高度成長が終わり、トイレットペーパだけが残った | ウルブリヒトのメモ帳

ウルブリヒトのメモ帳

建築、城郭、鉄道から街の地歴などなど

イメージ 5

今から40年前の昭和48年10月6日。
この日、アラブ連合軍のイスラエル奇襲によって第4次中東戦争が勃発した。
寝耳に水の、この局地的紛争は、世界の先進国に予想外の凄まじい影響を及ぼすことになる。

10日後、戦争に乗じてOPEC石油輸出国機構は、原油公示価格をなんと70%も引き上げることを決定。
翌日の10月17日には、OAPECアラブ石油輸出国機構が産油制限を発表。
尚且つ、敵対する米、蘭などに禁輸制裁を決定した。

衝撃的発表は、高枕の先進国を一気に震え上がらせた。いわゆる“オイルショック”である。

イメージ 1

日本では、街の照明は消され、ガソリンスタンドは、土日休業、販売制限。
タクシー会社の倒産、物流停滞・・・
原料高騰の影響は製造業に、瞬く間に広がり、一気に物不足が深刻化した。

イメージ 3

これが更に、未曾有の物価上層を引き起こし、翌年には、消費者物価指数がなんと24%に
うなぎのぼり。狂乱物価”と呼ばれた。

イメージ 4
豊中市旭ヶ丘団地(1967)~UR都市機構撮影

消費者の不安のただ中、10月19日、中曽根通産大臣による紙節約の呼びかけが、民心の
不安をいよいよ高潮させ、11月1日午後1時、ついに発火!

イメージ 6

この時、豊中市千里ニュータウンのスーパー“大丸ピーコック”で、
「紙が無くならないうちに!」のトイレットペーパー特売キャッチコピーに、客が猛烈殺到したのだ。
凄まじい争奪戦繰り広げ、2時間で500個を完売。

これに治まらず、千里に端を発したトイレットペーパー争奪戦は、野火の如く日本全土に伝播した。
2倍の価格吊り上げも、焼け石に水。止め処も無く広がる消費パニックが日本列島を襲った。

イメージ 2

実はトイレットペーパーが無くなるのは、ひとり歩きした噂で、紙不足とは何らの実態を伴わないもの
あった。こうして、買占めた人々の住む団地室内には、トイレットペーパーがうず高く積み上げられる
結果となったのだ。戦後20年続いた奇跡の高度経済成長は、この年、こんな形で終焉した。


イメージ 8
イメージ 7