久々にビートルズを聴いて、ネットのきたない部分を見ない日。

パソコンという媒体を通して日々送る情報や送られる情報に、もう疲れてしまっていたこのごろ。
自ら「きたない」部分を見続けていた数日間。
影響されない年齢にはとっくになっているはずなのに、それらばかり追ってしまうとやっぱりしんどいものなんです。

わたしは「ませた」子供でした。
本質よりも見た目だけの格好つけのからっぽな少女でした。
中学生から黒のレースの上下セットの下着を身に着けて、
時には制服のしたにガーターベルトで登校したりして、勝手に悦に入っていた そんな中学生でした。

若者ブランドにはまっていた時期もあったけれど、基本的にお洋服は安物でこだわりもなく中学生の頃にはメイクをしていたくせに20代では仕事以外ではノーメイク。

女性として、外見も中身もだらしないんですね。

スキンケアもほぼしてなかったですね。

でも下着だけはくだらない拘りがあって、いいものを身に着けていました。
ただデザインだけを見ると「娼婦」のようなものばかり。
中学生の頃、娼婦を題材にしたほんを読みまくっていた影響も少なからずあるのかも。

そんな拘っていた下着にも最近は無頓着になって、上下バラバラに着用していても平気になってしまって女性という意識がなくなっていたようにおもいます。

ずっとシルクやナイロンのレースの黒や赤などの下着にしか興味がなかったわたしは昨日、

コットン素材のボクサーショーツを購入しました。

なんというか自分自身ゆったりとしたかったのです。

一気にいろんな思考から解放されたような、美味しい紅茶をいただいたときのような一瞬の時間ではあるけれどわたしにとって下着は自分自身の状態を表しているんだなあと改めて感じたのです。


コットン素材をあえて選んだのも、ボクサーショーツをあえて選んだのも、こころの余裕を求めていたのです。

精神的に縛られて、わざとネットの醜い部分だけを消化して、不幸になったように錯覚して、
これは周期的にやってしまうわたしの悪い癖です。

こうやって吐露してしまうと、すっきりした気分がまたおちていっちゃうんですけどもね。
ほかの人は吐露するとすっきりするって声が多いんですけど、わたしは逆のようです。

と、今日はとてもくだらないひとりごとでした。