昔やっていたとあるゲームで、「このゲームは努力が報われちゃうからダメなんだよなー」なんてことを思ったことがあります。
この言葉、感覚的には今もその通りだと思っているんですが、理屈で考えると「なんで?」となる。
努力が必ず報われるようになると、努力を必ずやらなければならなくなり、結局それがストレスになるから?
いや、問題はそこではないな、という感じがするんです。
なんというか、努力ではどうにもならない、運としか呼べない要素があったほうが面白いんだよね、というのが私の感覚になる。
なにもかもが運だとそれはそれで面白くない感じもありますが、全部が努力次第でなんとかなることだと、それは違うんじゃない? と思う。
しかし、なぜそう思うの? がいまいちわからないので、いつものように心に聞いてみます。
「努力は支配やからや」
実にシンプルで一刀両断な答え、これだから心に聞くというのは楽しい。
ん、でも全ての努力が支配になるの? と聞くと、「やりたくないことを頑張るのが努力、んでそれは支配や。好きなことを続けるのは別に努力やないからな」だそうです。
ただ、たとえばゲームの場合、努力の要素が全くない、全部運で決まるのはつまらないと思うんだけど――と聞こうとして、勘違いに気づきました。
そもそも、努力の対義語を運と置くのがズレている。
今、心が言ったように、好きなことを続けることは別に努力じゃないし、その結果得られるものは当然ある。
だから、努力しないと全部が運次第になる、わけがないのです。
そういや面白いゲームの場合、ただ楽しく遊べて、そうしているうちに勝手にうまくなったりするよな、と改めて気づく。
ああそうか、最初に取り上げたゲームについては、その中でやってることを「やりたくないけどやらなきゃいけないこと=努力」と感じていたから、そういうふうに思ってたんだ、と今になって謎がかなり解けました(全部解けたかはわかりません)。
ちなみに、自分のやりたいことを見つけるのが大事! とはよく言われますが、やりたいことがよくわからない場合のメソッドとして、逆にやりたくないことを考えてみる、というのがあります。
仕組みはよくわかりませんが、プラスよりマイナスのほうが意識しやすいというのは確かにあり、そうやってやりたくないことを挙げていくと、そこから外れたところに自分のやりたいことが見えてきたりする。
努力して続けていることと、努力せずに続けていること、その違いもそういうところにあるのかな、てなことを思ったんです。