北インド☆ゆるヨガライフ -20ページ目

北インド☆ゆるヨガライフ

ヒマラヤで出会った夫と、北インドローカル暮らし8年目。
お見合いが主流のインドで年の差婚、3度の流産、文化や習慣の違いに奮闘中。
スラム支援のNGOで働いたり、子宮腺筋症と共存しながらゆるーくヨガを続けたり。
40代インド生活の気づきと学びです。

先日、夫が本当に何気なく言った。

 

夫「明日、姉の家で何かプログラムがあるって。」

 

。。。明日。。。?何のプログラム?

 

夫「僕らの結婚式の日取りが決まったでしょ?」

 

。。。うん。。。?

 

「そのための、プログラムだよ。」

 

。。。それって。。。、

 

婚約式のことですかーー??

 

「そうだよ。」

 

明日って!聞いてないから!笑

 

日本で言うと結納のようなものだろうか?そんな大事なことも前日にお知らせが来る。そして婚約だろうがお祭りだろうが、何でもかんでも「プログラム」になるのは何故?

 

着る物の準備も間に合わないー。でも先方からも何も言われていないので、去年の宗教婚の時に着たワンピースで行くことにした。市場でたった250ルピー、150ルピーでお直ししたもの。あの頃はまだ、愛があれば何もいらなかったっけ(遠い目)。

 

ちなみに通常インドでも「婚約式」は結婚前に行うもの。でも私たちの場合は一緒に住むために1年ちょっと前には宗教婚を済ませ、書類上の婚姻手続きも先日全て終わったところ。何より通常とは違う私たちの国際結婚を、親戚に理解してもらうために時間が必要で、ようやく今、家族の前で「婚約式」ができる運びになった。

 

 

で、婚約式って、何するの?

 

夫「親戚みんなで集まって、歌を歌うんだよ。」

 

。。。歌。。。?

どんな歌?プージャ(祈祷)のアルティみたいの?

 

夫「ううん、結婚の歌。その後皆でご飯食べるよ。」

 

突然言われて、何するかも分からないんじゃ、

私は何をしに行けばいいんですかーー?

 

夫「ご飯食べたら、すぐ帰ればいいから。」

 

(そんなもの?。。。でも、行かなきゃ。

お義母さんたちも準備してくれてるだろうし。)

 

 

明くる日。午後6時に夫が向かえに来たけど、何か(ストレス)でお腹を壊した私は、準備が出来てない。ウチを出たのは6時半過ぎ。それから郊外の義姉の家までバイクで1時間。開発途中で猛烈な交通量の国道を通るので、排気とホコリとモトクロスレースか?って凹凸の激しい道に、毎回フラフラになる。

 

 

分譲途中で畑の中に家が点在するだけの義姉の家の周辺は、北海道の郊外の町のよう。日の暮れた畑に蛍の光が点滅して出迎えてくれる。すれ違うのは帰宅する自転車やバイクだけ。1区画ほど手前の小さな商店に、いとこのカシーシ10才と、シャクサム5才が迎えに来てたので、拾って5人乗り!で家まで向かう。

 

義姉の家がやけに暗いなぁと思いながら到着。すると薄暗い門の中にぞろぞろ10人位の人影が。

 

何だろう?と思いながら、人影に「ナマステー。」と挨拶。まぁまぁ座ってと促されて座ると、義姉1、2、3の旦那さんたち、ちびっ子たちが大集合していた。どうやら目下停電中とのこと。家の中は暑いから玄関先のテラスで涼んでるらしい。

 

「プログラム」の演出かと思ったらw

 

家の中を覗くとあちこちにロウソクの明かりが灯され、お義姉さんたちが料理や部屋の準備中。どこか静粛とした雰囲気だった。テラスからは南の空に三日月と火星がキレイに見えた。家から出てきたお義母さんにご挨拶すると、温かい笑顔で抱きしめてくれる。

 

聞くとこの日の夕方、このお義姉さん宅に空き巣が入ったばかりだと言う。末っ子のカシーシが学校から帰ったら、誰かの気配がするので、そのままご近所のお宅に駆け込んで母親に電話。お義姉さんが旦那さんに電話して駆けつけてみると、部屋は物色され、金庫がこじ開けられていた。現金と宝石類がなくなっていたとか。

 

 

そんな話を聞いて、心が痛くなる。お義兄さんたちは夫と防犯カメラの設置について話をしている。そんな大変な日なのに、私たちのために集まってくれて、婚約式の準備をしてくれているお義姉さんたちやお義母さん、そしてどんなに怖い思いをしたか知れないカシーシ。その上停電までしてしまって、何だか申し訳ない。

 

 

いろいろな事が非日常で、これから何をやるのかも知らされていない私は、なるようになってくれるのを信じるしかないような、半分夢の中にいる気分。最後の最後にしつこく夫に「だから今日は何をするのって?」と小声で聞くと、「歌を歌ってご飯を食べて、指輪を交換するんだって」と。。。指輪って、初耳ですよ。

 

しばらくすると義姉1の長男サチン14才が、私と夫を家の中に招き入れ、入り口に立ってるカシーシの持つ水壺の中にコインを入れる様にと言われ、言われた通りにして中へ。ロウソクの灯りの中で、皆が私たちを囲んでニコニコしていた。すると時を計った様に電気が点いた。これが、夜通し続いた私たちの婚約式の始まりでした。

 

 

長いので②へ続きます。

割と長めのブログを書いてたら、

停電で全部消えた。。。!
 
仕方ないから諦めた。
 
電気が戻ってから今度は
メールの返事だけでもと思い、
書いてたらつい長くなり。。。
 
また停電!!!(T_T)
 
 
最近停電少な目なので
すっかりナメてたけど、
 
 
ここは問答無用の停電の国。
 
 
バッテリー壊れたラップトップで作業しちゃった私が悪い。日本から持って来たパワーブック、そろそろ出さなきゃいけないのね。
 
(停電で壊れたり、何でも壊す夫に触られるのがイヤでしまってた。)
 
もー、20年前じゃないんだから!
 
(当時はパソコン、バックアップなかった。)
 
 
ブログもまともに書けず、
メールのお返事も出来ずにスミマセぬ。
 
 
インフラも整わない環境なら尚更、
自分自身の気持ちを整えたり、
 
自分でできる範囲で、
通信環境を整えておいた方が
こんな後味の悪い思いは減るはず!
 
 
結局スマホのシムロック解除も自力で出来ず
(Yモバイル。オススメしません。泣)
容量がパンパンだったけど、
昨日SD入れたらアプリも沢山入って
出来なくて悩んでた事が一気に半減!
 
 
テクノロジーは偉大です。
開発途上国でこそ、身に沁みる。
 
 
次は太陽光で自家発電でもしようかな?笑
 
 
夫が買ってくれたバラの鉢植えが、停電時の話し相手。笑

また頭がおかしくなりそうなのは、
今の暮らしが合わなくなってるから、
そんな気がする。

言葉にしても聞いてもらえず。
一言辛いと言おうものなら
日本に戻ればいいじゃないって。

そうじゃないよ。
聞いてほしかっただけだよ。

でも何度も言われたら
本気じゃないって分かってても
傷つくものだね。

気晴らしに旅行に行ったり
もっと友だちを作ったり
好きなことを自由にしたり
したかっただけだよ。

頭がぐるぐるして来る。
頑張ったってダメな時ってある。
頑張り方が間違えてることも。
けど反省会さえも、もう遅いのか。



私は海王星1ハウス。
周りにも感情にも振り回される。
ラフーも1ハウス。
揺さぶられても、自分を死守する。
7ハウスに火星とケトゥー。
でも他者と関わりがないと、死にそう。
11ハウス乙女座の太陽と水星。
仕事人間なのに仕事してないと死ぬわ。
ASC蠍座。すぐ生き死に沙汰にする。笑
5ハウスに木星と月。
子供が好きな哲学センセイ。
9ハウスの土星。
仕事しろ!それか何かの役に立て。笑



頭の中の声が、今日は虐待気味だなぁ。
厳しすぎて、痛いくらい。
こんなに追い込まないといけないのは
何がどうなっちゃったのか。。。

一旦失望すると、とことん落ちる。
どのアスペクトが効いてるんだか。

パートナーであれ家族であれ
期待してはいけなかった。

自分で出せる結果だけを頼りに
一歩一歩、信じて行こう。

私の求める人生と
彼の求める人生が全然違うっぽくて
そうだよねー、笑えるくらい。

みんなみんな、未来に妄想してるけど
今日と明日、やったことの積み上げが
未来ってやつの正体でしょう。

だから、やってない事は実現しないし、
望まぬ未来が来ちゃう心配もなくて、
結果というだけ。

新婚って、無意識に
未来妄想が激しくなるのか。
私は今、正直楽しくない。笑
ウソっぽい未来の話はしたくない。

インドのお婿さんが
言わなきゃいけない台詞なのか、

幸せにしてほしいわけでも、
守ってほしいわけでも、
物を与えられたいわけでも、
楽な暮らしがしたいんでもない。泣

40年かけて、無茶苦茶な自分を
やっとこさ、幸せにできかけてた。
守ってもらわなきゃいけない生活、
それってベストな選択だと思う?
物なんてあっても、壊れて捨てるだけ。
誰でもできる事じゃなくて、
私にしかできない事を探してたのかもね。
(それぞれに役割があるじゃない)

家にいるわずかな時間で
向き合って話しても
言葉もうまく通じないし笑
忙しさと日常に逃げちゃって
怖いから、逃げちゃって
全然、何も変わってない。
キツいのに3年も同じことしてる??


彼なりに頑張ってるし、
若いのに頑張ってるし、
知らないのに頑張ってるし、
怖いのに頑張ってるし、

あー、何でこんなに頑張るんだー。。。
頑張らなくても良くなりたい、
そっちの方が自然で幸せじゃないのか。。

1ハウスのラフーが
「行きたい!生きたい!あれも、これも!」
ってアクセル踏むのを、
同じ1ハウスの海王星が
「いいじゃない。夢だよ。夢のままで。」
って、笑ってブレーキ踏んで来るのが、
私の人生なんだろうか。

そうだとしても、
突破できるアスペクトがあるはずで、
そこを学ばないと
占星術とかやってる意味もナシ。

ちくしょー。

悔しいから、やめられないじゃない。笑
 

私の誕生月、乙女座の新月がやって来た。インドで迎えるのは3回目。個人的に感じるのは、去年までとは流れが違うこと。何せ去年まではインドの暮らしが不安で億劫で、絶不調ばかりだった。孤独でもあり、落ち込むと中々抜けられず。

が、今年は違う!笑。飛行機を降り立つと恐怖でしかなかったデリーでも、その独特の魅力を楽しもうと腹を据えた。住んでるチャンディガールでも、不便さやないものねだりにフォーカスせずに、出来る事をしよう!と決めている。

去年はとことん内面を見つめる時期だったけど、今年は友達の輪(古い?)も広がっていて、ここチャンディガールに暮らす日本人の友達もでき、その存在を感じるだけでどんなに心強いことか。ずっとブログを読んで下さっている方々にも、日に日に感謝が募って行く。

過去からの問題やカルマに向き合う段階から、これからは、人間関係や実践で府に落として行く段階に入ったか?。。。希望も含め、入ってたらいいなー。

占星術での目に付く変化は、私のアセンダントの蠍座にいた木星が、次は射手座に移ろうって段階なこと。唯一無二の「自分」との密な関係から、他者とか社会との関係へのシフトは、この辺から来るような。


さて、先日はアパートのバルコニーを巡ってちょっとした面倒が起きていた。最近引っ越して来た同じ階の奥さんが、頻繁にウチのバルコニーに来て佇んでいたり、そのうち洗濯物まで干し出した。最初は「こんにちは!何してるの?」とか話しかけてみて様子を見てたら、「タイムパス(暇つぶし)してるだけ。」と言う。

インド人の「タイムパス」(インド英語)は、日本人から見ると際限がない笑。しかもココ、ウチのバルコニーですよ!←って言うのを、中々言い出せずにいて。

心が狭いと思われるかもしれないが、一度境界線を曖昧にすると、どんどん侵入してくるかの様に感じられるのが、インド人と私の微妙な関係。笑。特に「まあまあ、いいじゃない」気質だった私は、自らのなまぬるさ?で、折角友だちになれたと思ったインド人との関係も、最初にハッキリさせなかったが為に、修復不可にして来た。

本音を言えない関係は「友だち」とは言い難いのだ、どこの国でも。しかしインドでは話が早い。何故なら皆、本音を隠さずガシガシ来るから笑!友だちになりたいのか、そーじゃないのか?はすぐ分かる。こっちもスピード勝負!で積極的に働きかけなくてはいけない。まあまあしてる時間が命取り。

こちら(インド)の人のやり方も尊重しなくちゃ、と、去年までは思ってた。ある程度は住民のやり方を学ぶのは礼儀だろう。しかし今となっては、2年間さほど文句も言わずにきた実感もある。学んだのでこれからは、私自身の価値観を前面に出しても良いと多少は感じてる。インド人こそ、自分の居住スペースに侵入されて文句を言わない人はいないのだし。

で、ついにある朝勇気を絞り、ウチのベランダでダラダラしてるアンティーに、「ここは私たちが契約してるプライベートな居住スペースなので、あなたはご自分の居住スペースで作業をして下さい。」←みたいな事を穏やかに話して、英語ができる娘さんに訳してもらった。

そしたらその後、一切寄り付かなくなりました!笑

(なぁんだ、友だちになりたかった訳じゃないんだ。。。)って寂しさはさて置き、インドで権利を主張してみるってことの、ほぼ初勝利。私の軟弱な意志が、ちょっとは強くなった瞬間でした。←大袈裟か。





インドには最初、ヨガや信仰の形が見たくてやって来た。人間の「普遍的な幸せ」って何なんだろう?って。そしてどんな好奇心も、もう抑える理由もなくなっていた。

今のところはインドにも、ヨガにも、信仰にも、勝手に期待し過ぎていたことを日々思い知ることになり、勝手に失望しながら、また勝手に良いところを発見しながら、揺れながら、それでもゆっくりと、何とかここへ根っこを張ろうとしてる。笑


私は夫とよくお寺巡りに行く。昨日はヒマチャル州のシュリ・ニーナ・デヴィ(Shri Naina Devi)というお寺へ。ヒンドゥー教の神話では、シヴァ神の最初の奥さんが何かの争いで(ウロ覚えw)滅ぼされた時、全身のパーツがインド全土に落ちて散らばり、それぞれが聖地になってるんだけど、このお寺は彼女の「目」が落ちたと言われる所。

 


シュリ・ニーナ・デヴィ寺院にて。警官が参拝客の整理にあたる。日曜で、本尊を拝めたのはたった5秒ほど。

お寺は細い山道をバスとジープで大分上がった山の頂上にある。そんな立地であるのにも関わらず、参道から裸足で登って来た参拝者でお寺の入り口はごった返しており、インドで列に並ぶのが大嫌い(本気で押されるから!)な私は、恐怖の絶頂に。

そんな私を「僕ここに来るの9年ぶり!」とテンションの上がってる夫は、「守ってあげるから大丈夫」と盾になってくれたけど、何せ彼もインド人、多少は仕方ないと思ってるから隙だらけで縦横無尽に押されるし、とにかく私の神経の限界は超えた。

押し合いへし合い。横入りも何でもアリ。


先述の通り、パーソナルスペースの侵害には結構神経質な私。入り口に押し寄せる何百人って数の参拝客の様子を見てると、段々腹立たしくなって来る。

「どうしてこんなに必死に、人を押しのけてまでも神頼みに来るの?自分だけ良ければいいんですか?」って、ぎゅうぎゅう並びながら夫に文句も言いたくなる。夫はただ、困った顔してこっちを見てた。まるで「私」が困った人みたいに。。。?!笑

確かに他に誰も文句なんて言ってない。憧れの聖地に参拝できる喜びと興奮でいっぱい。ヒンドゥー教で生まれ育ってない私とは温度差があるのだ。きっと色んな苦労を乗り越えて来た思いが、前へ前へと来る熱意となって、グイグイやっちゃうんだろう。(基本インドって、列では必ず押して来ますね。)

私もお伊勢参りだったら大人しく並ぶかもしれないし。

人間の幸せっていうものには、本当に「色々」あるんだってこと、視野をこじ開けてよぉく見なくてはと思う。自分だけ、自分の家族だけを思う熱意も、「幸せ」を実感しているかの様に、高揚して感じられることだろう。

千人以上来ていそうな参拝客の中で、外国人は私くらいなものかもしれず、ジロジロ見られるやら、「私たちが先よ」という一押しを喰らうやら笑。一方でご本尊の前で仕えている方には、特別にパルシャートや聖布を頂いたりと、まぁ色々でとにかくハラハラする。

神秘の国インドには、私たちの知らない幸せがある。

そんな風に昔、漠然と思っていたことは、完全に間違いではないけれど、どんどん注釈が増えて行く。笑


山頂へ行くロープウェイもある。。。って手押しかい!w

確かに日本人の常識にはない強さ、熱意、素朴さゆえの、「信じる心」はある意味幸せだ。でもそれは、この場所で生きてきた人間として、家族や集団主義の安心感で、他を知らないが故の幸せでもあるかもしれない。情報がありすぎて迷いが多く、何を選んで良いか分からない私たちとはやはり、違うところも多い。

違うからこそ、夫の真直ぐさには癒されたりもするけど。

ヨガの神秘に憧れても、アーユルヴェーダの秘儀に惹かれても、占星術がまるで、幸せへの魔法のカギの様に感じていたとしたって、私の幸せは、私の中にしか存在しない。やっぱりね、だけど。笑

もう幸せ探しはお終いにして、私なりの幸せを自分で一から作って、できれば周りにも広めて行く時期なんだろうね。最近そう感じることが増えてきた。

どの様な幸せであれ「自分の幸せ」に素直で忠実でいられること、その自分軸のズルい程の強さは、インドの人たちから日々学ばせてもらっている。そのズルさ(強さ!ね)は、どこから来るのかな?自分だけじゃなく、他者(愛する人)を想う気持ちなんですかねー?と、ウスウス、感じてもいる。

 

 

人を愛することが、自分軸になる?

 

私には目新しいテーマである。
 

参拝の後は皆で食事。全て無料でボランティアの方々が提供。インドの素晴らしさ、信仰の本質を介間見ます。

北海道で地震ー!

 

昨夜FBの投稿を見てびっくり!

 

時差でこちらは11時台だったけど

 

午前3時に震度6なんて

 

どれだけ恐ろしい思いをしたか。

 

旭川の実家も母も大丈夫だけど

まだ電気は復旧していないみたい。

 

妹の職場も子供らの保育園も休園。

 

札幌の友だちの情報だと

スーパーやコンビニ、ガソリンスタンドに

長蛇の列ができてるみたい。

 

南部の安平町は孤立している様で

知り合いの民間ボランティアの方も

装備を整えて現地入りするとのこと。

 

私費をはたいて支援を募って

身を危険に晒してまでの救援活動

頭が下がるし、どうか無事でと願うばかり。

 

 

北海道の多くの地域では

普段ほとんど地震がなかったし

活断層は本州の方が多くて

こっちは揺れないって思い込んでた。

 

北海道内の発電所は、今は

発電を続けるのが危険な状態とか。

 

泊原発がもし、稼動していたら

そう考えるだけでも恐ろしい。

 

島という地理的条件もあり

もしも強い余震が続いたら。

色んな不安で、どんなに心細いだろう。

 

昨日は本州を襲った台風が北上し

めずらしく北海道でも嵐になった直後。

 

インドなんてこんなに遠くにいるので

ただ無事で、元気でと祈るしかない。

 

 

今年は火星の大接近、

天王星の牡牛座入り、

そして昨夜は土星の順行と、

占星術の世界でも

猛暑、地震、洪水などの

自然災害が多く予想されていた。

 

もちろん世界各地で災害は発生してるけど、

 

どうしてこんなに、日本で?!

 

そう思わざるをえない。

 

 

2020年オリンピックを迎える東京。

本当に大丈夫?って思っちゃう。

 

そんなことやってる場合じゃなく

災害防止対策とか

エネルギー問題とか

福祉とか

 

どうやったら国民がもっと幸せに

安全な環境で

誇りと生きがいを持って生きれるか

 

そういうことを問われている気がする。

 

昔から、天災は神からの啓示と信じられてきた。

 

その感覚はインドではまだ自然のもの。

 

科学とか経済で、天災は静まるのかな。

 

自然への畏敬を取り戻して、

先人の知恵を生かす謙虚さを持って、

 

自分たちの無知と愚かさを

真摯に謝罪し、祈り、改めたい。

 

地球を破壊してばかりの開発や発展から

地球と共存共栄する

持続可能な生き方へ

 

シフトチェンジする時なんじゃないだろうか。

 

ヨーロッパの自然エネルギー利用や

アジアの自然と共存する生き方から

日本はもっと学べるはずなのだから。

 

こんなことが頻繁に起こるのだから、

稼動している原発は止めた方が良い。

 

日本のみなさん、安全でいて下さい。

 

そういえば、「別れたいの?」と

面と向かって言われたのは初めてだったのぅ。

 

婚姻届が区切りだと思ってやって来たけど

次のステージが始まった感じって、これ?笑

 

日本で生きてきた様には、生きられないけど

少しでも早く良い方にって、正直焦ってる私。

 

でも、もっと時間をかけて、ゆっくり丁寧に。

というのは、2人で納得したところ。

 

国際結婚じゃなくても

2人の違った人間同士

パートナーシップに答えなんてなくてさ。

それぞれ日常をこなしながら、

よりよいものを目指すって

 

すぐに手に入る物が溢れて

すぐに答えの分かる時代で

気ままな独身だった私には、超持久戦。

 

「今日のところは、よしとしよう」って

執着を手放す練習も必要だ。

 

 

 

日曜は出かけたくて仕方ない私を察して、夫がバイクで1時間の隣町にある庭園、Yadavindra Gardens Pinjoreに連れて行ってくれた。18世紀のムガル帝国の王により、避暑地として建てられたムスリム様式の建築と広い庭、そして門の内装には色鮮やかな壁画。周囲は高い石塀で囲まれている。

 

避暑地で有名なシムラーへ向かう途中、背後にヒマラヤ山脈の迫る場所に現れるピンジョール庭園。

 

園内を歩くと、当時の貴族しか立ち入ることの出来なかった空間で、自然と王や王妃の気分になるような?確かにロマンチックなんだけど、いくら広大でも、私は城壁で囲まれた空間では気が狂うんだろうなー。笑

 

 

こんな北方にまでムガル帝国の影響が及んだのかーと、ワクワク。

 

 

帰りにマーケットに寄って、いつものミニスーパーで買出し。うちの近所には売ってない、パスタやオーガニック玄米、ヒマラヤ岩塩をゲット。本当に毎日3食カレーのため、今ではスーパーで買うものもそれ程多くない。(トイレットペーパーも近所にないから、違う場所まで買いに行く。)

 

あと、ずーっと探してた舌のクリーナーを、何故か歯ブラシの山の下から発見して購入。「舌苔」をそのままにしておくと良くないとヨガでも習うので、取り合えず習慣にしてみようと思う。

緑色しかなかったけど、よしとする笑。夫はニームの歯磨き粉が気になるらしい。

 

まだ季節は雨季の終わりでジメジメ、雨もぱらつく。だから思った様に洗濯が出来なかったり、それでも吹き込み続ける土埃りがこびりついた窓やドアの掃除が大変だったり。やることはキリがない。手洗いの洗濯も、泥の掃除も、日本では考えられない作業。冷蔵庫もないので痛んだ野菜を仕分けたり、夫がひとりでいる間に染み付いたキッチンの油汚れを落としたり。

 

この作業がいつか、何らかの実を結ぶ日って来る?

 

と、若干未来が見えなくなってくる。笑

(一応エコロジーとか目指してる)

 

ヨガで知り合ったドイツの友人にメッセージしてみると、「何を選ぶかは、あなた次第」って。そうなんだんだけどさ。。。でも彼女は彼女で、旦那さんがストレスで、八つ当たりして来るので嫌になってること、反対に打ち明けられたりして。パートナーシップって、どんなにラブラブでも、果てしない課題の連続なのかもなぁ。

 

 

今悩む暇があるんなら、洗濯物でも干すか。笑

 

 

でも母にも電話してしまった。私もインドに帰って暇になったのか、美術館でボランティアの仕事を始めたらしく、73才にして毎日忙しい母は、相変わらず元気。

 

母とはもっと色々話してアドバイスも貰いたいと思い、これまでプライベートな開示の少ない母子だったけど、ここ数年は私は歩み寄る努力をしてきたつもり。最近はどう思われて何を言われようと、母にはなるべく何でも話す。

 

でも少しでも「弱み」を見せて、「今日こんな事があって、大変だったー」とでも話そうものなら、すぐに「どんな計画になってるの?」「自分で選んだでしょう?」と、始まってしまうんだよねー。

 

確かにそうなんだけど、さ。。。

 

話しずらーっ!!笑

 

大分楽観的になったと思ったら、やっぱりまた例の心配癖。「大丈夫よ」「良いんだよ」「信じてるから」、そんな言葉は数える程しか聞かないんだけど。でも今はきっと、私の心がグラグラしてるのを、彼女は素直に映しちゃうだけ。

 

 

パートナーも親子も、自分の心を映してるだけ。

 

こっちも要らない「投影」を相手にしてたり

 

「真実」とかけ離れた思惑の幻想を見て

 

~と思われてる、~されてるって

 

いつの間にやら相手のせいになっちゃってたり。

 

でもそうなると、苦しいし、つまらない。

 

 

まぁインド生活テーヘンさに、またちょっと下降スパイラル気味だったのさ。それだけさっ。

 

 

少しずつ、自分を幸せにして行こう。

 

誰かに幸せにしてもらうのを待つ前に。。。

 

(できる範囲は狭くとも!笑)

 

 

大好きなコーヒーでも淹れて、日本から持って来た抹茶チョコ、夫も実家に行ってることだし、ひとりで食べちゃおう♪

大切な人ができると、それまでより臆病になる瞬間もあるのかなー?

私にはまだ、よく分からない。と言うのも今朝、3ヶ月ぶりに日本から戻った私に、夫がまた少し過保護になりかけてると感じた。

でも私は夫のことをあまり心配したこともなく、彼の将来が不安になって困ったりもしない。まだまだ健康そうだし。それに、彼の人生は彼の人生。夫婦と言っても、自己実現はまず、その人自身の課題というのが大前提。


一方で、夫の受けてきた教育も家庭環境も、私とは違ってる。彼の周辺の人々は、生まれた時から老いて行くまで、「○○として」という役割を演じる。子供として、長男として、夫として、父として。集団の中での立ち位置があり、欠かせない役割を担い、密な相互依存関係にある。

夫の家族は既婚女性は家事をするもの、という習わし。女性が外で職を得る価値など、取るに足らないもの。増してや一人旅をする女性など、誰も見たことも聞いたこともない。(新聞やテレビで見聞きする、性的暴行の被害者以外はね。)



夫が数日後、義兄の退職の儀式のために実家の村へ行くと言う。1泊2日だそう。「ひとりで留守番させてゴメン。必要なものは全部(食料等)買っておくよ」って。「大丈夫だからね」と。

「・・・・」

大丈夫に決まってるよね?たかが1泊2日。逆に何を心配されてるのか謎だった。

私としては、夫が家に居ないなら、この際どこかに行きたいなーと思ってた。それで去年から言ってたけれど、私の体調不良で実現してなかった、「ダラムサラにヨガの恩師を訪ねる」計画を再提案。
 

すると一気に、分っかりやすーく彼の顔色が曇る。しばらく視線を合わせずにいたと思ったらキッチンかどこかに行って、帰って来たら開口一番、

 

「君は僕と一緒にいたくないの?」と。
 

私「?。どういうこと?あなたが、私と一緒にいたくないってこと?」
 

夫「君が、僕と一緒にいたくないんでしょ?」

・・・・・

・・・・・

(会話が成立してません)


一緒にいたいと言うか、一緒にいるって決めたからわざわざ婚姻届も出したのに。何なの、文句があるならはっきり言ってと思い、


「私がダラムサラに行くことの何が心配なの?」って聞くと、

夫「結婚したら、女の人は一人旅なんてしないもんだよ」と。


おぉ?出たな、インドの役割分担制め、と、


「結婚してなかったら良いの?男は良くて女はダメなの?それとも、ダラムサラがダメでリシケシなら良いの?ヨガがダメなの?何が嫌なの?」と、思いつく限り聞いてみる。

 

夫「。。。結婚してるのに一人旅して何かあったら、誰が君を守ってくれるの?」

私「自分の身は自分で守ります。て言うか、あなたも守ってくれてるし?」

夫「だから、一緒にいなくてどうやって守るの?」

私「それって一緒に来てくれるってこと?」

夫「。。。僕はそんなに仕事休めない。」


(しばらく無言で朝食をつっつく2人。。。)




…って言う、不毛なやりとりの後の気まずい沈黙。。。この会話に関しては、私もかなり悪い。分かってゴネてる。だって価値観の丸っきり違う夫が一体何に苦悩しちゃってるのか、その真意を探りたかった。


きっと夫も混乱してるんだろう。前にも「家族も友だちも、誰も君みたいな突飛な事は言わない」って言ってた。経験のないことは分からないもの。でもねー、そんな自信のない事、それから他人の受け売りみたいな事言い続けてたって、日印同盟(ものの喩えです)の価値観の差は永遠に埋まんないよ。


夫「前に君が一人で長距離バスに乗った時、大変だったって言ってたよね?(セクハラ事件。いつか別記事で。)また同じ様な事が起こるかもしれない。

それに、少し前にも日本人女性旅行者が被害に遭ったばかりじゃない。」

私「。。。あの時は私、自力で自己防衛したんだよ。相手も半ベソで謝りたそうにしてたよ。キモチワルイから見ない様に逃げたけど。確かに被害に遭ってしまったら取り返しがつかないから、極力安全で人目のある移動手段を使って、知り合いが何人もいるダラムサラに行くんだよ?それでもダメなの・・・?」


夫「・・・・君は言い出したら聞かないもんね。日本にだって3ヶ月も行ってたばかりだし。帰って来たと思ったら、またすぐ行っちゃうんだね。」

私(日本に行くのは賛成してたのに、今更持ち出すか?)「あなたと一緒にいたくないって言ってるんじゃなくて。私が去年からずーっと体調が悪くて(妊娠流産×3)何処へも行けなかったの知ってるよね。ヨガがしたいの。体調整えないでインドで暮らす自信もない。どうして協力してくれないの?」


夫「家でヨガしてればいいじゃない。僕が助けようと思っても、いつも自分のやり方を通そうとするから、助けようがないよ。。。いいよ、行きたい時に好きな所に行けば。行っておいでよ。」


私(そんな風に言われて行けるかーい怒)



…と、あまりの平行線だった。お互いに、お互いの想いが汲めてない。。。そんなやり取りも、夫の出勤時間と共にお開きに。それで家の事をやりながらこのモヤモヤについて考えてみて、さっき何とな~く分かったことがある。


彼を心配させる行動をしてるのは、

やっぱり私なんだってこと。

 

問題は、私がそれをしたいかどうか?ってこと。

 

ヒマラヤの麓で育ったリンゴたち。夫の幼馴染からの差し入れです。甘酸っぱくて美味!



夫は、私がやっと日本から帰って来たことを手放しで喜んでくれた。文句なんて一言もなく。ただ元気でと見送ってくれ、お帰りと温かく迎えてくれて。この3ヶ月で別人の様に真面目に家事をする様になったし、毎朝ジムにも通ってる。休みの少ない仕事も、以前は辞めたいと言った事もあったけど、式を挙げた去年からは全く口にしなくなった。「責任感」が強いのは、断然彼の方。

私は、そんな彼の努力とか、口には出さない想いを、簡単に自分の要求だけで踏みにじってるのかもしれない。それに、彼が私に過保護になるのは、元々は私がヒンディー語もできず外出もままならなかったから。その後ずっと私の体調が悪かった時も、彼はいつも私を最優先して頑張ってくれていた。

あの頃は心配してもらわなきゃ何一つ出来なかったのに、元気になったらもっと外の事に気持ちが向いてしまうなんて笑。それはそれで健全だけど、やっぱり少しは反省しようと思う。


昼食を終えてから、いつものメッセンジャーで、夫にゴメンと言ってみる。さっきはあなたの気持ちを考えてなかった、と。あなたはいつも私のことを思ってくれてる、改めてそう感じたよ、って。彼は、何も心配しなくて良いって言った。




「心配」ってヤツは、やっかいな人だ。それは愛情でもあるし、取り越し苦労の場合もある。私は後者が苦手なの。ただでさえビビリーなのに、折角奮い立たせたなけ無しの勇気で、お願い、このまま飛ばせてよと思う。笑

でも、もう1人じゃないんだ、本当に。飛んで落ちたら、私は笑ってイテテテテでも、めっちゃ傷つく人がいる。ついでに自分を責めちゃうかもしれない。どんな理由があったとしても、それだけはして欲しくないもんね。


しばらく逃げてたお家ヨガとも、もう一度向き合う時が来た。笑
 

インド生活3年目にして昨日初めて、ここチャンディガールに住む2人の日本人女子と集まることに!

いやーーーーもう、
インドでこんな楽しい事あった????
ていう素敵時間でした。

1人目のKちゃんと出会ったのは、彼女がインスタグラムで「#チャンディガール」のタグ付き投稿をしてたのを偶然発見!ドキドキしながらメッセージしたのがきっかけ。何しろ在住日本人(特に女子!)なんて、観光地でもないこんなインドの地方都市には皆無と諦めて黙々と2年目のインド生活を送ってた頃だったから、半分夢だと思ったよね。笑

Kちゃんのチャンディガール生活はとっても前向き!彼女もしばらく日本人女子は自分1人だと思ってたらしいけど、それでも積極的にSNSやブログで発信し続けることでどんどんご縁が繋がって行き、何と日本人会として今では数名が集まる程に!優しい大和撫子風の彼女のどこにそんなバイタリティーが?といつも感心してしまう。

 

Kちゃんのブログはこちら↓

チャンディーガルで脱ぼっち駐在妻の生活


そのKちゃんが今回、3週間前にこちらに引っ越して来たというAちゃんと一緒に現れた。笑顔の素敵な明るいAちゃん。


そんなKちゃん、Aちゃんとまずは近くのフードコートへ。このブログではお馴染み、Subway で軽くランチ。素敵女子の2人がきゃっきゃと楽しそうにメニューを選んでいるのを見て、

ええなぁ~女子は。

と、しみじみしている自分に気付いた。その位、この街で女子(しかも日本人)が3人も集まって出かける機会って一切なかったもん。それにしてもAちゃん、こっちに来てひと月経ってないとは思えない馴染みぶり(可愛いインドのクルタ着てるし)。聞けば海外生活は長く、タイ、オーストラリア、その後がインド。

KちゃんとAちゃんは既に姉妹みたいに意気投合してて、打てば響くような会話っぷり。気付けばインド人ヤングの集うフードコートで、日本語で話しまくり、爆笑しまくりの3人でした。それから皆でKちゃんのご自宅に移動し、憧れの駐在員生活を絵に描いたようなお宅にて、日本からのお菓子を囲んでまったりティータイム。

あーーー、良い。

もうオッサンの呻きみたいな表現しかできぬ。

そこからノンストップで数時間、北インドの田舎街にリトル・トーキョー(て何?)でもオープンした?とばかりに、女子のお喋りは果てしなく続いた。Kちゃんと私はお互い、1人きりだと思ってた時期や、まだインド生活に馴染めなかった時期のこと(継続中?)思い出していたかも。Aちゃんが人生の新たな1ページにワクワクしている気分が伝わって、私は何だか初心に返るようだった。

そして何と言っても妙齢の女子2人、それぞれのライフ・ストーリーは色鮮やかで、可愛らしい外見からはちょっと想像だにしない程、波乱万丈。でもどこにいて何をしていようとも、自分たちの幸せを諦めない、底抜けの明るさと芯の強さは一貫してた。やっぱり、日本の女性たち。私はそう感じたかな。

それから、Aちゃんが言ってた言葉にキュンと来た。「私たちってスゴいね!だってそれぞれ、全く違った理由でインドに来たのに、こうやって出会って、何時間もお喋りしてるなんて。」

本当だね。もう、奇跡だよ(泣)

きっとKちゃんが声をかけてくれなかったら、私の「この世界に1人きり」感は悲壮さを増すばかりだったろう。下手なポエムも生まれない。こんなに素敵な友だちができて、助け合いながら楽しいインドライフが送れること。下町三丁目に引き込もってたら一生知らずにガンジス川(の支流ね)に流されて終わってた。(←1部誇張あり)

たとえ1つとして共通点がなかったとしても、日本人というだけで一瞬で繋がれてしまう程、私たちの祖国の懐は大きくて、温かい。

1人ぼっちのインド人妻になって2年、少しずつインド社会に受け入れられていく中でも、国や文化の「優劣」を基準にからかわれることもなかった訳じゃない。でも私は幸いなことに、自分の生まれを疑うことはなかった。それは日本人としての誇りを失わず、謙虚に内外に献身してきた先人や仲間たちのお陰。本当に私たちは恵まれている。

国際結婚しても、国籍は変わらない。奇しくも先日の婚姻届で私は自分の姓も変わらないと知ったばかり。そんな出来事はここインドでも、私は私のまま、誇りを持って生きて行けと言われてるよう(姓を変えても誇は持てます)。熱血教師だった天国の父なら、そう言って激励するだろうなと、ふと思ったり。

3年目の渡印から婚姻届が受理されて以来、義理の姉たちの家で初めてのラキ(義兄弟の絆を祝う祭事)をお祝いしてもらい、ようやくインドの家族全員から受け入れられ始めたことを感じたり、女神さまの夢とか見ちゃったり、アパートの大家さんが大人しくなってたりラッキーな事続き。

で、昨日の女子会!あの女神さまが心配せんでいいと言った意味は、これだった違いない。笑