日本のアニメ映画「となりのトトロ」や、「モモへの手紙」などを見ると、大人には見えないけれど、子供には見えるものが描かれています。
映画の中では、それはトトロであったり、猫バスであったり、妖怪であったりするわけですが、私はそれが何かを象徴しているのではないかと思っています。
結論から言えば、私は、大人に見えなくて、子供に見えるものはワンネスではないかと思うのです。逆に、子供に見えなくて、大人に見えるものは境界線だと思うのです。
もちろん子供にもよりますが、子供は大人以上に自由に様々な人とコミニケーションを楽しむことができます。例えば、小学生を見ていると、男の子だろうと女の子だろうと分け隔てなく一緒に遊んだり会話したりする姿がよく見受けられます。しかし、大人になると、様々な境界線が見えてきて、なかなか自由にコミュニケーションを楽しむことが難しくなってくるようです。
先程の映画に話を戻すと、子どもたちは現実の世界だけでなく、現実の裏側にある世界まで見えることを示してるように思います。つまり、子どもたちは現実の世界とその裏側の世界の境界線を越えて、自由に両方の世界を楽しむことが出来るように思うのです。
実際に、子どもの中には真剣に妖精の存在を信じている子どもがいます。また、テレビの中の主人公と現実の自分との間の境界線を飛び越えてしまう子どももいます。もちろん、それも良し悪しがありますが、子どもには境界線がなく、自由に生きることが大人に比べて比較的たやすいように感じます。
いってみれば、大人に比べて子どもは、現実の時空を超えたワンネスを生きている傾向が強いのではないでしょうか。
以前、エックハルト・トールさんは、「ワンネスは愛である」と言ったことがあります。
そうすると、大人に見えなくて子どもたちに見えてるものは、深遠な愛なのかもしれません。
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子どもに見えなくて
大人に見えること、
境界線
大人に見えなくて
子どもに見えること、
ワンネス
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オーストラリアより愛と感謝を込めて
Tsunehiro Nonaka