宇宙わくわく共創局・オーストラリア支部(目覚め課)

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                       こんにちは。モナカ寅次郎です。


私のミッションは「つなげる」こと。厳密にいえば、すべてはすでにつながっているので、その「つながり」に目覚めるお手伝いをすること、あるいは、「つながり」を深めていくお手伝いをすることです。


そのために、私はさらに日々精進し学んでまいります。そして、そのささやかな学習体験をみなさんにシェアしていきたいと思います。そして、特にDrディマティーニの教えを少しでも世界に日本に広げることで、さらに「目覚め」を精力的に進めて行きたいと思っています。$宇宙わくわく共創局・オーストラリア支部(目覚め課)
 
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変は変のままでいい?!



私は人からあなたは変だと言われることが時々あります。あなたはどうですか。

もし、あなたが人から変だと言われたらどのように感じますか。もちろん、時と場合とその内容にもよると思いますが、大抵の人は心地よく感じないのではないでしょうか。

例えば、他の人々が何か人々の幸せに貢献するようなことをしていた時に、1人だけそれに反するようなことをしていたら、その人のことを変だと思う人は多いでしょうが、あなたがその1人だったらどうしますか。

また、他の人がみんなで一緒に楽しんでいるのに、1人だけその集団の話から出て、1人だけで何かをしていたら、その集団はあなたのことを変だと思うかもしれません。もし、その1人があなただったらどうしますか。

「いや、私はそんな人間じゃないよ。私はいつも他の人の幸せに貢献するようなことをしているし、いつも誰かとつながっている」

とおっしゃるかもしれません。しかし、その前提には、人の幸せに貢献しないことをすると悪い、あるいは、1人で集団から離れていると悪いと言う前提があると思います。

その前提は本当に賢明な認識なのでしょうか。例えば、他の人の幸せと言ったらどんなことを思い浮かべますか。例えば、多くの子供たちはチョコレートや飴などの甘いものを食べると幸せを感じます。多くの人たちは子供たちに甘いものをあげたりしているようです。しかし、だからといって、子供たちに甘いものばかりを与えていたら、その子はやがてその習慣が身に付き、どんどん他の人から甘いものをもらうことを期待し、体重を増やし、それが病気につながるかもしれません。

また、1人で生活していたとしても、その1人の生活の過程が、自分の内面を深く見つめ直すことにつながり、そこから今ここに立ち上がる未来の種を発見し、何かの創造的な活動に結びつくかもしれません。古今東西の多くの芸術家たちは、こうした世間から離れた届くの時間の中で、様々な傑作を創造しているのです。

このように見てくると、人から変だと思われること、人柄違うと思われるようなことをしても、時と状況と場合と内容によっては、それがポジティブにもなるし、ネガティブにもなったりするわけです。

したがって、ある特定の人間を変と決めつけて、ネガティブに捉えるのは、1年的な認識だと言えるかもしれません。

最近、私の中でマイブームである「リンチピン」(自分の価値観を最大限に生き、人々の生活に変化をもたらすアーティスト)ですが、リンチピンは他の人と違うことを恐れません。。他の人がマニュアルに沿って生きていたとしても、マニュアルにコントロールされることなく、自分独自の道を歩み、他の人々の生活に新しいものを生み出し、様々な問題を解決し、新しい次元の生活空間を作り上げていくのです。

今日のように閉塞感が高く、さらに先行き不透明な時代においては、これまでと同じことを繰り返しては道が開けないのです。むしろ人から変だと思われても、自分の価値観を最大限に生き、自分なりのアートを見出していくことが、生活を前に進める1つの方法であると確信します。

オーストラリアより愛と感謝を込めて。
野中恒宏

リンチピンとしての生き方



私たち一人一人は、気づいていようといまいと、誰にでも才能があります。しかし、その才能に気がつかない最大の理由は、スペースがないことのようです。

どういうことかと言うと、世界的に素晴らしい才能を示している人たちをつぶさに観察してみると、彼ら彼女らにはスペースがあると言うことです。それは、物理的なスペースであり、さらに精神的なスペースでもあります。

ではなぜスペースが必要なのでしょうか。才能と言うのは、いきなり一回のアクションで生まれてくるものではなく、何度も何度も繰り返して同じアクションまたは似たアクションを繰り返すことによって発現してくるものだからです。

ベートーベンであっても、レオナルドダビンチであっても、葛飾北斎であっても、エジソンであっても、その天才的な能力は、1回の行動で生まれてきたわけではありません。特に、エジソンの何千回にも及ぶ失敗の話は有名なものです。エジソンは、1回回失敗することに、成功に近づいていることを確信していたようです。つまり、そうしたプロセスの中で初めて才能が開花してきたわけです。

しかし、今日の私たちは忙しく騒々しい毎日の生活の中で、マルチタスキングを要請されながら、心の中にも物理的にもスペースを感じられない日々を送っている人が少なくないのではないでしょうか。

私自身も、自分の好きなこと、最優先事項のことであるはずの「教えること」あるいは、「学ぶこと」であっても、自分にスペースがなければ、相当に自分を追い込んでしまい、素行も雑になることに気が付きました。最優先事項であれ、優先事項の低いことであれ、自分にとってスペースを感じられることがとても必要だと言うことを理解しました。

特にスペースは大切だと思います。このスペースがあることによって、単に休んだりリラックスしたりエネルギー補給できたりするだけでなく、そのスペースのおかげで、私たちはより創造的なアイディアが浮かんできたり、新たな行動を移すことができたりするわけです。

さらに言えば、こうした発想の根底には「リンチピン」と言う考え方があります。あまり聞き慣れない言葉かもしれませんが、これは今日社会が求めている人材と言えるかもしれません。すなわち、従来の人材は、まるで機械の歯車のように、毎日決まったことだけを繰り返し、マニュアルに沿って従順に動くことが求められていました。しかし、20世紀に入り、特に予想もつかない世界が展開してる中で、これまでのマニュアルが通用しない段階に来て、こうした歯車的な生き方は求められないわけで、自分で地図を描きながら前に進むような新しい人材、すなわち「リンチピン」としての生き方が求められるようになってきたわけです。

この言葉がよくわからないと言う場合は、この「ピン」に注目してください。これは「ピンどめ」とか、ピンと言うことからもわかるように、何かに突き刺しものです。これは他のピンと置き換えが可能なもので、それ自体にはあまり価値がありません。まぁ、釘や杭みたいなものと理解していただいてもいいと思います。つまり、日本には「出る釘は打たれる」とか、「出る杭は打たれる」みたいな言い方がありますが、このリンチピンと言うのは、思いっきり「出る杭」あるいは、「出る釘」なのです。

「じゃぁ、どんな人と違うことをして人に迷惑をかけてもいいのか」ということを思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、決してそうではありません。この「リンチピン」の役割は、既存の問題を解決し、新しい世界を創り上げることにあるからです。

想像していただければわかるように、この生き方は、他の人と違うことをするわけで、それなりの勇気や不安を打ち勝つ力が必要です。

先ほど、自分の才能を発揮させるためにはスペースが必要だと言う話をしましたが、リンチピンは自分で意識的に自分の不安や恐怖を克服しながら、スペースを創り出せる人だと思います。

そして、その自ら意識的にスペースを作り出す習慣を続ける中で、どんどんリンチピンは才能を発揮していくのです。

したがって、自分に才能がないことを人のせいにしたり、あるいは精神的な余裕や物理的な余裕がないことを他のせいにしたりするのではなく、自分からスペースを作り出し、これまでのコンフォートゾーンを抜け出し、何か新しいことをして、自分の身の回りや社会に変化を起こす「リンチピン」としての生き方が必要になってくるのではないでしょうか。

オーストラリアより愛と感謝を込めて。
野中恒宏

真のセルフコンパッションとは?



日本であろうと、オーストラリアであろうと、自分のことを責める人は少なくないようです。

私などは、昔からずっと自分のことを責め続けることが多くありました。しかし、自分のことを責め続けていても、それが自分を向上させるきっかけになれば良いのですが、ますますそれが自分に「ダメ押し」をし続けることになり、ますます自分を小さくなる方向に向かわせるだとしたら、やはり自分を責め続ける事はストップすべきなのだと思います。

そこで浮かび上がってくる概念が、セルフコンパッションです。これは簡単に言えば、自分に同情することではなく、自分を愛することです。しかし、そう言うと、鏡に向かって「あなたを愛している」と言ったり、または自分を思いっきり抱きしめたり、そういうちょっと不自然に感じることが思い浮かぶかもしれません。もちろん、それを自然にできるのであれば、どうぞやっていただきたいと思います。

しかし、私の言うセルフコンパッションは、こういうことではありません。結論から言えば、自分の根源的な存在とつながって、その根源的な存在の視点から自分を見つめ直すと言うことです。

世界的な精神世界の指導者の1人である、エックハルトトールさんは、私たちには2つのアイデンティティーがあると言っています。1つは、日常生活の中で私たちが日々五感を通して知覚している「形のアイデンティティ」です。そしてもう一つはそうした形を越えたところに存在している「エッセンシャルアイデンティティー」です。

このエッセンシャルアイデンティティーは、形を超えているので、いつでもどこでも存在しています。常に今ここに存在しているのです。今ここにいる限り、過去の後悔や、未来の不安にさいなまれることなく、常にニュートラルに、すべてを受容することができるアイデンティティーです。

別の言い方をすれば、ポジティブであっても、ネガティブであっても、それをありのままに受け止めることができるアイデンティティーが、エッセンシャルアイデンティティーなのです。

つまり、私の言うセルフコンパッションとは、このエッセンシャルアイデンティティーの視点を獲得し、自分が過去に何をしようとしまいと、そうした自分を受け入れ、無条件に愛することなのです。別の言い方をすれば、セルフコンパッションとは、エッセンシャルアイデンティティーが常に今ここで形のアイデンティティーを受け入れ、無条件に愛することなのです。

「そんな事は不可能だよ」と言う声が聞こえてきそうですが、これは「愛する」ことに対する間違った考え方が横たわっていると思います。すなわち、「愛する」とは、甘い言葉を投げかけたり、相手と身体的に交わったりすることのみを意味しているのではなく、相手をありのままに受け入れるということです。そして、自分も無条件に受け入れると言うことです。

すなわち、エッセンシャルアイデンティティーを獲得すれば、全てを大局的に幅広く、そして深く認識することができるので、自分が問題、ネガティブ、障壁だと思っていたことが、実は新しい機会を生み出すものであるということに気がついたり、新しく様々なことを学ぶきっかけであるということに気がついたり、また自分を成長させるきっかけであると言うことに気がついたり、何かに貢献するきっかけであると言うことに気がついたりするわけです。そうすると、常に自分を責め続ける必要は無いわけで、新しい道が見えてくるわけです。

しかし、形のアイデンティティーにのみ自己同一化していると、そこには必然的にその形が正しいとか間違っているとか、良いとか悪いとか、好きだとか嫌いだとか二元的なことが生じてきます。そうした形のアイデンティティーから離れたところから俯瞰して自分を見つめる視点こそがセルフコンパッションの本質なのだと思います。

今回書いた事は私自身に対するメッセージでもあります。野中恒宏と言う形のアイデンティティー飲みにこだわらずに、このアイデンティティーを俯瞰することのできるアイデンティティーから自分を見つめ直したいと思います。

今の私にとって、このしてはとても大切なのです。

皆さんの参考になれば幸いです。

オーストラリアより愛と感謝を込めて。。
野中恒宏

地図を見るか、地図を描くか



昨日あるワークショップで、ドイツ語学習する機会があったが、これは非常に意味部会体験であった。

すなわち、普段は教師として語学を教える立場であるが、今回は生徒として生学を学んだからである。そこで1番感じたのは、イライラであり恐怖であった。つまり、他の人が理解して答えているのに、自分が理解できないイライラであったり、そのわからないことを質問する恐怖であったりしたのだ。

普段、生徒たちはこうしたイライラや恐怖を乗り越えて、教室にいることをリアルに感じることができた。もちろんこうした状態は快い状態ではない。したがって、これに対してどうするかは、「逃げる」か、「戦う」のいずれかになってくる事は想像に難くない。

多くの生徒たちは、こうしたストレスを感じる状況に対して、「逃げる」を選択して、おしゃべりを始めるのがシステムとしてわかってきた。しかし、一方でそこから「逃げる」ことなく、立ち向かって「戦う」生徒もいることも事実である。

改めて、こうした「戦う」生徒たちを増やしたいと思った。

それを踏まえて改めて学校システムを見渡してみると、学校のシステムがいたるところに「恐怖」を生み出す装置が仕組まれていることが見えてきた。

例えば、校則である。文字通り学校の規則であるが、これに端反した場合の罰則規定がこと細かく決められており、子供たちはこうした罰から「逃げる」するために、自分の行動を制限したり、他の人から目立たないようにしたりする行動様式を学んでいくのだ。

さらには、全生徒一律のテストの実施である。これは、教室レベル、学校レベル、市町村レベル、国レベルなどのテストが考えられるが、ここでも悪い点を取ると、劣等感を感じたり、他の人から蔑まれせるではないかと言う恐怖が横たわっている。そして、良い成績を上げられないと、保護者から怒られたり、将来の可能性が迫ったりするんじゃないかと言う恐怖を感じ、極力このシステムの中に自分を当てはめ、他のことで自由に自分を表現することに対して臆病になったりする事は想像に難くない。

つまり、学校の中のシステムに染まってしまうと、そこでは「地図の中で生きる」姿勢が養われてしまうのである。しかし、地図で表現できるのは人生のほんのわずかな部分でしかないのだ。人生においては、「一寸先は闇」と言う言葉があるが、ちょっと先の未来の地図を描く事は困難なのだ。しかし、そうした状況であっても地図がなくても、前に進もうとする姿勢(自分で地図を描く姿勢)こそが21世紀を生きる子供たちに必要ではないかと思う。

そこで、冒頭のドイツ語のワークショップに戻るが、ここで私を踏みとどまらせて、一歩前に踏み出すことができた要因は何だったのか。それは、そこにいた仲間たちの存在だった。すなわち、自分がわからなくてもんもんとしてることに対して、ある別の参加者が質問して、それを解消することができそこから私は解放されたのだ。

「困っているのはわたし一人じゃない」という当たり前といえば当たり前の認識をもつことが、いかに恐怖を乗り越える大きな力になるかを思い知らされた。

さらには、教えることはわたしの最優先事項であり、この生徒としての体験はその最優先事項に重要なメリットをもたらすという認識もわたしの背中を押した大きな原因になった。

もちろん、わたしの中にも学校システムの中に埋め込まれた恐怖の感覚が埋め込まれているが、「一人じゃない」「最優先事項を生きる」という認識が恐怖を乗り越える起爆剤になった。

そのおかげで、ほんのわずかではあるが、自分なりの(ドイツ語)の小さい地図を描き始めることができたのである。もちろん、地図は他者から示されるが、その地図通りに行けば自分が自分なりのゴールに行ける保証はない。

語学は地図なき道を進みながら、恐怖を乗り越えて「自分なりの地図」を描いていく冒険に似ていると思った。

何かの参考になれば幸いである。

オーストラリアより愛と感謝を込めて。
野中恒宏

私たちの生活は習慣でできている。




先日参加したZen 2.0のワークショップにおいて、食べる瞑想と言う時間があった。普段当たり前のように体験している食べることを瞑想の時間として、丁寧に味わいながら今ここで食べることを楽しむ時間だった。

その時、インストラクターの女性が言ったことが私の耳にこびりついた。それは、「この食べ物があなたのところに来るまでに、どのようなプロセスを経たか想像してみてください」みたいなことだったと思う。

それを聞いてはっとした。私たちの生活は実にいろいろな習慣によってもたらされていると言うことだ。

例えば、食べ物1つにとっても、それが私たちの食卓に運ばれるまでに、無数の人々の、無数の習慣によって成り立っていると言うことである。

例えば、野菜の場合、それを出荷するまでに、農家の方々の毎日の早起きの習慣や、畑を耕す習慣や、様々な仕事にまつわる習慣がそこには前提として存在する。そして、それを出荷する業者の方々においても、その毎日配送する習慣があるからこそ、安定した供給が成り立つのだ。

もし、こうした方々がこうした習慣をストップしてしまったら、私たちの家庭には、食べ物がなくなってしまう。

さらに、重要なのは、こうしたプロセスがイベントではなく習慣であるということである。一回のイベントだけでは、このような食べ物を私たちが体験することができない。一つ一つの、小さな習慣が繰り返されてきた私たちは毎日食べ物を受け取ることができているのである。

最近、私はアトミックハビッツ(Atomic habits)と言う本を読んだが、これは文字通り原子のような小さな習慣であっても、それを積み重ねていくことによって、大きな変化をもたらすことができることを示す本であり、そのための哲学や方法が書かれた本であった。現代社会は、すぐに結果を得たいと言う願望に満ち溢れていると思うが、実際には、一つ一つの小さな習慣を積み重ねていくことなしに、大きな変化を体験することができないのだ。

そして、大切なのは習慣を繰り返していくとそれは左下から右上へと上がる一直線の成果が得られるのではなく、ある一定のところからそれまでの角度とは異なるさらに上に向かう急激な角度の上昇変化が生まれると言うことだ。

これは、ポジティブなことであれ、ネガティブなことであれ同じことである。例えば、外国語の勉強していると、ある一定の時期が過ぎると、急に理解が進んだり、話せるようになったりすることがある。また一方で、普段自分の体の声を無視して働き続けていると、ある日突然痛みを感じたり体が動かなくなったりする。このように、習慣と言うのは、積み重ねていると、ある一定の限界を超えると、突然大きな変化を体験することになるのだ。

つまり、習慣を積み重ねて。大きな結果を得るためには、継続が必要であり、その中には多くの我慢や辛抱や努力が隠れていると言うことである。

先程の食べ物の話に戻るが、やはり、毎日の習慣を繰り返して食べ物を出荷して、私たちの食卓に届けるためには、こうしたプロセスに携わる方々の継続的な努力や辛抱や我慢があると言うことを忘れてはいけないだろう。

そこから出てくる必然的な帰結は感謝以外にはないと思う。

それから毎日体験する食事がものすごくいとおしく、感謝に満ちたものになった気がする。

オーストラリアより愛と感謝を込めて。
野中恒宏

Gaiaはなぜ今それを出現させたのか?



今現在行われているZen2.0のイベントで、「コスモス」の共著者であるジュード•カリヴァン(jude crurrivan)さんに、直接以下の質問をしてみました。

Q. Why did GAIA let COVID-19 appear in this period? Why not 3 years ago? Why not 10 years ago? Q. なぜGAIAはこの時期にCOVID-19を登場させたのでしょうか? 3年前ではなく、なぜ? なぜ10年前ではないのか?

すると、以下のような深い答えが返ってきました。



●ウィルスは常に人類に進化を促すエージェントであったこと。

●ウィルスはガイアにとって最初の赤ちゃん生命体であること。

●今が進化の時であるから、COVID-19がこの時代に発現したこと。

●私たちは今進化しなければならないこと。

まず1点目ですが、人類の歴史をひもとくと、世界的に疫病が流行した時期と言うのは、人類に何らかの大きな進化がもたらされていると言うのです。具体的な指摘はありませんでしたが、疫病による大規模な行動変容は、必然的に人間の生活に新しい側面をもたらすと言うことなのでしょう。

また、第二の点ですが、Gaiaは様々な生命体をこの地球上に生み出してきましたが、ウィルスも生命体であると言う観点がとても新鮮でした。さらには、ウィルスが原始地球で最初に生み出された「赤ちゃん」の1つであると言う指摘は、Gaiaが特別な意識を持ってその存在の登場を促したと言うことを感じさせ、そこには人知を超えた深い意図があるように感じたのです。

そして、第三の点ですが、それが3年前でなく、10年前でなく、今なぜ起きているのかと言う事について、それは私たち人類が次の段階に進化する準備ができたと言う認識がガイアにあったと言うことです。つまり、そういう段階が来たと言う必然性を感じたのです。

しかし、第四に、それは自動的に行われるわけではなく、今回ジュードさんが強調したように「私たちは進化しなければならない」と言う表現を使った事は非常に重要だと思いました。つまり、進化の時が来ているのに、意識的に進化に向かわないと進化は達成できないと言うわけです。


皆さんはどのように考えますか。

オーストラリアより愛と感謝を込めて。
野中恒宏






「よくやった!クイーンズランド」の危険性



「よくやった!クインズランド」と言う言葉を最近政府関係者の口からよく耳にするが、ちょっと違和感を感じる。

実は、お隣のニューサウスウェールズ州において、連日のように1000年以上の新規感染者の報告がなされている一方で、私たちのいるこのクインズランド州は連日新規感染者がゼロであったりする日が頻繁に目に入ってくるので、こうした結果を見て、政府関係者が先ほど紹介した「よくやった!クイーンズランド」と言う言葉をマスメディアなどを通して言うようになったのだ。その気持ちもわからないではないが、ちょっと違和感を感じるのだ。

もし日本だったら、「国民の皆さんに協力していただけて感謝しております」とか、「ありがとうございます」と言うような感謝の言葉が聞かれると思う。しかし、ここでは何かちょっと上から目線すら感じる「よくやった」と言う承認の言葉が政府関係者の口から漏れるのである。

これは文化の違いかもしれないなぁと感じた。

さらに、人に承認を与えること、すなわち政府関係者のように権力を持った人間がその他の人々を承認したり評価したりすることが大々的に行われると言う事は、ちょっと疑問を感じたりする。

例えば、アドラー心理学が指摘するように、私たちは他者に対して承認したり、他社から承認されたりすることが当たり前だと思っていると、自らの課題に向き合うことを消極的にしてしまう可能性があるわけだ。

また、これは人間のマインドセットにも関わってくる重要な問題だと思った。すなわち、キャロルエックスが「マインドセット」と言う著書の中でも指摘するように、人間のマインドセットには成長マインドセットと固定マインドセットの2種類があり、前者は人間の成長のプロセスに焦点を当てるのに対して、後者は人間の結果に焦点を当てる固定したものだ。他者の示した結果に対して評価を与えたり承認したりすると言う事は、他者に対して固定マインドセットを助長することになりかねないので。そうではなくて、「今はまだそうじゃないけど、将来的にそうなる可能性がある」と言うことを前提にして他者に接するべきなのである。

私は教師として、毎日子供たちに接しているが、子供たちは大人以上に他者からの承認を切望している。しかし、だからといって子供たちも示している結果にのみに集中してそれを承認したり評価したりすることばかりやっていると、子供たちの中の理性に影響与え、人から承認されないと行動をしたがらない固定したマインドセットが出来上がってしまうのだ。

そうではなくて、今は目の前のスキルができなくても、その取り組んでいるプロセスことが重要であり、こちらからは可能な限りサポートするし、そのプロセスに取り組んでいるあなたの姿に対して声援を送ると言う姿勢が重要なのだ。

そもそも、私たちの世界は固定したものなど何もなく、すべては流動的に変化するものが大半である。そのことを考えても、他社の示したことを、固定的な結果として捉えて承認すると言うのは、なんとも表面的で歪んだものの見方ではないか。


政府は「よくやった、クインズランド」と言う香りに、もっと私たちの示している生活のリアリティー、すなわちプロセスに対してもっと目を向けていただきたいものだと感じた。

しかし、この発言によって、私は日本とオーストラリアの文化の違いを理解したり、マインドセットの理解も深めることができ、政府に感謝していることも間違いない。

オーストラリアより愛と感謝を込めて。
野中恒宏

いつでもどこでも何度でも瞑想を



ウェインダイアー氏も、ラムダス氏もあらゆる場面で瞑想することを勧めている。

瞑想と言うと、静かなところで柔らかなところに座って足を組んで座ってと言う具合に、何か特別な条件を連想するか、実は瞑想とは、今この瞬間に降伏することであり、自分が気がついたことや、反応してることに対してスペースを見いだすことである。

そういうことを体験するために、実は何も道具はいらないのだ。条件もいらないのだ。

今ここに集中して、思考をストップしさえすればいいのだ。

オーストラリアより愛と感謝を込めて。
野中恒宏

宙ぶらりんのパワー



何かを創り出すことを一気に全部やってしまうよりも、不十分なままで途中で終わらせておいて、後で寝かせてその後取り組んだ方がより創造的なアイデアが生まれてきたり、それまで気がつかなかった盲点が出てきた人間以上に有効であることに気がついた。

それは私が学校教師として、目の前の子供たちのために絶えず教材作りをしているわけであるが、その時に、一気にやってしまうよりも、不十分であることを恐れずに、まずは途中でもいいからやれるだけやってしまうこと。そして、それを寝かせること、そうするとそれまで気がつかなかった観点が浮かび上がってきたり、全く別のアイデアが浮かんできたり、より効果的な教材作りができることに気がついたのだ。

以前U理論を勉強したときに、宙ぶらりんの状態を受け入れると言うことを学んだ。つまり、こんにちは過去の考え方ややり方が通用しなくなっている時代であり、それ故未来もわからない行って見れば「宙ぶらりんの状態」の時代を生きていると言える。もちろん、こうした時に過去から学んで、何かを創造しようとすることも大切だろう。私たち人類が積み重ねてきた、例えば古典などをしっかり読む事は、時代を超えて普遍的な真理を学ぶことにも通じるからだ。

しかし、過去をしっかり理解できていれば、未来もしっかり創造できると言うことにはなかなかならない。未来は過去の延長線上には必ずしもなく、実は、それまでとは違った全く新しい未来が創造される事は珍しくないからだ。

言い方を変えれば、この先どうなるかわからない宙ぶらりんの状態を保ちながら、今ここで立ち現れる「未来の種」を発見し、その目を大きく育てていく事が重要ではないかと言うことを先程の理論で学んだのだ。


宙ぶらりんの状態は通常は悪いことだと考えられがちであるが、実は、その状態でいることに重要な意味があるのだ。つまり、それは今ここで立ち現れてくる未来を待つ行為だからである。

「何か非常に他人任せというか、主体性がないような気がする。やっぱり未来は自分が意識的に作り出していかないと」と言う考えが聞こえてきそうだ。

しかし、私たちが何かを創造するときのプロセスをリアルに振り返ってみたときに、本当にゼロから私たちは意識的に物事を創造することができるんだろうか。意外と、何の関係もない文脈からそれまで見落としてきた盲点から全く新しいアイディアが浮かんでくる事は珍しくないのではないだろうか。それは、ふと見たテレビの広告から得た創造性かもしれないし、他の人と話してる時にふと浮かんでくることかもしれないし、シャワーを浴びているときにふと浮かんでくることかもしれない。

つまり創造性を初めから全て自分で意識的に生み出す事はあまり現実的では無いのではないかと言うことだ。そうではなく、創造性が生まれる前の「宙ぶらりん」の状態を経験しながら、創造的なものが生まれてくるプロセスを今ここで待つと言うことも大切な姿勢ではないかと思ったりするのです。

オーストラリアより愛と感謝を込めて。
野中恒宏

夢実現のために欠かせない二つのこと



よく自己啓発の世界などで、夢を叶える方法とか、いろいろ言われるが、その時に見落とされているのが、どのような存在になりたいかと言うビーイングの話である。

そういう本質的なことを視野に入れないで、ただテクニック的なことを論じたり、本の結果に焦点を当てたりしても何の意味もないのだ。すべてのスタート地点はビーイングであり、自分の存在のあり方を意識することなしに、自分の望むドゥーイングは現れないのだ。


さらに、夢実現の際に抜け落ちているのは習慣の議論である。夢を実現させるためには私たちの習慣を変えなければならない、1回夢を心に描いただけで、夢が叶うなんて事はありえないのだ。

夢を叶えたり目標を達成するためには、それこそ何度も何度も無数のアクションを起こして行かなきゃいけない。しかし、人間は飽きっぽい生き物なので、その何度も何度も起こす行動を習慣化していかなければならない。

さらに習慣化のために必要なことは、先程述べたように、どのようなアイデンティティを自覚するかを土台にして、きっかけを明確にして、自分の中に切実なニーズを引き起こし、行動を起こし、自分にとっての報酬を得ると言うプロセスが必要なのだ。詳しくは、「Atomic Habits」と言う本に載っているのでぜひ読んでいただきたい。

にもかかわらず、夢実現の話の中で、こうした習慣化させるための観点が全く抜けているのだ。例えば、頭の中でビジュアライズすることが大切だとか、アファメーションすることが大切だとか、私に言わせれば何を時間の無駄なことをしているんだと思う。短い人生そんなことをしていても何の意味もないから。

つまり、どんなアイデンティティーになりたいかを明確にし、さらにそのアイデンティティを実現するための習慣を構築していくことが本質ではないかと考えるのだ。

結論、夢を実現したり目標達成するためには、(1)自分のなりたいアイデンティティーを明確にすること、(2)目標実現のための行動を習慣がすることこの2点が欠かせないのだ。

オーストラリアより愛と感謝を込めて。
野中恒宏
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