愛された記憶
鬱は飛んでった。
しばらく鬱々してたが、天気のいい朝目が覚めると、スッキリとした気分になっていた事があった。それからネットで買い物とかしてたら、鬱はすっかり飛んで行った。
最近姉のブログを読むのが楽しみだ。
姉はわたしと違って毎日ブログを書いてていつ見ても新しい記事があるのでえらいなと思う。わたしは無理〜。ネタもねぇし根性もねぇ。
わたしはそんな真面目な(面もあるけど基本的におかしい)姉が大好きなのだが、ふとむかし姉に絶交されたことを思い出したので書こうと思います。
わたしは高校を中退して女子プロの練習生になり、そこを辞めて実家に帰りフリーターという名の又は家事手伝いという名のプータローになっていた。バイトしたりしなかったり辞めたり面接に落ちまくっていたり、その頃からわたしは真面目に働くことが出来なくて友達もいなくて彼氏ももちろん居なくて人生がつまんなかった。初めて描いた夢にも破れ、もう人生どうでも良かった。
その頃3つ上の姉は子育てをして居た。姉も19歳とか20歳とか若かったから子供が子供産んだみたいな感じだったけど子供のことはちゃんと可愛がってたから普通かも知んないけど偉いなと思ってた。
ただ、わたしはその頃、今にも増して拗ねててひねくれてた。同年代との人間関係もうまくいかず年上に対する接し方もわからず、人間関係ではほんとに苦労してたし人間が嫌いだった。姉の子供の面倒を見たこともあったけど、基本的になんでも許される子供という存在がムカついてしょうがなく、子供はうるさくてわがままで気分屋でわたしに優しくなく、はっきりいって嫌いだった。
ある時、親戚の集まりに家族全員で参加するために準備して居た。
玄関を出る時、姉がこう言った。
「(息子の名前)、風邪引いたから一緒に留守番するね…。」
わたしはなんも考えずにこう言った。
「やったー!」
姉「なんでやったーなの?」
私「だって子供うるさいじゃん。めんどくさいし。」
姉は少し黙ってメソメソと泣き出した。
姉「そんなこと言うなんて酷い…。」
泣いた姉を見てめんどくさいなと思った。なんで泣くんだろう。だって子供は泣くしうるさいしめんどくさいじゃないか。違うの?
姉「もううらんちんと絶好する…」
私は訳がわからなかった。私が言ったこと間違ってる? 子供はうるさいしめんどくさいし私に優しくない。姉だけ来てくれるならいいけど子供が来ると大変じゃん。思ったこと言ったらダメなの?
私はその後15年ぐらいして子供が突如欲しくなるまでずっと子供が大嫌いだった。
今思うけど、その頃のわたしは他人にちやほやされたくて仕方なかったんだと思う。
子供にみんなの注目や世話が集中することが悔しくてたまらなかったんだと思う。
だけど自分に子供が生まれ、子供を育てながらふとたまに姉に言った言葉を思い出して本当に反省している。自分が産んだ大事な子供のことをめんどくさいだとかうるさいだとか言われたら今なら私も、たとえ相手が家族でも絶交するだろうと思う。
あの時姉が言ったように(私なら物投げそう)。
たまに今でも思い出して姉に「あの時はごめんね」って言うけどその度姉は「ん〜? 忘れた〜。」って言う。
ほんとに忘れてくれてたらありがたいけど私の罪は消えないので思い出すたびに姉に謝って行こうと思う。
ほんとは覚えているのだとしたら怖いけど。
おねん。あの時はホントにごめんね。
子供を可愛がれるぐらいには、私も大人になったから、もう同じことはしない。
私の子供のことも、可愛がってくれて、ホントにありがとう。
終わり。
鬱、鬱、鬱、
姉がブログを始めた。
2017/01/07
精神病棟の仲間たち3
かおりちゃん(仮)は、同室のヘアメイクをしている女の子。
確か一個上だったと思うので女の子というより女の人だけど。
かおりちゃんは正義感が強く仲間思いで朗らかな子だった。人付き合いが苦手でバリアを張ってるわたしにも部屋で気さくに話しかけてくれたことがきっかけで話すようになった。入院した時期を何度か聞かれ(電気ショック治療が終わると記憶がすっぽ抜けるらしく何度も同じことを聞かれた)どうも入院時期も同時期っぽかった。
かおりちゃんを含めたグループのみんなでリビングでお茶を飲んでいたとき事件が起こった。
「トイレでミィさん(仮)が倒れてる!」
誰が言ったか分からないけど、リビングがざわついた。
時間は8時頃だったと思う。
みんながザワっとした瞬間、かおりちゃんがバッと席を立ってトイレに走った。
わたしはやっぱ力持ちのわたしが行った方がいいのかな?と思ったけどミィさん(たまたまミィさんも同室だった)と話をしたこともないし気後れして黙って席に座っていた。
しばらくするとかおりちゃんがナースセンターに走って行って窓ガラスを叩いた。
中には誰もいない。
「なんで誰もいないの!?トイレの緊急ボタンも押したんだけど誰も来ないの!」
「なに、ミィさんどうしたの?」
隣の部屋の大場さん(仮)が椅子に座ったまま言った。
「トイレでうずくまって、お腹痛いって! 動けないの!」
かおりちゃんは深刻な顔でそう言ってまたトイレに走って行った。
席に集まったたみんなは「どうしよう?」「看護婦さん居ないね」「今日のジャガイモ硬かったよね」「それじゃない?」「うん、絶対それだよ」「でもみんなで行っても何もできないからかおりちゃんに任せましょう」「そうだね」
そういう話になっていた。
しばらくするとかおりちゃんが違う部屋の人と一緒にミィさんに肩を貸しながら出てきた。
「ベッドまで連れていく! でも少し良くなったみたい!」
みんなを心配させまいとしてかおりちゃんがニコッと笑った。
リビング組の緊張が少しとけた。
しばらくしてかおりちゃんが席に戻ってきた。
「なんかごめんなさいねかおりちゃんに任せちゃって。」
足の悪い吉田さん(仮)が言った。
「うん、大丈夫。」
かおりちゃんがまた笑った。
「横になったら少し楽だって。でもナースコール押しても誰も来ないの。なんで??」
かおりちゃんが少し怒り気味に言った。
「なんのためのナースコールだよ。」
「変だよね」
「かおりちゃん、ほんとごめんね」
みんなが言った。
わたしはやっぱりわたしが行けばよかったと思った。
人を担ぎ歩かせるのは慣れてる。
やっぱりわたしが行けばよかった。
自分を責めてると、ナースセンターにキツめの顔の看護婦さんが入ったのが見えた。
かおりちゃんはまた席をバッと立ち、ナースセンターの窓をまた叩いた。
ナースが鍵を開け、ガラス窓を開いた。
「ミィさんがお腹痛くて苦しがってるんです! 見てあげてください!」
「どうしたんですか?」
「トイレでうずくまって苦しそうなんです! いまベッドまで連れて行きました、でもまだ苦しいみたいです!」
ナースはだるそうに言った。
「患者さん同士は必要以上に仲良くしないでくださいね」
「え!?」
「やることは私たちがやるんで。患者さんに手を貸さないでいいですから」
「お腹の薬だしてあげてください! 苦しがってるんです!」
「いま、薬剤師居ないので出せません。」
かおりちゃんは誰が見ても分かるような怒りをこらえた顔で席に戻ってきた。
「…信じらんない…。」
しばらくして看護婦がミィさんの部屋に行き、戻ってきた。
かおりちゃんは怒りに震えていた。
「やっぱ納得できない」
また席を立ちナースセンターに行き窓を叩いた。
ナースがだるそうに窓を開ける。
「看護婦さん、お名前教えてください」
看護婦はかおりちゃんの顔をチラッと見て手元の患者表をチェックして言った。
「あなたに言う必要ないでしょう。患者のことはやることやってるんで。それ以上構わないで」
そうしてピシャッと窓を閉めてしまった。
かおりちゃんは真っ赤な顔をして席に戻ってきた。
「顔、チェックされた。名前と照合したと思う。わたし、悪いことしたの? 人が倒れてたら助けるよね? 精神科に入院してるからわたしの精神がおかしいの?」
みんなくちぐちに「かおりちゃんは悪くない」と言った。
かおりちゃんはしばらく両手を握りしめ怒りに震えていた。
「あ…、なんか、ごめんね! みんな暗くなっちゃうよね!」
かおりちゃんが無理に笑った。
ようやくみんなの緊張も少し溶けた。
かおりちゃんはその日の就寝時間まで、ずっと怒っているように見えた。
わたしは、自分にも何か出来たような気がしてならなかった。
精神科にいるからかおりちゃんが悪いんだろうか。
だけどみんな早く退院したいから、問題を起こさないように気をつけていた。
かおりちゃんだってその一人。
仲間が苦しがっているのを助けただけ。
だけど看護婦は、かおりちゃんの行動を、行きすぎたこととして上に話すんだと思う。
誰の神経が一番おかしいのか、
わたしはよくわからなくなった。
精神病棟の仲間達2
菜々子ちゃん(仮)という子がいた。
名前は食事についている名前プレートで分かった。
わたしが病棟で仲良くしてたグループには通称「不思議ちゃん」と呼ばれていた。
菜々子ちゃんはいつもしかめっ面をして一人でいたが、ほとんど部屋から出てこなかったのでその姿を見たことない人もいた。
声をかける人もいたが、そのほとんどに「…いや…」と小さい声で返事をし手を振る仕草をして部屋に戻ってしまう。
グループで話してると菜々子ちゃんが部屋から出てくることがあった。
「不思議ちゃん出てきたね〜今日は調子いいのかな」
「え? 不思議ちゃんって誰?」
「ほら、403号室の若い子」
菜々子ちゃんが部屋から出てくると結構な確率で話題になった。
わたしは、仲良しのグループとお茶をすることもあったが、本を読みたい時と日記を書く時は別のテーブルで一人で過ごすことも多かった。
ある時、ポツポツしか人がいないリビングで不思議ちゃんが部屋から出てきてわたしの机の向かいに座った。
わたしは「なぜそこ!?」って思ったがあんまり刺激を与えないほうが良いだろうとしばらく無視して日記を書いていた。
不思議ちゃんは動かなかった。
チラっと見てみると困った顔をして黙って座っていた。
わたしはちょっと話してみようと思い目を合わせてみた。
少し目があって不思議ちゃんはすぐに自分の持っているノートに目を落とした。
わたしは机の上に腕組みをして頭をのせ前のめりに座り直して声をかけた。
「ねぇ、そのノートなに書いてるの?」
不思議ちゃんは何も言わなかった。
わたしはもっと突っ込んでみた。
「ねぇ、名前書いてるの?それ」
「うん。わたしの名前。」
不思議ちゃんが答えてくれた。
わたしはうれしくなって色々聞いてみた。
何歳なの? いつから病院いるの? 家族は? みんなでご飯食べないの?
不思議ちゃんの答えは、あ、これは嘘だろうなという答えや、妄想だなという返事が多く、話は飛び飛びで一度飛ぶと二度と戻ることはなかった。
そのうち不思議ちゃんは自分からもしゃべりだした。
「ねぇ、年賀状届いた? わたし、しょうこちゃんにだしたんだけど…」
(なるほどわたしはしょうこちゃんか。)
「…ん〜。どうかな、家帰ったら調べてみるね。」
不思議ちゃんは「よかった」というとうな一瞬してすぐまた質問してきた。
「渋谷でバッタリ会ったこと覚えてる?」
「…ん〜。そうだったかなぁ。笑」
「きゃっ!!!」
不思議ちゃんが突然大声をあげた。
「やだ! いま知らない人からかんちょうされた〜!あはは!」
「あはは!だいじょうぶ?」
「お父さんは舞台作家なんだー。」
「お父さん?」
「部屋の隅にね、塩を置いとくといいんだよ」
「あーそうなんだ」
「好きな歌手はいる?わたし、歌いびとになりたいんだ…」
「わたしはアユが好きだよ」
こんな調子で話してるのか一人ごとなのか分からない時間を私たちは過ごした。
「もうこんな時間。薬もらうの一緒に並ぼう?」
そう言われて一緒に眠る薬をもらう机に並んだ。
「また明日ね、絶対ね!」
不思議ちゃんは名残惜しそうにそう言った。
「うん、おやすみ、また明日ね」
(わたしのこと、忘れちゃうんだろうな…)
わたしは思った。
次の日、不思議ちゃんは1日部屋から出てこなかった。
わたしは不思議ちゃんの部屋の一番近い席にいつも座っていたのでいつものように席に座りご飯を待った。
部屋からかすかな歌声が聞こえた。
アユだった。
覚えていてくれたのかな。
わたしは嬉しくなった。
精神病棟の仲間たち
冬になった。
もう寒い。
夏の終わり頃オフ会をしようと、みんなで言いあっていた。
精神科病院に入院した時だ。
わたしは同室のヘアメイクをしてるかおりちゃん(仮)と、退院する3日前ぐらいに仲良くなり、病棟で仲のいいグループを紹介してもらった。
そのグループは、食事も食後もリビングのテーブルでお茶を飲みながらみんなでわいわいやっていた。
わたしは最初そういうグループ活動がイヤで一番端っこの席で麦茶飲みながらずっと日記を書くか小説を読むかしていたんだけど、最後の方はわたしも心の調子がよくなっていたんだろう、かおりちゃんに誘われてそのグループのお茶会に参加した。
8割女子のそのグループは下は24歳から80歳までのバラバラの年代で構成されていた。
外へつながるドアどころか窓ひとつ開かないその病棟の中は、なんの刺激もなく、とにかく退屈極まりなかった。毎日が息がつまる程長く、毎回変化のある食事だけがみんなの唯一の楽しみだった。
グループのお茶会の話題は「次の食事内容」と「タバコ吸いたいコーヒー飲みたいといった話」と「不思議ちゃん」の話題ばかりだった。
(不思議ちゃんについては今度書きます)
昼ごはん後、いつものようにみんなで麦茶を飲んでいたらグループの一員が憂鬱そうな顔でため息をついた。
50代の主婦。子供は旦那が面倒を見ているらしい。
「今日わたしこの後電気ショックなの…」
他の人たちはそれを聞いて「あ〜〜〜〜…」と同情した。
かおりちゃんは言った。
「わたしたぶんこないだ電気ショックやった時舌噛んじゃって、口内炎治らないの。でも看護婦さん、薬くれないのよ」
他の人たちはそれを聞いて「あ〜〜〜〜〜…」とまた言った。
みんなでなんだかんだ愚痴や淡い夢(コーヒー飲みたい、醤油とマヨネーズ完備してほしい、など)を語りながら、次のご飯の時間を待っていた。
先生が来て、電気ショック療法の人たちを連れていく。
そのおばさんも、憂鬱そうな顔で連れて行かれた。
「ねぇ今度、このグループでオフ会しましょう。夏の終わりにはきっとみんな退院してると思うし」
グループの中でもほがらかで明るいさやかちゃん(仮)が笑顔で提案した。
グループに笑顔が広まった。
「いいね、カラオケいく?コーヒー飲む?お酒は…やめといたほういいね(笑)」
「バンビさんも行きましょうよ!」かおりちゃんがすごく推してくれて、私たちはメモ帳に連絡先を書いて交換した。
話し合いの結果、オフ会は「スーパー銭湯」に行くことになった。
わたしは「(あ…、無理だわ。女の前で裸になるの死ぬほどやだ)」と思ったけど、「うん、行くね」と言った。
連絡先は交換したけれど、病院内では完全にスマホやパソコンなどはもちろん持ち込み禁止だった。わたしはきっと初めてといっていい程新鮮な気持ちで小さなメモ帳に名前電話番号住所メールアドレスを書いた。そして同じそれをかおりちゃんと交換した。
元気っ子さやかちゃんが言った。
「みんな、夏の終わりには退院できるように頑張ろうね」
みんながうん、そうしようと言った。
わたしはその三日後、退院した。退院の準備をしていると70歳の虚言のおばあさんが「いいわねぇ…わたしの退院なんか、いつになるのやら…。旦那と主治医でわたしを騙しているのよ…わたし、何もしてないのに…」
それも病気の障害だと思ったので、「うん、うん」としか言わなかった。
電気ショック組が帰ってきた。
みんな、目の力が死んでいた。「…あ…、バンビさん、いつ退院なの?まだ予定無し?」「いつここ入ってきたの?」「あ、わたしと一緒ぐらいだね!」って言った。
その話題は電気ショック前もしていたし、数日前にも同じこと言われた。電気ショックのすさまじさにゾッとしたの覚えてる。
電気ショックはとてもいい影響がありますよ。嫌なこと全部吹っ飛びますから。担当医がそんなことを言っていた。実際どうなのかわからないけど、電気ショック組は死んだ魚のような目をして宙を見上げていた。ふと、10分前に話した話をまた話し出したり全く関係の無い話にすり替わっていたりしていた。
みんな、そんなことに慣れているし、自分もそうかもしれないしってことで、誰一人「それ、さっき聞いたよ」とは言わなかった。
あれから半年たって、夏が終わり、秋かなと思ったらもう冬がやってくる。
かおりちゃんからの連絡は、無い。
精神病院の話でもしようと思った
うらんです。
3歳ぐらいのときから人と同じことが出来ず人間関係に悩み嘘つきになり、小二で嘘もつけなくなり神経性胃炎を発症、中学は自分で髪の毛を無意識に抜き続ける抜毛症や電信柱を殴りながら帰宅するという意味不明なイライラを持ちながら、近くのコンビニに行くときは向こうから知らない人が来るだけで緊張しすれ違うときにはもうパニックで泣いているという生きづらさのなか、「どうして私は毎日同じ時間の電車に乗るのだろう」という疑問でフリーター時代は何十個もバイトをやってはすぐやめを繰り返した10代をすぎ、20歳すぎぐらいから本格的に鬱が酷くなり精神科に通うようになった私は薬を処方された量よりも多く飲むというオーバードーズとリストカットにハマり、それが原因で二度救急車で運ばれたり肺炎、肝機能障害などで入院していた私ですが、マジな精神病院の閉鎖病棟に初めて入院したときの話でもしようかと思って書き出したひさびさの「書きなぐり」ですが、前置きを書いていたら何から書いていいものかもう思い出いっぱい胸いっぱいな状態なので少しずつこれから書いていこうと決めました。
期待しないで待っててください。
初めて家を出た話
「初めて家を出た話」
初めて実家を出たのは、わたし19歳。
初めて出来た彼氏と二年付き合った末に別れたばかりだった。
彼氏が出来たのは17歳の終わり。当時のわたしは自分のことを
「世界で一番ダメな人間で男の子に好かれることは一生無いだろう、結婚なんてもってのほか!一生一人確定!」
と思っていた。そんなわたしのところにその元彼が颯爽と登場してわたしを幸せの国へかっさらっていってくれた。…ていう話だったら良かったんだけど実際は流れ的に男女比が2vs2の飲み会にて(生涯初である)、友達が、元彼じゃない方のカッコイイ男の子を狙ってて途中で二人とも居なくなり、まぁどちらかというと残ったブス同士どうしようかね…みたいな流れのなかしばしの沈黙が流れた。わたしは男の子と初めて二人きりになり、どうしたらいいか分からず、カラオケボックスの何もない壁を凝視して固まっていた。
ふと、彼が(多分困り)わたしにこう聞いてきた。
「いつも何して遊ぶの?」
「兄妹いるの?」
「音楽何好き?」
し、質問多い! ちょっと待って!(心の声)
わたしはそれまで男の人とまともに喋ったこともなければ目を合わせた記憶もないぐらい(というか誰と同じクラスだったか未だに一人も思い出せない)暗く静かな性格でしたので、突然男の人に「わたしについて」聞かれ、どぎまぎした。
どぎまぎしながらも、途切れ途切れに必死に話してるうちに、もうその人のこと、好きになっていた。なんで好きになったかったいうと理由は一つ。わたしに興味もってくれたから。
今までそんな人居なかったし、死ぬまでいないと思ってたからそりゃ好きになるよね。顔は覚えてない。っていうかたぶんその時ちゃんと顔見てない。でも好きになった。そして、トントン拍子に付き合うことが決まった。わたしの中に、NOはなかった。だってわたしの趣味聞いてくれた初めての男の人だもの。これ逃したら死ぬまで孤独に生きると思ってたもの。
それまで実家のなかでも真面目で過ごしてきたわたしですがその日をきっかけに、大学生の彼氏の一人暮らしの家に入り浸り出す。当時わたしは女子プロレスを挫折してフリーターと言いながら面接に行っては落ち面接に行っては落ち受かったと思ったら二日目には腹痛で休みソッコークビになり、を繰り返してたので、金はないがヒマだけはあった。
わたしは彼氏の家で大学が終わるまで部屋の掃除をしたりご飯を作ったりして新婚ごっこを一人でやって浮かれていた。エビチリは「マズイ」と言われトイレに捨てられたけど。それからエビチリは二度と作ってないけど(それを人はトラウマという)。
エビチリ事件でもわかるように、彼は結構わたしを支配下に置くタイプだった。ちなみに料理で言えばめんつゆ禁止(みりんとしょうゆと酒で作れという)、粉末和風だし禁止(こんぶとにぼしで出しを取れという)。化粧で言えば、年取ったときに眉毛がないおばさんになるのが嫌だからという理由で眉毛抜くの禁止で眉毛ボーボーで暮らしてた。ミニスカートは男性に見られるという理由で禁止。そんなわけで徐々にわたしは自分の意見を否定され続け、わたしの自由の時間を奪われ、友人関係を制限され、バイト先が変わればバイト先にまで男が居ないかチェックしにきて男が居たらバイトをやめろと命令するようになった。ちなみにバイトの飲み会は基本NG、そのうちわたしだけ飲み会に誘われなくなるという事態にも、まぁなるわな。
どうしても行かなければいけない送別会などは、会場の場所と行く人と時間の報告はもちろんのこと、店に入ったら電話、一次会お開きしましたの電話、二次会に行きたいというお願いの電話、二次会着きましたの電話、解散しましたの電話。そして解散した場所に車で迎えに来る彼氏。周りからは「迎えにきてくれるなんて、いい彼氏じゃ~ん」と冷やかされながら、車内での彼は家までずっと不機嫌で一言も喋らず、荒い運転をしながら他の運転手に舌打ちしたりする。クソ重い空気のなかわたしは「ごめんね…もう飲み会行かないね…」というしか無かった。そして大事な飲み会にも行かなくなりきまずくなりようやく働き出したバイト先も辞める。
そんなわけで彼氏はそりゃもう徹底的にわたしを支配した。
たまにわたしも反抗したことがある。「あの子と遊びたい」とか、「男の人いるけどバイトしたい!」とか。でもそうなると彼はこう言う。「君が好きだから心配なんだよ」「好きだから心配する僕の愛を否定するのか」ってね。
わたしはそのたびに、今後わたしは誰にも拾われないだろうし、少々居心地が悪くてもわたしを愛してくれる(と、本気で思ってた)人のために生きていこう、と何度も思って我慢した。
私たちは彼の大学卒業と共に結婚するという話になっていた。彼は三年生だったから大学生活はあと1年。大学が終わったら一緒に田舎に帰って結婚するという。ちなみに向こうの母親はわたしに優しかった。だけど、結婚にあたり一つ条件があると言う。それは学歴。父親はわたしの学歴を聞いて結婚は絶対反対だ、と言ったらしいが、母親が「うまく丸め込むわ♪ちょっと考えがあるの」と言った。
わたしは中学卒業、高校中退で女子プロレスに入っており、高校卒業の資格がない。彼の母親は大検を取りなさいといった。「大検取ったらわたしのポケットマネーで専門学校に入れてあげるから。お父さんにはナイショよ♡そうしたら結婚できるわよ」わたしは、ほぅ、結婚ってのはいろんな面で大変なことなんだなぁとぼんやり思った。
さぁ、そんなわけで受験生になったわたし。向こうのお母さんは「あなたの興味のある美術の専門にしましょうね♪」と言ってたので、それが少し楽しみだった。小さいころから絵を描くのだけは好きで描いていたが、一度ちゃんと勉強したいと思っていたのだ。昔はマンガ家になるのが夢だったけど、「己ごときがそんな華やかな職業につくなんて無理だろう神様がゆるさねぇ。」と簡単に諦めていたことをほんのりと思い出させてくれた。わたしは義理の母になるであろう彼の母に感謝した。
わたしにはもう大検を取ることに前向きになっていた。大検を取って、美術の専門学校に行って死ぬほど美術の勉強したらもう自分の望みは全部捨てて彼氏の家に嫁ごう。一生召使い扱いされても一人で死んで行くよりまだマシだ。それに彼氏は味方だ、彼氏はわたしのこと好きって言ってくれる。
彼氏が大学に行っている間、彼氏の家の小さいテーブルで勉強をした。彼氏が帰ってきたらすぐにテレビゲームに夢中になる彼氏の背中を見ながら掃除して洗濯してご飯作って彼氏に献身的に尽くす。それが夏のテスト一週間前まで約1年続いた。
そんなある日彼氏のお母さんから電話がかかってきた。彼氏は、うん、はいはい、りょうかい。と言って電話を切った。「お母さんが、美術の専門やめて料理の専門にしようって。専業主婦に美術は必要ないから」
がーーん。
と、思った。彼氏に試しに(でも控えめに)「美術って話で勉強してきたんだけど…」って言ってみた。マンガ家になりたかった話も知ってる彼氏だもの、わたしのことを大好きな彼氏だもの、おかあさんに強く「美術がいいってよ」って言ってくれる、そう信じてた。
彼はこう言った。「いや…お母さんが言うから、無理だよ…」
ががーーーん
彼氏はわたしの味方じゃなかった。2年付きあって気づくのもどうかと思うけど、彼はわたしよりお母さんの方が大事なのだった。そういや財布落とした時も、新聞を無理やり契約させられた時も、警察行く前にお母さんに電話してた。
美術の勉強の夢は消えた。悲しかった。だけどわたしは考えた。「そりゃそうだよな。これから家を守っていくのに絵が上手くたってなんの役にも立たないよな」と、思おうとした。思おうとして、思おうとして、思おうとして、精神が爆発した。
テスト一週間前、まさに追い込みの時期、わたしは勉強がまるで手につかなくなってしまった。教科書の文字が象形文字に見える。鉛筆がぐにゃりぐにゃりと曲がって何も書けない。第一やる気がまるで出ない。もう、なんのためにこの問題を解くのか、意味が分からなくなってしまったのだ。
テスト数日前、彼氏にまたおかあさんから電話があった。彼氏がわたしに言った。「結婚するなら、親を捨ててきなさい。あなたの家とは家柄が違いすぎる、だって。」
ぐわーーーーん。
わたしはおしんか。平成のおしんなのか。幸せな結婚生活を夢見て最後にただ一つの美術の勉強という夢を叶えたらわたしは彼氏のまぁいうなれば召使いみたいなもんになるつもりでいた。それでもこの二年幸せだったし、それはできる自信があった。だけど美術の望みを絶たれ、さらに今度は親と縁を切れと言われた。
だけど、わたしの親は向こうの親と関係ない。そんなこと言われる筋合いない。
…ダメだ。もうダメだ。結婚出来ない。親を捨てて嫁には行けない。
わたしは彼氏に、聞こえないぐらい小さい声で言った「別れたい…」と言った。彼氏は言った「え?なんで?こんなに愛してるのに、俺を置いていくの?君ってそんなひどい子じゃないよ、考え直しなよ。黙って俺と一緒にいれば幸せになれるんだから」
まぁこんな男と二年付き合ったわけですからわたしもかなりキてますのでそこでこう思いました。(そうだよな…人を悲しませてはいけないよな…今まで通り付き合おう…)
付き合おうと思っては自分の親が目に浮かび、別れようと思っては彼氏の言葉が頭をよぎる。もうどうしたらいいか分からなくなって、でもやっぱり決断しなくてはいけなくて、わたしは、自分の気持ちを優先した。罪悪感に苛まれた。でももうどうしようもなかった。
別れ話を何度も何度もし、その度に泣いてる彼氏に「人をこんなに不幸にする資格おまえにあるのかよぉ」と言われ、自分の考えがこんなにも人を傷つけるのかと絶望しわたしも泣きながら「ごめんなさい…」と何度も言った。
今思うと、アホ?って思うけど、他人と初めて作った関係、分からないことが多すぎた。
何度別れ話をしても聞いてくれないので、わたしはもう、彼の家を飛び出した。実家に帰ったのだ。もう終わり…。そう思った。
…が、毎日彼から電話がかかってくるのだった。「今家?ちょっと外に出ない?」「自転車ないじゃん。どこ行ってるの?」「部屋の明かり消えてる。家にいるってウソだろ。」
帰り道、家の近所に彼の車が止まってるのと見てUターンして逃げたこともあった。
これぐらいになって初めて「ひぃー! ヤベーのに捕まったー!」と思った。
もうここにはいられない。家族にも迷惑がかかる。家を出よう!!
と思ったのが19歳の秋。小さなカバン一つでわたしは家出をしたのだった。
これがわたしの、初めて家を出た話です。
ps.ちなみにその彼の家に嫁ぐには「処女」っていう絶対条件もあった。わたしはクリアしていたが、彼氏の兄嫁がその前に一人彼氏が居た、ってのをことあるごとにお母さんが愚痴ってた。ほんとに逃げてよかった。間違えて結婚してたら多分狂って米屋と浮気して結局家出してたと思う。
マジこわい。