北インド☆ゆるヨガライフ -21ページ目

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

824日。デリーの日本大使館にて、ようやくインド人の夫と私の婚姻届が受理された。母と姉に見送ってもらい実家を後にして3日。夫と私と証人2人だけでヒンドゥー寺院で結婚してから13ヶ月が過ぎていた。


 

最終的に提出・受理された書類は以下の通り。


 

・私()のパスポート原本

・インド人夫のパスポート原本

・インド人夫のパスポートの和訳

(最初のパスポートページ&最後の住所のページ分)

・インドの婚姻登録証明書原本

・インドの婚姻登録証明書の和訳

(夫・妻の署名入り)

・大使館で頂いた婚姻届を記入したもの

・遅延理由書

(インドでの婚姻登録から3ヶ月を超過している場合)

 

以上。

 

証明写真は必要なし。夫婦揃って来館。


 


 

 

前の晩は、不思議で心地良い夢を見ていた。


 

大きくて優しい存在、女神さまみたいな女性の声が、ゆったりと私に話しかけていた。存在は感じられるけれど、その姿は光の中でよく見えない。温かで安心するその声にすっぽりと包まれ漂っていた。


 

「もう、安心して良いのよ。分からないことがあっても、何も出来ない時が来ても、いつでも私たちはあなたの傍にいて、あなたの力になります。」


 

覚えているのはそんな感覚。それまで感じたことのない安堵感に包まれて目を覚ました。直感的に、あ、インドの女神さま、来てくれたー?と思った。笑


 

これまで半信半疑ながら夫と一緒に毎朝祈りを捧げ、寺院巡りをしてきたけれど、こんな感覚は今までない。ヨガや瞑想をしていると、メッセージが降りて来ることはある。でもそれは特定の神さまから来るという感じではない。私、そんなにヒンドゥー教好きだっけ?笑


 

あの、深い深い安心感は、自分の中から発生したものとは思えなかった。しかもこんなテンパってる時期だし。


 

でも折角なので笑、授けられた感覚を素直に受け取ってその言葉に委ねようと思った。それは、この地で生きて行くために、私にどうしても必要な感覚だから。

 


イメージ、こんな感じ(ラクシュミー神)。そういえばこの方、インド占星術でも私の出生の守り神だった。

 

私は、人は自由意志を貫いて生きていると信じてるけど、同時に、宇宙規模に大きな存在や影響に導かれている感覚も疑うことができない。だからヨガや占星学は、人生で道に迷ってしまわないための便利なナビなのだと感じる。大きな意志を受けながら、私たちは出来る限りを尽くして生きる。


 

ヒマラヤの村で夫と出会ってからこの2年、何かに導かれる様に歩んできた。まさか自分が好きな人に出会って結婚するとか、それがインドの人なんて想像すらしてなかったのに。笑


 

常識では考えられない事や障壁、もうダメと思う事もあったけど、いつも誰かが、何かが味方してくれたから、今の私たちがある。だからどんな困難にも課題にも、手を合わせて感謝して、笑顔でいたい。


 

1人きりだと思ってたこと、今思うと長い間昏睡していたかの様に感じる。寂しささえも頓馬させて、誰にも頼ってはいけない、弱さを見せてはいけない、いつも一杯一杯で。でも、そんな時期も必要だった。頑張ってた。今はもう出来ないかもね。笑


 

夫がいつも一緒にいてくれること。離れていても、心を一つにできること。結婚をきっかけにして、私はより自由で強くなれた気がしてる。


 

急に目が覚めたように、それまでの両親や親族からの愛情が溢れんばかりに感じられる様になった。大切な友人たちがたくさん、たくさん応援してくれていることも。


 

そして地球上のどこにいても、いつもいつも大きな存在に守られていることが、確信に変わった。結婚は本当に、神事なのかもしれない。私を自分らしさに立ち還らせてくれて、森羅万象と繋げてくれて、終わりのない愛を感じさせてくれる、目に見えないライフラインが繋がったよう。


 

日本大使館で「遅延理由書」を提出して、窓口のI氏から2度目の「おめでとうございます」の言葉をいただいた。「これで本当に受理されました」と。私はとにかく照れ笑いが隠せず「が、頑張ります!」って言ってしまった。笑


 

困難があっても、諦めないこと

少しずつでも、必ずできること

どんな事にも、笑って感謝


 

婚姻届までの1年3ヶ月、私たちは多くを学んだような気がする。なぁんて書くと大層な事に聞こえそうだけど、結婚って色んな意味で人を変えると思う。インドに戻って数日経って、私は夫の変化に目を見張っている。私が留守の3ヶ月間欠かさずジムに通うようになり、朝晩自炊して健康に気を配るように。この調子でたまには掃除や洗濯も自分でしてくれると良いなーとか。

 

婚姻届のこと、母に報告したら「まだ始まってもないわ」って笑われたけど。笑

 

デリーの空港線メトロが快適すぎて、はしゃげます。w

さて、デリーの日本大使館から電話で婚姻届の「遅延理由書」を提出する様に連絡があり、幸い翌日は金曜で窓口も開いていると言うので、手書きで準備して翌日提出することを伝えた。

電話が来る前はすっかり婚姻届が受理されたと思っていたので、私たちはお祝い気分で「アクシャルダム寺院」へ向かっていた。遅延理由書の内容は決まっているので、そのまま地下鉄を乗り継ぐ。ブルーラインでヤムナ川を越えて行く。

ちなみに「アクシャルダム駅」のビルの1階には、あの、ユニクロっぽいロゴとダイソーっぽい商品でインド出店の続く「MINISOU」(中国資本?)があった。大分前に上海で見たっけ。日本の100円ショップやインドの市場価格より割高だけど、インドの若者も便利グッズを熱心に手に取って見てた。。。って情報はさて置き。

 


微妙な日本語のナイスな看板に、インド人マダムも吸い込まれる。



駅からアクシャルダム寺院へは、徒歩で時間にして10分くらい。にも関わらずオートリキシャの客引きが寄って来るけど、歩きやすい靴と日差し対策があれば笑って無視!


実は私、2年前にインドに初上陸した折、ゲストハウスの無料ツアーに参加して1度来たことがあった。なので、カメラ・ケータイ・その他バッグ等は全て入場前のクローク(無料)に預けるルールも了解済み。あらゆる場所に微細な彫刻が施された、それはそれは美しい寺院なのに、写真禁止ってのもインド政府らしい。財布や現金、薬やハンカチなども小さなポーチに入れたりして持ち込み可。水のボトルもOKだった筈。それでも入場無料というのが、通常かなり割高な入場料を払わされる外国人には奇跡みたいな観光名所。

 



じゃじゃーん。ヒンドゥー教最大の寺院、アクシャルダム(写真お借りしてます)。

アクシャルダム寺院は、スワミ・ナーラヤンという聖人を祀っていて、世界最大のヒンドゥー教寺院だそう。Wikipediaで2005年に竣工して同年11月6日に正式開院となってるけど、どんなスピードで建設すればそんなことが可能なの?と思う程、質の高い資材と建築・装飾技術。内部の神々の像やスワミの生涯を表す大理石のレリーフも、派手なだけ?ってことがありがちな地方寺院と違い、芸術性が高く、とにかく美しい。新しいのに「遺跡」級に見ごたえある寺院だと思う。

しかし8月末のデリーはまだまだ蒸し暑かった!特に寺院内はエアコンもさほど効いておらず、天井の彫刻を見上げる度に汗が目に入る。夫は日本からお土産に買ったユニクロのリネンシャツを着てたけど、あれって下着なしだと汗染みが目立つ様で、ベショベショに見えるシャツを着てる夫が不憫で後半観光に集中できなかったわよ。皆さま、デリー観光は綿シャツで!(何情報?)

敷地内にはカンティーン(フードコート)もあって、インド各地の料理が楽しめる。コーヒーやアイスのブースも新設されてた。夜の7時からは毎日「ウォーター・ショー」があって、2年前は音楽や噴水、レーザー、プロジェクトマッピングの演出に子供たちが舞い踊る、ヒンドゥー教の神話をベースにしたショーはなかなかの見応えだった。夜の寺院もライトアップで雰囲気が変わるのでおススメ(入場は6時まで)。虫除けスプレー必須ですが。

でもこの日私たちはショーは見ず、明日に備えて早めに宿の方面へ。途中ラジーヴ・チョーク駅でメトロを降りてショッピング街を歩いてみた。露天商をチェックして夫のジム用ショートパンツを購入。150ルピーは、チャンディガールの市場の半値以下だと思う。

コンノートプレイスの真ん中にある芝生の公園でマンゴーシェイクを飲んでたら、スナック売りや物乞いの子がやって来る。何人か断ったところで、やたら態度の大きい10才くらいのスナック売りの少年、(いいから早くそれをくれ)って感じで手を差し出して来たので、夫も一瞬迫力負けしてシェイクを差し出してしまった笑。そのまま風の様に去って行く少年。ストリートチルドレンも堂に入ったもので、慣れない私たちは感心するやら、笑うしかないやら。

その日の夕食はメインストリートをちょっと奥に入った所で行列ができてた、有名っぽいチャーヴァル(ご飯)屋さんでテイクアウト。サーグとかパニールとかチャナなんかの所謂カレーをライスにかけて、パパドや玉ネギライムをトッピングしてくれる。レストランじゃなくダバ(食堂)だけど安いし早いし美味かったー!

その日もオートでメインバザールの宿に戻り、翌日はいよいよ婚姻届のための最終書類の提出となりました。

さて翌朝。朝食もルームサービスでパランタを頼んで済ませる。ニューデリー駅界隈のダバ(食堂)は結構ハズレが少ない気がする。と言うか、やはり人が多くて活気のあるデリー、美味しい店が多いのだろう。

9時頃UBERでタクシーを呼ぶと、喧騒を搔き分けものの5分で来てくれた。世界レベルの大気汚染と騒音を抜け、ショッピング街コンノートプレイスを横に見ながら進む。インド議会やインディアゲートを過ぎると、公園の様に整然と整備された閑静な大使館街が広がっている。日本大使館はアフガニスタン大使館とスーダン大使館を越えた辺りにある。

日本大使館のゲートで「We are here for our marriage registration.」(婚姻届のために来ました)と告げると、中にいた警備の方に「あなただけ入って」と言われ、何と夫は門の外で待つことに。。。!せっかく夫婦揃って来たのに、何だかなぁと思いながら夫を見ると、「僕は大丈夫だから行っておいで」と、晴れ晴れした笑顔。本当に大丈夫そうだ。笑

荷物チェックと記名を済ませて建物に入ると、以前もお世話になった窓口の担当の男性がいて、婚姻届をしたい旨、何故か夫が外で待たされていることを伝えると、警備に連絡してくれ、すぐに夫がやって来た。そしてまずは持参した書類をチェック。今回提出したのは、

・私(妻)の日本のパスポート原本とコピー
・夫のインドのパスポート原本とコピー
・夫のインドのパスポートの翻訳
・インドでの婚姻登録証明書のコピー
(↑※本来は原本が必要です泣)
・インドでの婚姻登録証明書の翻訳
・大使館窓口でもらった婚姻届に記入

↑しかしこの時点で既に「インドでの婚姻登録証明書の原本」をホテルのスーツケースの中に置いて来てしまった事が判明。その日のうちに取りに行き大使館に届けることに。

更に「夫のパスポートの翻訳」が、パスポートページの他に最後の「住所や両親の情報のページ」の翻訳も必要との指摘があり、隣のホールの様な部屋の机を借りて、手書きでA4用紙に書き直して提出。

また「婚姻届」の用紙を見本を見せてもらいながら記入した時、夫の「姓」「名」の部分に差し掛かると、前々からの疑問が浮上した。それは夫のパスポートには「姓」が載っていないので、婚姻届でも姓の欄が書けないってこと?というもの。職員の方に尋ねると「パスポートの通りなので、姓の欄は書かずに、すべてを名の欄に書いて下さい」との回答。

例えばアヌーシュカ・クマーリという名前の人がいたら、「クマーリ」ってのは便宜上使ってる苗字?に過ぎない。好きなのを勝手に付けるらしい笑。なのでパスポートには姓(Surname)の欄は空欄になってて、名(Given Name(s)←まんまと複数形)の欄にAnoushka Kumariって全部入ってる。だから私たちの婚姻届に基づく新しい戸籍も、夫の姓は空欄で、フルネームが名の欄に入っちゃうらしい。笑

考えてみれば、日本人もかつての農民などは姓がなく、ある時点から名乗り始めた。でもそれが代々受け継がれて戸籍に載るのって、家系や婚姻相続関係を見る上でも何かと分かりやすい。かたやインドは手書きに近い出生証明書と、アダールカードという個人番号のシステムくらい?(詳しい方教えて)

 

それにしても夫の家、家族全員違う姓を名乗ってるのは何で?って聞いたら「名前の音の響きと合う姓を選んでる」って、至極真面目な面持ちで解説してくれたけど。。。。。。

何はともあれ、午後3時半に担当の方の手が空くと言うので、一旦ホテルに「婚姻証明書の原本」を取りに戻って、夫は大好きなデリーの辛口ダバで昼食、私は安全な?生野菜を求め「サブウェイ」で、お得な日替わりサンドをオリーブ多目にしてもらって堪能。その後は時間通りに大使館に書類を届け、担当の方から、

「これで受理されました。おめでとうございます。」

の言葉をいただいてホッとしながら大使館を後にし、せっかくなので前回5月に閉館時間を過ぎて行けなかった「アクシュルダム寺院」へオートと地下鉄を乗り継いで行くことに。

が。大使館最寄のイエローライン「ウダイヨグ・バハヴァン駅」に乗り「ラジヴ・チョーク駅」でブルーラインに乗り換え「アクシュルダム駅」へ向かおうとしていた時、夫のスマホに大使館から電話が。

「こちらも見落としていて申し訳ないのですが、婚姻届が『インドで婚姻してから3ヶ月以内』の規定を過ぎています。ですので、『遅延理由書』を提出していただく必要があります」とのこと。でもこの言葉を聞いた途端、これまでの数々の「遅延理由」の紆余曲折がスラスラと頭の中で書き上がって行った。ホテルも2泊目予約入れたし、必ず何かが起こる想定でいるからさほど慌てることもなく。

と言うことで婚姻届リベンジマッチ、第二ラウンドへ突入ー。

 

まだ乗りなれないけど、いつか全制覇してみたい便利なデリーのメトロ。

8月22日の夜10時頃インディラガンディー国際空港に到着し、また日本からの荷物でパンパンのスーツケース2個を受け取った私を、夫は空港内に入って待ち構えてた。入場料の100ルピーを払えば、航空券とパスポートのない出迎えの人も入れること、2年間も気がつかなかった私。


長袖を着替える間もなくカートから崩れ落ちそうな荷物をひぃひぃ押しながらそそくさとゲートから出たので、急にヌゥっと現れた我が夫にぎょっと驚く(すまない)。この人はきっと、満面の笑みでオギャーと生まれて来たに違いないといつも思う。そんな夫の笑顔は毎年この時期は日に焼けていて、3割り増しにインド人感が濃くなる。


空港ではハグとかしても別に良いんだろうけど、ギョっとしたり久しぶりでドキっとしたりクタクタだったりして、早くエアコンの効いたメトロに逃げ込みたかった。終電の11時15分が迫る。


今回は実家のある北海道を21日の朝7時に出て、羽田、成田と移動して途中クアラルンプールで13時間。デリー着は実家を出てから約40時間後。クアラルンプールでは朝の仮眠(到着ロビーの片隅に横になれるベンチがあった)と旧友との弾丸ランチデートも出来たけど、まぁー遠いこと。笑


去年の渡印で利用したANAの成田デリー直行便は、今はもう高くて手が届かない。段々とトランジットを楽しむ術は身に付いて来た。でもここで旅は終わらない。「ニューデリー駅付近の宿に泊まる」というハイレベルなミッションがあった。


空港からニューデリー駅(メトロの)へはメトロ路線図でオレンジ色で示されたエアポート線に乗って30分位。余程夜中に着かない限りこの線を使えば車内もキレイで空いてて便利。しかし問題はニューデリー駅(メトロの方ね)に真夜中に放り出されること。外は暗いし物乞いかオートのおっちゃんか区別が付きにくい人たち(個人の感想です)が待ち構えてる。


メトロの出口で詰め寄って来るオートに乗っても害はないけど、何故か値切ることに執念を燃やす夫は、更に暗い路地に少し入って格安オートを捕まえてくる。バッサバッサとどこでも値切るので止めて欲しいんだけど、誰も彼を止められないのも分かって来たので、最近は黙って恩恵に与かるのみ。


鉄道のニューデリー駅と、そこからちょっと離れて隣接する(客引きの人山を掻き分け徒歩5分くらい?)メトロニューデリー駅の周辺は、2年経っても慣れない不思議エリアだ。人でごった返す鉄道駅構内などで道を聞こうと話しかけると相手は踵を返して逃げて行くし(不親切どころか不思議)、出口の外では言ってもない目的地に勝手に行ってしまう(お土産やとかホテル)ドライバーたち。ホテル予約してるんだってば!と、ツッコミを入れると意外と大人しく戻ってくれるけど。笑


ニューデリー駅前からはメインバザールと、バハールガンジという2つの主な通りがあって、デリーでも隋一の安宿エリア。今時、エアコンなしホットシャワー壊れ中なんて部屋も健在。狭い道はガタボコで牛や車やオートが騒音と共に接触しそうにすれ違い、埃を被ったガラクタの土産物屋が軒を連ねるこの界隈に、以前は怯えていたものだった笑。


でも何度かお世話になる間に、部屋もサービスもまぁまぁホテルも見つかり、笑顔はないけど悪い人たちじゃないこと、早朝から朝方まで眠らないかの様に動きのある通りの様子が、ゲンキンで逞しい「インド」を象徴する様で、摩訶不思議な魅力がある。それであえて他の地区に宿を求めなくなった。道端のタンドゥーリチキンも絶品だし。


今回も私たちはメインバザールの中ほどの路地を入った宿へ。アプリで取った料金は何とエアコンなしだったらしく、到着して追加料金を払うと電源を入れてくれた。部屋は古いけど汚くはないレベル。シャワーを出したら止まらなくなり、人を呼ぶと壊れてるから使わないように言われる笑。仕方ないので蛇口のお湯をバケツに溜めるインド方式で沐浴。何故かマットレスが絶妙に低反発で宙に浮いてる様な寝心地で、旅の疲れを癒すには十分だった。


空港からバスに乗り継げば6時間でチャンディガールのアパートに帰れるのだけど、わざわざデリー泊にしたのは、延び延びになってる「婚姻届」を日本大使館に提出するため。この2日がかりの道のりを、日本で準備した書類を大事に抱えて移動していて、そのせいか身体から緊張が抜けない。その夜はルームサービスのラジマライスを軽く口にして、書類に夫のサインをもらい、翌日のリベンジ戦のために早々に床に就いた。

なるように なる。

 

そうじゃないと、もう出来ないよ。笑

 

 

「自分の人生」が「自己責任」なんて

 

。。。本当???

 

 

って、思うことだって起きる。

 

 

 

そんなに何でも、は

 

出。来。な。い。し!!!笑

 

 

 

 

 

最善を尽くしたって

 

今を生きてたって

 

過去を癒したって

 

トラウマと向き合ったって

 

苦手を乗り越えたって

 

人のせいをやめたって

 

感謝を忘れなくたって

 

繋がりを大事にしたって

 

良い方に考えたって

 

笑顔で過ごしたって

 

努力を惜しまなくたって

 

思いやりを持ってたって

 

どんだけ自分を信じたって

 

 

 

 

 

ならないようには、ならない。

 

 

 

 

自在に世界を歪められるような魔術も

勝手に良い事ばかり引き寄せる呪術も

 

そんな自己中っぽい

 

小手先ばかりが通用する程

 

この宇宙は狭くもないし

 

人類のカルマは軽くない。

 

 

共同責任。

みんな一緒に生きてるってこと。

 

 

 

「私」の命を生きることは

 

私が思うより、大きなこと。。。

 

 

そんな感覚が、年々確信に近づく。

 

 

 

私だけでは解けないパズルを

そうとは知らずに

引っ掻き回してた気がするよ。

 

 

やり方も知らずに

昔の人や知ってる人に

習うこともしないまま

 

 

 

 

それなのに

失敗したからって

また一人で起き上がれもしない。

 

こんな小っぽけな私に

どうしろと言うの?と。笑

 

 

分かったフリをすればいいのか

平気なフリでいれば

忘れられるのか。

 

それで自動的に幸せになれたら

ジタバタもせず綺麗だから

出来ればそうしたかったのは

浅はかな考えでしかなくて

 

自分のした始末は自分でなんて

何も分かっちゃいないのに出来ない!!

 

↑て投げてた方が賢いのかも。

(もちろん十人十色でいいんだけど)

 

 

だからいつまでも悲しかった。

孤独だった。

痛みを分かつことが出来ないなんて。と

 

辛さを笑顔に変えなくちゃ

ダメなような気がしてた。

 

だから出来ることは何でも

頑張ったんだけど

 

怖くてさみしいのは

なかなか消えなかった。

 

 

 

この時期、おじさんおばさん

親戚にいっぱい会うと

 

私だけでは背負えないもの、

 

逆に

 

本当はずーっと支えられてたこと

 

それが見えて戸惑った。

 

 

「みんな」の中の「私」で良かったんだと。

 

 

私ひとりでは何も出来なくても、

 

ただ安心していて良かったのに、

 

すっかり忘れて孤独でいた。

 

 

きっと

頑張り過ぎてヘンテコだった。

 

 

 

でも

「誰も分かってくれない」なんてこと

 

本当にはありえなくて、

 

「インドに行って変な子」とかも

私が勝手に思ってただけで、笑

 

 

何をしてても、まるっとお見通しで

 

私は私で丸ごと愛されてたこと

 

思い出したし

 

私らしさを信じてもらってることも

 

 

全部、感じて、ようやく、安心できたと思う。

 

 

 

今朝も、モヤっと目覚める

 

最近、ずっとそう。

 

仕事が終わっちゃったから

お盆で忙しないから

もうすぐインドだから

結婚式決まったから

 

。。。。

 

「られた・された」の

自動運転モードになっちゃうと

「生きてる実感」が薄れて

すぐにウツウツして気づく。

 

でも、

「自分で決断」しなくちゃ、

この時間を「有意義」に、

「心配」なんていらない、

「やれる事だけ」でいい、、、

 

なぁんて思う程に追い込んでしまう。

 

どんなに強がっていても

堂々巡りの根っこには

 

わかってほしい。

この気持ち。

誰かに知ってほしい。

苦しいってこと

怖いってことも。

恥ずかしいけれど

こんな気持ちでいること。

 

 

婚前うつ・流産うつ・移住うつ

名前なんて付けなくたっていいけど

 

「わかってもらえない」と

他者の責任にしてしまって

忙しい日々の生活の中で

うやむやにして

自分とちゃんと向き合えてない。

 

私は、ソレだな。笑

 

 

「おいしいものを食べに行く」とか

「仲の良い友だちに会う」とか

そういう時には治ってしまう。

 

典型的。

 

朝スッキリ起きれない、何をしててもから回りな気がする、何をしても「ムダ」に思えてしまう、好きなことにも集中できない、だるい、首が異常にこる、すぐに疲れる、旦那さんと話すのが億劫になってきた、etc.

 

 

お盆で親戚やお坊さんが来たり、世の中が忙しないし、私もやるべき事はあるのだけれど、正直それどころじゃないのかも。

 

「変な人」と思われても良いから、瞑想したい。

グラウンディングして自分と繋がりたい。

エネルギーの滞りを解消したい。

泣きたい、叫びたい、大笑いしたい。w

 

悩みが尽きず、死んだように

後手後手に対処に追われて

負け試合と分かってやってる様な

そんなのもう、嫌。

 

 

視点を大きく高くして

俯瞰して見て行って

細々とした物事が

自然と納まるべき場所に

還る様子を見ていよう

 

 

 

生きていた人が亡くなって

その魂が再び

地上に帰って来る、と云う

この時期

 

私も私に帰って来たい

自分の軸と繋がっていたい

たくさんの幻を越えて

大切な場所に還って来たい

 

 

そんな在り方を探そうと思う

先日もインドの夫からいつもの様に連絡が。いつもノンビリなのに、焦っている様な速い口調。

 

「結婚式の日取りは2月だからね!」

 

うん、聞いた。

 

「今週末マミ(義母)がチャンディガール(義姉の家)に来るから、式の打ち合わせをして来るよ!」

 

は、はい。。。(早くないか?)

 

「マミジが、嫁入り衣裳はレヘンガ1着、サリー1着、パンジャビスーツ1着でいいよね?って。」

 

あ、は、はい。

 

「マミジが君にゴールドの指輪とイヤリングを作るから、好きなデザインを選びなさいって。」

 

え。いいよ別に。いらないよ。

 

「そんなことないよ。君はいらなくても、ボクのお嫁さんには必要だよ。」

 

はぁ~~。。。

(誰と結婚するつもりだ?)

 

 

色々な関係性での婚姻があり、様々な形の結婚式がある中で、確かに私は「自分たちが幸せならそれでいい」とだけ思って今の生活を送ってる。

 

それで精一杯なのだ。

 

 

周囲が私に期待してくれている事、家族が願ってくれているもっと大きな幸せにさえ、思いを馳せる余裕などない。

 

 

不思議と私は

 

いつも追われるような

逃げ切りたいような

2人だけの世界

誰にも知られない場所へ

ゴールしたいような

 

無意識の衝動がある気がする

 

 

誰にも何も言われたくない、そんな思いは責任感とも取れるし、健康的な場合もあるけれど、私の場合はやはりちょっと違う気がした。「誰かに何か言われる」耐性がとても低いから。

 

 

 

ここのところ、日本からインド渡航のための準備をしていても、うまく行かないことが続いていた。市役所では婚姻届と用意した書類を受け取ってもらえず、今回はインド大使館から「配偶者」ビザが発行してもらえないことが判明し、インドへ郵送した保険給付申請のための診断書がまた、郵送途中で消えたことが分かった。

 

運のない時も諦めてはいけない。

 

そう決めているのに、やっぱり凹む。

 

同時に、怒涛の手続きと渡印前の通院ラッシュのために、平日に決まっちゃった仕事の打ち上げ(ススキノ)には出向けないし、友だちの経営するペンション(ニセコ)へも、今年は行くのを断念したり。あとは夫が「アダールカードの住所をまた変更するのが面倒」と言うことで、せっかく見つかったアパートへの引越しを断念してしまったことも、納得行かなかったり。。。泣

 

 

 

 

でもその間少しずつの進展もあり、婚姻届はデリーの日本領事館で提出する目処が立ち、ビザは今年の2月に観光ビザから切り替えていた配偶者ビザ(11月まで有効)で入国できるということに。

 

歯科も近所に良い歯科医師が見つかって(厳し目だけどw)歯科問題は解決、あと探さなくてはならないのは婦人科のみ(以前のかかりつけ医が私のインド滞在中に廃業してしまった)。

 

 

いっとき、四面楚歌に思えたとしても

1つ1つ諦めないで進めば大丈夫

 

 

ようやく、ぼんやりとでも先が見えることに

嵐のピークは去ったのか?とまだ半信半疑。w

 

 

「上手く行かない」ってもがいてる時、

本当は上手く行ってる「もう半分」を

不思議と完全無視してることって、ある。

 

 

今年はキャンセルが出てお仕事半減したのに、その後急に人員が必要になって他のポジションに呼んでもらえたり。忘れてたけど、これって

 

1ラッキー。

 

そのポジション、他の誰も得意とする分野ではなかったため、半ば丸投げを受けた形だったけど、私にとってはやりがいも面白味も十分に感じられて、自分の得意分野を広げられた実感があった。

 

2ラッキー。

 

 

多分こういうラッキーのカケラを、意気消沈して見落としている場合ではないのでしょう。それはどこの国の住人だろうと、誰のお嫁さんだろうと、変わることのない「私」のキラキラ。

 

 

 

 

 

そして今朝目覚めた時、ふとした気付きがあった。

 

「どうせ わたしには むり。。。」

 

そんな風に思っていない???って。

 

 

 

 

思っているんだよね。事務手続きがうまく行かない、そんな一連のことで、くじけそうになっていた。それで無意識に「=きっと私にはムリ」っていう思いがこのところ、低空飛行でホバリングしていたんだ。

 

 

だから

 

結婚式の日取りが決まったことも

花嫁衣装を用意してもらえることも

結婚指輪をプレゼントされることも

 

 

逆に「負担」に思えていた。「どうせ」な私には、必要ないって。そこにどんな憶測の幼稚で拗ねたロジックがあるかと言うと、

 

 

どうせ期待に応えられない

どうせ無駄にしてしまう

どうせ似合わない、とか何とかw

 

(↑書き出してみると相当ヒネくれてる。笑)

 

 

まぁね、「誰にも何も言われない所で自由に幸せになりたい」という秘めた妄想がある私らしく、責任逃れ、怖気付き、チキン感漂う納得の深層心理。

 

マリッジブルーなんて書くと擁護されてしまいそうだけど、元をたどれば自分への信頼の欠如、「恐れ」に負けてしまっているに過ぎない。

 

 

自分に負けてるのはイヤだなぁ。

今朝のモヨっとした目覚めの後

そんな風に感じた。

 

 

何の因果か?は、分からない。それでもたまたまインドという異国の、割と辺境の地に住む心構えを少しずつだけど築いて行って、

 

環境の大移動に適応しようともがき、結婚という人生の大きな選択をして、好む好まざるに関わらず、大小さまざまなハードルがこの先も目白押しなのは確かだろう。

 

だからこそ

 

望まない結果に甘んじるのではなく

望む結果を

創り(ヒネリ)出さなければならない

どうしても(笑)

 

 

運命だろうが宿命だろうが、大きくは「自分」が選んだ道らしい(少なくともヨガやインド占星術では)。自分が好きで選んだ物を、マズイと言って食べる程バツの悪いものもない(でもない?)。

 

過去から逃げまわってたら結果

ここへ辿り着いちゃったとしても

 

「ただ、幸せになりたい」

 

その思いだけは本物だろう。

 

 

私は「インドになんて行っちゃって、不思議」ってよく言われる「変な」自分も「逃げてきた」かもしれない自分も、「夢を抱いた」自分も「やっぱり幸せになりたかった」自分も、全部ひっくるめて今、引き受けたい。

 

 

そうしたらきっと、どんなハードルも、どんな異文化体験も、どんなにハードでブルーな時期も、そのうちに乗り越えられると信じている。

 

どんな経過や結果が来ても「私の人生だった」って幸せに笑ってる、未来の自分の姿を今、見失わないでいたいと思う。そして今ある幸せも。

 

 

「どうせ」君も、また来るだろう。

 

やった事ない事だらけだから

自信なんてそうそうない(笑)

 

 

だからどんな弱っちぃ奴も、後ろ向きな人も、過去からのアレも、幸せを掴もうとすればする程に遠のく気がする恒例のアイロニーも、私の中の御一行様をみぃんな引き連れて2週間後、

 

やっぱりインドに帰るのでしょう(笑)

昨晩インドの夫がメッセンジャーで

「何もうまく行かない。

何をやっても全部ダメだ」と言う。

 

うん、分かる。。。

そういう時ってあるよね。

 

 

インド大使館に配偶者ビザの相談をしたら、一回の電話につき「1問1答状態」ですぐ「また午後にかけて下さい!」と切られる。

 

市役所の届け出窓口で日本の婚姻届けを出そうとしたら、急に必要書類(国籍証明書)と人員(夫・本人)が増えて不受理になる。

 

近所の歯科医院が知らない間に午前診療のみになってたり。かかりつけの婦人科が破産して廃業していたり。

 

あとは仕事でアメリカの高校生の日本滞在研修のお手伝いをしているのだけど、プログラム中に規則違反した子が出てしまった。

 

「違反は違反」と突き放す姿勢のリーダーと本人との間に入って調整をしてみたけどうまく行かず。

 

結局1ヶ月の滞在終了の1日前になってまた違反あり、17才の女子高校生を「本国へ送還」するために、成田に連れて行かなければならなかったのは、仕事とは言え切なかったな。

 

 

誰にだって「思い通り」に

行かない時もある。

 

 

で、珍しく深刻な様子の夫の話をよく聞くと、

 

「バイクの調子が悪くて修理しなくちゃならない」のに、「新しいスニーカーが破けた」らしい。。。

 

平和だな、インド。。。!笑

 

 

でも何か癒された♡

私が日本にいる間に婚姻届を提出したかったんだけど、結論としては昨日、受付けてもらえなかった。若干訝しい思いが残るが、まぁー今回は仕方ない(T ^ T)

 

 

事の次第はこういうこと。

 

先月役所の届け出窓口に行って婚姻届書を2枚いただいた時に言われた必要書類は以下のもの。

 

1. 夫パスポートのコピー(と和訳文)

2. 婚姻証明書のコピー(と和訳文)

3. 婚姻届書(記入捺印済)

 

 

それが、昨日実際に上記書類を揃えて窓口に提出しようとすると、以下の書類を求められた。

 

1. 夫パスポート原本(と和訳文)

2. 婚姻証明書原本(と和訳文)

3. 婚姻届書(記入捺印済)

4. 夫国籍証明書

 

 

あれ?ずい分変わっちゃったのね?しかも何か増えてるし!

 

 

婚姻証明書の原本は持ってるから良いとして、「パスポート原本」は夫本人とセットですよ?私は勝手に日本に持って来る権利もないし。

 

「ハイ、ですから旦那さまと一緒に窓口に来ていただいて。。。」と受付の人。(簡単に来れるくらいならとっくにそうしてます。)

 

しかも「夫の国籍証明書」って、増えた書類は何なのだ?前回は「パスポートのコピー=国籍証明に該当する」という説明を受けて、どのサイト見てもそんな書き方なのに。

 

そもそも「国籍証明書」ってこれまで手続きして来た中では初めて聞くわ。とっさに夫の「アダールカード」(インドのマイナンバーカード)のコピーではどうか?と聞いてみたけど無理らしい。そうだよね、インド国籍でなくても取れるし。

 

「インドの出生証明書=国籍証明書ということですか?」と尋ねるも、その都度奥の戸籍課の人とやりとりしてるから、また聞きの回答を聞かされてよく分からず。しばらく待合いの椅子でお待ち下さいと言われて、その後に法務局に問い合わせの電話を入れた結果と共に上の人らしき女性が来てくれた。

 

「やはり『国籍証明書』が必要との回答でした」と。「その訳文も添付して下さい」って。。。

 

 

。。。。。。。。

 

 

。。!”$&#””%!’*!?。。。。

 

 

色んな呪文を冷静に押し殺しながら、最後の質問。

 

「パスポートのコピーが国籍証明書の扱いになるのではないのですか?」

 

「パスポートは原本です。原本がない場合、 更に国籍証明書が必要との法務省の回答です。」

 

 

はは〜ん

 

なるほど。

 

ワカリマシタ。

 

分かりましたよ

 

無理ってことが笑。

 

 

そうして、ご丁寧な説明をして下さった担当の人と窓口の人に深々とお辞儀されながら、退散して参りましたとさ。この夏一番の猛暑日だと言うのに、この上なくさむーい雰囲気と共に。。。

 

 

妻が1人で婚姻届をすることって、特例であることは分かる。増してや国際結婚だし、確認のために公の書類がいくつも必要になることも。法務省の管轄だし、後々は2人揃って面接を受けることになるし。いつかは夫の日本への観光ビザを取って連れてくることになるんだろう。父の法事の年に、日本で神前式を挙げる計画もある。

 

 

でも 今は 無理。

 

 

役所を後にしてそのまま炎天下の町に出たけれど、頭の中がぐるぐるして次に何をする気も起こらず、方向を変えて実家の方向に歩き始めた。懐かしいインドの灼熱の太陽にも似た、北国の最上級の陽射しが肌に痛かった。すぐに汗が流れたけど、澄んだ青空と風が心地良い。北国の人間にしては暑さに強いよなー私。とりとめのない事を思いながらどんどん、どんどん歩いた。

 


うーん、大接近しとる火星の勢いを感じるわ(勝手にね)。



来月インドに帰ったら、デリーの空港に夫が来てくれるので、その必要書類をまた用意して淡々と先に進めば良いだけ、と頭では分かっているのにその場では切り替えられなかったな。


「怒り」「後悔」「責め」

みたいなの、もう要らないのに。笑



前回のブログで「体感」してる気がしてた金星は、トランジット見てみるとやはり乙女座通過中。。


だからテーマは愛とお金なんだけど、どうしてこう障害が?と見ると土星センセーがスクエアしてる(汗)しっかりせえよ。てね(笑)



次は夫と二人揃って行けるんだ♪



良い方に考えて、また準備しよう(•ө•)♡



太陽がしし座に移った今。太陽乙女座生まれ的には「大掃除」の様な、「年末」「総仕上げ」の様な時期なのだそうで、自然と重要な申請や手続きが目白押しに。

 

今やっているのは、

 

・インド行き航空券の手配(済)

・日本の役所へ婚姻届提出

・在日インド領事館へ配偶者ビザ申請

・日本の運転免許更新

 

その他細々とした所では、オンラインバンキング申請、定期更新、入院疾病保険の給付金申請などなど。

 

こうして見ると、私の今のキーワードは絶対「お金」と「絆」と「居場所」。(占星術的には金星が何かしてるんでしょう。最近見てない。。。スミマセン笑)

 

 

ええ、面倒ですとも。。。でもインド人との国際結婚では数段階あると言われる「結婚クエスト」の最終段階である「日本の婚姻届提出」が終われば、少しは通常営業に戻るだろうと思われる私の生活。あと少し。。。!

 

 

先週メインのお仕事が一段落したものの、久々の日本で昼夜問わない仕事ぶりが効いてか絶不調に。ストレスってスゴい。婦人科系と胃腸科系が回復するのを待ちつつ新たな依頼に手を付けると、発注先からの間髪入れぬ連絡攻撃にノックアウト。

 

先に知らされているべき情報が「ごめん、言ってなかったけど」と後付けされ、「上司がこだわってて」と謎の修正が入り、「私も疲れて」と担当者の愚痴が来る。。。グダグダ最上級パターンの先週。

 

 

皆さんにも何か、宇宙から変な電波降り注ぎませんでしたでしょうか?w

 

 

何かこう、

 

「今までのやり方はおしまーい。」

「新しい人脈が必要ー。」

 

 

っていうメッセージが実写版で来て

バンバン身体に影響してた感じです。

 

 

まぁそういう時期もあるでしょう(汗)。そんな嵐の中、「婚姻届を出すこと」は常に最優先事項として頭の中にはあるのですが、一向に手が付かず。。

 

 

 

最近特に「記念日」になりそうな日付けも個人的にはないし(いい夫婦の日とか、家族の誕生日とか?)。

 

まぁもともとは一時帰国の直前に、在インド日本領事館で、夫と一緒に届け出をする予定でいたのに、その計画が頓挫してから気分も盛り上がらず(日本から送ってもらった戸籍謄本が郵送途中で宇宙の藻屑と消えたため)。

 

北海道の地元の市役所でいただいて来た、何気にピンクな婚姻届も、一層ブルーな気分に追い討ちをかけるよう(私だけ?)。

 

ぶつぶつ。。。

 

 

しかし!

そんなマッリジブルーの霧が晴れ

思いがけず昨日辺りからエンジン始動!

 

それは夫から「斜めむかいのアパートの部屋が空いたみたい。どうする??」と連絡があってから。自粛しながらもテンション急上昇ーーっ!


(こんな苦労してインドに戻る手続きしても、正直あの部屋に戻ると思うとチーンてなってたもん。)

 

「あの部屋」には1年半、暮らしましたとも。それで、色々あった。。。色々、色々あった。笑

 

大家さんが厳しい?と言うか管理・介入的で、門限の10時には門の鍵が閉まるし、お祖母ちゃんもお嫁さんもいちいち様子見に来てとやかく言うし、子供たちはイタズラばっかりして最近可愛くないし、キッチンとバストイレは部屋の外にあって面倒くさい。

 

しかも電気代と水道代がいつの間にか増えるwので家賃がどんどん上がって行って、お祖父ちゃんは「出て行け」とか「出て行かなくても良いから家賃500ルピー積算する」とか、課税されると誤解して住居証明書のサインを渋ったり。まぁよくある事とは言え、もう結構でーす。

 

 

ビバ!お引っ越し!!!

 

 

まだ見ぬ小さな新居だけど、きっとまた色々あるんだろーけれど、それでも一筋の希望が。。。!。。。という感じで今日はモリモリ準備を進め、書類が出揃いましたのでいざっ明日市役所に行って参りまーす。

 

 

明後日には水星が逆行することもあり

その前に駆け込む感じがありありです。笑

 

 

ちなみに、インド人との国際結婚ではよくある事なのか?、「夫の姓に変えられない!?」件ついても、また機会があったら書いてみたいところです。

 

 

ピンクがデフォルトですか。。。って?