1月17日。

 

朝6時起床。宿の扉を開けると、道を挟んだ向かいに朝食のワルン(屋台売店)が出ていた。こんな近所に朝食を出す店があったとは驚いた。身支度や出発準備を整えた後、6:30、俺もワルンで朝食を食べることにする。

 


屋台売店は地元住民の客により、なかなかに繁盛していた。

 

 

ずらりと並ぶ惣菜の数々。しばらく待っていると、店員が声をかけてくれたので、「サヤ・インギン・マカン、ヒア!(ここ!で食いたい)」と伝えたところ、応じてくれた。「イニ、アパ?(これ何?)」と聞きまくって、次々とお椀に乗せてもらった。

 

 

注文した、ブブル(お粥)にカリースープをかけて、アヤムゴレン(フライドチキン)、テンペ(インドネシア納豆)、サユール(野菜)、エッグを乗せたもの。これに小さなペットボトルの水をつけてRp18,000(221.5円)。味は…美味!

 

特にチキンとテンペが美味であった。チキンはその辺を歩いていた自育鶏をシメているはず。肉に弾力があって、関節の軟骨が柔らかい。固めたテンペは濃厚。インドネシアで食べた料理の中で、最も印象に残ったのは前日の「ナシ・イワッ・カリ」であったが、最も美味だったのはこの屋台売店で食べた朝食の「お粥の惣菜乗せ」であった。

 

通常、インドネシアのカンポン(ローカル=田舎)に日本人がいたら、「この東洋人は何者だ?何でここにいる?」と稀有な目で見られるのであろうが、このタマンディリはローカルながらも「民宿群」であるため、良い意味で外国人慣れしているようであった。この屋台売店でも、こちらのインドネシア語が片言でも誠実に対応してくれて、ボラれることもなかった。

 

 

食後、宿をチェックアウトして出発。まずはバスターミナルへと向かう。

 

当初の予定では、この日はバスで早々に古都ジョグジャカルタ(以下ジョグジャ)へと移動する予定であった。ジョグジャには「王宮」「水の離宮」などの世界遺産に認定された見所がある。ところが、これらの場所は俺が予約した宿からは微妙に遠くて公共交通機関の便が悪い上、ボロブドゥルやプランバナンなど古代の遺跡に比べると正直、あまり惹かれない。

 

それよりも、プランバナン南部にも中世の遺跡があるため、そっちに行きたいと思い、プランを変更した。昨日の経験から、移動手段はモータベチャ(原付タクシー)かオジェッ(バイクタクシー)にするが、距離的に少し遠いのと丘を上がって行くので、オジェッの方が適しているだろう。ジョグジャの宿のチェックイン時刻は12:30なので、午前中のうちにプランバナン南部の遺跡を観て、その後バスでジョグジャに移動し、宿にチェックインしたらジョグジャの街を散策することにした。

 

 

バスターミナルに到着。ジョグジャ行きのバスに乗る場所だが、午前中にプランバナンの南方にあるソジワン寺院遺跡とボコ遺跡に行くため、ここでバイクタクシーを拾うことにする。複数の人力ベチャが客待ちをしており、話しかけられたので、「サヤ・インギン・プルギ・ラトゥボコ(ボコの丘に行きたい)」と返答。すると、寄って来た数人のうちの誰かが「だったらオジェッだな」と言ったかと思うと、「オジェッ、どうだ?」と言ってバイクタクシーに跨った運転手が現れた。

 

改めて「ク・ラトゥボコ、ブラパ?(ボコの丘までいくら?)」と聞くと「Rp80,000(984円)」と。意外にも、前日の原付タクシーよりも安い。それで、ジェスチャーを交えて「ソジワン遺跡も寄って、ボコの丘に行って、ここに帰って来るといくら?」と聞くと、今度は「Rp150,000(1845円)」とのこと。え? 料金が急激に跳ね上がった。何で? ソジワン遺跡は、足のマメさえ痛まなければ、ここバスターミナルから歩いても行ける距離にある。そこに寄るだけで、何で料金が倍になるのだ? 

 

さすがにボラれてる感じがしてきたが、バイクタクシーの料金はあくまで事前交渉で決めるのがルール。嫌なら止めておけば良いのだが、改めて別のバイクタクシーと交渉に当たるのも面倒くさい。今の俺の足の痛みと疲れ具合であれば、2ヶ所回って1845円なら御の字なので、向こうの言い値で了承し、交渉成立とした。前日のモーターベチャに続き、「俺が乗るこの1回くらい、良い金を稼がせてやるよ。宝くじに当たったようなもんで良かったね」と、上から目線的な了承であった。

 

 

オジェッ(バイクタクシー)と運転手のおっちゃんを撮影。当初はボラれた感じこそしたものの、接してみるとおっちゃんの人柄は良かった。

 

そして、どうやら寄る場所を1ヶ所増やしただけで料金が倍近くに跳ね上がったのは、単純移動ではなく「チャーター」扱いとなるからのようであった。つまり、俺が2ヶ所の遺跡を観光している間も運転手は待っていてくれる、その待機料金のようなものなのだろう。

 

まずはバスターミナルから比較的近い、ソジワン寺院遺跡へと向かう。バイクタクシーはモーターベチャより速いが、2ケツの姿勢維持のため、腰が疲れる…。

 

 

ソジワン寺院遺跡に到着。入場料Rp25,000(307.5円)。入場券の半券を撮影。

 

 

ソジワン寺院遺跡の外観を正面から撮影。これは仏教寺院で、9世紀にマタラム王国によって建てられたもの。マタラム王国はプランバナン寺院を立てたヒンドゥー教の王国だが、王の祖母が仏教徒であったため、その祖母のために建てられた仏教寺院であり、ソジワンという名称はその祖母の名前の一部から命名されたものらしい。

 

 

ソジワン遺跡を後方から撮影。内部は土足禁止で入れるが、台座があるだけで彫像の類は無かった。


再びバイクタクシーに跨り、続いてはボコの丘へと向かう。バイクタクシーは結構な傾斜の上り坂道をぐんぐんと進み、標高を上げて行く。いや、これはレンタル自転車で来るのは絶対に不可能だった。長くて険しい上り坂、しかも暑いとあっては、自転車では体力的に無理。すなわち、バイクタクシーを使うという今回の選択は正解であった。

 

 

8:50、ボコの丘に到着。「クラトン・ラトゥ・ボコ」のサインボードがあったので撮影。クラトンは王宮、ラトゥは丘のことで、ボコはこの場所の固有名詞である。

 

ここには、ボロブドゥル遺跡を作ったシャイレーンドラ王朝が8世紀に建てたとされる王宮の遺跡がある。正確には、王族と王族に遣える者たちの「居住地遺跡」といった感じか。18ヘクタールの広大な敷地の中に、正門を始め、寺院跡や浴場、井戸、閣議場、洞窟などが点在しているとのこと。

 

ボコの語源はプランバナン寺院の伝説に登場するヒロイン、ロロ・ジョングランの父の王の名前から来ているという。ロロ・ジョングランは、美しいプランバナン寺院と交換に、自分が好きな男性と結婚できる約束を父親の王から得たらしい。語呂は似てるが、少なくともプロレスラーのMrポーゴは語源とは無関係…。

 

ただ、その名称が伝説に登場する王「ボコ」から名付けられたとして、実際にこの居住地遺跡に住んでいた王が誰なのか、とか、起源が何なのかは、「シャイレーンドラ王朝が8世紀に建てたと思われる」ということ以外の詳細はいまだ解っておらず、謎のままであるらしい。

 

約1時間で観光できるとのことなので、バイクタクシーの運転手に「10時に戻る」と伝え、入場券売り場へと向かった。

 


入場券売り場を撮影。入場料は、小さな水のペットボトルが付いてRp275,000。クレカで支払う。クレカ決済時のレートがRp10,000≒97円で、2667.5円。大規模なヒストリカルサイト(歴史的見所)なので、料金は高い。入場券の半券はなく、感熱紙のレシートであった。

 

入場券売り場にて、受付のお姉さんに、英語で「ずいぶん(朝)早いわね。あなたが今日、最初の入場者よ」と言われた。英語と片言のインドネシア語を混ぜて、「デイ(日中)、パナス(暑い)。モーニング、ディンギン(涼しい)。ソー、アイ・ケイム・ヒア・アーリータイム、ナウ(だから早く来ました)」との旨、返答。さらにお姉さんは「今日はホリデーだから入場料が云々」と言っていた。正確に聞き取れたわけではないが、どうやら今日は祝日なので、普段よりも入場料が安いらしい?

 

実際、後でガイドブック「地球の歩き方」で調べたところ、ボコの丘の入場料はRp360,000(クレカ決済で3492円)とあった。通常であれば、情報が古いガイドブックの表示料金よりも実際の料金(Rp275,000)の方が安いということはあり得ない。この日は金曜日だが、やはりインドネシアの祝日割引があったようだ。これはラッキー。

 

後日にツーリストドライバーのヤシンさんにも確認したのだが、実際、この日は祝日であったようだ。ただ、謎なのは「何の祝日」かがわからないこと。事後に調べたが、インドネシアでこの日に該当する祝日はカレンダーには無い。もしかしたら国の祝日ではなく、州や地域の祝日だったのか? だとしても、ネット上にはまったく情報が出て来ない。

 

さらに調べると、インドネシアには「有給休暇取得推奨日」というのがあるらしく、それが祝日扱いなのか? もしくは、今年から新たに設定された祝日だから従来のカレンダーには載っていないという可能性も、インドネシアだったらあり得る。真実は不明だが、ともあれ安く上がったのは有り難かった。

 

まずは階段を上がる。暑い。最初に現れる正門の遺跡に着く前に、入場券支払い時に貰った小さな水のペットボトルは飲み干してしまった。

 

 

正門の外門の遺跡に到着。正面から撮影。逆光。

 

 

外門をくぐり、振り返って外門を裏側から撮影。順光。

 

 

外門の後方にある、内門の遺跡に到着。正面から撮影。逆光。

 

 

内門をくぐり、振り返って内門を裏側から撮影。順光。

 

 

内門の先には草原が広がる。振り返って撮影。海抜196mの場所らしい。

 

 

内門と外門を併せて斜め後方から撮影。より大きい内門(画像左側)の方で、18m×9m×5mの大きさがあるらしい。

 

さらに階段を上がると展望台があるようなので、まずはそこに行ってみることにする。

 

 

展望台に到着。あずま屋がある。

 

 

展望台から望むプランバナンの街の景色。雲が厚めだが、うっすらとムラピ火山の姿が見える。

 

 

目を凝らしてプランバナンの街の景色をよく見ると、プランバナン寺院の遠景が望めた。ボロブドゥル寺院はチキンチャーチの展望台から遠景を望むことができたし、31年前には見る機会がなかった「景色の中の巨大な遺跡」を観れたのは良かった。

 

 

敷地内には、正直、何なのかよくわからない遺跡が点在している。この画像は火葬場らしい?(事後調べ)

 

この王宮遺跡は、8世紀に仏教王朝のシャイレーンドラ王朝によって建てられた後、ヒンドゥー教王朝のマタラム王国によって拡張工事が為されて使用されたため、両宗教の要素が混合して見られるとのこと。その後、欧州列強による支配下の時代には放置された後、近現代になって発掘調査がなされ、現在に至っているという。

 

 

これは閣議場の外側だったか…。

 

 

水は干からびているが、沐浴場の遺跡だろうか?

 

 

水が溜まっているのは、沐浴場の遺跡か、井戸の遺跡か。

 

 

ほぼ未修復の状態だが、これは寺院跡?

 

 

ずいぶん深い穴だが、これも元々は水が張ってあって、沐浴場というかプールだったのか…?。

 

なお、沐浴場は主に王妃や王女など女性の水浴びに使われ、井戸は儀式に使用する聖水を溜める用途があったらしい。ちなみに広い敷地内には34ヶ所の沐浴場≒プールや井戸がある(ただし観光客が見れるのは一部のみ)とのこと。

 

 

元々は水路的な遺跡なのか、ただの水溜まりなのか、よくわからん。ボロブドゥル寺院やプランバナン寺院の遺跡と比べると、ボコ遺跡は地味で廃墟感が濃い。いや、個人的にはそういうのも嫌いじゃないが。

 

 

閣議場の内部。けっこう広いが、言い替えるとただの広場だ。王との謁見の場もあるらしいが、廃墟感が濃くて残存オブジェが少ないため、どれがどれだかわからん。

 

 

これは洞窟。画像内のどの穴を指すのかは不明だが、「ケイブ・ラナン」と「ケイブ・ワドン」とがあるらしい。西インドのムンバイ郊外のカンヘーリー遺跡を思い出す。ここの洞窟もカンヘーリー遺跡同様、おそらくは僧侶が修行の場に使っていたのではないかと思われる。

 

ボコ遺跡は、彫像や彫刻はほとんど残っておらず、今となっては用途不明な「残骸」や「遺構」が多くて地味なので、それらを撮影してもいわゆる「映え」には乏しい。そして、陽も出て来て暑かった。それでも、せっかくプランバナンまで来た以上、このボコの丘の遺跡まで来れて良かった。


10時に合わせて、遺跡の敷地の入口へと戻る。バイクタクシーに跨って、バスターミナルへと移動。バイクタクシー料金の支払い時、運転手のおっちゃんも適切な仕事はしてくれたので、約束のRp150,000にチップRp10,000(123円)を加えて渡したところ、おっちゃんは喜んでいた。こちらも「今日はたまにしかいない日本人客を捕まえることができて、良かったね」と、内心で余裕を吹かせて支払った。

 

バイクタクシーを下りると、15分に1本運行しているというジョグジャ行きのバス「トランスジョグジャ」がもう出発するところであり、急いでそのままバスに飛び乗った。

 

続く。

自転車でプランバナン寺院遺跡公園方面へと戻る。途中、インドマレットで水とポカリスエット(が売ってた!)を購入。Rp23,900(294円)。…ポカリは高い。公園の南側正面入口に面するラヤソロジョグジャカルタ通りへと進む。このラヤソロジョグジャカルタ通りはプランバナンとジョグジャカルタを繋ぐ大通りである。

 

明日、ジョグジャカルタに向かう際は、ラヤソロジョグジャカルタ通り沿いのバスターミナルからバスに乗る。自転車で、まずはその場所を確認。その後、ラヤソロジョグジャカルタ通りを西に向かい、南西方面の遺跡群を目指したのだが…。

 

目的地のサリ寺院遺跡までは2~3kmといったところ。ところが、このラヤソロジョグジャカルタ通り、自転車ではとにかく走りにくい。地域の大動脈的な大道路ということもあり、スピードを出した通行車両が非常に多い。車線数も多く、道を渡って向い側に渡れる横断歩道等のポイントが非常に少ない。

 

何より遠いし、疲れてて、暑い…。結果、「撤退」を余儀なくされる。せめて今より10年若ければ、「これからが本番」とばかり、ペダルを漕げたであろうが…仕方ない。南西方面の遺跡観光を諦め、数少ない横断歩道にて道の向こう側に渡り、公園方面へと引き返す。時刻は14時過ぎ。宿のチェックイン時刻であるため、自転車でダマンティリへと出向き、まずはチェックイン手続きをすることにした。


宿に到着。ご主人から宿泊棟と部屋の鍵を受け取り、シャワー等の簡単な説明を受けて、チェックイン手続きはそれで終了。特に宿帳等に記名することもなし。

 

 

宿の玄関前に置かれていた、淡水魚の小魚の水槽。コイやフナの仲間の若魚or小型種と思われ、ドジョウもいる。ご主人に聞くと「食用だよ」と。こんな小さい魚、本当に食えるのか?と思ったが。(この後、屋台にて夕食で食べることに…。)

 

この後の予定は公園の北東方面まで自転車で戻って、レンタル自転車を返したら、徒歩でこの宿に戻って来るだけ。それだけでも体力的にしんどいが、まあ、しょうがない。自転車の返却時刻は15時まで。早々に出発。

 

15時ちょっと前、レンタル自転車屋の「アルガ・ロヴァ・ツアー」に到着。留守番の寝たきり(?)の婆さんに「ブラパ?(いくら?)」と聞くと「リマ」と。リマとは「5」の意味である。

 

インドネシアの通貨はRp(ルピー)だが、インフレが進み、現在では通常で使われるのはRp1000単位以上が多い。Rp100単位も使われているが、印象としては「日本の消費税導入前の時代の10円未満」的な扱いで、コンビニ以外では四捨五入されていることが多い感じ。Rp10単位は、現在は存在しない。つまり、インドネシアにおける通常仕様の通貨は、0の数が莫大なのである。

 

なので、0をすべて省略したり、1000単位を「K(キロ)」として、Rp10,000を「10K」と表すことがある。今回は「5」。自転車を3時間レンタルしてRp5,000(61.5円)ということは無いだろう。Rp500,000(6150円)ということも無いはず。てことは、この場面では「リマ」と言われるだけで、Rp50,000(615円)てことはお互いわかるでしょ?というのがインドネシア社会の「貨幣通念上の認識」なのである。

 

言われた通り、Rp50,000を支払う。遺跡公園内のレンタル自転車が少し前の情報で30分Rp10,000であることを鑑みると、3時間でRp50,000は妥当な額であったと言えよう。

 

ところで、このアルガ・ロヴァ・ツアーの店舗は、元々は農村の一般的な民家で、玄関前には多量のサラック(別名スネークフルーツ or サラクヤシ)の実が積まれていた。どうやら近くで採れて、店を利用する観光客相手に売られているようだ。試食があったので、婆さんに一声かけて、実を2ついただいた。

 

 

これがサラック。皮が蛇の鱗に見えるので「スネークフルーツ」の別名がある。この蛇の皮は簡単に剥ける。

 

 

中身はこんな感じ。水気のない梨のような味と食感がある。

 

サラックはジョグジャカルタの名産フルーツで、俺は31年前にもジョグジャカルタの市場にて、紙袋一杯のサラックを買って食べた。その時の記憶は、値段は安いがとにかく「渋い」。当時は「渋いのに当たることがある」ので、柿のようなフルーツとの印象を持った。何しろ、紙袋一杯のうち過半数が渋かったのだ。

 

当時、インドネシア辺りの市場ではフルーツの当たり外れの差が大きかった。ただ、ジョグジャカルタの物価は非常に安いのだから、1口かじって、渋ければ捨てて、別のをかじって、甘ければ食べれば良かったのだ。当時の俺はそれを知らず、「こういうもんだ」と思って、律儀に渋いのもすべて食べていたので、結構な苦行だった。

 

 

果たして、サラックの試食2つはとても甘くて美味であった。食べながら、徒歩で公園方面へと戻る。この後は徒歩で宿へ戻るだけ、しょうがないか、そう思いながら歩いていると…。公園入口の近くでモーターベチャの運転手に「乗らないか?」と声をかけられた。

 

ベチャは人力でペダルを漕ぐ自転車タクシーで、俺も31年前に短距離だが乗った憶えがある。それを人力ではなく、エンジンの力で前に進むのが「モーターベチャ」。いわば、原動機付自転車タクシーという感じか。それとは別に、オートバイタクシーもある。

 

ベチャは、昔はインドネシアの市街各地を流していたが、市街地の都会化が進んだことにより、多くの場所で姿を消した。だが、ここ中部ジャワのジョグジャカルタやプランバナンでは観光地ということもあり、まだ存在する。日本の浅草や京都で観光客を対象に人力車が走っているのに近いが、インドネシアではまだ「一般的な交通手段」として使われる傾向が日本よりも強いようだ。

 

「そうか、モーターベチャか…」。俺は今まで、ボロブドゥルでもプランバナンでも、観光の移動には自転車を使っていたため、その存在が眼中に入っていなかった。時刻は15時台。観たい南西方面の寺院遺跡は2ヶ所で、距離は数km。いずれも17時まで開いているはず。しかも、雨季なのに珍しく、15時を過ぎても雨が降りそうな兆しはない。


これは、モーターベチャを使えば今日中に南西方面の遺跡に行けるのでは? それなりの料金はかかるであろうが、疲れてる今の俺の移動手段としては最適のはず。なので、運転手相手に地図を指さして、ジェスチャーも交え、「チャンディ(寺院)サリ、next、チャンディ(寺院)カラサン、next、back(戻る)、ブラパ?(いくら?)」と、聞いたところ「Rp100,000(1,230円)」と。

 

発展途上国の観光地では、こういう時、必ず値段交渉をするのが常識であるとされている。それは事実だろう。かつて、「こういう時に言い値で支払うから、日本人はナメられる」という意見が存在したことも知っている。ただ同時に、土産物屋での買い物なら値切るのも良いが、今から送迎してもらうようなサービスを受ける場合は、値切ることが良いとは限らない、ということも俺は知っている。

 

なぜなら、値切って、値切って、交渉が成立したとしても、その分、サービスの質が低下する可能性があるからだ。それはつまり、逆に言い値で支払って、相手に「上玉の客だ」と思わせた方が、質の高いサービスを受けられる、ということでもある。今の俺の体力、疲れ、暑さであれば、1,230円なら御の字。なので、言い値で了承した。

 

そもそも、ベチャの運転手は地方から出稼ぎ的に出てきている男性で、基本的には「善良な人が多い」と聞く。勿論、中には悪質な暴利をふっかけてくる運転手もいるだろうし、善良な運転手であっても最初はとりあえず高めの値段設定を提示する人もいるだろう(むしろそれが常識)。

 

それでも、コロナ禍以降、滅多に来ない日本人観光客(=俺)を捕まえたということは、この運転手にとっては宝くじに当たったようなものであろう。ならば、俺が乗るこの1回くらいは良い金を稼がせてやっても良いんじゃないか、という、余裕というか、寛大な気持ちを持って乗ることにした。…ある意味、上から目線とも言えるが。

 

 

モーターベチャと運転手のおじさんを撮影。インドネシア人は撮影されるのが好きなようで、皆、快く応じてくれる。まあ、向こうの言い値での交渉が成立した後だからかもしれないが。

 

ベチャは前2輪、後1輪の三輪車で、客は前2輪の間(=通常の自転車なら買い物かごの位置)の椅子に座る。自転車ベチャもモーターベチャも、この形状は同様。椅子には日差し除け、雨除けの幌がついている。

 

南西方面に向けて出発。目的地はサリ寺院遺跡とカラサン寺院遺跡の2つ。どちらも世界遺産ではない。先ほどレンタル自転車で漕いだラヤソロジョグジャカルタ通りを進む。速度はずいぶんとゆっくりだが、乗り心地は良好だ。

 

サリ寺院遺跡に到着。ところが…閉まってる。入口に係員もいない。17時まで開いてるはずだが、まだ16時だぞ? 発展途上国の観光地あるある…。それでも、遺跡内部には入れないが、敷地の柵の外から遺跡の外観は望めるので撮影する。

 

 

 

サリ寺院正面。逆光…。8世紀建造の仏教寺院。横幅があってどっしりした形状で、四角い窓があり、プラオサン寺院に似ているが、窓の数がプラオサン寺院よりも多い。ここは、次に巡るカラサン寺院に仕えた僧が暮らすための僧院であったらしい。

 

 

サリ寺院の横に回ると順光で、良い画像が撮れる。外壁には精巧な彫刻が施されている。

 

 

サリ寺院の裏側。順光だが木の枝の陰がかかる。この遺跡は奇跡的にほとんど崩壊がない状態で発見されたとのこと。

 

続いて、カラサン寺院遺跡へと向かう。カラサン寺院遺跡はさらに南西方面へと進み、ラヤソロジョグジャカルタ通りを挟んで、サリ寺院のある側とは反対側にある。

 

ラヤソロジョグジャカルタ通りは車の通りが激しく、横断歩道が滅多にないため、レンタル自転車では反対側に渡るのが非常に難儀だった。しかし、モーターベチャは一応モーター車両だけあり、車線の多い大通りを普通に転回し、反対側へと移動した。

 

しかも、サリ寺院からカラサン寺院までは1km弱の距離があり、遺跡公園からカラサン寺院までだとかなりの距離である。そして、暑い。やはり、公園の北東方面の遺跡を巡った後、自転車で南西方面に行くのは無理があった。モーターベチャに乗って正解である。

 

カラサン寺院遺跡に到着。こちらは開いていて、入口には係員のおじさんがいた。やはり、16時台なら開いていて然るべき時間のようで、閉まっていたサリ寺院遺跡の方がイレギュラーだったのだろう。係員のおじさんに入場料の額を聞くと「Rp50,000(615円)」と。遺跡の規模の割には高いな?と思いつつ、現金で支払ったのだが、レシートをくれない。

 

係員のおじさんに「レシートくれ」と言って請求すると「無いよ」「替わりにここに書いてくれ」と。記帳? いや、レシートと記帳とでは用途が違う(=替わりにならない)んですけど。 …ん? 記帳、ってことは、これは入場料ではなく「寄進」ってことか? 本来、寄進はこちらで額を決めるものだが、入場料だと思って金額を聞いて、係員の言い値を支払ったから高いのか?

 

中部ジャワはインドネシア国内でも屈指の観光地だけに、他のヒストリカルサイト(歴史的見所)ではどこでも、チケットの半券が手元に残ったり、少なくとも感熱紙レシートがもらえたものだが…。まあ、別に入場料でも寄進でも良いので、記帳して入場する。事後調べによると、このカラサン寺院は2020年頃まで大規模な修復工事が為されていたらしく、細かい部分の修復はまだ継続中のようで、その修復費用の寄進という意味合いだったのかもしれない。

 

 

カラサン寺院正面。逆光…。8世紀建造の、プランバナン周辺では最も古い仏教寺院で、後にヒンドゥー教との融合が進んだらしい。遺跡発見当初は、損壊が酷かったという。

 

 

カラサン寺院の横に回ると順光で、良い画像が撮れた。

 

 

カラサン寺院の裏側。こちらも順光で、良い画像が撮れた。外壁の縦に長い独特の空間は、何であろうか? 単に未修復なのか、何か大きな像が祀られていたとか?

 


カラサン寺院正面の上方に建物内部への入口がある。その手前には階段が…無い。ただ、替わりに瓦礫が積まれていて、入口まで上れそうだったので、三点確保で上ってみた。すると、先ほどの係員のおじさんが受付から飛び出して来て「止めろ!」と。

 

遺跡の手前にインドネシア語で何やら書かれた看板があったので、もしかしたらそれが「修復中のため中には入れない=瓦礫を上るな」との旨を示していたのかもしれんが、インドネシアが語わからん人には知らんて。英語で書いといてくれりゃ良いのに。

 

なお、建物の内部は空洞になっており、かつては大きな仏像が鎮座していたと推測されているが、現在は台座しか残っていないとのこと。

 

待たせていたモーターベチャに乗り、カラサン寺院遺跡を辞去する。これにて本日の遺跡巡りは終了。レンタル自転車やモーターベチャを使ったことで、当初の予定で観たいと思っていた遺跡をフルに観ることができた。モーターベチャで遺跡公園入口までは戻らず、手前の民宿村ダマンティリにより近い、ラヤソロジョグジャカルタ通り沿いの場所で下ろしてもらう。事前の取り決め額であるRp100,000(1,230円)にチップとしてRp10,000(123円)を加え、「ユーアーグッドライダー」と言ってRp110,000(1,353円)を支払ったところ、運転手のおじさんは喜んでいた。

 

徒歩で宿へと戻る。先ほどレンタル自転車で通っているため、さすがに道に迷うことはないが、消耗した体力と暑さは変わらない。途中で水分を補給し、痙攣止めの薬3錠を服用した。

 

 

ダマンティリの民宿村に入り、東側の景色を観ると、緑色の水田の向こう側にプランバナン寺院遺跡の頂部が見えた。長閑で良い雰囲気だ。

 

 

民宿村の途中で見つけた屋台村。朝、宿を探して車で移動している時点でこの屋台村のことは認識していた。まだ開いている店が少ないが、開いている屋台で何が食べられるのか聞いたところ、屋台の兄ちゃんが「イワッ・カリ」と。

 

 

店頭に積まれた食材を見ると、すべて小魚や小エビなど、淡水魚介類の唐揚げである。屋台の兄ちゃんいわく「イワッ・カリ。全部、この辺の小川や田んぼで獲れる魚だよ」と。事後調べによると、イワッ・カリのイワッとはジャワ語(≠インドネシア語)で魚、カリとはインドネシア語で川のこと。川魚、つまり、淡水魚だ。

 

食材を見ると、それらは唐揚げの状態で作り置きされている。これナマズだ、これドジョウでは?と魚種がわかるので、指さしで注文した。すると、屋台の兄ちゃんはそれらを二度揚げし、定食にして提供してくれた。

 

 

「ナシ・イワッ・カリ」。淡水魚の唐揚げにナシ(白飯)、サユール(野菜)、エステー(アイスティー)をつけた定食である。これでRp50,000(615円)。

 

 

この魚はナマズ。現地名「レレッ」。

 

 

これは見るからにわかる。現地名は知らないが、ドジョウだ。

 

 

そして、コイだかフナだかの若魚or小型種。そういや、宿の水槽で小魚を多数飼っていたのは、こういう食用のための「泥抜き」をしていたのか、ということに気付いた。

 

食べようとすると、屋台の兄ちゃんが「こっちに移ると、プランバナン寺院を観ながら食べることができるよ」と言ってくれて、その席に案内してくれた。

 

 

その席に移ると、確かに、3つのプランバナン寺院遺跡の頂部が見える。

 

 

望遠で撮影。これは、わざわざリゾート的にプランバナン寺院が見える場所に屋台村を作ったわけではないだろう。ただ、近くにあるから自然に見えるという、ローカルの醍醐味と言える。こういうのは素晴らしい。

 

プランバナン寺院と水田の景色を観ながら、ナシ・イワッ・カリを食す。素朴で懐かしい味だ。俺が子どもの頃に川で釣って来た雑魚(ウグイやオイカワ)を、母が唐揚げにしてくれたことを思い出す。川魚は唐揚げにすると香ばしさが増し、臭みがなくなる。さらに臭みを消して味を付けるには、カレー粉をまぶして揚げても良い。

 

また、淡水魚には寄生虫が付きがちなのだが、揚げ物にすると強く熱を入れることになるので、殺菌効果が高く、食中毒になりにくい。淡水魚の調理法としては、最も好ましいと言える。また、父に「海の魚は淡水で洗うと寄生虫が死ぬ。川の魚は塩もみして洗うと寄生虫が死ぬ。塩もみはそのまま味付けにもなる」と教わったことも思い出した。

 

ナマズはインドネシアでは一般的な食材で、頭部だけ硬いので残すが、美味。ドジョウは体幹が細いため、強い熱を通す唐揚げにすると「焦げ風味」が付くが、それが香ばしくて良い。昔、母に魚の骨を揚げてもらって、カルシウム豊富なおやつとして食べていたことを思い出す。

 

そして、日本ではこういう川魚は逆に流通に乗らない。日本のスーパー等で一般的に売られている淡水魚といえば、ウナギの他はせいぜいアユやニジマスくらい。こういった雑魚的な川魚が食べられる機会というのは、逆にレアである。実際、ナシ・イワッ・カリについての情報はガイドブックでもネット上にも載っていない。旅行者向けというよりは、ローカルならではのメニューであり、今回の旅の食事で最も印象深い料理となった。

 

満腹になり、宿へと戻る。

 

 

宿は、一般家庭の母屋とは別に宿泊棟がある。宿泊棟には2部屋あり、それぞれダブルベッドが入っている。日本でExpediaで予約し、クレカ払いで1泊1,856円。農村部の民宿なので、都市部の安宿よりも宿泊料が高いが、清潔で良い。部屋にエアコンは無いが、パワフルな高性能の扇風機があるため、暑さは問題無し。

 

思うに、この地に民宿村ができたのは、プランバナン寺院は観光客を集めて儲かっているけど、そのすぐ近くの農村エリアであるダマンティリに住んでいる人達は、ほとんどその恩恵を受けることはなかったから、集落で民宿群を形成して営むことで少しでも観光客からの収入を得よう、ということではなかろうか? インドネシア人の観光客なら何ら不便はないだろうし、外国人だってバックパッカーならこのレベルの設備の宿なら御の字だ。

 

ただ、一般の日本人旅行者にはこの宿はちょっとツライかも?とも思う。蚊が多かったのは仕方ないとして、シャワーが常温水のみ(お湯が出ず水シャワーのみ)だったり、宿泊棟の応接スペースにテレビはあるけど映らなかったり、何より場所がわかりづらくて、自力ではここに来れなかったし。

 

 

スマホのWi-fiを繋げるため、宿の女将さんらしきおばちゃんがいたのでパスワードを聞いたところ、その際に女将さんが「食べる?」と言って、持っていた菓子パンをくれた。「keju(クジュ)」とのシールが貼ってある。食べるとチーズクリームの入った菓子パンで、事後に調べたらインドネシア語のクジュ=チーズとのこと。この農村地域のどこにこういう自家製的な調理パンを売ってる店があるのかわからんが、まあ、普通のスイーツであった。

 

今日は疲れた。日に焼けて、くたくたになった。歩き過ぎで身体が攣りそうになり、尻に股ズレの傷ができてヒリヒリと痛んだ。そういや今は雨季なのに、雨に降られなかった。だから16時過ぎまで、モータベチャで動き回ることができた。疲れたが、ある意味ラッキーだった。

 

宿の周囲には店もないが、明日の朝になれば何か朝食向けの屋台が出るだろうか?と思いつつ、就寝。夜の間には雨が降ったようであった。

 

続く。

プランバナン周辺には、プランバナン寺院を中心におよそ5km四方に渡って、数々の古代遺跡が点在している。また、プランバナン寺院遺跡公園自体も南北の長さが1.7~1.8kmほどある。要は、とにかく広い。そして、暑い。これらの遺跡を時間的にも、体力的にも、費用的にも、効率よく巡るためには、自転車の利用が望ましい。

 

プランバナン寺院遺跡公園の正面入口は南側にある。正面入口の近くに立つプランバナン寺院遺跡を観た後、その先の公園内を北に向かって進むと、ルンブン寺院遺跡、ブブラー寺院遺跡、セウ寺院遺跡の3つの遺跡群があり、セウ寺院遺跡は公園の最北端に立っている。

 

また、公園の北側には出口があり、そこから公園の外に出ると、そこから北東方面にもガナ寺院遺跡、プラオサン寺院遺跡という2つの遺跡群がある。暑さや疲れにもよるが、できれば今日のうちにそれらを巡っておきたい。

 

 

プランバナン寺院遺跡の裏側には、レンタル自転車屋がある。少し前の情報だと料金は30分Rp10,000(123円)だが、世界的に急激な物価上昇の傾向にあるので、現在の料金はもっと高いと思われる。

 

ただ、このレンタル自転車は、おそらくは遺跡公園内でしか使えない見込みが強い。つまり、プランバナン寺院遺跡公園の外に位置する遺跡を観に行くには使えない、ということ。

 

当初はこのレンタル自転車を使って、まずは先に公園内の3つの遺跡群だけを観て回ることも考えた。ただ、その後に公園外の北東方面の遺跡を巡るには、北側の公園出口辺りで自転車の乗り捨てができれば良いが、それはできない様子。つまり、南側に近いこの場所に自転車を返却に来なければならない。そうなると、距離と時間の多大なロスとなる。

 

ただ、俺は事前調べにより、公園北側の出口から公園の外に出て少し移動すると、別のレンタル自転車屋があるとの情報を得ていた。なので、この先の遺跡巡りのプランとしては、「プランバナン寺院遺跡の裏側から徒歩で北に向かって出発→公園内の3遺跡を巡る→公園北側の出口から公園の外に出る→レンタル自転車屋で自転車を借りる→公園の北東方面に点在する2遺跡を自転車で巡る→その後は時間、体力、暑さ次第」ということにした。

 

 

ルンブン寺院遺跡、ブブラー寺院遺跡、セウ寺院遺跡が立つ方向(=北)を示す道標看板。これら3つの遺跡の入場料はプランバナン寺院遺跡公園の入場料に含まれている。なお、プランバナン寺院はヒンドゥー教の寺院だが、これら3つの寺院は皆、仏教寺院である。そして、何気にこれら3つの遺跡もプランバナン寺院遺跡と共に世界遺産に登録されている。

 

道標に従い、徒歩で出発。ここから先は、俺は31年前には観に行っておらず、未踏である。

 

まずは3つの遺跡のうち、一番手前に立つルンブン寺院遺跡を目指す。その途中に「プランバナン博物館」があったらしいが、道を逸れた場所であったため、気が付かず。ただ、時間や体力を考えると、結果としてそれくらいはスルーして正解であった。

 

 

ルンブン寺院に到着。本堂を撮影。上部が未修復のようで小ぶりな寺院だが、巨大なプランバナン寺院を観た後ではそう見えるのは致し方ない。

 

 

ルンブン寺院の本堂は16棟のストゥーパ(仏塔)的な小堂に囲まれている。

 

 

本堂の中には、「ここに仏像が収められていたであろう窪み」はあるが、彫像の類は無い。遺失や盗難に遭ったのであろう。

 

徒歩でさらに北へと向かう。プランバナン寺院には観光客がたくさんいたが、公園の奥の北の方の寺院遺跡まで観に来る観光客は非常に少なく、静かで良かった(…まあ、修学旅行生に取り囲まれるのも悪い気はしないんだが)。

 

 

ブブラー寺院に到着。本堂のみが現存しており、撮影。ブブラーとはジャワ語(≠インドネシア語)で「壊れる」という意味で、発見当初は損壊が激しかったためその名が付けられたらしい。内部に入ったが、彫像の類は無かった。

 

 

ブブラー寺院の裏側を撮影。ていうか、公園内の進路に沿って歩いていると、道に面しているのはこっちの裏側なのだが。

 

 

さらに歩いて行くと、セウ寺院が見えて来た。ここは前2者と違って祠堂の数が多く、寺院敷地も広い。実際、セウとはジャワ語で「1000(≒たくさん)」の意味で、多くの祠堂が立っているためその名が付いたという。

 

 

セウ寺院に到着。ボロブドゥルに次ぐ、インドネシアで2番目に大きい仏教寺院であるという。敷地の入口に立つ2体の彫像は「守護神ドゥワラパラ」像。ここは仏教寺院だが、事実上はヒンドゥー教との混合宗教であったらしく、建設当時の異宗教の王国同士の交流が反映されている。

 

 

 

セウ寺院は、1つの本堂と4つの副堂を240の小祠堂が四方を取り囲むように立つ構成となっている。

 

 

ただ、実際には未修復の祠堂が多く、現在進行形で修復作業が行われている様子が伺えた。こうして見ると、修復の手順は、まず土台となるパーツを探して、土台から上に向けてパーツを積んで行く。キーになるパーツが見当たらない場合は形に合わせて石で新しく作り、ジグゾーパズルの穴を塞ぐように完成に近づける、という感じか。

 

 

そして、敷地内に残る仏像のほとんどが、人為的に首が切られて、無い状態であった。仏像の頭は高値で売れるらしいので、盗難に遭ったのであろう。

 

 

本堂を裏側から撮影。なお、ここも本堂の内部には彫像の類は無かった。

 

 

本堂の外壁には精巧な彫刻が掘られている。この寺院は事実上、仏教とヒンドゥー教との混合宗教であったから、これらの彫刻はヒンドゥー教の神なのかもしれない。

 

このセウ寺院はかなり広く、それぞれの祠堂も立派なのだが、俺がセウ寺院の敷地内に居る間、俺以外の観光客は誰も来なかった。ここで手持ちの水とアミノ酸を飲み干し、痙攣止めの薬3錠を飲んだ。

 

 

プランバナン寺院遺跡公園内の観光を終えたので、北側の出口から公園の外に出る。

 

この後は、レンタル自転車屋まで徒歩で移動し、自転車を借りるつもりなのだが…そのレンタル自転車屋が見つからない。声をかけてくれた地元住民のおっちゃんに道を聞いたりして、地図を追ってさらに歩くが、どんどんと田舎の農村エリアに入って行く。こんな田んぼだらけの地域の中に、観光客向けのレンタル自転車屋なんてあるか? 方向は合ってるはずだが…?

 

途中、裏路地で屋台を見つけた。そう言えば今日は、朝から何も食べていない。腹が減ったので、まずは何か食べることにする。

 

 

辿り着いた屋台、というか、小さな食堂?を撮影。屋台をプレハブで覆っているというか、倉庫を改良した感じ? プランバナンは観光地だが、この店構えで裏路地に位置しているのでは、日本人観光客が食べに来ることはまずない店であろう。

 

メニューにチャプチャイ(野菜炒め)があったので、ナシ(白飯)、アイスティーと合わせて注文。屋台の店員はお姉さんとお婆ちゃん。ここで、お姉さんの方は少し英語が通じそうだったので、調理前に「レンタルサイクルショップ、ディマナ(どこ)?」と、自転車を漕ぐジェスチャーをしながら聞いてみた。

 

すると、店員のお姉さんは俺を食堂から連れ出してくれて、カーブしている小路に沿って歩き、その先にあるレンタル自転車屋の店舗を指さして、教えてくれた。これは有り難い。そして、助かった。果たして、レンタル自転車屋は田んぼだらけの農村エリアの中にあった。早速、食事が出て来る前にレンタル自転車屋へと出向くことにした。

 

 

店の名称は「アルガ・ロヴァ・ツアー」。ツアーというからには、広義での旅行会社なのであろうか? 実際には、店頭に看板フラッグが張り出されていなかったら、ただの農村の一般的な民家である。

 

「プルミシー(すいませーん)」と言いながら中に入ると、スタッフは不在で、寝たきり(?)の婆さんが留守番をしていた。その婆さんに話しかけると、婆さんが爺さんを呼んでくれた。2人とも英語は解さない。爺さんにジェスチャーで「自転車を借りたい」との旨を伝えると、爺さんは店頭の看板フラッグに載っている電話番号を指さした。「ここに電話しろ」ということだ。

 

おそらく、スタッフ(爺さんの息子?)の携帯番号なのであろう。しかし、俺のスマホは基本、国外では通信機器として機能しない。なので、その旨をジェスチャーで伝え、店内にあった自転車2台を指さし、「イニ、サトゥ(これ1台貸してくれ=それだけで良いから)」と頼み込んだ。すると爺さんは、徐に空気入れを持ち出し、1台の自転車のタイヤに空気を入れてくれた。つまり、貸してくれるということだ。有り難い。

 

レンタル料金は不明。爺さんも知らなそうなので、後で言い値で払うことにする。ただ、返却時刻だけは確認が必要なので、ジェスチャーを交えて「リターン、ジャンブラパ(何時?)」と聞くと、爺さんは指で「3」と示した。15時までに返却ということだ。その時点で時刻は12時。使えるのは3時間。まあ、良いだろう。そして、ここでも片言のインドネシア語が使えることの強みを実感した。

 

 

苦労して(?)借りた自転車を撮影。ヘルメットの菅笠も貸してくれた。菅笠はだいぶ埃を被っていたが、日差しの強い国では有効だ。自転車に跨り、屋台へと戻る。

 

 

屋台に戻ると、注文していた「ナシ・チャプチャイ」が出て来た。チャプチャイは野菜炒めの一種と聞いていたが、実際には肉(たぶん鶏肉)も入っていた。美味。なお、暑くて喉が渇いていたので、先に出て来たアイスティーを飲み干すと、お婆ちゃんが「水も飲む?」と言って、水も出してくれた(有料)。計Rp28,000(344円)。

 

世話になったお姉さんとお婆ちゃんにお礼を言って、菅笠を被って自転車に跨り、北東方面の遺跡巡りに出発。次に目指す「ガナ寺院遺跡」は「アルガ・ロヴァ・ツアー」の店から近い。

 

ガナ寺院遺跡に到着。寺院の敷地は金網に囲まれており、入口には施錠がされている。ただ、遺跡修復の業者(?)のためのスペースが寺院敷地に隣接しており、スタッフがいたので声を掛けたところ、「入れよ」と言ってくれたので、業者スペースを通って寺院に入場した。入場無料。

 

 

ガナ寺院遺跡。仏教寺院で、敷地内にあるのは基壇(土台)とパーツ瓦礫のみ。

 

 

祠堂の類が無いため地味だが、このガナ寺院もプランバナン寺院と共に世界遺産に登録された遺跡である。なお、プランバナン地域の世界遺産のうち、プランバナン寺院遺跡公園の外にある遺跡は、このガナ寺院が唯一とのこと。

 

続いて、ガナ寺院から約1.5kmの位置にある「プラオサン寺院遺跡」へと向かう。長い一本道の車道に出て、ひたすら東に向かって自転車を漕ぐ。レンタル自転車屋を探して彷徨っていた時、この道の序盤を歩いていたため、当然に既視感もあり、道に迷うことはなかった。

 


プラオサン寺院遺跡が見えて来た。ここも仏教寺院で、北院本堂(向かって左)、南院本堂(右)の2棟をメインに構成されている。寺院敷地の手前で野焼き(?)が為されており、立ち上る煙越しに見える本堂2棟の姿には風情があって、画になる。…ただ、画像撮影に限っては、画像が霞んでしまうので煙は邪魔なんだが。

 

 

寺院入口に着き、入場券を購入。Rp50,000(615円)。クレカ支払い不可で、キャッシュで払う。入場券の半券を撮影。今の時代、こういった入場券は、インドネシアでも「味気ない感熱紙レシート」が主流なのだが、ここではちゃんとデザインされた入場券があった。なお、このプラオサン寺院遺跡は世界遺産ではない。

 

手持ちの水分が尽きていたので、入場前に入口近くの売店で水とコーラを購入。冷えていたが、Rp15,000(184.5円)と高いのはやはり観光地価格か。と言っても、ここプラオサン寺院でも俺が敷地内に居る間、俺以外の観光客は誰も来なかったのだが。

 

 

 

プラオサン寺院の敷地に入場。まずは手前に立つ南院本堂の外観を撮影。横幅があってどっしりとした、中世ヨーロッパの古城を思わせる形態をしている。南院では、69基のストゥーパ(仏塔)と16棟のペルワラ(小祠堂)がこの本堂を取り囲むように立っていたという。

 

続いて南院本堂の内部に入る。なお、このプラオサン寺院の内部は土足禁止で、靴を脱いで靴下を履いたまま入った。

 

 

南院本堂の内部には、元々3体の彫像(仏像)があったものと思われるが、現在は真ん中の彫像が無かった。

 

 

続いて、奥に立つ北院本堂の外観を撮影。外観は南院本堂と一緒で、撮影した画像を見返してもデザイン上の違いは見当たらない。北院では、239基のストゥーパ(仏塔)と116棟のペルワラ(小祠堂)がこの本堂を取り囲むように立っていたというので、その数からして南院よりも規模が大きい寺院であったと思われる。

 

 

北院本堂の内部に入る。南院本堂と同様、こちらにも元々3体の彫像(仏像)があったものと思われるが、こちらも現在は真ん中の彫像が無く、しかも、両サイドの彫像の頭部が人為的に切られて、無い状態であった。

 

 

このプラオサン寺院でも、ストゥーパ(仏塔)とペルワラ(小祠堂)の多くは今も瓦礫のまま、修復作業の時が来るのを待っている。

 

セウ寺院やプラオサン寺院は敷地が広く、その基壇(土台)の数や状態から、元々は幾多の祠堂が立っていたことがわかる。もしこれらの瓦礫がすべて修復に至るなら、プランバナン寺院に匹敵するようなヒストリカルサイト(歴史的見所)になるのではないか?という気がする。

 

尤も、プランバナン寺院にもいまだ多数の瓦礫が残っているわけで、そちらの方も修復に至ったならば、やはりプランバナン寺院の方が神殿が最も高くて豪華なので、そっちが一番メジャーなヒストリカルサイトとなるのだろうな、とは思うが。

 

 

なお、事後に知ったのだが、このプラオサン寺院は正式には「北プラオサン寺院」というらしい。少し離れたところに「南プラオサン寺院」もあるのだが、今回は事前情報がなくて、俺は行けなかった。

 

何しろ、「北プラオサン寺院」の中に「北院本堂」「南院本堂」があるため、事前調べをしているうちに、俺の中でそれらが混同してしまったようだ。南プラオサン寺院の遺跡は小規模だが、元々は北プラオサン寺院と合わせて広大な敷地を持つ1つの寺院だったと考えられているらしい。

 

プラオサン寺院を辞去し、自転車に乗ってプランバナン寺院遺跡公園の方面へと戻る。この後、どうするか。プランバナン周辺には、南方面、南西方面にも遺跡が点在している。ただ、南方面の遺跡は丘陵地域にあるため、今の体力で自転車を漕いで行くには、時間的にも体力的にもしんどい。行くなら南西方面の遺跡か。

 
ともあれ、行けるどころまで行ってみることにする。続く。

1月16日。

 

6:30起床。今日はJavanava Travelcafeのツーリストカーでプランバナンへと向かう。プランバナンはインドネシア最大のヒンドゥー教寺院にして、世界遺産の遺跡がある地として知られている。

 

当初の計画では、俺はボロブドゥルからプランバナンへは公共交通機関のバス等で移動することを考えていた。しかしその場合、必ずジョグジャカルタを経由して乗り換えなければならない。地図で見ると、それは三角形の二辺の上を移動するような道のりとなる。

 

一方、車やタクシーならほぼ直に移動することができる。つまり、三角形の一辺の上の移動で済む。料金的にはバスの方が格段に安いのは確実だが、距離の遠回りとバスの待ち時間を考えると、車を手配した方が絶対的に効率が良い。よって、事前に日本で車を手配しておいた。

 

 

7:30、ヤシンさんが車で迎えに来てくれて、出発。朝食を取る時間がなかったので、プランバナンに移動してから何か食べることにする。天気は晴れていて、今日も暑くなりそうだ。ところが…車で宿の近くまで来たが、宿の場所がわからない。

 

俺が予約した宿の名前は「ホームステイ・ダマンティリ・プランバナン・シャナリ」。この名前を構成する4つの単語のうち、「ホームステイ」「プランバナン」の意味はわかる。そして、現地に着いてから、「ダマンティリ」というのはプランバナン遺跡公園の西側に位置する、日本で言うところの「民宿村」の地域名だということを知った。

 

俺の予約した宿も、その民宿群のうちの1つだったのだ。事前にExpediaで手配した時点では、そうとは知らなかった。また、ダマンティリの民宿群の中でExpediaで予約できるのは、この宿だけであったことも事後に知った。そして、そうなると4つの単語のうち、残る「シャナリ」が宿の個人名称であるはずだが…?

 

車はダマンティリの民宿村には来ていたが、宿の場所がわからなかった。俺はこの宿の場所をgoogle mapでプリントアウトして持って行ったのだが、実際に来てみると、そのマップが指し示している地点はその宿の場所ではなく、民宿村の入口であった。実際の宿は、民宿村入口からかなり奥へと進み、右に曲がったところにあった。

 

 

結果としては、ヤシンさんのおかげで9時に「ホームステイ・ダマンティリ・プランバナン・シャナリ」に到着はできた。

 

 

ところが、辿り着いた宿に実際に掲げられていた表札は「シャナリ」ではなく、「ラクサマナ」。宿の名前が全然違う…。

 

この宿の場所は民宿村入口からはかなり離れている上、ここは民宿村だけあり、均一仕様の表札を掲げている宿が周囲に複数あった(ただ、開店休業中のところが多い?との印象)。もし俺が独力でダマンティリまで来て、google mapの地図だけを頼りに「シャナリ」の名前で宿を探していたら、google mapの指し示し間違いも相まって、宿に辿り着くことは不可能であっただろう。

 

ダマンティリはプランバナン遺跡公園の西側すぐ近くに位置するが、南側に位置する公園入口からはかなり遠く、周囲にはコンビニも無い農村地域である。バス移動の後、暑い中を自分1人で徒歩で宿を探していたら、それだけで消耗疲弊し、観光どころではなくなっていたはずだ。

 

ただ、俺がプリントアウトして持って来ていた予約票には、宿の外観の写真が載っていた。ヤシンさんがその写真を地域住民に見せて、場所を細かく聞いて確認することで、俺を宿まで連れて行ってくれた。しかも、その予約票の写真をよーく見ると、そこには「シャナリ」ではなく、実態通り「ラクサマナ」の表札が掲げられている外観が載っていた。…どういうこと?

 

宿に入ると主人がいたので、今日予約しているはずだとの旨を伝えると、ちゃんと俺が泊まる予約もクレカ支払いもできていた。宿の名前は違うのに…。
 

いくら南国・発展途上国とはいえ、いい加減にもほどがあると思ったが、ともあれ無事、宿に着けたのは良かった。そして、Javanava Travelcafeに送迎を依頼しておいて正解だった。

 

宿のチェックイン時刻は14時なので、荷物だけ置かせてもらって、先にプランバナン寺院遺跡の観光に行くことにする。宿にレンタル自転車は「無い」というので、ヤシンさんに車で遺跡公園入口まで送ってもらった。車だと道路の都合上、ぐるっと遺跡公園の回りを1周することになるのだが、遺跡公園はかなり広く、入口までかなり遠かった。

 

 

遺跡公園入口に到着。ヤシンさんと別れ、ここからは再び一人旅である。

 

南側の入口にて、クレカで入場料Rp400,000を支払い、入場。円建てだとクレカ決済時のレートがRp10,000≒97円で、3,886円。ボロブドゥルと違って予約不要で、公園内で遠回りさせられることもなかった。

 

 

入場して少し歩くと現れた「プランバナン寺院遺跡群」。圧巻、物凄い存在感である。

 

しかも、31年前に来た時から当然に修復が進んでいるようで、以前よりも形を成す祠堂の数が増えているような感じがした。

 

 

プランバナン寺院遺跡群の地図看板を撮影。看板にある正方形の図では、右側が南側、つまり現在の公園正面入口側である。

 

プランバナン寺院群の神殿の中で、主だったものは6つ。中央奥の最も大きい神殿がシヴァ神殿。その向かって右がブラフマー神殿、左がヴィシュヌ神殿。シヴァ、ヴィシュヌ、ブラフマーはヒンドゥー教の三大神である。

 

また、三神それぞれの神殿の手前に、それぞれの神のヴァーハナ堂(乗り物の堂)がある。合わせて6つ。シヴァの乗り物はナンディ(牛)、ヴィシュヌの乗り物はガルーダ(鳥)、ブラフマーの乗り物はハンサ(馬)である。敷地内には他にも修復済みの祠堂が複数あったが、一般観光客が内部に入れる神殿・祠堂は以上6つのみであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6つの神殿・祠堂はどれも巨大で凄く立派であり、最も大きいシヴァ寺院で高さ47m、幅34mあるという。裏側に回ったりもして撮影。ただ、撮った画像を後で見返しても、外観ではどれがどれだかを判別するのは難しい。

 

プランバナン寺院は9世紀に建てられた、インドネシア最大のヒンドゥー教寺院である。この頃、ジャワ島中部の北部にはボロブドゥル寺院を創建した仏教王国のシャイレーンドラ王朝があった。南部にはヒンドゥー教国のサンジャヤ王朝があり、その支配下にあるマタラム王朝がプランバナン寺院を創建した。

 

それらの王朝は王族同士の婚姻で縁戚関係にあり、距離的な近さもあって、宗教の違いを越えて友好的に交流していたという。そもそもヒンドゥー教では、仏教のことをヒンドゥー教の中の一宗派と見なしているらしい。

 

ところで、「インドネシア」という国名の「ネシア」には、「島々」という意味がある。例えば、ミクロネシアは「小さい島々」という意味であるように。

 

9世紀に栄えたジャワ島のヒンドゥー教は、後にイスラム教の台頭によりジャワ島から追いやられ、バリ島へと逃れた。よって、現在のインドネシアン・ヒンドゥー教の本拠地はバリ島と言える。すなわち、ヒンドゥー教はインドネシア国内において今も信仰が維持されている。

 

なので、「インドネシア」という言葉は、欧州諸国にとっては「インド洋の島々」「インド方面の島々」という意味合いを持つと思われるが、同時に「ヒンドゥー教徒の島々」という意味もあるのではなかろうか。プランバナン寺院の圧倒的な大きさと精巧さを目の当たりにすると、そう感じられた。

 

それぞれの神堂に入ってみる。まずは中央にそびえ立つ、最も大きくて最も目立つシヴァ神殿へと入る。事後に知ったが、現在の公園正面入口側は南側だが、シヴァ神殿の正面は東側らしい。

 

 

シヴァ神殿の南側室に祀られているアガスティア像。アガスティアとは、シヴァ神の化身である導師のことらしい。

 

 

シヴァ神殿の本来の正面、東側室に祀られているシヴァ・マハデヴァ神像。画像では見切れているが、この像は蓮の上に立っており、仏教との関連性があるとされている。

 

 

シヴァ神殿の西側室に祀られているガネーシャ神像。シヴァの息子で、象の頭をしている。31年前にこの像の姿を観た時、とてもインパクトがあった。

 

なお、後で知ったところ、シヴァ神殿の北側室にはシヴァの妻であるドゥルガ像があるとのことだが、神殿内が若干迷路っぽくなっていたのと混んでいたため、見逃してしまった。まあ、しょうがない。ていうか、これも後になって思い出したが、31年前には観た憶えがある。

 

 

シヴァ神殿の南隣に位置するナンディ堂に祀られている、シヴァの乗り物であるナンディ像。こちらも31年前に観た時、インパクトがあった。牛がシヴァ神の乗り物であるため、ヒンドゥー教徒(≒インド人)は牛肉を食べないのだという。

 

 

ナンディ像の左後方にチャンドラ像、右後方にスリヤ像が祀られている。シヴァ神の従者であろうか?

 

 

続いて、シヴァ神殿の向かって右に立つヴィシュヌ神殿へと入る。そこにはヴィシュヌ神像が祀られており、

 

 

シヴァ神殿の向かって左に立つブラフマー神殿には、ブラフマー神像が祀られていた。

 

また、ヴィシュヌの乗り物のガルーダ(鳥)堂とブラフマーの乗り物のハンサ(馬)堂の中には、それらの像は無し。長い年月の間のどこかで遺失したか、盗難に遭ったのであろうか。

 

なお、31年前と違って、2015年と2016年にインドに行った経験がある今の俺には、僅かながらヒンドゥー教の知識がある。31年前には象・牛と認識していたものが、今はガネーシャ・ナンディであることをちゃんと知っているし、神々それぞれの違いもわかる。それだけでも、遺跡を観ていて「深み」が得られたように感じる。

 

 

 

さて、ここでヒンドゥー教の三大神について、自分なりの解説を加えたい。諸説ありの中、あくまで我流なのだが、自分が「こうじゃないか」と捉えている範囲内で…。

 

ヒンドゥー教の三大神はシヴァ=破壊の神、ヴィシュヌ=維持の神、そしてブラフマー=創造の神である。これらの「三神一体」を「トリムニティ」といい、ヒンドゥー教の最高神とされている。ただ、この三神同士を個別に比べた場合、明らかに格が落ちるのはブラフマーである。

 

ブラフマーはヒンドゥー教の初期の頃には、宇宙の真理を具現化した「創造の神」として特別扱いされたが、その後、人民からの人気が降下したことで、最終的には新興勢力であるシヴァに首を切られてしまい、威信もガタ落ちになったのだという。ブラフマーはインテリの神様なのだが、それを鼻にかける嫌味な性格も、人気が凋落する原因になったらしい。

 

すなわち、残るシヴァ派とヴィシュヌ派が現在のヒンドゥー教の二大メジャー派閥である。では、シヴァ神とヴィシュヌ神はどう違うのか、どちらが偉い or 強いのか、と言えば、それは諸説あるのだが、何となくこんな感じだろうな、と思われるのが「シヴァ=破壊の神は『動』の神、ヴィシュヌ=維持の神は『静』の神」ということだ。

インドの古代叙事詩、「ラーマーヤナ」や「マハーバラータ」の中において、シヴァ神はひたすらにセックス、ヨガ、ダンス、そして戦争に没頭しているという。一方で、ヴィシュヌ神はその間、一体何をしているのかと言えば、何と、ヴィシュヌの姿としては、ただ安らかに眠り続けているのだという。

では、どちらの神が偉いのか?となると、これも諸説あるのだが、興味深い説として推したいのが「シヴァの存在はヴィシュヌの(位の高さの)足元にも及ばない」ということ。エネルギッシュで激しく活動するシヴァは、人民にとって親しみやすい存在なのだそうだ。それに対して、ヴィシュヌは人民にとって「次元が違うほどに、存在自体がひどく遠い神」なのだそうだ。

なので、実はヴィシュヌ派のヒンドゥー教徒も、ヴィシュヌ自身を崇拝するというよりは、ヴィシュヌの化身である「クリシュナ」、同じくヴィシュヌの化身の「ラーマ」、そしてラーマの従者の「ハヌマーン」を信仰している人が多いのだという。次元が違うほどに位の高いヴィシュヌが「シヴァと同じレベルの神」の世界に「降りて来る」ためには、「化身の姿」を使う必要がある、ということだ。

バター泥棒も行う「クリシュナ」は、人民から圧倒的な人気を集めるスーパーヒーロー。ラーマはインド古代叙事詩「ラーマーヤナ」の主人公で、日本製バターの商品名「ラーマ・ゴールデンソフト」はバター→クリシュナ→ラーマと繋がってできたネーミングと思われる。そして、猿の姿をした神「ハヌマーン」は、「西遊記」の「孫悟空」のモデルとされている。ヴィシュヌ派のヒンドゥー教徒の実際の心の拠り所となっているのは、ヴィシュヌ神そのものよりも、これらのヴィシュヌの化身などの神々が活躍する神話なのである。

 

また、これはまったく俺独自の考察なのだが、「動」と「静」という切り口で見た場合、別の側面…すなわち、昭和50年代後半のプロレスゴールデンタイム放送時代になぞらえると、シヴァ(派)=猪木(新日)、ヴィシュヌ(派)=馬場(全日)ということが言えるかもしれない。

 

世間に向けても、全日に向けても、仕掛けと喧嘩を売りまくった猪木。それに対して、石橋を叩いても渡らず、「金持ち喧嘩せず」的なスタンスを維持した馬場。さらに、ブラフマー(派)=力道山(日プロ)になぞらえる。力道山は事実上の日本のプロレスの創成者でありながら、今となっては人格最悪だったことが知れ渡っているし、短命だったし。

 

 

 

 

神殿の回廊を歩く。この日は天候が良くて、良い画像が撮れるのは有り難いが、屋外はとにかく暑い…。そして、いつものことなのだろうが、ボロブドゥル同様、この日のプランバナンにも観光客が多い。

 

 

一部の祠堂では、スタッフ(業者?)による高圧水流洗浄が行われていた。

 

 

 

31年前、敷地内には多数の瓦礫が放置されていた憶えがある。今はどうやら、それぞれの祠堂の土台の位置が定まる程度には整理されたようだ。これらはペルワラ=小祠堂と呼ばれ、計224堂あるらしい。

 

ただ、逆に言うと、31年経っても修復の進捗状況がこの程度ということは、3倍の年月である100年が経ったとしても、これらの瓦礫が完全修復されることはないのだろうな、と。

 

 

その後も寺院遺跡の敷地内を散策。すると、修学旅行生らしき女子2人がスマホを持って、俺に近づいて来た。ヒジャブ(スカーフ)を巻いているからムスリム(イスラム教徒)で、中学生くらいだろうか。それで「photo」と言うので、記念撮影のシャッターを押して欲しいのだと思い、「ああ、良いですよ」と言って、スマホを受け取ろうとしたら、妙な間が生まれ、ちょっと何か違う雰囲気…?

 

ん?と思い、「もしかして、俺と一緒に写真が撮りたいの?」との旨、英語で話すと、女子2人は「そうです、そうです」と言う感じで、キャーキャー言ってる。

 

これには驚いた。前日はボロブドゥルでたくさんのインドネシア人の修学旅行生がいて、白人にインタビューしてたけど、俺には誰も話しかけて来なかったから、そういうもんだと思ってたし。確かに10年ほど前、インドで「一緒に写真撮ってくれ」と言われて撮ったことがあるから、まあ、日本人(東洋人)てだけで珍しいんだろうけど。

 

 

 

彼女達のスマホで一緒に撮影した後、記念に俺のデジカメでも撮ってもらった。自分と記念撮影したいと言われて、本音はやっぱり、おじさん嬉しかった…。

 

 

 

 

すると、他の同級生達も集まって来て、みんなで一緒に記念撮影をすることになった。先生もいて、俺のデジカメのシャッターを押してくれた。

 

学生の1人に「Where you from?」と聞かれたので、「ダリ・ジュパン(from Japan)」と答えると、皆「キャーッ」と言って、中には「ワンピース、ルフィ、ゾロ、サンジ、ナミ、ゴムゴムノオ…」と言ってくれた女子がいた。インドネシアの人々は親日的で、後日ヤシンさんに聞いたところ、インドネシアでは日曜日の朝にワンピースやドラえもんなど日本のアニメが放送されており、人気があるのだという。

 

しかも、先生によると、この子たちは中学生で、実在の日本人に遭うのは初めてなのだという。確かにコロナ全盛の頃は、インドネシアに観光に来る日本人は皆無であったはず。現在、中学生の彼らは、世界的なコロナ禍になる前はもっと小さい子どもであったわけだから、全員「日本のアニメは好きだけど、日本人って見たことない」というのも頷ける話だ。

 

正直、今日は朝から、宿の場所がわかりにくかったり、昨日の疲れが残っていたり、暑かったりで、若干テンションが下がっていたのだが、中学生に囲まれてキャーキャー言われたことで、一気にテンションが上がったというか、元気が出て来た。なのでさらにプラナンバナン遺跡公園の奥(北)へと進むことにする。

 

 

遺跡公園を先へと進み、振り返って後ろ側からプランバナン寺院遺跡群を撮影。その後、公園内の北側にある別の遺跡群に向かって徒歩で進んだ。

 

続く。

 

公園内にあるボロブドゥル博物館に到着。入館料は遺跡公園入場料に含まれる。

 

 

博物館の敷地に入ると、正面にあずま屋がある。あずま屋の下にはインドネシアの楽器等が展示されていた。

 

 

敷地内の屋外には、修復を待つ多数の遺跡パーツが並べて置かれていた。瓦礫のように見えて、1つ1つに彫刻が施されている立派なパーツである。仏像もかなりの数が置かれていたが、首が無いものが目立った。

 

 

博物館に入る。館内の照明は暗め。おそらく遺跡の修復に使われたのであろう薬剤関係が展示されていたり、

 
 
大きな仏像の頭部のみが展示されていた。この仏像の胴体部分はウォノソボ(数日後に訪れるディエン高原の拠点となる街)のボガン寺院にあるらしい。現状で頭部と胴体部分のドッキング修復がなされていないのは、仏像が一体になってしまうと、博物館と寺院とで仏像の占有権の折り合いがつかないから、とかだろうか?
 
また、ボロブドゥル寺院は仏教寺院だが、牛(ナンディ)像、象(ガネーシャ)像、男根(リンガ)像など、ヒンドゥー教関連の出土物もあるようで、博物館内にはそれらも展示されていた。館内は広くはなく、地味な雰囲気でこじんまりとしていた。
 
シャトルカートに乗って公園入口方面へと移動する。

 

 

土産物屋通りの中を歩き、駐輪場へと向かう。歩いていると土産物屋の店員が絶えず客引きの声をかけてくるが、気のせいか、31年前に比べるとしつこくはない。

 

これは、昔と違って今は一応、それなりの観光地における店員の振る舞いというものが、観光行政機関辺りから指導されているからだろうか? もしくは、店々の方で「客引きはしつこいと逆効果」ということがわかって来た? それとも俺がこういう場所の客引きに慣れただけ?

 

自転車に乗り、宿へと戻る。

 

 

途中で「バッソ・ビーフ」と看板が出ている屋台を見つけたので、「ミー・バッソ」を食べることにする。

 

ミーとは麺、バッソは肉団子のこと。大きいバッソにはその場で切り込みを入れて、スープで煮込む。麺は白(ビーフン?)と黄色のを半々にしてもらった。

 

 

ミーバッソ。ミーとバッソにサユール(野菜)、タフ(豆腐)、フライドオニオン、チリが乗り、勧められたエステー(アイスティー)もつけてRp25,000(307.5円)。美味。

 

 

食後、宿に戻る途中、インドマレットにてコーラと「ドゥア・クリンチ」のガーリックピーナッツを購入。Rp31300(385円)。

 

宿に着き、ガーリックピーナッツを味見する。美味いのだが、ピーナツの殻を割る労力の割には食べるところが少なく、殻ゴミが多量に出る。なお、ドゥアとは2、クリンチとはウサギの意味。実際に、菓子のパッケージには「2匹のウサギ」がデザインされている。メーカー名かブランド名なのだろう。

 

シャワーを浴びて、身支度を整えた後、午後は自転車でパウォン遺跡とムンドゥッ遺跡へと向かう。いずれの寺院遺跡も、1991年にボロブドゥル寺院遺跡とセットで世界遺産に登録された仏教遺跡である。そして、俺は31年前にはどちらも観ていない。

 

自転車を漕ぎ、まずはボロブドゥル寺院遺跡から1.3kmの位置にあるパウォン寺院遺跡に到着。着くといきなり、近くの土産物屋のおばちゃんが寄って来て、商品の売り込みが結構しつこい。「やっぱ、31年前の土産物屋の客引きってこんな感じだったよなあ」と。ただ、そのおばちゃんに入場券売り場がどこか聞いたところ、親切に(?)教えてくれた。

 

パウォン寺院遺跡と、この後に訪れる予定のムンドゥッ寺院遺跡の共通チケットがRp40,500(498円)。e-moneyやクレカでのキャッシュレス支払いは不可で、現金で支払う。内訳は、各遺跡の入場料Rp20,000×2に加えて、保険料Rp500。保険料? 遺跡維持協力金だとか手数料ならわかるが、保険って何だ? 意味わからんが、Rp500=6円なので、まあ良い。

 

 

パウォン仏教寺院遺跡。パウォンはジャワ語(≠インドネシア語)で「台所」を意味し、古代の台所には炊事後の灰が多かったことから、ここはシャイレーンドラ王朝の王の遺灰を埋めた場所という説が有力らしい。小ぶりな寺院で、入場して外観を撮影。遺跡の中に彫像の類は何も無し。

 

続いて、自転車を漕いでムンドゥッ寺院を目指す。晴天だった空に、段々と雲が広がってきた。

 

 

ボロブドゥル遺跡から3.0kmの位置にあるムンドゥッ寺院遺跡に到着。入場前に柵の外から撮影。ちなみにボロブドゥル寺院、パウォン寺院、ムンドゥッ寺院は一直線に結ばれた間に位置しており、何らかの所縁があるものと考えられている。しかも、3寺院の中で最も新しく建設されたのがボロブドゥル寺院らしい。

 

なお、ムンドゥッ寺院遺跡の近くには、現役の仏教寺院である「ムンドゥッ僧院」がある。

 

 

ムンドゥッ僧院の入口。遺跡の前に、まずはここに入ってみることにする。入場無料。

 

 

敷地内の中央通路の両脇には石仏塔=ストゥーパが並んでいる。

 

 

寺院の奥に位置する仏像。他にも、アンコールワットの四面仏を模したようなレプリカ石塔があったりした。

 

 

寺院の敷地内には涅槃仏像もある。イスラム教徒が大多数を占めるジャワ島だが、少数ながら仏教徒も存在し、信仰を維持している。この僧院は、インドネシアにおける貴重な仏教聖地だけに、本来なら多岐に亘る仏教の宗派すべてを受け入れているようだ。

 

続いて、パウォン寺院遺跡で購入した共通チケットを提示して、ムンドゥッ寺院遺跡へと入場する。

 

 

ムンドゥッ寺院遺跡の敷地内に立つ菩提樹。御神木なのであろう。

 

 

ムンドゥッ寺院遺跡。外観を撮影。正面からだと若干逆光気味。

 

 

ムンドゥッ寺院遺跡の中には3体の彫像が収められている。真ん中の1体が仏像、両脇の2体が菩薩像らしい。「仏教彫像の最高傑作」と言われているらしく、確かに見事だが、アクリル板で柵が設けられており、彫像の間近に近寄ることはできない。撮影しても、アクリル板が写り込んでしまう。

 

  

 

 

3体の彫像はそれぞれ、足の組み方が違う。こうして彫像が盗難や破壊されることなく、現在に残っているだけで奇跡的と言えるのであろう。

 

 

ここでも、敷地内には今後の修復を待つ多数の遺跡パーツが並べて置かれていた。

 

 

ムンドゥッ寺院遺跡の敷地から出ると、近くに「インドネシア日本友好親善之碑」が立っていて、1985年2月吉日建立とあった。事後に調べると、現・令和天皇が皇太子だった頃、この碑を訪れたことがあるらしい?

 

時刻はまだ早いが雲行きが怪しく、雨が降る前に戻りたいのと疲れてたので、自転車でボロブドゥルの街へと向かう。14時、Javanava Travelcafeに到着し、自転車を返却。徒歩で宿へと戻る。

 

 

宿に戻る途中、生フルーツジュース屋があったので入ってみた。

 

 

アルポカジュースを注文。アルポカとはアボガドのこと。Rp10,000=123円。濃厚で美味。

 

 

その後、まだ食えるので屋台を探りながら歩いていたところ、「ナシ・プチェル」と表示を出している屋台があったので、入って注文した。

 

 

「ナシ・プチェル」。ナシは飯、プチェルとはベジタリアン向けの料理で、茹でた野菜に甘くてピリ辛のピーナツソースをかけたもの。ここではそれに、ビーフンゴレン(ビーフン炒め)、ゴーヤゴレン(ゴーヤ炒め)、パパヤゴレン(青パパイヤ炒め)を加えた。勧められたライムジュースをつけてRp20,000(246円)。美味。

 

なお、ここの屋台のおばちゃんは一切英語ができず。注文の際、俺が「バハサインドネシア、スディキッ、ミンタマーフ(インドネシア語、少し(しかわからない)、ごめんなさい」と伝えたら、おばちゃんはインドネシア語で「こちらこそ英語できなくてごめんなさい」という旨を言っていたようだった。

 

宿に到着。シャワーを浴びて休憩。その間、雨が降って来たのでちょうど良かった。夕刻、雨が止んだので夕食を食べに行く。

 

 

ホテルの前の通りから、夕焼けの中に浮かぶボロブドゥル寺院遺跡の上壇部のシルエットが見えた。

 

 

ナシ・ゴレンの屋台を見つけたので入る。ナシ・ゴレンのナシは飯、ゴレンは炒め、つまりチャーハンのことで、日本でも有名な代表的インドネシア料理である。

 

だが、店内でメニューを確認すると「マグランガン」があったので、ナシ・ゴレンではなくマグランガンを注文することにした。

 

 

「マグランガン」。アイスティーをつけてRp24,000(295円)。マグランガンはナシ(飯)とミー(麺)のチャンプルゴレン(混ぜ炒め)のこと。いわゆる「そばめし」である。ボロブドゥルがあるマグラン県のB級グルメで、マグランという地名がそのまま料理名になったという。

 

美味だったが、正直、味は普通にナシゴレンと同じで、特にまあ、それだけという。ナシゴレン同様、目玉焼きとキュウリはちゃんと乗っていたけれども、これなら普通のナシゴレンを注文しても良かったかも。あと、この屋台のおばちゃんは比較的英語で対応してくれたから、ローカルというよりは観光客向けの店だったのかもしれない?

 

 

店の壁にはヤモリが複数いて、「キキッ、キキッ」と鳴いていた。南国のヤモリが鳴くことには、31年前からとっくに慣れている。

 

 

さらに歩いていると、店頭で煙を上げながら「サテ・アヤム」を焼いている店を発見。サテは串焼き、アヤムは鶏のこと。すなわち、焼き鳥そのものである。値段を聞くと10本単位の販売で、10本Rp25,000(307.5円)。相場通りの値段でボラれてはいないようなので、テイクアウトで10本購入。古紙で包んでくれて、ピーナツソースと生オニオン、青チリの薬味もつけてくれた。

 

 

宿に戻ってサテ・アヤムを食す。ちょっと硬いが美味。1本の量も少ないため、10本とも一度に完食した。

 

今晩も俺以外、この宿に宿泊客はいない様子。そして、これがボロブドゥル最後の夜。ボロブドゥルはインドネシア屈指の観光地だが、現地の人達は素朴で、親切で、優しくて、素朴で、居心地が良い。

 

また、今回の旅は今のところ、天気や体力の都合により、あまり「観光して駆けずり回る旅」ではない。でも、その分、ローカルフードは堪能しまくっている。今日なんて、量が少ないとはいえ屋台で5食した上、アボガドジュースを飲んで、焼き鳥も食べた。まだ食えていないローカルフードは明日以降、プランバナンやジョグジャカルタで食そう。

 

続く。