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ウルブリヒトのメモ帳

建築、城郭、鉄道から街の地歴などなど

~前回より続き~
11倍に及ぶ豊中市の人口爆発は、業務も比例して増大させ、庁舎増床も必然的となってくる。
昭和37年規模のままでは、機能不全になったのであろう。

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で、新たに出来たのが、この第二本庁舎。平成4年11月完成とある。
高度経済成長期の庁舎に対して、こちらは、まさにバブル期のもの。
目立たないが、5階建てのなかなか立派なもので、とてもしっかりした造作である。
中層階が少し迫り出した構造で、逆に、上層階は後退して控えめである。

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国道に面した表の昭和庁舎に対して、奥まった場所に立つ平成の庁舎は、あくまでも脇役に
徹しているようだ。~上画像右端の横長の建築。

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つづいて第二庁舎の内部・・・、エントランスは、ちょっとしたホールになっていて、2F吹き抜けである。
緩やかな弧を描くカーテンウォールで内外が隔てられている。

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旧庁舎群とは、エントランスと同様のガラス張りの渡り廊下で、道路越しに接続されている。
と、以上ここまでが、庁舎建築としての雑感である。

さて、話し変わって・・・
よく、市役所って所には、唐突に変なモノが置かれていることが多い。
ここでも、幾つか見かけたので、ついでに掲載しておくことにする。

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見てのとおり、大気汚染状況表示盤おお、これは便利だなぁ!!
常に汚染されていることを前提にしているのだろう。
正直なところ、あまり数字だけを淡々と知らされても、全くピンとこないのだけど・・・

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玄関脇に、ロダンの『考える人』があった。ホンモノ?だとすればかなりの逸品。
市民の寄贈らしいが、全く目だってない。確かに、役所の前で考え込まれるのも・・・

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他に、兄弟都市の沖縄市か贈られたシーサーとか
姉妹都市サンマテオ市?から贈られたベルとか
も設置されていた。⇒(右画像)

ほとんど実用性の無いものが多くて、脈絡もない感じで
ある。

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よく、応接間や床の間に、妙な縁起物や観光土産
置き物をズラッと並べている家があるが
これに似た感覚なのかなと思ってしまうのだけど・・・

前回、突然、オイルショック&トイレットペーパー争奪戦を採り上げたが、
実は、豊中市役所庁舎を掲載したいがための、呼び水記事のつもりだったのだ。
(膨れ上がって個別の記事になってしまった・・・)
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その“トイレットペーパー争奪戦”の古戦場である豊中市ってのは、大阪市の北に隣接する
人口40万弱の地方中核都市である。ベッドタウンの性格も強く、日本発のニュータウン(当時)
である千里や、大阪国際空港(伊丹空港)などがあることでも知られている。


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では、早速。こちらは昭和13年竣工の旧庁舎。新築とはいえ、旧態依然の木造校舎の様な
建築。時、折りしも総動員体制下、資材制限が影響しているみたい。今はもう無い。

この豊中市、昭和11年10月に市制が発足した。市役所として最初に建てられたのが、
この庁舎だったらしい。ちなみに“豊中”とは、市域が豊島郡(てしまぐん)にあり、
その中心である、と言う意味から名づけられた、とのこと。単純。

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さてさて、興味を惹いたのは、この典型的ミドル昭和の庁舎。目下、バリバリの現役。
高い方が、第一本庁舎(現在の呼び名)、手前の低層建築が議会棟。
右奥に控えているのが、第二本庁舎。第一本庁舎と議会棟は、昭和37年5月2日の落成である。

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第一本庁舎
市役所で一番高く目印になる庁舎である。(それでもせいぜい8階建て)
1階がピロティと開放式オフィス。上層階が閉鎖式となっている教科書どおりのタイプ。

四隅の大柱が印象的だが、装飾を省いた味気ない外観。太い柱や、幅のある階層間隔は、
どっしり重たい印象を与える。西側(左側)は、西日を遮るためか、窓が少なく、8組のペア小窓
がアクセントになっている。

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個人的印象はこれ。このキャビネを連想してしまう。


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こちらは、議会棟
第一本庁舎とは、幅広の渡り廊下で合体されていて、内部も一体感がある。一階がピロティで、
議場が二階。こちらも教科書通りの、よくある構造。議場とあって、威厳のあるイメージは
外観からも推し量れるが、それでも他の庁舎と比べて、幾分、面白みがある。

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屋上を見ると、天井が一段高く上げてある。採光部か?その両耳がピンと跳ねられているのが
面白い。残念ながら議場内部は見学していないので詳細不明。

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第二庁舎側から見た議会棟


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昭和39年の様子~豊中市広報広聴課フリー提供

さて、この半世紀前の写真を見ると、現在と大きくは変わっていない模様だ。ただ、よく見ると
議会棟の二階にも、第一本庁舎と同じペア小窓が2組あったのが分かる。
国道176号に面した西側に、本庁舎と呼応したアクセントとなっていたようだ。

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だが、現在は連接したガラス窓に置き換わっている。(上画像右端の黒い窓)

“ありていに”言えば、昭和37の庁舎から受ける印象は“安普請”である。完成を急いだか、
建設費をケチったか、知らないが貧相な印象は拭えない。しかし、この豊中市、発足時と比べ、
昭和が終るころには人口が11倍になるなど爆発的に成長した街なのだ。

次回、『唐突に置かれているモノ~豊中市役所庁舎(その2)』に続く
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今から40年前の昭和48年10月6日。
この日、アラブ連合軍のイスラエル奇襲によって第4次中東戦争が勃発した。
寝耳に水の、この局地的紛争は、世界の先進国に予想外の凄まじい影響を及ぼすことになる。

10日後、戦争に乗じてOPEC石油輸出国機構は、原油公示価格をなんと70%も引き上げることを決定。
翌日の10月17日には、OAPECアラブ石油輸出国機構が産油制限を発表。
尚且つ、敵対する米、蘭などに禁輸制裁を決定した。

衝撃的発表は、高枕の先進国を一気に震え上がらせた。いわゆる“オイルショック”である。

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日本では、街の照明は消され、ガソリンスタンドは、土日休業、販売制限。
タクシー会社の倒産、物流停滞・・・
原料高騰の影響は製造業に、瞬く間に広がり、一気に物不足が深刻化した。

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これが更に、未曾有の物価上層を引き起こし、翌年には、消費者物価指数がなんと24%に
うなぎのぼり。狂乱物価”と呼ばれた。

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豊中市旭ヶ丘団地(1967)~UR都市機構撮影

消費者の不安のただ中、10月19日、中曽根通産大臣による紙節約の呼びかけが、民心の
不安をいよいよ高潮させ、11月1日午後1時、ついに発火!

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この時、豊中市千里ニュータウンのスーパー“大丸ピーコック”で、
「紙が無くならないうちに!」のトイレットペーパー特売キャッチコピーに、客が猛烈殺到したのだ。
凄まじい争奪戦繰り広げ、2時間で500個を完売。

これに治まらず、千里に端を発したトイレットペーパー争奪戦は、野火の如く日本全土に伝播した。
2倍の価格吊り上げも、焼け石に水。止め処も無く広がる消費パニックが日本列島を襲った。

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実はトイレットペーパーが無くなるのは、ひとり歩きした噂で、紙不足とは何らの実態を伴わないもの
あった。こうして、買占めた人々の住む団地室内には、トイレットペーパーがうず高く積み上げられる
結果となったのだ。戦後20年続いた奇跡の高度経済成長は、この年、こんな形で終焉した。


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鉄道記事が続くが、折角、用意していたので掲載してみることに。
去る5月12日に、山陽電鉄のアルミカー2輌+鋼製車1輌の混成編成を採り上げた。
これとよく似た構成で、かつて阪神に在った“シルバージェット”を思い出した。

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画像で、一目瞭然の混成編成。
2輌のステンレスカーと1輌だけ鋼製車の組み合わせ。昔、阪神本線の各停として走って
いた、とのこと。写真は昭和39年当時のもので、このかたちで、昭和50年代まで走っていたと
聞いている。
画像の手前2輌は、当時、阪神に2輌だけ存在したステンレス車輌。5201-5202
もう1輌の鋼製車とトリオを組んで、各駅停車の運用に就いていた。残念ながら乗り合わせた記憶
はない。

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当時の通常の各停用車輌は、写真の鋼製車で肌色と紺色の上下分割のカラー。
“ジェットブルー”とか“青胴車”とか呼ばれていた。

このシルバーの特殊版が“シルバージェット”と呼ばれていたそうだ。“ジェット”ととは、出力が強い
ということ。阪神線は、駅間がとても短いため、これに適した車輌の加減速の性能の良さを謳った
呼び名である。一部だが、今なお現役の形式である。

余談だが、このようなステンレス車体との混成編成は、同時代の東急にもあったな。

さて、1枚目のシルバージェットの撮影された場所に少しこだわって見たい。
写真に“西宮”とだけ説明があったので、推測してみると、場所は、西宮市産所町に違いないと見た。
西宮戎っさんの裏辺りで、国道2号線との間である。

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ここが、推定場所近くの現在の様子。今は、高架化されていて、家も変ってしまって見る影も無い。

ただ、昭和の写真では後方に建設中の大型建築が見える。これは、現在、NTT西西宮支店
のようである。今でも大枠はそのままな様だ。通信塔の軸位置が、建設中の様子からも伺うこと
出来る。これが無いとちょっと特定も難しかった。

終わり

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なかなか温めている連載に移ることが出来ない。先だって行ってきた美術展を掲載しておく。
「リヒテンシュタイン~華麗なる侯爵家の秘宝」
内容は、まさに、そのままタイトルを読んで字の如く。

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★リヒテンシュタインと言えば・・・

ヨーロッパのミニ国家として知られているが、もともとオーストリア、ハプスブルグ帝国の大貴族。
現在は、スイスとの間に所領をもつ小国だが、かつては、現在のチェコにも領地を得ていた名門
だそうだ。20世紀初頭までは、ウィーンや領地に、宮殿や城を4つも所有し、美術工芸品の
大コレクションを形成した。その珠玉を日本初公開として披露する美術展であった。

なので、展示品は宮殿を飾る用途のものが大半で、豪華絢爛たるもの。とても大振りで見栄え
のするものばかりであった。宮殿内の様子を再現するようにも展示され、ヨーロッパの宮廷
雰囲気に堪能したい人には打って付けのものだった。

絵画美術史としては、
触れ込みの通り、最後の部屋のルーベンスのコレクションは価値があった。バロック期の
フランドルや、オランダ絵画が充実していて、ブリューゲル一族や、レンブラントもあった。
個人的に良かったと思ったのは、フランスハルスの、男性ポートレートだった。~おわり~