2016年 新年明けましておめでとうございます!

江戸時代に蕎麦が大流行 の続き・・

江戸時代に外食文化の花形として花開いた そば だが戦国時代の末期くらいに
現在の麺としてのそばが生まれたようだ。
 
1574年 文献に「ソハキリ」という食べ物が登場 
信州・基礎大桑村の定勝寺の保管文書で起源は不明で、室町時代から一部の寺で存在したという説もある

1583年 蕎麦屋の登場
日本で最初の蕎麦屋というのははっきりしていないが記録にあるものとしては 大阪城築城時の時 各地から集まった職人などに 「和泉屋 」がそばを提供したのが最初で、建築資材である砂を積んであった土地に店があったので 人々はその蕎麦屋を「砂場」と呼んだ。
後に 江戸の有名な老舗となる「砂場」の前身である。
      

 そして江戸時代になると 100万都市 江戸 の建築土木の為人々が江戸に集まり、記録にはないが上方からも職人・土工と一緒に外食文化も江戸に入ったと思われる。

 当時は一日三食より 一日二食が主流で昼飯という習慣がまだなかったが
 仕事の合間のファーストフードとして 「うどん」「蕎麦」はうってつけだったからだ。

 
  棒手振りの 移動式そば屋は、建設現場付近や夜  夜鳴き蕎麦 夜鷹そばとして江戸の往路に出店し、一般家庭の料理としても人々の暮らしに浸透し始めた。
文献では江戸で最初の蕎麦屋は1624年ごろとなっているが、実際はもう少しさかのぼり
1603年頃だったと思われる
当初は うどん屋 が主流で 蕎麦切り は うどん の兼業メニューだ。
具体的なそば専業の屋号としては「江戸町方書上」にでてくる「正直蕎麦」で1664年とだいぶ後になる。
    いまでいう 「かけ蕎麦」でまだ ざるそばはない。
    ちなみに 新宿区四谷は江戸時代初期の頃は 玄蕎麦の産地だった。

  江戸中期には、「けんどん」という安価(8文)なそばの出現と人口の急増により 第一期の
そばブームがくる。
また「そば切り」は、家庭料理でもあるので、「にわか商い」として 棒手振りをなりわいにする人が増えた。 

18世紀になると 「そば切り」は 「そば」と短縮されて現在の呼称になる。
商人の家では 毎月の末の日に 「みそか蕎麦」を食べる習慣も始まり、
下々の食べ物とされていた 「そば切り」は やがて将軍様も食されるようになり
東北地方から江戸では、「蕎麦」は食文化として定着し、江戸後期には、「砂場」「藪蕎麦」「更級蕎麦」などの人気店で ざる蕎麦などの新メニューも開発され
上方では蕎麦よりうどんが方が人気があったが、江戸といえば蕎麦という江戸の代表的食文化として発展した。
 江戸っ子は そばを もぐもぐ 食わない、歯を使わないそばのすすり方まで落語にでてくるような仕草、うんちくの流行があった。
 江戸町内に3000軒 1町(109m)に一軒の蕎麦屋があったらしい(担ぎといわれる移動式簡易蕎麦屋を除く)

 ありがとうございます。
              ツーオン

蕎麦のうんちくブログ
1.蕎麦の食べ比べ
2.SOBA そば とは?
3.蕎麦の呼び方
4.蕎麦の打ち方による呼称
5.蕎麦の切り方の名称
6.日本人はいつから蕎麦を食べているのか?
7.江戸時代に蕎麦が大流行