雑誌に載った私は、見るに耐えないものだった。
腰の肉が余っている。二の腕もだらしがない。
そして、脚が太すぎる・・・・・母は正しかった。
私はスリムになれない自分の身体を、ただ呪った。
そんな私に、ある晩、悪魔がささやいた。
「吐けばいいのよ」
その悪魔は、母の顔をしていた。

わたしは摂食障害者だ。
19歳で過食嘔吐が始まった。
そして拒食になった。

水商売で稼いだお金を過食費用にして毎晩吐いていた。
痩せ願望はエスカレートしていき拒食になり一日80kcalで過ごすようになった。
下剤を毎日100錠飲んでいた。

まだリタリンが鬱に適応していた頃処方された。
その頃は殆ど何も食べなかった。
合法覚せい剤みたいなものだから。

リタリンの乱用者が増えてナルコレプシー患者にしか処方されなくなった。

処方きられた途端非嘔吐の過食になった。
30kgだった体重は59kgにまで跳ね上がった。

わたしは太ることだけは許せない。
そして飛び降りた。

なぜあのとき死ねなかったのだろう。

それから拒食になった。
きのこと野菜とこんにゃくしか食べない。
また30kgになった。
嬉しくてたまらなかった。

反動の過食になった。
そして貯金も殆どなくなった。

今は野菜過食と下剤乱用している。

とにかく体重に振り回されている人生だ。

遠野なぎこは母親を切った。大好きだけど大嫌い。
そうなんだろうと思う。

わたしも同じだ。
大好きだけど大嫌い。

わたしは細いだけが取り柄だった。
他に自慢出来ることは何もない。
骸骨になりたい、これが本音だ。

わたしは死ぬまで下剤を飲み続けるだろう。
過食で丸くなった顔が許せない。
頬がこけるまでわたしは食事をとるつもりはない。

わたしも母に愛された記憶がない。

でも違った。母はわたしをとても愛している。

でも母は簡単に「太ったね」と言う。

わたしは母に愛されたいから痩せにしがみつく。

糖質制限とやらバカなこと言い出したやつを正直殴りたい。

わたしは20kg台になるまで食べないと心に刻んだ。

わたしは男を愛せない。
一度だけ本気だった人がいる。
その人以上の人は居ない。

遠野なぎこと同じようにセックスしてさようなら。
愛情なんてない。

今は性欲なんてないけれど。

「健康的になったね」
一番言われたくない言葉。

このほんを読んで号泣した。
わたしは芸能人でもモデルでもない。

でも太ることは許されない。

摂食障害という病気は、完治しないものだとつくづく思った。

乱文になってしまった。
ただ感情に任せて書いた。後悔はしていない。



久々にビートルズを聴いて、ネットのきたない部分を見ない日。

パソコンという媒体を通して日々送る情報や送られる情報に、もう疲れてしまっていたこのごろ。
自ら「きたない」部分を見続けていた数日間。
影響されない年齢にはとっくになっているはずなのに、それらばかり追ってしまうとやっぱりしんどいものなんです。

わたしは「ませた」子供でした。
本質よりも見た目だけの格好つけのからっぽな少女でした。
中学生から黒のレースの上下セットの下着を身に着けて、
時には制服のしたにガーターベルトで登校したりして、勝手に悦に入っていた そんな中学生でした。

若者ブランドにはまっていた時期もあったけれど、基本的にお洋服は安物でこだわりもなく中学生の頃にはメイクをしていたくせに20代では仕事以外ではノーメイク。

女性として、外見も中身もだらしないんですね。

スキンケアもほぼしてなかったですね。

でも下着だけはくだらない拘りがあって、いいものを身に着けていました。
ただデザインだけを見ると「娼婦」のようなものばかり。
中学生の頃、娼婦を題材にしたほんを読みまくっていた影響も少なからずあるのかも。

そんな拘っていた下着にも最近は無頓着になって、上下バラバラに着用していても平気になってしまって女性という意識がなくなっていたようにおもいます。

ずっとシルクやナイロンのレースの黒や赤などの下着にしか興味がなかったわたしは昨日、

コットン素材のボクサーショーツを購入しました。

なんというか自分自身ゆったりとしたかったのです。

一気にいろんな思考から解放されたような、美味しい紅茶をいただいたときのような一瞬の時間ではあるけれどわたしにとって下着は自分自身の状態を表しているんだなあと改めて感じたのです。


コットン素材をあえて選んだのも、ボクサーショーツをあえて選んだのも、こころの余裕を求めていたのです。

精神的に縛られて、わざとネットの醜い部分だけを消化して、不幸になったように錯覚して、
これは周期的にやってしまうわたしの悪い癖です。

こうやって吐露してしまうと、すっきりした気分がまたおちていっちゃうんですけどもね。
ほかの人は吐露するとすっきりするって声が多いんですけど、わたしは逆のようです。

と、今日はとてもくだらないひとりごとでした。

ト ルコ料理店でのアルバイトを終えて家に戻ると、部屋の中が空っぽになっていた。突然、同棲していた恋人に何もかもを持ち去られ、恋と同時にあまりに多くの ものを失った衝撃から、主人公の倫子はさらに声をも失う。たったひとつ手元に残ったのは、祖母から譲り受けたぬか床だけ。山あいのふるさとに戻った倫子 は、小さな小さな食堂を始める。一日一組のお客様だけをもてなす、決まったメニューのない食堂。次第に食堂は評判になるが――五感をくすぐる瑞々しく繊細 な描写と、力強い物語運びで話題を呼んだデビュー作。




食堂かたつむりは、法要に参加するため家族総出で田舎へ帰り

その深夜に置いてあった母のものをひとりキッチンでいっきに読んだ

評判は非常に悪いようだけど、わたしは楽しく読んだし、自分でも買って本棚に並べたいとおもった


とにかく食事の描写が好みなのである


たしかにこの本は非常に軽い側面がある

特に後半は人や動物の死に関する内容に触れているのに、流れるように話が進むのは違和感を抱く

その軽さは、なにより人物の心理描写が薄いことだとおもう

この人物はなぜこう思うか、なぜこうしたか、なぜこう変わったか、そこに対する記述がほとんどなく

エピソードのプロット追い状態になってしまっている

それによって説得力が皆無となり感情移入がし難く心の底に響いてこないのだ

そして話の仕込みも無難に纏まっており、ひとによってはそれが狡猾にみえるとおもう

「劣化した吉本ばなな」「偽かもめ食堂」とどこかにかかれていたが、たしかにそんな印象はある



しかし、本というのは色んなものがあっていいとおもう

わたしは、上記のような未完成さはたしかに感じたがそれと同時に

その手のツッコミはこの清貧なほんには不要じゃないか、と考えた


それは個人的好みの問題も大きく関わるのは承知だ

だが数多くある批判を読んでいて、共通するのはこの手のほんに嫌悪感を持つのは

そろいもそろって多読をこなしたいわゆる読書通の人達っぽいということ

知識が付くとほんの見方はは変わるし、同じほんでも面白い面白くないは変わっていく

わたしは今後ほんをたくさん読んでいても、子どもの頃わくわくしてページをめくったような

新鮮な感動は失いたくないとおもった




「食堂かたつむり」ようなオシャレ小説(?)の、かききれていない感はそこまで気にならない

なぜならこのようなほんは空気感を愉しめて、スマートな小奇麗さがあればそれでいいとおもってしまうから

それなら無理矢理ヘビーな殺生や別れを取り入れなくてもよかったのでは?

・・それはそうともいえるんだけども

逆に「からくりからくさ」みたいな狙った世界観のオシャレさがすべってるものだと

無駄に長いストレスも相まってただわけわらんまま終わったなぁという消化不良のきもちになる

どれが正しいかではなくそれぞれのバランスの問題

「食堂かたつむり」はたしかに人物描写がとても薄いのだけど、このほんはその薄さのムラがない、

気持ちのいいほど感情のうごきを省いているためなんというか逆にリズムよく一冊のバランスがとれていて

一定の開き直ったかのような心地よい清清しさがあった




料理に出来る限りの愛情を注ぐ。そして、食べてくれるひとのことを一生懸命かんがえる・・

料理をやるひとにとっては、とても気持ちの良い惹かれる表現が多いとおもう

料理を食べることを、胃を満たすための処理や、良いレストランで美味しいものを制覇することに比重を置いてるひとではだめだ

作ったり、作ったものをまた食べたり、ひとに食べてもらったり、そういうことの楽しみをしっているひと

素材を生かし、想像力を働かせ作る。話の筋云々ではなく、これをよむととにかく料理が作りたくなるのです

その時求められている味、使うべき新鮮な食材・・まるでひとつの作品のように創り上げる


アニメやファンタジー小説に出てくる料理がすき、というひとは多いけど

果たしてそういうひとは日頃料理を作るのだろうか?

もちろんアニメの料理もすてきだけど、あつあつのコーンスープ、ふわふわのパン、みたいな

どちらかというと直接的な訴えかたのおいしさであり、子ども味覚なイメージだ

でもこのほんはどちらかというと読んでいても味が容易く想像できない、ひねった料理が多い

しかしその表現のしかたがすごくいいなぁ、とにかくいますぐ料理したいなぁとおもえるんです



恋人に捨てられ、家財道具や貯金は全部失い、声も失い、髪の毛も刈り上げる

ひとによってはこういった前提も、リアルさのない、意味のないものかもしれないけれど

わたしはこういった伏線も、すべてのものを取り払ってただひとつ向き合って作る、

料理に繋がっているようで、ストイックな主人公(たしかに自分のことばっかで思考回路は自己中心的)が、

まるで出家した尼さんのように、オーガニックcafeにいそうな、まっしろなワンピースにベリーショートの身なりで静かにお茶を入れてくれそうな、または映画かもめ食堂に出てくる店員さんのような、そういった抑揚のないシンプルの楽しさを感じました



だらだらかいちゃったけど、とにかく料理のしたくなるほんっていうことですね

料理が食べたくなる、じゃなくて作りたくなる、です

それってありそうであまりないとおもいます

美味しい本




食堂かたつむり/小川 糸
¥1,365
Amazon.co.jp



太宰治の遺書の謎とは 本物の遺書から真の歴史と道徳を学ぶ衝撃のノンフィクション絶賛発売中!www.playdea.jp/isyogaku/mobile
高橋亀吉から日本を探る 東洋経済新報社《創立115周年記念シンポジウム開催》詳細はコチラwww.toyokeizai.net
希小説新人賞 わずか3週間で社内審査編集部が認めた作品を即出版します。nozomisyuppan.com/sinjinsyo.html
  • なうで紹介
  • mixiチェック
  • ツイートする
2011-05-23 posted by dualismammy