1月16日。
6:30起床。今日はJavanava Travelcafeのツーリストカーでプランバナンへと向かう。プランバナンはインドネシア最大のヒンドゥー教寺院にして、世界遺産の遺跡がある地として知られている。
当初の計画では、俺はボロブドゥルからプランバナンへは公共交通機関のバス等で移動することを考えていた。しかしその場合、必ずジョグジャカルタを経由して乗り換えなければならない。地図で見ると、それは三角形の二辺の上を移動するような道のりとなる。
一方、車やタクシーならほぼ直に移動することができる。つまり、三角形の一辺の上の移動で済む。料金的にはバスの方が格段に安いのは確実だが、距離の遠回りとバスの待ち時間を考えると、車を手配した方が絶対的に効率が良い。よって、事前に日本で車を手配しておいた。
7:30、ヤシンさんが車で迎えに来てくれて、出発。朝食を取る時間がなかったので、プランバナンに移動してから何か食べることにする。天気は晴れていて、今日も暑くなりそうだ。ところが…車で宿の近くまで来たが、宿の場所がわからない。
俺が予約した宿の名前は「ホームステイ・ダマンティリ・プランバナン・シャナリ」。この名前を構成する4つの単語のうち、「ホームステイ」「プランバナン」の意味はわかる。そして、現地に着いてから、「ダマンティリ」というのはプランバナン遺跡公園の西側に位置する、日本で言うところの「民宿村」の地域名だということを知った。
俺の予約した宿も、その民宿群のうちの1つだったのだ。事前にExpediaで手配した時点では、そうとは知らなかった。また、ダマンティリの民宿群の中でExpediaで予約できるのは、この宿だけであったことも事後に知った。そして、そうなると4つの単語のうち、残る「シャナリ」が宿の個人名称であるはずだが…?
車はダマンティリの民宿村には来ていたが、宿の場所がわからなかった。俺はこの宿の場所をgoogle mapでプリントアウトして持って行ったのだが、実際に来てみると、そのマップが指し示している地点はその宿の場所ではなく、民宿村の入口であった。実際の宿は、民宿村入口からかなり奥へと進み、右に曲がったところにあった。
結果としては、ヤシンさんのおかげで9時に「ホームステイ・ダマンティリ・プランバナン・シャナリ」に到着はできた。
ところが、辿り着いた宿に実際に掲げられていた表札は「シャナリ」ではなく、「ラクサマナ」。宿の名前が全然違う…。
この宿の場所は民宿村入口からはかなり離れている上、ここは民宿村だけあり、均一仕様の表札を掲げている宿が周囲に複数あった(ただ、開店休業中のところが多い?との印象)。もし俺が独力でダマンティリまで来て、google mapの地図だけを頼りに「シャナリ」の名前で宿を探していたら、google mapの指し示し間違いも相まって、宿に辿り着くことは不可能であっただろう。
ダマンティリはプランバナン遺跡公園の西側すぐ近くに位置するが、南側に位置する公園入口からはかなり遠く、周囲にはコンビニも無い農村地域である。バス移動の後、暑い中を自分1人で徒歩で宿を探していたら、それだけで消耗疲弊し、観光どころではなくなっていたはずだ。
ただ、俺がプリントアウトして持って来ていた予約票には、宿の外観の写真が載っていた。ヤシンさんがその写真を地域住民に見せて、場所を細かく聞いて確認することで、俺を宿まで連れて行ってくれた。しかも、その予約票の写真をよーく見ると、そこには「シャナリ」ではなく、実態通り「ラクサマナ」の表札が掲げられている外観が載っていた。…どういうこと?
宿に入ると主人がいたので、今日予約しているはずだとの旨を伝えると、ちゃんと俺が泊まる予約もクレカ支払いもできていた。宿の名前は違うのに…。
いくら南国・発展途上国とはいえ、いい加減にもほどがあると思ったが、ともあれ無事、宿に着けたのは良かった。そして、Javanava Travelcafeに送迎を依頼しておいて正解だった。
宿のチェックイン時刻は14時なので、荷物だけ置かせてもらって、先にプランバナン寺院遺跡の観光に行くことにする。宿にレンタル自転車は「無い」というので、ヤシンさんに車で遺跡公園入口まで送ってもらった。車だと道路の都合上、ぐるっと遺跡公園の回りを1周することになるのだが、遺跡公園はかなり広く、入口までかなり遠かった。
遺跡公園入口に到着。ヤシンさんと別れ、ここからは再び一人旅である。
南側の入口にて、クレカで入場料Rp400,000を支払い、入場。円建てだとクレカ決済時のレートがRp10,000≒97円で、3,886円。ボロブドゥルと違って予約不要で、公園内で遠回りさせられることもなかった。
入場して少し歩くと現れた「プランバナン寺院遺跡群」。圧巻、物凄い存在感である。
しかも、31年前に来た時から当然に修復が進んでいるようで、以前よりも形を成す祠堂の数が増えているような感じがした。
プランバナン寺院遺跡群の地図看板を撮影。看板にある正方形の図では、右側が南側、つまり現在の公園正面入口側である。
プランバナン寺院群の神殿の中で、主だったものは6つ。中央奥の最も大きい神殿がシヴァ神殿。その向かって右がブラフマー神殿、左がヴィシュヌ神殿。シヴァ、ヴィシュヌ、ブラフマーはヒンドゥー教の三大神である。
また、三神それぞれの神殿の手前に、それぞれの神のヴァーハナ堂(乗り物の堂)がある。合わせて6つ。シヴァの乗り物はナンディ(牛)、ヴィシュヌの乗り物はガルーダ(鳥)、ブラフマーの乗り物はハンサ(馬)である。敷地内には他にも修復済みの祠堂が複数あったが、一般観光客が内部に入れる神殿・祠堂は以上6つのみであった。
6つの神殿・祠堂はどれも巨大で凄く立派であり、最も大きいシヴァ寺院で高さ47m、幅34mあるという。裏側に回ったりもして撮影。ただ、撮った画像を後で見返しても、外観ではどれがどれだかを判別するのは難しい。
プランバナン寺院は9世紀に建てられた、インドネシア最大のヒンドゥー教寺院である。この頃、ジャワ島中部の北部にはボロブドゥル寺院を創建した仏教王国のシャイレーンドラ王朝があった。南部にはヒンドゥー教国のサンジャヤ王朝があり、その支配下にあるマタラム王朝がプランバナン寺院を創建した。
それらの王朝は王族同士の婚姻で縁戚関係にあり、距離的な近さもあって、宗教の違いを越えて友好的に交流していたという。そもそもヒンドゥー教では、仏教のことをヒンドゥー教の中の一宗派と見なしているらしい。
ところで、「インドネシア」という国名の「ネシア」には、「島々」という意味がある。例えば、ミクロネシアは「小さい島々」という意味であるように。
9世紀に栄えたジャワ島のヒンドゥー教は、後にイスラム教の台頭によりジャワ島から追いやられ、バリ島へと逃れた。よって、現在のインドネシアン・ヒンドゥー教の本拠地はバリ島と言える。すなわち、ヒンドゥー教はインドネシア国内において今も信仰が維持されている。
なので、「インドネシア」という言葉は、欧州諸国にとっては「インド洋の島々」「インド方面の島々」という意味合いを持つと思われるが、同時に「ヒンドゥー教徒の島々」という意味もあるのではなかろうか。プランバナン寺院の圧倒的な大きさと精巧さを目の当たりにすると、そう感じられた。
それぞれの神堂に入ってみる。まずは中央にそびえ立つ、最も大きくて最も目立つシヴァ神殿へと入る。事後に知ったが、現在の公園正面入口側は南側だが、シヴァ神殿の正面は東側らしい。
シヴァ神殿の南側室に祀られているアガスティア像。アガスティアとは、シヴァ神の化身である導師のことらしい。
シヴァ神殿の本来の正面、東側室に祀られているシヴァ・マハデヴァ神像。画像では見切れているが、この像は蓮の上に立っており、仏教との関連性があるとされている。
シヴァ神殿の西側室に祀られているガネーシャ神像。シヴァの息子で、象の頭をしている。31年前にこの像の姿を観た時、とてもインパクトがあった。
なお、後で知ったところ、シヴァ神殿の北側室にはシヴァの妻であるドゥルガ像があるとのことだが、神殿内が若干迷路っぽくなっていたのと混んでいたため、見逃してしまった。まあ、しょうがない。ていうか、これも後になって思い出したが、31年前には観た憶えがある。
シヴァ神殿の南隣に位置するナンディ堂に祀られている、シヴァの乗り物であるナンディ像。こちらも31年前に観た時、インパクトがあった。牛がシヴァ神の乗り物であるため、ヒンドゥー教徒(≒インド人)は牛肉を食べないのだという。
ナンディ像の左後方にチャンドラ像、右後方にスリヤ像が祀られている。シヴァ神の従者であろうか?
続いて、シヴァ神殿の向かって右に立つヴィシュヌ神殿へと入る。そこにはヴィシュヌ神像が祀られており、
シヴァ神殿の向かって左に立つブラフマー神殿には、ブラフマー神像が祀られていた。
また、ヴィシュヌの乗り物のガルーダ(鳥)堂とブラフマーの乗り物のハンサ(馬)堂の中には、それらの像は無し。長い年月の間のどこかで遺失したか、盗難に遭ったのであろうか。
なお、31年前と違って、2015年と2016年にインドに行った経験がある今の俺には、僅かながらヒンドゥー教の知識がある。31年前には象・牛と認識していたものが、今はガネーシャ・ナンディであることをちゃんと知っているし、神々それぞれの違いもわかる。それだけでも、遺跡を観ていて「深み」が得られたように感じる。
さて、ここでヒンドゥー教の三大神について、自分なりの解説を加えたい。諸説ありの中、あくまで我流なのだが、自分が「こうじゃないか」と捉えている範囲内で…。
ヒンドゥー教の三大神はシヴァ=破壊の神、ヴィシュヌ=維持の神、そしてブラフマー=創造の神である。これらの「三神一体」を「トリムニティ」といい、ヒンドゥー教の最高神とされている。ただ、この三神同士を個別に比べた場合、明らかに格が落ちるのはブラフマーである。
ブラフマーはヒンドゥー教の初期の頃には、宇宙の真理を具現化した「創造の神」として特別扱いされたが、その後、人民からの人気が降下したことで、最終的には新興勢力であるシヴァに首を切られてしまい、威信もガタ落ちになったのだという。ブラフマーはインテリの神様なのだが、それを鼻にかける嫌味な性格も、人気が凋落する原因になったらしい。
すなわち、残るシヴァ派とヴィシュヌ派が現在のヒンドゥー教の二大メジャー派閥である。では、シヴァ神とヴィシュヌ神はどう違うのか、どちらが偉い or 強いのか、と言えば、それは諸説あるのだが、何となくこんな感じだろうな、と思われるのが「シヴァ=破壊の神は『動』の神、ヴィシュヌ=維持の神は『静』の神」ということだ。
インドの古代叙事詩、「ラーマーヤナ」や「マハーバラータ」の中において、シヴァ神はひたすらにセックス、ヨガ、ダンス、そして戦争に没頭しているという。一方で、ヴィシュヌ神はその間、一体何をしているのかと言えば、何と、ヴィシュヌの姿としては、ただ安らかに眠り続けているのだという。
では、どちらの神が偉いのか?となると、これも諸説あるのだが、興味深い説として推したいのが「シヴァの存在はヴィシュヌの(位の高さの)足元にも及ばない」ということ。エネルギッシュで激しく活動するシヴァは、人民にとって親しみやすい存在なのだそうだ。それに対して、ヴィシュヌは人民にとって「次元が違うほどに、存在自体がひどく遠い神」なのだそうだ。
なので、実はヴィシュヌ派のヒンドゥー教徒も、ヴィシュヌ自身を崇拝するというよりは、ヴィシュヌの化身である「クリシュナ」、同じくヴィシュヌの化身の「ラーマ」、そしてラーマの従者の「ハヌマーン」を信仰している人が多いのだという。次元が違うほどに位の高いヴィシュヌが「シヴァと同じレベルの神」の世界に「降りて来る」ためには、「化身の姿」を使う必要がある、ということだ。
バター泥棒も行う「クリシュナ」は、人民から圧倒的な人気を集めるスーパーヒーロー。ラーマはインド古代叙事詩「ラーマーヤナ」の主人公で、日本製バターの商品名「ラーマ・ゴールデンソフト」はバター→クリシュナ→ラーマと繋がってできたネーミングと思われる。そして、猿の姿をした神「ハヌマーン」は、「西遊記」の「孫悟空」のモデルとされている。ヴィシュヌ派のヒンドゥー教徒の実際の心の拠り所となっているのは、ヴィシュヌ神そのものよりも、これらのヴィシュヌの化身などの神々が活躍する神話なのである。
また、これはまったく俺独自の考察なのだが、「動」と「静」という切り口で見た場合、別の側面…すなわち、昭和50年代後半のプロレスゴールデンタイム放送時代になぞらえると、シヴァ(派)=猪木(新日)、ヴィシュヌ(派)=馬場(全日)ということが言えるかもしれない。
世間に向けても、全日に向けても、仕掛けと喧嘩を売りまくった猪木。それに対して、石橋を叩いても渡らず、「金持ち喧嘩せず」的なスタンスを維持した馬場。さらに、ブラフマー(派)=力道山(日プロ)になぞらえる。力道山は事実上の日本のプロレスの創成者でありながら、今となっては人格最悪だったことが知れ渡っているし、短命だったし。
神殿の回廊を歩く。この日は天候が良くて、良い画像が撮れるのは有り難いが、屋外はとにかく暑い…。そして、いつものことなのだろうが、ボロブドゥル同様、この日のプランバナンにも観光客が多い。
一部の祠堂では、スタッフ(業者?)による高圧水流洗浄が行われていた。
31年前、敷地内には多数の瓦礫が放置されていた憶えがある。今はどうやら、それぞれの祠堂の土台の位置が定まる程度には整理されたようだ。これらはペルワラ=小祠堂と呼ばれ、計224堂あるらしい。
ただ、逆に言うと、31年経っても修復の進捗状況がこの程度ということは、3倍の年月である100年が経ったとしても、これらの瓦礫が完全修復されることはないのだろうな、と。
その後も寺院遺跡の敷地内を散策。すると、修学旅行生らしき女子2人がスマホを持って、俺に近づいて来た。ヒジャブ(スカーフ)を巻いているからムスリム(イスラム教徒)で、中学生くらいだろうか。それで「photo」と言うので、記念撮影のシャッターを押して欲しいのだと思い、「ああ、良いですよ」と言って、スマホを受け取ろうとしたら、妙な間が生まれ、ちょっと何か違う雰囲気…?
ん?と思い、「もしかして、俺と一緒に写真が撮りたいの?」との旨、英語で話すと、女子2人は「そうです、そうです」と言う感じで、キャーキャー言ってる。
これには驚いた。前日はボロブドゥルでたくさんのインドネシア人の修学旅行生がいて、白人にインタビューしてたけど、俺には誰も話しかけて来なかったから、そういうもんだと思ってたし。確かに10年ほど前、インドで「一緒に写真撮ってくれ」と言われて撮ったことがあるから、まあ、日本人(東洋人)てだけで珍しいんだろうけど。
彼女達のスマホで一緒に撮影した後、記念に俺のデジカメでも撮ってもらった。自分と記念撮影したいと言われて、本音はやっぱり、おじさん嬉しかった…。
すると、他の同級生達も集まって来て、みんなで一緒に記念撮影をすることになった。先生もいて、俺のデジカメのシャッターを押してくれた。
学生の1人に「Where you from?」と聞かれたので、「ダリ・ジュパン(from Japan)」と答えると、皆「キャーッ」と言って、中には「ワンピース、ルフィ、ゾロ、サンジ、ナミ、ゴムゴムノオ…」と言ってくれた女子がいた。インドネシアの人々は親日的で、後日ヤシンさんに聞いたところ、インドネシアでは日曜日の朝にワンピースやドラえもんなど日本のアニメが放送されており、人気があるのだという。
しかも、先生によると、この子たちは中学生で、実在の日本人に遭うのは初めてなのだという。確かにコロナ全盛の頃は、インドネシアに観光に来る日本人は皆無であったはず。現在、中学生の彼らは、世界的なコロナ禍になる前はもっと小さい子どもであったわけだから、全員「日本のアニメは好きだけど、日本人って見たことない」というのも頷ける話だ。
正直、今日は朝から、宿の場所がわかりにくかったり、昨日の疲れが残っていたり、暑かったりで、若干テンションが下がっていたのだが、中学生に囲まれてキャーキャー言われたことで、一気にテンションが上がったというか、元気が出て来た。なのでさらにプラナンバナン遺跡公園の奥(北)へと進むことにする。
遺跡公園を先へと進み、振り返って後ろ側からプランバナン寺院遺跡群を撮影。その後、公園内の北側にある別の遺跡群に向かって徒歩で進んだ。
続く。