今から1300年前、
福岡県八女市あたりに住んでいた大伴部博麻(おおともべのはかま)さんのお話です。
子供たちにも伝わるようにと優しく書いてみました。
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九州の海の向こうの半島では、唐と新羅が、百済(くだら)国を攻めていました。
日本は百済国と仲が良かったので助けに行きました。
海の上で、船と船の戦いになりましたが、唐はたくさんの船をもち、
とても強くて日本は負けました。
この戦いを白村江の戦いといいます。
読み方は、「はくすきのえの戦い」や「はくそんこうの戦い」と2つあります。
その時、負けた日本の兵隊さんは、唐の捕虜になりました。
その中の1人に、福岡の大友部博麻(おおともべのはかま)さんという方がいました。
遠い唐の長安(ちょうあん)まで連れて行かれて、それから、つらい捕虜として暮らしていました。
ある日のこと、たまたま恐ろしい話を聞きました。
唐が日本を攻めると言うのです。
日本は戦いに負けたばかりで、ここで責められたら大変なことになります。
博麻さんは、この話をどうにかして、日本に知らせたいと思いました。
ただ捕虜の身ではどうすることもできません。
そこで博麻さんは一生けんめいに考えました。
そして、自分を奴隷として売って、お金を作ろうと決めました。
(昔むかし、貧しい人は、自分の髪の毛や歯を、売ることがありました)
そのお金で、遣唐使の友だちを日本へ帰すことができました。
友だちも、大変な思いで朝廷に、敵が来ることを伝えました。
博麻さんからの命がけの知らせを受けて、
天智(てんぢ)天皇は、すぐに敵が入って来られないように、
大きくて長い堤防を作りました。
そこは、水が波なみとあったので、水城(みずき)と呼ばれてます。
他にも国を守るためにたくさんのことをしました。
九州に、日本中から人が集められました。
その人たちのことを防人といいます。
万葉集の防人の歌にあるように、
遠い東国から国のために家族を置いてたくさんの人たちが力を合わせて、
国を守ってくれたのでした。
ところで、自分を売ってお金を作った博麻さんは、どうなったでしょうか?
奴隷になっても、ずっと・・・
自分の国に帰りたかったでしょうね。
それから、28年が過ぎた頃、
奇跡的に日本に帰ることができました。
自分の命よりも国を守るために動いたはかまさんは、その時の天皇に、とてもほめられました。
「自分を奴隷に売ってまで、国を守ってくれて、ありがとう。」
福岡県の八女市には、大伴部のはかまのお墓もあります。
自分のしあわせより、国のことを一番に思って行動することは、
とても勇気のいることです。
だから、1300年たった今でも、語り継がれるのですね。
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子供さん向けといっても、7~8才くらいは
漢字も少なくて、理解もどれくらいあるのかしら?
よくわからないままに書いてるものだから、
とても難しいことが、理解できました!!
書いたあとの考察。
漢字はいっぱいあるし、
表現はやさしくといっても、内容が多すぎました!
そもそも、「国を思う」ということは、大人でも難しいのに・・・
せめて、
「自分より、友だちを大切にした人」
くらいになるのでしょうか。
戦争の説明も、国の概念あってのことだし、
歴史の事実より、やさしさや勇気を知るお話として、
カンタンにするべきよねー。
そうすると、日本むかし話で終わってしまいそうだし・・・![]()
とはいえ、難しい名前や、時の天皇のお名前まで書くのはどうかしら?
怖い話にはしたくないので、表現に悩みつつ、
結局は、10才~11才くらいの内容になってしまったかも?
環境によって、最近の子供たちの理解は個人差あるし、
賢い子供たちだからこそ、日本の歴史を知ったら、
やまとこころに目覚めるのは、
大人たちよりも早いかもしれないとか、
期待して、情報がてんこ盛りになったのでしょうね。
やっぱり、最初に思ったとおりに、
日本むかし話のように、やさしく伝わる深い教えを、
親子で読む時間、
それが、
懐かしい温かい時間となるような内容がいいのかも?
第一稿の多すぎる内容をカットしつつ、
伝えたい固有名詞は残しながら、
今、また第二稿を書き始めました。
伝えることの難しさも体験してますけど、
子供たちの目線や受け取り方を学ぶ機会を頂いて、
面白くてワクワクしてます![]()






























