息子を恋人だと思っていたムスコン姑はおよそ20年間に渡り息子を奪った嫁をありとあらゆる方法で苦しめた。

ムスコン姑にとって嫁は自分の役割を奪った恋敵であり、敵対心から次から次へと嫁いびりを繰り返して息子夫婦の仲を引き裂こうとした。その結果長期にわたり嫁から息子と孫を引き離すことに成功したが結局息子夫婦は離婚せずにムスコン姑は一人になった。

そしてムスコン姑は最愛の孫に看取られずに死んでしまった。

 

~息子大好き!嫁大嫌い!孫は私の物よ!な食い尽くし系夫の産みの親ムスコン姑と私の闘いの日々~

 

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他にもセクハラモラハラパワハラあります無気力無気力無気力

 

 

 

 

 

 

おばけおばけおばけ

 

 

葬儀屋に着いた時間は忘れたが通夜には十分間に合った。

 

 

舅の時とは違い人数が少なかったので言い方は悪いが舅の時より気が楽だった。

 

 

通夜が始まる前に棺桶で寝ている姑の顔を見た。

 

 

亡くなった直後はたった今血管が切れましたという表情に見えたが死後硬直のせいなのか表情がこわばっていた。いつもの底意地そうな感じ。

 

 

ああ、ムスコンは本当に死んでしまった。

 

 

 

舅の葬儀の経験があるおかげかどうすればいいか分からずに慌てるということはなかった。あの時ムスコンに振り回されたことが生かされていると思った。

 

 

ちなみにうちの毒親には訃報を知らせなかった。

 

 

知らせてもいいことはないからムカムカ

 

 

喪主であるハイエナは何もかも放置してひたすらタバコを吸っていた。

 

 

通夜の参加人数は全部で20人ぐらいだった。

 

 

職場の席にはハイエナの会社の人が三人。

 

 

親戚の席には舅の親戚と姑のきょうだいと姑の職場の人達が座った。

 

 

ハイエナは喪主の挨拶の際に泣きながら必死になって葬儀屋から与えられた紙を読み上げていた。精神的な支えを失いこれからどう生きていけばいいのか分からないながらも必死に喪主としての務めを果たそうとする姿にその場にいた全員がもらい泣きをしていた。

 

 

その様子を冷静に見ていたのは私だけだったと思う。

 

 

 

お経が終わると、まずはハイエナの職場の人が挨拶に来た。

 

 

全員神妙そうな顔をしていた。

 

 

どういう経緯で亡くなったのかという話をした後に一番上の人が「頑張れよ」と言って帰って行った。

 

 

その後はムスコンの職場の人達が立て続けに挨拶に来た。

 

 

ムスコンの近所の人が香典返しを複数持ち帰る後姿も見えた。

 

 

 

それを見て思ったのが、今私が死んだとしたら何人が葬儀に来てくれるかということ。

 

 

私は働いていないし友達もいない。親戚からも嫌われているからきっと誰も葬式に来てくれない。文字通りの家族葬になりそう。実の弟すら面倒くさがって来ないと思う。

 

 

ムスコンは働いていたので職場のババ友達が来てくれたけど私にはそんな人はいない。

 

 

ムスコンは何でも私に張り合って勝とうとしていたが私には通夜に来てくれるような友達はいないのでここはムスコンの勝利だ。最後に勝てて良かったね。

 

 婆友の中には

 

 

「ムスコンさんは私にとって何でも教えてくれるお母さんのような人でした」

 

 

という人がいて驚いた。

 

 

あの鼻につくいやらしい負けず嫌いなマウント体質のムスコンにそんな一面があったとは意外~無気力

 

 

そういえばムスコンの弟も葬儀屋が来る前に「母親のような姉だった」と言っていたのでムスコンは気に入った人にはお母さんらしく振る舞う人だったのだろう。

 

孫たちの母親でありたかったのも小さい子から慕われるお母さんでありたかったから。きっとムスコンは小さい頃からずっとお母さんという存在に憧れていたんだと思う。

 

 

でもだからと言って嫁を母親の座から押しのけていい理由にはならないけどね。

 

 

婆は婆らしく婆らしい愛で母親ではなく祖母として孫たちを愛情で包んでほしいものです。ムスコンはただ息子と孫を自分の物にしたかっただけ。

 

 

 

ババ友の中にはムスコンの体調不良に気が付いていた人もいた。その人はあまりムスコンのことが好きではなかった感じに見えた。

 

 

それで複数のババ友達から言われてどうしても解せなかったのが

 

 

「おかあさんが心配していたよ」

 

 

という言葉昇天昇天昇天

 

 

 

私は低能なので言われた瞬間、心配とはどんな意味か分からなくなりました。

 

 

 心配とは、ステロイドでうつ状態ながらも一人で副作用と難病と闘っている嫁から息子と孫を取り上げて嫁に知らん顔をする生活を維持した状態を指す言葉なんですねーーーーーーーーーーーーーーーーー真顔

 

 

 

 

そりゃあ姑の家に息子と孫だけを呼び寄せて暮らしていたら普通は「お嫁さんはどうしているの?」って聞かれるでしょう。

 

 

もしそれで本当の事を言おうものならムスコンさんは「病気の嫁から息子と孫を取り上げた極悪姑」って後ろ指をさされますもんね真顔

 

 

 

ムスコンにとって嫁は孫を産めば用無しだった。

 

 

~言葉ではなく洋梨を使い嫁は用無しだと匂わせた話~

 

 

 

ムスコンは最初から孫さえ手に入れば後は自分がママになって孫を育てるつもりだったから嫁が病気になってくれて渡りに船だった。でもそれを周りに言うと自分が悪く見られますよね。

だから病気の嫁の代わりに孫育てをする健気な姑を演じて嫁を心配するふりをして周りの同情を買っていたんですねーーーーーーーーーーーームキー

 

 

 

何か胸糞悪かったけど

 

 

「生前はムスコンと仲良くして頂いてありがとうございました。ご心配をおかけしました」

 

 

と言ってみたけどこんな時どういったらいいのかわっかんねぇ~ゲロー地頭弱いのにいきなり応用問題が来てもかわせません。もっと社会経験を積んどきゃ良かった。

 

 

 

 

ムスコンめ、私がいないのをいいことに言いたい放題いいやがって~~~~ムキー

 

 

大体あの人は病気で苦しんでいる私の事を完全に放置して息子と孫との生活を満喫していましたからね。邪魔者いなくて幸せ🎵状態でしたから。ハイエナも「おかんはあんたのことを全く心配していなかった」と言っていましたよ。

 

 

一体いつどこで嫁の心配していたのか知りたいです。

 

 

 

それから親戚たちと通夜ぶるまいの席についた。

 

 

ムスコンの弟がムスコンの闘病歴を熱く語っていた。

 

 

ムスコンは舅側の親戚には持病があることを伏せていたので親戚たちは「まぁ~、知らなかったわ~」と言っていた。

 

 

そこで私は食後の薬を飲むことにした。

 

どこか離れたところで飲めばよかったのだがあまり薄暗い葬儀屋の中をウロウロしたくなかったのでついみんなの前で飲むと、ハイエナの親戚の老婆二人が重病人が薬を飲む瞬間を垣間見たという表情をしてこっちを見ていた。

 

 

飲んだのは耳鼻科の薬なんですけどね(笑)

 

 

姑があちこちで嫁は難病で死にかけたと言いふらしてくれたおかげですっかり偏見の眼差しで見られてしまってニヤリ

 

 

で、ちょうど下の子も風邪を引いていたので薬を飲ませていると

 

 

「まあ!下の子君も薬を飲むのね!」

 

 

と親子そろって難病患者だと言わんばかりの事を言われたのであえて笑顔で

 

 

「今風邪を引いているんですよ~」

 

 

と軽い感じで言うと

 

 

「まぁ風邪なの!今は寒いからね」

 

言われた。

 

 

何だか風邪以外の原因で薬を飲んでいると言いたくてたまらないように聞こえましたが笑顔でスルーしました。親が病気なら子どもも病気だと思うのは偏見です。私の病気は遺伝しませんよ。でもそう思う人はきっと多いと思う。

 

 

通夜ぶるまいの席がお開きになると全員帰った。

 

 

舅の時は5,6人が泊まったのでストレスだったが今回はそれがなかった。

 

 

広い部屋に家族四人と姑の棺だけ。

 

 

何だか寂しい感じがした。

 

 

私は眠剤を飲んだもののなかなか寝付けずに結局寝たのか寝てないのかよく分からない状態で朝を迎えた。

 

 

7時に布団を片付けてすぐに着替えた。

 

 

朝食はどうだったかよく覚えていない。

 

 

告別式は11時からだったが親戚たちは9時半には揃った。

 

 

ハイエナは何もしようとせずひたすらタバコを吸っていた。

 

 

姑の妹が、粉に水を混ぜて整形するお菓子を買ってきて上の子と下の子にやらせていたので葬儀の前になんて不謹慎なんだと思って

 

 

「そんなことをしたら散らかるのでやめてください」

 

 

と言ったものの

 

 

「散らかったら拭くわよ!!」

 

 

と言って引かなかったのでこの野郎と思いながらも黙った。一体葬儀を何だと思っているんでしょうか。

 

しかしムスコン妹はムスコン弟に「お前こんな時にこんなことやめろ」と叱られていました。それでも「まあいいじゃない」と止めようとはしませんでした。さすがムスコンと血を分けた姉妹だけのことはありますねムキームキームキー

 

 

ハイエナがあんな調子だったので私たちは親戚に出すお菓子を用意することを忘れていて見かねた人が買いに行ってくれた。申しわけないので後でお金を渡した。

 

 

葬儀は無事に始まって無事に終了した。

 

 

ハイエナはまた喪主の挨拶で泣いていた。周りはもうもらい泣きをしなかった。喪主の挨拶も一人ではできないからと無理やり私を横に立たせた。本当にいい加減にして欲しいと思った。

 

 

葬儀後はハイエナが霊柩車に乗り込んで私は遺影を持ってバスに乗った。あとは誰が何を持ったのかは覚えていない。

 

 

バスではムスコンの妹が上の子と下の子を自分の席の隣に乗せた。子どもたちは大人しく座っていた。

 

 

それはまるで子ども達が私よりもムスコンを慕っている証拠のようで嫌だった。ムスコンはよく子どもたちをムスコン妹と会わせていたから私よりもムスコン妹に懐いていた。あまり見たくない現実を突きつけられたようで嫌だった。

 

火葬場に着くと姑の棺桶が中に運ばれていった。

 

 

係の人が「お辛いでしょうが」とハイエナにボタンを押すように言った。

 

 

ハイエナは黙ってボタンを押すとゆっくり振り返って辛そうにこっちを向いたがすぐに吹っ切れたような顔をした。

 

 

最愛の母を火にかけるのはさぞ辛かっただろう。その点は同情する。

 

 

火葬している間、舅の兄弟が下の子にりんごジュースを買ってくれて下の子が喜んでいた。上の子はどうだったか覚えていない。

 

骨壺に骨を拾う時も、舅の時は骨壺の横にハイエナと姑がぴったりとくっついてその周りを親戚たちが取り囲み、嫁である私の入る余地はなくて私は足元の方に一人でポツンといたが今回はハイエナの隣に立って喉仏を収める瞬間を近くで見守った。

 

 

私は帰りのバスの中で遺影を持ちながら

 

 

「これで私の嫁姑戦争は終わった」

 

 

と達成感に満ち溢れていた。同じ景色でも火葬場に行く前とは違って見えた。

 

 

 

 

 

葬儀屋に到着すると私の弟から線香が届いていた。

 

 

弟は葬儀には来なかったがけじめはつけたかったらしい。面倒なことから逃げていると後で大きなしっぺ返しが来るよ。

 

 

後は花束を受け取り遺影と位牌と骨壺と一緒に車に積んだ。花束は翌日お寺に持って行くように言われた。

 

 

帰宅すると姑の弟夫婦が来た。他の親戚は来なかった。舅の時は全員集合したのに。

 

 

姑の弟がハイエナに色々と教えていると姑の弟の奥さんが

 

 

「夫ちゃん、これからハイエナ君たちがハイエナ君のお金でやることなんだから口を出しちゃダメよ」

 

 

と言ったので少しイラっとした。何か余計な一言でイラっとする。大体いい年をした亭主をちゃん付けで呼ぶってどうよ?

 

 

葬儀屋の紙に従って祭壇を飾ろうとすると、紙に「霊供膳」と書いてあった。

 

 

ハイエナに「霊供膳って何?」

 

と聞くと

 

「知らん」

 

 

と返って来た。

 

 

姑の弟夫婦に聞いても「知らない」と言った。

 

 

舅の祭壇にもそれらしきものが置かれていた記憶がない。

 

 

霊供膳って一体何???

 

 

ここで姑の弟夫婦は帰った。

 

 

当時はまだスマホじゃなくて分からないことはすぐにググる習慣がなかった。

 

 

そしてガラケーで検索するということを思いつく余裕もなかった。

 

 

私はすぐに葬儀屋に電話をした。

 

 

すると一応教えてくれたが「仏壇屋に聞いてください」と言われたので仏壇屋に電話をした。

 

 

仏壇屋によると霊供膳は今すぐいるものではなくてお坊さんがお経をあげに来る日(〇七日)にお供えする御膳でお父さんが亡くなっているのならお母さんが持っているはずだと言われた。お膳にはそれぞれどの皿に何の料理をのせるか決まっているようだった。

 

 

しかしムスコンはそんなものを出さなかった。

 

 

ハイエナもそんなものは見たことがないと言っていた。

 

 

どうやらムスコンは霊供膳を完全スルーしていた模様。おそらくムスコン弟夫婦もムスコン母の時に出していないだろう。だから誰も知らなかった。

 

 

仏壇屋では霊供膳はふた七日まではいらないと言っていたが私はどうしてもすぐに買わないといけないような気がしたのでそのまま買いに行くことにした。

 

 

ハイエナもついてこようとしたがまずは祭壇を完成させなければいけなかったのでハイエナにそれをお願いして私が一人で買いに行った。

 

 

仏壇屋の人はあたたかった。49日以降の位牌もここで作ろうと思った。

 

 

葬儀屋からは「二日は泊ってください」と言われたのでその日はムスコンの家に泊まった。

 

お風呂に入ろうとするとハイエナが「この家の風呂はあまり良くないから今日は入らないようにしよう」と言ったのでお風呂は我慢した。何でも冬場は寒いらしく私が風邪を引くと心配したらしい。

 

 

寝る前に、ハイエナが数珠をもって二階に上がって来た。

 

 

「おーい、これはどこなの?」

 

 

とハイエナが言うと、通夜に行く前に数珠が置かれていたタンスの扉がカチッと開いてゆっくり開いた。

 

ハイエナはおかんが反応してくれたと言わんばかりに嬉しそうにニコッと笑った。私にもそれはまるでハイエナの問いかけにムスコンが答えて数珠はここに置くのよと言ったように見えた。

 

怖すぎる。

 

 

そしてこれは長きに渡る超常現象の始まりに過ぎなかった。

 

 

続く