さて翌朝。朝食もルームサービスでパランタを頼んで済ませる。ニューデリー駅界隈のダバ(食堂)は結構ハズレが少ない気がする。と言うか、やはり人が多くて活気のあるデリー、美味しい店が多いのだろう。
9時頃UBERでタクシーを呼ぶと、喧騒を搔き分けものの5分で来てくれた。世界レベルの大気汚染と騒音を抜け、ショッピング街コンノートプレイスを横に見ながら進む。インド議会やインディアゲートを過ぎると、公園の様に整然と整備された閑静な大使館街が広がっている。日本大使館はアフガニスタン大使館とスーダン大使館を越えた辺りにある。
日本大使館のゲートで「We are here for our marriage registration.」(婚姻届のために来ました)と告げると、中にいた警備の方に「あなただけ入って」と言われ、何と夫は門の外で待つことに。。。!せっかく夫婦揃って来たのに、何だかなぁと思いながら夫を見ると、「僕は大丈夫だから行っておいで」と、晴れ晴れした笑顔。本当に大丈夫そうだ。笑
荷物チェックと記名を済ませて建物に入ると、以前もお世話になった窓口の担当の男性がいて、婚姻届をしたい旨、何故か夫が外で待たされていることを伝えると、警備に連絡してくれ、すぐに夫がやって来た。そしてまずは持参した書類をチェック。今回提出したのは、
・私(妻)の日本のパスポート原本とコピー
・夫のインドのパスポート原本とコピー
・夫のインドのパスポートの翻訳
・インドでの婚姻登録証明書のコピー
(↑※本来は原本が必要です泣)
・インドでの婚姻登録証明書の翻訳
・大使館窓口でもらった婚姻届に記入
↑しかしこの時点で既に「インドでの婚姻登録証明書の原本」をホテルのスーツケースの中に置いて来てしまった事が判明。その日のうちに取りに行き大使館に届けることに。
更に「夫のパスポートの翻訳」が、パスポートページの他に最後の「住所や両親の情報のページ」の翻訳も必要との指摘があり、隣のホールの様な部屋の机を借りて、手書きでA4用紙に書き直して提出。
また「婚姻届」の用紙を見本を見せてもらいながら記入した時、夫の「姓」「名」の部分に差し掛かると、前々からの疑問が浮上した。それは夫のパスポートには「姓」が載っていないので、婚姻届でも姓の欄が書けないってこと?というもの。職員の方に尋ねると「パスポートの通りなので、姓の欄は書かずに、すべてを名の欄に書いて下さい」との回答。
例えばアヌーシュカ・クマーリという名前の人がいたら、「クマーリ」ってのは便宜上使ってる苗字?に過ぎない。好きなのを勝手に付けるらしい笑。なのでパスポートには姓(Surname)の欄は空欄になってて、名(Given Name(s)←まんまと複数形)の欄にAnoushka Kumariって全部入ってる。だから私たちの婚姻届に基づく新しい戸籍も、夫の姓は空欄で、フルネームが名の欄に入っちゃうらしい。笑
考えてみれば、日本人もかつての農民などは姓がなく、ある時点から名乗り始めた。でもそれが代々受け継がれて戸籍に載るのって、家系や婚姻相続関係を見る上でも何かと分かりやすい。かたやインドは手書きに近い出生証明書と、アダールカードという個人番号のシステムくらい?(詳しい方教えて)
それにしても夫の家、家族全員違う姓を名乗ってるのは何で?って聞いたら「名前の音の響きと合う姓を選んでる」って、至極真面目な面持ちで解説してくれたけど。。。。。。
何はともあれ、午後3時半に担当の方の手が空くと言うので、一旦ホテルに「婚姻証明書の原本」を取りに戻って、夫は大好きなデリーの辛口ダバで昼食、私は安全な?生野菜を求め「サブウェイ」で、お得な日替わりサンドをオリーブ多目にしてもらって堪能。その後は時間通りに大使館に書類を届け、担当の方から、
「これで受理されました。おめでとうございます。」
の言葉をいただいてホッとしながら大使館を後にし、せっかくなので前回5月に閉館時間を過ぎて行けなかった「アクシュルダム寺院」へオートと地下鉄を乗り継いで行くことに。
が。大使館最寄のイエローライン「ウダイヨグ・バハヴァン駅」に乗り「ラジヴ・チョーク駅」でブルーラインに乗り換え「アクシュルダム駅」へ向かおうとしていた時、夫のスマホに大使館から電話が。
「こちらも見落としていて申し訳ないのですが、婚姻届が『インドで婚姻してから3ヶ月以内』の規定を過ぎています。ですので、『遅延理由書』を提出していただく必要があります」とのこと。でもこの言葉を聞いた途端、これまでの数々の「遅延理由」の紆余曲折がスラスラと頭の中で書き上がって行った。ホテルも2泊目予約入れたし、必ず何かが起こる想定でいるからさほど慌てることもなく。
と言うことで婚姻届リベンジマッチ、第二ラウンドへ突入ー。
まだ乗りなれないけど、いつか全制覇してみたい便利なデリーのメトロ。