軍曹!時間だ!… -35ページ目

90式戦車の新事実⑤量産車

量産車は1991年10月、朝霞駐屯地に直納された。

平成3年度自衛隊中央記念式典(現行の自衛隊記念日観閲式)の訓練中の戦車教導隊に量産初号機を含む3両が納入されたのだ。

通常はスプレー塗装で境目がぼけた塗装なのだが、三菱重工の粋な計らいで

パレード用塗装と言われる境目をはっきりさせた迷彩塗装をしてくれたのだ。

操縦手は戦車教導隊員だが、車長は第1戦車大隊長だ

観閲戦車部隊長は第1戦車大隊長が任ずるためだ。

 

後方に続く車両には第1戦車大隊幕僚が乗車する。

 

エンジン不調?

すぐさま重工の整備員が対処

 

ちなみに私は何故か偵察部隊員としてRCV(87式偵察警戒車)の車長で参加

90式戦車の新事実④教育準備

90式戦車教育にあたって教材等を準備しなくてはならない

基準LP(教育実施要領)やらなんやらである。

その中で、私が作成したチャートである。

現在だとパワーポイントなのだろうが、当時はそんなものはない。

A0サイズ(841×1189mm)の紙に描くのだ

この様な教材を作るために教育部隊(当時は第1教育団)ではレタリングなどの集合教育が行われていた。

 

一応、保全も留意し記述等を一般公開を可能な範囲にとどめてある。

まだ、量産車が出る前なので砲塔側面の76mm発煙弾発射機の形状が分からず推測で描いている。名称も「発射筒」になってしまっている。

不細工なキャンバスは無くなるだろうと判断し、描いていないが量産車にもしっかりあったのを見た時はがっかりした。

ここはまずいな・・という所は描いていない。

時間が無くて履帯が塗られていない。

確実な情報が無かったため寸法も怪しい

74式7.62mm車載機関銃は2型だろうと聞いていたが、量産車を受領した時に2型ではなかったので思わず質問したら「調達要求通りです」と言われた。

 

90式戦車の新事実③導入準備

いよいよ制式化が近づくと、どの中隊が導入するかという事になった。

実際の導入計画はお偉いさんたちの話し合いで私のような下っ端には分かりようもなかった。

ただ、当初の74式戦車の後継戦車として生産のはずが生産両数がかなり削られ61式戦車の代替え、下手すると承認された教育所要分の30両という話まであった。

その様なわけで、配備戦車も少ないという話になったようだ。

本来、第1もしくは第2陸曹教育中隊が戦車乗員教育用として、第3陸曹教育中隊が機甲整備教育用として装備する訳なのだが装備両数の少なさから、全車3中隊に配備することとなり、それまでは機甲整備一本の3中隊に乗員教育のための90式戦車区隊を新設することとなった。

 

各中隊から希望者を募った。

第2中隊長には着任時に新戦車の教育を希望していたので中隊長の方から

新戦車は3中隊に入る事になったけど君、希望してたよね。

という事で、中隊長に気に入られていた私は2曹への昇任のおまけつきで第3陸曹教育中隊へ配置替えとなった。

記憶は定かではないが、1991年3月の事だったと思う。

 

2中隊長に気に入られていたのと昇任のおまけつきというのは、後に3中隊長に聞いた話である。ちなみに当時の3中隊長は官舎でお隣さんだった。

 

新戦車は1990年12月に「90式戦車」として制式が制定された。

つまり、張れて制式化したわけである。

3中隊に新設された戦車区隊はとりあえず74式戦車で教育を開始した。

北富士演習場へ向かう「ますみ峠」で休憩する74式戦車と学生

 

しかし、1990年度予算で作られる30両の90式戦車は1991年度下半期(1991年9月~1992年3月)納入になる。

その間に教育準備をするわけだが、基幹要員には陸士教育中隊から来た者もいたので、陸曹候補生と初級陸曹教育が如何なるものかを知る必要があり、陸曹候補生の普通科教育と初級陸曹課程の戦車乗員教育として74式戦車による教育が始まった。

 

座間分屯地記念行事に参加した1機甲3中の74式戦車と73式セミトレーラと私

座間分屯地(朝霞駐屯地座間分屯地)は在日米陸軍キャンプ座間内にあった。

現在は座間駐屯地になっている。