書きなぐり。 -2ページ目

ぷにぷに

手を伸ばすといつもそこにあなたの頬があり

いつでもそれを触る権利があることに安堵する。

ねぇもう、朝だよ。

ほっぺたをぷにぷにしながら言うと

ちょっと広角上げたあなたがウゥンと返事にもならない声を出す。

髪の毛をさらさらと撫でると

私の指先が歓喜の悲鳴を上げる。

いつまでもこうしていたいと思うけど

私は朝食を作るために台所に立つ。

ウゥンと言ったあなたは寝返りを打ってまた夢の中へ。

いつまで続くの?

終わるなら始まらないで欲しいってずっと思っていたのに

始まりは向こうからやってきて今ここにいる。

朝食ができたらまた触りに行こう。

今度は起きるまでほっぺぷにぷにしてやる。

 

5年後、

違う人との赤ちゃんのお尻を触った時

この彼のほっぺを思い出す。

ひとみちゃん

 高校時代、クラスに友達が一人いた。

大人しく自由気ままな女の子だった。

名前はひとみちゃんと言い、ショートカットが似合う美人だった。

なんとなく仲良くなり、一緒に学校に行っていた。そのうち、夏休みが終わった頃、なんとなく学校をサボり、川の見える公園でカツ丼を食べるようになった。

 

学校の近くには、テイクアウトの丼を売るお店があった。

私たちは昼前にそこで待ち合わせしてカツ丼五百円を買い「学校行く?どうする?」とよく話し合った。そしてほぼ毎日行き先は公園と決まっていた。

川の風を感じながらカツ丼を食べた。

私たちは、ほぼしゃべらなかった。

昼休みが終わる頃学校に行く。「どうする?授業でる?」

そしてまた公園に行くのだった。

 

秋ごろになると、結局その子と私は、学校に行かなくなっていた。

学校の近くまでは行くのだけど、どうする?ってなると、もういいやってなる。

 

毎日毎日、川の近くでカツ丼を食べた。

喋ってなくても心地いい友達だった。

 

十一月、私は自分の夢を叶えるために学校を辞めることになった。

ついにプロレスラーになることになったのだ。

 

その子も、しれっとした子だから、私がいなくなっても大丈夫だと思っていた。

だけど、プロレスの寮に入ることが決まり、学校辞めることになったら、その子は泣いた。

「けんさんがいなくなったら学校位行く意味ない・・・」

いろいろ突っ込みどころがあるが、まず私は学校でけんさんと呼ばれていた。

理由は忘れた。

「けんさんいないなら私も学校辞める」

気の強い子だったので、私はおろおろした。

「ごめんね」って、特に悪くもないのに謝った。

 

 

プロレスの寮生活は大変だった。

ご飯係、練習、掃除洗濯、ゴミ出し、順番に回ってくる担当と慣れない寮生活で、私は頭がおかしくなりそうだった。

寮生にもイジメられていて、寮生活は本当に辛かった。

ただ唯一、練習している時間だけが、幸せだった。

 

そんな時、カツ丼のひとみちゃんからお手紙が届いた。

「プロレス頑張っていますか。私は高校を辞めました。けんさんいなきゃ、意味ないから」

帰りたい、そう思って、布団の中で泣いた。

私を求めてくれる人がいる。それだけで、もう、ここに居たくないって思った。

 

結局プロレスはデビューせずに退団した。

16歳だった。

プロレスを辞め、実家に帰り、いちばんに、ひとみちゃんに連絡した。

ひとみちゃんはフリーターをしていた。

私もフリーターとしてバイトしていきますと親に言っていたので、一緒にバイトしたいねってひとみちゃんと話してた。

バイト雑誌を持って飯田橋のファーストキッチンでよく会った。

雑誌をペラペラめくりながら

「中卒雇ってくれるところなんて飲食しかないね」ってよく言ってた。

 

結局一緒に働いたことはなかったけど、なんとなくまたひとみちゃんと毎日会うようになった。

毎日会うのが当たり前で、今日は用事があるから会えないって時があれば逆に言うようになってた。

 

気がついたら私たちは17歳だった。

彼氏も友達もろくにいないこの生活、よくないんじゃない?って話した。

「そうだよね」「なんでだろう」

なんで私たちには彼氏も友達もいないんだろう。

二人の出した結論はこれだった

「私たちが毎日会ってるのがいけないんじゃないか」

当時の二人にとっては地獄のような答えだった。

ひとみちゃんがいなくなったら、どうなるんだろう。

毎日私は何をすればいいのか。

ひとみちゃんは大丈夫なのか。

 

公園で、二人で泣いた。

めちゃめちゃに泣いた。

だけど二人のためだからって最後には笑顔で別れようって、言いながらボロボロにふたりして泣いた。

 

ひとみちゃんと会わなくなってすぐ、ひとみちゃんから、彼氏ができたって連絡がきた。

よかった。やっぱり私たちがべったりすぎたのがいけなかったんだ。

そしてついにひとみちゃんも大人になったのだ。

 

私も男作るぞ!と意気込んでいた時、同じクラスだった結城くんと会うことになった。

結城くんはクラスのいじめられっ子だった。

それぐらいしか情報がなかったが、とにかく処女を捨てたい私は、やってくれる男子なら誰でもいいって思って結城くんを選んだ。家に電話したら本人が出た。

「いつでもいいよ、すぐ行くし」

「じゃぁ今日」

私たちは、私の地元の駅で待ち合わせをした。

「久しぶり」

「おぅ、じゃ行こうぜ」と言われ、スタスタ歩く結城くんを私は追った。

 

ラブホテルだった。

なんと。話の早い。

ありがたい。これで、セックスをして、結城くんと付き合って、、、、

そう思ったけど、初めての体験、童貞ではなかったもののほぼ初心者の結城くんとほぼ初心者(一週間前に事件があったのだがそれはまた今度)の私たちの前に立ちはだかる高い壁、その名もセックス。

うまくいかなかった。

チャレンジしては諦めチャレンジしては諦めを繰り返し、私たちは最後には本当に諦めてしまった。

でも、また今度頑張ればいい。私は、また結城くんを呼び出そうって思っていた。

 

 

その時結城くんが言った。

「ひとみちゃんいるじゃん?お前仲良かったよな?」

いじめられっ子だったくせにお前とかいうんだ…。

意地悪にそう思いながら私は返事した。

「うん、最近会ってないけど」

 

「俺、あの子のこと好きなんだよね、セッティングしてくれない?」

 

 

ハァ?

「ごめん、用事あったから帰るね」

私はそそくさと洋服を着る。

「ひとみちゃんと連絡取れたら教えてー」

背中で聞きながら、なんだか泣きそうになった。

別に、別に結城くんが好きなわけじゃないけど?

一緒にいるときに言うことないじゃん。

そりゃひとみちゃんはモテたけど?

私に、しかもホテルの中で言うことじゃなくない?

 

結城くんには二度と連絡しなかった。

ひとみちゃんとその後会ったときに

「結城くんがひとみちゃんすきだってよ」

って言ったら

「へぇ」

って言ってた。

ふーんだ。ザマーミロ。これはホテルで女子に違う女子の話をした罰じゃ。

 

そしてひとみちゃん、私がフーゾクに入った時一緒に働こうって誘ったことがあった。

「うん、いいよー」

すっごく軽くオッケーしてくれて数ヶ月一緒に働いた。

しかしだんだん出勤しなくなり、ついにひとみちゃんはお店に来なくなってしまった。

「仕事が合わなかったのかなぁ」

「そうかもですね」

店長とそんな話をした。

 

 

数ヶ月後、家で掃除をしていた私に電話がきた。

ひとみちゃんだった。

どうも、とっても焦っている模様。喋り方でそれがわかった。

「学校に通うから、ジャージ!今日買わないといけないの!

2万貸して!」

「2万ないの?」

「無いの!今家の近くまで行くから!お願い!」

「いつ返してくれるの?」

「明日わかるから!今行くから!」

 

ものすごく強引に私はひとみちゃんに2万貸した。

「学校行くんだ、頑張ってね」

 

それが最後の言葉だった。

ひとみちゃんにはそれから会ってない。

もちろん2万も返ってこなかった。

ボスとわたし。

うらんです。

今回、昔の友達(友達っつーか・・・)の話を書こうと思います。

長くなるのですがよかったら読んでください。

どこかで同じようなことを書いたことがあると思いますが、今回は細かく書きたいと思います。

 

 

小学校6年の時わたしは岩手から東京に家族で引っ越してきました。

家族では、わたしだけは岩手から離れるのを嫌がりました。なぜなら、東京に越したら、イジメられると思っていたからです。

東京の女の子が怖くて仕方なかった。

だけど家族は東京に引っ越しました。岩手には私たちを大きくさせるほどの仕事が無かったのです。

もう仕方ない。一生虐められて生きていこう。もう、最初から人生諦めてました。

さて、明日は始業式。わたしは憂鬱でした。

憂鬱で眠れないほどでした。

 

始業式の朝、母親が言いました。

「友達作っておいでよ!」

 

(友達作るなんてそんなの無理だ、東京の女は岩手のわたしを馬鹿にするに違いない。わたしよりもいい服を着て、かわいい文房具を持って、いい匂いさせて、わたしをイジメるんだ、母さん、ごめん、これは負け戦です。。。)

 

始業式は校庭で行われました。

周りは知らない人だらけ。

恐ろしくてちびりそうでした。

 

始業式が終わり、靴箱に向かいました。

周りの人をチラチラ見ながら靴箱に向かいました。

 

言われた通りの番号の靴箱をあけ、外靴を入れ、鞄に入っていた上靴を出して履いた瞬間、声をかけられました。

 

「何組?」

見ると、腰までの長いフワフワの髪の毛をひらりとなびかせた知らない女子がこっちに向かって笑っていました。

(めちゃくちゃ作り笑い・・・)

わたしは昔から作り笑いする人の顔をまともに見れないという病気があります。病気っつーか。

しどろもどろになりながらわたしは下を向いたまま答えました。

 

「3組・・・」

「じゃぁ一緒だ、一緒に行こう?ね?」

 

わたしの意見は聞かれませんでした。そのままわたしはその子の後ろをついて6年3組に向かいました。

 

終わったな。そう思いました。

 

 

そう、それが、終わりでもありその子との始まりでした。

休憩時間には、その子のグループの女子全員を紹介されました。

 

その子がボスのグループのようです。

一人は頭のいい子、一人は天然の子。

頭のいい子はボスの近所の子のようです。

天然の子は、しばしば会話に入れてもらえず、独り言を言ってました。が、天然なので気にしてないようでした。

 

わたしは転校生だったので、ありがたいことに他のグループの女の子にも声をかけてもらったりしました。でもその度にボスが私たちの会話を遮りました。そのうち、わたしに声をかけそうな人がいると「やめて!ボスの機嫌が悪くなる!」と思うようになっていきました。

わたしは、グループ内でしか話してはいけないようでした。

ボスが言います。

「じゃぁ今日の放課後はうち集合ね!」

みんながいいます。

「うん、わかった!」

 

その子の家はその子の見た目とは裏腹に、物凄い古くて汚い家でした。

わたしが岩手の時に住んでた木造の一軒家より古かったです。

中に入ると、大きなリビングがあり、兄、父、母、みんながいました。

他の部屋が見当たりません。

どこで寝てるんだろう・・・。

いまだにその答えはありません。

 

その子の家に集められた私たちは、カードゲームやドンジャラをしました。わたしは、父が麻雀好きなので麻雀は出来ましたが、ドンジャラが出来ず毎回負けてました。でも本気を出して勝つと、ボスの機嫌が悪くなります。まじで、クソ面白く無かったです。

 

 

ある時、グループ外の女の子に遊びに誘われました。

ゆうこちゃんです。

可愛くて絶対いい子です。顔に滲み出てました。

「この子と遊びたい!」

わたしはゆうこちゃんと遊ぶ約束をしました。

 

これは、ボスにばれたら大変です。

焼き入れられるに違いありません。何せボスはわたしがグループ外の人と喋ることすら嫌がる子です。

ブス、いやボスの機嫌を損なうわけにはいけない。

しかしわたしは声をかけてくれたゆうこちゃんと遊びたかった。

 

いつものように放課後、ボスが言いました。

「今日うち集合ね!」

わたしは全身全霊の力を込めて一言言いました。

「お腹が痛いから今日家に行けない・・・」

 

嘘をついたのです。

バレなきゃわたしは助かる、そう思いました。

 

そしてわたしは無事にゆうこちゃんと遊びました。

ゆうこちゃんはやっぱりいい子で、すごく楽しかった。

今までのことが嘘のように、友達っていいなって思いました。

 

しかしそこで事件が起きました。

ゆうこちゃんと道を歩いていると、グループの二番手と遭遇したのです。

「あ・・」

「あ・・」

お互いこんな感じでした。

またもや、終わった。わたしは思いました。

でも、友達を選ぶのもわたしの自由じゃない?嘘をついたのは悪いことだけど、遊びたくないんだもん。これを機にあのグループは抜けよう、そう思いながら家に帰りました。

 

次の日、学校に行くと、何かいつもと違う感じがしました。

いつもなら声をかけてくるボスが今日は来ません。

どこにいるのか見てみると、部屋の後ろの方にグループ3人で腕を組んでこっちを見ています。

 

(ドラマかよ)

わたしは思いました。

 

一人、誰にも声をかけられず、自分の席に座りました。

しばらく黙って座っていました。

ボスが一人、ツカツカとわたしの机の前まで歩いてきました。

腕は組んだまま、つんとしたその顔は一瞬見ただけでめっちゃ怒ってるのが分かりました。

 

「わたしが何で怒ってるかわかってる?」

 

わたしは何もしていない。(嘘はついたけど)

わたしはビビりながらどうにか一言声を出しました。

「わからない・・・」

 

ボス、キレました。

机をバンと叩きこう言いました。

「自分の胸に手を当てて考えてみな!」

 

ドラマのようでした。

こんなセリフ実際言う人いるんだなぁと思いました。

そしてわたしはもう何も言える元気がなかった。

 

隣の席の男子が

「誰と遊んだって関係ねーじゃん

 女子ってつまんねぇな!」

と笑いました。

 

やめて!火に油を注がないで!!

思った時はもう後の祭りでした。

ボスはさらに怒り、声を荒げて

「男子は黙ってて!」

 

わたしは怖い怖いと思いながら、ボスの一言一言を

ドラマのようだなぁ、東京って本当にこういう子がいるんだなぁ

と思っていました。

 

このままグループから抜けられますように。。。

そしてまたゆうこちゃんと遊びたい。

今わたしが我慢してこの雰囲気を耐え忍べば、またゆうこちゃんと遊べるんだ、わたしは何も言わずその空気を一生懸命我慢しました。

 

ボスが言いました。

「謝って!!!」

 

声がデカかった。

おしっこちびりそうだったわたしはこう言うしかなかった。

「ごめん・・」

 

はい、これが奴隷誕生の瞬間です。

このグループは途中、天然ちゃんが、天然っぷりを発揮して抜けはしましたが、残り3人、17歳までずっと続く伝統を持つグループになりました。

 

12歳から17歳までわたしは奴隷でした。

友達の作り方を覚える大事な時期、わたしは好きでもない、と言うか大嫌いな二人とずっと一緒にいました。

中学の部活の卓球を三年間続けたのは、ボスがそう言ったからです。

やってたらまぁまぁ楽しかったけど、私が勝つとボスの機嫌が悪くなるのであまり本気には練習できませんでした。

 

ボスは何やかんやとわたしを馬鹿にするのが好きでした。

岩手からきたわたしは訛っていました。そりゃ普通に。

それをいちいち突っ込まれたり笑われたりしました。

顔のことも言われました。

「鼻低いよね。」

「色黒いよね。」

制服は姉からのお下がりだったのですが「何それ、サイズ合ってないよ」と言われました。

背の高いわたしは、「やっぱり女子は男子より小さくないと可愛くないよね」と暗に否定されました。

ボスはチビでした。

 

高校受験の時期、もしかしたらグループ抜けられるかも!と言う事件がありました。

わたしだけが勉強ができなかったのです。

ボスは言いました。

「○○高校行くよ!」

 

わたしは、もしかして、人生に勝ったんじゃないかと思いました。

○○高校なんて行くレベルに自分は達していない。

ついにサヨナラだ、そう思いました。

 

無事にわたしはバカな都内の高校に入りました。

何故かテストの点数が女子で一番でしたが、それはカルーアミルクを飲みながら一生懸命勉強したからでしょう。時効です。

私立だったら入れそうなところもあったのですが、うちは裕福な家ではなかったので「絶対都立に入れ」と言う雰囲気が家庭内に蔓延して居ました。

 

これで、ボスと別れられる。テストの合格発表で自分の番号を見つけた時、何よりも一番にわたしはそう思いました。

 

 

しかし、ボスは強かった。

週末はいつも通り集合がかかり、ボスの家に集合するのでした。

 

「行きたくない」

「あなたのこと好きじゃない」

「もう離して」

思っては言えず、今日もダメだったかと、下を向いて家に帰りました。

 

17歳のある時、二人で遊んだことがありました。夕方6時ごろ、隣の駅から家まで二人で歩いていました。

 

知らない男子が二人、こっちに寄ってきました。

「あそぼーよ」

ナンパです!!!

人生初のナンパでした!

 

「遊びたい!!男の子と遊びたい!」

心の中で叫びました。

 

二人組は、わたしにだけ話しかけてきました。

わたしは嬉しかった。男の子に話しかけられたことがすっごく嬉しかった。それまで、そんな事なかったから。

 

浮かれてふと横を見ると、話しかけられなくてムッとしてるボスがいました。完全に男の子たちはわたしにしか話しかけてなかった。

 

気まずい・・・

 

わたしは何とか男の子たちをボスに話すように促しました。

「ね?」

と言いながらボスの顔色を伺いました。

 

ついにボスは言いました。

「付いていかないから!あっち行って!」

 

男の子たちはチェッと言い、消えていきました。

 

その後の気まずさったらなかった。

わたしだけが話しかけられたこと、ボスはなんて言い訳するんだろう。

気まずさを感じながらわたしはボスの声を待っていました。

しばらく二人はとぼとぼと歩きました。

 

ボス、ついに口を開きました。

「アンタは外でモテるタイプで、アタシは中でモテるタイプだよね」

 

は?

 

「学校でたまに可愛いって言われるんだよね。アンタそれ無いでしょ」

 

ボスの精一杯の反抗です。

わたしは「う、うん」と言うのが精一杯でした。

 

 

そのグループにいたことで、靴箱からナンパまで、一つも楽しいことなんてなかった。それだけは本当です。

でもわたしには勇気がなかった。好きじゃ無い、一緒に居たくない、別の人と遊びたい、それが言えなかった。

 

わたしの中に、悪魔がいつの間にか住み着くようになりました。

ボスの言葉に「うん、うん」と言いながら

「バーカバーカ」「友達もいないくせに」「ナンパされても話しかけられないくせに」

って心の中で叫びました。

 

17歳の終わり、ついにわたしに彼氏ができます。

それもあり、わたしは世界に一人ぼっちにならないと言うことを知ります。

 

わたしはボスに全部吐き出してサヨナラしようと思いました。

「今まで一度も、あなたと遊んで楽しかったことがない。」

それだけは伝えたかった。

 

でも口では言えない。

わたしは深夜、ライトだけつけた姉妹の部屋で手紙を書きました。

ボスに渡す手紙です。

深夜だったこともあり、とんでもない悪魔の手紙が仕上がりました。

でもわたしは止まらない。ボスに対する初めての反抗です。

 

ボスを公園に呼び出し、手紙を渡しました。

「えーなになに〜」

手紙を嬉しそうに開こうとするボスにわたしは言いました。

「ごめん、家帰ってから読んで・・」

もう、最大限のお願いです。

 

ボス、何かを悟り、つんとした顔に戻り「わかった」と言いました。

 

 

それからボスからの連絡は途絶えました。

とてもじゃないけど、手紙の内容は酷すぎたと思います。

夜中のラブレターがあんなにも恥ずかしいように、夜中の絶縁状もひどいもんだったはずです。

 

翌朝、読み直そうとしたけどやめました。渡す勇気がなくなりそうだったからです。

 

それでよかった。

 

わたしは、ボスを嫌いだったけど、ボスはわたしのことを好きだったのかもしれない。でも、わたしには無理でした。あれ以上いたら、本当に頭がおかしくなるって思いました。

ごめんね、って、ほんのちょっと思いました。1ミリぐらい。

 

 

それから3年。

私たちは、それぞれの道を歩んでいました。

わたしは商業高校に入り、パンチパーマの男の子やボンタン履いた男子たちと公園で遊んだり電話帳をその公園で燃やし風が吹いて火事になりそうになってみんなで逃げたり、隣の普通科との決闘に「数が必要なんだ」と言われて決闘場に数十人で行ったり(結果、人数で勝ちました)、人生を一生懸命楽しんでいました。

 

高校は半年で辞め、女子プロレスに入ったこともありました。気が弱すぎてやっぱり私は何も言えず、「辞めな」と先輩に言われたままやめたりしました。

 

でもわたしは17歳終わりに処女喪失も無事に終え、人生が変わり、浮気を繰り返し、フーゾクに入りお金を稼ぎ、人生も、性も謳歌していました。世界は広く、いろんな人がいて、知らないことも多く、でも知る機会も多く、楽しくて楽しくて、たまらなかった。

 

 

20歳過ぎの頃、突然ボスから久々に連絡が来ました。

わたしは、なんか懐かしいなと思い、集合場所のデニーズに行きました。

 

ボスは相変わらず、自分がいかに凄いかを、他の人を引き合いに出しながら話してました。

 

「かわんねーな」そう思いました。

 

ボス、突然わたしに向かって言いました。

「絶縁状くれたことあったじゃん?」

 

わたし、一瞬ひるみましたが、負けちゃいけないと思い、精一杯の笑顔で「うん」と言いました。

 

ボス、あの小六の下駄箱で向けてくれた作り笑いでこう言いました。

 

「アタシたち、若かったよね〜〜」

 

 

なんかがプチッと切れました。

あーわたしはこの子と会う必要がないな。

謝ること、まだ覚えてないんだ。

 

 

何となく会話が途切れて、んじゃ帰るわと家に帰りました。

 

長い戦いが終わりました。

それから彼女らには会って居ません。

 

同窓会もありましたが、二人とも来ませんでしたし、誰も二人のことを言い出しませんでした。

 

 

 

わたしも、あそこまで酷い内容の絶縁状渡されなくてもよかったんじゃないかって今でも思います。

でもその時は必死でした。

必死だったし、自分の人生切り開きたかった。

だから、よしとします。

 

ちょっとだけ、ごめんね。ボス。

今やることってなんなんだろ。

コロナコロナ…

 

もう、テレビは恐怖と、政府は落胆しか与えてくれない。

私は毎日、起きてご飯食べて音楽聴きながらマンガ描いて昼寝2回ぐらいして夢を見て、またご飯食べてマンガを描く。

 

プロレスも興行なんてやってる場合じゃないし、場合じゃないっていうかやるなって言われて自粛してるし、欠場中の私に出来ることは何もない。

 

でもたくさんの人が動画配信とかしてて、すごいなぁって思う。

私は動く自分が嫌いだから出来ない。

だからAVも出なかった。フーゾクの時たくさん声かけてもらったけど。

 

…あのさぁ、もしかして前回の日記と内容被ってない?笑

ま、いっか。

 

今日は11ページマンガの下書きして文字入れ込んで、ひと休憩。

もう6時じゃん!!朝だよ!

 

今日も今日とて眠剤はきかず、しかし昨日もそうだったのだけど今日朝起きたら覚えのない雑誌が二冊、ソファに置いてあった。

しまった、眠剤の妖精が買ってきてしまったらしい。

まぁよくあることなんだけど、お、お金…。

 

でも読んだらめっちゃいい本で楽しく全部読めました。マル。

結果オーライです。でも今後はもっと気を付けていきたい。

 

あとよくやるのが、甘いものとか(今控えてる)大量に食い散らかして寝てるっていうやつ。次の日にテーブルの上のゴミの山見てビックリする。

どうせなら記憶あって欲しい。美味しさ味わいたいのさ。

 

あー、うどん食べたい。糖質…。

冷凍うどん茹でて卵と納豆ぶち込んで麺つゆぶっかけて食べたい。

パスタもしばらく食べてないなー。

ミートソース自信あるんだけどなぁ。

 

もう、家にいると、ご飯にしか興味なくなってくるね。

でもこんな時だからこそ糖質制限ぐらいしないと

絶対太る。自信ある。デブだから分かる。

 

世の中にはデブにしか分からないことがあるんだ…。

 

どうでもいいわ。

 

ツイッターにでも呟いとけっていうくだらないことしか書けなかったな今日。

 

落ち込む。(ウソ)

 

文章が上手い人、羨ましいな。

悲しいこと辛いことを笑えるように書ける人尊敬する。

 

私の中では、去年ぐらいから爪切男さんとこだまさんが書く文章に救われてます。尊敬してます。あと嫉妬します。

 

私は一体何をすればいいんでしょうね。

お金になってないマンガばっか描いてていいのかな。

 

 

分からんけど、政府早く10万ください。

男の子との思い出がない。

今では「学生時代モテたでしょう」とか「ヤンチャしてたんじゃないの?」なんてよく言われますが、私の人生に男の子が出現したのはほぼ18歳の秋。17歳の終わりです。

それまではまともに男子と喋ったことなかったし、まぁ嫌われる担当でした。嫌われ具合と言ったら、虐められることもないぐらい、無視されてました。席替えで隣になった男子は言いました「え…まじかよー!」

 

ところで私、昔から精神が弱かったので、幼稚園の頃から周りに溶け込めず、みんなで遊ぶことが少なかったように思います。

あの子が欲しい〜の遊びでは、最後まで選ばれなかったですし、無理して誘ってくれた友達に気を遣わすことになって逆にすいませんという感じでした。

 

そんな私に小学校5年生のとき、好きな女の子が出来ました。

男の子はまだ怖く、喋った記憶もありません。

そのこはおっぱいがデカくて、同じクラスの女の子みんなに触られて「ヤダ〜」って言いながら笑っていました。

私も触りたかった。でも意識してさわれなかった。

でもみんなは触ってる。悔しくて悔しくて、みんながカルカルしく触るおっぱいにどんだけの価値があるか私はみんなに言って回りたかった。言えなかったしそんな機会なかったけど。

おっぱい触りたかった。他の人へのヤキモチで死にそうになってました。

 

17歳の時、男の子らとキャンプに行ったことがあります。

奇跡です。

でもほとんど喋りませんでしたし、男女比3対2のそのキャンプでは、人組カップルがいまして、みんなでその二人を盛り上げるナゾの優しさ溢れるキャンプでクソつまんなかったです。

もう一人残りの男の子は飲めないチューハイを飲んで、外で盛大にゲロ吐いてました。ちょっとかっこいいと思っていただけに、ゲンナリ度はかなりのものでした。でも私はその子担当になっていたので、ゲロ吐く背中をさすりながら、飲めない酒飲むなよ…と呆れてました。

 

さて18歳近くになって謎の飲み会で彼氏が突然できるわけですが、私はその人を全く好きではありませんでした。

カッコ付けで、プライドが高く、マザコンで働くのが嫌いな大学生でした。だけど付き合おうと言われたことが人生初だったので、浮かれてオッケーしました。これで私も人並みに恋愛ができる、と。

 

しかし彼は大学もいかず、私を連れて毎日パチンコ屋に並びました。勝った日はフォルクスでステーキ、負けた日は冷凍の業務用チキンナゲット。一人5個。もう、美味しくも美味しくないもない、冷凍のチキンナゲットです。ほんと、大学行きながらバイトして欲しかった。

 

2年で別れました。よく2年付き合ったなと思います。依存してたんです。この人と別れたらまた男子のいない生活に戻ると思うと、この人に好かれて結婚してしまおうと思って頑張りました。

 

けど、彼は私のことを全く理解してくれず、自分の要求だけをどんどん厳しく私に課してきました。最後の方はもう、奴隷でした。

束縛もひどいもんでした。お前は縛っておかないと浮気する、と謎の自信を持って私を管理していたようです。

はい、浮気してましたけど。バレたことはないです。

 

2年たち、別れてよかったです、でも、一日3回セックスしてくれたことで、その後すんなりフーゾクに入れました。そのことである程度の自信をくれたのは確かです。なので感謝しています二度と付き合いたくはないけど。でも、私は裸になれば人が喜んでくれるって、その彼と付き合って覚えてしまいました。

だからフーゾクはとんとん拍子にうまく行きました。お金も稼げたしほぼ指名客だったので優しいお客さんと毎日会えてケーキなんか差し入れしてもらって一緒に食べたり、楽しかったです。

 

私は20過ぎてから人生が楽しいなって思うようになりました。

遅かったけど、まぁそれも良しです、結果よければなんちゃらです。

コロナですって。奥さん。

毎日掃除したりツイッターしたりして暇で仕方ない。

それもこれも、コロナのせいなのです。

 

私は政治が分からない。ニュースは見るけど内容がついてこない。ただただ怖いという感情だけが突き刺さる。

 

ネットを見るとこれがまた怖い。

みんな怒ってる。政治について怒ってる。

私は何も分からない。

コロナに罹ってはいけない、移してはいけないと思うだけだ。

 

プロレスは私が欠場中にもうずっと興行を出来なくなった。

私は復帰する予定もなく、練習も行けなくなった。

 

私が復帰する場所はそのときあるだろうか?

 

なんのために生きているか分からない時もあるけど

人を傷つけない方が私は嬉しい。だから今日も生きてるし出来るだけ外には出ないようにしてる。

 

コロナはいつになったらいなくなるんだろう。

人によっては二週間、違う人からは九月までと言われて混乱する。

 

何も出来ず、掃除したりするけど、この毎日がずっと続くなんてほんとに怖い。

 

明日はトイレと台所を徹底的に掃除する。あと、テレビの後ろとかのホコリをやっつける予定です。

 

ブログ書かないのですか?ってたまに言われます。

嬉しいです。

書いてほしいテーマがあればTwitterとかに書いてください。

 

こちらからは以上です。

ほんと、異常。

オーバードォーズについて

昔、わたしが今より全然精神的に不安定でダメで何もできず部屋に引きこもりがちでそのくせ他人からの愛情がなければ生きた心地もせずフワフワと思考が定まらなく幻聴と幻覚に悩まされていた頃、ふとしたきっかけで薬を3400錠飲んでしまったことがあった。


ちなみにその数ヶ月前には200錠飲んで救急車で運ばれて胃洗浄しても入院もさせてもらえずフラフラしたまま記憶も曖昧に帰った。


3400錠飲んだ時はその時よりもさらに存在を消してしまいたい欲に駆られてウワーっとなってしまった。200ぐらいまでは数えていたのだけどその辺からグラグラで記憶が途切れ、あとでテーブルの上の薬のゴミを見たら3400錠飲んだんだなと救急隊が言ったのかな?それも忘れた。


1番わたしを発見しやすい人に「わたしがまた薬を飲んでも起こさないでください、救急車アンドICUは一晩で7万かかるので黙って寝させてください」と念を押していた。


友達はわたしがまた薬を飲んで寝てるのを発見したが言った通り救急車を呼ばず、数時間に一度、寝息を確認していたらしい。


5日ぐらいして(多分)ものすごい尿意で目が覚めた。グラグラの頭とふらふらの体で必死に歩いてトイレに行こうとするも、足に力が入らない、カベを伝う手にも力が入らない。

わたしはベッドから起き上がり二歩歩いて力尽きてその場にがくんとしゃがんだ。そこには今は使っていないブラウン管のパソコンのモニターがあってその角がわたしの左のお尻にしこたま突き刺さってその衝撃でおしっこを全部漏らした。


むっちゃくちゃ痛かった。でもわたしはぼうっとした頭の中で「あぁ、もうトイレいかなくていいんだ」と安心してベッドに転がるように入った。


次に目が覚めた時は友達が「うらんちゃん、パンツ変えようか」と笑顔で言ってきた。「なんで?わたし寝てるのよ」というようなことを言ったが相手は聞き入れてくれずどうにかパンツを履き変えた。少し気分が良くなったのでまぁいいかと思った。

そしてまた記憶が途切れる。


次に目が覚めた時友達はスモモを持って枕元にいた。「うらんちゃん、スモモ」「食べたいってさっき言ってたから」覚えがないがスモモを見たら食べたくなったので1つ2つ食べた。甘くてジューシーで体に染み渡るようだった。美味しい美味しいと何度も言い、わたしはまた寝た。


どれぐらい時が経っているのか全くわからないが薬もだんだん抜け、ふらふらながら歩けるようになってわたしは何故か家族とショッピングに行った。近くの商店街に。


妹も母親もニコニコしていた。ニコニコするしかないんだろう。怒ってまた薬飲まれたんじゃたまらんもんな。ちょっと歩いてゼェゼェに疲れて気がついたらまた倒れてたみたい。


やはり最終的には救急車で病院に入院してまたも胃洗浄、色々調べた結果肝機能障害と肺炎になってた。即入院。


結局また入院してしまった。バカだなって思ったけど、それ以外にする方法がその時は分からなかった。2週間入院して謎にニコニコしてくる家族に喜ばれながら退院。


結局、入院して何万も取られて、自殺未遂だから看護婦ちゃんもむちゃくちゃ冷たくて何やってんだろって思った。それから入院するようなことはしないぞと誓った。自分でどうにかできる程度のいたずらしかしなくなった。


恥ずかしいよ。オーバードォーズ。今になって分かるけど、恥ずかしい以外ない。それ以外の方法を知らなかったとはいえだからってそれが認められるとは思ってない。たくさんの人を傷つけ、怒りたい気持ちを抑えてニコニコしてくれるわたしの周りの人たちに申し訳ないと思った。二度と救急車には乗るもんかと誓った。


それでもまた救急車のお世話になるんだけど、バカも大概にしてくれとみんな思っただろう。なぜそうなるのか、わたしも救急車なんて乗りたくないのになんで同じことをしてしまうんだろう。


最後の救急車は薬飲んでる時点でほとんど何も覚えていない。錯乱してた。うわーってなってた。気がついたら親が実家でモモを剥いてくれてた。ジューシーで甘くて、美味しくて、美味しくて。


そっからの記憶もまだ定かじゃない。いまだに思い出せない。


もうほんと、そういうのはいい加減やめるって決めた。大切な人を傷つけ怒らせ悲しませ自分の体を壊しお金がかかり、何もいいことない。

あるとすれば一瞬で記憶を飛ばすことが出来るだけ。でもどんなに記憶を飛ばしてもどうせこの世に戻ってくるし、って思うし、でもそんなこと考えてたら戻ってこない日もいつかはあるかもしれない。そんなの、わたしも誰も求めてないし絶対あってはいけないことだ。


わたしは「どうせ死なないよ」って笑うけど、それで死ぬ人もいる。

それで死ぬかどうかより、また同じことをして今度こそ死んでしまうんじゃないかって心配してくれる人がいる限りわたしは同じことはもう二度と繰り返さないって決めた。


人に迷惑かけちゃいけない。人には優しくしなきゃいけない。自分にも優しくしなきゃいけない。周りの人のためにも。だから毎日生きていく。辛くても楽しくても必ず明日のために生きる。そう決めた。


わたしの命はわたしのものじゃないんだなって最近思う。自分の勝手だって思ってた時わたしは子供だったんだと思う。だけどもう体はいい大人だから子供だからって容赦しないぜ。


いい歳こいたわたしが、経験で何かできることあれば誰かの相談に乗ったり慰めたりできるかもしれないね。わたしはもう大丈夫です。みなさん、ごめんなさいね。


これからそれらを忘れるぐらい面白いこと優しいこと楽しいことしていきます。見ててください。

セックスって何?

18歳でセックスを知ってから人生が変わった。

友達も彼氏もいず、仕事やる気もせず家でダラダラしてた生活がセックスを知って人生が変わった。

 

私は人に受け入れられることが一生ないと思っていた。

フリーターだったけどバイトの面接は落ちまくる、受かっても三日と続かない。

 

同じ時間の電車に乗る、ただそれだけのことが苦痛で仕方なかった。

なぜ私はこの電車に乗っているのか。それを考えると体調が悪くなり、ホームのイスで動けなくなる。

ある時は医務室みたいなところで休ませてもらったりした。

バイトはドタキャンで休んだ。もちろんそれが原因で何度もクビになった。

 

世界で一番のクズだと自分のことを思っていた。

男の子に優しくして貰った記憶もなかった。偽物の友達は彼氏が出来ていく。あんなブスなのに。あんなバカなのに。このヤリマン。

そう思ってた。クズだろ。笑

 

それがとんとん拍子で彼氏が出来た途端世の中がお花畑に見えた。

私はセックスをしてくれる人の存在をありがたいと思った。

やってくれる人となら誰とでも寝た。

彼氏にバレないように。

 

私は股を開けば人に受け入れてもらえるって知った。

だけど男の子とデートするのは苦痛だった。

例えば、二人で食事にいく。このあとやってくれるんだろうか。やってくれるなら食事なんて省いていい。さっさとホテルに行きたい。

いつもそう思ってた。

 

セックスなしの人間関係の築き方がわからないままだった。

ろくに喋れなかった。だって私はクズだから。

 

だからできるだけ早急にホテルへ行くようにいつも仕向けた。

 

セックスの最中はやっと心がほぐれる。

その時は、相手が私を求めてくれていると思えた。

こんな幸せがあるだろうか。

あぁ、幸せ。安堵。

生きてていいんだ、私も。

だってセックスしてくれる人がいるんだもの。

 

そして行為が終わった途端。

私はまたクズに戻る。

横でスヤスヤ眠る男を見て、居場所のなさに申し訳なくなった。

セックスの最中しか幸せを感じられないし、自分の価値を感じられなかった。だからずっとセックスをして居たかった。だからセックスをしてくれる人をずっと探し続けることになってた。

 

きりがなかった。

探して見つけてヤッて幸せ感じて終わったらまた自分をクズと思う。

その繰り返し。

 

私はヤりたいんじゃない。

受け入れてほしいだけだ。

ある時そう気付いた。

 

初めての時から思ってたけど

セックスの快感なんて大したことなかった。

それよりも、受け入れて求めてくれる人がいるって事実に感じる幸せが、とてつもなく価値のあることで、その瞬間だけが私の安息の地だった。

 

まあ。

セックス依存症って言っていい。

実際先生にも言われたし。

 

精神科で先生に聞かれた。

「一日にどれぐらいセックスしたいですか?」

「24時間です」

即答だった。

先生は爆笑した。

「無理でしょ」

私は言った。

「希望です」

 

 

40過ぎて。

あの頃のやりたいヤりたいという気持ちが薄まってることを感じる。

あの頃の、受け入れられたい、求められたい。という恐ろしく強い気持ちがおとなしくなっていることを感じる。

 

少しは大人になったなと思う。

自分で自分を認めてあげることが少しは出来るようになったし、セックス以外で人に受け入れられてるって思うことも出来るようになった。

少しは自信が持てるようになったんだと思う。

 

私のことを好きで居てくれる人、

私を応援してくれる人

褒めてくれる人

 

本当にありがとう。

 

あとは、セックスに関して。

ほんとに好きな人と、愛情を確かめ合うセックスがしたいもんだ。

と思う。

(だけどこういうこと書くと、キモって思う。クズだから)

 

でもそれってふつーーーのことで、みんながやってる事なんだよね、多分。

 

私は経験でしか新しい情報を受け入れることが出来ないから、めんどくさいんだけど、そうして生きていくしかない。

 

アドバイスもらっても、自分が経験しないと何も理解できない。

そこも、精神的におかしなところなのかもなって思う。

 

自分も信じられないのに、人の言葉なんて特に心までなかなか届かなくて。

 

だけど生きていく。

私のツイートはセックスセックスばっかりだけど、それ以外の会話だけでツイートできるようになるのかな。

 

私は感謝し過ぎてセックスを神様みたいに思ってる。

性職に携わってる人を尊敬するし頑張ってほしいと思う。

わたしはいまプロレスやってるからフーゾクとかで働くことは無いんだけど、無いいまだからこそ、無い状態で幸せたくさん感じられるようになりたい。

 

だけどしばらくは、セックスセックスのツイートやブログを許してくださいね。

 

 

Kくんと浮気と。

Kくんと付き合ってても一度もセックスしないまま数ヶ月。

これはもう、一生してくれないんだなと思うまでには絶望していた。

 

私は、ライター、イラストレーター、カメラマン、編集者、その頃知り合ったたくさんの人たちと浮気を繰り返すことになる。

 

Kくんは好きだから別れたいわけではない。

でもわたしは生きていく上でセックスがないと不安なのだ。

セックスがないと人と仲良くすることができないし、セックスするぐらいには気に入られてると思えないと卑屈になって相手と喋れない。

 

私がしてた人間関係は、とりあえず寝て、それでも優しい人たちと仲良くするって感じだった。もちろんヤリたいだけの人もいた。そういう人とは一回やって終わり。まぁ、それはそれで傷ついたけどもしょうがない。

 

「セックスしてきまーす」と言うわけではないが、Kくんに「あの人と会ってくるね」宣言して浮気しにいく日々が続く。

 

「おーいいじゃん」Kくんはいつも言ってた。

私のお出かけにKくんは寛容だった。

私たちは、多分、上手くいってた。

 

でもある時、私に本当に好きな人ができてしまった。

その人と付き合えるわけではないが、本当に好きなので、やっぱり、Kくんのことが好きっていう気持ちは愛情じゃないなって気づいてしまった。

 

K くんはまるで私の子供だった。

Kくんの性格がお父さんの影響が強いことを指摘してからKくんは私に色々なことを質問してくるようになってたし私もアドバイスするようになってた。

 

念仏のように、「Kくんは悪くないんだよ」「性格は治るよ」「ビビることないよ」って毎日毎日言ってた。

 

「大丈夫」「KくんはKくんでいいんだよ」「好きにしたらいいんだよ」

 

Kくんは段々と私の前で自然に振る舞えることができるようになってた。安心していたんだと思う。私には受け入れられてるって、多分人生で初めて思ってたんだと思う。それまでは誰に対しても気を張っていて、人といると疲れるって言ってた。

 

そんなKくんに別れ話を切り出すことに。

 

言いづらかったけど、Kくんのことは人として本当に好きだよということと、恋愛として本当に好きな人ができたことと、別れたいということを言った。

 

「うん、わかった」

 

その時はそう言われた気がする。簡単に終わったな、そう思った。

 

しかしKくん、その後、私にKくんを紹介してくれた人にその話をした時、子供のようにワンワン泣いたらしい。

 

親に捨てられた感じがしたんだと思う。なんでも受け入れてくれる安心を私は与えていた。だからKくん、私がいないとこれからまた人に気を使って生きていかなければいけないと思い、それを辛すぎると思ったようだった。

 

Kくんに言った。

「Kくんが嫌いな訳じゃない。でも、セックスもせず、私たちって本当に恋愛として付き合ってるわけじゃないじゃんね。親友でいいじゃん。別れても私たちは変わらないよ。これからも仲良くしていこうね」

 

Kくんは納得してくれた。

そんなKくん、20年経った今でも親友です。

Kくんとのセックス

Kくんんと私はひねくれ者同士だったがなんとかうまく付き合っていた。

気がついたらお付き合いもしてKくんは彼氏になっていた。

 

でも、セックスはしていなかった。

 

ある時私がお風呂から出て裸で歩いていたら

「ちょっとやめてくれると助かる」

と言われた。

 

何が?と思ったら、裸で歩かないでくれということだった。

「なんで?」

「ちょっとほんとにそういうの苦手だから。タオル巻いて」

 

また別の日、私はフーゾクのお客さんにアソコをいじられすぎて怪我をしていて、お風呂から上がって股を開いて「ちょっとKくんどうなってるか見てくんない?」(いやらしい気持ちゼロ)と聞いた。

 

「いや、ほんと、げんなりする。女の人のそういうとこ見たくない。」

「えーなんでー!痛いんだもん!見てよ!」

「いや、無理。下品。」

 

うーん、まぁ、わからんでもないけど、Kくんのそれはものすごいこだわりだった。

 

さて、そんなわけで、Kくんとはお互いが夜も昼もなくイラストを描いていたのでいしょに寝ることがほとんどなかったように思う。

布団はシングルだし、お互い仕事が忙しかった。

たまたま一緒に寝る機会があったとき、わたしはKくんをセックスに誘った。いや、誘おうかと思った。誘いかけたその時Kくんが言った。

 

「疲れてる」

 

そう言ってKくんは背中を向けて寝てしまった。

 

それからも私は何度か誘ってみたけど、毎回「眠い」「疲れてる」と言われ断られた。

 

まぁ、Kくんと私はもう親子のような兄弟のような関係になっていたので仕方ないかもしれない。

 

けど、人に好かれてるって思える瞬間がセックスだけの私には、彼氏に拒まれるのは本当に辛くて、声を出さずに体育すわりで何度も泣いた。

 

やりたいとやりたくないの攻防はしばらく続いたが、これはもう絶対にしてくれないと悟った私、Kくんとするのはもう諦めた。

だって断られるの辛いんだもん。

 

そうして私は浮気をすることにした。