なますて・じー!
(「じー」を付けると丁寧でグー!って教わった)
金星は今月中で順行に戻りましたが、まだまだ水星逆行中、の「重さ」を感じる日々。
重い、重いの!全てが!(笑)
日本人とインド人(彼)コンビの私たち。ここ1ヶ月、私たちついての周囲の騒ぎ様ときたら、ヒンドゥ教のインド人たちよ、マジやりすぎです(怒)普段大人しくしてるけど、限界がある。
4月の初旬から時系列で書いてこうと思ったら、次から次へと問題が起こるので、
もーーー、書き切れん!てなるよ、本当。
彼の親戚サイドが静かになったと思ったら、今度はアパートの大家さん一家。
「ヒンドゥー教で結婚式挙げてない」とか、「正式な結婚証明書がない」とか、ふむふむと大人しく聞いていたら、「ヒンディー語がしゃべれてない」とか、「チャパティちゃんと焼けない」とか。(あのー、一応努力してるんですケド?見えてマセン?)
で今朝、「今月末(5日後)に退去しなさい。しないと警察呼ぶぞ。」って、
何の罪で警察呼びたいんですかーーーー?(チャパティ焼けない罪?)
いい加減にせぇ!
いつも読んで下さる皆さまには、こんなゴタゴタですみません、
「4月5日ニューデリー」からの続きです↓
デリーで「婚姻用件具備証明書」を発行してもらい、
6日の夕方、無事チャンディガールに帰った私たち。
「また親戚が突然やって来るんじゃないか」と、
彼はまだ心配な様だった。
「今度はちゃんとお互い自己紹介すれば良い。
私は特に何も怖れる事はないから」と、
若干強気の発言をしていた私。
翌4月7日の早朝7時前だったか。
旅の疲れもあってぐっすり熟睡中のところ、
ふと物音に目を覚ますと、
(何故か鍵をかけ忘れた入り口のドアから)
彼のお母さん、義理の兄R、義理の兄X、
そして何故かやたら屈強そうな友人1名をプラスwして、
ぞろぞろと部屋に入って来るところでした。
もちろん私も、彼も、すぐに飛び起きましたともw
「どういうつもりなんだ、家族に何も知らせず」
と義理の兄R。
(いやいや、去年の10月から電話で話してた筈)
「母親を一人田舎に残して何やってる」
(って、7年前から彼はここで働いてるし)
「母親を放ったらかしにして、彼女作って」
(だから毎月往復10時間かけて彼、帰郷してたでしょ)
絵柄的には、複数の図体の良い面接官に尋問されてる感じ。
横でお母さんが効果音的にすすり泣いてるから、
絵柄的には絶対、不貞の息子とその行きずり?の彼女(風)。
でも、話の論点が決定的にズレてますよーーー!?
ただの「ある事ない事」じゃん。
だって事実が違ってる!
もうこうなったら、姿勢を正して、初対面するしかない。
(理想のシチュエーションとはかなり違ってましたが)
まずは自己紹介。名前、年齢、出会いの経緯など、
普通の事なので、普通に話しました。
でも予想通り?「ある事ない事問答」が続くこと小1時間。
義兄:「あなたは、うちのA(彼)と、今後どうしたいんですか?」
(去年から彼は「結婚したい」と母親に度々話してる。)
私:「彼に結婚の意志があり、私も同意しています。」
義兄:「A(彼)はあなたに会ってから実家の事を全く省みない。」
私:「彼は私との生活を良くしようと一生懸命なのは確かです。
でもお母さんや故郷の事が大好きで、いつも話してくれています。」
(それに毎月、お母さんに送金もしてるよね?)
義兄:「あなたはその年齢で独身とは、どういう事ですか?」
(失礼しちゃうなー。悪かったわね。)
私:「仕事や実家の事で忙しかっただけで、たまたまです。
日本ではそんなに珍しい事じゃありません。(で何か?)」
義兄:「まさかAを日本に連れて帰るつもりじゃないだろうね」
私:「そもそも彼は母国インド、そして故郷が大好きな人です。
私はその様な目的の人間じゃないですよ。」
(ってか、何その質問。私誘拐犯?拉致?VISAも大変やん。)
義兄:「Aは給料をほとんど君の物に使ってるんじゃないか。」
(「じゃないか」って、知らないでしょ?使ってねぇよ。)
私:「日本で働いてきた貯金が少しありますので、
経済的な負担をかけることのない様にお互い協力しています。」
義兄:「。。。。貯金って、いくら?」
私:「。。。。。。。。(プチっ)。。。。
今はまだその様な事をお答えする時ではないかと?」
それから義兄Rは、「インドの農村で生活する事になったら、早朝から深夜まで畑仕事に3度の食事、水汲みや遠くの市場への買い物、掃除、選択、家事全体を一切あなたがする事になるし、大体の外国人は結婚してもすぐ本国に逃げ帰る。それでも、あなたはAと結婚したいか?」と聞くので、
「その辺はまだ良く分からないですが、
いつもできる事は努力するつもりでおります。」
と、日本人ぽく?お茶を濁しておいた。
(てか知らない。彼は2人で都会で暮らそうって言ってるから。)
この間、彼への質問は数える程だったと思う。
って言うか、彼が日頃説明している事を、
そのまま信じるってことをしないで、
私に確認しに来た訳、ね?
信じてやりなよー。家族だろうが。
色々と、日本人の常識的には突っ込みどころ炸裂!の尋問。
それも1段落して気が済んだのか、
お母さんを除いたご一行様はゾロゾロとお帰りに。
超・超・超~重苦しく!あんま楽しくない空気に、
彼もお母さんも私も、あまりに疲れてしまい、
その後はほとんど、会話らしい会話にならず。
そして突然!田舎から出てきたお母さん、
「私をローズガーデンに連れて行ってよ」って、
彼に言ったらしいんですよねw
(い、今から観光ですかー?)
それで、そそくさと出かける準備をして、
チャンディガール市が内外に誇る、
(これまた同じインドとは思えなく整備された)
数え切れない品種の薔薇の咲き誇る、
ローズガーデンに行って来ました、とさ。
広い公園内には、学生や家族連れ、インドではめずらしくカップルが寄り添う姿も。
でね、彼のお母さんと来たら、
ちょっぴり乙女でズルい?トコあるのか、
さっき親戚の男衆の前ですすり泣いてたのに、
何か、公園に来て気分が良いのか、
息子と久々デートでやっぱり嬉しいのか、
ちょっと、笑顔!になってるんだよねー。
それが嬉しくて、私も彼も、記念にと、
思わず写真をいっぱい撮ってしまった。
何はともあれ、彼のお母さん、
心配だったんだよね、きっと。。。
顔も見たことない異国の彼女と暮らし始めたと言う都会に住む息子。
毎日、独りで小さな農村のガランとした家にいたら、そりゃあ将来も不安で、何もかもが心配になってきちゃうもんね。
ウチの母だって大分幸せにしてるけど、たまにパニック?になっちゃう時もある。一通り想いを吐き出したら、スッキリしてまた明るいいつもの母に戻る。
。。。だからって、親戚の屈強な男子集めて、
息子に集団リンチしたらダメですよーーーー!ってね。
(言っても誰も聞こえやしないんだろうな。)
公園ではほとんど会話はなかったけれど、
(心配ないよ、私たちは大丈夫、ちゃんとやって行けるから。)
そんな気持ち。
お母さんと手を繋いで緑の中を歩いた。
初めて会えたこと、そしてやっと笑顔を見せてくれた事。
それだけが、ただ嬉しくて、ただただホッとして、
その後お母さんが帰ってからは、
一気に緊張の糸が切れ、
魂が抜けて爆睡しました。
ああ、お願いだからこれで全部丸く収まって、
良い方向に進みます様に!
神様、仏様、お釈迦様、キリスト様、
ガネーシャ様、アッラー様!!
よろしく頼んまっせ本当に。
お義母さんと一緒♪
またまた次回に続くかもしれないよー!
しんどい事が続く時って、必ずある。
次から次へと、新しい課題が与えられる。
私が初めてTTCを受けたダラムサラにあるヨガスタジオ。眺望が素晴らしい。
昨年や一昨年の自分を振り返ると、
前に進んでいる様で、
未知の体験を恐れ、自信が持てず、
やってもやっても、
へとへとになっても満たされない。
どんなに必死で一生懸命やっても、
楽しむ余裕をなくしていたら、
息詰まってしまうと体感していた。
とにかく毎日働き詰めで、
夜帰宅すれば毎晩ワイン。
テレビを見て魂の灯かりを消す。
とにかどこかに行きたくて、
週末はじっとしていられずにドライブと温泉。
アクティブで健康に過ごしていたけど、
ちょっとハイパー気味だったし、
魂の声は、聞く余裕がなかった。。。
占星術において、星々の運行は、
人生には様々な影響を及ぼす。
例えば有名な「水星の逆行」の時期は、
コミュニケーションや情報網、交通等に
支障が生じる事が多いとされる。
現在も、水星は5月3日まで逆行中。
私も急なスマホの不具合や、
クレジット払いがシステムの誤作動で、
選んでない商品への振込みが行われ、
金融機関から返金に2週間と言われたり。
確かに水星の逆行は要注意、ではあるが、
この時期がもたらす恩恵も大きい。
心と身体を瞑想の中で静かに内観する機会。
自分になにが必要かが見えてくる時。
中途半端になっていた目標を、
諦めずに思い出して再び大切に育てる時期。
忘れていた大切なものを、
ふたたび心に深く刻む時。
今月の初めは、ちょっと劇的な出来事や、
色々な人から否定的に意見されたり、
バタバタと予定変更して動いたり、
(こっちは金星の逆行が関係してると思われる)
大好きなヨガをする気にさえなれてなかった。
インドで生きて行く事に対して、
絡まりあった情報が漠然と重くのしかかり、
毎日きちんとしなきゃ、
でも、できてないんじゃない?って、
やっぱりダメなんじゃない?って。
そんな重さを押し払う様に頑張ろうとしてた。
ありのままの自分を認められずに、
無意識に自分を責めてた、みたい。
(そうしない様にしてたはずなのに!)
体調も機嫌も気分も優れなかった。
こんな無意識が続いちゃうと、後が大変。
身体がバリバリに強張って、
頭には次から次へと思考が浮かび、
身体や心の存在を無視して走り続ける。
頭で考えた事、うのみにしてはいけない。
これは様々な瞑想法のテクニックの1つでもある。
朝日を浴びるヨガマット。やっぱり朝の太陽礼拝は気持ちが良い。
瞑想では、全ての訪れる感情や思考を迎え、
そして執着せずにただそのまま、手放す。
決して留まることのない流れの様に。
その流れに身を任せるのではなく、
しっかりと大地に座して、頭頂を天に向ける。
座禅を組んだ所から大地に深く根ざし、
胸を開き、心を開き、
伸ばした背中から開放の羽根を伸ばし、
天から惜しみなく降り注ぐエネルギーが、
全身をくまなく満たして行くイメージ。
腹から深いリラックスした呼吸を繰り返し、
それをただしずかに観察していく。
身体の違和感のある所や、
チャクラやツボの状態を内側から知り、
呼吸やプラーナの流れに沿って、
ひとつひとつ手放して行く。
ヨガも瞑想法も、
私の救急お助けキットだ。
ピンチになった時に頼りになる。
で、ピンチにならないても継続すること、
それが今の私の課題。
今朝、久しぶりにヨガをした。
窓越しの朝の日差しの中、約1時間。
まだ汗をかく程は代謝が上がらなかったけど、
伸び伸び、縮んでいた身体を緩める事ができた。
そしたら、今まで大変でちょっと面倒だった、
朝の廊下の床掃除(インドでは必ず毎朝行う)や、
朝食づくりも、久々、楽しんで♪できそう、
これからも大丈夫そうって、そう思えた。
いつも彼が入る前は何となく遠慮してたお風呂も、
彼が牛乳買いに行ってる間に済ませる事ができて、
朝からスッキリ!(バケツと冷水ですが)
更に、朝食の野菜を刻みながらふと、
私ここ最近「自分を責めて」たんだなって、
ようやく気が付いたのです。
それでね、父の言葉を思い出した。
13年にも及ぶ癌治療の間、懸命に葛藤し、
4年ほど前、穏やかに身体を去った父。
「自分を認めて、前に進みなさい。
あなたは何でもできるはずだから。」
この言葉が、父の私への最後の遺言だった。
十代の頃から父には反抗してばかりで、
いつも望まれていたのとは別の道へ進み、
私が挫折する度に、父はほら見なさいと、
だから言わないことはない、と戒めた。
それが嫌で、父は私を解ってくれないと、
父とはあまり大事な話をしなくなった。
父の病の状態が少しずつ進行し、
私は実家に戻り最後の3年間を一緒に過ごした。
そして、まるで病の進行と反比例するかの様に、
父の目の輝きが増し、笑顔が増え、
どんどん明るく強くなって行くのを間近に見ながら、
家族として一緒に過ごした。
ある日。
パパは、あなたの事をずっと誤解してたよ。
ごめんな、ずっと自分の事ばかりで。
初めて、そんな風に言ってくれた事があった。
あんなに、怖かった父。
認めてくれなかった父。
最後の時間に、分かり合えて幸運だった。
人と分かり合おうとせずに生きていた、
過去の過ちはもう繰り返さないと誓った。
今は、私がインドにいようと、
世界中のどこにいたとしても、
父が私を応援してくれてるのを感じる。
もうずっと、離れる事はないだろうと思う。
今朝、父のことばを思い出し、
ようやく出口が見えた気がした。
目に見えないそんな絆や、
この大自然、宇宙のエネルギーに、
揺り動かされ、
振り落とされ、
また救われていく人生。
でもいつも、いつも、守られている。
愛する人に、この宇宙に。
尽きることのない光に。
だから、大丈夫!
勇気を持って、
自分を認めて、
愛して、信じて、
したい事は全部して、
満足して生きたい。
「私は瞑想する。頭で考えた事で人生を複雑にしないために。」
あ、あ、暑くない?インド?!
北インドのチャンディガールでさえ4月に毎日41度
の暑さ。
夜も暖気と湿気が地上から上気して、連日蒸し暑い熱帯夜!
去年の7月に渡印し、更に北に位置するダラムサラで過ごしていた私。
明日からの予報では、42、43、、、という数字も見えるけど考えたくないw
「初めてのインドの夏」をどう過ごそうか、ちょっぴりビビッてます
昔々、「インドでは日中、通りに人っ子1人いなくなる」、と聞いた記憶が。
そして確かに、今も誰もいないわ、うちの前の通り!!!
アパートの奥さんたちも、日中ばかりはベランダでの物干しも控えて、
部屋の中でひっそり過ごしているのか、人影がない、物音がしない!
まるでカフカの小説の世界の様な、不思議な静けさ、です。
さて、ここからは「4月4日の出来事」の続きです。↓
ニューデリーで人気の観光スポット「インディア・ゲート」。公園内には木々も多く過ごしやすい。
夕方にチャンディガールを出た長距離バスは、深夜近く、
オールドデリーのカシミーリゲート・バスターミナルに到着
ターミナルに隣接したメトロ駅に行くと、最終便は0時半頃らしかった。
メトロを乗り継ぎ、とりあえず去年私が初めてデリーで泊まったJoey's Hostelへ
Lakshmi Nagar駅から徒歩3分、モダンな内装の小ぎれいなドミトリーです。
各種チケットも手配してもらえるので、初インド&一人旅にお勧め。
約$6から宿泊できて、世界中の旅行者と情報交換もできるし!
(デリーらしく蚊は多いので、ドアを閉めてOdomosクリームは必須です)
到着は深夜1時近くだったけれど、リビングには数名のゲストが集い、
チェックインも若いスタッフが迅速に対応してくれました
昨日の出来事で、半ばやむなくチャンディガールを後にした私たち。
やみくもに逃げ惑っても仕方がないので、デリーに来る選択をしたのは、
この機会に在インド日本大使館で私の「婚姻要件具備証明書」をもらうため。
彼は様々な思いの中、二段ベッドの下の段でなかなか寝付けずにいたらしい。
そりゃそうだよね、何せ親戚一同から非難のリンチに遭ったばかり。
でも私は、まずは当初の自分たち目的に立ち帰ることが一番大切だった。
前を向いて、本来の私たち、明るく、シンプルに、パワフルでいたかった。
ニューデリーにある在インド日本大使館の正面玄関。
翌4月5日の朝、再びメトロを乗り継いで日本大使館へ。
オートリキシャから眺める大使館街は、同じインド!とは思えない?
広々として整然とした町並み、美しい花壇の植え込み、多くの公園
日差しの中で緑と花々のコントラストが美しく、別世界の様思えた。
「婚姻要件具備証明書」は、日本人がインド人と結婚する際に必要な書類
日本人である当事者が「独身であり、結婚の要件を満たしている」という証明。
私は何人かの日印カップルの奥様たちが記して下さっているブログを参考に、
母に送ってもらった私の戸籍謄本とパスポートを持参して行った。
(発行してもらえる書類の種類等については、在インド日本大使館のページに書かれています。
あくまでお相手がインドの場合の内容ですのでご注意を。)
日本でこの「婚姻要件具備証明書」を用意するのは、容易でないと聞く。
(英訳したり、外務省からのアポスティーユをもらう手間があるらしいです。)
私たちの場合は先に住んでいるインドで結婚証明を取得する予定なので、
私の戸籍謄本を在インド日本大使館(または領事館)で翻訳してもらう事で、
この「婚姻要件具備証明書」としてインドの結婚事務所に提出することができる。
昨日の事で私たちは初めて、彼のお母さんや親戚が、
私たちの結婚をそう簡単には容認しないだろうという事を知った
だからと言って、彼らの知らない所で勝手に実際の手続きを済ませよう、
とは私は思わない。だって、大好きな彼の家族だから。
でも同国人同士とは異なり、手続きに手間と時間がかかるのが国際結婚。
いつか家族に認めてもらう時のために、書類は不備なく揃えておきたい。
まだお会いしてもいない人たちに認められないのを嘆く前に
大使館のゲートで荷物チェックと記名を済ませ、中へ。
朝9時と早かったためか、待合室には私たちの他は2組だけだった。
窓口で担当者に戸籍謄本を提出し、申込書をもらってその場で記入。
私の住所を「音」の確認のため全てカタカナ表記したり、
彼の名前のスペルや生年月日等の情報を記入し、提出した
「婚姻具備証明書」が発行されるのは翌日の2時以降との事で、
大使館にいたのは待合も含め、約1時間ちょっとの短い時間。
この後は特に予定は決まっていなかったため、せっかくだからと、
大使館街にほど近い壮大な慰霊碑「インディア・ゲート」を訪問
4月のデリーでは珍しいと言われる涼しく爽やかな晴天の元、
その次はムガル帝国時代の宮殿跡、Qutub Minar「クドゥ・ミナール」を訪れ、
(バベルの塔?の様な巨大な塔と、石組みのムスリム様式の建築が美しい)
国内外の多くの観光客と一緒にデリー観光を楽しみました。
クドゥ・ミナールにあるマスジット(イスラム教の礼拝堂)の遺跡。
(デリーの観光名所は「外国人料金」を取る所が多く、差は10倍以上。
インド人の彼は私の入場料を現地人価格で交渉していましたが、
結局、外国人料金の半値で入れてもらいました。
交渉しなくても、旅予約アプリで半額クーポンあったらしいですが。。)
今回の大使館訪問は私にとって、去年の渡印以来、久々に触れる「日本」
インドのお役所とは打って変わって!?隅々まで掃除も行き届き
日本人形や日本文化紹介の小物や冊子が飾られ
私は何だか本当に久しぶりに、ウェルカムな雰囲気さえ感じました。
大使館員の皆さんも、テキパキとした対応、柔らかな物腰し、
日本のための職務に徹していて、何でだか、私には、
日本らしい温かな気持ちが感じられたのです
いやいや、もちろん大使館ですから、事務手続きをしただけですが、
そのお仕事っぷりが、何と言うか、素晴らしい。
実は私が申込書の内容に単純なミスをしてしまい、
その確認のために、職員の方が日本の実家の母に電話して、
私のインドの携帯番号を聞いてから、
私たちがデリー観光している時、私に電話を下さったのです。
確認のためとは言え、わざわざそこまで?と言うか、手間を惜しまず、
簡単に無効にしてしまわない(当たり前?)のが有難かった。
日本のお役所仕事、流石です!!
9ヶ月近くこの乾いた異国のインドで暮らしてきて、
ここに来て清々しい「日本らしさ」を充電させてもらいましたよー!
そして翌日の午後2時、窓口で760ルピーをお支払いし、
英語のレター形式で書かれた「婚姻具備証明書」を手にしました
これさえあれば、もう他に日本やデリーで揃える書類はないはず!
あとはチャンディガールの結婚登録事務所での手続きだけだろう!と、
この時は、達成感でいっぱいだったのです。。。
この後デリーにもう1泊し、翌朝チャンディガールに戻ることにしました。
もしまた先日の様な事があったらと思うと怖かったけれど、
彼も仕事を放り出したままにはできないし、
いざとなったら日本大使館の連絡先もあるので、
恐れず、ひるまず、堂々と日常の生活に戻りたかった。
このお話はまた、「4月7日 早朝」の出来事に続きます。
ちょっとした悪夢?の様な展開、私には到底、予測不可能だったなーー
クドゥ・ミナール遺跡の庭園にて。笑顔を取り戻しました。
前回の「戦うか逃げるか反応、北インド編」からのつづきです。
時を遡ること、4月4日。ナヴラトリ祭の最終日。
いつもの様に出勤する彼を送り出し、
掃除と洗濯を早目に終わらせ、
午後からブログ編集に勤しもうかなー?と思っていた時。
事件はすでに起こっていました。
突然、部屋のドアがドンドンドン、と強く叩かれ、
びっくりして出ると、近所に住む彼の友人S君。
いつもの優しい笑顔とは打って変わって神妙な様子。。。
「説明は時間がないからしないけど、すぐに出かける準備をして。
A(私の彼)が30分後に帰宅するから」、と。
(てか、30分あったら説明できないか?と思い、)
いつもの小旅行用パックパックに手近な荷物を詰めながら、
何があったのかを少しずつ聞いてみた。
「Aから電話があった内容を話すから、落ち着いて聞いてほしい」とS君。
S君の話、そしてその後帰宅した彼の話によると、
彼のお母さんと彼の親戚の男性たち3人が彼の職場に来て、
彼の腕や肩を掴んで駐車場に連れて行き、
「今すぐ仕事を辞めてこのまま故郷の村に一緒に帰れ」と要求。
アパートに私を置いたままでそんな事は出来ないと彼が抵抗すると、
男性たちが彼の顔や腹部、背中に殴る蹴るの暴行を始めたとの事。
彼は必死で抵抗し、自己防衛で義理の兄Rを一発殴り返したらしい。。。w
その朝来て行ったシャツは着られない程に破られ、
駐車場に停めていた彼のバイクも取り上げると脅され、
彼の携帯電話も彼のお母さんに奪われてしまったと言う。
その後一度、彼は駐車場の地べたに座り込み、
ちょっと考えたいからタバコを1本吸わせてくれ、と言ったらしい。
彼の後方では3歳年下の実の弟も、彼を見張っていた。
しかし、一瞬の隙をついて実母の握る腕を振り払った彼。
自慢の駿足?で、日ごろ慣れ親しんだ路地を駆け抜け、
必死で角にある寺院に逃げ込み、そこにいた人に携帯を借り、
少し先の近所に暮らす友人の電話番号を思い出して連絡。
寺院からオートリキシャに乗って彼の家までたどり着き、
ビリビリに破れたシャツを友人のTシャツに着替えて、
午後の2時頃、そこから私の待つアパートに帰って来た。
私たちがどこで暮らしているかは、彼の母も親戚もまだ知らない。
そもそも、まだ軽々しく私たちの住所を伝えないでいたのは、
外国人である私をちゃんと紹介できる様に、
お母さんや親戚にもショックを与えない様にと、
彼がタイミングを思ん図った上での判断だった。
どういう経緯かは知らないが、
いよいよ彼のお母さんの堪忍袋の尾が切れたらしく、
この日、親戚の男衆引き連れての強行に到ったらしい。
(もうね、新聞の三面記事みたいな表現しかできません。)
職場での昼間の強行に、他の同僚や上司を含め、
普段は平和なオフィス街がギャラリーで騒然となったらしい。
彼はある大手パソコンメーカーのセールスマン。
成績は優秀で、職場ではいつも売り上げトップ。
デリーのインド本社からも最近表彰された程でした。
いつどんな時間に顧客から電話がきても迅速に対応し、
マネージャーやオーナーからの信頼も厚く頼られる存在。
休日は平日の週1日だけ。
毎朝毎朝、真面目に職場に出かけ、帰宅すると、
「今日の売り上げは○台だったよ!」
と嬉しそうに話してくれる彼。
そんな彼の日ごろの努力を身近で見ていただけに、
私は彼が親戚にリンチ食らったのも怒り心頭!だったけど、
それ以上に彼が職場で同僚や顧客の前で侮辱を受た事は、
本当に許せないと、その時思いました。
こんな事、日本では当然あり得ない訳で。
いやもう、刑事事件でしょ?即通報・現行犯逮捕、
そんでもって懲役でしょ???と思う訳で。。。!!!
顔や肘、背中に殴られた傷を負いながら帰宅した彼は、
私に経緯を話しながら、少し泣けてきたみたいだった。
「どうして僕の家族は僕を理解しようとしないんだろう?
どうして僕を殴るんだろう?バイクと携帯まで勝手に取り上げて」と。
そ、そ、そ、そうだよね???としか言えない私。
「こんな事する位だから、
今度はここ(アパート)も探り当てて来るかもしれない。
どこかに逃げなきゃ。どうしよう。。。?」と彼。
でも私にはこれ以前からあるプランがあり、
どこに行くかと言われれば、行き先は決まっていた。
そもそも何も悪い事していないのに、逃げるなんてできないし。
だったらこの際、所要を済ませてしまおうという考え。
「次のバスで、デリーへ行こう」と、私。
職場にも戻れないのなら仕方がないし、
会社には後で電話を入れるとして、
まずはバススタンドへ急ごう、と。
そしてごく親しい友人S君とM君2人には経緯と行き先を伝え、
スタンドから長距離バスに乗り、
一路デリーを目指すことになりました。
2人で力を合わせて、精一杯、毎日を生きているつもりでした。
でもそれは、見方を変えると自分たちよがりだったのかもと、今は反省もしています。
チャンディガールからデリーまではおそよ5時間の旅。
窓の外では沈む夕日が珍しく現れたうろこ雲に反射し、
今はまだ見えない2人の行く末を予兆したかの様な、
ドラマチックな色と光のスペクタクルを見せていました。
いつもは雲ひとつない空なのに。
車中私たちは2人とも無口で、
ただただ、行く末を案じる気持ちでした。
好きになって、一緒になりたいだけ。
そんな自分たちの素直な思いを信じようと、
改めて想いを強くしていました。
この話は次回のブログ「4月5日 ニューデリー」へ続きます。
休日にはツーリングに連れていってくれた、彼の大好きなバイク。
この後無事に彼の元に戻りました。ハラハラしましたが。。。
※インドでの出来事とはいえ、日本の読者の皆さんには理解しがたい、ともすると許しがたい内容だったかもしれません。今回書いた出来事は、その後私も含め双方の話し合いの元に解決に向かっています。
また、北インドの農村地帯の慣習や考え方は、現代の日本や先進諸国とは大きく異なるところがあります。かつての日本がそうであった様に、絶対的な家父長制度を未だに重んじる地域が多く、その価値観に基づいての言動は、到底私の理解するところではありませんが、このことを書くことで私自身の記録としてはもちろん、私たち2人を含め今後のインドと日本の相互理解に繋がればという思いです。
騒動が起こる前に彼と二人で訪れた英国統治時代夏の首都、「シムラ」。
現在はヒマチャル・プラデシュ州の州都であり、インド有数の避暑地でもある。
人間の身体は出来事と
それにまつわる感情の変化に、
常に作用と反作用を繰り返している。
例えば謂れのない誹謗中傷を受けると、
くやしい!!って気持ちが起きて、
怒り心頭、肩が強張り、胃がムカムカして、
口からは火を吹きそうな、熱く浅い息。
執着した様に、起きた出来事や、
相手の一言一言、頭から離れなくなる。
気を紛らわせるために誰かに話したり、
買い物に行ったりするけれど、
また傷つけられるのが怖くて落ち着かず、
何も信じられない様な気分にまで落ち込む。
太古の昔から、人間は生きて行くために、
恐怖の感情と、それにまつわる身体反応で、
狩猟生活や戦闘などを生き延びて来た。
これらの心身の反応は "Fight or freight response"
「戦うか逃げるか反応」と言われ、
怒りで身体が震えたり、
恐怖で腰が抜けたり、
またはドーパミンが急上昇し、
筋肉に血流が終結するため、
カッとなって殴りあいになったりする、らしい。
(詳細は以下で)
Wikipedia出典
怒り狂うヒンドゥ教の女神カーリー。まぁ私は憤ったとしても全面には戦わず、
180度方向転換してさっさと逃げます
そんな感情の大きな波を越えた今朝。
ぐったりだけれど、清清しいような、
前途多難だけれど、行き先が見えたような、
爽やかな日差しと風を感じている。
何はともあれ、良かったのは、
一緒に暮らし始めて約半年たって、
初めて彼のお母さんにお会いできたこと。
親戚一同が猛反対の中、唯一お義母さんは、
外国人でも私を何とか理解してくれて、
気に入ってくれたみたいだということ、
救われたような、祈るような気持ちでいる。
バススタンドの売店の甘~いふわふわコーヒー。ミルクと一緒に上からカップの中に
何度も落とし込むとこの泡立ち!この後私たちは難を逃れるため長距離バスでデリーへ。
あまりに強引で一方的な親戚側のやり方に、
恐怖と、怒りと、許せないというプライドで、
昨日だけは一日、
「信じること」がとても難しく思えた。
私が一生をかけても手に入れたかったもの、
簡単に奪われたくないと、
今までの様々な思いが甦って、
怒りの化学反応を何倍にもしていた。。。
私たち人間は多くの貴重な時間を、
過去と未来の回想に費やしていて、
今を大切にすることが少ないと言われる。
ヨガは今、ここにある自分の心身を司る鍛錬。
プラーナというエネルギーを、
プラナヤーマという様々な呼吸法や
ヨガのアーサナ(ポーズ)によって取り込み、
不要なものを放出してバランスを取る。
今、ここにない不安や怒りに心を奪われて、
大切な自分を見失うことのない様、
否定的なエネルギーを手放させてくれる。
ヨガを通してそんなことを少し理解し始めたせいか、
乗り越えられるかもしれないという希望、
はるか遠くに少しだけ見える。
プラナヤーマの呼吸法は、ヨガのポーズと共にとても大切な鍛錬の1つ。
ここまで理解するまで、長かった私。
でも、インド友人たちの中でも、
強く輝く目をした友人たち、そして彼も、
「信じるだけでいいよ、大丈夫!」って
何度も何度も励ましてくれている。
昨日の夜は近所の彼の幼なじみ2人の部屋で、
故郷の村から遊びに来ていたもう1人の親友を加え、
男子は何だか盛り上がり、新年以来のウィスキーで乾杯、
たくさん話し、笑いながら皆でカレーを囲んで食べた。
皆、私たちの結婚がようやく認められそうなことを、
自分の事の様に喜んでくれて感激している様だった。
気心の知れた仲間と一緒に手作りカレーを分け合って食べると、
喜びも悲しみも分け合える絆が生まれる、気がします。
北インドの農村出身の若者たちにとって、
恋愛結婚は、新しい世代の革命なのだろう。
本当の意味での自立と冒険の始まりのような、
一足早く勝利を祝うかの様な、
4畳半?程の部屋でのささやかな宴。
話は尽きず、笑い声が絶えず、
バハリ語(北インドはヒマチャル・プラデシュ州西部の方言)で
ほとんど聞き取れなくても、
私もとってもとっても、嬉しかったのです。
4月4日は9日間に及ぶヒンドゥ教のお祭り「ナヴラトリ」の最終日。
この朝、大家さんから近所の女子に特製の「パニプーリ」が振舞われました。
4月4日からこの8日の夜まで、
この5日間の間に起こった事は、
一生忘れられないかもしれない。
北インドならではのお家事情、
結婚事情を反映してるとは言え、
私にとっては衝撃の事ばかりでした。
その話はまた次回、できると良いな。。。
常識の概念は吹き飛びますが、
少なくとも乗り越えられなくはないこと、
勇気を持ってお伝えできればと思います。
(過ぎてしまえばただのドタバタ劇ですが)
おまけアパートのキッチンに遊びに来たゲッコー君
幸運を運んできてくれると良いな
愛することが、どうすることなのか分からなかった頃。
信じることができていなかった。
信じれば、その場所にたどり着くことができる。
できないと疑えば、その通りの結果がついて来る。
この宇宙の目に見えない法則について、
日本や世界中の宗教に説かれているし、
各地の先住民族の教えにも残っている。
現実とは違う世界の様な気がしていて、
日々我慢しているのが美徳な気がしていて、
開けられなかった、信じる世界への扉。
信じたかったけれど、怖かった。
気をつけなきゃって思ってた。
だって、宗教とか何かヤバそう?
。。。そして思った通りの失敗の連続。
20代は失敗と挫折を抜け出せなくて、
無気力や自暴自棄になりかけた。
仕事で満たされることを求めて、
やってみたい職業は全部やってみた。
きりがなかった。
愛されたくて、満たされなかった。
実は人生は思い通り。
大変な事もあるけれど、
必ず必要な学びに繫がっていく。
悲しいことも、痛いことも、悔しいことも。
自分で引き寄せて、
プラスに変換して、
乗り越えていく。
何かを信じることがもたらす奇跡、
誰かを信じることが与えてくれる安らぎは、
私ひとりの力量を軽々と超えていく。
あれ、昨日買ったクッキーがない!
彼が食べちゃったかも!?信じられない!
ってことから、
信じるものは救われる、
っていう神の教えまで、
皆だいたい、同じこと(笑)
疑念や邪念のない人はいないと思う。
ただ、疑問に意識を向けてばかりいても、
解決できること以外は変わらない。
そして自分も周りも楽しくなくなっちゃう。
無意識に生きていると、この変換がうまく行かない。
まーいいや、しょうがない、あっちが悪い、
で終わってしまう。
学び切れなかった教訓は、
繰り返し試練となってやって来る。
いつも同じ失敗パターンを繰り返すのも、
同じ行動しかできていなかったから。
家族や社会、職場で求められる自分の姿と、
自分が求める自分の姿が違っていたり、
理想の自分でいられずに苦しかったけど、
ゆっくりでも良いから、信じて進むこと、
前を向いて、夢を見ることをあきらめずにいたい。
ひと休みしながら、どんな出会いにも感謝しながら。
どんな山の頂にも、一歩ずつしかたどり着けない。
だから焦らずに進めばいいんだよ。
当時お世話になったカウンセラーの先生の言葉。
そっか、ロープウェイに乗れなくても、
ものすごく時間がかかってもいいんだ、と思った。
花や小鳥やきれいな景色を楽しんで行けばいい。
行きたい場所をあきらめなければ良い。
行きたい場所がないのなら、
妄想を始めよう。
どんなに壮大なキラキラな夢を見たっていい。
私もまさかインドに住むとは思いも寄らず、
インドの都会の中途半端な不便さや治安に、
最初はやけっぱちな気持ちになったり。
でも理想の人生に近づいてるって信じて、
ニコニコして受け入れようと思ったら、
彼の仕事が静かで自然の豊かな場所に決まり、
これからの生活にワクワクし始めたところです。
この宇宙からどんな恩恵がもたらされて、
それを受け取る準備をして行けるか、
信じて、楽しむことに勝る術はないのかも。
だから心に浮かぶ、大丈夫かなーー??
って疑問は、放っておかない方がいい。
大好きな友だちに相談しても良いし、
頼れる家族に聞いてもらっても良い。
できる努力はしてみるのは大前提で、
たまには誰かを信じて委ねてもいい。
とにかくモヤモヤした気持ちは、方向転換させること。
神頼みはいけない、という人もいるけど、
努力と感謝なくしては、の話。
きちんと宇宙にお願いするのも大切なようです。
自分を愛して、
この宇宙の豊かな恵みを信じて、
感謝しながら生きていたいものです。
ちなみに、彼に食べられた!と思ったクッキー、
いつも数秒後に自分の置き間違えと分かるパターンです。
疑っちゃってゴメン!なんだけど、
信じる気持ちも、
食い意地には勝てない?のか。。。
このことは彼には内緒です