前回①で紹介した、お二人の会話をもとに廃線跡を歩いて見ることにした!

能勢電鉄 国鉄前線(公式には妙見線の一部)
川西能勢口・川西国鉄前
駅間距離:744m 途中駅なし
開通:大正6年
廃止:昭和56年12月20日


●川西能勢口 中心地が移動


もともと、川西能勢口駅は、東側が表で、その東口に阪急と能勢電の二つの改札口が並んでいた。
駅前周辺は、商店がならび、南の176号線までは、アーケード商店街もあって賑わいを見せていた。

そもそも川西の本来の中心地は、駅の東側で、川西市役所がここにある理由からも頷ける。
つまり、池田の中心部から見て、猪名川の西対岸の場所で、そのまま川西という地名になっている。

平成8年に、能勢電ホームが高架になって、阪急と共に一体型の効果駅が完成。
駅の位置も、西へ180m移動した。
現在の川西の繁華街は、駅の南北にあり、特に南に接続しているアステ川西は、阪急百貨店も入り、
規模も大きく人の多く集まるところとなっている。
連続立体交差事業による駅の変化で、街全体の様子が一変した。

●中央町交差点

中央町の交差点は現在、高架駅のガード下になっている。交差点の上はホームに位置している。
地上駅時代は踏切で、ホームはそれより東にあった。
中央町踏切は、阪急宝塚線と能勢電国鉄前線のそれぞれ、二つあった。
国鉄前線は、川西能勢口駅を出てこの中央町踏切を越え、西友の前まで、真っ直ぐ西に向いて走る。
阪急宝塚線は、南側にワンブロック置いて、盛土の上を宝塚へ向けて登っていく。

●しぶとい西友

さて、会話の中にやおら登場する西友ストアーだが、この西友川西店は今現在も当時のままに健在である。
地上駅時代は、駅から西へ200m以上も離れていた立地条件だったが、今となっては駅の方が近寄ってきて、正真正銘の駅前スーパーになった。残っている理由は、ラッキーな境遇によるものだ。
まさに、「座して機運到来を待つ!」

●モニュメント

この西友の南西側に、この国鉄前線を偲ぶモニュメントがある。
線路に乗った車輪のモニュメント。
近くのマンホールには、現役時代の写真がはめ込まれている。

こんな住宅地の中に鉄道線があったなんて、お二人のように当時を知らなければ、
想像できないほどの変化。モニュメントが、かろうじて記憶を繋ぎ止めている。







モニュメントのある場所から、急にカーブが連続しだす。
阪急宝塚線をくぐり抜けて、河岸段丘の下に沿って、
そのまま川西国鉄前駅まで湾曲が続く。
丘の上は、花屋敷から続く、閑静な住宅街となっている。







●川西国鉄前駅の謎

カーブを400mほど走ると、終点の川西国鉄前駅に到着する。
駅のあった場所は、今は住宅街に挟まれた道になっていて、なんら痕跡は残っていない。
信号を渡れば、今のJR川西池田駅である。

実は、川西国鉄前と言う駅名をそのまま信じてしまうと誤解してしまう。
当時の国鉄川西池田駅は、西へ400mほど離れていて、とても駅前とは言えない。
乗換え客は、ここで降りて、まだ数分線路沿いに歩かなければならなかった。
もし今でも、駅があれば、ちょうど現在のJR川西池田駅前になるので、
文字通りの駅前になるのだが…皮肉なものだ。
●なぜ、こんな中途な所が終点だったのか?

国鉄に接続するのが目的の連絡線であったが、福知山線の乗り換え客のためでなく、平野から採取していた三ツ矢サイダーの運搬が主目的だった。
当時、この場所に貨物ヤードがあり、ここに接続してサイダー輸送をしていたのである。貨物ヤードのあった場所は、現在のJR川西池田駅とロータリーになっている。
●現在の接続

Hさんの言う通り、現在川西能勢口とJR川西池田は、ペデストリアンデッキで結ばれている。
アステ川西を間に置き、地上に降りることなく移動できる。
デッキは、屋根付きで、確かに雨でも傘なしで大丈夫そうだ。
下からは、源満仲公が、まさにデッキに駆け上がらんとしている。

廃線跡をちょこと歩くつもりだったが、対比のため過去を調べると、その激変ぶりに驚いた。
過去を知らなものにとって、一枚一枚、覆いかぶさっている時間シートを剥がして
発掘していくような感覚だ。
連続立体交差事業や再開発事業とやらか、分散していた駅を集中させて、市の中核を生み出す。
見事な発展ぶりと言うべきか。思い切ったやり方だな。
個人的には、なんとなく立川に似た感じがする街と思った。

(某) どちらから来られてるんですか?
(H氏)
私は、阪急宝塚線の川西能勢口からですわ。
(某)
えっ、私も川西能勢口やったんですよ。
(H氏) ほな、同じですね。
(某)
いや、そりゃ、もう以前のことで、今は、東大阪市内ですねん。
前は、川西能勢口におったんですよ。
もう、20年近くも前になりますけどね。懐かしいですわ。
引っ越してから、一度も降りてないんで、今は、結構、変わったんでしょうな~

高架になってから、すっかり変わりましたわ。
(某) 私が居てる頃は、まだ地上の駅でしたね、踏切があってね…
駅前に確か、ジャスコがありましたよね。
(H氏)
ええ、今はイオンに建て替わってます。

(某)
西友ストアもありましたよね、
あっこに、よう行ってましたわ。
(H氏) 西友は、今でも、しぶとくありますわ。
(某) へぇ、まだあるんですかぁ。
そうそう、その西友の前を、国鉄線との間に1両運転で走ってましたっけ。
私がいる時に無くなったみたいですけど、走ってたの覚えてますね。

(H氏)
あぁ能勢電の国鉄前線ですね。
走ってたのは、50型ですわ。青と白のね。
最後は、本数もちょっとでしたけど、よう頑張ってましたね。

(某) 今はどうなったんですか?
(H氏) 今は、阪急とJRの川西池田が、ペデストリアンデッキで、つながってるんですよ。
乗り換えも、地上に降りんでも行けるようなってて、結構、大勢歩いてますよ。
(某)
でも、あそこ、かなり距離ありませんか?
(H氏) JRの駅は、もともとの場所から400m移転させましてね、
昔より、阪急に近こうなってるんですわ。
阪急が高架ですから、そのままアステ川西抜けて、デッキでJRまで、雨でも傘ささずに
歩けるようなってるんですよ。

(H氏) 再開発事業でね、歩いて連絡できるようにしたんですな。
駅前は根こそぎ、立ち退き食ろうて。今は、能勢電沿線の方に、人が増えましてね。
能勢電も高架になってから、阪急から直通特急が乗り入れて来よりますからね。

(某) へぇ能勢電に特急ですか?
(H氏) 日生エクスプレスですわ。
梅田と日生中央を直通してます。相互やのうて、阪急の車輌が一方的に入る形ですけどね。
(某) 能勢電にどうやって入るんです?
(H氏) 今は、阪急と能勢電のホームが一緒に並んでるんでね、梅田から来たのを、能勢電のホームに入れて、そこで折り返しよるんです。でも、8両編成でしょう、そのため能勢電の途中駅もホームを延長させたんですよ。
(某) あ、時間ですね。もうそろそろ行きましょうか…
【その4】 新たに判明!& 結局不明?
さてさて、少し時間が空きましたが、新たな判明もあり、まとめて最終回!
ボールが山を飛び越えた!?
新たに判明!【灘区の補足】


サッカー部のボールがグランドから飛んできて、校舎横の園まりに当たるシーン。

このグランドは、灘区の展望スポット丸山公園であることが、ようやく分かった。

そして、園まりに当たる場所は、神戸大学の兼松館であることも判明!
これら二か所は異なる場所なので、巧みに編集されているか、もしくは、ボールが丸山公園から、
長峰と都賀川を遥かに1kmも飛び越えて、神大キャンパスまで飛ん行ったのかもしれないなぁ…?
ここが、神戸女学院?
【その3】の補足

現地に行って気付いたことだが、実は、神戸女学院を模して作られたセットがあるのだ。
つまり、スタジオ撮影が多く含まれているのだ。

セットは、例のヴォーリズ建築にそっくりに似せているので、注視しないと、
本物の神戸女学院と区別がつかない。セットは、教室と窓越しに続く中庭のエリアで組まれている。

教室は、授業風景や、オープンリールのテープデコーダーを聞くシーンなど何度も使用されている様子。
中庭エリアは、学園祭の模擬店オープン喫茶が印象的シーンだ。
現地に行ってみることで、逆に存在しないことも分かってくる一例だ。
おことわり
伊東ゆかり達の神戸デートシーンで、神戸港第一突堤、六甲山牧場が登場する。
しかし、神戸では昔より定番のロケ地であり、それを伝えるものは他にも豊富にあり、今回は割愛した。
特定に至らず!
結局、いまだにわからないロケ地があり残念でならない。


高島忠夫演じる飯田先生の家と、公衆電話ボックス(撮影用の大道具)が置かれた表通り。
これらは、映画内では、先生の自宅周囲という設定だが、おそらく離れた場所を編集してある模様。


ただ、該当する道や地形が特定困難。どうやら区画整理か、マンション化などで、
すっかり様変わりしてしまっているものと思う。
犬病院や質屋の看板も手がかりになるかと思ったが、結局、特定できなかった。
甲陽園から甲東園辺りのエリア? ないしは、灘区の篠原辺りかな?
おわかりになる方があれば、是非お教えくだされ。

さて、4回連続ものでしたが、「特定して、どうなる!」と、お思いでしょうが、
これも自己満足の世界・・・、最後まで見ていただいた方に感謝し、終わりとします。


いや~、ほんとうに、驚きましたね。
今は、全く変わってしまっているロケ地。
当時とそのままの場所。本当に両極端ですね。
しかも私も出演していたんですね!
ロケ地どころか、映画に出たことすら思い出せないんですよ~
では次回ご期待ください!
