毎週のように、電話があった。
私は、うんざり気味である。
時々、関西に出てくる、と言う。
私は、断るのに苦労した。
それから、毎月、銀座の松屋デパートから、額縁に飾られた版画が届けられた。
言うまでもなく、彼からである。
お金持ちの彼にとっては、余り意味がなくても、
私は、関西の有名なお肉を送った。
そうでないと、たまらなかった。
押しつぶされそうである。
私は、彼の好意に応えられない。無理なのだ。


私は、ユーモアとシリアスがいいバランスで、
内在している人にしか、恋愛感情を抱けない。
例えば、いい年をした私が、小学生みたいに
『アーメン、ソーメン、ヒヤソーメン』
何て言っても、一緒に、笑ってくれる人だ。
あるいは、立っている彼の後ろに静かに近づき、
『ワッ』と驚かしたりしても、それを許してくれる人。
または、冗談に応えて、
『ドテ』と私が言って、一方の肩を極端に下げる。
それを、一緒にしてくれる人。
Zは、私が、そんなことを、言ったり、することを、いやがるだろう。
ものすごく、いやがると思う。


さらに、きちんと、シリアスな話もできて、「ばかチン」でないこと。
ただし、見た目は、関係ない。
それを、職業としていない限りは。
偏差値も、関係ない。
私は、自分自身のことをかえりみず、
自分の好みは、頑固に押し通す。
『お前は、なんぼのモンじゃい。』と言われたら、一言も言い返せない。
少なくとも、過去は、そうであった。
今は、恋愛と言うのに、鈍感になっている。
何しろ、生活が第一である。
年齢的にも、少なくとも、私はそういう感情は失せてきている。


けれど、今、Zと会ったとしても、
私の答えは、変わらない。
息が詰まる。
これが、正直な感情だ。

お茶の後、私たちは別れた。
渋谷の駅で、彼は、私の切符を買ってくれた。
『また、連絡します。』彼は、私に告げた。
彼と離れて、私はホッとした。
何故か、窒息感があった。


ホテルに戻ると、友人の修子は、すっかり回復していた。
私は、修子に彼の話をした。
『気ぃ、つけんと、アカンで。
 世の中、いろんな人間、いるからなぁ。』


田舎に帰った次の週の夜に、彼から電話があった。
『今日、テンモク展に行って来たんだ。』
『珍しいですね、天目展なんて。』
『天目って、知ってるの?』馬鹿にしたような調子があった。
多分、彼は、私に天目のことを知らないと思って、
説明をしたかったに違いない。
『はい。天の目って書くんですよね。
 元々は、千利休が好んで用いた茶碗で、』
逆に、私は、彼に天目の説明をし始めた。その私の説明を彼はさえぎった。
『そうですね。
 あなたが、天目を知らないはずは、ないですよね。』
少し、がっかりした様子である。
彼は、その展覧会の内容を詳しく話した。
最後に、彼は、私を誘った。
『来週、関西に行こうと思うんです。
 会ってくれませんか。』
私にとっては、かなり、気の重い申し出であった。
『ごめんなさい。
 来週は、親戚の法事があるんです。』
『そうですか。
 あなたに会えないんじゃ、関西行きは、やめます。』
彼は、残念そうに、取りやめることを決めた。
法事は、嘘であった。


多分、自分が好きな人に言われたとしたら、
嬉しい言葉である。
私に会いに、東京から関西にやって来る、飛び上がりたいくらいである。
しかし、彼に対する私の感情は、それと異なる。
彼らは、はっきりと私への愛情の言葉を発しない。
遠巻きにジワジワと攻めてくる。
『僕の気持ち、わかってくれるよね。』
そんな風であった。
はっきり、言葉にしてくれたら、こちらも断ることができる。
それをしない以上、もしかしたら、それは、私の勘違いかもしれない。
私が勝手に、彼らが私に愛情を持っていると、思い込んでいる。
そういう可能性もあるのだ。
時々、私自身を責めることもあった。
自分では、気がつかないうちに、
思わせぶりな態度をとっているのではないか、と。

『それじゃ、いけないって言う人がいてね。
 父の友人が、今の会社に入社するように手配してくれたんだ。
 ”お金の問題じゃない。人間、働かなきゃダメだ。”なんて、
 必死に説得されて、仕方ないよね。』
彼は、今までの人生の一部を私に話し続けた。
彼のお母さんは、芸術家で、外国から招待されて、海外へ行く機会が多かった。
彼も、それに同行して、一緒に海外へ行った。
そこで、レディーファーストを覚えたらしい。
『すごく、格好よく、思えてね。
 ヨシ、完全に身につけよう、と行動パターンをつかんだりして。』
そういう家庭環境で育ったのであれば、
確かに、会社員の生活は、余りにもお粗末なのかもしれない。
それでいて、その母親の仕事を受け継がなかった。
彼の美的感覚も、母親の影響をかなり受けていることも、わかる。
だからこそ、私のような、くせのある人間を好むのだ。


彼は、余り、しつこく、私のことは質問はしなかった。
多分、そういう行為をいやがる女性が多い、と言うことも知っているのであろう。
私は、田舎が余り好きではなく、
東京に住みたいと考えていると、話した。
彼は、一瞬、顔が明るくなった。
『僕が力になれることであれば、何でもするよ。』
確かに、彼は、私の力になってくれた。
結果として、実らなかったとしても。


関西は、どこの町も水の多いところである。
私の田舎も例に漏れず、その一つである。
彼は、私に言った。
『僕の知り合いで、版画家がいてね。
 川の町ばかりを描いているんだ。
 確か、あなたの町もあった、と思うから、今度、送るよ。』
『いえ、いいです。
 そんなこと、せんどいてください。』
『僕が、したいんだ。』
強引な口調である。
それは、彼の容貌と合っていて、
私は、それ以上、彼の言葉に逆らうことは、できなかった。

彼は、名刺入れから自分の名刺を出した。
店の人に呼びかけて、ボールペンを借りた。
彼の男らしい風貌を、好きな女性は、多いだろう。
また、彼自身も、多くの女性を知っていることは、雰囲気でわかった。
名刺の裏に、電話番号を書き込むZの姿を見ながら、
私はそんなことを考えていた。
名刺の裏に、自宅の電話番号を書いて、
その名刺を私のほうにずらして、渡した。
名刺の上には、東証一部の会社名と営業部と書かれていた。
そこへ、注文した飲み物が運ばれた。
彼は、私に、『砂糖は、いくつ?』と尋ねた。
『自分で入れます。』私は答えた。
『いいんだよ。
 いい女は、じっとして、何もかも男にさせれば、いいんだよ。
 僕といるときは、あなたのことは、僕がするから。
 砂糖は、いくつ?』
『2つです。』
彼は、紅茶に砂糖を2杯分入れた。
『ミルクは?』
『全部、入れてください。』
彼は、丁寧にミルクを入れて、きちんとかき混ぜた。
そして、私の方にそっと、差し出した。
『連絡先を教えてくれるね。』
彼は、もう一枚、自分の名刺を裏返して、ボールペンを取った。
私は、仕方なく、自分の電話番号を教えた。
彼は、いろいろと話をした。
『平日は、どぶねずみ色のスーツを着ているから、
 休日は、いつも、軽い洋服を着るようにしているんだ。
 土日のいずれかは、ジムに通って、身体を作るようにしてるんだけど、
 今日、行かなくって、よかった。』
確かに、均整のとれた身体をしている。
『毎日、つまらない会社員とつきあっていると、
 本当に自分も、つまらない人間になっていくような気がするんだ。
 だから、休日は、自分をいろいろと鍛えようと決めているんだよ。
 身体とか、感性とか。
 恥ずかしい話だけど、僕は、20代後半まで働いたことが、なかったんだ。
 好きなことをして、一生、このままでもいいや、なんて考えてさ。
 ウチは、お金に困っていないし、特に無理して、働く必要もなかったし、ね。』
私は、本当のところ、彼の話のどこまでを信用していいのか、わからなかった。
しかし、彼の話は、嘘ではなかった。
後で、それは、証明された。

私が、恋愛感情を持ちえる男性は、極めて限定的であった。
その範囲は、かなり狭い。
Zは、その範囲には入らなかった。
それは、非常に直感的であり、出会った瞬間に、
私には、わかるのだ。
見た目がいいとか、悪いとかは、まったく、関係ない。
もちろん、見た目は、いい方がいいに、決まっている。
しかし、それが、判断基準の全てでは、ない。
また、知り合って、分かり合えば、好きになるという類の、
ものでもない。
馬鹿げていると思われるかもしれないが、
どうすることも、できないのだ。


初めて会ったZに、私があんな話をしたのも、
彼に何かを感じたことは、認める。
けれど、時間がたったとしても、
私は彼に恋愛感情を抱くことは、できない。


ゴッホの絵の前から離れる私に、彼は、まだ横に並んでいた。
私は、ホテルで具合が悪く寝ている友人のために、
絵葉書を買っていた。
彼は、その間も、私の後ろで、待っていた。
『これから、予定はありますか?』
彼は、私に尋ねた。
『別の美術館に行きます。』
『じゃ、渋谷のBUNKAMURAに、行きませんか?
 ○○展がありますよ。
 本当は、あなたと一緒にお茶でも飲もうと思っていたのですが、
 絵を観た方がいい。』
多分、私が断ったとしても、
彼は、私が行く美術館について来るだろう。
『わかりました。』
適当なところで、別れれば、いいのだ。
それから、彼は、改めて、
私の関西のイントネーションに気がついたように、
『関西出身?』と訊いてきた。
『はい。』
『旅行?それとも、東京に住んでいるの?』
『旅行です。』
私たちは、山手線に乗って、移動していた。
タクシーよりも、そっちの方が早いと彼が言ったのだ。
私は、ホテルで寝ている友人がいることを話した。
そして、夕食までには、帰る必要があると伝えた。
彼は、一日中、私と一緒にいたい様子であったが、
さすがに、それは、私は遠慮してほしかった。


BUNKAMURAは、人であふれていた。
遠巻きでしか、絵を観ることができない。
それでも、彼は、一生懸命、私に話しかけてきた。
その後、私たちは、近くの喫茶店でお茶を飲んだ。
彼はコーヒーを、私はミルクティーを注文した。