセンターに行き窓を叩いた。

ナースがだるそうに窓を開ける。

「看護婦さん、お名前教えてください」

看護婦はかおりちゃんの顔をチラッと見て手元の患者表をチェックして言った。

「あなたに言う必要ないでしょう。患者のことはやることやってるんで。それ以上構わないで」

そうしてピシャッと窓を閉めてしまった。

 

かおりちゃんは真っ赤な顔をして席に戻ってきた。

「顔、チェックされた。名前と照合したと思う。わたし、悪いことしたの? 人が倒れてたら助けるよね? 精神科に入院してるからわたしの精神がおかしいの?」

 

みんなくちぐちに「かおりちゃんは悪くない」と言った。

かおりちゃんはしばらく両手を握りしめ怒りに震えていた。

 

「あ…、なんか、ごめんね! みんな暗くなっちゃうよね!」

かおりちゃんが無理に笑った。

 

ようやくみんなの緊張も少し溶けた。

 

かおりちゃんはその日の就寝時間まで、ずっと怒っているように見えた。

 

わたしは、自分にも何か出来たような気がしてならなかった。

精神科にいるからかおりちゃんが悪いんだろうか。

だけどみんな早く退院したいから、問題を起こさないように気をつけていた。

かおりちゃんだってその一人。

仲間が苦しがっているのを助けただけ。

だけど看護婦は、かおりちゃんの行動を、行きすぎたこととして上に話すんだと思う。

 

誰の神経が一番おかしいのか、

わたしはよくわからなくなった。

 
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