国境の南、太陽の西 村上春樹 | ほんのうみ

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クンデラを読み返してて、頻出するゲーテに興味を持った

最近、本屋にいくとニーチェだのブッダだの、そしてゲーテの格言ぼんがベストセラーになっているのもしっていた

ゲーテに対しては浅い知識しかないわたし

よしここらでわたしもゲーテをかじってみるか

しかし今抱えてるものが多いからじっくり向き合って読む気になれなくて

図書館の端のほうでふと目に入った斉藤考の「座右のゲーテ」というほんを借りてみた

字がおおきいし、むつかしくなさそうだから

これでゲーテをかじったふりができるなら、それはとても効率的だ、そうおもった

ついでに読んだつもりでいたけどまったく話が思いだせない「国境の南、太陽の西」を借りた

休暇中、同時に二冊を読んでみた


この「座右のゲーテ」というほんがとても,,,くだらない。。。

ここまでいらいらするほんもひさしぶりだ


読んでも楽しめないほんはたくさんある

けれどそれらはたいてい今の自分に合わないというだけで、必ずしもくだらないなんて言えないことが多い

だから一刀両断的にこのほんはとてもくだらない、なんておもえる感覚は妙である

しかもこれはモテ本でもお金を稼ぐ本でもなく、ゲーテという一流の褌で相撲をとったほんなのだ


途中でこのひとがどんなつもりでこんなほんを堂々とかいたのか

逆に興味があって、いろいろ考えたりした

名もない大学を出てることを期待してうしろの作者プロフィールをみたら東大でがっかりした

借りた動機にはじまり、その一連の自分のくだらなさも含めて逆に楽しくなってきた

それくらいくだらないほんだった

くだらない、って連呼するとけっこうたのしいなぁ



本質的なことを抽象的ではなく具体的にしたい

そういうポリシーがきっとあるんだとおもう


このひとはその感覚を持つだけでなく、「そうじゃない感覚」を排除している記述が多い

ほんの種類からして、わかりやすく、効率を求めた者への入門書(そう!かじろうとした私のような!)であるため

恣意的にかいた文面であろうとは思うけど、そもそも論理的にどうのこうのいってるんだから、自分で矛盾を生みだしてることは強く違和感を感じる

そして、ほんというのは色んな事情があって世に出回るのであって、

一冊読んだだけで斎藤考というひとを否定するような感想はナンセンスだけど

否定の多いひとだからこちらからも否定させてもらう


本質的なことを具体的にあらわそうとすること、そこをつよく大切にする感覚は

くだらないとは思わない、そしてそのポリシーを持つひとはけっこう世の中にいる

ちなみに現実的で社会的なことを美徳とするひとは必ずしもその枠組みには入らない

多くの現実派のひとはどこかで割り切ってる

そもそも哲学的ということにあまり興味はない

「そんなこと云々唸ってもお金は生み出せません。お金がないと生活できません。ばか」

そんなひとは潔いし、むしろひととしてすきなタイプだ

しかしこの斎藤派のひとは、哲学的な思想が大好きだ

それでも同じ対象を考える行為でも、そのやり方は様々だ


例えば(本当に勝手な例えだけど)、「闇」というものについて考える時に

闇そのものの自分のイメージではなく

いちばんに「光と対になるもの」という発想で闇を見ていそうな,,

それは光しか知らない、光しか興味ないものの視点だ

それは闇であって闇ではない


「幼い頃に、意味のわからない文章を覚えさせるのは拷問とも言える強制だという考え方がある。私はこうした考えに与しない。できるだけ早い時期に最高級のものに出会う必要があるとむしろ考える。意味がわかるのはそのあとからでもよい。たとえ意味がわからなくとも、その深みや魅力は伝わるものだ。よしんばそのときに魅力を感じなかったとしても、後年それを覚えたことに感謝するときが来る。」

(斎藤考/声に出して読みたい日本語」より)


間違ったことは決して言っていない、けれど闇を知らない者がいくら正しい手法で闇を解読しても

それはとても薄っぺらい闇の感想になるのだ


こういうひとってどうしてこうなるのか、色々考えて、ひとつの予想として

「哲学」を愉しむのではなく、「哲学を身に付けた自分」を楽しみたいのかな?と思った

もしかして感覚よりも先に記号を身に付けたひとなのかもしれない

感覚を持っても、言語化できるせいで、思考はそこで停止する

けれどそれはもう「わかった」ことになる

暗誦は大切だ、声に出して読みたい日本語で筆者の言わんとすることはよくわかる

それでもなにかぬぐいきれない違和感は、思考回路そのものが暗誦みたいなことになっているような感じだからかもしれない


たしかに抽象的な考えばかりに囚われているのは良くないことだけど

真の意味で本質を突こうとするならば、理屈でどうにもならないことがいくらでもあるし

だからそもそも具体的という整合性に拘ることはおかしいと考える

哲学的思考もゲーテも小説も、そういった解の出せるフィールドじゃないはずなのだ

日本語に対してかくならゆるされても、ゲーテに対してなら許されない入門書である


二つ前の内田先生による村上春樹論には余裕があるから面白いと書いた

ひとつの対象に対して、渦の中から述べず、余裕というクッションを置いて対象を見れる力

この斉藤先生には対象を深く知った上での余裕の開示ではなく、

ただの無自覚な余裕そのものだけでかかれた薄っぺらさを感じる

渦の中にいるまま話してるのに、正しい言葉を遣えるせいで、クッションを置けてると勘違いしてる


ゲーテの言葉を伝えるほんで「最高のものに触れろ」「最高級」という言葉を連呼してるが

そもそもなにをもって最高なんだ

「最高なもの」という言葉がどれほどくだらなくってさむいことなのか,,,

だから気軽に「最高」「最高」なんて声高に騒げるのだ

小学生の男子が望む「すっげーもの欲しい」をそのままむき出しにしたような取り組み方



ほんとうの「最高」は単一化できない、とても複雑なものである




「国境の南、太陽の西」を読んだ

このほんの主人公も幼少期の「最高」(=島本さん)を追い求めている

しかしその反面、彼は「最高」を持っているし、「最高」を知っているのに

それでも他の結末を選びとる(ようにみえる)行為をしている

そう、ほんとうの「最高」も「完璧」も「完全」もとてもとても複雑なんだ


残念ながらわたしはなんの責任もないゆるく生きている20代の女性のため、

家庭と仕事を背負った中年男性の立場でかかれたこのほんよりも

ノルウェイの森の大学生のお話のがぐっとくるけれど

描かれてることは本質的にはノルウェイの森と似ている


わたしは村上春樹はやはり好きなんだなぁとおもう

村上春樹だってたくさんほんを読んでたくさん音楽をしって賢い奴って思われたいだろうし、

綺麗なおねーちゃんと寝たいだろうし、ノーベル賞をとってちやほやされたいし、

他者の視点を意識しているからこそ、自分の人生という舞台で

カッコつけた格好でカッコつけた珈琲をカッコつけた場所で飲みたいだろう、

文体とか舞台とか都合のいい女のかきかたとか、実際にカッコつけてるのも事実だ


それでも村上春樹は本質を追う自分を誇示したくて物語はかかない

ただ本質を追ってみたくて物語を描き続けているとおもう

いや、正しくは本質を追う自分も誇示したいかもしれない、それがゼロではない、

だけどそれと同時に、評価や賞や売れ行きに囚われない、それだけじゃない、

なにか確信に迫ろうとする創作者の熱意を感じる



村上春樹はスルメ本である

何度も読んで色んなところでじわじわくるものがある

しかもこの話には島本とゆきこではなく、

主人公だって自分勝手にひとを傷つける存在だとわかるイズミという存在が挟まる


だからこそ感想をまとめあげろっていわれたらとてもむつかしい

内田先生のように肯定的立場で春樹論をかけるひとはほんとうにすごいとおもう

友達が、このほんで再会した時の島本は幽霊だ、と言っていた

なるほど、たしかに。

消えた封筒のお金、治った脚、たしかに匂わせている

でもここで大切なのは、島本が幽霊という事実ではなくて(幽霊という事実ってすごく変な言葉だな)

その「失われたはずの過去の輝き」「本来なら出会わないであろう邂逅」という幻想性だ

ひとはそんなことに直面したら、どうするのか、どうすればいいのか,,,

なんかこの感じに覚えがある、とおもったけど、岩井俊二の打ち上げ花火~だ

あれはひとの解説がなきゃ理解できなかったけど


ノルウェイの森に自分勝手な閉じこもり(行為ではなく思想)を取っ払ったような話

ノルウェイは主人公が20歳前後、こちらは中年という違いだから、作者の年齢を鑑みると妙にリアル


ともだちで小説をかく子は皆、わたしにはけっして見せてくれない

あまりに同じことをするからなぜだろうっておもっていた

わたしほんすきなのに!きちんと読めるのに!

・・が、あ~彼はこういう手法つかうんだ~こういう価値観ね~と思われるのがウザいのかしら

たしかに作者当人を知っていると、そういう背景は嫌でも想像しちゃうだろうし

「作品に対してそういう目線は嫌」なんだろう、仕方ない


そうおもうと村上春樹って気の毒だよね

他の作家みたいにメディアでしゃしゃり出て自爆するならまだしも

あることないこと作者本人を照らし合わせて色々言われちゃうし

たしかに好きっていうにはこっぱずかしいひとではある

だからやっぱり、いいとおもってるひとが声を出して村上春樹はいいよ!っていうべきなのかも

いいよ!!!


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