彼は、名刺入れから自分の名刺を出した。
店の人に呼びかけて、ボールペンを借りた。
彼の男らしい風貌を、好きな女性は、多いだろう。
また、彼自身も、多くの女性を知っていることは、雰囲気でわかった。
名刺の裏に、電話番号を書き込むZの姿を見ながら、
私はそんなことを考えていた。
名刺の裏に、自宅の電話番号を書いて、
その名刺を私のほうにずらして、渡した。
名刺の上には、東証一部の会社名と営業部と書かれていた。
そこへ、注文した飲み物が運ばれた。
彼は、私に、『砂糖は、いくつ?』と尋ねた。
『自分で入れます。』私は答えた。
『いいんだよ。
いい女は、じっとして、何もかも男にさせれば、いいんだよ。
僕といるときは、あなたのことは、僕がするから。
砂糖は、いくつ?』
『2つです。』
彼は、紅茶に砂糖を2杯分入れた。
『ミルクは?』
『全部、入れてください。』
彼は、丁寧にミルクを入れて、きちんとかき混ぜた。
そして、私の方にそっと、差し出した。
『連絡先を教えてくれるね。』
彼は、もう一枚、自分の名刺を裏返して、ボールペンを取った。
私は、仕方なく、自分の電話番号を教えた。
彼は、いろいろと話をした。
『平日は、どぶねずみ色のスーツを着ているから、
休日は、いつも、軽い洋服を着るようにしているんだ。
土日のいずれかは、ジムに通って、身体を作るようにしてるんだけど、
今日、行かなくって、よかった。』
確かに、均整のとれた身体をしている。
『毎日、つまらない会社員とつきあっていると、
本当に自分も、つまらない人間になっていくような気がするんだ。
だから、休日は、自分をいろいろと鍛えようと決めているんだよ。
身体とか、感性とか。
恥ずかしい話だけど、僕は、20代後半まで働いたことが、なかったんだ。
好きなことをして、一生、このままでもいいや、なんて考えてさ。
ウチは、お金に困っていないし、特に無理して、働く必要もなかったし、ね。』
私は、本当のところ、彼の話のどこまでを信用していいのか、わからなかった。
しかし、彼の話は、嘘ではなかった。
後で、それは、証明された。