軍曹!時間だ!… -36ページ目

90式戦車の新事実②再会

出会いから再開まで結構時間がかかった。

 

北富士演習場からジープで駒門駐屯地へ送られた。

機甲科隊員は陸曹になるための教育を第1機甲教育隊で行う。

前期約3か月と後期約3か月の合わせて半年の監獄もとい、教育だ。

前期は陸曹候補生過程であり、普通科分隊長としての指揮手順と資質を養う。

終了時に昇任試験があり受かると3等陸曹になる資格ができるわけだ。

機甲科隊員はそのまま、引き続き後期教育である初級陸曹特技課程に突入。

後期教育は機甲偵察、戦車乗員、機甲整備の3つに分かれた。

徹甲弾射撃 弾頭は黒で塗装されている。

90mm戦車砲用徹甲弾(M318A1)は120mmAPFSDSJM33よりも1kg重い

 

榴弾射撃 射場は畑岡射場だが現在設置されている停弾堤は無い

 

当時は第1陸曹教育中隊が機甲偵察と61式戦車乗員、第2陸曹教育中隊が74式戦車乗員、第3陸曹教育中隊が機甲整備(61式戦車)、機甲整備(74式戦車)を行っていた。

東富士演習場での半年に渡る教育訓練だったが新戦車を見かけることはなかった。

 

翌、1984年1月、3等陸曹に任官した私は過酷な1年を過ごした。

3月~6月:臨時新隊員教育隊の営内班長

7月:機甲教育隊において74式戦車の慣熟訓練(操縦手要員)

8月:北方転地訓練で北海道別海演習場で1か月の師団演習(第11戦車大隊の74式戦車を借用)

入間基地からC1で北海道へ

戦車は借りるので装輪車とともに荷物として空輸される。

9月末~12月初旬:松本駐屯地にてレンジャー課程訓練

北アルプスで遭難寸前になる。冬山をなめたらアカン

新戦車どころではない1年だった

 

その後も試験中の新戦車を見ることもなく時は流れ、転機が訪れた。

 

1988年3月

第1機甲教育隊へ転属、第2陸曹教育中隊へ配置された。

当時は必ず1回は師団を異とした転属をすることとなっていた。

北海道か機甲教育隊かの2択だったが、いずれ北海道に行くとしても基本をしっかり学んでおこうと機甲教育隊を選んだ。

しかも74戦車中隊である。

実は、第2陸曹教育中隊に74式戦車が配備されていたので新戦車も2中隊だろうと考えていたのである。

その頃、88式戦車と呼ばれていた新戦車はどうやら89式になるという噂でもちきりであった。結果はご存知のとおり90式になったのだが。

 

新戦車と再会したのは1990年だっただろうか。

一般に公開(富士学校記念行事)する以前だったと記憶している。

ドーザ付の試作5号車であった。

実用試験も終わり既に「雑品」状態の90式戦車試作5号車

塗装を塗りなおす予算はもはや無い。

 

 

 

 

 

90式戦車の新事実①出会い

ただいま絶賛発売中の月刊PANZER4月号に

「29年目の90式戦車の真実」という特集が組まれている。

もう29年かと感慨深い。

 

そこで、導入時に接する事ができた90式戦車について少し記してみたいと思った。

 

第一弾は「出会い」である。

 

情けないかな、はっきりと覚えていない。

しかし、場所は北富士演習場の廠舎(演習場にある簡易宿舎、通称、バラック)で機関銃ベルトを作っていた時だ。

話が逸れるが、この機関銃ベルトは61式戦車に搭載されていた7.62mm機関銃M1919A4(通称、キャリバー30)用だ。

北富士には、徹甲弾射撃で行くことがほとんどであるから機関銃射撃をすることはほぼない。古い備蓄弾薬を射耗(しゃもう:射撃で消費する事)するということで結構な数の割り当てが来たと記憶している。

射場の都合で北富士での射撃となったのだろう。

その古い備蓄弾薬とは米軍から貰ったもののようで弾の入った箱自体が自衛隊のものではなく、英語が書かれた木箱だ。

中を開けて驚いた。入っていた箱に記された文字は「1944」

大戦中の弾薬である。場合によっては先輩に向けられて発射されていたかもしれなかったと感慨深かった。

 

さらに、中身は2度びっくりである。

5発づつクリップされたM1小銃(M1ガーランドライフル)用の弾薬だった。

どうりで弾薬作業に大勢招集されたわけだ。

車長と操縦手は的設置に出かけ、砲手と装填手が弾薬陸曹の監督下で作業をしていたのだ。クリップから弾を外し5発に1発の割合で曳光弾を入れたベルトリンクを作るという地味な作業だ。弾薬陸曹は装弾器を使い20発の弾薬とリンクを並べ「ガチャコン」とすると20発ベルトリンクが出来る。

弾薬陸曹使用のM3装弾器

 

我々は1発づつ、リンクに押し込んでひたすら作っていくのfだ。

 

そんな単調作業をしていた時、先輩が叫んだ。

「おい!新戦車が来たぞ!」

弾薬陸曹も見たかったのか「休憩!」の声がかかる。

廠舎の入り口から新戦車と言われた車両を見る。

サイドスカートを付けた大柄で四角い車体

74式戦車と同様の履帯パターン

砲塔は無く四角い構造物が載っていた。

操縦席が車体中央に確認できたので第1次試作車であったのだろう。

第1次試作車もしくは車体試作車の画像だ

北富士廠舎で私が見た車両と同様だが、上部構造に幌がかかっていたと記憶している。

web上にあった画像だが、履帯パターンが74式と同様の逆ハの字であることが分かるが、よく見るとシングルブロック履帯であることも分かる。

ところが、PANZER誌の40ページの写真では74式戦車と同様(幅は異なると思うが)のダブルブロック履帯なのが確認できる。

 

「そば行くな」と大隊幕僚からの指示があり、遠巻きにしか見る事ができなかったがサイドスカートとその下に現行10式戦車が採用しているゴム製スカートを付けていたのを鮮明に覚えている。

休憩が終わり、ベルトリンク作り作業に戻ったが、その後見た時には大型トラックで隠されてしまっていた。

 

記憶があやふやだが、ひどく寒かったのを覚えている。

弾薬を扱うためストーブを付けていなかったが、そもそもストーブを使用する時期ではなかったとも記憶している。

すると、M4A1シャーマン戦車の車体を使ったM32戦車回収車を的にした徹甲弾射撃の時だったのだろうか?

確かその時は前日に榴弾及び機関銃撃をした記憶がある。

さらに、その日には月刊PANZER誌の取材が来ていたのではなかったのだろうか?

すると、陸曹候補生課程入校の数日前だから1983の6月になる。

第1次試作車の技術試験になるのだから砲塔は付いてるはずだよな。

謎は深まるばかりだ。自分の体験したことなのにな。

 

 

近代の戦闘車両―開発・設計・性能―

入手した

定価2800円のところ、およそ6倍の価格で・・・

ちなみに、原書は

DESIGN AND DEVELOPMENT OF FIGHTING VEHICLES

(直訳:戦闘車両の設計と開発)

これも少し前に入手していた。

 

以前から翻訳書である本書を手に入れたいとは思っていたのだが

やはりプレミアムな価格が付いてしまっていた

原書は比較的簡単に手に入った

定価の5倍ほどしたけどね

アメリカの出品者に日本語の住所で届くの?

と注文してから気づいたのだが

さすが「熱帯雨林」

ちゃんと届いた

もっとも一般日本人でも読めない変わった名字のために

翻訳?されたアルファベット表記は全く違う苗字だった

それでも届くわけである

 

さて、原書を翻訳した

「近代の戦闘車両―開発・設計・性能―」

翻訳者の林磐男(はやしいわお)氏は

昭和28年三菱重工に入社、戦車設計一筋の方で

相模原製作所副社長を経て本社特殊車両部長を務め

61式戦車から74式戦車までのほぼ全てにわたる

装甲戦闘車両の開発に関わった方である。

また、防衛大学校の非常勤講師も務めていると

本書の推薦の辞を書かれた

原乙未生氏が述べている。

 

そう、あの原乙未生(はらとみお)氏である

 

正直驚いた

 

試製1号戦車から名車九七式中戦車を開発した

日本戦車の父である

推薦の辞に書かれた氏の経歴(昭和57年当時)は

日本兵器工業会技術顧問

元防衛庁技術研究本部顧問

元陸軍中将

元第四陸軍技術研究所長兼相模原造兵廠局長

 

戦後も活躍されていたんだなと改めて思った

 

著者のオゴルキビッチ(本書では「オゴルキィウィツチ」表記)氏について

原氏は

”ロンドン大学理工学部の教授のかたわら、

戦闘車両の研究に携わるその方面の世界的な権威”

と紹介している

原氏とオゴルキビッチ氏は戦後筆友(今でいうメル友だな)

だったというが

オゴルキビッチ氏が来日した際に林氏の紹介で

両氏は10年の時を経て対面したそうである

 

原著で、オゴルキビッチ氏は

To the memory of my father(亡き父に捧げる)

と記述してある

林氏によるとオゴルキビッチ氏の父親は

在英ポーランド亡命軍の将校であり

彼がこの世界に入ったきっかけの一因であろうとしている

 

本題に入ろう

翻訳書である

近代の戦闘車両―開発・設計・性能―

 

であるが、原書に比べ読みやすくなっている

日本語だから当たり前だ!!

という事ではなく原書では図は文書と同じページにあるが

写真は全て巻末にまとめられているのだ

もちろん1967年という出版の時代的なものがあるのかもしれない

2月に書いた当ブログ戦車の操向装置(雑感)で紹介した

オゴルキビッチ氏著の「Technology of Tanks I -II」では

「近代の戦闘車両―開発・設計・性能―」をを真似したんかい

といったような構成になっているのが面白い

(もちろん真似したわけではなく『普通』になっただけだろう)

 

先のブログで

”ただ、パンター戦車の操向装置である「マルチプルギアードステアリング」の説明が間違っているような気がするのは気のせいなのだろうか?”

という疑問については解消できた

 

ただ、翻訳書についてはかなりの誤字脱字等があり

また、意訳などがあるので

読み解くのにはそれなりの知識がいる

やはり原書が無いと片手落ちになってしまう