愛された記憶 | 書きなぐり。

愛された記憶

私は、人に嫌われてはいけない、という強迫観念から逃れることができないでいる。もうずーっと、人に好かれたくて好かれたくて、嫌われたらいけないと思い自分の意見を持たず人に合わせて生きてきた。

なぜかなぁと考えた時期がある。
多分、小さい時親が共働きで家にあまりいず、兄弟が3人もいるので親の愛情をあまり感じることなく育ったから、心に穴が空いているのだと思う。

親はとてもいい人たちで、なんできみ、そんないい家庭に育ったのにひねくれてるの?とよく言われた。
私もそう思う。

いとこを嫌いだと妹に言ってみたり、かと思えば妹を嫌いだと姉に言ってみたりしていたようだ。(全く覚えていない)
妹は二段ベッドの上でうっかりそれを聞いてしまい、泣きながら寝たそうだ。(その頃の自分ぶん殴りたい)

私が「この人嫌い」という相手には共通点がある。
私より朗らかで人当たりが良く性格もまっすぐで素直で優しい人だ。

なぜこういう人を嫌いと言ったのかというと、多分単純に羨ましかっただけだと思う。
私はみんなに好かれたくて、私よりも好かれてる人たちを嫌いということによって心の安定を図ろうとしていたに違いない。

そんなこと言っても、私が好かれるわけないのに。それどころか、人の悪口ばかり言ってる私の方を可愛がってくれる人がいるなら連れて来いやと言いたい。

私はひねくれている。昔からひねくれているし、今はまだ多少は素直になったつもりでいるがまだまだ心はひねくれているし、人を羨むことも妬むこともある。

どうでもいいのにそんなこと、と思うことも多い。だけどなかなか時間かけて育った考えから抜け出せないでいる。

それでも前よりはマシになったんじゃねぇかとも思っている。実際人生が生きやすくなったし、他人を妬んだり羨ましく思ったりする事で心に悪魔が降臨することも少なくなった。

最初から優しい気持ちでいることばかりではないが、悪い考えの後すぐに「アホ、そんなこと考えてんじゃねぇよヒマ人が」と自分のことを思えるようになった。

妹もいとこも、今なら心から大好きだし尊敬しているといえる。

人生、長く生きてみるもんである。



おわり