どこまでも走るノア号は、モンキーさっちゃんの愛車です。

 
8月、幣立神宮の五色人祭の早朝、熊本を走るノア号を見て、
腰がぬけそうになりました。
 
その前6月は、石川県のかっこちゃんのモナ森の中も、
千里浜なぎさドライブウェイの砂浜も走り抜けました。
 
そんなモンキーさっちゃんと黒岩さっちゃんが、

11月21日伊勢の神島へ上陸したのは、2度目だそうで、

朝の音読会でのお話を忘れないようにメモメモです。

 

*************

今回は、ガイドの寺田さんご自身も、

滅多に行かない“洞窟”へ案内してくださったとのこと。

 

その洞窟へ向かう道は、まさに「道なき道」。

ノコギリで枝を落としながら進み、岸壁の細い岩肌を歩き、とがった岩の間を抜け、ごろごろした石の上を越えていく――その先にようやく広がる場所でした。

 

そこは、古代の磐座(いわくら)信仰の場所だったのかも?とか

神聖な島で、民のために巫女が祈り、神さまの声を聞いて祀り事をしたのかも?

とか、聞いてる私の空想は広がるばかりです。

 

寺田さんのお役目は、その神聖な場所を汚さずに、

空と海のあいだに立つ“ひもろぎ”の岩や洞窟のある神島を

静かにガイドすることなのでしょうね。

 

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忘れられつつある古代の自然信仰。

そこで何を感じるのかは、実際に行った人だけが、味わい知る世界ですね。

 

枝を落とし迷いつつ進む道の先に、その洞窟は突然姿を現します。

 

洞窟の入口まで案内されたものの、寺田さんは中には入られない様子。

先に入ったモンキーさっちゃんは、

中で「寺田さんが先だよ」という声を聞いた気がして、

あわてて外へ戻り寺田さんを呼びに行ったそうです。

 

そして寺田さんを先導に、さっちゃんたちは時を越えるように洞窟の中へ。

そこで感じたことはどんなものだったのでしょうか。

 

さっちゃんが語ってくれたのは、

 

“生まれ変わりの場所”という感覚でした。

赤ちゃんが10か月を過ごすお母さんのお腹の中のように、

細胞が分かれ、心臓の鼓動が生まれていく

――そんな生命のはじまりの気配を感じた、と。

 

やはり言葉にできないようですから、

そこは船に乗って行くしかない神聖な世界のようです。

 

来年5月には、神島ツアーが企画されるそうで、要チェック!!

 

さて、次に向かうは、11月22日伊勢修養団の神風の会。

 

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五十鈴川でのみそぎの後、11月23日の新嘗祭(にいなめさい)の日に、

伊勢神宮の正式参拝の予定です。

 

前夜、伊勢修養団のもとでの“みそぎ”も2度目。

前回は、水が冷たくて震えていたそうですが、

今回は、冷たさは全く感じなくて、水の温度もわからなかったそう。

 

夜だから寒い、11月だから冷たい、と脳みそが決めた感覚も無く、

体といのちが一緒になったカラダ(體)を感じたそうです。

 

そして翌日、夜明けとともに開く伊勢神宮の御扉の映像まで、

Zoomで私たちに届けてくださいました。

 

この三日間、さっちゃんが届けてくれたものは、行こうと思ったけど行けなかったり行かなかった思いへのエールですね。

 

この神島体験、禊ぎ、そして伊勢での正式参拝。

すべてがつながるような気がします。

 

その先にあるのは、来年4月からの

「やまと人の手紙」全13回の学びの時間です。

 

毎回、赤塚先生と一緒に、

「やまと人としての生き方」

を、ゆっくり深く学んでいく講座です。

 

これまで、毎朝5時45分からの音読会を600回以上続けてる、さっちゃん。

その“積み重ね”があるからこそ、今回の神島や伊勢での体験を引き寄せて、

より深く響いたのだと思います。

 

これからの人生

限りある時間

 

「心が震える学びがしたい」

「来年も清々しい体験を続けたい」

 

赤塚先生の講座を受けて、

ひとりで学ぶより仲間と一緒の方が、

魂の震えは深いことを学びましたから、

おすすめします。

 

 ★来年の講座のご案内(さっちゃん主催)

やまとこころの学校
『ヤマト人への手紙』13回講座

【期間】令和8年4月〜令和9年4月(全13回)
【開催日】毎月1回 (第3木曜日)
【時間】18:00開場/18:30〜20:30
【場所】東京・JR四ツ谷駅近郊

【講師】赤塚高仁さん
【参加費】15万円(税抜)

【持ち物】
📗『続 聖なる約束 ヤマト人への手紙』
📝筆記用具
🔥熱きこころ


【お申し込みフォーム】

 

https://docs.google.com/.../1FAIpQLSdzUIzCnAJH65.../viewform

 

 

 

 

 

ユダヤに学ぶ「変容の法則」

赤塚先生の聖書塾では、聖書に次ぐ必読書でした。

 

 

 

この本が発売された年の12月1日、

京都へ思い切って旅をしました。

 

自分でもすっかり忘れていた自分の旅を、

 

ブログが振り返らせてくれました。

やっぱり、記事にするっていいですね。

 

きっかけは、

赤塚先生のライブ♪

ステンドグラスをバックに歌うMCサクセションバンドを、
とにかく見たかったのです。

 

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当時は、仕事場とスーパーと家の三角地帯をぐるぐる周ってました。

そんな中、まあまあの覚悟で旅に出た5年前が、ほんと懐かしい。

 

そして2年前、聖書塾に行くと決めてから、少しずつ何かが変わりました。

 

特に10日間イスラエルへ行ってからは、ずいぶん身軽になって、

今では、新幹線や飛行機の予約も、アプリでサクサクできるようになりました。

 

おかげさまで、古事記ツアーの2泊3日も行けますし、

毎月の東京での赤塚先生の講義にも参加できるようになりました。

 

そのきっかけとなった5年前の京都の旅の記事はこちら。

 

 

 

 

初めてお会いしたのは、阿蘇の大野美術館での赤塚先生の講座、

ひらり変容塾でした。

 

大きなシンボルツリーを見上げてるさっちゃん。

モン黄ーなだけに、まっ黄色?!

 

 

 

 

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そして講義の前に、皆さんにヨーグルトを配ってました。
イスラエル土産のデーツシロップをかけながら・・・。

 

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それからご縁を頂き、毎朝さっちゃんの音読会に参加させてもらってます。

聖書や古事記、赤塚先生の本を15分間だけ読んだあとにシェア会です。

 

2024年6月と9月に、

イスラエルを旅したさっちゃんは、

シェア会で、イエスの山上の垂訓「赤塚バージョン」を再現してくれました。

ガリラヤ湖の写真を背景に蘇るイスラエルの旅。

 

古事記を読んでる時は、先生のように足の裏で感じる旅を企画してくれて、

大分、奈良、石川の旅では、本当の歴史を身近に感じることができました。

 

神話や歴史を「難しいもの」ではなく、「今を生きる力」に変えていく方法、
多くの人と分かち合う場所を、ズームとリアルで整えてくれてます。
 

知らない間に、ズーム音読会は600回を超えてます。

朝起きれない私が一番驚いてます。

 

毎朝のちょっとした習慣が一日に大きく影響するというのも

体験させてもらいました。

知らない歴史を知り、こころが暖かくなってスタートすると

何かが変わって行くのです。


先日、赤塚先生のログハウスで、
マロを抱っこしてる姿を見ながら、
彼女って、人と人をつなぐ“糸”のような存在だなぁと
改めて思いました。

 

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そんなさっちゃんが、来年一年間かけて主催するのが、
赤塚高仁先生の講座「ヤマト人への手紙」

赤塚先生は、

日本の神話や聖書、歴史の先人たちの生きざまを通して、
“どんな心で生きていくのか”

というのを優しく、力強く語ってくださいます。
いつもユーモアを交えながら、心の奥がじんとするお話ばかり。
「日本を愛する」という言葉が、

こんなにあたたかい響きを持つのだと、

改めて気づかされます。

赤塚先生とさっちゃんが創り出す、非日常的な空間は、

きっとこれからの日常になるような気がするのです。

さっちゃんが来年主催する講座は、こちら。

★講座のご案内

やまとこころの学校『ヤマト人への手紙』
令和8年4月〜令和9年4月(全13回)
 毎月第3木曜 18:30〜20:30
 東京・JR四ツ谷駅周辺
 講師:赤塚高仁氏
 参加費:15万円(税抜)

 持ち物:筆記用具・「ヤマト人への手紙」
 

 

 

 

俳優の津川雅彦が主演した映画『プライド:運命の瞬間』
主人公は東条英機。舞台は、東京裁判です。

 

 


この映画を製作したのは、木造住宅メーカー・東日本ハウス

(現・日本ハウスホールディングス)創業者の中村功氏だそうで、
会社創立30周年記念作品として、一企業が作ったことにまず驚きました。

木造住宅メーカーが、東条英機を主人公とした映画を製作したのはなぜ?

中村功氏と7時間も対談した赤塚さんの
そんなお話からスタートしたログハウスでの上映会でした。
 

 

アマゾンプライムで一人で見る映画と違って、

33年めのログハウスで、仲間と一緒に見る「プライド」

3時間があっという間でした。

 

初めて知ることが多くて、驚くばかりです。

 

実は先日、詳しいことは知らないままにお参りした三ヶ根山の殉国七士廟。

 

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東京裁判のA級戦犯として裁かれた7名の方が祀られてる廟です。

 

あとさきになりましたけど、映画を見て、

東京裁判の不条理ないきさつを知り、

無念さもありますけど、

それでも潔く貫かれる想いに感動しました。

 

それぞれの静かにあふれる想い。

国のため、

陛下のため、

主人のため、

妻のため、

子供のため、

正義のため、

真実のため、

 

人はここまで美しく生きれるのですね。

 

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映画の後は、懇親会。

まだ明るいうちから、いただきました。

オーダーされた甕の中で、かもされた泡盛は、絶品でした。

 

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お料理も絶品でした。

 

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マロちゃんも迎えてくれまして、image

ご主人さまには感激のチュ♪

 
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翌朝は、津の海へ。
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そして、セントレア空港への高速船の時間まで、

津観音さまと唐人踊りまで案内してもらいました。

赤塚高仁先生は今、パラオのペリリュー島へ慰霊の旅に行かれています。
今回は10回目になるそうです。


その記事を読んだ日、偶然にも、
ペリリュー島からの生還者である土田喜代一(つちだ きよかず)さんという方が、
近くに住んでおられたことを知りまして、驚きました!!

一時期、毎週訪れてい筑後の喫茶店ウッデイ。

当時、コーヒーの香りが漂っていたそのすぐ隣に、
かつて、熱帯の島ペリリュー島の洞窟で3年間も生き抜かれた方がいらしたなんて…。



赤塚先生がペリリューの地で祈られているこのタイミングで、

土田喜代一さんのことを知り、

「祈りでつながる瞬間」を頂けてうれしく思います。



少しだけ土田さんのことを調べてみました。



°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°


☆ 土田喜代一さんの生涯

― ペリリュー島で生き抜いた男 ―


★生い立ち

1920年(大正9年)1月20日、福岡県八女郡水田村(現・筑後市和泉)に生まれる。

八女工業学校を卒業後、1943年(昭和18年)に海軍へ入隊。

1944年、マリアナ沖海戦の後、ペリリュー島へ転進。

守備隊が玉砕したのちも、仲間とともに洞窟に潜みながら

「日本軍の反撃」を信じ、約3年もの間、生き延びました。

1947年(昭和22年)、日本の敗戦を知らぬまま潜伏を続けていた彼らのもとへ、

澄川道男少将の説得が届きます。



★帰国後の人生

故郷・筑後市で戦友会「三十四会(みとしかい)」をつくり、ペリリューでの出来事を語り継ぐ活動も続けました。



★天皇皇后両陛下との再会

2015年、上皇ご夫妻がパラオを慰霊訪問される直前、

土田さんは御所に招かれ、「本当に長いこと大変にご苦労さまでした」と

ねぎらいの言葉をいただきました。

その後ペリリュー島を再訪し、慰霊碑の前で**「ラバウル小唄」**をハーモニカで奏でた姿は、多くの人々の心に深く残りました。



★後世への語り継ぎ

晩年にはドキュメンタリー映画『追憶』に出演。

さらに、武田一義さんの漫画『ペリリュー―楽園のゲルニカ―』にも証言協力として関わりました。

「島の記録が漫画として永遠に残るのは良いことだ」と語り、

若い世代への平和のメッセージを託しました。



★最後まで平和を願って

2018年10月15日、98歳で逝去。

その人生はまさに「生き残った者の責任」として、

平和を語り継ぐ道にささげられました。



°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°

 

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赤塚さんのペリリュー島の記事
 

後半です。

******************

1985年の3月テクニオン大学を見学するグループをオーガナイズしました。

19名でした。

 

テクニオンに参りましたら、私を除き、

18名の方がテクニオンの見学をなさっている間、

アーノルド・シャーマンは、私を彼のオフィスに呼び、日本からどういう返事が来るのかとひっそりと待っていたんです。

 

この18人の人たちが、日本にもテクニオン協会を作ろうじゃないかと言う気になってくださるか、それとも、これは自分たちには関係のないものとされるか、

 

私のプランが終わるかどうか、まるで入学試験の結果を待つような心境で、

アーノルド・シャーマンと私はしょぼんとして座っておりました。

 

「どうなんだね?」とシャーマンが言うも、私も「わかりません」と言います。

 

その後、研究所の所長であり、テクニオン工科大学の学長であるプロフェッサーシンガーの家でパーティーがありました。

 

そのパーティーは本当に心温まるパーティーになり、最後に私は、

「実は、皆さんをお連れしたのは、日本にジャパンテクニオンと言うものを作りたいと言う希望があってのことでしたが、どうでしょうか?」と言ったら、

日本の参加者さん全員が大変大きな拍手をしてくださいました。

 

それを英語で訳しアーノルドシャーマンに伝えましたところ、

アーノルド・シャーマンは、奇跡だと言って、目を真っ赤にされて、

本当に硬い握手をしてくださいました。

 

私だけではなく、参加者の何人かは本当に泣かれ感動的な場面でございました。

 

 

早速翌日に、世界中のテクニオンソサエティーのリストにジャパンテクニオンソサエティーの名前を入れてプリントしてもいいか?と言う質問がありましたが、

 

皆さんも作ると言うことに賛成はくださったけれども、日本に帰ってから、国内法令また社会的習慣もあるので、それを調べて、やはり1ヵ月はかかります、と答えました。

 

またその他の海外のテクニオンは、どういう運営をされているのか、

つまり社団法人なのか財団法人なのか、全くの任意団体なのか、そういうことも調べたいのです。

 

さらに税法上、お金を集めるとどうなるのか?

それをテクニオンに送金するとなると、その手続きで法律にかかることはないか?

どうにか1ヵ月かかって専門家3名にお願いして調べていただきました。

 

その結果、5月15日に発起人会を開き、原宿に12人の方がお集まりくださいました。

 

そこで今日皆様がお手伝いされた会則ができまして、この発起人の会になった次第でございます。すべてはゼロからスタートしました。

 

最初に申し上げた3つの壁と言うのは、依然としていつも私の前にあります。

しかし運営と言うのは、「それを飛び越えるために存在する」

というのが私の信念でございます。

 

今後、世界のリストの中に日本テクニオン協会の名前が堂々と入れられる。

電話番号も入り、オフィスのアドレスも入り、メンバーシップの名前も入ると言うことで、私は最初の役目が済んだように思います。

 

ここでテクニオンから、今日のパーティーのために寄せられました電報を披露します。

 

「この瞬間は、2つの国を結ぶ歴史的な最も重要な瞬間であります。ここで私どもの最大の友情と感謝を、海を越え大陸を超え、日本の友人に捧げます。再びテクニオンを皆さんが訪れてくださる日をお待ちします。」by プロフェッサーシンガー

 

もう一つ魅せられた手紙をご披露いたします。

こちらは、名もなき日本の青年でございます。

 

「私は広島市で喫茶店を経営しているものでございます。先般、糸川英夫博士よりイスラエルの科学研究所の話を聞き、私もぜひイスラエル国家の役に立ちたいと考え、送金させていただきます」と手紙の中に20,000円が同封されておりました。

 

さらに、「前々から私は、ユダヤ民族は世界で最も優れた民族と考えて参りました。

人類に貢献してきたユダヤの国イスラエルに平和が訪れることこそ、

世界の平和につながるものと考えます。

家族には内緒で毎月送金させていただけるよう努力したいと思います」

 

と言う手紙でございました。全く彼は報酬を求めておりません。

 

イスラエルにも行ったことのない方が、私どものこういう仕事を始めたということで、この手紙をイスラエル大使館に寄せられたのです。

 

大使館の方がこれをお読みになって、これは日本テクニオン協会に回すべきだろうと送られて参りました。

 

そして先日、たまたま広島地方に用事がありましたので、時間を延長いたしまして、

この方の喫茶店にお尋ねし、皆様に代わってお礼申し上げました。

 

ご本人はお母様と大変喜ばれて、まさか会長が自ら来るとは思わなかったと、おっしゃってましたけれども、これだけ心のある方が日本にいて下さると言う事は、当教会の未来に取りまして非常に心強いことでございます。

 

両国の有効で世界の安定を教会の会則に書いてある通り、私は非常に大きな使命が2つあると思います。

 

1つはイスラエルの持つ高度で科学的な技術、日本にはまだ紹介されていないものを日本に紹介すると言うことです。そしてもう一つは、イスラエルと日本民族との間のスピリット精神を結ぶということであります。

 

私ももう72歳でございますから、世界中を30年間ほとんど放浪いたしまして、

世界中に友達がおります。

 

だけど私が最後に選んだパートナーの国はイスラエルでございます。

何故かと言う事は、これ神のみぞ知ると言うことでございまして、

私が自分の意思で決めたと言うよりも、

自分の運命が、これを決めたとしか言いようがないのでございます。

 

事実イスラエルへ行きますと、イスラエルの友達とは何十年も一緒に住んだような気がするわけです。

 

ただ、何十年一緒に住んでいても印象に残らない人もいますが、

わずか3時間いただけでも一生あった気がすると言うのは考えてみますと、

全部イスラエルにおりますので、私の予感は多分間違っていないです。

 

私が自分の人生の最後のところを、このテクニオン教会を大きくすることにかけます事は、今までの私の人生から考えて間違っていないと思うのでございます。

 

私は毎日相当のミステイクをする人間で、そそっかしいんですけれども、

こういう長期の計画になりますと、

今まで一度もミステイクしたことがございません。

 

したがって今回の私の判断は、いつの日にか日本とイスラエルが手をつなぐ大きな影響力を及ぼし、世界を安定に導くものになると確信しております。

 

****************以上ここまで、赤塚先生から頂いた資料より抜粋。

 

何かが始まるとき、必ずそれなりのストーリーがあります。

素敵なスピーチに感動し、忘れたくないという思いで書き記しました。

 

糸川先生の想いを引き継ぎ、ヤマトとユダヤがつながることで、世界が平和に

なり、日本が平安になると家庭も幸せになり、個人の人生も豊かになっていくと

信じて、映画「アシュレイ」と赤塚先生を応援しています。

 

赤塚高仁さんは、
作家、講演家でありながら、これまで35年間に42回、たくさんの方々とイスラエルを旅しながら、日本人魂の目覚めのガイドをされてます。

イスラエルを訪れ、現地で赤塚さんのお話に10日間連続で触れ続けると、

心の奥深くにあるニッポンDNAに間違いなくスイッチが入ります。

その前に、まずは映画アシュレイを見て、イスラエルを知って下さい。

わずか2時間でも、たくさんの知らないことを知ると同時に、自分の中の様々な感情と出会います。そして湧き上がってくる魂の声を聞いて下さい。おすすめします。

 

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今から40年前の1985年6月、テクニオン協会の発足式があり、

会長である糸川英夫先生がスピーチされました。

 

今、唯一思想継承されてる赤塚高仁さんは、ドキュメンタリー映画「アシュレイ」

で、「ヤマトとユダヤがつながると世界は平安に導かれる」と糸川先生の言葉を伝えておられます。

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糸川先生が、そう確信されてテクニオン協会を作られた経緯を知ることも、

愛の始まるきっかけになるかと思い書きとめました。

 

*******************以下抜粋

 

日本テクニオン協会も創立の運びとなりました。

 

この教会ができるのに、掛け替えのない2人がいらっしゃいます。

1人はベンヨハナン、イスラエル大使です。

あと1人はテクニオンのゼネラルマネージャーのアーノルドシャーマンです。

 

私がなぜイスラエルのためにそんなに熱心に仕事をするのか?

と言うことを1日に2.3回必ず聞かれます。

 

元来、私は科学技術畑であり、ユダヤ系の学者の大変素晴らしい成果に敬意を抱き、

その秘密を知りたいと思っておりました。

 

ヘブライ大学のエブシュタイン教授が、そのきっかけとなりました。

 

この教授は、明治維新のあの革命の後、それまで藩で行っていた学校教育が、

明治政府によって統一され、国家教育に変わった時に、

大きな疑問を持ち、研究されました。

 

なぜ日本は民謡を捨てたのか?

なぜ童歌を捨てたのか?

なぜ科学が廃れたのか?

なぜ長唄、常盤津など全部切ってしまったのか?

すべての歌が西洋から入ったメロディーであるのは何故か?

 

その研究が、その方の学位論文になったと言う話を聞き、大変衝撃を覚えたわけです。

 

と言うのは、私ども日本人が明治維新と言う革命の時、

自分たちの伝統をどこまで切って、守るべき伝統を捨てたのか?

と言う反省が全く今日までなされていないからです。

 

明治になぜ西洋音楽に全部完全に切り替わったのかという事は、今日誰もが研究しなきゃいけないことです。

 

それが日本から遠く離れたエルサレムのヘブライ大学で行われていると言うのは、

大変に衝撃であります。ぜひともこの教授に会いたいと言う一心で大使館にお願いにあがりました。

 

日本文化施設団と言う大変な名前をいただき、イスラエル国内を見せていただき、

待望のエプシュタイン先生とお会いすることができたわけです。

幸いにして今日何人か、その時一緒に行かれた方がおられます。

 

その時にシロニー先生をご紹介されまして、

この方のご専門は日本が敗戦後、占領軍に対する民族の行動であったわけです。

 

民族が戦争に負け、敗戦下にあったときの行動と言うのは、その民族の特性によって全然違います。

 

これを冷静に客観的科学的に研究しておられる方は、残念ながら日本にはまだいないかと思います。

しかもシロニー先生は、アメリカに招かれて、アメリカの非常に多くの大学で、

その占領中の日本民族の心理について講演をなさっているわけです。

 

それで大変ショックを覚え、また後に先生とエプシュタイン先生のお友達に紹介され、

ヘブライ大学のトルーマン研究所にも呼ばれて、そこで行われている研究にことごとく大きな刺激を受け、

一昨年帰ってきたわけです。


 

一生を変えることとなった人々の出会い

 

イスラエル大使ベンヨハナンにお会いした時、

こんなに頭の良い人が世の中にいるのかと思いました。

こちらの一言を、もう100倍位わかってしまい、

こちらが言い終わらないうちに答えが出てます。

まぁこういう人がイスラエルにたくさんいるのかと、これもショックでございました。

 

いろいろとイスラエルについて疑問の数々の話をしたところ、

 

「お前はまだ肝心なものを見ていない。サイエンティストのくせに、テクニオン大学を見ていないのではないか?

テクニオンを見ないでは、現在のイスラエルの科学技術を理解できない」

 

と言われましたので、昨年大使にお願いして単身再びイスラエルに向かいました。

 

私のターゲットはハイファと言う街にあるテクニオン大学でございましたが、

そこで大変な衝撃を受けたんです。

 

テクニオンでやっている研究所自体の研究レベルの高さはもちろんですが、

そこで会ったアーノルド・シャーマンと言う人です。

彼との出会いが、私の一生を変えることになろうとは、

私も全然予測しておりませんでした。

アーノルド・シャーマンは、アメリカで生まれて、自分の宗教と言うものに大変な疑念を感じ、

ユダヤ人としてのアイデンティティーに疑問を持ちながら17歳まで育ちました。

 

一時は、ニューヨークのハーレムで暮らし、

一時は、パリに流浪の民として暮らすという生活をして、

その後、アメリカに渡り朝鮮戦争に動員され、一兵卒として戦った方です。

 

そして、戦争中にエチオピアに行こうと考えて、エチオピアにいるユダヤ人の方から大変激しい衝撃を得まして、

彼はユダヤ人としてのアイデンティティーをそこで回復しました。

 

さらにイスラエルに帰国する決心をし、その後、第一次、第二次、第三次、第四次、第五次の中東戦争に、

いずれも一兵卒として参加されました。

 

生死の境をさまよいましたが、それからもたくさんの職業を経験し、

現在テクニオンのジェネラルマネージャーを務めています。

私がお会いした時は、そういう複数の過去を持っておられる事は全く存じ上げませんでした。

 

そして初対面の私に対して、テクニオンが抱えている一番難しい問題を打ちあけられ、

その解決に力を貸してもらえないかと頼まれました。

 

私も一番困ったときに、人にものを頼んで断られた経験がありますので、

その時の経験から、これは自分で引き受けなきゃいけないと固く心に誓いました。

 

その問題といいますのは、日本にもテクニオン協会ができないか?

と言うことでした。

 

テクニオン協会は世界中にあります。

今年の4月西ドイツのミュンヘンで国際会議がありまして、

そこでスイスの代表であるチューリッヒ工業大学の学長が私の隣に座ってました。

 

スイスにテクニオンはあるのか?と聞いたら、ものすごいけんまくで、

世界にあるテクニオンの中で最大のものはスイスにあり、俺がその会長だと怒られてしまいました。

 

逆に、日本にテクニオンはあるのかと聞かれ、今、作っている最中で、

多分、私が会長になるだろうと言いました。

 

テクニオン協会ができるかできないかというのには、

非常に大きな問題が3つあります。



 

それは第1に、

日本民族には、歴史的にユダヤ民族との接触がほとんどなかったと言うことです。

2番目に、イスラエルの新しい科学技術がほとんど日本に知られていないと言うこと、

 

3番目に今だにオイルショックの遺物が残っており、いわゆるアラブボイコットということです。

 

企業に関係している大勢の方はイスラエルとのコンタクトを避けると言う難題であります。

 

それにテクニオン大学の卒業生が、日本にはわずか2人しかいないので、テクニオンの存在を知っている人もほとんどいないと言うことになります。

 

世界中にある35のテクニオン協会の中に、ジャパンテクニオンと言うものを果たして入れることができるかと言うのは全く私にも自信がなかったです。

 

だけど、やらなければいけないと言う義務感と、

ベンヨハナン大使と私との間の大変な友情があります。

 

**********************以上

前半ここまで。

後半に続きます。

 

 

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小・中学校のころ、なんだかほっとする「道徳の授業」が好きでした。

 

それが、10年ほど前から「道徳の時間」はなくなり、

代わりに数学の時間が増えたことは知っていました。

 

ところが今朝の音読会で、ハッとしたのです。

 

ユダヤ人は、週に一度は必ず、家事も仕事もせず、家族と静かに聖書を読む時間を持ち、それを2000年以上も続けているとのこと。

この「静かな時間」こそが、家族愛や愛国心を育ててる?!

 

聖書は、ユダヤ民族にとっての歴史書でもあります。

ご先祖さまが、どんな時代を生き、何を想い、

どう行動し、どんな結果を生んだのか。

その成功哲学を学び続けているのがユダヤ民族なのです。

 

その結果、世界の人口のわずか0.2%しかいないユダヤ人が、

ノーベル賞の約20%を占めているという驚きの事実‼️

世界一とも言われるユダヤ人の知性を支えてるのは聖書?!

 

もちろん、日本にも「古事記」があります。

そして、戦前の日本人は、それをしっかり学び、

本当にすごい力を発揮していたらしいのです。

 

それを教えてくれたのが、別府の「聖書と古事記の学び」に、

静岡県浜松市から毎月通ってくれてた、モンキーさっちゃんです。

 

先日、愛知県にある「殉国七士廟」にお参りした時のこと。

全国から「お宮奉仕」に来ていた方と出会い、

なんと戦時中の資料や戦記まで託されてしまったそうなんです!

 

そこには、驚くような話がありました。

 

「戦中の幼年学校、知ってる?

 教養のレベルが高くて、語学はドイツ語、フランス語、ロシア語まで

 学んでたんだよ。英語は、習わなくてもできてた。

 日本では代数までは日本語で学べたけど、微分積分の教科書は原書の英語。

 つまり、数学を学ぶには英語が必須だったってこと。

 それくらい、高度な教育だったんだよ。」

 

そして、こんな言葉も――

 

「戦後の日本人は、日本人ではない。

国籍は日本でも、大和魂がなくなってしまった。」

 

今の私たちに向けられたメッセージだと感じました。

 

歴史学者のアーノルド・トインビーも書いてました。

 

「自国の歴史を学ばなくなった民族は、100年以内に必ず滅びる」

 

そして今、「日本人よ、目覚めよ!」と叫び続けている赤塚高仁先生。

 

その赤塚先生の映画『アシュレイ』を、

さっちゃんが来月9月13日、浜松市で上映します!

 

何はさておき応援に行きます!

 

 

 

 

 

 

 

3月に初めてウクレレをアマゾンでポチッと買いました。

楽器に触ったこともなく、カラオケにも行かないのに?

バーゲンで6.980円だったのも一因!

 

でも一番は、ウクレレ弾いてるお友達の楽しそうな姿に、惹かれてだと思う。

 

 

一緒に弾けるお仲間に入りたかったから♪

 

ウクレレが届いた時、コードも知らないのに、ポロンと鳴らすだけで幸せ気分♪

 

それからシンクロが起きて・・・

ひらり変容塾生チーム、初心者ばかりの「ひらりーず」が生まれました。

 

4月変容塾イベントの「祭り」に来て下さる「かっこちゃん」の曲「君に会いたい」と「満天の星」から練習スタート。

 

そして、4月19日の初ステージの前に、別府駅前で路上演奏にチャレンジ。 

 

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当日、会場の前でも練習。

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昨年初めて知り合った方々が、全国から集まった別府。

 

赤塚さんという魂のガイドに惹かれて、導かれて、

聖書と古事記の世界を学び、旅してきた仲間たち。

 

これまでのいきさつを超えて、

なぜか別府のステージに一緒に立つことになった仲間たち。

 

歌いながら、こころの深い所から湧き上がってくるこの思いは、

いったい何だろう?

 

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いつかどこかで会おうって決めていたような

懐かしさを感じる温泉の町で、

 

かっこちゃんと赤塚さん、みんなと一緒にいると、

「ほんとうのこと」に次々と気がついてくるのです。

 

かっこちゃんの本

「なぜうまれてきたのか」は、

古事記と聖書と般若心経から、ほんとうのことを教えてくれます。

 

けれど、文字だけでは伝わらない「ほんとうのこと」

 

一緒に過ごす時間があって、じわっーと感じてくるのです。

時に、驚きハッとしながら、気がつかせてもらうのです。

 

かっこちゃんの曲の歌詞から・・・

 

「あなたと私、どうしてここに、一緒にいられるのだろう?」

 

「何億年の昔から、きっと決まってることがある」

 

「それは僕たち出会うこと、出会わなくちゃと決めたこと」

 

そんな出会いをたくさんした別府。

 

まだまだ、旅はこれからです。

 

「ほんとうのこと」が見つかる旅は始まったばかり。

 

次のウクレレ発表会は6月です。

 

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かっこちゃんや赤塚さん、日常では手の届かない人たちと

触れ合える旅。

 

行ける時に行く。

行けない時は行かない。

 

そして戻った時、

当たり前にあることは、

当たり前ではないってことが分かって驚く。

 

持ったことのないウクレレと聖書を片手に

旅はこれから始まる・・・。

 

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「ジェラシー」

今、目にした偶然は、必要だからでしょうか。

思い出したくもない、はるか昔の記憶がよみがえります。
相手への嫉妬で自分が壊れたかけた過去。

繰り返さないことを、改めて誓う時間を頂きました。

糸川先生、ありがとうございます。

そして、記事にして下さった方に感謝します。
ありがとうございました。

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1990年、日本の航空機学界の父、故・糸川英夫博士の

パリ工科大学(ポンゼ・ショッセー)での演題は、

「ジェラシー(嫉妬)と、グラッジ(恨みつらみ)のマネージメント」

パリのポンゼショッセはナポレオンが創設した伝統ある工科大学です。

そのMBA・大学院での講義の演題が「嫉妬とうらみ」


しかも1学期36時間の講義を3日で行うと張り紙にあります。

80歳を越えた博士が1日12時間づつ講義を行うというのです。

はじめの日の朝9時、学生はたったの5人。

糸川先生は意にも介せず講義をはじめました。

糸川先生が太平洋戦争時に鐘起という飛行機を

開発されたとき、何に一番苦労されたかということからお話が始まりました。

先生は言われました。

「君たちはパリ大学の大学院にくるほどの能力と資格を既にもった人たちだ。

君たちの能力にはもはや問題はない。

君たちが自分の勉強したことを生かして何かを実現しようとするときに

一番心しなければならないのは、人間のマネージメントだ。

多くの仲間の能力を生かし、目標達成のために

よいチーム・ワークを組むことは当然であるが、

そのとき一番心くばりをしなければいけないのは

上下左右の人間の嫉妬心とグラッジをいかにさばくかである。



ジェラシーやグラッジは人間だれもが持っている向上心と裏腹なのである。

ところが若いと、または若い君たちが仕事に夢中になっていると、

まわりの人が君たちの純粋に夢中になれることそのものも

人は羨ましく思っているということにすら気がつかないことが多い。



そしてそういう仲間のほんのちょっとのサボタージュが

とんでもない失敗を招くことがある。

またはちょっとした愚痴や悪口が上司の耳に入って誤解を生じ、

仕事をストップさせてしまうこともある。

結果として目的の仕事が完成しなかったら

君たちの努力も能力も無いと等しくなってしまうのだ」


さらに糸川博士は太平洋戦争中、

鐘起という飛行機を作りあげるまでの

人間関係の苦労はどんなものであったか。

その人づきあいの上での工夫をいかに積み重ねていったか、

具体的な実例を一つ一つ挙げながら講義は続きました。



講義が進めば進むほど、学生たちは身をのりだして聞いていました。 

次に戦後、糸川ロケットを開発する過程での実験とその継続も、

まさに人間関係の苦労が最大の難問だった、

どんな苦労の仕方だったということを話してくださいました。



先生が本当のことをそのまま淡々と話してくだされば下さるほど、

人間というもののおろかしさと難しさは喜劇的にさえ感じられました。

ロケットを打ち上げるまでには実験を繰り返さなければならないことは、

科学に携わるものならば、誰でもわかることです。



ところが糸川先生の中学校から大学までの同級生が

そのころの朝日新聞の科学部長をしていたそうです。



先生曰く、「彼だって一中、一高、東大出の秀才なんだ。

だけどたまたま私と同級生だったばかりにどうしても一番になれなかったのだ。

自分は勉強をしているという意識などなくて、どちらかというとパラノイアで

興味にかられて文字通りしらみつぶしに問題を解いていただけなのだけれど、

結果として大変な量の勉強をしていたようだ。

彼は気の毒だけども、勉強だと思ってやるから

私の勉強量に追いつくのは大変だったのだ、



ということを後年こうして気がつかされたのだ。

その科学部長はどうも私・糸川をうらんでいたようだ。

これが私の研究にとって大変迷惑なことになったのだ」



と次のようなことを明かされました。

糸川先生のロケットの実験、それは実験だから

当然完成に至らなければ上がらないものなのだ、だから実験をしているのだ。



ところが、ロケットを実験発射する度に朝日新聞は

「糸川ロケットまた失敗!」 と一面記事に大見出しで書き立てる。

そのためにだんだん予算を取るのが大変になって、

それに最大のエネルギーを費やさなければならないようになったそうです。

しかしついにロケットは上がった。

そのとき朝日新聞は三面記事にベタで一行、「糸川ロケットが上がった」




さて、糸川先生の言によれば、自分が人にたいして何の悪意もないからといって、

自分の存在そのものが他人にとっては悪だ

ということにもなるのも人間の悲しさだ、と。

恋愛を思えば容易に想像がつくでしょう。



とこかくこのパリ大学での講義は結果は大成功。

休憩時間のたびに糸川先生のこの講義の噂は広まり、

学生たちは連絡しあったのでしょう。

36時間の講義が終わるときには、

教室は聴講生であふれかえり通路にもぎっちり座り込んでみんなが聞き入っていました。

その間、先生はほぼ立ちっぱなしで話を続けられました。

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以上 ここまでです。

この文章に出会ったご縁に感謝いたします。