1月15日。起床。まずは朝食を求めて外に出る。
「ブブル・アヤム」の屋台発見。ブブルとは粥、アヤムとは鶏のこと。
注文して、食べてみた。美味。事後に調理内容を調べたところ、ココナツミルクで炊いた粥に鶏肉等の具を乗せ、鶏ガラスープをかけたものとのこと。これでRp10,000(123円)。安いっ! そして美味。朝食向きの味だ。
ただ、これだと小さめの椀1杯の量なので、足りない…。なので、もう少し歩いたところ、
「ナシ・ウドゥッ」の屋台を発見。ここで朝食の「お替り」をする。
注文。ナシは飯のことで、ナシ・ウドゥッとはココナツミルクで炊いた白飯のこと。それにテンペ(インドネシア納豆)を味付けして炒めたもの、ビーフン、薄い卵焼き、茹で卵、チリを盛った1プレート。動物性蛋白質のおかずは卵系だけで、セミベジタリアン向けのメニューと言える。これでRp10,000(123円)。安いっ! そしてこちらも美味。
屋台のおじちゃん、おばちゃんの中には英語を解さない人も少なくない。それでも俺は「アパ・イニ?(これ何?)」「サヤ・インギン・マカン・イニ(これ食べたい)」「イニ・サトゥ、イニ・サトゥ(これ1つ、これも1つ)」「ブラパ?(いくら?)」の組み合わせと、数字(金額)くらいのインドネシア語はわかるので、注文はできる。食後に「エナッ、トゥリマカシ(美味しかったです、ありがとう)」と言えば、屋台の人は笑顔で返してくれる。
朝から屋台2つをハシゴしたことで、さすがに満腹になり、宿に戻る。宿からボロブドゥル遺跡公園の入口はすぐ近く。今日の遺跡に入場するグループツアーの予約時刻は8:30。その前に受付や説明などの諸々があるので、ちょっと早めに徒歩で出発した。ところが…。
遺跡公園の正面入口であるはずの東側の門が閉まっている。近くに、明らかに英語を解さなそうな警備員がいたので、「ジャン・ブラパ、ブカ?(何時、オープン?)」と聞いたところ、インドネシア語でバーッと説明された。何言ってるか全然わからんのだが、ジェスチャー等から察するに、どうやら「公園入口はここじゃない。道沿いにそこの角を曲がった先だ」とのこと。
なので、徒歩でその角まで行ってみたところ、そこには英語で「遺跡公園入口まで1km」の看板があった。これを見て、前日にチキンチャーチに行く時にその道を自転車で通った際、それっぽい入口というか駐車場的なスペースがあったことを思い出した。「あそこがボロブドゥル遺跡公園の入口だったのか…いや、遠いぞ。徒歩だと、ヘタしたら8:30の集合に間に合わない」と。
よって、徒歩で早急に宿へ引き返し、自転車に乗って改めて遺跡公園入口に向かうことにする。Javanava Travelcafeで自転車を借りたまま、宿に一晩置いておいて良かった。
1kmほどの緩い上り坂の道を自転車で進み、ボロブドゥル遺跡公園の北側にある入口に到着。現在の公園入口はここである。
事後にJavanava TravelcafeのNさんに聞いたところによると、元々の遺跡公園入口は、俺が泊った宿のすぐ近くにある東側の門だったのだが、昨年10月に何の報せも前触れもなく突然、入口が北側のここに変わったとのこと。俺は日本で事前調べはしたのだが、入口が変わってから日が浅いため、その情報は日本のガイドブックには勿論載っておらず、ネット上でも見つけられなかったのだ。まあ、こういうの、インドネシアというか南国・発展途上国「あるある」ではあるが…。
そして、俺が泊まった宿には昨晩、俺以外には宿泊客がいないようだったが、これはボロブドゥル遺跡公園の入口が変わったことにより、「遺跡公園の入口に近い」という宿の利用価値が著しく下がってしまったから、宿泊者が激減したのかもしれない。
自転車を停める場所が見当たらないので、オートバイの有料駐輪場の警備員に聞いたところ、その駐輪場に無料で停めさせてもらえた。まずは、長い土産物屋ロードの中を突っ切る。朝なので、産物屋の客引きはまだほとんどいない。遺跡公園の受付ゲートに着き、「外国人入場受付」の方へと向かう。
日本でプリントアウトしておいた予約票を受付にて提示すると、スタッフがQRコードを読み取り、手首に巻くチケットが発券された。事前払いの「遺跡内に入れる」チケット代はRp471,151。円建てだとクレカ決済時のレートがRp10,000=99円で、4,664円。正直、高いが、遺跡内への入場者は全員外国人観光客なので、完全ツーリストプライスとなるのは仕方がない。
チケット発券時にエコバッグ、サンダル、水1本が支給される。ボロブドゥル遺跡では遺跡保護のため、履いて来た靴はこのサンダルに履き替えなければならない。自分の靴はエコバッグに入れて持ち歩く。これらはすべて持ち帰り可である。
順路に従い、シャトルカートの乗り場へ。遺跡公園内をこのシャトルカートに乗って移動する。
ボロブドゥル寺院遺跡手前に建つ「あずま屋」に到着。
あずま屋の下に集合し、遺跡内に入るグループツアーの順番が来るのを待つ。ここで待機しているのは皆、事前予約で申し込んだ外国人観光客のみである。31年前はあっさりと入場できたものだが、今回はここに来るまで公園内外でえらい遠回りをさせられている。まあ、仕方ない。
グループツアーの人数は15人ほど。ガイドさんの先導で屋外に出て、まずは英語で遺跡についての説明を受ける。ガイドさんはムスリム(イスラム教徒)女性だが、いくつもの宗教が穏やかに共存するインドネシアでは、イスラム教徒が仏教遺跡のガイドをしても不適格ではないようだ。ガイドさんは英語が堪能だが、俺のヒアリング能力では説明の大部分が聞き取れない。辛うじて聞き取れた話は、31年前にもここを訪れている俺にとっては、すでに既知の情報であったりした。
歩いて進むと現れた、正面にそびえる巨大な建築物。これがボロブドゥル仏教寺院遺跡。31年前にも感じた、この圧巻感。やっぱ凄え…。
ボロブドゥル仏教寺院は8世紀に建てられた世界最大の仏教寺院である。ミャンマーのバガン、カンボジアのアンコールワットと並び「世界三大仏教遺跡」とされている。しかもボロブドゥル寺院はタイやスリランカのような上座仏教ではなく、日本と同じ大乗仏教の寺院とのこと。遺跡の総面積は約15,000平方m、高さは33.5mという。石造建築物の遺跡で、石積みの接着剤には多量の生卵が使われたという説がある。
俺がボロブドゥル寺院について初めて知ったのは、受験勉強の世界史であった。建設当時の王朝はシャイレーンドラ王朝で、このボロブドゥルの石造建築物は仏教僧のための修行寺院という説が一般的だが、王家の霊廟という説もある。また、この遺跡は長年に亘り、密林の中で土の中に埋もれていた。これは、近くのムラピ火山の噴火により火山灰の下に埋もれたとか、王朝の衰退に伴って人為的に埋められたとか、諸説あるが、詳細は推測の域を出ていない。
1814年に森の中で再発見され、年月を経て修復工事がなされ、1982年に工事完了。1991年に近くのパウォン寺院、ムンドゥッ寺院と一緒に世界遺産に登録された。
グループツアー参加者の白人男性にお願いして、シャッターを押してもらった。
寺院の外側までは予約無しの公園入場券で近寄れるが、赤いラインから先の階段を上って遺跡に登壇するには、予約申し込みの上での遺跡入場チケット購入とグループツアー参加が必要となる。
グループツアー参加者の希望により、まずは寺院の頂上に向かって上って行く。
なお、グループツアー参加者(全員外国人)15人程のうち、俺以外の日本人らしき人は若い男女1組と壮年女性1人の2組のみ。他は白人と中国系と思われるアジア人が多かった。
寺院の最上壇部を撮影。周囲にある釣鐘状の石組オブジェが「仏塔」。別名「ストゥーパ」で、漢字では「卒塔婆=そとば」と書く。
上壇部にて、ガイドさんにシャッターをお願いして記念撮影。ガイドさんは、観光客のカメラマンとしても忙しく動いていた。
この上壇部でもガイドさんから説明を受ける。その後、この層にて撮影や散策のための自由時間が認められたが、その時間は20分。短い!が、これも遺跡保護のため。上壇部まで上がれただけでも、良しと思わなければなるまい…。
上壇部に並ぶストゥーパ群。これらの石組の中にはそれぞれ石仏像が入っている。
ストゥーパの形状には、窓(?)が♦のものと、■のものがある。■のストゥーパは♦のストゥーパより一段上の層にあり、よりステージが高いと思われる。なお、現在は遺跡保護のため、観光客は■の層から上には上がれない。31年前には上れた記憶があるが、これも仕方がない。
頂上部を撮影。この頂上部も当然に、遺跡保護のため今は立入禁止域となっており、近寄ることはできない。
なお、この頂上部の形状から、ボロブドゥル寺院の建造物全体が「ストゥーパ」を表している、という説もあるという(諸説あり)。
ストゥーパの中に収められている仏像を、♦の窓から覗いて撮影。このボロブドゥル遺跡は後の時代に盗難・盗掘等の被害に遭い、特に仏像の頭部は高く売れたため、この画像のように頭部が残っている仏像は少ないという。
また、昔は♦の窓から手を入れて、この仏像の頭部に触れるとご利益があると言われていたが、今は遺跡保護のためその行為は禁止されている。
その姿がわかりやすいように、ストゥーパの覆いを意図して修復せず、外から見えるようにしている仏像もある。
仏像頭部の背景が空になるよう、アングルを変えて撮影。フィルム撮影だった31年前と比べると、ほぼ撮り放題で、即座に画像の写り具合が確認できるデジカメ撮影の今は良い時代になったものだ。
ボロブドゥル寺院から望むムラピ火山の姿。あの火山が噴火して、その火山灰がボロブドゥル寺院を覆い尽くし、ボロブドゥルは1000年の眠りについたのだという。
ボロブドゥル寺院遺跡の上にて、集合場所のあずま屋から寺院遺跡に通ずる通路を見下ろす。まあ、整備された公園にはなっている。
ボロブドゥル仏教寺院の凄さは、その巨大さに加えて、彫刻や彫像の精巧さにもある。上壇部での自由時間を終えた後、階段を下りながら、ガイドさんが途中の回廊の壁画をピックアップして、説明をしてくれた。…が、俺の英語のヒアリング能力が低すぎて、何を話しているのかよくわからん。
そんな折、数多くの壁画彫刻の中に、英語の説明を聞いて「これは!」というものがあった。手塚治虫「ブッダ」のオープニング、兎が焼身自殺して「私を食べてください」のシーン。事後調べによると、この話はインドから遠く離れた日本にも伝わり、今昔物語集にも収められていて、ウサギは自己犠牲の見返りとして月に棲むようになったという結末も存在する様子?
遺跡の石積みの上を歩いていると、○マークのある石がある。ガイドさんの説明によると、これは「要石」のようなもので、遺跡の清掃や調査の際、まずこの石を抜くことで石積みの分解を手順良く実施することができるという。
地面の層まで下りて来て、遺跡内のグループツアーは終了。20分の自由時間以外は常にガイドと一緒に行動しなければならないという制限はあったものの、巨大な遺跡の内部に入場できて良かった。
この後は自由行動となる。自由行動といっても、することは地面の上を移動しながら、様々な角度で巨大な遺跡を見上げて撮影するだけである。
遺跡にはピラミッドのようにも見える箇所がある。なるべく人が入り込まないタイミングでの撮影を努めた。
巨大な遺跡の周囲をぐるっと1周し、遺跡の正面に戻って来た。改めて…巨大だ。
公園管理の男性スタッフが「シャッター押そうか?」と言ってくれたので、押してもらった。
公園内には多人数のインドネシア人観光客がいた。しかし、遺跡内に入れるのは高い入場券を買った外国人観光客のみの様子で、インドネシア人観光客のほとんどは、遺跡内には入れない入場券で公園に入場し、地面の層から遺跡の外観を眺めるだけのようだ。
そして、公園内では多くの中学or高校生らしきインドネシア人が、白人観光客に英語で「インタビュー」をしていた。ああ、こういうの、俺も中学生の頃、修学旅行先の京都とかで「やらされた」なあ、と。彼らインドネシア人観光客のほとんどがイスラム教徒だからか、仏教遺跡であるボロブドゥル寺院は、彼らにとっては「聖なる地」という認識は薄く、あくまで「外国人にインタビューする機会も存在する『観光地』」であるようだ。
なお、俺にインタビューに来る学生は誰もいない。まあ、俺は見るからに白人じゃない(≒英語が通じない可能性がある)し。実際、俺は英語が下手だから、来られても困るし。
巨大なボロブドゥル遺跡を存分に観たので、続いては、遺跡の奥の階段を下りて博物館へと向かうことにする。
続く。