世間体の為に息子を結婚させたものの息子を独占し続けたムスコン姑は息子には過剰な愛情をかけて嫁をないがしろにしていた。
自分こそが息子の世話をするのにふさわしい女よ!と、50代でありながらも「化粧をして私のように綺麗になりなさい」と20代の嫁に向かって言ってのけたり、温泉で嫁の貧乳を見ながら「私は胸があるからね」と言って自分の方が女として上だとマウントを取り続けた。
そんなムスコン姑は息子たちの新婚旅行に同行して同室に宿泊し息子を誘おうとしたり、産後の嫁を虐待し病気にして嫁から息子と孫を取り上げ孫たちのお母さんとして幸せに暮らしていた。
息子家族の絆を引き裂き自分の欲求のままに生きたものの、息子は嫁との生活を選び孫を連れて嫁の元へ帰った。
”いつまでも若い女として息子の世話をし続けたい。邪魔な嫁は排除する。”そんな欲求のままに生きたムスコン姑だったが寿命には逆らえずあっさり死んでしまった。
~息子大好き!嫁大嫌い!孫は私の物よ!な食い尽くし系夫の産みの親ムスコン姑と私の闘いの日々~
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死んだはずの姑の話し声が聞こえた私。
中に入ると姑は仏壇の前に北枕で寝かされていた。やっぱりもう死んでいる。それならあの声は何❓️舅が死んだ後も見えたり聞こえたりしたけど私は義両親とは波長が合うの❓️でも霊感ないよ。
ハイエナが「朝おきたらおかんに、おい、起きろよ。仕事に行くぞと言った」と言っていた。
そこに葬儀屋が来た。
まずは葬儀屋が火葬場に電話をして「死体が1つあります」と言った。そして火葬場が開いている時間を教えられて火葬の時間を押さえるように言われた。午前中はすでに埋まっていたので午後からの枠を押さえた。
そこからハイエナと葬儀屋の人が死亡届を出しに行った。二人はすぐに帰って来た。
その間姑のきょうだいと少し話をした。姑の入院中の様子を聞いた。
ハイエナたちが帰ってきてから姑のきょうだいと一緒にファイルを見ながら葬儀に関することを決めて行った。
骨壺、霊柩車、棺。写真で比較すると安い物は品が悪く高い物は良さそうに見えた。故人に思い入れがあるのなら高い物を選ぶだろう。ハイエナは心ここにあらずと言った感じで上の空だったので私が殆ど決めた。花は姑のきょうだいと私たち夫婦とで出すことになった。子供一同、兄弟一同。花代だけ先に葬儀屋に払った。
姑をお風呂に入れるかと聞かれたが死んだ人を湯船に浸けてもいいのか分からなかったので断った。
でも死に化粧を勧められて「プロの手でやると綺麗になります」と言われて、ムカつく婆だったけど最後は綺麗にして送り出してあげようと思いお金を払って綺麗にしてもらうことにした。
後は香典を持って来た人に渡す物と数を決めた。葬儀が終わっても後から訪ねてくる人がいるかもしれないから大目に頼んだ方がいいと言われたのでそうした。余ってもお金は取らずに回収して清算してくれるという。
それ以外は記憶にないので言われるがままに決めたと思う。通夜ぶるまいの寿司は姑が嫌いな寿司屋だった。生きていたらきっと文句を言っていただろう。その間ハイエナはずっと口数が少なかった。
あとお寺さんへのお布施は大体どれぐらいが相場なのかを聞くと位牌の戒名からこれぐらいだと教えてもらえたのと、遺影の写真が決まったら教えて欲しいと言われた。30代40代の写真は止めてくださいとも言われた。
スマホの写真でもどこそこの店に行けばプリントできますよと言って葬儀屋は一旦帰った。
そこからハイエナがお寺さんへ連絡をした。
お寺さんはすぐに枕木をあげに来て姑が死んだことを信じられないと言っていた。そして通夜と葬儀の時間はいつでも大丈夫なので決まったら教えて下さいと言って帰っていった。
ハイエナと姑のきょうだいが話し合い、通夜と葬儀の時間を決めたが2人は寺へ連絡する前にそれぞれの会社に連絡してしまった。
言いにくいと思いながらも「お寺さんには言った?」と言うとハイエナはすぐにお寺に電話して通夜と葬儀の日時が決まった。順番が逆だが身内が死んだ時にはそうした判断が鈍るのかもしれない。こういう時は誰か冷静な人が傍にいた方がいい。あと葬儀屋にも電話をした。
それから遺影の写真を決めようとハイエナが姑の部屋に写真を探しに行くと、私が病気になる直前に取った姑と下の子の写真があった。
満面の笑みで乳飲み子を抱っこする姑。
ハイエナはそれを見て「ふわあああああ」と泣いた。
そして引き出しを開けて他の写真を出すと今度は舅の写真が出てきた。
ハイエナは舅の顔を見るなりまたもや「ふわあああああ」と泣いた。
大好きだったパパとママがもうこの世にはいない。それがハイエナには受け入れられないようだった。
でも私を苛め抜いて病気にさせた人を亡くしてこんなに落ち込むハイエナの姿なんて見たくなかった。
ハイエナは姑が私を虐めても助けてくれるどころか母親の味方をした。そして私が病気になっても私を支援せずに母親に甘えた。
私が姑に一体どれだけ辛い思いをさせられたのかこの男には絶対に分からない。この男は母親のいい顔しか見なかった。その証拠に姑が嫁に対して見せていた意地悪な一面を訴えても全く聞き入れなかった。”あのおかんがそんなことをするわけがない。”それがハイエナの気持ちだった。
嫁との絆よりも母親との絆を大事にし続けたハイエナには恨みしかない。
私は姑の死に顔を見ても何とも思わなかった。ハイエナが泣きわめき悲しむ姿は正直鬱陶しかった。
結婚してすぐに舅が亡くなった後、私は姑には寂しい思いをさせてはいけないと思い色んな我慢をしてきた。
だが姑は私の事を粗末に扱い自分の欲求だけを大事にした。
孫が生まれるなり姑は孫の母親は自分だと言い嫁の母乳育児を妨害したり、嫁に腐ったものを食べさせたり、罠を仕掛けて産後の嫁をわざと病気にさせようとした。その結果私は病気になり姑に子どもと夫を奪われて長い間一人でずっと闘病していた。
緊急入院になって強い薬を飲んでも治るかどうか分からないと言われた時はそれこそ「ふわあああ」と思ったがハイエナは私の傍にはいてくれなかった。子守が忙しいからとろくに見舞いにも来なかった。私が薬の副作用に苦しんでもこの男は母親と一緒に孫育てに夢中で私の事は病院に丸投げだった。私は一人で辛い闘病生活を耐えた。
あの頃は本当に具合が悪かったのでポンコツな私の代わりにムスコンさんに子育てをしていただいてありがとうございますと思っていた。
でも今思えば姑がしゃしゃり出なくてもハイエナが子育てをしながら病気の嫁を支えなければいけなかった。
嫁を一人で暮らさせて、年老いた母親に孫と自分の面倒を見させ、それを嫁の為だと言ってのけたハイエナ。一体どこが嫁のためを思った行動なのか。ハイエナはただ子育て不能になった嫁の世話をしながら子育てをして自分一人に負担がかかるのが嫌だったから母親に助けてもらっていただけ。
その間私がどれだけ心細かったことか。
具合が悪い時に支えて欲しくても支えてくれなかった相手を、一体どうして支えられるのか。
この男は情けないにも程がある。確かに亡くなった直後は泣き崩れるかもしれないが一晩経って通夜葬儀の段取りを決める時ぐらい腹を括ってしっかりしようとは思えないのか。
でもそれはいくら毒舌な私でも言ってはいけないことだと分かったので黙ってそばにいた。ハイエナが肩を落として歩いていたら肩を叩いて寄り添った。
「親父の時も悲しかったけどこれほどじゃなかった」
ハイエナは親父さんよりお袋さんの方が好きだったのでしょう。
ムスコン姑は自分がいなければ生きていけないように息子を育てた。
だからハイエナは母親への依存心が強くなった。
その依存先を亡くした息子にとって母親の死は相当辛いことだったと思う。 どんな子どもでも親を亡くしたら悲しいとは思うがこの時のハイエナはお先真っ暗でこの先どうしたらいいか分からないという感じだった。
姑は罪深い子育てをした。姑の育て方は、姑が生きている分には姑の自己顕示欲を満たし親にとっては都合のいいものだったが親亡き後のことまでは考えていなかった。
本当に子どものためを思うのならば親がいなくなっても強く生きて行けるように導いてやらないといけない。それが本来の親の勤めだと思う。
親は永遠にはいない。
姑と舅にはそれが分からなかった。親は永遠に子供の面倒を見れるとでも思っていたのだろう。
それから数少ない姑の写真で遺影を選び始めたけどなかなか姑のきょうだいがこれでいいとは言わずに揉めた。
不謹慎かもしれないがある程度年を取ったら何かあった時の為に遺影候補の写真を数枚選んで「この中から選んでください」と一言添えて置いておくと後で遺族が揉めないで済むだろうなと思った。
なかなか写真が決まらないので私は寝てないけど自宅まで姑の写真を取りに行った。でも姑のきょうだいからは「ろくな写真がない」とキレられた。嫁がやることは何でも気に入らないんですね。眠気を堪えて写真を取りに行った苦労は無視されました。
でも私が取りに帰った写真の中からハイエナが「これが一番お母さんらしい」と言いだした。
「おかんはいつもこの服を着ていたからな!おかんと言えばこの服だった」
孫の保育園行事に参加して満面の笑みの姑。若作りなのか派手な色の服。
それは私にとっては嫌な写真だった。
だって私をおしのけて孫たちの母親として振舞っていた時の写真ですよ。
それが遺影として一生残るなんて何の嫌がらせ?やっぱりハイエナは私の事なんてみじんも気にかけていない。
一番お母さんらしいと言うハイエナの言葉にもムカついた。
ムスコン姑はいつも「意地悪してやる」って顔で私の事を見ていましたからね。こんな風に幸せそうに微笑む姑が一番お母さんらしいだなんて私には不愉快。でも言わなかった。
姑の妹は、姑が姪の赤ちゃんを抱っこしている写真がいいと言ったがハイエナの意見を聞いた。他のきょうだいもハイエナがいいというならこれにしようと言った。そして遺影は決まった。
それから葬儀屋の人が来て言われるがままに姑の唇に小指で水をつけたり死に装束の紐を結んだりした。
そこに化粧をする人がメイクボックスを持って現れて、いつも使っている口紅はないですかと聞かれてハイエナが出していた。何で口紅の場所を知ってるの?と思ったけどそこは突っ込まなかった。
プロの手で化粧をすると言われていたものの、プロと言われた人は上の子と下の子に化粧を手伝わせていた。
ハイエナが「大丈夫なんですか」と聞いたら「大丈夫ですよ」と言った。
最後の化粧なのに幼児にやらせますか・・・
下の子がチークを塗りたくっているのを見て本当にこれでいいのかと思ったが大好きだった孫に綺麗にしてもらえるのなら姑も本望だろうと思った。
それから棺桶に入れるものはないかと聞かれたので「ないですね」と言うと「何か持って行くものがあったほうがいいですよ。何でもいいです」と言われたものの姑は口うるさかったので下手なものを入れるとまたあの世でうるさいだろうから何を入れたらいいか分からずに黙っていると、子どもたちの手紙や工作でもいいと言われたので、姑宅にあった子どもたちが作った工作をたくさん棺桶に入れた。姑の戦利品ですね。
そこに姑の妹夫婦も来て葬儀屋が姑を車に運んだ。
ハイエナは葬儀屋の車に乗った。
姑の妹夫婦は「上の子と下の子は私が連れて行くよ。戸締りよろしくね」と私の返事を待たずに子どもたちをかっさらって行った。
子どもたちは姑の呼びかけで姑のきょうだいたちとよく遊んでいたので慣れていて何の抵抗もなくついていったが、私としては勝手に人の子どもを連れて行かないで欲しかった。
この時の私はステロイドとステロイドの副作用を抑えるために精神科の薬を飲んでいてその副作用の一つに脅迫障害があった。何度確認しても鍵が閉まったか不安になってしまうというもので、鍵をして出てもまた戻って確認したくなる状態の私に通夜葬儀で留守にする家の戸締りをするのは負担だった。
でも他に任せる人がいないのでやるしかなかった。姑の妹にさらわれた子どもたちの事も気になるし早く葬儀屋へ行かないといけない。
私は何度も鍵を確認してしんどかった。ハイエナから配慮がないのはいつものことだがやはりしんどい。
そしてハイエナと子どもたちの数珠がないことに気付いた。
数珠は姑が管理していたので私にはどこにあるか分からなかった。
通夜の時間まであと少し。
まさか遅刻していくわけにはいかない。
でもどこに数珠があるのか分からない。
姑が数珠を管理していなければこんなことで迷わずに済んだ。
どこにあるかな、とりあえず姑の部屋に行けばどこかにあるだろう、と思って行ってみたものの全く見当がつかない。
私の苛立ちはピークに達した。
「数珠は一体どこにあるの!!!」
思わず口から出た言葉だった。
すると私の目の前にあった観音開きのタンスがカチッと音を立ててキィ~とゆっくり開いた。
・・・。
もしかしてこの中にあるよって言いたいの?
いやでもまさかそんなことないよね。
と思いながらも中の引き出しを開けるとそこに数珠があった。
超怖ぇ~~~~~。
今この家には私と姑の霊の二人っきりなのか((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル 息子ラブなら息子について行って欲しかった。
でもこの時の私は「早く葬儀屋に行かないと間に合わない」という焦りの方が強かったので、姑がどうやってタンスを開けたのか分からなかったがそのままタンスの扉を閉めて玄関も閉めて通夜の為に葬儀屋に向かった。
続く