食堂かたつむり 小川糸 | ほんのうみ

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トルコ料理店でのアルバイトを終えて家に戻ると、部屋の中が空っぽになっていた。突然、同棲していた恋人に何もかもを持ち去られ、恋と同時にあまりに多くのものを失った衝撃から、主人公の倫子はさらに声をも失う。たったひとつ手元に残ったのは、祖母から譲り受けたぬか床だけ。山あいのふるさとに戻った倫子は、小さな小さな食堂を始める。一日一組のお客様だけをもてなす、決まったメニューのない食堂。次第に食堂は評判になるが――五感をくすぐる瑞々しく繊細な描写と、力強い物語運びで話題を呼んだデビュー作。




今週頭に胃を壊した

忙しいを言い訳に、サークルKの意外とうましな弁当に感動し

三日間サークルKのコンビニ食で過ごした

朝は抜いて、昼はコンビニのおにぎり、夜は空腹にコンビニ弁当ドカ喰い、そしてお酒

するとお腹に激痛が走り、胃もたれがひどく、急性胃炎というものになった

食事

当たり前のことだけど、すごくすごく大切だとおもった


自炊をしよう

薄味でとびきり健康的なものだけを食べよう

玄米味噌汁出し巻き卵にお漬物

質素だけど替え難い日本の朝食

ひさしぶりに食べると、からだの芯からあったまる

わたし、生きてる

愛とは食べること

生きるとは食べること

しあわせって食べれること・・・



食堂かたつむりは、法要に参加するため家族総出で田舎へ帰り

その深夜に置いてあった母のものをひとりキッチンでいっきに読んだ

評判は非常に悪いようだけど、わたしは楽しく読んだし、自分でも買って本棚に並べたいとおもった


とにかく食事の描写が好みなのである


たしかにこのほんは非常に軽い側面がある

特に後半は人や動物の死に関する内容に触れているのに、流れるように話が進むのは違和感を抱く

その軽さは、なにより人物の心理描写が薄いことだとおもう

この人物はなぜこう思うか、なぜこうしたか、なぜこう変わったか、そこに対する記述がほとんどなく

エピソードのプロット追い状態になってしまっている

それによって説得力が皆無となり感情移入がし難く心の底に響いてこないのだ

そして話の仕込みも無難に纏まっており、ひとによってはそれが狡猾にみえるとおもう

「劣化した吉本ばなな」「偽かもめ食堂」とどこかにかかれていたが、たしかにそんな印象はある



しかし、ほんというのは色んなものがあっていいとおもう

わたしは、上記のような未完成さはたしかに感じたがそれと同時に

その手のツッコミはこの清貧なほんには不要じゃないか、と考えた


それは個人的好みの問題も大きく関わるのは承知だ

だが数多くある批判を読んでいて、共通するのはこの手のほんに嫌悪感を持つのは

そろいもそろって多読をこなしたいわゆる読書通の人達っぽいということ

知識が付くとほんの見方はは変わるし、同じほんでも面白い面白くないは変わっていく

わたしは今後ほんをたくさん読んでいても、子どもの頃わくわくしてページをめくったような

新鮮な感動は失いたくないとおもった

このような話はこのブログにおいても何度かかいてるので省く




湊かなえの「告白」を読んで、ぞわぞわさせるスリルを感じたと同時に

ご都合主義な展開のツクリモノっぽさを指摘しましたが

迫真のリアルさを求めるミステリー系にそこがかききれてないとどうしてももやもやとしてしまうとうだけです

しかし、この「食堂かたつむり」ようなオシャレ小説(?)の、かききれていない感はそこまで気にならない

なぜならこのようなほんは空気感を愉しめて、スマートな小奇麗さがあればそれでいいとおもってしまうから

それなら無理矢理ヘビーな殺生や別れを取り入れなくてもよかったのでは?

・・それはそうともいえるんだけども

逆に「からくりからくさ」みたいな狙った世界観のオシャレさがすべってるものだと

無駄に長いストレスも相まってただわけわらんまま終わったなぁという消化不良のきもちになる

どれが正しいかではなくそれぞれのバランスの問題

「食堂かたつむり」はたしかに人物描写がとても薄いのだけど、このほんはその薄さのムラがない、

気持ちのいいほど感情のうごきを省いているためなんというか逆にリズムよく一冊のバランスがとれていて

一定の開き直ったかのような心地よい清清しさがあった




料理に出来る限りの愛情を注ぐ。そして、食べてくれるひとのことを一生懸命かんがえる・・

料理をやるひとにとっては、とても気持ちの良い惹かれる表現が多いとおもう

料理を食べることを、胃を満たすための処理や、良いレストランで美味しいものを制覇することに比重を置いてるひとではだめだ

作ったり、作ったものをまた食べたり、ひとに食べてもらったり、そういうことの楽しみをしっているひと

素材を生かし、想像力を働かせ作る。話の筋云々ではなく、これをよむととにかく料理が作りたくなるのです

その時求められている味、使うべき新鮮な食材・・まるでひとつの作品のように創り上げる


アニメやファンタジー小説に出てくる料理がすき、というひとは多いけど

果たしてそういうひとは日頃料理を作るのだろうか?

もちろんアニメの料理もすてきだけど、あつあつのコーンスープ、ふわふわのパン、みたいな

どちらかというと直接的な訴えかたのおいしさであり、子ども味覚なイメージだ

でもこのほんはどちらかというと読んでいても味が容易く想像できない、ひねった料理が多い

しかしその表現のしかたがすごくいいなぁ、とにかくいますぐ料理したいなぁとおもえるんです



恋人に捨てられ、家財道具や貯金は全部失い、声も失い、髪の毛も刈り上げる

ひとによってはこういった前提も、リアルさのない、意味のないものかもしれないけれど

わたしはこういった伏線も、すべてのものを取り払ってただひとつ向き合って作る、

料理に繋がっているようで、ストイックな主人公(たしかに自分のことばっかで思考回路は自己中心的)が、

まるで出家した尼さんのように、オーガニックcafeにいそうな、まっしろなワンピースにベリーショートの身なりで静かにお茶を入れてくれそうな、または映画かもめ食堂に出てくる店員さんのような、そういった抑揚のないシンプルの楽しさを感じました



だらだらかいちゃったけど、とにかく料理のしたくなるほんっていうことですね

料理が食べたくなる、じゃなくて作りたくなる、です

それってありそうであまりないとおもいます

美味しいほん



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