1月15日。起床。まずは朝食を求めて外に出る。

 

 

「ブブル・アヤム」の屋台発見。ブブルとは粥、アヤムとは鶏のこと。

 

 

注文して、食べてみた。美味。事後に調理内容を調べたところ、ココナツミルクで炊いた粥に鶏肉等の具を乗せ、鶏ガラスープをかけたものとのこと。これでRp10,000(123円)。安いっ! そして美味。朝食向きの味だ。

 

ただ、これだと小さめの椀1杯の量なので、足りない…。なので、もう少し歩いたところ、

 

 

「ナシ・ウドゥッ」の屋台を発見。ここで朝食の「お替り」をする。

 

 

注文。ナシは飯のことで、ナシ・ウドゥッとはココナツミルクで炊いた白飯のこと。それにテンペ(インドネシア納豆)を味付けして炒めたもの、ビーフン、薄い卵焼き、茹で卵、チリを盛った1プレート。動物性蛋白質のおかずは卵系だけで、セミベジタリアン向けのメニューと言える。これでRp10,000(123円)。安いっ! そしてこちらも美味。

 

屋台のおじちゃん、おばちゃんの中には英語を解さない人も少なくない。それでも俺は「アパ・イニ?(これ何?)」「サヤ・インギン・マカン・イニ(これ食べたい)」「イニ・サトゥ、イニ・サトゥ(これ1つ、これも1つ)」「ブラパ?(いくら?)」の組み合わせと、数字(金額)くらいのインドネシア語はわかるので、注文はできる。食後に「エナッ、トゥリマカシ(美味しかったです、ありがとう)」と言えば、屋台の人は笑顔で返してくれる。

 

朝から屋台2つをハシゴしたことで、さすがに満腹になり、宿に戻る。宿からボロブドゥル遺跡公園の入口はすぐ近く。今日の遺跡に入場するグループツアーの予約時刻は8:30。その前に受付や説明などの諸々があるので、ちょっと早めに徒歩で出発した。ところが…。

 

遺跡公園の正面入口であるはずの東側の門が閉まっている。近くに、明らかに英語を解さなそうな警備員がいたので、「ジャン・ブラパ、ブカ?(何時、オープン?)」と聞いたところ、インドネシア語でバーッと説明された。何言ってるか全然わからんのだが、ジェスチャー等から察するに、どうやら「公園入口はここじゃない。道沿いにそこの角を曲がった先だ」とのこと。

 

なので、徒歩でその角まで行ってみたところ、そこには英語で「遺跡公園入口まで1km」の看板があった。これを見て、前日にチキンチャーチに行く時にその道を自転車で通った際、それっぽい入口というか駐車場的なスペースがあったことを思い出した。「あそこがボロブドゥル遺跡公園の入口だったのか…いや、遠いぞ。徒歩だと、ヘタしたら8:30の集合に間に合わない」と。

 

よって、徒歩で早急に宿へ引き返し、自転車に乗って改めて遺跡公園入口に向かうことにする。Javanava Travelcafeで自転車を借りたまま、宿に一晩置いておいて良かった。

 

 

1kmほどの緩い上り坂の道を自転車で進み、ボロブドゥル遺跡公園の北側にある入口に到着。現在の公園入口はここである。

 

事後にJavanava TravelcafeのNさんに聞いたところによると、元々の遺跡公園入口は、俺が泊った宿のすぐ近くにある東側の門だったのだが、昨年10月に何の報せも前触れもなく突然、入口が北側のここに変わったとのこと。俺は日本で事前調べはしたのだが、入口が変わってから日が浅いため、その情報は日本のガイドブックには勿論載っておらず、ネット上でも見つけられなかったのだ。まあ、こういうの、インドネシアというか南国・発展途上国「あるある」ではあるが…。

 

そして、俺が泊まった宿には昨晩、俺以外には宿泊客がいないようだったが、これはボロブドゥル遺跡公園の入口が変わったことにより、「遺跡公園の入口に近い」という宿の利用価値が著しく下がってしまったから、宿泊者が激減したのかもしれない。

 

自転車を停める場所が見当たらないので、オートバイの有料駐輪場の警備員に聞いたところ、その駐輪場に無料で停めさせてもらえた。まずは、長い土産物屋ロードの中を突っ切る。朝なので、産物屋の客引きはまだほとんどいない。遺跡公園の受付ゲートに着き、「外国人入場受付」の方へと向かう。

 

日本でプリントアウトしておいた予約票を受付にて提示すると、スタッフがQRコードを読み取り、手首に巻くチケットが発券された。事前払いの「遺跡内に入れる」チケット代はRp471,151。円建てだとクレカ決済時のレートがRp10,000=99円で、4,664円。正直、高いが、遺跡内への入場者は全員外国人観光客なので、完全ツーリストプライスとなるのは仕方がない。

 

 

チケット発券時にエコバッグ、サンダル、水1本が支給される。ボロブドゥル遺跡では遺跡保護のため、履いて来た靴はこのサンダルに履き替えなければならない。自分の靴はエコバッグに入れて持ち歩く。これらはすべて持ち帰り可である。

 

 

順路に従い、シャトルカートの乗り場へ。遺跡公園内をこのシャトルカートに乗って移動する。

 


ボロブドゥル寺院遺跡手前に建つ「あずま屋」に到着。

 

 

あずま屋の下に集合し、遺跡内に入るグループツアーの順番が来るのを待つ。ここで待機しているのは皆、事前予約で申し込んだ外国人観光客のみである。31年前はあっさりと入場できたものだが、今回はここに来るまで公園内外でえらい遠回りをさせられている。まあ、仕方ない。

 

 

グループツアーの人数は15人ほど。ガイドさんの先導で屋外に出て、まずは英語で遺跡についての説明を受ける。ガイドさんはムスリム(イスラム教徒)女性だが、いくつもの宗教が穏やかに共存するインドネシアでは、イスラム教徒が仏教遺跡のガイドをしても不適格ではないようだ。ガイドさんは英語が堪能だが、俺のヒアリング能力では説明の大部分が聞き取れない。辛うじて聞き取れた話は、31年前にもここを訪れている俺にとっては、すでに既知の情報であったりした。

 

 

歩いて進むと現れた、正面にそびえる巨大な建築物。これがボロブドゥル仏教寺院遺跡。31年前にも感じた、この圧巻感。やっぱ凄え…。

 

ボロブドゥル仏教寺院は8世紀に建てられた世界最大の仏教寺院である。ミャンマーのバガン、カンボジアのアンコールワットと並び「世界三大仏教遺跡」とされている。しかもボロブドゥル寺院はタイやスリランカのような上座仏教ではなく、日本と同じ大乗仏教の寺院とのこと。遺跡の総面積は約15,000平方m、高さは33.5mという。石造建築物の遺跡で、石積みの接着剤には多量の生卵が使われたという説がある。

 

俺がボロブドゥル寺院について初めて知ったのは、受験勉強の世界史であった。建設当時の王朝はシャイレーンドラ王朝で、このボロブドゥルの石造建築物は仏教僧のための修行寺院という説が一般的だが、王家の霊廟という説もある。また、この遺跡は長年に亘り、密林の中で土の中に埋もれていた。これは、近くのムラピ火山の噴火により火山灰の下に埋もれたとか、王朝の衰退に伴って人為的に埋められたとか、諸説あるが、詳細は推測の域を出ていない。

 

1814年に森の中で再発見され、年月を経て修復工事がなされ、1982年に工事完了。1991年に近くのパウォン寺院、ムンドゥッ寺院と一緒に世界遺産に登録された。

 

 

グループツアー参加者の白人男性にお願いして、シャッターを押してもらった。

 

 

寺院の外側までは予約無しの公園入場券で近寄れるが、赤いラインから先の階段を上って遺跡に登壇するには、予約申し込みの上での遺跡入場チケット購入とグループツアー参加が必要となる。

 

 

グループツアー参加者の希望により、まずは寺院の頂上に向かって上って行く。

 

なお、グループツアー参加者(全員外国人)15人程のうち、俺以外の日本人らしき人は若い男女1組と壮年女性1人の2組のみ。他は白人と中国系と思われるアジア人が多かった。

 

 

寺院の最上壇部を撮影。周囲にある釣鐘状の石組オブジェが「仏塔」。別名「ストゥーパ」で、漢字では「卒塔婆=そとば」と書く。

 

 

上壇部にて、ガイドさんにシャッターをお願いして記念撮影。ガイドさんは、観光客のカメラマンとしても忙しく動いていた。

 

 

この上壇部でもガイドさんから説明を受ける。その後、この層にて撮影や散策のための自由時間が認められたが、その時間は20分。短い!が、これも遺跡保護のため。上壇部まで上がれただけでも、良しと思わなければなるまい…。

 

 

上壇部に並ぶストゥーパ群。これらの石組の中にはそれぞれ石仏像が入っている。

 

 

ストゥーパの形状には、窓(?)が♦のものと、■のものがある。■のストゥーパは♦のストゥーパより一段上の層にあり、よりステージが高いと思われる。なお、現在は遺跡保護のため、観光客は■の層から上には上がれない。31年前には上れた記憶があるが、これも仕方がない。

 

 

頂上部を撮影。この頂上部も当然に、遺跡保護のため今は立入禁止域となっており、近寄ることはできない。

 

なお、この頂上部の形状から、ボロブドゥル寺院の建造物全体が「ストゥーパ」を表している、という説もあるという(諸説あり)。

 

 

ストゥーパの中に収められている仏像を、♦の窓から覗いて撮影。このボロブドゥル遺跡は後の時代に盗難・盗掘等の被害に遭い、特に仏像の頭部は高く売れたため、この画像のように頭部が残っている仏像は少ないという。

 

また、昔は♦の窓から手を入れて、この仏像の頭部に触れるとご利益があると言われていたが、今は遺跡保護のためその行為は禁止されている。

 

 

その姿がわかりやすいように、ストゥーパの覆いを意図して修復せず、外から見えるようにしている仏像もある。

 

 

仏像頭部の背景が空になるよう、アングルを変えて撮影。フィルム撮影だった31年前と比べると、ほぼ撮り放題で、即座に画像の写り具合が確認できるデジカメ撮影の今は良い時代になったものだ。

 

 

ボロブドゥル寺院から望むムラピ火山の姿。あの火山が噴火して、その火山灰がボロブドゥル寺院を覆い尽くし、ボロブドゥルは1000年の眠りについたのだという。

 

 

ボロブドゥル寺院遺跡の上にて、集合場所のあずま屋から寺院遺跡に通ずる通路を見下ろす。まあ、整備された公園にはなっている。

 

 

ボロブドゥル仏教寺院の凄さは、その巨大さに加えて、彫刻や彫像の精巧さにもある。上壇部での自由時間を終えた後、階段を下りながら、ガイドさんが途中の回廊の壁画をピックアップして、説明をしてくれた。…が、俺の英語のヒアリング能力が低すぎて、何を話しているのかよくわからん。

 

 

 

そんな折、数多くの壁画彫刻の中に、英語の説明を聞いて「これは!」というものがあった。手塚治虫「ブッダ」のオープニング、兎が焼身自殺して「私を食べてください」のシーン。事後調べによると、この話はインドから遠く離れた日本にも伝わり、今昔物語集にも収められていて、ウサギは自己犠牲の見返りとして月に棲むようになったという結末も存在する様子?

 

 

遺跡の石積みの上を歩いていると、○マークのある石がある。ガイドさんの説明によると、これは「要石」のようなもので、遺跡の清掃や調査の際、まずこの石を抜くことで石積みの分解を手順良く実施することができるという。

 

 

地面の層まで下りて来て、遺跡内のグループツアーは終了。20分の自由時間以外は常にガイドと一緒に行動しなければならないという制限はあったものの、巨大な遺跡の内部に入場できて良かった。

 

この後は自由行動となる。自由行動といっても、することは地面の上を移動しながら、様々な角度で巨大な遺跡を見上げて撮影するだけである。

 

 

遺跡にはピラミッドのようにも見える箇所がある。なるべく人が入り込まないタイミングでの撮影を努めた。

 

 

巨大な遺跡の周囲をぐるっと1周し、遺跡の正面に戻って来た。改めて…巨大だ。

 

 

公園管理の男性スタッフが「シャッター押そうか?」と言ってくれたので、押してもらった。

 

公園内には多人数のインドネシア人観光客がいた。しかし、遺跡内に入れるのは高い入場券を買った外国人観光客のみの様子で、インドネシア人観光客のほとんどは、遺跡内には入れない入場券で公園に入場し、地面の層から遺跡の外観を眺めるだけのようだ。

 

そして、公園内では多くの中学or高校生らしきインドネシア人が、白人観光客に英語で「インタビュー」をしていた。ああ、こういうの、俺も中学生の頃、修学旅行先の京都とかで「やらされた」なあ、と。彼らインドネシア人観光客のほとんどがイスラム教徒だからか、仏教遺跡であるボロブドゥル寺院は、彼らにとっては「聖なる地」という認識は薄く、あくまで「外国人にインタビューする機会も存在する『観光地』」であるようだ。

 

なお、俺にインタビューに来る学生は誰もいない。まあ、俺は見るからに白人じゃない(≒英語が通じない可能性がある)し。実際、俺は英語が下手だから、来られても困るし。

 

巨大なボロブドゥル遺跡を存分に観たので、続いては、遺跡の奥の階段を下りて博物館へと向かうことにする。

 

続く。

チキンチャーチから自転車でさらに丘陵地域の奥へと進み、アップダウンの激しい道を経て「ストゥンブの丘」入口に到着。

 

 

「ストゥンブの丘」入口に到着。左がゲート、右がチケット売り場の窓口。自転車を停め、入場料Rp50,000(615円)を支払う。ここから300m歩いて上ると、展望台がある。

 

 

展望台に到着。天候は雲が厚い。

 

 

「プントゥク・ストゥンブ(=ストゥンブの丘)」のサインボードも設置されていた。近年、観光地においてはこういうサインボードが流行っており、日本でも度々見かけるが、インドネシアでもスタンダードなようだ。

 

このストゥンブの丘は朝日を望むポイントとして観光客から人気が高いというが、今回の俺はスケジュール的に朝に来る余裕がないため、インドネシア到着当日の午後に来た。ていうか、朝日を観るために夜明け前の暗い中を自転車でここまで来るのは至難の業だ。

 

ちなみにチキンチャーチやストゥンブの丘方面に向かう公共交通機関は無い。ここまで来る多くの観光客はツーリストカーやタクシー、バイクタクシーなどを手配しているようだ。

 

 

ストゥンブの丘の展望台から望む、チキンチャーチの後ろ頭…。

 

 

ボロブドゥル仏教寺院遺跡の全景も見えるが、チキンチャーチから観るよりも位置が遠くて小さい…。早朝は朝霧の中、この遺跡が頭を出している景色が売りらしいが、この感じではそれもしょぼいのでは?と。

 

 

ストゥンブの丘には「映えポイント」が複数ある。客が多い時は係員がいて、映えポイントでの撮影は有料になるらしい。

 

 

展望台にはゆりかご椅子みたいなのも設置されている。撮影前、このゆりかご椅子には若いインドネシア人らしき男女のグループが座っており、俺以外の観光客はその1組だけだった。

 

 

こちらも「映えポイント」。この時、管理人らしき爺さんが声をかけてきて「写真撮ってやるよ」と言われたので、

 

 

無料(チップ不要)であることを確認の上、デジカメのシャッターを押してもらった。

 

雲が厚くて暑くないのは助かるが、段々と雲行きが怪しくなってきた。この時期のジャワ島は雨季。雨にやられる前に、ストゥンブの丘を辞去することとする。

 

 

展望台の近くには飲食売店があるが、すべて閉まっていた。「茶飲んで落ち着け」的なデザインを描いた売店があり、目を惹かれたので撮影。

 

自転車に乗り、来た道を漕いで宿に向かう。途中、インドマレットでゼロコーラ(Rp10,600=130円)、Qtelaテンペチップス(Rp7,000=86円)を購入。その後、小雨が降り出した。なんとか本降りになる前に宿に着きたい。

 

 

宿の近くまで来たところ、バッソの屋台が出ていた。バッソとは肉団子、つみれのこと。いろんな種類があったので、全種類1つずつを購入。料金はRp100(123円)。安い!

 

 

宿の「ワトゥアグン・ゲストハウス」に到着し、チェックイン。宿泊料は2泊で3,002円。日本でExpediaで予約し、クレカで支払い済み。自転車は中庭の雨の当たらない場所に置かせてもらえた。

 

 

宿泊する部屋を撮影。シンプルで過ごしやすい部屋だが、蚊が多かったのが難点…。

 

 

購入したQtelaテンペチップスとバッソを撮影。テンペとはインドネシアの納豆で、それを固めてスライスして揚げた、ポテトチップスのような菓子。バッソはキャッサバの団子がもちもちして美味だった。

 

部屋で少し休んだ後、夕食を食べに出る。外に出ると雨が本振りになっており、それゆえか、営業している屋台が少ない。大通り沿いを歩いていると、24時間営業のパダン料理(現地名「マサカン・パダン」)の食堂を見つけたので入ることにした。

 

 

パダン料理の食堂の外観を撮影。パダンとは西スマトラ州の州都パダンのことで、「マサカン・パダン」は元々はスマトラ島の料理だが、現在はインドネシア中に広まっているという。そして、俺はスマトラ島に2回行ったことがあり、現地でパダン料理を食べたことがあるので、個人的に馴染みがある。

 

 

食堂内はこんな感じ。雨で人通りが少ないからか、店内の客も少なかった。

 

 

店頭に積まれた、小皿に乗ったパダン料理。スマトラ島での供し方は、小皿に乗った作り置きの料理がずらっとテーブルの上に並べられ、食べた分だけを会計するのだが、ここジャワ島では店頭に積まれた小皿料理から客が好きなものを選び、取って食べる。ただ、日本人の俺には料理の内容がよくわからないので、店の人に「アパイニ?(これ何?)」と聞きながら選んだ。

 

 

結果、ナマズの唐揚げ、タフゴレン(揚げ豆腐)、テンペゴレン(揚げ納豆)、ルンダン(水牛の干し肉)のカリー、ジャックフルーツのカリー、インゲンマメのカリー、白ナスの油炒め、青菜=キャッサバの葉、ナシプティ(白飯)、チリを皿の上にずらりと乗せて、ペットボトルのエステー(アイスティー)をつけて、計Rp52,000(640円)。現金で支払う。美味い。

 

帰りにインドマレットで水(Rp5,000=61.5円)、アイスティー(Rp3,800=47円)を購入し、宿へと戻る。シャワーを浴びて就寝。お湯シャワーが有り難い。翌日はボロブドゥル仏教寺院遺跡の観光である。

 

続く。

ボロブドゥル寺院遺跡は現在、遺跡保護のため内部への観光客の立ち入りが制限されており、事前に予約とクレカによる料金支払いをし、ガイド付きのグループツアーに参加することで入場ができる。

 

そもそも今回の俺の旅程では、夜勤明けの仕事が終わった後に飛行機に乗り、夜通しかけてボロブドゥルの街に着く。そのまま直行でボロブドゥル寺院遺跡を観ても、眠気が強くて頭が働かないのでは勿体無い。なので、俺は事前に日本にて、着いた翌日の8:30に遺跡入場観光の予約を入れたのであった。

 

この日の行き先は「グレジャ・アヤム」、英訳するとチキン・チャーチ。「ブキッ・レマ」なる丘の地域にある。少し遠いが自転車も借りられたので行けるだろう…と踏んでいたのだが、丘の地域の道はアップダウンが激しく、予想以上に苦戦した。自転車は上り坂では押して歩き、下り坂ではサドルに跨って重力だけで傾斜をシャーッと下り、ペダルを漕ぐのは傾斜の無い平地だけにして、体力をセーブしつつ移動する。

 

駐車・駐輪場に到着。ここからは凄まじい斜度の上り坂がある。そこにいたスタッフが「グレジャ・アヤムの入口までのジープ送迎がRp15,000。入場料がRp25,000。ジープ送迎を利用するなら計Rp40,000(492円)。どうする?」と聞いて来た。そこまでの自転車移動がしんどかったため、迷わずジープ送迎を選択。

 

激坂を上がったジープが停車スペースに到着。そこからチキンチャーチまで徒歩で上ったところ…

 

 

…!!

 

 

お、おぅ…。

 

なんとも脱力的な佇まい。眠そうな目。半開きの嘴…。確かにニワトリだ。

 

そして、一見して解る。ここは珍スポ・Bスポと言われる類の場所だ。インドネシアの珍スポット。B級スポットである。

 

この建物は「チャーチ」と呼ばれているが、キリスト教の教会ではない。建立者はキリスト教徒らしいが、「宗教を越えた全人類のための祈りの場」として1990年に建てられた礼拝堂とのこと。よって「チャーチ」ではなく「チキン・ドーム」とか「チキン・タワー」と呼ばれることもあるようだ。

 

過去には薬物依存の治療施設だったり、ガチ廃墟となった時期もあったが、現在は再び礼拝堂として一般公開されている。その後、インドネシアで大ヒットした映画のロケ地に使われたこともあって、聖地巡礼的な観光地として人気が出た。ただ、ゆえに来場者はインドネシア人ばかりで、外国人が来ることは非常に少ないらしい。

 

なお、この建物の鳥は元々はハトであったが、ハトの頭に王冠を被せるデザインにしたところ、それがニワトリの鶏冠に見えて「アヤム=ニワトリ」と呼ばれるようになり、その後、実際にニワトリの姿に寄せて行ったようだ。確かにこの外観、インスタ映えというか、インパクトは絶大だ。…良い意味でとは限らないが。

 

中に入る。親切なスタッフの若者が「先に展望台に上りたい?」と聞いてきたので「はい」と答えたら、展望台の直下まで連れて行ってくれた。内部は迷路のようになっているので、案内をしてくれたのは有り難かった。

 

 

 

階段を上がって行くと、薬物依存の治療施設だった頃の名残で、薬物断絶啓蒙のための、何とも珍妙な壁画が複数あった。

 

 

さらに、なぜか世界の観光地の写真が張り出されていた。

 

 

 

その中には、チキンチャーチ自身の絵画や写真もあった。

 

 

この狭い螺旋階段を上ると、展望台に出る。

 

 

王冠(鶏冠)の上の展望台に到着。柵が低くて、細くて、恐い。

 

 

展望台からは翌日に観る予定のボロブドゥル仏教寺院遺跡の全景が望めた。望遠で撮影。

 

 

展望台から下りて、中に戻る。これはニワトリの眠そうな目の部分を裏側から見たもの。

 

 

ニワトリの嘴の内側からも外の景色が見えた。さらに階段を下りて行く。

 

 

建物の中の礼拝堂。確かに宗教色は薄い。

 

なお、インドネシアでは1960年代に無宗教の共産党員による大規模なテロがあったことをきっかけに、全国民が何らかの宗教に属することが法律で定められている。現在のジャワ島は人口の9割がイスラム教徒、ボロブドゥルは仏教遺跡、プランバナンはヒンドゥー教遺跡、チキンチャーチの建立者はキリスト教徒。インドネシアではいくつもの宗教が比較的穏やかに共存している。

 

 

 

迷路のような通路に沿って、多数の祈り部屋がある。

 

そして、この建物のニワトリの尾の部分はカフェになっており、入場券の半券には「軽食券」が付いている。この軽食を貰うため、カフェに行ってみた。

 

 

カフェのスナックコーナー。ここで軽食券を渡すと、スナックが貰える。

 

 

貰ったスナック。キャッサバ(芋の一種でタピオカの原料として知られる)のフライ。普通に美味い。そして、考えてみるとこれがインドネシアに来て初めて食べた食べ物であった。

 

 

カフェは半露天的な解放感があり、見上げるとニワトリの後ろ頭が見えた。よく見ると、鶏冠の展望台の上に人が立っているのが見える。

 

 

 

建物の外に出て、改めてチキンの外観を多角方面から撮影。屋外にいたスタッフが声をかけてくれて、チキンと俺が一緒に写るように撮影してくれたりもした(強い逆光で暗い画像のため掲載せず)。

 

実際にチキンチャーチを観た感想は、なんとも胡散臭いというか、安っぽいというか、「俺はわざわざインドネシアまで来て、何を観ているんだろう?」と。ただ、とはいえ俺は、それをわかってここに来た。遺跡マニアで、茅葺古民家マニアで、廃墟マニアで、珍スポ・Bスポマニアでもある俺は、こういうの「も」大好物。観光資源としては、世界遺産であるボロブドゥルやプランバナンに大きく退けを取るかもしれないが、何に価値を見出すかは人それぞれだ。

 

 

グレジャ・アヤムのジープ送迎券と入場券の半券。

 

チキンチャーチを辞去する。帰りもジープに乗れるが、ジープが来るタイミングが合わなかったのと、下り坂なので、徒歩で駐車・駐輪場まで戻った。

 

続いて、さらに自転車を漕ぎ、ブキッ・レマの奥にある「ストゥンブの丘」を目指した。

 

続く。

1月13~20日、インドネシアのジャワ島中部に行き、古都ジョグジャカルタを拠点にボロブドゥル遺跡、プランバナン遺跡(いずれも世界遺産)を観て来た。

 

これらの遺跡は今から31年前、私が初めて海外旅行に出た時に訪れた地である。当時、ジャカルタにある留学生の友人の友人の一般家庭でホームステイさせてもらった際、ホストファミリーに長距離列車で1泊で連れて行ってもらった。ただ、その時はジョグジャカルタの宿のツアーで、駆け足で2つの遺跡を巡っただけであった。

 

なので、今回はそれぞれの遺跡の近くに1泊以上ずつ宿を取り、周囲の遺跡も含めてレンタル自転車等でじっくりと観て回ることにした。

 

今回、インドネシアのジャワ島中部に行くことにしたきっかけ、目的は、

  • 2024年4月に身内が亡くなり、介護の必要がなくなったこと、及び、コロナもある程度収まり、海外渡航がしやすくなった(少なくとも予防接種の証明書等は不要となった)。そのため、今年度は久しぶりに海外に行くことにした。
     
  • コロナ禍の間、海外に行けなかった分、夏休みにモントリオール、秋休みにサンフランシスコに行った。そして冬休み。日本が寒い時季には、暖かい海外に行きたい。思いついたのはインドネシア。俺は昔、ホームステイをした経験があって、片言だがインドネシア語が使えるし、それを含めてインドネシアには過去に3回(ジャワ島、スマトラ島北部、スマトラ島西部)行ったことがあって、馴染みがある。
     
  • 今の自分は、31年前に初めて海外に出た時と比べて、良くも悪くも違う。今の自分が、自分にとっての海外の原点であるインドネシアのジャワ島中部に行ったら、何ができて、何を感じられるか。郷愁・懐かしさも求めて…。
…などなど。正月は例年通りに仕事で、成人の日の連休の後ろに正月分の休みを合わせて、行って来た。
 

 

遊歴:2025年1月13~20日(7泊8日のうち機内泊・深夜空港待機が2泊)。
 
1月13日、夜勤明けの仕事の後、10:30に帰宅し、12:15に自宅を出発。電車を乗り継ぎ、京成本線で成田空港第1ターミナルに到着。今回の旅は行きは成田空港から飛ぶ(成田→シンガポール→ジョグジャカルタ)が、帰りは羽田空港に戻って来る(ジョグジャカルタ→ジャカルタ→シンガポール→羽田)。空港のフライト時刻は18:50。エアチケット代はExpediaで12,2550円。
 
成田空港の銀行で円をインドネシア・ルピア(Rp)に両替。事前情報でRp10,000=100円と捉えていたのだが、実際には123円。手数料込みとはいえ、高い! あまりに厳しい円安。Rp244,000=30,012円分を購入。チェックインの後、飛行機に搭乗。
 
 
1月14日、日付替わって深夜にシンガポールの空港に到着。6時間の待機中、空港のバーガーキングで食事。シンガポール$の現金は持っていないので、クレカで支払い。飛行機を乗り換え、現地時刻で朝の9時、ようやくジョグジャカルタの空港に到着。
 
 
ジョグジャカルタの空港にて、アライバルビザを取得。Rp500,000(=6,150円)をキャッシュで支払う。…高い。領収書を撮影。
 
続いて、税関。これはオンライン申請でしか受け付けておらず、俺は前々日の夜勤前に日本にて、e-CD(電子税関申請)のオンライン手続きを済ませてある。もしインドネシアの空港で申請する場合は、現地でQRコードを読んだ上で、やはりオンライン申請をしなければならないのだが、俺のスマホは現地では通信機器としての機能を果たさないため、これは不可能なこと。総じて、オンラインに馴染まない者にとっては手続きが非常に面倒と言えるが、ともあれ無事入国。
 
空港を出ると旅行会社のツーリストドライバーが待っていてくれた。
 
 
ドライバーのヤシンさん、33歳。
 
俺は元々、旅の移動はバスや電車などの公共交通機関を使って安く済ませたいタイプなのだが、事前に調べたところ、公共交通機関は思いの他、使い勝手が悪いことが判明。バス待ちのために貴重な時間を長く潰すことで、観光時間が削られてしまっては勿体無い。
 
そんな折、ネットにて、日本人が経営している現地の旅行会社「Javanava Travelcafe」を見つけた。そこには「空港への送迎だけでもご利用ください」とあった。車を手配するとなると、公共交通機関に比べれば当然に高くつくが、その方が便利で効率が良い。よって、空港送迎とボロブドゥル→プランバナンの移動、及び、最終日にディエン高原に行くプライベートツアーをJavanava Travelcafeに予約し、部分的に自分でバス等も使って移動することにした。
 
まずはドライバーのヤシンさんに、空港内の「インドマレット」なるコンビニに連れて行ってもらう。ここジョグジャカルタでもキャッシュレス可が進んでいるのだが、困ったことに「支払いはキャッシュ不可」の場合もある。特に市バス(トランスジョグジャ)に乗るには「e-money」なるICカードが必要で、現金やクレカでの支払いは不可。なのに、このe-money、事前に調べると「銀行やコンビニで売っている、とされているが、実際にはほとんどの店で売り切れていて、在庫がない」という。
 
なんじゃ、その不便さは…と思ったが、ここジョグジャカルタの空港内にあるインドマレットなら在庫がある可能性が高い、との情報をJavanava Travelcafeのオーナーさんから聞いていたので、ヤシンさんに案内されて、買いに行った。
 
 
e-moneyカードを無事、購入。これで市バスに乗れるし、コンビニでの買い物にも使える。インドネシアは暑いから、頻繁に水を買うことになるので、これは重宝する。カード代がRp27,500。チャージ代をRp100,000で頼んだら、管理手数料がRp1,500とのことで、差し引きRp98,500分をチャージしてくれた。計Rp127,500=1568.5円。現金で支払い。
 
車に乗り、ヤシンさんの運転でボロブドゥルの街に向かって出発。ヤシンさんは柔和な人で、よく笑う。日本語は一切話さないが、英語は上手い。ムスリム(イスラム教徒)で、ボロブドゥル遺跡のすぐ近くに住んでいるとのこと。車内ではインドネシア料理のことを話したり、ヤシンさんはサッカーが好きということで「インドネシアではサッカー人気が高いんだが、弱い。日本のサッカーは強い。アジアのスターだ」とか、こちらから振ったジャカルタ⇄バンドン間の高速鉄道の中国受注横取りの件について「政府がバカだ」等、話してくれた。
 
約1時間半でボロブドゥルの街に到着。まずは予約していた宿の「ワトゥアグン・ゲストハウス」に寄り、チェックイン時刻は14時なので、荷物だけ置かさせてもらう。その後、車でJavanava Travelcafeのオフィスへ。場所は宿に近い。オーナーのNさんは日本人女性。インドネシア人男性と結婚して、お子さんもいる。
 
まずはクレカで支払い。ツーリストカーによる送迎、移動、プライベートツアーでRp2,520,000。これにクレカ決済手数料3%が加わり、計Rp2,595,600。円建てだとクレカ決済時のレートがRp10,000=99円で、25,696円。現地の物価からすると高いが、滞在中、困った時にオーナーさんから日本語でのヘルプを受けられるなど、現地における安心・安全が買えることを鑑みると、妥当というか、むしろ良心的な額と思われる。
 
支払いの後、Javanava Travelcafeにて自転車とヘルメットをレンタルする。日本人には乗りにくいマウンテンバイクだと聞いていたが、実際に試走してみると、俺には普通に乗りやすい。レンタル料金はサービスで無料にしてくれた。これは有り難い。以前はバックパッカー旅行者に貸したりしていたが、コロナ禍以後、レンタル自転車の利用者はほとんどいなくなり、埃を被っていたようだ。さらに有り難いことに、翌日の観光にも使えるよう、自転車は今夜、宿に置いておいて良いとのこと。
 
ヘルメットを被り、サドルに跨って出発。ここからは俺の個人旅行タイム。目指すは「グレジャ・アヤム」、英訳すると「チキン・チャーチ」である。インドネシアは暑いので、途中でコンビニ「インドマレット」で水を購入。1.5リットル×2本でRp8,500(=104.5円)であった。
 
続く。

和食処みやたやの近く、「草津熱帯圏」に到着。

 

 

草津熱帯圏の入口外観を撮影。昭和45年開園。海抜1165m、日本で最高地に位置する動物園で、国内唯一のペット同伴で入園できる動物園とのこと。
 

 

入場券売場を撮影。現在の入園料は1300円で、宿に置いてあった100円割引券の適用で1200円で入れた。ちなみにその割引券には「通常入園料1200円→1100円の100円割引」とあるが、昨今の物価高騰に伴い、通常入園料は最近1300円に上がったようだ。国や自治体の傘下にない民間の動物園で、入園料だけで経営を賄っているとのこと。

 

歴史の長い動物園だけに、取材を受ける機会も多かったようで、入場券売場の周囲には多くの著名人のサインが飾られていた。個人的に目を引いたのはアニマル浜口(2015年)、新日本の永田・小島・中西(2016年)のサインであった。

 

 

入場券売場の棟を抜けると屋外に出て、そこにニホンザルの「モンキーパーク」がある。今の時期、猿山には積雪があり、その上で猿が観光客に餌をねだっていた。猿の餌は園内で100円で売られている。

 

 

さらに奥に進むと動物園としての本体である「熱帯大ドーム」がある。中に入ると…暑い! 草津温泉の地熱を暖房として利用し、熱帯圏に棲む動物を飼育・展示しており、動物園に温水プールを加えたような、独特の臭いもする。

 

 

熱帯大ドームの内部から天井に向かって撮影。地方にありがちな、いまだ昭和の雰囲気満載の動物園である。進路に従い、動物を見ながら通路や階段を進んで行く。

 

展示されていた動物は魚類(古代魚、ナマズ)、爬虫類(ワニ、毒蛇、大蛇、イグアナ、トカゲ、亀)、哺乳類(カピバラ、マーラ、猿類、ミーアキャット)、鳥類(フラミンゴ、インコ、フクロウ、オニオオハシ)等々。懐かしのエリマキトカゲも展示されていた。この草津熱帯圏はパプアニューギニアで捕らえて来たエリマキトカゲを日本で最初に展示した動物園で、現在飼育されているのは3代めとのこと。

 

飼育動物のラインナップは同じ群馬にあるジャパンスネークセンターに近い。ジャパンスネークセンターも脱走した大蛇など、違法飼育から押収されていた動物を引き取っていたが、この草津熱帯圏でもグリーンイグアナなど、飼育できなくなったペットの爬虫類を引き取って飼育・展示していた。

 


この動物園のイチ押しはカピバラ。別名オニテンジクネズミ。展示場の柵の一部が小窓のように開かれていて、そこから撮影ができたり、触れたい人は触れることもできる。展示場には各カピバラの家族ストーリーが図示されており、それによると、育児放棄や兄弟間の苛めみたいなものもあるらしい。wikipediaには「社会性が高く上下関係に厳しい動物」とある。

 

最大のげっ歯類=ねずみの仲間で、現在は日本でもけっこういろんな動物園で飼育されているメジャーな動物であるが、俺が1994年にモントリオールのバイオドームで初めてカピバラを観た時は、「何だ? この動物は? 体型はイノシシのようにも見えるが…?」と衝撃を受けた憶えがある。

 

 

この草津熱帯圏を代表する動物の一種である「オニオオハシ」。ぱっと見た時、マレーシアのパンコール島で野生のを見たことがある「サイチョウ」の一種かと思ったが、サイチョウの特徴であるツノがない。オニオオハシはオオハシ類の最大種で、ブラジルに棲息し、大きな黄色い嘴が特徴で、「アマゾンの宝石」と呼ばれるらしい。

 

実際、熱帯大ドームには様々な動物が飼育展示されていたわけだが…現在、草津温泉自体はインバウンド需要もあって栄えてる、儲かってると言えるのであろうが、この草津熱帯圏はなかなかに厳しい経営を強いられているとのこと。ただ、それでも、園内からは職員の情熱が感じられた。古臭い昭和の説明書きと併せて、子どもが楽しめるようにイラストを交えた説明書きや、各個体の性質や性格を紹介する説明書きもあった。資金は潤沢でないながらも、来てくれた人を楽しませようという意気込みが感じられた。

 

最も好感が持てたのは、空(から)の展示ケージには簡易ながら「休止中」のメモが張られていたこと。これは動物園・水族館あるあるなのだが、説明展示のある展示ゲージの中に何もいなかったり、空なのかどうかがわからない展示ケージが「そのままに放置」されていることが多い。それだけならまだしも、何の説明もない状態の檻や水槽に全然わからん生物が収められていることもある。これは観に来た人、特に子どもにとっては「何じゃこりゃ?」の極みでしかない。

 

勿論、園側に何らかの理由があって、一時的に展示ケージをその状態にしておかなければならないのであろうことはわかる。それでも、それを放置したのでは、大袈裟に言えば入園客を置いてきぼりにしているのに等しい。そこに「休止中」のメモ書きが張られているだけで、入園客に対して不可欠なホスピタリティと成り得るのだ。それがちゃんとしているのは良かった。

 

なお、熱帯大ドーム内で一番元気だったのは、園内のその辺をうろちょろしていた野良のクマネズミであった。

 

熱帯大ドームを出て、「ふれあい館」に入る。ここでは触れることができる動物が飼育展示されている。

 

 

丸まっているハリネズミが3匹。これも触れることができる。他にもリスザル、フェネック、カメレオンなどが展示されていたが…正直、万が一にも噛みつかれたり引っ掻かれたりしたくないなら、触らない方が無難だ。

 

外に出て、入場券売場の棟に戻る。

 

 

棟の一角に手浴・足浴用の水槽がある。これがビューティーフィッシュ。俗に言うドクターフィッシュである。有料で体験できる施設は日帰り温泉などにもあるが、この草津熱帯圏では無料で魚に啄まれる体験ができる。

 

 

で、重要なこととして(?)、この魚は英名もドクターフィッシュなのだが、日本では「ドクターフィッシュ」というのは他社の登録商標であるため、この動物園では使えないらしい。よって、ここではビューティーフィッシュなる名称を使っている。

 

昔、アホロートル(和名メキシコサンショウウオ)の白色種を「日清やきそばUFO」のCMで商標登録して「ウーパールーパー」と呼んだのに近いものがあるのか? 一般的に使えない登録商標の言葉は、一時的なブームにはなっても定着し難い。時が経ち、ウーパールーパー自体も今や「死語」か。

 

 

ドクター=ビューティーフィッシュは基本、日本では学名の「ガラルファ」と呼ばれるようだ。1980年代にトルコに存在するものをTV番組「なるほどザワールド」で取り上げられたことがきっかけで、日本でもその存在が広く知れ渡った。実際に日本に輸入され、ペットや商用とされるようになったのは、おそらくその後20年くらい経ってからのことだと思う。

 

 

手浴の水槽の中を泳ぐガラルファ。体長10cm程度、クチボソくらいの大きさである。足浴の水槽もあるが、そこにはあまり魚がいないし、足を浸けている人もいない。一方、手浴の水槽には多くの魚がいる。備え付けの水道で手を洗い、手を浸けてみた。

 

 

手を入れて動かさずにしばらく待つと、多数のガラルファが寄って来る。そして、指をつんつんとつつき始めた。

 

 

 

そのうち、ガラルファ達は競うように俺の手の皮をつつき出した。皮膚の表面の古い角質層を食べ、クリーニングしてくれている。俺自身、このビューティーフィッシュは初体験なのだが、その触感は痛くもくすぐったくもなくて、親近感や可愛らしさが感じられる、ちょうど良いものであった。

 

実際、ガラルファのクリーニングは「フィッシュセラピー」という医療目的で使われることもあり、トルコやドイツでは保険適用の医療行為として認められているという。一方で、衛生面を理由に医療行為として認められていない国もある。

 

ガラルファは、通常は淡水の河川や池沼に棲むが、1950年代にトルコにて実施された開発により、34℃の温泉が湧出する河川に棲んでいた魚群が温泉と一緒に隔離された。そこから水温37℃台でも棲息できる生態学的適応が始まり、温泉浴に来る人間の皮膚をつつくようになったのだという。

 

草津熱帯圏を辞去する。この動物園は、草津温泉における数少ない観光資源の1つであり、草津温泉の地熱を暖房として利用するというのはエコでもある。無料のビューティーフィッシュも良かった。今後も厳しい経営が続くとは思うが、園の維持に努めて欲しい。

 

徒歩で湯畑方面へと戻る。時刻は14時過ぎ。帰りの長距離バスの時刻までは2時間以上ある。最後に「白旗乃湯」で入浴することにする。

 

 

白旗乃湯の浴槽。場所は湯畑に近いが、ここの源泉は白旗源泉である。入ると…熱い!

 

浴槽は2つあり、向かって左の浴槽が特に熱く、右の方が若干ぬるい…と感じたが、それでも右の方も熱い! 温度を下げるための水道蛇口はあるのだが、それを浴槽まで伸ばすためのホースがない。肩まで浴槽に浸かっては、熱さに耐えられず浴槽外に出る、を繰り返した。

 

ちなみに今更だが、草津温泉の共同浴場はどこもソープ・シャンプー使用不可である。使用禁止というか、その必要がないほどに酸性と硫黄成分が強い。

 

 

白旗乃湯を出ると、目の前には隣の建物の「湯もみショー」待ちの大行列。前日も多くの人で溢れていた草津温泉だが、この日は金曜日=週末だけに、さらに人が多い。

 

いったんスーパーもくべえへと出向き、惣菜弁当などの食料を調達してから、草津温泉バスターミナルに移動した。

 

 

草津温泉バスターミナルにてトイレに寄ったら、廊下の天井に「草津温泉駅」なる表示があった。ここは鉄道駅ではなくバスターミナルなのだが、その昔、国鉄時代に「バス駅」と呼ばれていた頃の名残のようだ。


16:25発の吉祥寺駅行きバスに乗車。乗車率は8割程度。途中、サービスエリアで20分程度の休憩があったので、買っておいた惣菜弁当をそこで食す。全般的に物価が高過ぎるサービスエリアでは、そこで何を買って食べるよりも、スーパーの惣菜弁当の方が安い。

 

20:20に吉祥寺駅着の予定が、渋滞に巻き込まれなかったこともあり、少し早めに到着した。JR中央線で武蔵小金井駅に移動し、徒歩で帰宅した。万歩計は2日間で49000歩を越えていた。

 

草津温泉は観光ポスター等で「泉質主義」を掲げているだけあり、相変わらずのパワー&クオリティを持つ「温泉」であった。首都圏からも近い上、直通の高速長距離バスを利用したこともあり、手軽に湯治に行けることを実証できた。正直、インバウンド需要もあっての人混み(そして聞こえて来る中国語)には辟易した部分もあったが、まあしょうがない、そういう時代なんだろう。機会があったら、また行ってみたいと思う。

 

以上です。