1月17日。
朝6時起床。宿の扉を開けると、道を挟んだ向かいに朝食のワルン(屋台売店)が出ていた。こんな近所に朝食を出す店があったとは驚いた。身支度や出発準備を整えた後、6:30、俺もワルンで朝食を食べることにする。
屋台売店は地元住民の客により、なかなかに繁盛していた。
ずらりと並ぶ惣菜の数々。しばらく待っていると、店員が声をかけてくれたので、「サヤ・インギン・マカン、ヒア!(ここ!で食いたい)」と伝えたところ、応じてくれた。「イニ、アパ?(これ何?)」と聞きまくって、次々とお椀に乗せてもらった。
注文した、ブブル(お粥)にカリースープをかけて、アヤムゴレン(フライドチキン)、テンペ(インドネシア納豆)、サユール(野菜)、エッグを乗せたもの。これに小さなペットボトルの水をつけてRp18,000(221.5円)。味は…美味!
特にチキンとテンペが美味であった。チキンはその辺を歩いていた自育鶏をシメているはず。肉に弾力があって、関節の軟骨が柔らかい。固めたテンペは濃厚。インドネシアで食べた料理の中で、最も印象に残ったのは前日の「ナシ・イワッ・カリ」であったが、最も美味だったのはこの屋台売店で食べた朝食の「お粥の惣菜乗せ」であった。
通常、インドネシアのカンポン(ローカル=田舎)に日本人がいたら、「この東洋人は何者だ?何でここにいる?」と稀有な目で見られるのであろうが、このタマンディリはローカルながらも「民宿群」であるため、良い意味で外国人慣れしているようであった。この屋台売店でも、こちらのインドネシア語が片言でも誠実に対応してくれて、ボラれることもなかった。
食後、宿をチェックアウトして出発。まずはバスターミナルへと向かう。
当初の予定では、この日はバスで早々に古都ジョグジャカルタ(以下ジョグジャ)へと移動する予定であった。ジョグジャには「王宮」「水の離宮」などの世界遺産に認定された見所がある。ところが、これらの場所は俺が予約した宿からは微妙に遠くて公共交通機関の便が悪い上、ボロブドゥルやプランバナンなど古代の遺跡に比べると正直、あまり惹かれない。
それよりも、プランバナン南部にも中世の遺跡があるため、そっちに行きたいと思い、プランを変更した。昨日の経験から、移動手段はモータベチャ(原付タクシー)かオジェッ(バイクタクシー)にするが、距離的に少し遠いのと丘を上がって行くので、オジェッの方が適しているだろう。ジョグジャの宿のチェックイン時刻は12:30なので、午前中のうちにプランバナン南部の遺跡を観て、その後バスでジョグジャに移動し、宿にチェックインしたらジョグジャの街を散策することにした。
バスターミナルに到着。ジョグジャ行きのバスに乗る場所だが、午前中にプランバナンの南方にあるソジワン寺院遺跡とボコ遺跡に行くため、ここでバイクタクシーを拾うことにする。複数の人力ベチャが客待ちをしており、話しかけられたので、「サヤ・インギン・プルギ・ラトゥボコ(ボコの丘に行きたい)」と返答。すると、寄って来た数人のうちの誰かが「だったらオジェッだな」と言ったかと思うと、「オジェッ、どうだ?」と言ってバイクタクシーに跨った運転手が現れた。
改めて「ク・ラトゥボコ、ブラパ?(ボコの丘までいくら?)」と聞くと「Rp80,000(984円)」と。意外にも、前日の原付タクシーよりも安い。それで、ジェスチャーを交えて「ソジワン遺跡も寄って、ボコの丘に行って、ここに帰って来るといくら?」と聞くと、今度は「Rp150,000(1845円)」とのこと。え? 料金が急激に跳ね上がった。何で? ソジワン遺跡は、足のマメさえ痛まなければ、ここバスターミナルから歩いても行ける距離にある。そこに寄るだけで、何で料金が倍になるのだ?
さすがにボラれてる感じがしてきたが、バイクタクシーの料金はあくまで事前交渉で決めるのがルール。嫌なら止めておけば良いのだが、改めて別のバイクタクシーと交渉に当たるのも面倒くさい。今の俺の足の痛みと疲れ具合であれば、2ヶ所回って1845円なら御の字なので、向こうの言い値で了承し、交渉成立とした。前日のモーターベチャに続き、「俺が乗るこの1回くらい、良い金を稼がせてやるよ。宝くじに当たったようなもんで良かったね」と、上から目線的な了承であった。
オジェッ(バイクタクシー)と運転手のおっちゃんを撮影。当初はボラれた感じこそしたものの、接してみるとおっちゃんの人柄は良かった。
そして、どうやら寄る場所を1ヶ所増やしただけで料金が倍近くに跳ね上がったのは、単純移動ではなく「チャーター」扱いとなるからのようであった。つまり、俺が2ヶ所の遺跡を観光している間も運転手は待っていてくれる、その待機料金のようなものなのだろう。
まずはバスターミナルから比較的近い、ソジワン寺院遺跡へと向かう。バイクタクシーはモーターベチャより速いが、2ケツの姿勢維持のため、腰が疲れる…。
ソジワン寺院遺跡に到着。入場料Rp25,000(307.5円)。入場券の半券を撮影。
ソジワン寺院遺跡の外観を正面から撮影。これは仏教寺院で、9世紀にマタラム王国によって建てられたもの。マタラム王国はプランバナン寺院を立てたヒンドゥー教の王国だが、王の祖母が仏教徒であったため、その祖母のために建てられた仏教寺院であり、ソジワンという名称はその祖母の名前の一部から命名されたものらしい。
ソジワン遺跡を後方から撮影。内部は土足禁止で入れるが、台座があるだけで彫像の類は無かった。
再びバイクタクシーに跨り、続いてはボコの丘へと向かう。バイクタクシーは結構な傾斜の上り坂道をぐんぐんと進み、標高を上げて行く。いや、これはレンタル自転車で来るのは絶対に不可能だった。長くて険しい上り坂、しかも暑いとあっては、自転車では体力的に無理。すなわち、バイクタクシーを使うという今回の選択は正解であった。
8:50、ボコの丘に到着。「クラトン・ラトゥ・ボコ」のサインボードがあったので撮影。クラトンは王宮、ラトゥは丘のことで、ボコはこの場所の固有名詞である。
ここには、ボロブドゥル遺跡を作ったシャイレーンドラ王朝が8世紀に建てたとされる王宮の遺跡がある。正確には、王族と王族に遣える者たちの「居住地遺跡」といった感じか。18ヘクタールの広大な敷地の中に、正門を始め、寺院跡や浴場、井戸、閣議場、洞窟などが点在しているとのこと。
ボコの語源はプランバナン寺院の伝説に登場するヒロイン、ロロ・ジョングランの父の王の名前から来ているという。ロロ・ジョングランは、美しいプランバナン寺院と交換に、自分が好きな男性と結婚できる約束を父親の王から得たらしい。語呂は似てるが、少なくともプロレスラーのMrポーゴは語源とは無関係…。
ただ、その名称が伝説に登場する王「ボコ」から名付けられたとして、実際にこの居住地遺跡に住んでいた王が誰なのか、とか、起源が何なのかは、「シャイレーンドラ王朝が8世紀に建てたと思われる」ということ以外の詳細はいまだ解っておらず、謎のままであるらしい。
約1時間で観光できるとのことなので、バイクタクシーの運転手に「10時に戻る」と伝え、入場券売り場へと向かった。
入場券売り場を撮影。入場料は、小さな水のペットボトルが付いてRp275,000。クレカで支払う。クレカ決済時のレートがRp10,000≒97円で、2667.5円。大規模なヒストリカルサイト(歴史的見所)なので、料金は高い。入場券の半券はなく、感熱紙のレシートであった。
入場券売り場にて、受付のお姉さんに、英語で「ずいぶん(朝)早いわね。あなたが今日、最初の入場者よ」と言われた。英語と片言のインドネシア語を混ぜて、「デイ(日中)、パナス(暑い)。モーニング、ディンギン(涼しい)。ソー、アイ・ケイム・ヒア・アーリータイム、ナウ(だから早く来ました)」との旨、返答。さらにお姉さんは「今日はホリデーだから入場料が云々」と言っていた。正確に聞き取れたわけではないが、どうやら今日は祝日なので、普段よりも入場料が安いらしい?
実際、後でガイドブック「地球の歩き方」で調べたところ、ボコの丘の入場料はRp360,000(クレカ決済で3492円)とあった。通常であれば、情報が古いガイドブックの表示料金よりも実際の料金(Rp275,000)の方が安いということはあり得ない。この日は金曜日だが、やはりインドネシアの祝日割引があったようだ。これはラッキー。
後日にツーリストドライバーのヤシンさんにも確認したのだが、実際、この日は祝日であったようだ。ただ、謎なのは「何の祝日」かがわからないこと。事後に調べたが、インドネシアでこの日に該当する祝日はカレンダーには無い。もしかしたら国の祝日ではなく、州や地域の祝日だったのか? だとしても、ネット上にはまったく情報が出て来ない。
さらに調べると、インドネシアには「有給休暇取得推奨日」というのがあるらしく、それが祝日扱いなのか? もしくは、今年から新たに設定された祝日だから従来のカレンダーには載っていないという可能性も、インドネシアだったらあり得る。真実は不明だが、ともあれ安く上がったのは有り難かった。
まずは階段を上がる。暑い。最初に現れる正門の遺跡に着く前に、入場券支払い時に貰った小さな水のペットボトルは飲み干してしまった。
正門の外門の遺跡に到着。正面から撮影。逆光。
外門をくぐり、振り返って外門を裏側から撮影。順光。
外門の後方にある、内門の遺跡に到着。正面から撮影。逆光。
内門をくぐり、振り返って内門を裏側から撮影。順光。
内門の先には草原が広がる。振り返って撮影。海抜196mの場所らしい。
内門と外門を併せて斜め後方から撮影。より大きい内門(画像左側)の方で、18m×9m×5mの大きさがあるらしい。
さらに階段を上がると展望台があるようなので、まずはそこに行ってみることにする。
展望台に到着。あずま屋がある。
展望台から望むプランバナンの街の景色。雲が厚めだが、うっすらとムラピ火山の姿が見える。
目を凝らしてプランバナンの街の景色をよく見ると、プランバナン寺院の遠景が望めた。ボロブドゥル寺院はチキンチャーチの展望台から遠景を望むことができたし、31年前には見る機会がなかった「景色の中の巨大な遺跡」を観れたのは良かった。
敷地内には、正直、何なのかよくわからない遺跡が点在している。この画像は火葬場らしい?(事後調べ)
この王宮遺跡は、8世紀に仏教王朝のシャイレーンドラ王朝によって建てられた後、ヒンドゥー教王朝のマタラム王国によって拡張工事が為されて使用されたため、両宗教の要素が混合して見られるとのこと。その後、欧州列強による支配下の時代には放置された後、近現代になって発掘調査がなされ、現在に至っているという。
これは閣議場の外側だったか…。
水は干からびているが、沐浴場の遺跡だろうか?
水が溜まっているのは、沐浴場の遺跡か、井戸の遺跡か。
ほぼ未修復の状態だが、これは寺院跡?
ずいぶん深い穴だが、これも元々は水が張ってあって、沐浴場というかプールだったのか…?。
なお、沐浴場は主に王妃や王女など女性の水浴びに使われ、井戸は儀式に使用する聖水を溜める用途があったらしい。ちなみに広い敷地内には34ヶ所の沐浴場≒プールや井戸がある(ただし観光客が見れるのは一部のみ)とのこと。
元々は水路的な遺跡なのか、ただの水溜まりなのか、よくわからん。ボロブドゥル寺院やプランバナン寺院の遺跡と比べると、ボコ遺跡は地味で廃墟感が濃い。いや、個人的にはそういうのも嫌いじゃないが。
閣議場の内部。けっこう広いが、言い替えるとただの広場だ。王との謁見の場もあるらしいが、廃墟感が濃くて残存オブジェが少ないため、どれがどれだかわからん。
これは洞窟。画像内のどの穴を指すのかは不明だが、「ケイブ・ラナン」と「ケイブ・ワドン」とがあるらしい。西インドのムンバイ郊外のカンヘーリー遺跡を思い出す。ここの洞窟もカンヘーリー遺跡同様、おそらくは僧侶が修行の場に使っていたのではないかと思われる。
ボコ遺跡は、彫像や彫刻はほとんど残っておらず、今となっては用途不明な「残骸」や「遺構」が多くて地味なので、それらを撮影してもいわゆる「映え」には乏しい。そして、陽も出て来て暑かった。それでも、せっかくプランバナンまで来た以上、このボコの丘の遺跡まで来れて良かった。
10時に合わせて、遺跡の敷地の入口へと戻る。バイクタクシーに跨って、バスターミナルへと移動。バイクタクシー料金の支払い時、運転手のおっちゃんも適切な仕事はしてくれたので、約束のRp150,000にチップRp10,000(123円)を加えて渡したところ、おっちゃんは喜んでいた。こちらも「今日はたまにしかいない日本人客を捕まえることができて、良かったね」と、内心で余裕を吹かせて支払った。
バイクタクシーを下りると、15分に1本運行しているというジョグジャ行きのバス「トランスジョグジャ」がもう出発するところであり、急いでそのままバスに飛び乗った。
続く。