3月6日、護国神社に行ってきました。

江戸時代の4つの藩、小倉、福岡、柳川、久留米を一つにまとめた福岡護国神社には、明治維新から大東亜戦争までの国難において、尊い命を捧げてこられた福岡出身の13万柱の英霊がお祭りされていました。

毎日11時から、ご命日祭として名前奏上、玉串拝礼が執り行われて、
この日は30名ほどのお名前が読み上げられてました。

 

本来は、神楽舞も奉納されるそうですが、今は人手不足で音楽だけでしたけど。

そのあと、お抹茶と和菓子を頂き、久しぶりに清々しい時間を過ごしながら、

何年間も福岡市内に住んだこともあるのに、一度も行ったことがなかった護国神社にお参りできて、

改めて、神戸六甲のヘンなおじさんに感謝した次第です。

午後から、県庁で軍歴を受け取る予定でしたので、
すぐ近くの陸軍墓地にも、短い時間でしたが寄らせてもらいました。

さあ、県庁へ!

初めてで、駐車場もわからずウロウロしてたら、

元寇から日本を守った亀山上皇の立派な像が見れまして、

かえって良かったです。

 

そして、必要書類に不備もなく

無事に軍歴をもらいまして、ほっと一息。

 

2時頃食べた県庁の地下のランチの美味しいこと!!

 

実は翌7日に、本家に軍歴をお届けすることになってたので、

もらえなかったら、がっかりさせるところでしたから。

 

軍歴の中に、フィリピンレイテ島、オルモックで戦死とか詳しいことが書いてありましたが、

所属部として、高射砲部隊とあったのには、少し驚きました。

 

というのも、ヘンなおじさんの一件で、神戸六甲の軍事基地を検索した時、

こんな記事を読んでましたので。

 

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戦争が激化する中、六甲山には、神戸や阪神の防衛の為に、

日本軍の高射砲陣地が複数設けられ、高山植物園やゴルフ場では食料の栽培が、

そして展望点などは軍事練習広場になっていた。

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単なる偶然でしょうけど、ちょっとうれしい偶然でした。

 

今回、私は県庁に電話をかけて、いきなり尋ねてしまいましたが、

 

ネットでも「県庁 軍歴」で検索したら、申請の流れの説明はありました。

 

ただ、必要書類の戸籍などは、直系の親族でないと取れないので、

それは本家に頼むことになりました。

 

そのやり取りで、お互いの家族の近況も聞けたので、

何年間もの空白が埋まったような、うれしい時間でした。

 

六甲山のふもとの駅での「敬礼の巻」から、

叔父の戦死にたどり着き、初めて名前も知ることになり、

 

最期はフィリピンで、25歳だったそうです。

ここまでは、市役所の戸籍に載ってました。

 

そして、2週間くらいかかると言われてた軍歴が、

見つかったとの連絡が2日後に来ましたので、

 

さっそく、①県庁に行く日程を決めまして、

 

②護国神社にも連絡を取り、その日に命日祭をお願いしました。

 

護国神社では毎日、その日に亡くなられた方の命日祭が執り行われてます。

 

今回は間に合わず、3月に入っての命日祭になりましたが、

 

知ることができただけでも、供養になると言って頂きました。

 

 

 

 

 

翌日、2月18日、

甥っ子の住んでた御影町まで行き、

よく買い物したお店を見ながら六甲ケーブル下へ。

 

山頂の絶景スポットでランチして、

オルゴールの音色に癒され、六甲山観光を満喫した私たちが、

三宮まで帰ろうとした駅での不思議体験。

 

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電車を待つ私たちの前を、

聞き取れない言葉をつぶやくヘンなおじさんが、

歩いて通り過ぎた・・・と思ったら、

 

すぐ後ろに並び、私のバックの肩紐のよじれを直してるようなジェスチャー?

 

私は知らなかったけど、後ろからは、

そう見えたらしいです。

 

少し気味が悪くなった時、

ちょうど電車がきたので、逃げるように走り込んで座り、

ほっとして窓の外を見ると、ヘンなおじさんがじーっと見てる!

 

それも、敬礼してくれてるではありませんか。

発車するまで、深々と頭を下げるものだから、

こちらも、あわてて、敬礼!

 

何が起きたのでしょう?

わからないけれど、気持ちは清々しく、

嬉しそうなお顔につられて、こちらまで嬉しくなっていました。

 

帰ってから、旅のお土産話として、この「敬礼の巻」を話したら、

 

友人いわく、親族どなたか戦争で亡くなられてない?

 

その時は誰もいないと答えたものの、

後で聞いたら、義父の一番上のお兄さんが戦死されてたとのこと。

 

さっそく本家に、お名前と逝去日を尋ねるもわからないので、

翌日調べてもらったら、戦死されたのは昭和20年2月のことでした。

 

同じ2月だったこともあり、

特攻隊で戦死した叔父様がいるその友人に、

連絡したら、いろいろと教えてくれました。

 

まずは、①県庁に尋ねて、詳しく調べてもらうこと。

次に、②県の護国神社に連絡して確認すること。

 

それで、すぐ電話をしたところ、

中には、記録が残ってない方もあるため、

調べますので2週間ほどお待ちくださいとのでした。

 

戦死された親戚がいることも知らないまま、

父の十七回忌を終えて半年過ぎた今、

お兄さんが、いつどこで亡くなったのかを調べることとなりました。

 

「知ることは愛の始まり」

 

神戸六甲の旅から、

新たな旅が始まりそうです。

 

 

 

 

 

 

来年、十三回忌を迎える甥っ子が、かつて暮らした街、神戸。

 

大学時代にアルバイトしていた六甲の焼肉屋さん。

 

そして休みの時、よく登っていたという六甲山。

 

今回は妹と一緒に、そのゆかりの地を巡る旅となりました。

 

アルバイト先の店のオーナーご夫妻は、

11年前、はるばる九州まで、お参りに来て下さいました。

 

そのお礼がしたいと思いながらも月日が過ぎ、

やっと行けた今回、

スタッフにオーナーに店長にと、お土産をたくさん持って行った妹。

 

約束の時間に遅れた私たちを、お店の外で待って下さり、

オーナーご夫妻は、なつかしい涙と共に迎えて下さいました。

 

店内に残る甥っ子の思い出に浸りつつ、美味しいお肉に舌づつみ。

 

素敵な時間を一緒に過ごせて、とても楽しい六甲の夜でした。

 

妹は奥様とライン交換してて、

当時の思い出の手紙を送ってもらったりして、

さらに懐かしい時間を過ごしたようです。

 

朝、フロントに降りてきた時、

目がはれてて、美人さんが台無し?でしたから。

 

 

 

先日、脳梗塞で倒れてから、

赤木先生のクリニックで水素治療を受けた友人からの報告です。

 

******体験談******


一回目 12月21日

医療用水素ガス吸入60分で
主人の歩き方がスムーズになり、
気分も良さそうでした。

次の日の15時までは その状態だったので24時間くらいは効果が続いたようです。

二回目 23日
1日開けて 水素ガス吸入を予約して、病院へ。

三回目まで行って、病院の水素サロンへ通うのは大変なので、
思い切って、その医療用水素をレンタルしました。

家に届いてからは いつでも時間があれば吸うことができて、 
何より寝てる時間に水素ガスが吸えるので、

一日10時間くらいカニューレをつけてます。 

今日も早朝から病院へ行き、
家に帰りつくまで6時間 水素が吸えなくて、
疲労困憊してるのは 顔に出てきてました。

帰宅後、すぐに水素吸入120分間。
その間、仮眠30分くらいで復活!

今までの主人なら 病院から帰ると爆睡2時間でしたから、
すごい回復力です。

今回 赤木先生も、

「前回より 顔つき 目つき お喋りが良くなってるね!」

と驚かれてました。そして、

「3ヶ月後はもっと 良くなってるよ!」

と言われた主人も、嬉しそうでした。

この頃の主人は 体の疲労感から 
「生きてるだけで、いいたい 」

としか言わなかったのですが、


初めて先生に、

「頑張ります!」 

と言ってました。

それからは、やる気も少しずつ出て来て、声も大きくなり…

自分から、犬の散歩や花の水やりをするようになり、

今では、お風呂掃除までしてくれてます。

私と息子は 驚き嬉しい日々を過ごしてます。

**************以上ここまで

 


 

昨日は、福岡高宮の水素サロンに行った後、
楽しみにしてた女子会ランチ鍋でした。

佐賀で水素サロンをされてるナナさんと
博多で、店舗の業務用水素機器を扱われてるユキ子さん。

以前、ユキ子さんが主催された水素セミナーに参加させて頂いてから、
仲良くしてもらってます。

その時の講師は、この本の著者であり、末期がんの方が全国から来られる、
くまもと免疫クリニックの赤木先生でした。


赤木先生のご出身が博多というご縁もあり、

博多にあるユキ子さんの会社が開催されたとのことです。
 

美味しいお鍋を囲みながら、

水素話に花が咲き、先週の熊本の友人の脳梗塞の話題をしたら、

以前ユキ子さんが、

熊本で開催した赤木先生の水素セミナーに、

脳梗塞の友人が救急車で運ばれた病院の方も参加されてて、

そのご縁で、ユキ子さんから水素機器を購入されたそうです。
 

単なる偶然ですけど、

ますます鍋ランチは盛り上げりました。

 

もし、救急車が大きな病院に搬送してたら・・・

病院内で家庭用の水素ガス吸引は

できなかっただろうし、

 

そしたら、今頃は・・・・?


水素治療の第一人者でもある赤木先生のクリニックが熊本にあるわけですし、

水素に対する認知度が、熊本は高いのでしょうね。

とにかく、友人は、救急車とICUの中で、

家庭用の水素ガス吸入器を持ち込めた偶然が重なり?

無事に帰宅されたのは事実です。

そして、脳梗塞から一週間が過ぎ、

明日は、赤木先生のくまもと免疫クリニックに行くそうです。

家庭用の10倍はある業務用の水素ガス吸入器をはじめ、

あらゆる治療法がありますし、

何より、希望があります。
 

 

くまもと免疫統合医療クリニック

      略して、くまめんクリニック

 

 

2023.12.11(月)

2回目の脳梗塞からの生還

 

******* 体験談 *****

 

朝10時ごろ、主人がTVを見ながら、

ウトウトしてると思ってたら、

 

 

掃除機の音でも起きず?

11時前、起こしても起きない

 

揺さぶっても起きない!!

そのうち、イビキをかきだし、口が開いたまま!!!

 

すぐ119番に電話して、救急車を待つ15分間もそのままの状態。

 

11:15分 救急車到着

隊員の方に、救急車の中で水素ガスを吸わせてもらっていいですか?
と尋ねるとオーケーが出たので、すぐ自宅の家庭用水素を持ち込み、

車の電源につないでもらいました。

 

が、1回電源を落とすと機械が準備モードになり、

すぐ立ち上がらずハラハラ待ち長い。

それでも救急車の中で吸わせてもらえて助かりました。


病院に着いてすぐ検査。

受付でも担当の先生からも、水素吸入の許可をもらえずに、
検査の間はもちろん、全く水素は吸えないまま、どんどん時間は過ぎていく。

 

早く水素を吸わせたいという思いから、
通り掛かる看護師さんに声を掛けていたら、

 

ちょうどお昼で、担当の先生が代わられたので、

思い切って相談しました。

 

「慶応大学病院の救急車には水素ガスがあり、心肺停止の方が水素ガスを吸って意識が戻ったと言う症例があるので吸わせてほしい」

 

と知ってることを必死に話したら、

 

先生は、「でも、うちには設備が無いんですよ」との返事のあと、

水素ガス吸入を許可をしてもらいました。

 

検査後、やっと付き添うことができ、それから2時間水素吸入をして、

 

反応が少しずつ良くなってきたので、ほっとしました。

 

 

意識もはっきりしてきて、朝から何も食べてないので腹減ったと喋りだすほどに。

その後、先生も、脳梗塞は軽いので意識障害の原因がわからないと

様子を見て下さり、大きな病院へ転送をすすめられましたが、

 

大きな病院では、家庭用の水素ガス吸入は認めてもらえないので、

こちらの病院で、ゆっくりしたいと伝えると了承して頂けました。

 

そして、意識もしっかりしたので問題がないと言うことで、

自宅のほうに帰って良いことになりました。

家に帰り着くと、とりあえず1台、知り合いの方から水素ガスを借りて、

2台で連続使用ができれば、少しは安心です。


前回3年前の2020年も脳梗塞がわかった時も、

すぐ水素ガスを4時間吸わせることができたので、

その時も水素に助けられました。

その時の体験談はこちら

脳梗塞

 


これまでの経験から、いかに早く水素ガスを吸わせられるかが、

生死の分かれ目と思っていたので、

今回は救急車と病院で吸えたのが良かったです。

***************以上ここまで。

 

 

  シャクナゲ寺の浄徳寺

 

1万本のシャクナゲの咲くお寺へ、納骨して来ました。

 

お彼岸あけの日、道中の彼岸花がとても鮮やかでした。

 

暑いくらいの日中、坂道を登り切ったら秋曇り

 

お墓に納める間は、ちょうどいいお天気で助かりました。

 

浄徳寺サイト

 

  分骨

 

こちらのお寺は遠いので、分骨するよう遺言があり、

 

すぐ近くのさくら墓苑に両親と一緒に入ることになってます。

 

でも、こちらはとても景色のよい所なので、

 

シャクナゲの季節には、ぜひお参りしようと思いました。

 

 

 

 

 

 

何気ない他愛もない会話が弾む

山道のドライブ。

 

ふと思ったことを言葉にしたら、

帰り道の会話は、これまでと違う異次元。

 

法事や墓参りは、ひらめきの恩恵がいっぱい!

 

image

お友達のお孫さんが、コロナから回復して1か月、

昨日、聖マリア病院へ救急車で運ばれたそう・・・。

 

そこで告げられた病名は、「ミスシ―」

 

  コロナ感染後の子供に多い 「MIS-C」

 

「子どもが突然訴える発熱、おう吐、目の痛み。

新型コロナウイルスへの感染後、しばらく時間がたってから、こうした症状を訴える子どもが相次ぐ。」

診断名は「MIS-C(ミスシー)」小児多系統炎症性症候群。

 


 

 

  お孫さんの様子を聞いたところ・・・

 

 

「10歳の孫は、コロナから回復して約1か月後に、高熱嘔吐下痢が続き、

地元の公立病院に行っても熱は下がらず、抗生物質が効かないので、血液製剤の治療のために

聖マリアへ救急車で運ばれて、ICUに入ってる・・・」

 

「川崎病とも似ているため、地元では診断がつかないようだけど、最近とても増えてるそう。

10歳から11歳の子供に多いのが特徴で、川崎病は赤ちゃんに多いらしい」

 

と、病院で聞いてきたお話をシェアして下さいました。

 

 

  原因不明のままでは不安!

 

地元のかかりつけ医が、間違った診断することもあり、適切な治療が行われない場合、

命に係わるほどに悪化する可能性もあるそうです。

 

何より、高熱で苦しむ子供を見ているだけのご両親の不安は、

いかばかりかと・・・。

 

まだまだ、医療関係者でさえ、MIS-Cの理解は浅く、

今後、新型コロナと共存していくにあたり、増えるおそれがあります。

原因不明の発熱やおう吐、目の痛みなどを訴えた場合、MIS-Cを疑う必要性を感じました。

 

 

  話してくれて感謝します。

 

とても心配な状況の中、お話して下さり、ありがとうございました。

 

大変な状況にある子供さんは、他にもたくさんおられることでしょうけど、

 

知らないままの日常に、新たな病名を知ることができました。

 

そして、聖マリア病院のICUにいるお孫さんが、

 

早く良くなりますようにと祈ります。